第3話 海の命ある島

 希望が欲しくて、手を伸ばす.

 黒い海、赤い空。

 そんな世界で私は謳った。

 この世界は私が変える――と。


        †


 列車がハートボンドを発ってから、既に五日が過ぎていた。

 あと数時間で海霊種ゼーガイストの国・シーアライアンスに到着する予定だ。

 ……ただ、予定外のことが一つだけある。しかもこれは深刻だ。深刻な問題だ。今すぐ対処しなければならい。

「イリニス。紅茶を入れたのですが、飲みますか?」

「あ、はい。いただきます」

 何かいい匂いがすると思ったら、紅茶だったのか。

 わたしは彼女から紅茶が入ったティーカップを受け取った。

「エレセリアもいかがですか?」

「ん、貰っとく」

 エレセリアも彼女からティーカップを受け取った。

 エレセリアがティーカップを口に運ぶのを見て、わたしも真似するように紅茶を飲む。

 口の中に広がる桃の香り。これはフルーツティーというヤツだ。美味しい、お店で出せるくらい美味しい。

「美味しいです、ミフォリア様」

 わたしがそう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。でも、イリニス。わたくしのことは『ミフォリア』と呼んでほしいですね。五日くらい前からずっと、そう言っているはずですよ?」

「そんな恐れ多くて無理ですよ! 勘弁してください……」

「嫌です」

 満面の笑みでそう言われても、無理なモノは無理だし、幻精種ファンファータの代表を呼び捨てだなんて、わたしには出来ない。

「ミフォリア、美味いねこれ」

「そうですか? ふふ、ありがとう。二人の口に合ってよかったです」

 エレセリアに移った視線が、わたしに戻ってきた。

「イリニス。エレセリアはわたくしのことを『ミフォリア』と呼んでくれますよ?」

「エレセリアとわたしを一緒にしないでください!」

「おっと、それは私に喧嘩を売っているのかな?」

「違います!!」

「喧嘩ですか……。わかりました、わたくしが審判をしましょう」

「だからしませんって! わたしがエレセリアに勝てるわけないじゃないですかっ!!」

 ニヤッと笑い合う二人。わたしを標的にして二人は楽しんでいた。

 そして五日間。こんなやり取りが続いている。

 ……あれは、ハートボンドを出発してからすぐのことだったっけ。気が付いたら、車内でミフォリア様がティータイムを楽しんでいたのは。

 いきなり、『わたくしも旅に同行します。拒否権はありません』と言われ、私は断ったのにも関わらず、今もこうしてミフォリア様はここに居座っている。

 これが深刻な問題の正体。

「あの、ミフォリア様」

「………………」

 おかしい。聞こえているはずなのに、返答がない。まるで無視されているみたいだ。

 いや、無視だこれ。

「み、ミフォリア様……?」

「………………」

 何で? 何でわたし無視されてるの?

 何かミフォリア様の機嫌を損ねることをしたか、思い返してみる。けれど、何もない。

 悩むわたしの姿を見ていたエレセリアが助言してくれた。

「名前」

「え? 名前?」

 ……まさか、様を付けているから無視されてる?

 そんな馬鹿なことがあるわけ……。

「ミフォリア……さん」

 チラッとミフォリア様の視線がわたしに向く。そして、彼女はやれやれといった様子で首を左右に軽く動かしていた。

「今回は『さん』で許します。ですが、わたくしのことは『ミフォリア』と呼んでほしいですね。イリニス」

 やっぱり、名前が無視の原因だったのか。

「そんなの無理ですよ。だってわたしはたかが人類種ノイアルマの召喚師、幻精種ファンファータの代表であるミフォリア様を呼び捨てにするなんて出来ま――」

「す」

「出来ませんっ! もう! 勝手に言わないでエレセリア!!」

 悪びれる様子もなく、エレセリアは笑っていた。それはもう悪戯が成功して喜ぶ子供のように。

「それです」

「え?」

「何故、わたくしは『ミフォリア様』なのに。エレセリアは『エレセリア』なのですか? ……ハッ! つまり、エレセリアは『さん』も『様』も必要ない自分より格下の存在だと。そういうことなんですね!」

「おっと、売られた喧嘩は買い取る主義だぞ私は」

「だから何でそうなるんですか!!」

 ニヤッと微笑み合う二人。何でこんなに息ぴったりなんだろう、この人達……。

「そう思えば確かにいつからだっけ、アンタが私のことを『エレセリア』って呼ぶようになったのって」

「そんなこと覚えてないですよ」

「でもさ、最初は『エレセリアさん』だったよね」

「初対面の人を呼び捨てにするのはエレセリアくらいですよ、普通はしないんです」

「あ、そうなの。知らんかったわー」

「わたくしも初めて知りましたー」

 嘘だ。二人共嘘をついている。虚言だ。

「まあ、私のことを呼び捨てにしておいて、ミフォリアを呼び捨てに出来ないって。ちょっと納得出来ないよね」

「えっと、それは……その」

「ほら、わたくしのことを『ミフォリア』と呼ばないと、エレセリアが怒りますよ。さあ、『ミフォリア』と呼んでくださいな」

「うっ……」

 透き通るように美しい黄金の髪を揺らしながら、ミフォリア様はゆっくりと、わたしに迫ってくる。

 エレセリアはちょっと不機嫌そうに見てるし、どう足掻いても逃げられない。

「……み、ミフォリア」

「はい、何ですか?」

 とても嬉しそうに微笑んでいる彼女に、わたしは顔を逸らしながら呟いた。

「近いです」

「ふふっ、そうですか?」

 そうですか、じゃない。

 現在。ソファーの端まで追い詰められているわたしに、ミフォリア様が覆い被さる形となっている。

 しかも顔が近いし、他のいろんな部位も近い。

 彼女の髪先がわたしの頬に当たり、少しくすぐったくて、いい匂いがする。

「アンタ達レズなの?」

 窓の近くで外を眺めているエレセリアに、わたしは凄まじい勢いで首を横に振って否定した。

「ちちち、違いますよっ!!」

 特にそういう気はない。ただ……ちょっとドキッとはした。

「わたくしには……いえ、幻精種ファンファータには性別という概念そのものがないので、わたくしが人類種ノイアルマの女性に恋をしても同性にはなりませんね」

「ええっ!? そうなんですかっ!!?」

「はい、幻精種ファンファータに性別はありません」

 ミフォリア様はわたしの上から退きながら、そう言った。

 そして、わたしの横に座り直すと、エレセリアに視線を送る。

「わたくしはたまたま女性の姿をしていたので、女性として生きていますが。男性の姿だったら男性として生きていましたよ」

「へぇ、面白いね幻精種ファンファータって」

「ええ、最古の種族ですから。他の種族にはない不思議がいっぱいなんですよ」

 と優しく微笑みながら答えてくれたミフォリア様の瞳が、エレセリアから外れて、窓の外に向いた。

「見えてきましたね。海霊種ゼーガイストの国・シーアライアンスが」

「え? どこですか?」

 窓際に移動したわたしは外を見つめるが、林ばかりで何も見えない。

 木と木と、そして木だけが視界に入る。

「見えないですよ」

「ふふっ、もうしばらく待っていてくださいな」

 そう言われ、わたしは通り過ぎていく木々を見つめながら待った。

 すると。

「あっ!」

 列車が林から抜け、視界から木々が消えた。それと同時に、わたしの視界は青一色に染まる。

 この匂い。この音。

 間違いなく、海だ。

「海だ!!」

 日光を反射して、キラキラと光る海。どこまでも続く水平線。波の音と磯の香り。

 見ていたら、ちょっと興奮してきた。だからもう一度言いたい。

「海だっ!!」

「うるせえッ!!」

 怒鳴られた。

 さすがに隣で叫ぶのはダメだった。

「すみません……」

「次やったらスカートの中に顔突っ込むから」

「えええぇっ!!?」

 スカートを押さえながら、わたしはエレセリアから離れる。

「そ、そんなことをしたら絶対に許しませんからねっ!!」

「あぁん? 脱がすぞ小娘」

「すみません。やめてください、お願いします」

 彼女の『脱がすぞ』は本当に脱がすヤツだから、これ以上は何もしない方がいい。

 舌打ちと鋭い眼光を受け取った後、わたしはエレセリアから視線を外す。

「……海って青かったんだね」

「え?」

 わたしの視線はすぐエレセリアに戻った。というか、吸い寄せられた。

「ん? ああ、私の世界にあった海は黒かったんだよ。だから、青い海が新鮮なだけ」

「そう、なんですか」

 初めて聞いた。エレセリアの世界にある海のことを。

 黒い海ということは、元々色が黒いのか。それとも汚染されて黒いのか、どっちなんだろう。

「エレセリアの世界は汚れていたのですか?」

 わたしより先に聞いたのはミフォリア様だった。

「空気も水も、この世界に比べると最低最悪だね。海なんて生き物が住めるような場所じゃなかったし」

「それは住み難い世界だったでしょうね。その世界ほどではありませんが、実はこの世界の海も汚染されているのですよ」

「そうなの?」

 わたしもそれは初耳だ。

「汚染の原因は先の大戦です。今は海霊種ゼーガイストが汚染を改善しようと、いくつもの対策を講じているところです」

「へぇ、海霊種ゼーガイストってそんなことしてるんだ」

「はい。海に適応している種族が海霊種ゼーガイストだけなので、必然的に海のことは海霊種ゼーガイストの任せてしまうのですよ」

 ミフォリア様は窓の外に見える、青い海を眺めながら言った。

 そんなミフォリア様から視線を外して、エレセリアも瞳を海に向ける。

「ふーん、大変だね」

 そして、わたし達が駅に着くのは今から数十分後のことだった。


        †


 駅に着いて、わたし達は列車を降りた。駅というよりも、ただの砂浜だけれど。

「で、ここはどこ?」

 エレセリアがそう言った。

「さ、さあ……」

 と、わたしは答える。

 でも、これだけはわかる。ここはシーアライアンスじゃない。ここはただの浜辺だ。

「わたし達、駅間違えました?」

「いいえ、ここで合っていますよ、ここが今季で一番シーアライアンスに近い駅です」

 聞き慣れない言葉を聞いた。

 今季、一番、シーアライアンスに近い駅。

 どう考えても普通じゃない。そもそも今季という言葉の違和感が凄まじい。

「その、ミフォリア様。今季、一番近い駅っていうのはどういう意味ですか?」

「………………」

 無反応だった。

「ミフォリア。今季、一番近い駅ってどういう意味ですか?」

「丁度、シーアライアンスが浮上を始めているので、自分の目で見た方がいいかと」

 ミフォリアって呼ばないと、反応してくれないみたいだ。これからミフォリア様と話す時は覚悟を決めないと、わたしの精神が持ちそうにない。

「浮上? 何それ、シーアライアンスって潜水でもしてんの?」

 面白半分で言ったエレセリアだったが、それにミフォリアは真面目に返答した。

「ええ、そうです」

「……え、本当に?」

「はい。ほら、来ますよ」

 ミフォリアが海を指差すと、何か大きな影が浮き上がってきた。激しい飛沫を上げながら現れたのは、大きな島だった。

「島が……海の中から……?」

「イリニス、違うよ。あれ、島じゃない」

「え?」

 エレセリアはそう言うけれど、わたしには大きな島にしか――

「ッ!?」

 島だと認識していた物体は大きな亀だった。

 デカイ。それはもう馬鹿みたいにデカイ。

「あ、あれは何です……?」

 震える指で巨大な亀を指差すわたしに、ミフォリアは微笑みながら答えてくれる。

「あれがシーアライアンスですよ」

 あの大きな亀が、海霊種ゼーガイストの国?

 本で読んだり、人に聞いたりで入手していた情報とかけ離れすぎている。

 確か、シーアライアンスは海の上を移動出来る島って……。

「島じゃなくて、亀だったんだ!!」

 そうか、亀を島に見間違えていたんだ。

「では、行きましょうか。エレセリア、イリニス」

「い、行くってどうやってです? まさか、泳ぐなんて言いませんよね。少なく見積もっても、人が泳いで辿り着く距離じゃないですよ」

 わたし達の現在地は浜辺。緩やかな波が音を立てている砂浜だ。

 そして、シーアライアンスが浮上したのは海の真ん中。どう考えても泳いで行ける場所じゃないし、足が着く深さでもない。

「何を言ってるのですか? 海の上を歩いて行くのですよ?」

「へ?」

 海の上を歩く? ……んんっ!?

「あー、なるほど。その手があったか」

 とエレセリア。

「では、行きましょうか」

 そう言うと、ミフォリアは海面に足を乗せる。幻精種ファンファータの彼女だからこそ出来る行為であって、人類種ノイアルマのわたしや、異界人であるエレセリアには出来な――

「くないっ!!?」

「何? そんな大声出して。早くしないと置いてくよ」

「ちょちょちょ! ちょっと待った!!」

「最初から待ってるじゃん」

「そういうことじゃなくて!」

「じゃあ何さ」

「何でエレセリアも海面に立ってるんですか!」

「はぁ? 海の上を歩くなんて普通でしょ。何言ってんの」

 ……え? わたしの方がおかしいの?

 いやいやいや、そんなことはない。絶対にない。

「海の上を歩くなんて出来ないですよ!」

「いや、冗談とかいいから」

「本当ですっ!」

 しかし、わたしの訴えをエレセリアは信じていない様子。

「……あぁ、そうでしたね。忘れていました。人類種ノイアルマは海面に立つことが出来ませんでしたね」

「え、そうなの?」

「だから最初からそう言ってるじゃないですか! 普通は海面に立つとか! 海の上を歩いて行くとか出来ないんです!!」

「ほぉー、使えない種族だね」

「その使えない種族の勇者ですよ! 貴女!!」

「あ、一緒にしないでくれます? 私そういうのじゃないんで」

 一歩下がりながら、エレセリアはわたしに言った。

「もう! どうするんですか! このままじゃシーアライアンスに行けないですよ!!」

「え? 置いて行くよ?」

 顔を傾けるエレセリア。そして、もう歩き始めているミフォリア。

「おいおいおいおいっ!! 何で!? ねぇ!! 何でっ!!?」

「うるせぇ小娘だな。だから友達いないんだよ」

「なん……」

 言い返せない自分が憎い。

 そんなわたし達のやり取りに飽きたのか、ミフォリアが戻ってきた。

「冗談はここら辺にして、行きましょう。申し訳ないのですが、イリニスを持ってきてくれませんか、エレセリア?」

「えー、私が持って行くの?」

 何故か者ではなく、物扱いされているけど。連れて行ってくれるならどうでもいいや。

「ったく、仕方ないな」

 そう言うと、エレセリアは大地に戻ってきた。

 そして、立っているわたしの腹部に右肩を付けて――

「うおっ!?」

 担がれた。

「さ、行こうか」

 平然とした様子で、エレセリアは再び海面に足を乗せる。

 肩に担がれているわたしの瞳には、青く美しい、透き通った海が入った。

「……あの、エレセリアさん」

「何?」

「おんぶとか、お姫様抱っことかの選択肢はなかったんですかね」

「肩に担ぐか、肩車しか選択肢にないけど。肩車の方がよかった?」

「いえ、こっちで……お願いします……」

「わかった」

 諦めてこのまま運ばれることを選んだ。

「では改めて、行きましょうか。シーアライアンスへ」

 ミフォリア様の後をエレセリアは歩いていく。

 それにしても、海が綺麗だ。海面に自分の顔が映ってるけど。


        †


 白い岩で造られた建物。それには貝殻やサンゴが散りばめられており、海の街という印象を強く受ける。

 街の市場らしき場所では大小色とりどりの魚が売られ、賑わっていた。

 いや、市場だけじゃない。シーアライアンス全体がお祭り騒ぎだった。

 どこへ行っても騒がしくて、楽しそう。そして、海霊種ゼーガイストの人達は露出が多い。


『さあ! 祭りだ! 祝え祝え!!』

『飲んで飲んで飲みまくれええぇぇッ!!』

『ウッヒョー!! 酒だああぁぁぁ!!』


 そんな調子の海霊種ゼーガイスト達に何とも言えない視線を送りながら、わたしは言った。

「何なんですかね」

「祭りでしょ」

 いや、それは見ればわかる。

「そうじゃなくて、何でお祭りをしているのかなって」

「ああ、そっちね。見た感じ何か祝ってるっぽいね」

 と、屋台で買ったビールとイカの丸焼きを持っているエレセリアは答える。

「ミフォリアは何か知りませんか?」

「ふぁい?」

「あ、すみません。口の中のモノがなくなってからでいいです」

 彼女もエレセリア同様、屋台で食べ物を買っていた。

 というか、二人共いつの間に買ったし。

 ゴクン、と口の中に入っていたモノを飲み込んだミフォリアは教えてくれた。

「この祭りは大戦が終わったことを祝っているんですよ」

「……え? 大戦ってあの大戦ですか?」

「ええ、エレセリアが大活躍した大戦です」

 つまり、海霊種ゼーガイストは終戦を祝っていると。

 でも、あれ? 今日って終戦記念日だったっけ。

「ねぇ、でもそれさ今日じゃないよね」

 串と空のカップを持っているエレセリアはモグモグと口を動かしながら言う。

「そうですね。ですが、そんなことは海霊種ゼーガイストとってどうでもいいんですよ。祝いたい時に祝う。それが海霊種ゼーガイストなのです」

 それに、とミフォリアは続けた。

「この祭りは今日で二週間連続らしいですよ」

 なん……だと……!?

 二週間ずっとこの状況!? 

 仕事は!? 仕事はどうなってるっ!!?

 わたしは改めて周囲を見渡す。

 露出度の高い衣服を身に付け、騒ぎに騒いでいる海霊種ゼーガイスト。酒に酔って顔が赤い者や、大きな声で笑っている者。

 そして、狂ったようにケラケラと笑いながら突進してくる幼女……。

「って、幼女が狂ったように笑いながら突進してくるっ!?」

『アヒャヒャヒャッ!! どけどけ!! ぶつかっても知らんぞおおおぉぉぉ!!!』

 すると、今まで騒いでいた海霊種ゼーガイスト達が一瞬で道を開けた。

 そして、道が生まれたことにより。幼女は遠慮なく爆走する。わたしも道を開けようとしたけれど……。

『おおお! 貴様ッ! 人類種ノイアルマだなッ!! 今行くぞおおおぉぉぉッ!!!』

 と幼女はわたし目掛けて走ってくる。

 ……ヤバい。逃げなきゃ。あんな笑う幼女普通じゃない。関わらない方が絶対に――

 ガシッ、と両腕を掴まれた。

「え? え!?」

 右にはエレセリア。左にはミフォリア。

 えっと、何で二人はわたしを固定してるのかな?

「え、エレセリア?」

「幼女の餌食になれ」

「なっ!?」

 逆側のミフォリアに助けを求めようと、わたしは彼女に視線を送る。

「ミフォリア、貴女なら助けてくれますよね……?」

「イリニスは尊い犠牲になったのです」

「んなっ!?」

 ニヤァ、と二人の笑顔を見て、ようやくわたしは気付いた。

「逃げられなくされたっ! 誰か! 誰か助けてっ!!」

 しかし、周囲にいる海霊種ゼーガイスト達は憐れんだ視線を送るだけで助けてくれそうにない。

「ウッヒョー!! 巨乳だああああぁぁぁッ!! 今行くぜえええぇぇぇッ!!!」

 さらに幼女が加速する。

「いやああああぁぁぁぁッ!!」

 そう叫ぶが、どうにもならなかった。

 ジタバタと暴れるも、さすがエレセリア。全然離れそうにない。そして案外ミフォリアも怪力だった。

 逃げられなかったわたしに、露出度の高い服を着ている青い髪の幼女は突っ込んできた。

「とうッ!!」

 という掛け声と共に地を蹴り、空高く跳ね上がる幼女。

 そして、わたし目掛けて降下。

「イヤッホゥ!」

「ごふっ!!」

 空から落ちてきた幼女を受け止めたわたしは、力なくその場に倒れ込む。

「この弾力と反発力。そして柔らかさ。間違いなくおっぱいだ!」

 わたしにはわーきゃー騒いでいる幼女を退かす力は残っていなかった。お願い、誰かこの子退かして……。

「おお? おっぱいが離れていく?」

 幼女はそう言いながらわたしから離れた。

 誰が助けてくれたんだろう。そう思ったわたしは視線を送る。

 そこには幼女の首根っこを片手で持っている、エレセリアがいた。

「ねぇ幼女。うちの相方伸びてるからさ、もう勘弁してくれないかな」

 力尽きているわたしから、幼女を引き剥がしてくれたのはエレセリアだった。

 ああ、女神に見える。

「嫌だ!」

 幼女は首を大きく左右に動かして、断固拒否の姿勢を全身で現す。

「頼むよ。こんな状態じゃ、何も反応がなくて見てるこっちがつまらない」

 前言撤回。エレセリアはわたしのことを考えていなかった。

 この人は悪魔だ。鬼だ。

「むむ……。それには一理あるな。貴様の言うとおり、無反応の女子に悪戯をしても何も楽しくない」

 うーん、と腕を組みながら真剣に悩み始める幼女。

「わかった! 元気になったらやることにする!」

「話がわかる幼女で助かったよ」

 わたしは助かってないんですけど。全然、助かってないんですけど。悪夢が先延ばしになっただけなんですけど。

「どこかで見たことのある幼女と思ったら、海霊種ゼーガイスト代表のカップリッチ嬢ではありませんか」

「んむ? この声と美貌は幻精種ファンファータ代表のミフォリア様か?」

 首根っこを摘ままれたまま、幼女は顔を動かしてミフォリアに視線を向ける。

「おお! やはり! これはこれは、ミフォリア様。ようこそ我が祖国シーアライアンスへ」

「ふふ、お邪魔しています」

 と、ミフォリアは会釈をする。

「ええぇぇっ!? カップリッチ様っ!!?」

 飛び起きた。力尽きている場合じゃない。海霊種ゼーガイストの代表が目の前にいるんだ。みすぼらしい姿を晒すわけにはいかな――

「元気になったああああぁぁぁぁッ!!」

「いやああああああぁぁぁっ!!」

 悪夢再開。


        †


「いやー、すまなかった。人類種ノイアルマがシーアライアンスに来るなんて久しぶりだったからな。心が高ぶってときめいてしまった。許してくれ」

 高級そうなベッドに寝そべりながら、カップリッチ様はそう言った。

「……い、いえ、大丈夫です」

 と覇気のない声でわたしは答える。

 今、わたし達はシーアライアンスの中央にあるシェルテースタ城にいた。そしてここはカップリッチ様の自室。

 可愛らしい天蓋付のベッドやクローゼットなど、カップリッチ様に似合った雰囲気の部屋だった。

 部屋は薄い青色で統一されており、まるで水の中にいるみたいだ。

「コホン。では、改めて自己紹介をしよう。この我こそが海霊種ゼーガイストの代表であり、シーアライアンスを統治しているカップリッチ・ランツェだ。よろしくな美女達」

 ベッドの上に立ち上がり、胸を張りながら自慢げに自己紹介をしてくれたけれど。どこからどうみても幼女にしか見えない。

「皆様、わたくしのことは知っていると思いますが、一応礼儀として。幻精種ファンファータ代表・ミフォリアと申します」

 部屋の中央にあるソファーに座っているミフォリアが自己紹介をした。

「うむ、知っているぞ。ミフォリア様」

 うんうん、と頷いてカップリッチ様はミフォリアの向かい側に座っているわたしに瞳を向けた。

「えっと、わたしは人類種ノイアルマの召喚師・イリニスです」

「おお! そなたが召喚師だったか! 活躍は聞いているぞ」

「え? 活躍ですか?」

「うむ、召喚した勇者と共に各地を回り、終戦へ導いたとな。人類種も中々やりおる」

 素直に嬉しかったし、驚いた。

 大戦を終わらせたのはエレセリアで、わたし自身は特に何もしていない。強いて言うなら、その手伝い程度だ。

 でも、何故か、自然と口元が緩んでしまう。

「何笑ってんの? 気持ち悪い」

「なっ!?」

 見られていた。

「べ、別に笑ってなんか」

「あっそう、ならいいんだけど」

 エレセリアは窓際に置いてあった椅子に座っていた。外を眺めていたみたいだ。

「つまり、そなたが」

「うん、人類種ノイアルマの勇者・エレセリア」

 視線を外に向けたまま、エレセリアはそう言った。でも幼女だからって、そういう態度はどうかと思う。

 確かにカップリッチ様の見た目は幼女だけど、さすがに一種族の代表にそんな態度は駄目だ。

 いくら幼女だからって。少し舐めすぎてる。

 幼女は幼女でも、普通の幼女じゃない幼女なんだから、それくらいの敬意は表せないと。

 ……幼女って思うと、本当にただの幼女にしか見えないや。

 そんな幼女……カップリッチ様はエレセリアに興味を持ったらしく、熱い眼差しで彼女を見ている。

「なぁ、勇者」

「何?」

「我と遊ばないか?」

 外に向けられていた視線がカップリッチ様に移された。

「それは私に幼女の遊び相手になれって言ってるの?」

「そうだ! この幼女の遊び相手になれ!!」

 ベッドの上で仁王立ちしながら、エレセリアに小さな人差し指を向けるカップリッチ様。

「……わかった。でもその前に聞きたいことがある」

 とエレセリア条件を提示して、了承した。

「遊んでくれるなら何でも答えるぞ! スリーサイズか!?」

「いや、幼女のスリーサイズ聞いても何も得ないし。私が聞きたいのは、ここを訪れた魔王のこと」

「何? ヤツのことだと?」

 カップリッチ様の顔つきが変わった。

 忘れかけていたけど、わたし達の旅の目的はこれだった。行方不明となっている魔王の捜索。

 その手がかりを入手する為に、わたし達は魔王の足取りを追っているんだ。

「うん、それが私達の目的だからね。魔王はここを後にして、どこへ行ったのかが知りたい」

「あの男は自国に帰ると言っていたぞ。何かと忙しそうだったな。……ところで、何故ヤツのことを?」

「行方不明だから」

 エレセリアは即答した。

「魔王が行方不明だと……?」

「そう、今現在。魔王は行方不明になってる。だから私達はアイツを探して旅をしてるんだよ。種族会議に間に合わせる為に」

「そうか、人類種ノイアルマの勇者と召喚師が来たのはそういう事情があったのか」

 納得した様子で、腕を組みながら頷くカップリッチ様。

「我も手を貸したいところだが、残念ながらそうもいかないんだ。だが、魔族種テラストルムの国・ホームランドまで送ることは出来るぞ」

「え! 本当ですか!?」

 思わずわたしは立ち上がっていた。

「嘘を言ってどうする召喚師」

「あ、はい。そうですね。ありがとうございます、カップリッチ様」

「礼には及ばん。同じ世界に住む仲間が困っている、助けるのは当然だ」

 ニヒッ、と眩しい笑顔を見せてくれるカップリッチ様に、わたしは感動した。

 正直、海霊種ゼーガイストがここまで協力してくれるなんて思っていなかった。

 森巫種エルフ獣人種クティーリアは今でも人類種ノイアルマを蔑んでいる。それなのに、カップリッチ様は仲間と言ってくれた。

 こんなに嬉しいことはない。国王にも聞かせてあげたかったな。

「それで、その旅に何故ミフォリア様が同行してるんだ?」

 静かにわたし達の会話を聞いていたミフォリアは微笑むと、カップリッチ様に言った。

「わたくしを助けてくれた恩人ですから。協力するのは当然です」

「なんと! それはますます我も協力せねばならないな!!」

 ぴょん、とベッドから飛び降りると。カップリッチ様はエレセリアとわたしに視線を向ける。

「勇者! 召喚師! この我が全力で力を貸すぞ! 大船に乗ったつもりでいるといい!!」

 そして、とカップリッチ様は続けた。

「今日は! ――じゃなかった。今日も宴だ!! パーティだあああぁぁぁッ!!!」

 小さな拳を掲げたカップリッチ様は、とても楽しそうだった。


        †


「な、何でこんな格好しなきゃならないんですかっ!!」

 わたしはタオルを体に巻き付けながら、そう叫んだ。

「いいじゃん、似合ってるよ」

 とエレセリア。

「ええ、エレセリア言うとおり。凄くお似合いですよ」

 と続けるミフォリア。

「そうだぞ! 隠してしまっては勿体ないではないか!!」

 とさらに続くカップリッチ様。

 そんな三人にわたしは言う。

「というか! あなた達はそんな格好で恥ずかしくないんですか!?」

「何を言っている! これは我ら海霊種ゼーガイストの正装だぞ! 何を恥じらうというのだ!!」

「ただの露出が多い服じゃないですか!!」

「そうとも言う……だがしかし! ここは海霊種ゼーガイストの国・シーアライアンスだ! 滞在期間中はその姿で過ごしてもらう!! それが郷に入っては郷に従えというものだッ!!!」

「うっ……。で、でもこんな格好は……」

「うるさい! そんなことでは戦場で生きていけんぞ!!」

 幼女にそんなことを言われても困る……。というか、ここ戦場じゃないし。

「イリニス。もう諦めた方がいいですよ。カップリッチ嬢は見た目どおりの頑固者ですから」

 純白の露出が多いドレスを着ているミフォリアは、わたしの肩に手を置きながらそう言った。

「あなた達は似合ってるからいいじゃないですか!」

「何を言っているのです。イリニスも十分似合っていますよ、自信をお持ちなさいな」

 そう言ってくれるのは嬉しいけれど、こんな姿を人に見られるのは抵抗がある。だって、ほとんど下着と変わらないし。

「いいもん持ってるんだから見せつけてやれって」

「嫌ですよ! っていうかエレセリアは恥ずかしくないんですか!?」

 ふん、と鼻で笑った後、エレセリアはわたしに向かって自信に満ちた表情で言った。

「この体に恥ずかしい部位などないッ! 見よ、この美しい体を!!」

「なん……」

 すらっと美しく伸びる手足と、薄い紫色の長髪。

 それ以上は言えなかった。

 確かにエレセリアは美人だ。顔も体も全てが整っていて、文句のつけようがない。

 これぞまさに絶世の美女。そりゃ恥ずかしいわけがない。存在が芸術品だ。

「わ、わたしはエレセリアみたいに美女じゃないんです!」

「まあね。私ほどの美女は中々いないからね。お前は……美女っていうにはまだ若いし、美少女っていう感じでもないし。その中間かな?」

「何ですかそれ」

「ふふ、エレセリアはイリニスも十分美しいと言ってるんですよ」

「え?」

 ミフォリアの言葉に驚いたわたしは、反射的に聞き返してしまった。

「わたくしもエレセリアと同じで、イリニスは美しい女性だと思いますよ。だから、自分に自信を持ってくださいな」

「あの……はい」

 そこまで言われてしまっては否定出来ない。でも、恥ずかしいから上にコートを羽織るけど。

「何だよ。コート羽織るのかよ」

「当たり前です! そう簡単にわたしの肌は見せませんからね!!」

「そう言われると、脱がしたくなるよね」

「勇者。それには同意だ。どうする? 襲うか?」

「そんなことしたら二人共絶対に許しませんからねっ!!」

 意気投合しているエレセリアとカップリッチ様に釘を刺して、わたしは彼女達から少し距離を取った。

 すると。

「ん? ……そうか! わかった!」

 カップリッチ様は返事をするかのように、そう言った。

 どう考えても、誰かに返事をしている。けれど、周囲にそんな相手は見当たらない。

「勇者達。シーアライアンスはこれから潜水するぞ」

「せん……すい?」

「うむ! 海に潜るぞ!!」

 それって、わたし達どうなるの……?

「えええぇぇっ!? あああ、あのっ! えっと!! エレセリアっ!!?」

「わかったから抱きつかないで、離れて」

 そう言われたけれど、わたしはエレセリアから離れなかった。

「カップリッチ。シーアライアンスがデカイ亀の甲羅の上にあるのは知ってる。今から潜水するのは別に構わないけど。潜水すると、この国はどうなるの? 海の中?」

「いいや、魔術で防壁を張っているから海水が国を覆うことはないぞ。安心していい」

「だってさ、イリニス」

「そ、そっか……。よかった」

 わたしは安堵の息を漏らした。

「じゃあ、離れようか」

「あ、はい。すみません」

 エレセリアから離れたわたしは、ソファーに腰を下ろした。

「ここからホームランドまで、丸四日は掛かるが。勇者達はどうする? 泊まる所はもう決めておるのか?」

「いや、まだ決めてないけど」

 エレセリアがそう答えると、カップリッチ様は瞳を輝かせながら近づく。

「じゃあここに泊まらないか! ここならそこらの宿より、全ての設備がいいぞ!」

「そりゃ確かにいいだろうけど」

「な! 泊まろう! な!」

 カップリッチ様はどうしても泊まってほしいみたいだ。

「エレセリア、イリニス。ここはカップリッチ嬢のご好意を受け取ってはいかがですか?」

「ミフォリアもそう言ってるし、どうするイリニス?」

 せっかくカップリッチ様がそう言ってくれているんだ。それを無下には出来ない。

 ここはありがたく好意を受け取っておこう。

「迷惑じゃなければ」

「迷惑なものか! 大歓迎だ!」

「じゃあ、決まりだね。私達はここに泊めさせてもらうよ。よろしく、カップリッチ」

「うむ! 任せておけ! よし、では早速部屋に案内するぞ!」

 お泊りだッ、お泊りだッ、と楽しそうに口ずさみながら、カップリッチ様は軽い足取りで部屋から出ていく。

 ああいう姿を見ると、ますます彼女が海霊種ゼーガイストの代表とは思えない。

 種族ごとに代表の決め方が違うとはいえ、どんな決め方をすれば彼女が代表になるんだろう。

「何をしてるんだ! 早くしろ!!」

「はい! 今行きます!」

 気が付くと、わたしだけが部屋に取り残されていた。三人の後を追うように、わたしは小走りで部屋を後にする。


        †


「……広い」

 わたしは通された部屋の中で、立ち尽くしていた。

 さすが城の一室。やけに広い。

 しかもカップリッチ様は一人に一部屋用意してくれたから、この広さの部屋をわたしだけが使うことになる。

 他の二人はわたしの隣の部屋。右がエレセリアで、左がミフォリア。

 ここは城の三階で、浴場は一階にあるらしい。後でエレセリアを連れて行ってみようと思う。

「荷物も置いたし、エレセリアの所に行こうかな」

 とりあえず、トランプを片手にエレセリアの部屋へ向かう。

 廊下に出て、左右を見渡す。長く続く廊下にはわたし以外誰もいなかった。

「早く行こう」

 少し早歩きで、エレセリアの部屋に行った。

 扉の前に着いたわたしは、コンコンコンとノックをする。

「エレセリア、遊びに来ました。遊んでください」

 けれど、返事がない。いつもどおりの無視をされているらしい。

 再び、扉を軽く叩く。

「エレセリア! 遊んで!」

 だが、何もない。中に人の気配すらない。

「……いないのかな?」

 いないのかもしれない。じゃあ、エレセリアはどこにいるんだろう?

 エレセリアが行きそうな場所を予想してみたけれど、ここはエレセリアもわたしも初めて訪れた場所だ。行きそうな場所なんてわかるわけがない。

 自分の足で探すしかないみたいだ。

 手に持っていたトランプをコートのポケットにしまうと、わたしの部屋がある方に背を向けて歩き始める。

 わたしが部屋にいた時、部屋の前を誰かが歩いた音はしなかった。つまり、エレセリアはこっちには来ていないということ。

 城の構造を把握してないけど、歩いていればきっとエレセリアに会えるだろう。

 どこから湧き出てくるのかわからない自信を胸に、わたしは歩き始めた。


        †


 予定どおり、迷った。

 見知らぬ世界が広がるこの城の中、わたしは一人で進んで行く。

 何故か人に出会わない。こんな大きな城だから、会わないのかもしれないけれど、使用人の一人や二人、見かけてもおかしくないはずだ。

「そういえば、潜水するって言ってたっけ」

 シーアライアンスはもう海の中なのかな。ちょっと上に行って、外に出れる所を探そう。

 わたしの現在地は二階。この城に入る前、外から城を見た時は五階くらいあった。

「階段はどこかなー」

 迷子なわたしだけど、探検みたいで、ちょっと楽しい。

「階段発見」

 三階へ続く階段を上り、そのまま五階まで進む。

 でも階段が思っていたより長くて、五階に着く頃には息が上がっていた。

「な、何段あるんだし……」

 上り終えて、少し休憩したわたしは左右に視線を向ける。

 すると、見慣れた背中を捕捉した。

「エレセリア!」

 彼女の名前を呼びながら、わたしは走って行く。

「うわ、イリニスだ。逃げよ」

 嫌そうな表情をしながらそう言うと、エレセリアは本当に逃げ出した。

「はあああぁぁ!? ちょっと!! 何で逃げるのっ!!?」

 今の速さでは到底追い付かない。だからわたしは加速する。

 誰が逃がすか! 絶対に追い付いてやる!

「うわっ、本気で追ってきやがった。逃げないと」

 追ってくるわたしを見たエレセリアは、さらに加速する。

「ちょ!? そんなのズルいっ!!」

 エレセリアが本気で走り始めたら、わたしは絶対に追い付かない。いや、多分誰も追い付けない。

「ほらほら! 速く来ないと私のこと見失うよ!」

「もう! 待てーっ! エレセリアーっ!!」

 先を行くエレセリアの背中を見失わないように、わたしは全力で後を追った。

 階段を駆け下り、長い廊下を走り抜き、階段を駆け上る。

 それを合計六回繰り返した。


        †


「もうっ……だめぇ……」

 わたしは力尽きた。廊下にうつ伏せ、荒い息遣いで呼吸する。

「何? もうへばったの? 若いだけが取り柄なんだから、もっと若者らしく元気溌剌してなさい。みっともない」

 はぁ……はぁ……、と息をしながら、うつ伏せで寝ているわたしに、エレセリアはそう言う。

「な、んで……息、上がってないん、です……?」

「小娘とは鍛え方が違うんだよ」

「そん、な…………ん?」

 しゃがんでわたしを見ているエレセリアの靴が、視界に入った。でも普通の靴じゃない。何か機械的というか、何というか……。

 そう彼女の靴を見つめていると、靴底が床に着いていないことに気付いた。

「あああっ!」

「何、いきなり起き上がって」

「それ! その靴!」

「ん? これ? これがどうしたって?」

「浮いてる!」

「うん、そういうヤツだからね」

 今思い返してみればエレセリアの走り方はおかしかった。あれは走っているというより、滑っていると表現した方が正しい感じだった。

 そして、実際。エレセリアの靴は浮いている。

「エレセリア! ズルしてたでしょ!!」

「何がズルなんだよ」

「その靴!」

「別にズルじゃないよ。ただ走るより速くて楽なだけ」

「それを世の中はズルと言うっ!!」

「言いません」

「言いますっ!」

「言いません」

「言いますっ!」

「言います」

「言いませんっ!」

「はい、言いません。お疲れ」

「なっ!?」

 ニヤッと笑い、エレセリアは勝ち誇った表情でわたしを見下ろす。

「ハッハッハッ、悔しいねー。でも自分で言ったからねー」

「くっ……うぐぐ……」

 くそう、凄く悔しい。

「ほら、そろそろ立ちなよ」

「え? あ……はい。どうも」

 エレセリアが差し出してくれている手を握って、廊下に座っていたわたしはゆっくりと立ち上がる。

「で? 私に何の用だったわけ?」

「トランプを――」

「やらない」

「まだ誘ってない!!」

「アンタがトランプを持って、私を追ってきた時点で誘う気満々じゃん。それとも誘う以外の用だったわけ?」

「いや、トランプに誘う気でした。でもエレセリア部屋にいなくて」

「だから私を探してたわけか」

「はい。あと、高い所から外が見たくて」

「高い所から? どうして?」

「カップリッチ様が言ってたじゃないですか、シーアライアンスが潜水するって。だからどうなってるのかなぁって」

「ああ、なるほど。確かにそれは気になる」

 よし、と呟いた後、エレセリアは言った。

「とりあえず外出てみよう。多分こっち」

 そう言い残して歩いて行くエレセリアを、わたしは小走りで追って、肩を並べて一緒に廊下を進む。

「こっちだと思う根拠は?」

「何となく」

「勘じゃないですか……」

「おう、私の勘はよく当たるからね」

 まあ、確かにエレセリアの勘はよく当たるけれども。

「わかりました。エレセリアを信じます」

 そう言って彼女の後を追うように、わたしは歩いていく。


        †


「おう! お主らも来たのか!」

 大きなバルコニーに出たわたし達を、カップリッチ様が出迎えてくれた。手を振っている彼女に、わたしは手を振り返す。

 カップリッチ様の向かい側に、ティーカップを口元に運んでいるミフォリアがいた。どうやら二人はティータイムを満喫していたらしい。

「ほらね、当たったでしょ」

 ふふん、と得意げなエレセリア。

 まさか本当に辿り着くとは……。やっぱりこの人ただ者じゃない。

「何をしているのだ! 早くこっちに来い!」

 カップリッチ様に呼ばれてしまった。

「はーい! 今行きます!」

 エレセリアに視線を移して、彼女の手を握る。

「行きますよ!」

「引っ張らなくていい引っ張らなくていい」

 けれど、わたしはエレセリアの手を離さず、彼女を引っ張る。

「お待たせしました」

「うむ! 待ったぞ! 丁度、二人を呼びに行こうと思っていたところだ!」

「そうなんですか、それは本当に丁度良かったですね」

 椅子を引いてくれたミフォリアにお礼を言いながら、エレセリアとわたしはカップリッチ様主催のお茶会に参加した。

「一つ疑問に思ったこと聞いていい?」

 お菓子を頬張りながら、エレセリアはカップリッチ様に言った。

「何だ?」

「城の中、やけに人が少ないんだけど。というか、誰もいないんだけど」

「……あぁ、そのことか」

 答えるまで、少し間があった。そして、カップリッチ様の表情も普段の明るさがない。

 何か聞いてはいけないことだったのかもしれない。でも、もう聞いてしまっているのだから遅い。

「話したらどうですか? 彼女達なら構わないでしょう」

 カタン、とティーカップをお皿に上に置きながら、ミフォリアがそう言った。

「……そう、だな。いつかは話さなければならないしな」

 椅子から飛び降りると、カップリッチ様は空を見上げる。

「見てくれ、綺麗だろう?」

 そう言われ、自然に視線が上へ向く。

「……ぁ、凄い」

 そこに広がっていたのは青空のような、海だった。これが潜水中のシーアライアンスから見える景色なのか。

 忘れていた。わたし達がバルコニーに訪れた理由を。これを見に来たんだった。

「凄く、綺麗ですね」

 わたしがそう言うと、カップリッチ様は笑顔になった。

「ありがとう。海に住む者として、そう言ってくれると嬉しい」

 でも、その笑顔はすぐに消えた。

「ミフォリア様から聞いたと思うが、今の海は少し汚染されていてな。昔の海とは違うんだ、何もかも」

「それがどうかしたの? 見た感じ、私の世界より汚染状態悪くないけど」

「陸に住む者にはわからないさ。現状が海霊種ゼーガイストにどれだけ影響を及ぼしているのか」

「そんなに、悪いの?」

 静かに頷いて、カップリッチ様は空に広がる海を見つめる。

「……防壁の役割はシーアライアンスに海水が入らぬよう遮断することではない。本来の役割は内部を凪の状態にすること。わかりやすく例えると、水槽のような状態にすることなんだ」

 ……つまり、本来なら防壁内部は海水で満ちているということ。

 なら、現状はとても異常な状態のはず。

「もしかして、わたし達がいるから海水を……」

「いいや、違う。お主らは関係ない」

「じゃあ何?」

 と、腕を組みながらエレセリアが聞く。

 それにカップリッチ様は自分の小さな手を見ながら答えた。

「途方もない年月を掛け、海に適応した体を手に入れた海霊種ゼーガイスト。だが、適応している海は汚染される前の海だった……」

「ってことは、今の海には適応してないんだね?」

「話が早くて助かるぞ、勇者。お主の言うとおりだ。今の海じゃ、海霊種ゼーガイストは生きられない」

「なっ!?」

 そんな馬鹿な。それは世界規模の大問題だ。

「それ……本当なんですか?」

「ああ、本当だとも。勇者や召喚師が知らないのも無理はない。この事実を知っているのは海霊種ゼーガイストと一部の者達だけだからな」

 上を見上げたまま、カップリッチ様は静かに話す。

「このままだと、海霊種ゼーガイストは滅ぶかもしれないな」

「そんな……」

 信じられなかった。ショックだった。

 大戦が終わって、平和になったと思ったのに。森巫種エルフ獣人種クティーリアだけじゃなく、海霊種ゼーガイストまで問題を抱えていたなんて。

「エレセリア! 何とか出来ないんですか!?」

「まあ、私もさ。せっかく世界を平和にしたんだから、何とかしてあげたいよ? でもね、イリニス。私にも不可能ってあるんだ」

「でも、それじゃあ……」

「何故お主らが落ち込んでいる。これは海霊種ゼーガイストの問題だ。人類種ノイアルマの勇者と召喚師には関係ないだろうに」

「そんなことありませんっ!」

 テーブルを強く叩きながら、わたしは立ち上がった。

「海が汚染されたのは大戦が原因です! その大戦には人類種ノイアルマも参加してました! もちろん、エレセリアとわたしもです!! ……だから、関係ないは違います」

「お主……」

 だから、と続けようとしたわたしの肩を、ミフォリアが優しく叩いた。

「座りなさいな」

 はい、とだけ答え、わたしはゆっくり腰を下ろす。

「イリニス。あなたの言うとおりなのです。この海の汚染は大戦が原因。つまり、全種族に責任があります。だからこそ、わたくしはこうして海霊種ゼーガイスト代表と打ち合わせをしているのですよ」

「え? それって、どういう」

「海の汚染を種族会議で議題にするのです。その為には自分の目で現状を確かめ、海霊種ゼーガイスト代表と会談する必要がありました」

 ……えっと、どういうこと?

 海霊種ゼーガイストが存亡の危機という現実が大きすぎて、頭にミフォリアの言葉が入ってこない。

「元々、わたくしはカップリッチ嬢に会談を申し込まれていました。ですが、わたくし自身も大きな問題を抱えていたので実現出来ずにいたのです」

「あー、そこで私達の登場か」

 繋がったわ、と言いながら納得している様子のエレセリア。

 ミフォリアはそんなエレセリアに微笑みかけると、続けた。

「あなた達のおかげで神樹の森が抱えていた問題は解決されました。その結果、わたくしはカップリッチ嬢との会談が出来るようになったのです」

「だからミフォリアは私達に付いてきたわけね。この為に」

「はい、そうです。あなた達に協力してほしくて、共にシーアライアンスを訪れました」

 つまり、ミフォリアがわたし達の旅に同行した本当の理由は、海霊種ゼーガイストが抱えている海の汚染問題を解決する為だったということ?

「今回の種族会議はとても重要なモノとなるでしょう。大戦の終結。新たな種族の誕生。そして、各種族が抱えている問題。それらの全てを解決するなんて、到底出来ません。ですが、長く続いた大戦を終わらせた勇者と召喚師なら……」

「お主らに海霊種ゼーガイスト代表として、正式に依頼したいことがある。手を貸してはくれないだろうか。もちろん、無償でとは言わん」

 カップリッチ様は真剣な眼差しをわたし達に向けてくる。

「イリニス。アンタが決めて」

「ええぇっ! わたしですか!?」

「手を貸すのか、貸さないのか。どっち? 私はどっちでもいいよ」

「……そんなの決まってるじゃないですか! 助けますよ! 協力しますよ!!」

 ニヤッと笑い、エレセリアはカップリッチ様に視線を送る。

「だってさ」

「あ、ありがとう! 勇者!! 召喚師!! お主ら大好きだッ!!!」

 カップリッチ様は目元を濡らしながら、わたし達に抱きついた。


        †


「でも、凄いよね」

「何がですか?」

 バルコニーを後にしたエレセリアとわたしは自室に戻る為、廊下を歩いていた。

「いや、だってさ。種族存亡の危機なのに、海霊種ゼーガイストのヤツら楽しそうだったじゃん。だから凄いなーって」

「確かに、そういえばそうですね。普通ならあんな騒げないですよね」

「普通じゃないんだよ、きっと」

「それ、海霊種ゼーガイストの前で言わないでくださいね」

「あ、それで思い出した。私達、城の中に海霊種ゼーガイストがいない理由聞いてないじゃん」

「あ……」

 海の汚染に関係してるんだろうけど、直接の理由は聞いてなかった。

「外で騒いでるんじゃないですかね」

「さすがにそれはないでしょ。使用人の一人もいないなんて、そんなの代表がいる城じゃない」

 確かに、そうだ。

 でも、考えたところで答えが見つかるわけじゃない。

「ま、後でまたカップリッチに会うし。その時聞けばいいか」

「そうですね」

 話しながら廊下を進んでいると、エレセリアの部屋の前に着いた。

「じゃ、私の部屋ここだから。また後で」

 彼女はそう言ったが、わたしは行かない。

「……何で?」

「何がですか?」

「いや、だから。何で行かないの?」

「わたしはエレセリアの部屋で遊びます」

「……ちょっと、いろいろ考えさせてね」

 そう言うと、エレセリアは右手で額を押さえながらブツブツと何か言い始めた。

 そして、チラッとわたしに視線を送ってくる。

 わたしはトランプを見せて、笑顔を返す。

「私にトランプをしろと?」

「はい」

「ババ抜き?」

「はい」

「嫌だよ。私しないからね」

「はああぁぁっ!? 何でっ!?」

「何でって言われても、やりたくないから以外に理由なんてないよ」

「じゃ、じゃあ他の……七並べ?」

「トランプやらない」

「何っ!? え、えっと、じゃあ他の」

 トランプ以外に何か遊び道具あったっけ、えーっと……。

「遊ばない」

「なん……だと……」

 そんな馬鹿な……。エレセリアが遊んでくれないだと?

「何でですか! 何が不満なんですか!!」

「遊ぶ気分じゃないし」

「じゃあわかりました。遊ばなくていいです。でもエレセリアの部屋には入ります」

「それはおかしい」

「何がですか?」

 とわたしは首を傾げながら言った。

「逆に、何で私の部屋に入りたいの?」

「エレセリアがいるからですよ?」

 何故か、わたしの答えにエレセリアは絶句し、ため息を漏らした。

「……もういいや、入れ」

「わーい!」

 エレセリアの部屋はわたしの部屋とほぼ同じ造りだった。違うのはカーテンやレースの色くらいだ。

 部屋を見渡していると、エレセリアが窓際に歩いて行くのが見えた。

 辿り着くと、エレセリアは窓の外を無表情で眺め始める。

「どうしたんですか?」

 彼女に近付いて、わたしは声を掛けた。

「別に、どうもしないよ。ただ自分の世界を思い出しただけ」

「自分の世界?」

「そう、私の世界。名前はヴァイナー。争いが絶えなかったクソ世界のこと」

「やっぱり、ここと全然違いますか?」

「そうだね、似てる箇所もあるけど。違うね。特に種族間の関係が」

 呆れたように言うと、エレセリアはベッドに移動した。

「というか、私の世界のことはいいんだよ」

「話し始めたのはエレセリアですけどね」

「それにしても、困ったもんだ。魔王を探して旅をしてたのに、何かと問題に巻き込まれる。森では森巫種エルフ獣人種クティーリアの、海では海霊種ゼーガイストのね」

 確かにこんな大変な旅になるとは思ってなかった。ただ魔王を探して世界を回る、旅行的な感じだったのに。今じゃ、海霊種ゼーガイスト存亡の危機を救おうとしている。

「エレセリア、また英雄になっちゃいますね」

「別になりたいわけじゃないんだけどね」

 エレセリアが座っているベッドに、わたしも腰を下ろす。

「でも、こうやって旅をしてわかったことがあります」

「何? またデカくなった?」

 と言うエレセリアの視線は、わたしの胸に向いていた。

「違いますっ!」

「違うの? じゃあ何?」

 胸を両腕で隠しながら、わたしは答える。

「大戦が終わっても、まだ本当の平和にはなってないんだなって」

「そうだね」

 ボフッ、とエレセリアは体を倒してベッドに沈める。

「ちょっと寝ようかな」

「じゃあ、わたしも」

 エレセリアと同じように、わたしもベッドに体を沈める。

「何でアンタと一緒に寝なきゃいけないんだよ」

「いいじゃないですか。たまには一緒に寝ましょうよ」

「……今日だけな」

 やったぜ。

 ふかふかのベッドに体を預けて、わたしは目を閉じた。何だか、よく寝られそうだ。

 そう思って、眠る体勢になった直後。エレセリアが勢いよく起きた。

「何か来る!」

「何かって何です?」

 閉じていた瞳を開けた瞬間、エレセリアがわたしに覆い被さってきた。

「ちょっ!? 何!!?」

 何これ? 何が起きてる? エレセリアが自分からわたしに抱きつくなんてありえない。普通じゃない。絶対におかしい。何かある。

 軽いパニック状態だった。

 そんなわたしをエレセリアは強く抱きしめる。

 何だか、わけがわからなかったけど、エレセリアの背中に手を回そうとした、その時――

 轟音と共に、世界が大きく揺れた。


        †


 揺れが治まってから少し経つと、わたしの上からエレセリアが退いた。

「大丈夫だった?」

「は、はい。大丈夫ですけど……」

「そう、ならいい」

 ベッドから離れ、エレセリアは窓に向かう。

 窓から顔を出して外の様子を伺っている彼女の傍に、わたしは行く。

「エレセリア、ありがとうございました」

「ん? ああ、どういたしまして」

 顔を外に出したまま彼女はそう言う。

「何があったんですかね」

 部屋の中は大きな揺れの影響で、いろんなモノが倒れて散乱していた。この光景を見る限り、相当な揺れだったことがわかる。

「外に何かいるね」

「外?」

 外は海霊種ゼーガイスト達が騒いでいたはずだけど、それが揺れの原因? というか、外にいた人達は大丈夫なのかな。

「城の外じゃなくて、シーアライアンスを覆ってる防壁の外」

「え? それって海の中じゃないですか」

 巨大な亀の甲羅の上にあるシーアライアンスが揺れたということは、その亀に何かがあったということだ。

 そして、エレセリアが言う『外に何かいる』を合わせると。

「襲われてる!? いや、でもこんな大きな亀を襲うなんて……」

 自分の発言を否定しようとしたが。

「いや、それで合ってるよイリニス。亀が何かに襲われたんだ。さっきの揺れはそれが原因」

「そんな……」

「しかも、襲って来たヤツはまだ近くにいる」

 エレセリアは冷静だった。そんな彼女を見ると、自然とわたしも落ち着くことが出来る。

「早くミフォリアとカップリッチ様に合流しないとですね」

「だね」

 窓から離れ、エレセリアとわたしは廊下へ出ようとドアに向かう。けれど、さっきの揺れで変形したらしく、開かない。

「開かないですっ!」

 何度か体当たりしてみたけど、動かなかった。

「退いて。蹴破る」

 ドアとエレセリアから離れる。

 エレセリアの蹴りがドアに命中し、大きな音を出しながら粉々に砕けた。

「行くよイリニス」

「はい!」

 エレセリアの後を追って、廊下に出ると遠くから声が聞こえた。

『おーい! 大丈夫か!!』

「カップリッチ様!」

 カップリッチ様だった。でも、表情が硬い。それだけで、今がどれだけ深刻な状況か大体わかった。

「よかった、二人共無事だな」

 わたし達の安否を確認すると、カップリッチ様は凄くほっとした様子で息を漏らした。

「襲われてるみたいだけど。どうするの?」

「勇者、お主そこまでわかるのか?」

「まあね。それで、どうするの? 近くにまだいるよ」

「もちろん、このまま黙って――」

 カップリッチ様の言葉は、再び起こった大きな揺れが原因で途切れた。しかも、今度の揺れは左右にじゃない。上下に揺れた。

「不味いぞ! 引きずり込まれてる!!」

 緊迫した表情でカップリッチ様はさらに続けた。

「このままでは深海に行ってしまうッ!!」

「それ不味いんですか!?」

「ああ! 水圧で防壁が崩壊するッ!!」

 絶体絶命とはまさに今のわたし達を指す言葉だ。

海霊種ゼーガイストは海に対応した種族だが! 深さには対応していないんだ! 防壁が崩壊すれば、シーアライアンスにいる全員死ぬッ!!」

「………………」

 死に直面してしまうと、こうも命は無力なのか。何も出来ず、沈んで、死んでいく。

 そんなのって……ないよ。まだわたしは死にたくなんて……。

「イリニス」

 わたしを呼んだのはエレセリアだった。

「私が防壁を出てから二分後、召喚魔術で呼び戻して。さすがにこの深さは完全武装でも二分が限界だからさ」

 彼女の瞳は本気だった。

「お主、正気か? この深さは既に人が生きられる場所ではないぞ」

「二分くらいなら動けるさ。その二分で外にいる敵を倒す」

 正気の沙汰ではない……。とカップリッチ様は言った。わたしも正気とは思えない。

「出来るよね、イリニス」

「でも、そんな……。わたし、やったこと……」

「大丈夫。イリニスなら出来る。じゃないと私が死ぬ」

 私の命はアンタに任せるから、アンタ達の命は私にまかせなさい。そう続けると、エレセリアは立ち上がった。

 エレセリアが微かに口元を動かすと、光が彼女を包んだ。

 その白い光はエレセリアが武器を召喚する時に起きる現象と似ている。その光が晴れると、わたし達の前に現れたのは白銀の鎧を身にまとった騎士。

 美しく、凛々しく、勇ましい。その威風堂々とした存在感。それはまさしく、英雄という名が相応しい姿だった。

「防壁を出てから二分後だからね。頼むよ、召喚師様」

 エレセリアはそう言い残すと、ドアのない部屋に入り、窓から飛び出た。

「待って!」

 そう叫んだけれど、彼女はもういなかった。

 後を追って、わたしは彼女が飛び出た窓まで走る。

「飛んでる……?」

 いや、彼女が空を飛ぶなんて珍しくない。問題は上昇しているエレセリアはどうやって防壁の外へ出ていくのかだ。

 穴を開けられたら、そこから浸水が始まってシーアライアンスが海の中になる。それだけは避けてほしい。

 不安に視線を送っていると、ついにエレセリアは防壁まで達した。

 速度を落とすことなく、そのまま防壁へ突っ込んでいくエレセリア。あのままだと、防壁に衝突する。

「すり、抜けた……?」

 何事もなかったかのようにエレセリアは防壁をすり抜けた。そして、海中へ出てしまった。

「あの勇者……本当に人間なのか?」

「え?」

 いつの間にか隣にいたカップリッチ様は、信じられないと言わんばかりな表情で防壁を見つめていた。

「既に人間が潜れる深さではない。水圧で押し潰されているはずだ。なのに何故……」

 わたしの目にはエレセリアの姿は見えない。けれど、カップリッチ様には見えているみたいだ。だからこそ、驚きを隠せない。この深さ、この水圧の中で活動しているエレセリアが。

「カップリッチ様。あと、90秒です」

「何?」

「二分まで、あと90秒を切りました」

 深呼吸をした後、わたしは召喚の準備を始める。

 右手中指にある青い指輪と、左耳に付いている青いイヤリング。この二つの魔鋼具まこうぐを使って、わたしは魔術を発動する。

 エレセリアのように無条件で発動は出来ないけれど、ちゃんと準備をすれば何とかなるはずだ。

 今回の召喚は、初めてエレセリアを召喚した時とは全くの別物。だからやり方が異なる。

 もしかしなくても、失敗するかもしれない。

 この世界のどこかにいる人物を呼び出す、強制召喚。どこで何をしていても、わたしの目の前に呼び出す。召喚師だけが扱える大魔術。

 けれど、まだ一度も成功したことがない。そもそも実際に使ったこどがない。

 しかも失敗すれば、召喚対象者の身に何が起きるかわからない。最悪、命に関わるかもしれない。

 でも、今はやるしかない。やらなかったらエレセリアは確実に死ぬ。

「召喚師! 残り30秒を切ったぞッ!」

「はい! わかってますっ!!」

 考えてる時間なんて最初からない。やるしかないんだ。

 ありったけの魔力を魔鋼具まこうぐに注ぎ込み、召喚対象の人物を思い浮かべる。

「エレセリアっ!!」

 彼女の名前を叫んだ。指輪とイヤリングから青い閃光が部屋を満たす。

 軽いめまいを感じるほど眩しい部屋の中、ガシャンッという金属の音が響く。

 閃光が消え、目を開けられる状態まで回復したわたしは部屋の中央で倒れている白銀の騎士を見つけた。

 至る所が凹んでいて、さっきまでの美しいシルエットはなく。その姿は歴戦を終え、力尽きた騎士だった。

「そんな……」

 ゆっくりと、わたしは動かない騎士に近付く。

 嫌だ。こんな結末。わたしは絶対に認めない。彼女はそんな簡単に死なないんだ。だって、彼女は異界の魔王で、人類種ノイアルマの勇者なんだから……。

「え、エレセリア……?」

 鎧に触れようとした時。

「よいしょっと。……ふぅ、本当に死ぬかと思った。人生で一番ヤバかったわー」

 そう言いながら騎士は起き上がり、ヘルムを取り外して、床に座った。

「あーあーあー、こんな凹んだらもう使い物にならないじゃん。気に入ってたのに残念すぎる」

 自分が身に付けている鎧の凹み具合を見て、とてもガッカリしている。

「エレセリアっ!」

 床に座り込んでいる彼女に飛び込んだ。

「うおっと……何? どうした? トイレ?」

「違うっ!」

「じゃあ何さ」

「心配したんですからっ!!」

「ああ、そっちね。安心しな。英雄になってきたぜ」

「馬鹿っ!!」

 腕に力を込めて、彼女にしがみ付いた。

「はいはい、わかった。……わかったから鼻水付けるの止めような?」

 ポンポン、とわたしの頭を軽く叩いて、エレセリアは言った。

「止めないっ! 人に心配掛ける人には鼻水くらい付けていいんですっ!」

「てめぇ、後で覚えておけよ」

 低い声音で言われたが、わたしは止めなかった。

「勇者……お主……」

「ん? あぁ、大丈夫だよ。外にいたタコはもう襲ってこない。足全部切り落としてやったからね」

 親指を立てて報告するエレセリアに、カップリッチ様は沈黙で答える。

「とりあえず、一回浮上しようぜ」

 エレセリアは立っている親指を上下に動かした。


        †


海霊種ゼーガイストの危機を救ってくれた勇者エレセリアに感謝をッ!! そして、その誰にも負けぬ勇気と行動を祟ってッ!! 宴だああぁぁぁッ!!!』

 音声を拡大する魔術を使って、カップリッチ様は叫んだ。

 すると、あちらこちらから同じように叫ぶ声が上がる。

『祝え! 祝え! 今日は最高に祝え!!』

『ありがとおおおぉぉぉッ! 勇者にカンパアアアアァァァイッ!!』

『酔い潰れるまで飲め? 甘いんだよッ! 酔い潰れても飲めよッ!! ほらッ!!!』

 浮上したシーアライアンスは月や星に見守られながら、楽しく、騒々しく、海を進んで行く。

 わたしは少し離れた所で豪華な食事を、一人で堪能していた。

「うまっ!」

 さすがシーアライアンス。海の幸がヤバい。しかも魚だけじゃない、貝や甲殻類も凄まじく美味。

「わたしの国も海に面してる所があるけど、ここまで美味しいモノはなかったな」

 長いテーブルに並んでいる美しい料理達。今度は何を食べようか悩む。

「お! これは!」

 金色に輝く体。あらゆる光を反射させ、見る者の瞳を閉ざさせるその眩い存在。これはまさしくシーアライアンス名物の黄金蟹!!

「確か、一匹で城が建つっていう超高級食材……」

 それが目の前に数十杯。ここにある黄金蟹だけで、うちの国の国家予算軽く超えてるんじゃ……。

 ちょっとめまいがした。

「ひ、一つくらい……大丈夫だよね」

 震える手を伸ばして、黄金蟹を一つ握った。その瞬間。

「あ、いた」

「ひっ!?」

 ゆっくりと声がした方に視線を誘導させる。ここで既にわたしは考えていた。黄金蟹に手を伸ばした言い訳を。

「こ、これはですねっ!?」

「何焦ってんの? 皿でも割った? それとも、借りてるドレス汚したの?」

 そこに立っていたのはパーティドレス姿のエレセリアだった。

 カップリッチ様とミフォリアが選んだパーティドレスは、とてもエレセリアに似合っている。紫色のドレスを選んだことをわたしは評価したい。

「ねぇ? 聞いてる?」

「あ、はい。聞こえてます」

「で? どうした?」

「どうって、何がですか?」

「さっき声掛けたらビクッってなってたし、焦ってたじゃん」

 気付かれないように、手に持った黄金蟹を隠す。

「いえ、特に何もないですよ」

「じゃあ、その隠した物体は?」

 バレてた。見つからないように黄金蟹を隠そうとしたんだけど、無理だった。

「あのー、いやー、これはー、そのー」

「見せなさい」

 観念した。

「はい」

 わたしは隠した黄金蟹をエレセリアに渡す。

「……何この金ぴか。全然美味そうじゃないんだけど」

 異界人の彼女は黄金蟹の価値を知らない。教えてあげるべきなのかな。でも、教えて何か得があるのかっていうとそうでもないし……。

「この蟹って高いの?」

「え?」

「値段とか」

 エレセリアから聞いてきたのだから、ここは素直に答えるべきだろう。

 エレセリアに近付いて、彼女の耳元でわたしは小さくボソッと言う。

「城が建ちます」

「え? 何が建つって?」

「一杯で、城が建ちます」

「………………一杯で? 城?」

 無言で頷くわたし。

 エレセリアの視線はわたしから外れて、盛られている黄金蟹達に向けられる。

「あれ全部でいくら?」

「軽く人類種のうちの国家予算を超えるかと」

 エレセリアの目がちょっと泳いだ。そして、蟹を戻した。

「バカヤロウ。そういうのは先に言え」

 さすがのエレセリアでも、あんなモノを持つのは嫌なんだ。エレセリアのことだから鷲掴みにして『これ持って帰ろうぜ!』って言うのかと思った。

「っていうか、アンタさ」

「はい?」

「本当にぼっちなんだね、可愛そうに」

「そ、それは! それは……エレセリアがどこか行っちゃうから……」

 深いため息を漏らして、エレセリアは呆れた表情をする。

「私がいなかったらパーティどうすんの?」

「参加しないですよ」

「いやいやいや、アンタは人類種ノイアルマを代表する召喚師なんだから、今後もこういうパーティには参加しないといけないんだよ」

「ならエレセリアも一緒ですね」

「まあ、うん。そうなんだけどね。私も人類種ノイアルマを代表する勇者なんだけど。私が言いたいのはそういうことじゃなくて。私がいなくなったらどうすんのかってこと」

「え……? エレセリアいなくなっちゃうんですか?」

「もしもの話だよ。元の世界に戻るつもりはないし、人類種ノイアルマの国から出る気もない」

「じゃあ大丈夫じゃないですか」

「いや、だから。もしも私がいなくなったらどうすんのって話」

「それは……」

 改めてそう言われると、わたしはそのことを考えたことがなかった。

 だがしかし。

「安心してください。召喚しますから!」

 そうだ。その為の召喚魔術じゃないか。いなくなったら、召喚すればいいんだ。

「つまり、私は鎖に繋がれてるわけか……」

 額に手を押し付けて、さっきより深いため息を漏らした。

「異世界に召喚された者の運命さだめってやつなのかな、これ」

 わたしにはエレセリアがため息を付く理由がわからなかった。

 ま、いっか。とエレセリアは言うとわたしの顔を見る。

「あっちに美味い食い物あったけど、行く?」

「行く!」

 即答した。断る理由はない。美味い食べ物があって、エレセリアが誘ってくれたんだ。断れるわけがない。

「さあ行きましょう!」

「あまり食べすぎないようにね」

「わかってますよ。これでもわたし大人ですから」

「ふーん、ならいいんだけど」

 信用されてない感じだったけど、気にしない。

「じゃ行こうか」

「はい!」

 エレセリアが先を歩いて、その後ろをわたしが歩く。人が多くて体がぶつかりそうになったりしながらも、わたしは進む。

「あ、あれ? エレセリア?」

 気が付いたら、エレセリアがいなくなっていた。まさかの見失ったヤツだ。

「どこかな、エレセリア」

 周囲を見渡すけれど、エレセリアの姿はなく。視界に入るのはドレスやタキシード姿の海霊種ゼーガイスト達だけだった。

 完全に見失った。どうしよう。

「ッ!?」

 誰かに後ろから右手首を掴まれた。

「何してんの」

「え、エレセリア?」

「これだからイリニスはイリニスなんだよ。何が大人だ小娘」

「う……。さ、先に行くエレセリアが早すぎるんですよ!」

「ほぉ、私のせいにするのか、この小娘」

「………………」

 手首を握っていた彼女の手が、わたしの手を握り締めた。

「え?」

「これならはぐれないでしょ。……まあ、私のせいにしたこと許してないから、それ相応の対応はするけどね」

 とても嫌な予感がした。

 そして、その予感は的中する。

「痛い痛い痛い痛いっ!!!」

 エレセリアの手が、わたしの手を握り潰した。それは比喩なんかじゃない。本当に握り潰されているんだ。

「え? 何?」

「痛いですっ! 凄く痛いですっ!!」

「どこが?」

「手が! 右手が!!」

「何で?」

「あなたが握り潰してるからでしょっ!!?」

「握り、潰す? ……こういうの?」

 そう言うと、エレセリアはさらに握る力を強めた。

「――――――」

 わたしは声にならない悲鳴を上げる。

 あまりの痛さに沈黙したわたしを見たエレセリアは、ようやく手を離してくれた。

 わたしはその場にしゃがみ込んで、右手を凝視する。

「骨が、痛い……」

 痙攣する手から視線をエレセリアに移す。

「痛いじゃないですかっ!!」

 ちょっと涙ぐんで、エレセリアの顔が少しぼやけていた。

「私のせいにするから」

「なっ……。そんなこと」

 理不尽だ。理不尽すぎる。わたしが何をしたっていうんだ。

確かにエレセリアを見失ったけれど、それはエレセリアが先に行くからであって、わたしのせいじゃない。

 って、言うと駄目なんだよね。多分次は左手が犠牲になる。

「……すみません。はぐれないように気を付けます」

 手をさすりながら、わたしはそう言った。

「じゃあ、はぐれないように手繋ぐ?」

「嫌だっ!」

 誰が繋ぐか! あんな痛い思いは二度としたくない!

 だから、わたしは彼女の腕に抱きついた。

「これで行きましょう」

「歩き難いんだけど」

「手を繋ぐより、こっちの方が断然はぐれません」

 彼女の腕にしがみ付き、絶対に離さないという意思を伝える。

「はいはい、わかりました」

 そう言って、エレセリアは歩き始めた。

 彼女の歩く速さに合わせて、わたしも進んでいく。こうしていれば確かにはぐれないけど、周囲から向けられる視線が少し恥ずかしい。


        †


 そっちの人と思われていないか、不安が残るけれど。そんなことを軽く吹き飛ばす料理が、わたしを出迎えてくれた。

「エレセリア! これ美味そうですね!」

 彼女から離れ、わたしはテーブルに並んでいる料理達に熱い視線を送る。

 どれも美味しいに違いない。こんな綺麗な見た目と匂いで不味いわけがない。

 えーっと、どれから食べようかな。エレセリアは何を食べるかな。

「ねぇ、エレセリアは何食べます?」

 けれど、返答がない。

 また無視されてるのかな、わたし。

「エレセリアってば、無視しない……で?」

 振り返ってみたけれど、彼女の姿がない。さっきまでいたはずなのに。いない。

「置いていかれたっ!?」

 え、何で? 

 誘ったのエレセリアの方じゃん。何で放置されてるのわたし。おかしくない?

 辺りを見渡したが、それらしい姿はない。

 完全に置いていかれた。

「はああぁぁぁっ!?」

 そう叫んだら、周囲の視線を集めてしまった。普通に恥ずかしい。

「あの人はどこ行ったんだよっ!」

 エレセリアを探す為、集まる視線から逃げるように、その場を離れた。

 わたしに意地悪ばっかりして、今日は怒ってやるんだから。自分から誘っておいて、放置とは何だ。まったく、勇者だからって許されると思うなよ。

 と、思いながら歩き始めたものの。全然見当たらない。

 人が多いのもそうだけれど、わたしはこのパーティ会場の構造完全には把握していない。どこに何があって、どこが入口でどこが出口なのかも正直わからない。

『おーい! 召喚師!』

 この声はカップリッチ様かな。どこだろう。

「あ、いた」

 ちょっと離れた所から元気よく手を振ってくれているカップリッチ様。その隣にはミフォリアの姿もある。もしかしたら二人ならエレセリアの行方を知っているかもしれない。

 わたしは二人がいる方に足を進める。

 辿り着くと。

「よお召喚師! 飲んでおるか!!」

「え、いや、お酒はちょっと……」

「何? 我の酒が飲めないというのか!」

「そんなことは……」

「じゃあ飲めッ!」

 とグラスを進めてくるカップリッチ様。彼女は幼女の姿なのに、年齢はわたしの七倍くらい上だそうだ。

「えと、あははは……」

 酔っているカップリッチ様の顔は少し赤く、ちょっとお酒臭い。

「カップリッチ嬢。イリニスが困っていますよ」

「なにぃ?」

「それはわたくしが飲みますから、こちらにくださいな」

「む、そうか。わかった。やる」

「はい、いただきます」

 グラスを受け取ると、ミフォリアは透明の液体を飲む。無色透明だけど、水というわけじゃない。何かのお酒に間違いない。

「……これは妖鬼種ディアニモの果実酒ですね」

「うむ。それは妖鬼種ディアニモの国から取り寄せた、白ブドウを原料とした酒だ。どうだ、美味しい酒だろう?」

「ええ、とても」

 微笑むミフォリアはもう一口飲むと、わたしに視線を向けた。

「悪気はないのです。ただ酔っているだけで」

「はい、わかっています」

 と苦笑いをしながら、わたしはミフォリアに言った。

「ところで、エレセリアの姿が見えませんが?」

「そうなんです! あの人自分から誘っておいていなくなったんですっ!!」

「そ、そうなのですか」

「そうなんです!」

 苦笑いをされてしまった。自重しよう。

「だから、探してるんですよ。エレセリアを」

「わたくしも一緒に探したいのですが……」

 ミフォリアの視線はカップリッチ様に向けられた。

「ふははははははッ! もっとだ! もっと酒をよこせッ!!」

 さっきより酷くなってる気がするけど、気のせいじゃないんだろうな。

「と、こんな感じなので。彼女から離れるわけにはいかないのです」

「あはは……。そうみたいですね」

 二人で苦笑いした。

 そして、わたしはミフォリアに言いたかったことを言った。

「ミフォリア。パーティ前にカップリッチ様から聞きました。防壁が壊れないようにしていてくれたって。本当にありがとうございました、ミフォリアがいなかったら――」

「いいえ、わたくしは少し強度を高めただけにすぎません。このシーアライアンスが沈まなかったのはエレセリアのおかげです。お礼なら彼女に伝えてくださいな」

 そう優しく微笑むミフォリア。ドレスを着ているため、その華やかさが一段と増していた。やっぱり、女神というのは彼女のことだ。そうに違いない。

「テラスの方は行きましたか?」

「え? テラスですか?」

「もしかしたら、夜風に当たりたくなったのかもしれません」

「そうですね。ちょっとテラスに行ってみます」

「はい、お気を付けて。……あ、あと一つだけ」

 ……何だろう、わたし何かしたかな?

 ちょっと不安になりながら、ミフォリアを見ると。

「そのドレス、とても似合っていますよ」

「っ!? そ、そんなことっ」

「いいえ、似合っています。それに、わたくしはお世辞を言いません。似合っていないのなら、似合っていないと。美しくないのなら、美しくないと言います」

「……でも」

「じゃあ似合っていません」

「じゃあって何ですか! じゃあって!」

「褒めているのに否定されるのは気分がよくありません」

「あ……。すみません。わたし」

「なら、何て言うべきなのか。わかりますよね?」

「ありがとうございます。ミフォリアも凄く似合ってますよ」

「当然です。わたくしに似合わないドレスなどありません」

 言い切ったよこの人。

「では、わたくしは彼女を捕獲しなければならないので」

 ニコッと笑顔を浮かべて、ミフォリアはカップリッチ様を捕まえに行った。

 遠くから聞こえていた甲高い笑い声は、やっぱりカップリッチ様だったみたいだ。

 何が面白くてあんなに笑っているのかわからないけど。本人が楽しいならいいのかな。

「……まあ、人に迷惑を掛けるのは駄目だと思うけど」

 ミフォリアの背中を見送ったわたしはテラスへ向かった。


        †


 テラスに出ると、夜の潮風が吹いた。

 わたしはなびく髪を押さえながら、彼女がいないかテラスを見渡す。

 雲で隠されていた月が現れた時、月明かりが照らした所に彼女はいた。どうやら海を見ているみたいだ。

 そんな彼女に近付いて、わたしは声を掛ける。

「置き去りなんて、酷いことしますね」

「……イリニスか」

 海から視線を離すことなく、エレセリアは言った。

「どうしたんですか?」

 いつものエレセリアじゃなかった。雰囲気が違うというか、元気がないというか。いつもの彼女と何かが違う。

「別に……。ただ、海を見てるだけ」

「海を?」

「綺麗だなぁって」

「確かにそうですけど」

 エレセリアの視線はずっと海に向けられたまま、動かない。

「変ですよ、本当にどうしたんですか?」

「変? 私が?」

「はい。いつものエレセリアじゃないです」

「……この世界で一番近くにいるアンタがそう言うんだから、そうなんだろうね」

 彼女らしからぬ言葉が返ってきた。

 何がエレセリアをこんな状態にしているのか、考えてみる。

 一番最近で何かあったといえば、シーアライアンスが沈没の危機に直面したことくらいだ。それ以外には何もなかったはず……。

 ふと、エレセリアが身にまとった鎧が思い浮かんだ。

 そういえば、あの鎧って男性用だったような。

「エレセリア」

「ん?」

「あの鎧ってどうしたんですか? 女の人が使う鎧には見えませんでしたけど」

「あれか。あれはクレドが使ってたヤツだよ」

 クレド、という名前をわたしはエレセリアから聞いている。

 ……そうか、そうだったんだ。その人のモノだったから、壊れちゃって落ち込んでるんだ。

「直せますよ、きっと」

「え?」

神鋼種ディオスティールなら、きっと直せます。それが異界の鎧でも、きっと元に戻せるはずです。だから元気出してください」

「お前……」

 エレセリアの視線がやっとわたしに向けられた。

「ふごっ」

 鼻を摘ままれた。意味がわからない。

「生意気なんだよ、小娘のくせに」

「はなじでくだざい」

 わたしの鼻から手を離すと、エレセリアは自分の指を見つめる。そして。

「汚い」

 と言いながら、わたしで拭く。

「自分からやりましたからねっ! しかもこれ借り物だから!!」

 彼女の手を退けて、ドレスが汚れていないか確かめる。……いや、汚れていたら汚れていたでショックなんだけど。

「元気出ました?」

 汚れていないか確認し終えたわたしは、エレセリアに聞いてみた。

「バカヤロウ。私は元気だっただろ」

「あはは、そうですね」

「は? てめぇ、何笑ってんだよ」

「ええぇぇっ!? そこ怒るところなの!?」

 鋭い眼光を受け止めながら、わたしは一歩下がる。けれど、すぐに彼女の雰囲気は変わった。

「……まあ、ありがとう。心配してくれて」

「じゃあ、旅の途中で神鋼種ディオスティールの国に寄らないとですね」

「うん、そうだね」

 エレセリアはとても穏やかな表情をしていた。さっきまでの落ち込んでいる彼女はもういないみたいだ。

 友人として、旅の相棒として、この世界に召喚した者として。彼女が元気になってよかった。

『勇者と召喚師! こんな所にいたのか!』

 その声を聞いたわたしは、ちょっとした警戒態勢になる。

 今のあの人は酔っていて、何をするかわからないから。自分の身は自分で守らないと、いろいろ危ない。

「カップリッチとミフォリアじゃん。どうしたのさ」

 二人に気付いたエレセリアは彼女達に視線を向ける。

「いやな、お主らに話し忘れていたことがあってだな」

 と真面目に言うカップリッチ様。どうやら酔いから醒めたみたいだ。多分、ミフォリアが何かしたんだろう。……聞かないけど。

 身構えていたわたしは体の緊張を解いて、話を聞く。

「シーアライアンスを襲った奴のことだ。まだ言っていなかっただろう?」

「あのタコがどうかしたの?」

「本来ならな、シーアライアンスが襲われることはないんだ。それに、あの巨大なタコの生息域はここらじゃない」

 テラスの柵によじ登って、カップリッチ様は暗い海に視線を向ける。

 あーなるほど、とエレセリアは話を理解した様子で、数回頷いていた。

「えっと、つまり?」

「つまり、異常事態だったということです」

 答えてくれたのはミフォリアだった。でも、襲われたのが異常事態だったなんて、それくらいわかってる。

 だから多分、そういうことじゃない異常のことを言ってるんだと思う。

「もっと簡単に、わかりやすく言うと?」

 今度はエレセリアに解を求めてみた。熱い視線を送って。

 何か嫌そうな顔をされたけれど、わたしは視線を送り続ける。すると、ため息を漏らした後。エレセリアは口を開いた。

「本来なら襲われないシーアライアンスが襲われた。しかも襲ってきたタコの生息域はここの近くじゃない。じゃあ、何でこんな異常なことが起きる? ……答えは簡単。海そのものが異常だから」

「海が異常……あっ! 汚染ですね!」

「そう、それ」

 エレセリアは頷きながら、わたしに人差し指を向ける。

「海の汚染が巡り巡ってシーアライアンスの危機となったというわけだ。我も多少の異常事態は予想していたが、まさか神亀しんきが捕食対象として襲われるとわな……」

神亀しんき?」

「シーアライアンスを背負ってくれている亀のことですよ、イリニス」

 ああ、巨大亀のことか。神亀って呼ばれてるんだ、初めて知った。

「神亀というのは神樹と同じ立場に存在するモノです。海の神亀・森の神樹と呼ばれるくらいですからね」

 そうミフォリアは続けて、教えてくれた。

 でも、待ってほしい。神亀が神樹と同等というなら、海に住む生物からするとまさしく神に等しい存在のはずだ。

「じゃあ、何で襲われるんですか? そんな存在なら襲われることはないはずですけど」

「違うよイリニス。そんな存在が襲われてしまうほど海が異常ってこと」

 にしても、とエレセリアは柵に肘を置いて続けた。

「そんな風には全然見えないんだけどね」

 エレセリアが見ているのは夜空が反射している海だ。確かにこんな綺麗な海が汚染されているとは思えない。

 わたしが人類種ノイアルマで、地上に住んでいるから気付けないのかもしれないけど。仮にそうなら、海霊種ゼーガイスト以外の種族は海の汚染に気付いていないことになる。たとえ気付いても、ちょっと汚れてる程度にしか思わない。

「……だから、種族会議なんですね」

 わたしがそう言うと、ミフォリアが頷いた。

「エレセリアが言ったとおり、海が汚染されているようには見えません。けれど、可視化出来てしまう頃にはもう遅いのです」

 つまり、見てわかるようになってしまっては手遅れ。

「我はこの海が大好きだ。だから、どうにかしたい。せっかく平和になったのだから、平穏に暮らしたいんだ」

 柵に座って、海を眺めているカップリッチ様の姿は小さくて可愛らしかったが、その時だけ種族代表の風格が見えた。

 そして、改めて感じた。

 あの小さな背中で、とても大きなモノを背負っているのだと。

「エレセリア。わたし達も協力しましょう。国王に事情を話せば、きっとわかってくれます」

「当然わかってくれるさ。……でも、その前に私達は魔王を探さないといけない。魔王がいないと、種族会議は開かれないからね」

 そうだった。種族会議を無事開きたいなら魔王を見つけないといけないんだった。

「ということは、魔王探しが結果的に海霊種ゼーガイストへの支援になるということですね!」

「そうだね。だから、絶対に見つけ出さないと」

「お主達……」

 エレセリアは親指を立てて、わたしはそれを真似て笑顔を見せた。

 わたし達の笑顔を見たカップリッチ様は涙ぐんでいた。

「ありがとう……。本当に、ありがとう」

 小さな涙と笑顔、そして感謝の言葉を受け止めたわたしは心に誓った。必ず魔王を見つけて、種族会議を成功させると。


        †


 パーティは夜遅くまで続き、わたしが部屋に戻ったのは深夜だった。

 廊下でエレセリアとミフォリアと別れた後、わたしはベッドに倒れ込むようにダイブする。

 眠くて、眠くて、ドレスが脱げない。

 このまま眠ってしまいたいけれど、借り物のドレスを着たまま寝るなんて、常識的に考えてありえない。

 でも、眠い。本当に。

「ほんの少しだけ……。数秒寝たら、脱ぐから……」

 自分にそう言い聞かせて、重いまぶたを閉じた。

 ふかふかのベッド。いい匂いがする布団。柔らかい枕。その全てがわたしを受け入れてくれる。

 一度横になってしまったら、もう起きられない。

 今眠りに就けば、最高な安眠が約束されているも同然だ。こんな気持ちのいい感じは、そうあるものじゃない。

「もういいや……寝ちゃお……」

 うつ伏せの状態でわたしは眠りに就いた。

 こんな気持ちのいい眠りは久しぶりだ。


        †


 ………………。

 外から聞こえる鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む眩い光で目が覚めた。

「んーっ」 

 体を起こして、伸ばした。

 よく寝れた。いいベッドといい布団だったからかな。

「……あ、ドレス着たまま」

 少しずつ意識が鮮明になっていき、自分がどんな姿で眠ったのかを思い出して、焦り始める。

 これは最悪だ。借りたドレスを着たまま眠るなんて、なんて謝ればいいんだろう……。

「わたしの馬鹿! 何で寝たし! 脱げよ! 脱いでから寝ろよ!!」

 騒いでみたけれど、現実は変わらない。逃避せずに、ちゃんと向き合おう。

「はぁ……。やっちまったなぁ」

 そう呟きながら、私は窓際まで歩いていく。

 カーテンと窓を開けて、顔を出しながら外の景色を眺める。

 綺麗な空だった。青くて、白い雲がわたしの目線と同じ高さにあって、形がよくわかる。

「へぇ、雲ってあんなふわふわしてるんだ。こっち来ないかな、触れそうなんだけど。…………んんっ!?」

 いや、ちょっと待った。おかしいぞ。

 わたしは一旦、部屋の中に戻る。

「シーアライアンスは神亀の上にある。つまり、雲が目線と同じ高さに来るわけがない。ということは、あれは雲じゃない!」

 再び窓から顔を出して、外を見た。

「いや、雲だ。どう考えても雲だあれ」

 またわたしは部屋の中に戻る。

 落ち着け。落ち着くんだわたし。そう言いながら、部屋の中を行ったり来たり。

 ふと、部屋の中を隅々まで眺めた。

「……何か違う」

 いやいやいや、何かどころの話じゃない。全部違うじゃん!

「ここどこっ!?」

 部屋を間違えたのでは? という疑問は部屋の隅に置いてある、わたしの荷物が解決していた。

 他人の部屋なら、わたしの荷物はないはずだ。ということは、他人の部屋ではないわけで。

「でもここ違う!」

 わたしは窓際まで走り、上半身を出しながら外を眺めた。

 シーアライアンスとは似ても似つかない景色。一面に木々が広がっていて、川や湖まで存在している。そしてその自然の中に溶け込むようにそびえ立つ、白い城と白い塔。

「シーアライアンスじゃない!?」

 わけがわからなかった。呆然と外を見つめていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。

 その足音は部屋の前で止まる。

『入るよー』

 ドンッ、という破壊音が響き、ドアが倒れた。

「あ、起きてるじゃん。おはようイリニス」

 ドアを破壊して入ってきたのは、白いローブを着ているエレセリアだった。

「エレセリアっ!!」

 目が覚めたら見知らぬ場所。そんな心細い時に、出会った相棒。こんな安心することはない。

 だから、わたしがエレセリアに飛びつくのは自然だ。

「あぶね」

「ふがっ」

 避けられた。しかも避けられたことによって、その勢いが治まらず、わたしは床に着地した。

顔面から。

「痛い、です……」

「飛びかかってくる方が悪いんだよ。誰でも普通避ける」

「何で!? 何で受け止めてくれないのっ!?」

「逆に何で受け止めてもらえると思った?」

「だって、こんなどこかわからない場所で……」

 わたしに見向きもせず、エレセリアは部屋の中へ入っていく。そして、よいしょ、と言いながらエレセリアはソファーに座った。

「それについて話しに来た。だから早くこっち来なさい」

「はい……」

 痛む鼻を優しくさすりながら、わたしはエレセリアの隣に座った。

「ここなんだけど、まあ私もわからない」

「それを話しに来たって言った!」

「私この世界の住人じゃないし。アンタの方が知ってるでしょ」

 確かにそうだ。エレセリアは異界人。彼女にこの世界のことを聞いても、当然答えられるわけがない。

 けれど、わたしもこんな場所知らない。

「ちょっと外に出て、いろいろ探検してわかったんだけど。ここ空に浮いてるんだよね。そういう場所ってこの世界にないの?」

「え? 浮いてる?」

 空に浮く陸地ということ?

 空にある陸地……っていうことは――。

「天空大陸だっ!!」

 わたしは勢いよく立ち上がって、エレセリアの肩を掴んだ。

「ここは天空大陸ですよ! エレセリア!」

「わかったから肩を揺らさないで、もっと静かにして」

「あ、はい。すみません」

 肩から手を離し、わたしは座った。

「んで? その天空大陸ってのは何なの?」

 コホン、と咳払いをして、わたしは答える。

「天空大陸というのはこの世界に存在している、空に浮かぶ二つの大陸のことです」

「へぇ、そんな場所あったんだ。じゃあ建物があるってことは、どっかの種族が住んでるってことだね」

「はい。そのとおりで二つ存在する天空大陸には、それぞれ種族が住んでいるんです。それが天想種イディア龍魂種ウィルドラッヘです」

「……背中に翼があるのってどっち?」

「え? 翼ですか? 確かどっちもありますけど」

「白い方は?」

「白い方なら……天想種イディアですかね。わたしも絵で見たことしかないんで、正確にはわからないですけど」

 腕を組んで、うんうん、と頷くエレセリア。

「ここ、天想種イディアが住んでる方の大陸だわ」

「何でわかるんですか?」

「さっき、一緒に飯食った」

「は……はああああぁぁぁっ!!?」

 わたしは勢いよく立ち上がって、エレセリアの肩を掴んで揺さぶる。

「何それ! 聞いてない!!」

「今言ったじゃん」

「そういうことじゃなくて!」

 何でこの人はそんな大事なことを最初に話してくれないの! 一緒にご飯食べたなんて……。

「何で……」

「何が?」

「何で誘ってくれなかったんですかっ!!」

「お、おう。そっちで来たか。さすがぼっち、食い付きが違う……でもまあ、アンタ寝てたし」

「起こしてくれればいいじゃないですか!!」

「何で私がわざわざアンタを起こさなきゃいけないの?」

「そ、それは……」

 それは、の後が出ない。

 言葉が続かず、沈黙していると。ドアの方から声が聞こえた。

『取り込んでいるようですが。少しいいですか?』

 倒れているドアを元に戻して、部屋の中に入って来たのは白いローブ姿の人物。

 その人はフードを深く被っていて、顔が見えなかった。けれど胸まで伸びている銀髪と、膨らんでいる胸部で女性ということがわかる。そして背中にある二翼。

 間違いない。彼女は天想種イディアだ。

「どうしたの? 何の用?」

 エレセリアがローブの天想種イディアに言った。

「いえ、ただ現状に困惑していると思ったので、その説明をしに来たのですが」

「あぁ、何で私達がシーアライアンスから移動してるのかね。説明どうぞ」

「では、まず自己紹介から」

 フードを取ると、彼女の素顔が露わとなった。

「え?」

 思わず言葉が出てしまった。だって、その顔はミフォリアと似すぎているから。

「ふふ、ミフォリア代表と似ていると思いましたか?」

「え!? えっと……はい」

「私と彼女は姉妹のような関係なので、似ているんですよ」

 笑顔もミフォリアとそっくりだった。

「改めて初めまして、エルタージュを統治している、天想種イディア代表のヴィルギアです。どうぞよろしく、人類種ノイアルマの召喚師」

 と軽くお辞儀をされた。

 反射的にわたしもお辞儀をして、名前を名乗る。

「は、はいっ! えっと、人類種ノイアルマの召喚師のイリニスです! こちらこそ、よろしくお願いしますっ!!」

 代表という言葉には焦ったけれど、一応の挨拶は出来た。多分、不快な思いはさせていないはず……。

「ふふ、そんなに緊張する必要はないでしょうに。ミフォリア代表のことを『ミフォリア』と呼んでいるんですから」

「何で、それを?」

天想種イディアはこの世界の全てを把握し、知っています。もちろん、貴女のスリーサイズも」

「なっ!?」

「ですが、私の記録とは少々誤差があるようですね」

 ……誤差? 何の?

 まじまじと見てくるヴィルギア様。わたしは少し恥ずかしくなって身をよじった。

「ああ、わかりました。誤差の正体は胸部の――」

「わーーーっ!!」

 恥ずかしさのあまり、わたしはヴィルギア様の言葉をかき消した。

「何? デカくなったの?」

「わーーーっ!! 聞こえなーいーっ!!」

 耳を押さえながら、わたしは二人から離れた。

 確かに、カップリッチ様から借りたドレスの胸部はちょっときつかったけれど、そんな大きくなっているわけじゃない。それに、わたしはもう大人だ。これ以上の成長はない。

「興味深いですね。人類種ノイアルマは二十歳を超えても成長するなんて。これは一度解剖するしか」

「かかか、解剖っ!?」

 解剖ってあれだよね。体を切り開いて、内部を観察するヤツ……。

 自分がそれをされている想像をしたら、血の気が引いた。

『ふふ、安心してくださいな。そんなことはさせませんから』

 背後から肩を優しく掴まれた。

「え? 誰?」

 部屋の中にはわたしを含めて三人しかいなかったはず。しかも他の二人はわたしの視界に入っている。

 つまり、四人目がいる……!?

「想定より2分8秒早いですね。さすがミフォリア代表」

「そうですか? このくらい当然かと」

 ちょっぴり棘のある返答をする、わたしの背後にいる人物。その声とヴィルギア様の発言を合わせると、背後の人物はミフォリアということになる。

「あなたのおかげでカップリッチ嬢が酷く取り乱して、シーアライアンスが大変なことになりましたよ」

「その鎮静を含めて計算したんですが。私の想定が狂うとは、さすがとしか言いようがありませんね」

 何故か、凄くピリピリした雰囲気だ。何というか、喧嘩中の姉妹みたいな感じ。

 それにしても、こう改めて見ると、ヴィルギア様って似てるなぁ。……って、見惚れてる場合じゃない。

 わたしはミフォリアに視線を向けた。

「何が何だかわからないんですが、こういう現状になってます!」

「それは何一つわかっていませんね」

 苦笑いされてしまった。そして、似ている。ヴィルギア様と。

 にこやかなミフォリアは視線をわたしからヴィルギア様に移すと、目の色が変わった。

「何を企んでいるのです?」

「人を悪人みたいに言わないでほしいですね」

天想種イディアは記録の為なら何でもする種族です。目的がないのに、二人を拉致するわけがありません。目的を言いなさい」

 こんなにミフォリアは初めて見た。女神に見える彼女でも、こんな怖い顔するんだ……。

「興味があっただけですよ。異界人とそれを召喚した者に。だから連れてきた。何か問題がありますか? 私は天想種イディアとしての使命に基づいて行動していますが」

「何ですって?」

 ミフォリアから感じる雰囲気が変わった。

 これは何か、よくないことになっているのではいだろうか。そーっと、視線をエレセリアに向ける。

 すると、目を逸らされた。

 エレセリアは二人の間に割って入る気はないみたいだ。っていうことは、わたししかいないわけで。でもわたしはただの人類種ノイアルマ。二人の代表の間に入るなんて、怖すぎて無理。

 これはもう黙って傍観するしかないのか。

 そう、諦めていた時。

『おーい。この資料に書いてある『幽魔種ゾイレスの生死について』なんだけどさー』 

 ガチャ――。

 黒いローブを着ている男の人がドアを開けて中に入って来た。

「っ!!?」

 彼を見たわたしは目を見開いた。エレセリアもあまりの衝撃に固まっている。

「だから、ヴィルギアこれ――」

 手に持っている本から目線を上げた彼は、エレセリアとわたしを見つけると。動きが止まった。

「……あれ何で、エレセリアとイリニスがいるんだ?」

「「それはこっちのセリフだああああぁぁぁッ!!!」」

 エレセリアとわたしの声は寸分の狂いなく、重なった。

 それもその筈だ。だって、彼はわたし達が旅立つ理由となった人物なのだから。

 魔族種テラストルムの代表であり、魔族種テラストルムの英雄。レイエン・エグリミュート。

 そして、この世界で彼は〝魔王〟と呼ばれている。

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