第2話 尖った耳とケモノ耳の森

 私の人生はいつ変わったのか。

 何を間違えて、何を失敗したのか。

 過去を思い出すと、後悔ばかり……。

 今の私は何を見ているんだろう。


        †


「エレセリア、暇なんですけど! 相手してください!」

「嫌」

「トランプ持ってきたんですよ! わたしと楽しいしましょ!!」

「人の話を聞いて」

「ほら! もう配ってるよ! もう遅いよ! 逃がさないよ!!」

 わたしはテーブルの上にトランプを配り始めていた。

「どこから出したのそれ……」

 と呆れながらエレセリアはトランプを手に取ってくれた。

 やった、エレセリアが遊んでくれる。嬉しい。

「それで、何するのさ」

「え? ババ抜きですよ?」

 同じ数字のカードをテーブルの上に置きながら、わたしは答えた。

 というか、ほら早くエレセリアも揃ってるカード抜いて。

「二人でババ抜きって、クッソつまらないヤツじゃん」

「はぁ!? つまらなくないし!!」

「……はいはい、わかった。わかりました」

 そう言うとエレセリアも同じ数字のカードをテーブルの上に置き始める。

 いいね、凄く楽しい!

 そして、エレセリアの手札が4でわたしの手札が5になった。

「ま、二人だから手札も相当少なくなるわけだ。……イリニス、お前ババ持ってるでしょ」

「は、ははははぁ!? もも、持ってないですしぃ」

「いや、私がババ持ってないんだからアンタの手元にあるはずでしょ。もし本当にババがないのなら、ババ抜きが成立しないんだけど」

「あ、確かに」

「まあいいや、どうせアンタがババなんだから早く始めようよ」

 エレセリアはわたしに自分の手札を差し出す。どうやらわたしから引くようだ。

「ウィ、ウィウィ?」

 エレセリアの顔を伺いながら取るカードを選んでいると。

「うるさいウザイ、早くしろ」

 と催促されてしまった。

 仕方ないので何となくど真ん中のカードを引き抜いてみた。

 揃ったので、二枚のカードとサヨナラした。

「じゃ、私の番」

 さあ、どれをえら――

「これ」

 すぐにエレセリアはわたしの手からカードを抜き取った。しかも、揃ったらしい。

 二枚のカードをテーブルの上に置いて、手札をわたしに向ける。

 くそぅ、このままではわたしが負ける未来しか見えない。何としてでも先に手札を減らさなければ……。

 指の感覚を研ぎ澄ませ、女の勘というヤツを信じて引き抜くカードを選別する。

 そして――

「これだっ!」

 ふ……勝った。

 エレセリアの手札からわたしの手札に移ったカードは〝ハートの3〟だった。よし、あとはわたしの手札に3があれば……あった! しゃあっおらっ!!

 これでわたしの手札は2枚。さあ、エレセリアのターンだ!

「これ。はい上がり」

 ……なん、だと?

 ちょっとおかしい。

 もっと楽しく『ウェーイ』とかさ、そういうまだやってないよ?

 しかし、わたしの手元にあるのはjokerと書かれた、あざ笑うピエロカードのみ。

 つまり、わたしの敗北。

「はああぁぁっ!? 何でっ!!」

「何が」

「何でババ取らないんですか!? 終わっちゃったじゃないですか!」

「バカヤロウ、そういうゲームでしょうが」

「あ、はい……そうなんですけど、そうなんですけど!」

 もっとわたしは楽しいしたかったの!!

「じゃあ、第二ラウンドで」

「えー」

「ほら、まだまだやりますよ! 今度から負けたら一枚ずつ服を脱ぐっていうルール付きで!」

「よし乗った。お前全裸にしてやるから覚悟しとけよ」

「はっ! それはこっちのセリフですね! わたしこそエレセリアを生まれたままの姿にしてあげますよ!」

 念入りにシャッフルをした後、同じようにトランプを配る。

 そして、お互いの服を賭けた勝負が始まった。

 エレセリア。文字通りの丸裸にしてやろうじゃないか。


        †


 何でわたしは服を賭けようなんて言ったのだろうか。

「ほれほれ、あとパンツしか残ってないぞー」

「こ、ここ、今度は勝ちますし!」

 連敗、必敗、圧敗。

 既にわたしはパンツ以外の布を身につけていなかった。片腕で胸を隠しながら、何とかババ抜きを続行しているがパンツを失ってしまったらもうダメだ。

 だからこそ今回は絶対に負けられない。負けられない戦いがここにはあるんだ!

 わたしの手札は3枚。エレセリアの手札は4枚。そしてわたしの先攻。

「これ!」

 取ったカードはクローバーの9だった。これでわたしの手札は減る。

「まあ、ババ持ってるの私だし何引いても同じなんだよね」

 とエレセリアはわたしの手札から一枚抜き取った。当然数字は揃い、手札は減る。

 そして、わたしのターン。

 わたしの手札はハートの1のみ。つまり、エレセリアの残り2枚の手札の内どちらかが同じ数字の1というわけだ。

 ここでわたしが1を取ればその瞬間に勝利。だが、ババを取った場合勝負は続き、エレセリアのターンになる。それは何としてでも避けたい。

 わたしは恐る恐るエレセリアが持つカードに手を伸ばす。

 さあ、どっちだ。どっちが1で、どっちがババなんだ。

 息を呑み、唾を飲む。

 右か左か……。

「うぃ?」

「なっ!?」

 そんなバカなっ! 片方のカードを上にずらしただと!?

 心理戦……。

 まさかこんなところで仕掛けてくるとは、さすがエレセリアというべきか。

 わざと取りやすくなっている方がババなのか、それとも動いていない方のカードなのか。

 落ち着け、落ち着くんだわたし。

 そうだ、顔。顔を見て判断しよう……無表情! 

 く、くそぅ、無表情で何を考えているのか全く読めない。

 ダメだ、考えても何もわからない。今回は本当に自分の勘を信じるしかない。

 ゆっくり、わたしは動いていない方のカードを掴んだ。

「へぇ、そっちでいいの?」

「くっ……」

 ここでも心理戦を仕掛けてくるのかっ!

「どうする? 変えてもいいよ?」

「ううん、こっちでいい!」

「あっそう。じゃどうぞ」

 そう言ってエレセリアは手を下げる。

 すると自動的にわたしが掴んでいるカードは彼女の手から離脱。

「さあ、ご覧下さい」

 緊張の一瞬。

 握っているカードの絵柄を見て、絶望した。

「ババだぁ……」

「アハハハッ、はい残念でした。じゃ私の番ね、パンツ脱ぐ準備しておいたら?」

「脱ぎません!」

「それはどうかなー」

 わたしは最後の悪足掻きとして、2枚のトランプをテーブルの上に置いた。そしてその状態のままシャッフル。

 もうこれで心理戦とか、そういうのは出来なくなった。

 完全なる運。本当に運が左右する。

「どぞ」

 わたしはじっとエレセリアの手を見つめる。

「んー、こっちの気がする」

 選んだ方のカードは、わたしから見て右側のカード。

 お願いババ、お願いババ、お願いババ。

 けれど、運命の女神はエレセリアの味方だった。

「よっしゃ! パンツ没収だぜ! 手ブラ! ノーパン! 丸裸!!」

 テンションの高いエレセリアにわたしは講う。

「どうかお慈悲を! お慈悲をっ!!」

「慈悲はない。さあ、その可愛らしい水色のパンティを献上せよ」

 少し前の自分を呪いたい。

 何で服を脱ぐとか言い出した、結局一回も勝てなかったぞ。

「っ……」

 恥ずかしさを我慢しながら、わたしはパンツを脱いだ。

「ここ、これで、いいですか……?」

「おっぱいデカイなぁ」

「っ!? もう何言ってるんですか!!」

「だって事実デカイじゃん」

「あの、その、そうかもしれないですけど……」

「その無駄にデカイ乳を使って、男を誘惑すればいいのに」

「誘惑!?」

「自分からバッバッって」

「え?」

 何その手の動き。胸のあたりで何かを開いて閉めたけど。

「だから、バッチラッドンッみたいな」

「ちょちょちょちょっと待った!」

 バッ、チラッ、ドンッ。という音と共に動いたエレセリアの手。それは完全にブツを見せている。いや、見せつけている動きだ。

「誘えって」

「ちょっと待って、エレセリアそれは――」

「テュンテュンテュン」

 わたしの胸を刺してくる手を払い、少し彼女から離れる。

「刺すの止めて!」

「服脱いだんだから風呂入れば? 多分、あそこ風呂場でしょ」

「え……あー、はい。そうですね。確かめるついでに入ってみます」

 こうして、わたしは出発してすぐお風呂に入った。

 何か、誘導された感があるけれど。気にしない。


        †


 時はとても流れ、魔王を探す旅に出たエレセリアとわたしは最初の目的地に到着していた。

 十日間の車内生活はとある事情により省いた。

 世の中には仕方のないことがあるのだ。

 そんなこんな列車から降りて、駅に足をつけると、木々が放つ自然の香りが迎えてくれた。それはまるで、わたし達を歓迎しているかのように。

 すぅー、はぁー、と肺に空気を取り込んで、ゆっくり放出する。それを数回繰り返し、わたしは振り返る。

「空気が美味いですね!」

 ん? と眠たそうな顔をしながらエレセリアは頷き、大きなあくびをした。

 そして、優しく微笑む。

「いい空気。汚染されてなくて、綺麗で、おいしい」

 胸まで伸びている髪を風に靡かせながら、エレセリアは気品たっぷりな表情で言う。けれど、わたしの知っている彼女は、絶対にそんなことしない。

 こんなのエレセリアじゃない!

 だから思わず言ってしまった。

「え……? エレセリアが綺麗に見える?」

 ほんの一瞬、怒りという感情が瞳に宿ったエレセリアは、細く整った美しい両手を伸ばしてきた。

「え? 何? どうしたの? どうしたの? 口開けて口」

 ちょっと不思議に思いながら、言われたとおり口を開けてみる。すると、エレセリアに手で顔をロックされた。そして彼女は、わたしの口の中を見つめる。それはもうじっくりと隅々まで。上から下、手前から奥まで全て見られた。

「はに? へ? はにぃ!?」

「歯磨き足りないんじゃないの?」

 そう言った後、エレセリアはわたしを解放した。

 え? 何された? 何されたわたし!?

「ちょ何しましたっ!!?」

「口の中を見てやるっていう、辱めを受けさせてやったんだよ」

「ぶふぉ」

 それを聞いた途端、思わず吹き出してしまった。何、その辱め方は。

「汚っ!」

「んなっ! そんな本気で言わなくてもいいじゃないですか!!」

 と、わたしは反射的に言った。だってほら、本気で嫌がられると、ちょっと心に来るモノがあるわけでね?

「……?」

 可愛らしく首を軽く傾けるエレセリア。……くそぅ、可愛い。

「で、でも、そんな可愛い顔してもダメですからね!」

 咄嗟にそう言うが、彼女は既に背中を向けていた。

「うるさい、さっさと行くよ」

 そう言って、エレセリアは一人で先に行ってしまう。いつもどおりのエレセリアに戻ってしまい、わたしはちょっと残念。

「ああっ、待ってくださいよ!」

 そんな先を歩く綺麗なシルエットを、小走りで追う。

 遅い歩みのエレセリアに追い付き、わたしは彼女と肩を並べて進む。

そして、わたしはエレセリアと共に改札口で待っている、人型の神鋼種ディオスティールに乗車券を見せた。

『良い旅を』

 乗車券を確認したその神鋼種ディオスティールは、わたし達に向かってそう言った。

「はい、いってきます」

 にこっと笑い、わたしは笑顔を返す。

 エレセリアは左手をひらひらと動かして、答えた。

 改札口を通り過ぎ、わたし達は少ない荷物を持って駅を後にする。

 そして、エレセリアとわたしは中立街・ハートボンドに降り立った。


        †


 天まで高く伸びた、巨大な木々に囲まれる街の中。木材で作られた建物が綺麗に整列した街並み。

 森巫種エルフと獣人種クティーリアが作り出した、二つの色と顔を持つ美しい街。初めて訪れたけれど、想像以上に綺麗だ。

「綺麗ですね!」

「ん? ……そうだね。木造の建築物がいい味出してるね」

 とエレセリアは面倒くさそうに答えた。何か、わたしの話に全く興味がないような感じがする。

「何で面倒くさそうなんですか」

「その乳袋型のおっぱいに手を当てて、よーく考えてみろ」

 わたしの胸部を指差しながら、エレセリアは気怠そうに言う。だがしかし!

「乳袋じゃないしっ! これはコルセットだからこうなってるだけだしっ! 元々こういう服なんですっ!!」

「うるさい、見た感じ乳袋でしょうが」

「そうやって乳袋乳袋って言うと本当にわたしが乳袋キャラになっちゃうでしょっ!!」

「あーもう本当にうるさい。もう少し静かに出来ないの? うるさいよ?」

 本気でウザがられているのは十分わかっている。けれど、これでもエレセリアとわたしは仲がいいのだ。

「だって、わたしが喋らないとエレセリア黙るじゃないですか」

「喋りたくないんだから仕方ないね。だから黙って歩こうね」

 わがままを言う子供を、あやすようかのように対応するエレセリア。そんな彼女にわたしはまだ噛みつく。

「わたしはエレセリアとお話がしたい!!」

「うるさい! 黙れ! 二時間ノンストップで話し掛けられる私の身にもなれ!!」

 そう言われると、確かにわたしは二時間という長い間、ノンストップで話し掛けていたかもしれない。

 だがしかし、それはエレセリアとお話がしたいからであって、決して嫌がらせをしているわけじゃないのだ。

 だからわたしに罪はない。無実で無罪なのだ!

「じゃあ、わかりました。エレセリアがわたしに二時間話し掛け続けていいですよ! それなら同じですよね!」

 わたしがそう言うとエレセリアは頭を抱えた、しかもため息を付いている。

「はぁ……。あのね、違う、それ違う。そういうのを望んでるわけじゃないんだ」

「じゃあ何です?」

 顔を傾けると、エレセリアはわたしの胸を右手で鷲掴みにした。

「ひゃうッ!!?」

 咄嗟にエレセリアの右手を振り払い、彼女と距離を取る。

「ななな、何をするんですかっ!?」

「うるさい。次はもぎ取ってやるから覚悟しとけ乳袋」

「また乳袋って言ったっ!!」

 既にエレセリアはわたしに背を向けて歩いている。そんな彼女をわたしは走って追い抜き、目の前に立ちはだかる。

「何で置いて行くんですか!」

「ウザいから」

「そうは言うけど、本当はわたしのこと好きなくせに!」

 ウィンクをしながらそう言ってみたものの、エレセリアの表情はピクリとも動かず、ただ横を通られた。

「無視はダメ! 無視は! 悲しいでしょ!!」

 エレセリアの腕を抱くように掴み、わたしは同じ速さで歩いていく。

 小さな舌打ちが聞こえたけれど、わたしは気にしない。

「ねぇ、歩き難いから離れて」

 首を横に振り、わたしは離れない。……というか、凄くいい匂いがするぞ。

 この匂いはエレセリアの匂いかな。少し甘くて、優しい香り。まあ、優しい香りっていう表現が正しいのかどうかは別として、優しい感じの匂いがする。

「エレセリアは香水とか付けます?」

 そう聞いたわたしに、エレセリアは眉を寄せた。

「はぁ? そんなの当たり前でしょ、何言ってんの」

 当たり前なのか……。わたし付けてないけど。

 わたしの心を読んだのか、もしくはわたしの顔に出てしまったのか、エレセリアは少し驚いた表情になっている。

「まさか、お前……。香水付けないの?」

「はい。付けないですけど」

 腕にくっついているわたしを優しく離すと、彼女はそのまま両肩を掴んできた。

「ねぇ、イリニス。お前はまだ小娘だけど、世間一般的に見れば大人なんだよ? わかってる?」

「はい、一応わかっているつもりですけど」

 そう言うわたしに、エレセリアは首を大きく左右に振る。わかってない、わかってないよ。と言いながら。

「お前、汗かいたらどうすんの?」

「汗ですか……」

 汗をかいたらどうする。――つまり、汗をかくようなことをしている。ってことは体が動いている時だから……。運動の後か。

「拭きますね、タオルとかで!」

 こうやって、と汗を拭く手振りをしながら、わたしは陽気に答えた。

「う、うん。そうだね、まず拭くよね。それで? 拭いた後は?」

 拭いた後? 汗を拭いた後、わたし何してったっけ?

 少しの間。んー、と唸りながらわたしは思い出す。自分が汗を拭いた後、どういう行動をするのか。

「えっと、新しい服に着替える? 汗で濡れてる服なんて、着ていたくないですし」

 わたしの答えにエレセリアは数回頷く。

「着替えるのは合格。じゃあ、匂いどうすんのよ。汗かいた後は汗臭いと思うよ?」

「シャワー?」

「シャワーが浴びられない。体を洗えない状況だったら?」

 そう言われ、腕を組みながら思考を巡らせる。

「………………ハッ!?」

 そうだ。汗をかいた後は誰だろうと汗臭くなる。

 ……でも、待って。エレセリアは汗臭い時なんてなかったはず。

 前の旅でも、わたしが一番近くにいた。けれど、彼女から汗の臭いを感じたことは一度もなかった。

 ……何で?

「でも、エレセリアは、汗かいても臭くないですよね? 何でですか?」

「汗臭いのが嫌いだからだよ! 汗臭くならないようにしてるの!」

 衝撃の事実を今初めて知った。

「なん……だと……」

 そう言わざるおえない状況。

 固まるわたしをエレセリアはただ見つめる。そしてため息を漏らして、わたしの腕を掴んだ。

「大人になりなさい」

「……はい」

 ダメ出しされたわたしは、肩を落としながらエレセリアと共に街を散策する。

 まだ到着して初日。何をするか、まだ何も決めていない。その為、本当にただ散策しているだけになっている。まるで旅行みたいだ。

 何となく、わたしは彼女にこの後何をしたいか聞いてみることにした。

「エレセリア」

「………………」

 エレセリアは無言でわたしに視線を向ける。

「今日の――」

「え、まだ返事してないんだけど」

「えぇ!? 今始めていい雰囲気だったでしょ!」

「あ? ああ、もうイリニスのフィールドだった?」

「もうターンはわたしに回ってる、譲渡されたモノだと」

「ごめんごめん、気付かなかった。で、何?」

 今度こそわたしは要件を話す。

 と言っても、この後何がしたいか聞くだけなんだけど。

「何かしたいことってありますか?」

「したいこと? ……特にないね」

「そうですか、じゃあ……何します?」

 二人で唸り始める。何をしようかと。

 けれど、お互いにこれだけは思っている。

 初日から魔王探しなんて誰がするか。初日は観光メインに決まってるだろう。

 だからこそ、わたし達は唸っている。

「ま、テキトーに観光でも――」

 エレセリアの言葉は途切れた。何かに気を取られているらしく、視線が動かない。

 何を見てるんだろう? と、不思議に思ったわたしはエレセリアが見つめている方へ視線を誘導する。

 すると、そこには小規模の人だかりがあった。金髪に尖った耳。多分、集まっているのは森巫種エルフだ。何やら揉めている様子。

「イリニス、ちょっと見てきて」

「ええ!? 何でわたしが行かなきゃいけないんですか! 自分で行けばいいじゃないですか!」

「じゃあそうする」

 そう言うと、エレセリアは本当に行ってしまった。

 取り残される、わたし。

「待ってくださいよ!」

 結局、わたしも行く。

 二人で何を揉めているのか覗くと、森巫種エルフの男達が左右で瞳の色が違う女性を囲っていた。

 雰囲気的にナンパではない。何というか、険悪な空気が漂っている。

 他の通行人は視線を送るだけで、女性を助けようとしない。

 わたしはその助けない理由を知っていた。

 だからこそ悲しい気持ちが込み上げてくる。

 左右の瞳の色が違う。つまりオッドアイ。それは混血である証。

 他種族との混血である魔族種テラストルムがまだ世界に馴染んでいないという現実を刮目した。

 どれだけ世界が平和になっても、まだ本当の平和にはなっていない。

 それを目の前で見てしまった。

 わたしは彼女を助けたい。けれど、彼女を囲んでいるのは森巫種エルフ人類種ノイアルマのわたしじゃどうしようもない。

 悔しかった。何も出来ない自分が。

 唇を噛み締めて俯くと、頭を軽く叩かれた。

「いたっ」

 誰だ、わたしの頭を叩いたのは――

 考えるまでもない。わたしの頭を叩くなんてことを平気でする人物は一人しかいないのだから。

「あの女の人、魔族種テラストルムだよね? 何で反撃しないの?」

 不思議そうに言うエレセリアは視線を集団に向けたまま、わたしに聞いた。

「多分、あの人は非戦闘タイプなんだと思います」

「非戦闘タイプ?」

「はい。混血である魔族種テラストルムには戦闘に向いている者と、向いてない者がいるんです」

「ってことはつまり、反撃されないことを理解した上で森巫種エルフ共はやってるわけだ」

「そうなりますね」

 わたしが答えるとエレセリアは呆れたように息を漏らした。

「ちょっと行ってくるね」

「あ、はい、いってらっしゃい」

 そう言って、わたしはエレセリアを見送る。

 ……って、あれ? 行ってくる? どこに? 反射的に『いってらっしゃい』って言い返したけど、どこに行――

 わたしの瞳には森巫種エルフ達をかき分けて、集団の中へ入っていくエレセリアの姿が映った。

 もう遅かった。

 あー揉めてる。エレセリアが突入したことによりもっと揉めてる。

 人類種ノイアルマ風情が出てくるな?

 残念でした、若い男の森巫種エルフさん。その人はとりあえず人類種ノイアルマだけど、異界人なんだ。だからそれ以上エレセリアを怒らせるようなこと言わない方が……。

「あーあ、やっちまったあの人」

 離れた所からわたしは森巫種エルフを蹴散らすエレセリアを見つめる。

 彼女は文字通り世界最強。あの魔王を瞬殺した勇者だ。森巫種エルフがいくら束になろうと敵う相手じゃない。

 この後、どうしよ。

 そう考えながら、わたしはエレセリアと森巫種エルフ達の会話に耳を傾ける。

『クソザルがいい気になるなよっ!』

『誰が猿だって?』

 とエレセリアは迫り来る森巫種エルフの右ストレートを軽々と避けた。

 そして、避けた後。

 右手で腹部にパンチをお見舞いする。もちろん、全力じゃない。もし本気で彼女が殴ったら、殴られた森巫種エルフは原型を留めない。

『ぐはあっ!?』

 森巫種エルフの男は腹部を押さえたまま、その場に倒れ込む。

『それで? お前らもコイツみたいになりたいの?』

 倒れ込んでいる男以外の森巫種エルフ達にそれぞれ視線を送り、エレセリアは返答を待つ。

『く……お、覚えてろよ! クソザルが!!』

『お前らみたいなモブ顔なんていちいち覚えねぇよ』

 退散する森巫種エルフ達。倒れていた人も仲間達の後に続いて逃げた。

 森巫種エルフが全員退散したのを確認した後、わたしはエレセリアに近付く。

「もう、何してるんですか。喧嘩はダメですよ、喧嘩は。ちゃんと話し合いで解決してこその大人でしょ」

「だって、話が通じる相手じゃなかったし」

 悪びれる様子もなく、エレセリアは言った。

 確かにエレセリアの言うとおり、森巫種エルフ達との話し合いは無理だったと思う。

 でも、いつかは対等な話し合いを出来る関係にならなければならないんだ。

 森巫種エルフだけじゃなくて、他の種族とも。

「あ、あの……。助けてくれて、ありがとうございました」

 少し震える声で感謝の気持ちを伝えて来たのは森巫種エルフの男達に囲まれていた、魔族種テラストルムの女性だった。

 よく見ると小刻みに体が震えている。怖かったんだろうな、でももう大丈夫。

「安心してください。もう大丈夫ですから」

 そう言ってわたしは笑顔を作った。

 すると、エレセリアもニコッと美しい笑顔を作る。

 わたし達の顔を見て、安心したように安堵の息を女性は漏らした。

『おい! お前ら彼女から離れろ!!』

 突然、わたし達と女性の間にケモノ耳の生えている男が現れた。

 しかも、とても怖い顔をしている。何か唸ってるし、威嚇されてるのかな。

「サル共、ケルティに何かしたらこの俺がお前らを――」

「違うの! その人達は森巫種エルフに絡まれてた私を助けてくれたの!」

 今にも飛び掛ってきそうだった男を、ケルティと呼ばれた魔族種テラストルムの女性が止めてくれた。

 わたしは安堵の息を吐き出す。

 というか、何でわたし達が悪者みたいになってるの! 

 ケルティさんはさっきまでのことを獣人種クティーリアの男性に話し始める。

 全ての事情を聞いた獣人種クティーリアの男性は凄い勢いで、エレセリアとわたしに頭を下げてきた。

「すまなかった。ケルティを助けてくれたというのに」

 えっと、こういう場合はどうすればいいんだろう。

 わたしは見てただけで何もしてないから、エレセリアが答えるべきだよね?

 だからわたしは二人に聞こえない大きさの声でエレセリアに言った。

(エレセリアが助けてあげたんだから、ちゃんと対応してください)

(はぁ? 面倒くさいからやだよ)

(助けたんだから責任取ってくださいっ)

(ったく、仕方ないな)

 会議終了。

 ずっと頭を下げ続けている彼に、エレセリアは右手を差し出す。

 うんうん、握手ね。何かいい感じ。

 ……ん? あれ? 手のひらが上を向いてる?

 わたしはちょっと不安になった。っていうか、大体こういう時の不安って当たるんだよね。

「謝礼をよこせ」

 エレセリアはそう言った。

 確かに人助けをしたのだから謝礼くらい当然だ。だがしかし、エレセリアの言う謝礼はわたしが考えているモノではないだろう。

「彼女を助けてくれてありがとう。そして、勘違いをしてしまってすまなかった」

 彼はピシッと綺麗な体勢のまま、エレセリアに言った。

「ちょっと腹減ってきたなぁ。ねぇ、イリニスも腹減ったでしょ?」

 え? わたしに聞くの?

 そう言われれば小腹が空いているけれど。

 今すぐ何か食べたい! って感じでは……。

「甘い物とかどうよ?」

「食べたいです!」

 しまった。反射的に答えてしまった。

「だってさ。ほれ、謝礼は昼飯で勘弁しておいてやるよ。飯おごれ飯」

 ケルティさんと獣人種クティーリアの男性は顔を見合わせる。

 そしてケルティさんが笑顔で頷き、わたし達に微笑んだまま言った。

「一緒にお昼ご飯を食べませんか?」


        †


 お誘いを受けたエレセリアとわたしは彼女達に連れられ、プライムツリーという店に入った。

 街から少し離れた所にある小さなログハウス。店内はセピア色で喫茶店のようだが、席が少なく、客も少ない。

 店員は老いた森巫種エルフの夫婦で、とても優しくて穏やかな顔をしている。

 その老夫婦と店内のセピア色が上手く合わさり、どこか心地のいい喫茶店という雰囲気を漂わせていた。

 エレセリアもわたしと同じことを思っているらしく、いつもより表情が柔らかい。

 そして、わたし達は空いているテーブル席に座った。

 コホン、と咳払いをした獣人種クティーリアの男性はエレセリアとわたしに視線を向ける。

「改めてすまなかった。ケルティを助けてくれたというのに勘違いをしてしまって」

「別にいいよ。ちょっとキレそうになったけど」

 コラ! そんなこと言うんじゃない! 例え本当に思っていたとしても、事実であっても! そういうことは言わないの!!

 エレセリアが言った一言で、彼とケルティさんは苦笑いをする。すみません、こんな人で。でも優しい人なんです、本当に。

「助けてくれてありがとうございました。えっと……」

 とケルティさんはエレセリアを見つめたまま黙った。

「ん? ああ、名前ね。そういえば教えてなかったね。私はエレセリア、よろしく」

 そういうことか。確かにわたし達は自己紹介をしていなかった。

 ってことは、エレセリアの次はわたしかな。

「わたしはイリニスっていいます。エレセリアと旅をしてます!」

 明るい感じで自己紹介をしてみたけれど、こんな感じでよかったかな。

 少し間が空いてから獣人種クティーリアの男性が口を開いた。

「俺はリアコス。見てのとおり獣人種クティーリアだ」

 リアコスさんは自分のケモノ耳と尻尾を指差しながら言った。

 獣人種クティーリアの見た目は人類種ノイアルマにケモノ耳と尻尾が生えた感じ。わたしも耳と尻尾を付ければ擬似獣人種クティーリアになれる。

 最後にケルティさんの番が訪れた。

「私はケルティア。森巫種エルフ妖鬼種ディアニモの血を引く魔族種テラストルムです」

 森巫種エルフ妖鬼種ディアニモ

 言われてみれば確かに耳が森巫種エルフのように尖っている。でも髪の色が金色じゃなくて紅色だ。あと妖鬼種ディアニモは額に角があったはずだけど、ケルティさんの場合は……。

 あれ? ケルティさん? ケルティアさん?

「あの――」

「お前ら付き合ってんの?」

 わたしの言葉を遮って、エレセリアはあくびをしながら言った。

「え!?」

 と、並んで座っている二人を見るわたし。

「なっ!?」

 と、顔を赤くするリアコスさん。

「………………」

 頬を紅潮させながら黙り込むケルティアさん。

 そして、自分の髪をいじり始めるエレセリア。

「え? あの……え?」

 戸惑いと驚きを隠せないわたし。今、ちょっとしたパニック状態です。

 そんなわたしにエレセリアは丁寧に解説してくれた。

「リアコスは獣人種クティーリアだけど魔族種テラストルムのケルティアを守ろうとした。そしてケルティアという名前なのに『ケルティ』と呼んでいる。これで知り合いであることは確定。二人の雰囲気から察するに友達以上の関係なのは間違いない。っていうか、一緒に住んでるんじゃない? 同じ匂いするし」

「ええぇ!?」

 二人が一緒に住んでいる!? えっと、友達以上の関係で、一つ屋根の下に住む。それはつまり……。

「恋人同士っていうことですか!!?」

「多分ね」

 そんなバカなっ!

 わたしは驚きを隠せなかった。

 だって二人は獣人種クティーリア魔族種テラストルム、種族の違う者同士。確かに今の世界は魔族種テラストルムを受け入れた。けれど、まさか本当にこんな日が来るなんて。

「あの、えっと。本当ですか?」

 わたしは二人に確認する。全部エレセリアの勘違いということもあるし、その逆もある。

 だから、わたしは本人達の口から直接聞きたい。

「……はは、参った。隠してたつもりなんだけどな」

 と苦笑いをしながらリアコスさんは言った。

「それはつまり?」

「ああ、エレセリアさんの言うとおり、俺とケルティはそういう仲だ」

 わたしは硬直する。

 そして、ギコチナイ動きで顔ごと視線をエレセリアの方に向ける。

「あ……ぅ……ぁ……」

「ビックリするなら聞かなきゃいいじゃん」

 そう。わたしはビックリしているのだ。

 驚愕。驚き。唖然。

 種族が違うのに交際していることも驚いたが、一番わたしがビックリしているのは二人の左薬指で輝くリングの存在。

 エレセリアはまだ気付いていないみたいだから、わたしが教えてあげよう。きっとエレセリアも驚くはずだ。

「え、エレセリア……。左手の、くくく」

「クックック。どうした小娘?」

「違う! 悪い顔で笑うの止めて! アレ! アレ見てアレ!!」

「あれ?」

 エレセリアはわたしが指差す、ケルティアさんの左薬指に目を向けた。

「……え、何? お前ら夫婦だったの?」

 眉間にしわを寄せながら言うエレセリア。

 やっぱり、気付いてなかったらしい。

「……式は挙げてないですけど」

 恥ずかしそうにケルティアさんが小さな声で答えた。

 式は挙げてない。つまり結婚はしているという意味。結婚をしているということは夫婦ということ。

「正気? それはさすがに早すぎるよ」

 エレセリアは珍しく心配している様子だった。

 そんな彼女の顔から、わたしは向かい側に座っている二人に視線を移す。

「そうですよ! いくら魔族種テラストルムが正式に種族として認められたからって、まだ二年しか経ってないんですよ!?」

 何でエレセリアとわたしが焦りに似た感情を抱いているのかというと、結婚の時期が早すぎるからだ。

 世界は魔族種テラストルムを認めた。けれど、まだ二年しか経っていない。

 それが重要なんだ。

 交際程度ならよかったが、結婚となると話が違ってくる。

 もしも子供が出来たら尚更だ。それこそ種族会議の題材になりかねない。

 というか、今回の種族会議はそれについて話し合う場だ。

「本当なら『おめでとう』って言いたいところなんだけど。これは素直に祝えない。前例がないしね」

 真剣な表情で言うエレセリアに、リアコスさんが答えた。

「わかってる。それでも俺達は一緒になることを選んだんだ。周りの奴らから何を思われ、何を言われようと俺はケルティを愛し続け、守り続けることを誓ってる」

 素直に格好良く見えた。同時にこんな男の人が存在していることに驚いた。

「そう、そこまで言うならいいんじゃない。あと、勘違いしてるかもしれないから言っておくけど。まだ時期が早いってだけで、別に結婚を否定してるわけじゃないんだ。というか、私はいいと思ってる。獣人種クティーリア魔族種テラストルムが結婚だなんて二年前の世界じゃ考えられなかったことでしょ。でも今後は二人みたいに他種族同士での結婚や婚約が増えると思う。むしろ増えてほしい」

 正直驚いた。

 まさかエレセリアがそんなことを思っていたなんて。

 この世界はエレセリアにとって生まれた場所でも育った場所でもないのに、何でそこまで世界のことを考えてくれるのか不思議でならない。気にかけてくれるのは嬉しいし、ありがたい。

 でも、その理由がわたしにはわからない。

「近い将来、式挙げられるといいね」

 エレセリアがそう言うと、ケルティアさんはちょっと照れながら笑顔で言い返す。

「はい、ありがとうございます。その時はお二人を招待するので是非来てください」

「暇だったらね」

 またエレセリアはそうやって曖昧な返答をする。

「安心してください。エレセリアはわたしが連れてくるんで」

 少し誰かに睨まれた気がしたけど、気にしないでおく。

 ケルティアさんとリアコスさんの結婚式。どんなに忙しくても必ず時間を作って来よう。

「じゃ、そろそろ何か頼もうか」

 リアコスさんからメニュー表を受け取り、わたしは何を注文するか悩み始める。

 時間的にはお昼前だけど、まあいっか。

 さて、わたしは何にしようかな……。

 わたしがメニュー表を見つめていると、横からエレセリアがメニュー表を覗き込んできた。

「え、何ですか」

「ん」

 彼女の人差し指はとあるメニューを指していた。

「?」

 わたしはエレセリアの意図がわからず、首を傾げる。このメニューがどうしたんだろう。

 すると、彼女は小さな声で『これ何?』と聞いてきた。

「これ? えっと、エスカルゴですね。それがどうかしました?」

「エスカルゴって何?」

 ……ん? エスカルゴを知らない?

 冗談かと思ったけど、よく考えればエレセリアは別の世界から来た異界人だった。この世界の食べ物を知らなくて当然だ。

「そうですね。エスカルゴは……かたつむりって言えばわかります?」

「かたつむり? ……あ、ああ、アレね。殻付きのナメクジね。へぇ、この世界は殻付きナメクジ食べるんだ」

 殻付きナメクジと言われ、わたしはエスカルゴを食べられなくなった。

 よく考えたらエスカルゴって身を食べるわけで。その身って殻から取り出すとナメクジと大差ないわけで……。

 今まで平気でエスカルゴを食べていたけど、もう食べられないと思う。美味しいけど、ナメクジが頭に浮かんでしまう。

「で、アンタ何にすんの? 殻付きナメクジ?」

「いえ、エスカルゴはいいです……」

「私はこれにしようかな。このボロネーゼってヤツ、あと生ハム」

 どうやらエレセリアはパスタと生ハムにするようだ。中々パスタもいいな、と思いながらわたしはメニューに向けられている視線を動かした。

 パスタ以外にはサンドイッチやドリア系か……。よし、これにしよう。

「わたしはこの半熟卵のドリアで」

 メニュー表に載っている絵を見る限り美味そうだし、値段もお手頃だ。これくらいの額なら気にせず奢ってもらえる。

「エレセリアさんとイリニスさんは決まりでいいかな?」

 ほぼ同時にわたし達は頷いた。

「俺はもう決まってるけど、ケルティは決まってるか?」

「決まってます」

「そうか、じゃあ注文しよう」

 リアコスさんが手を上げると、店員である老夫婦の森巫種エルフはすぐに気付いた。カウンターからエプロンを付けている森巫種エルフのお婆さんが手に紙を持ちながら来てくれた。

「注文ですか?」

「はい、注文で」

 リアコスさんはお婆さんにメニュー表を広げ、一つずつ分かりやすくメニューの絵を指差しながら注文を伝えていた。

「――でお願いします」

「かしこまりました。……今日はデートじゃないんだね、そちらの美人さん達は友達かい?」

「はい……と言っても、さっき知り合ったばっかりなんですが」

「へぇ、そうなのかい。人類種ノイアルマの友達は初めてだろう? 大切にするんだよ。あと、美人さんだからって手を出すのは――」

「出しませんから安心してください。俺にはケルティがいるんで」

「ふふ、そうだね。もしケルティアちゃんを泣かせたりしたら出禁にするからね。では、ごゆっくりどうぞ」

 一礼すると、お婆さん森巫種エルフはカウンターへ戻って行った。

「あのお婆さんと知り合いなんですか?」

 わたしはリアコスさんに聞く。

「俺とケルティはこの店の常連客だからな。自然と話すようになったんだ」

「そうなんですか」

 つまり、わたしと近所のパン屋さんと同じような感じか。

「ここは種族のことを何も言わないんだ。他の森巫種エルフがやってる店はケルティと一緒に入れなかったり、冷たい視線を受けたりする。でも、ここは違う」

 だから俺達はよくここに来るんだ。とリアコスさんは付け足した。

「ふぅん、中にはそういう森巫種エルフもいるんだ」

 テーブルに肘を付けて、カウンターでグラスを拭いているお爺さん森巫種エルフをエレセリアは見つめていた。

「ああいうヤツがもっと増えればいいんだけど、そうもいかないんだよね」

 少し困っているような表情でエレセリアは言う。

 ああいうヤツというのは、あの老夫婦のように魔族種テラストルムを差別しない人達のことなんだろうか。

「ところで、二人は何故ハートボンドに?」

「え? えっと……」

 リアコスさんの問いにどう答えるべきなのか、わたしは悩んだ。

 魔王が行方不明になったので探してます! なんて言えないし、やっぱり観光って言っておけばいいのかな。

「か、かんこ――」

「魔王を探してる」

 言いやがったッ!?

 わたしの言葉を遮って、エレセリアは言った。『魔王を探している』と。

 これはあまり人に知られちゃいけないことだと思うんだけど、何でこうもあっさり言っちゃうのかな、この人は。

「え? 魔王? ……魔王ってあの、魔王か?」

 さすがに驚いているリアコスさん。

 ですよね、そりゃ驚きますよね。だって、あの魔王ですもんね。魔族種テラストルムの代表であり、彼に勝る者はいないって言われてた人ですもんね。

 わたしが頭を抱えている隣で、エレセリアはさらに続ける。

「うん、その魔王で合ってる。私達は行方不明になった魔王を探して旅をしてるんだよ。そんでここが最初の目的地だったってわけ」

「………………」

「………………」

 あーあ、二人共黙っちゃった。

「あっ……」

 ケルティアさんが何かを思い出したようで、口を手で押さえながらエレセリアを凝視していた。

「ん?」

 エレセリアは首を傾げ、ケルティアさんを見返す。

「エレセリアさんって、どこかで聞いたことのある名前だと思っていたんですけど……。もしかして、魔王様を倒したあの……?」

 あ、素性がバレた。

「だったらどうする?」

 ニヤっと笑いながらケルティアさんを見つめ返すエレセリア。わたしは頭を抱えて、伏せている。

 もうどうにでもなれ!

 そう心の中で叫んだ。

「……ありがとうございます」

 ん?

 何でケルティアさんは『ありがとうございます』って言ったの?

 わたしは伏せていた顔を上げ、ケルティアさんに視線を向ける。

「何でお礼なんて言うの? 私は魔族種テラストルムを敗戦に追い込んだ張本人だよ?」

 エレセリアもお礼を言われたことに少し驚いている様子。

 そんな驚いているエレセリアとわたしに、ケルティアさんは言った。

「エレセリアさんがいなかったら、私は魔族のままでした。だから『ありがとうございます』と言ったんです。……それに私だけじゃない、全魔族種テラストルムは貴女に感謝しているはずです。貴女のおかげで私達は救われましたから」

 確かに敗戦したからこそ魔族は魔族種テラストルムになった。

 もしもあのまま戦争が続いて、エレセリアがいなかったら、敗戦していたのはわたし達の方だったと思う。

「でも、戦争に負けたんですよ?」

 わたしは思わず言ってしまった。

「負けてよかったんですよ。負けたから、今があるんです」

 とケルティアさんは笑顔でわたしに言い返す。

 わたしは敗戦しちゃいけない、って思いながら戦っていたから、ケルティアさんの言う『負けてよかった』という言葉が斬新に感じる。

 そこのところ、エレセリアはどう思っているんだろう。

 戦争を終わらせた件について。何を考えているのだろう。

 わたしの視線に気付いたのか。エレセリアはふぅ、と息を吐き出すと口を開いた。

「まあ、別にいいんじゃない? 今がよければ過去なんてさ。過ぎ去った時間は戻らないし。今がよければそれでいいじゃん」

 面倒くさそうだったエレセリアの表情が一瞬で変わり、真剣な顔つきになった。

「でも、まだ魔族種テラストルムが住みやすい世界にはなってない。この世界にはまだ課題が山のように残ってる。その山のように積み上げられている課題を一つずつ確実に解決していけば、いつか必ず魔族種テラストルムが他の種族と対等の立場になれるはずだよ。その為に魔王は頑張ってるし、私達も協力してる。だから私にお礼を言うなら、全部片付いた後にしてほしいかな」

 さすが勇者(元魔王)様、言うことが違う。

 エレセリアから視線を外して、わたしはケルティアさんを見た。

 すると、彼女の瞳からポタポタと涙が溢れていた。

 少し動揺したけど、その涙が悪い意味のモノではないことを理解できたから、わたしは何も言わずにケルティアさんを見続ける。

 そしてリアコスさんに肩を抱かれ、両手で顔を覆い隠すケルティアさんは震える声で言った。

「ありが……とう」


        †


 食事を終えたわたし達は、食後のお喋りをしていた。

「本当にすみません、突然泣き出してしまって。でも凄く嬉しくて」

 そう申し訳なさそうに言うケルティアさんに、エレセリアは言った。

「まさか泣かれるとは思ってなかったけど、これで私の言葉が心に響くことが証明されたよね」

 とちょっと嬉しそうなエレセリア。

 リアコスさんとわたしは二人を見つめ、同時に苦笑する。

 そんな穏やかな雰囲気のわたし達に近付いてくる人影が四つほどあった。

 わたし達が座っている席の前で立ち止まると、金髪で耳の尖った彼はリアコスさんに声を掛ける。

「やあ、リアコス」

「……アルフォイ。何でお前がここに?」

 アルフォイと呼ばれた森巫種エルフの男性。どうやらリアコスさんの知り合いらしい。

 でも、雰囲気から察するに。仲がいいというわけじゃなさそうだ。

 それもそうか、彼らは獣人種クティーリア森巫種エルフだもんね。

 アルフォイはリアコスさんの隣に座っている、ケルティアさんに視線を移した。

「何だリアコス。まだそんな汚れた血と一緒にいるのか、いい加減目を覚ましたらどうだ?」

 耳を疑った。

 森巫種エルフは混血を〝汚れた血〟と呼ぶと聞いたことはあったけど、まさか本当に言うなんて。しかも本人の目の前で。

 バンッ! とテーブルを叩き、大きな音を出したリアコスさんは勢いよく立ち上がった。

「アルフォイ、俺の前でよくそんなことが言えるな!」

「何だよ、リアコス。オレは当然のことを言ってるだけだぜ?」

 悪びれる様子もなく、そう答える。

 森巫種エルフからすれば――いいや、他の種族からすれば魔族種テラストルムと結婚している獣人種エルフなんて異常でしかない。

 アルフォイだけじゃなく、他の誰もが彼と同じことを言うと思う。

 目を覚ませ、って。

 でも、それは違う気がする。戦争は終わって、混血の魔族は魔族種テラストルムになったんだから。

 ――だから、わたしは立ち上がった。

「おかしいと思います!」

 全員の視線がわたしに、わたしだけに集まる。

 そして、ちょっと後悔した。何で立ち上がってしまったのだろうかと。

 痛い。視線が。とても痛い。

 座りたい。でも立ち上がった挙句、『おかしいと思います!』なんて言ったんだ。そのまま座れるわけがない。何か言わないと……。

「あ……あの、その」

「何だ、このサルは。リアコス、お前の知り合いか?」

 こうやって森巫種エルフ人類種ノイアルマをサルと呼ぶ。確かに似ているかもしれないけど、失礼にもほどがあるんじゃないの?

 さすがに『サル』って言われるとイラッってくる。

「誰がさ――」

 ダンッ!! パリンッ!!

 轟音。そして食器が割れる音。それらにわたしの言葉はかき消された。

 テーブルが真っ二つになっていて、テーブルの上に置いてあった皿などの食器は粉々。そんな光景は誰が生み出したのか。

 言わなくてもわかる。もちろん彼女の仕業だ。

「ねぇ、何でさっきから頭に来ることしか言えないの? 狙ってるの? 怒らせようとしてるの? 本当にムカつくんだけど。人が黙って聞いてれば何さ。『汚れた血』とか『目を覚ませ』とか『サル』とかその他もろもろ。ムカつくんだけど」

 これは不味いことになった。エレセリアが本当に怒ってる。

 知ってるんだよ、わたし。エレセリアは本当に怒ってる時、笑うことを。今のエレセリアは口元が緩んでいる。

 つまり……本当の本気で怒ってる!

 どうしよう、どうすればいいんだろう……。

「え、エレセリア落ち着いて!」

「ははは、私は落ち着いてるよ? イリニスこそ落ち着いたら?」

 ヤバイ。笑い始めた。

 沸点が低いわけじゃないんだけど、エレセリアはどこで怒るかわからない。そして一度怒ったら、そう簡単に怒りは鎮まらないんだ。

「ふ、ふふ」

 笑い続けるエレセリア。

 そんな異様な彼女をアルフォイやリアコスさん達が見つめる。

「何だこのサル。頭おかしいのか?」

 バカヤロウ! これ以上怒らせてどうするんだ!

 恐る恐る、わたしはエレセリアに視線を向けた。

 はい、笑ってます。笑顔です。

 その笑顔はまるで女神そのものだ。画家が見たらすぐにスケッチを開始して、絵に残そうとするだろう。

 だが、その笑顔は怒りに満ちた表情なのだ。

「ふふっ」

「!?」

 満面の笑みでエレセリアは、アルフォイの首に黒い剣を押し付けた。スゥっとアルフォイの首から赤い液体が流れ、その場にいた全員が動くのを止める。

「今すぐ帰れ」

 さっきまで笑みに満ちていたエレセリアの顔は落ち着き払った表情になっていた。

「お、お前……どこから剣なんて」

「うるさい、そんなことどうでもいい。帰るか、今ここで首なしになるか。どっちだ? もちろん、私のオススメは首なしの方だぜ」

 剣の刀身を見つめ、アルフォイは後ずさる。

「……その顔覚えたぞ、クソザル!」

 そう言い残し、アルフォイは取り巻き達を連れて、店から出て行った。

 彼らを見送ったエレセリアの手元から、黒い剣は元々なかったかのように光となって消える。

 わたしは安堵の息を漏らし、力なく椅子に座り込んだ。

「もう、本当に勘弁して……」


        †


 あの後、わたしは森巫種エルフの老夫婦にお金を渡した。真っ二つになったテーブルと、粉々になった食器の弁償として。

 その後、ケルティアさんとリアコスさんと別れて、わたし達は宿代わりの列車に戻った。

 エレセリアとわたしが列車に着いた頃には、もう日が暮れていた。


        †


「はぁ……」

 自然とため息が出た。

 ベッドに飛び込んだわたしは、ふかふかの上で脱力する。

「疲れた。本当に疲れた」

「アンタまだ若いでしょ。それに、そんな疲れることしてないと思うけど」

 ソファーに座っているエレセリアがそう言った。

 というか、誰のせいで疲れてると思ってるんだ。自分の胸に手を当てて、じっくり考えてみてほしい。

「じゃ、風呂入ってくるね」

「どーぞー」

 うつ伏せのまま答える。

 シャワーの音が微かに聞こえる中、わたしは目を閉じた。

 今なら心地よく眠れそうだ。お風呂は起きたら入ればいいや。


        †


 トントン。

 誰かがわたしの肩を軽く叩いている。

 トントントン。

 うざい、もう少し眠らせて。

 トントントン……ムニュ。

「ひっ!!?」

 わたしは飛び起きた。

 ベッドから離れ、上がっている息を整える。

「なっ……な、何をするんですかっ!!」

「だって、起きないんだもん」

「起きないからって胸を揉んでいいことにはなりませんからねっ!!」

「でも揉んだら起きたじゃん」

「そ、それは……」

 確かにそうだけれども、だからっておっぱいを揉んでいいことにはならない!

「んなこたぁどうでもいい!! 胸を揉むのはダメなの!!」

「えー」

「えーじゃない!」

「ちっ」

 舌打ち……だと……!?

「舌打ちもダメ! っておい! 聞いてないでしょ!?」

 エレセリアは魂が抜けたような顔をしていた。全く人の話を聞いていない表情だ。

「……ハッ! 聞いてた聞いてた」

「ウソ! 今『ハッ!』ってなってた! 『ハッ』って!」

 エレセリアはいつもどおりの表情で言う。

「この女うるせぇな」

「アンタのせいだ!」

 タオルで髪を拭きながら、エレセリアはソファーに腰掛けた。着ているバスローブはこの部屋に元々用意されていたモノだろう。エレセリアがバスローブなんて持ってくるわけないし。

「何ジロジロ見てんのさ」

「いえ、別に」

「風呂入ったけど、まだ晩飯まだなんだよね。どうしようか」

 そうだった。言われて思い出したけど、夜ご飯まだだった。

「どこか食べに行きます?」

「えー外出るの?」

「じゃあ、どうするんですか?」

「買ってきて」

「イヤです」

 自分が外に出たくないからって、買ってこいって。わたしは後輩か!!

「んじゃ、仕方ない。何か作るか。冷蔵庫の中に食材入ってたし」

「え!?」

 凄い勢いでわたしはエレセリアに近付く。

「……何? そんな眼ギラギラさせて」

「作るんですか!?」

「そう、だけど……何?」

「わたしの分はありますか!! てか、ありますよね!!」

 はぁ、とため息をした後、エレセリアは数回頷いた。

「わかったわかった。アンタの分も作ってあげるよ」

「やった!」

 わたしはキッチンへ向かうエレセリアに付いて行く。ここは一両丸ごと部屋だから細長い作りになっている。

 キッチンは綺麗に整理されていて、わたしの家とは大違いだった。しかも置き方すら美しい。

「何を作るんですか?」

「ん、まあ、ある物をテキトーに使うかな」

「………………」

 食材を探し始めたエレセリアを無言で見つめる。

 何作ってくれるんだろうと思いながら。

 すると、軽く睨まれた。

「アンタ作れないんだから、あっち行ってなさい」

 確かにわたしは料理があまり得意ではない。

 ……嘘、苦手です。

 何度かエレセリアに料理を教えてもらったことがあるけれど、何故か上手く出来なかった。そして『もうキッチンに立つな』とエレセリアに言われた。

「はーい」

 そう言って、わたしはベッドに戻る。

「何作ってくれるのかな」

 エレセリアが料理をしている間に、わたしはテーブルの上でも片付けようかな。

「と思ったけど、何も置いてなかった」

 ……何もやることがない。

 どうしよう。本当に何もすることがない。

 エレセリアがご飯を作ってる間、わたしは一人でただ待っているだけ。何を作っているのかもわからず、ただ料理が完成するのを待つばかり。

「よし、寝よう」

 わたしは再びベッドの上で目を閉じた。今度はうつ伏せじゃなく、仰向けの状態で寝る。

 多分、エレセリアなら起こしてくれる。わたしはそう信じてる。わたしを起こさないで一人で食べるなんて彼女はしないはずだ。

 ……するかもしれない。

 でも、他にすることもない。

「エレセリアなら起こしてくれるよね?」

 わたしはベッドに体を預け、全身の力を抜いた。


        †


 トントン。

 肩を軽く叩かれている。

 トントントン。

「ん……」

 けれど、わたしはまだ眠っていたい。だから無視をする。

 わたしは起きてません、まだ眠ってますよ。

 トントントン……ムニュ。

「ひいっ!!?」

 わたしは飛び起きた。ってこれどこかで見たことある!!

 ベッドから素早く離れ、わたしは荒くなっている息を整える。

「はぁ、はぁ、んっ……はぁ」

 警戒心しかない視線をわたしは彼女に向けた。

「何度言えばわかるんですか!」

「何が?」

「胸を揉んで起こすのはダメ!」

「ちょっと言ってる意味がわからない」

「わかる! 意味わかるよ! 理解して!!」

「うるさい。早く食べないと冷めるよ」

「いただきますっ!!」

 そう言って、わたしは急いで席に着いた。

 テーブルの上に置かれた木製の器には野菜や肉が入った白い液状のモノ、それがエレセリアの作ってくれた料理だ。

 その食欲をそそる匂いは部屋中に漂い、わたしの口内を濡らす。

 エレセリアはテキトーにある物を使うと言っていたが、並んでいる料理はとてもテキトーに作られたようには見えない。

 何をどうすればこんな料理になるのか不思議だ。

 わたしはヨダレを垂らさないようにしながら席に着く。

 こんなご飯が毎日食べられるなら、エレセリアの家に住もうかな。

「テキトーに作ったから、不味いかもしれないよ」

「大丈夫です。エレセリアの料理は美味しいです」

「わざと砂糖と塩を間違えてるかもしれないよ」

 わたしは銅像になった。

 エレセリアという人間はそういう失敗をしない。だがしかし、わざとなら話が違ってくる。彼女ならわざと失敗を演じることが出来るのだ。

 テーブルの上に並ぶエレセリアの手料理達を、わたしは真剣な表情で見つめる。

「はは、嘘だよ。安心して食べな」

「ですよね」

 安堵の息を漏らす。

 よかった、疑いながら食べたくなかったし。

「じゃ、改めていただきまーす」

 シチューが入っている木製の丸い器に手を伸ばし、テーブルの上に用意されていたスプーンで中身をすくう。

「熱いからね」

 そう言われたが、わたしはすぐシチューを口に運んだ。

「ッ!!?」

 熱かった。

 とてもじゃないが飲めない。口が焼ける。

「ぁああ……」

「だから言ったのに。ほら、これでも飲んで口冷やしな」

「ふぁりふぁとうふぉふぁいふぁふ」

「はいはい、ありがとうございますね。どういたしまして」

 エレセリアから受け取ったコップを口に運び、そのまま一気に中身を流し込んだ。

 だが、戻しそうになった。

 何だこれは。苦いぞ。しかもシュワシュワしてるぞ。

 吐き出そうにも吐き出せず、わたしは我慢して飲み込んだ。

「……オェ」

 この苦さ、そしてこの喉を攻撃するシュワシュワ……それらを併せ持つ飲料。

それは――

「ビールだ、これ」

 間違いない、ビールだこれ。

「うん、そうだよ。冷蔵庫に入ってたビール」

「オエ……」

 わたしはビールが飲めない。そもそも炭酸飲料がダメなんだ。喉をシュワシュワするあれが無理。だから自主的に炭酸飲料を飲むことはあまりない。

「……不味い」

「はぁ? お前ビール舐めてんの?」

 凄く睨まれた。

 ビール好きの前で、ビールを不味いと言うのはまずかった。

 マズイのダブルパンチだ。

「だ、だって……」

 というか! この人はわたしが炭酸系全般ダメないこと知っているのに! 何でビールを出した! 

 そうか! わざとか! 確信犯か!!

「美味しかったでしょ?」

 と笑顔で言うエレセリア。ゴゴゴゴッっていう効果音が背後に見える。

 もうわたしに選択肢はない。

「……オイシィ」

 もう泣きそうな声だった。

 炭酸無理だって知ってるのに、普通飲ませるかね。

 知ってるよ、エレセリアは普通じゃないってことくらい。

 わかってるよ、もう二年の付き合いだからね。

「アハハハハッ」

 と笑うエレセリア。彼女が楽しそうでわたしは満足です、はい。

「もう一口飲む?」

 とてつもない勢いで首を左右に振った。それだけは、それだけは勘弁してください。お願いします、本当に。

「あっそう。じゃあ、こっち飲んでな」

 エレセリアは別のコップをわたしに渡した。

「あ……水」

「水なら飲めるでしょ?」

「はい、ありがとうございます」

 エレセリアは何だかんだ優しいんだ、もちろん意地悪をする時の方が多いけど。

 受け取ったコップに唇を付け、わたしは水を流し込む。

 その後は、どうでもいい話を語りながら食事を楽しんだ。

 特に意味のない話題を膨らませて、笑い合う。そうしているとわたしが持っていた木製の器からシチューが消えていた。

 おかわりした。


        †


「さて、飯も食い終わったことだし。今日の出来事について語り合おうか」

「あ、やっぱり話します?」

「当然。一応、魔王探しっていう名目で旅してるわけだしね。旅先で何が起きたのか、ジジイに報告する必要があるでしょ」

「驚いた。エレセリアがそんな真面目なことを言うなんて」

「まあ、真実を報告するとは言ってないけどね」

「ですよねー」

 あはは、とわたしは苦笑する。

 それにしても、今日一日だけで多くの出来事があったなぁ。

 エレセリアが入れてくれた紅茶を飲みながら、わたしは今日一日を思い返す。

 ケルティアさんやリアコスさんと出会って、アルフォイというプライドの高そうな森巫種エルフとも出会った。

 まだ魔族種テラストルムが世界に馴染んでいないことを目の当たりにしたし、その中でも種族を超えた愛があることも知れた。

 ティーカップをテーブルの上に置いて、あくびをしている彼女に視線を送る。

 エレセリアの首元で輝く大きさが違う二つのリング。それに視線が吸い寄せられて離れない。

「ねぇ、エレセリア」

「ん?」

「そのネックレスは指輪ですか?」

 初めて会った時からエレセリアはあのリングを首に掛けていた。それがとても大切なモノだということは雰囲気でわかっている。

「これか……そうだね。指輪だよ」

「あ、やっぱりそうだったんだ」

 前にも何度か聞こうとしたことがあったけれど、何となく聞けなかったんだよね。

 でも今なら答えてくれそうだし、全部聞いてみよう。

「どういう指輪なんですか? ずっと身につけてますけど」

「どういう? んー、まあ、結婚指輪的な。というか結婚指輪そのものなんだけど」

「あー結婚指輪ね、うんうん……うん?」

 ちょっと待て。

 あれ? 今何の指輪って言った? わたしには『結婚指輪』って聞こえたけど。

 確かにケルティアさんとリアコスさんの左手薬指にあった、シルバーの指輪に似てるけれども。エレセリアが結婚指輪を持ってるなんて、そんなバカなことが……。

「この小さい方が私ので、こっちのデカイ方が相方の指輪」

「相方……?」

 首を傾げるわたしを見たエレセリアは首からリングを外して、小さい方の指輪を自分の左薬指にはめた。

「ほら、ピッタリ」

 そう言うと、エレセリアはわたしに指輪を付けた左手を見せつけてくる。

「ゴメンネ、私はアンタみたいな小娘と違って婚約者がいたもので」

 なんという勝ち誇った顔。そして、なんという敗北感。

「ウソだああぁぁぁっ!!!」

 わたしは襲い掛かるように詰め寄った。

「そんなバカなことあるわけない! 絶対にウソっ!!」

 そうさ、ウソに決まってる!

「アンタみたいな小娘とは違うんだよ」

「んなっ」

 さらに勝ち誇った、勝者だけが許される余裕の笑み。

「ところで、イリニスさんは男と手を繋いだ経験はお有りで?」

「…………ない、ですけど」

「ぷっ」

「笑うなし! これからだし! まだ全然遅くねーし!!」

「あのね、恋ってのはね。待ってるだけじゃ駄目なんだよ? 自分から動かないと何も始まらないんだよ?」

 おっしゃるとおりです、はい。

 ……あぁ、涙が溢れそうだ。

「イリニスは今年いくつになるんだっけ?」

「……二十歳ですけど」

「二十歳で異性と手を繋いだ経験がない!? これはもう行き遅れパターン確定だわ。合掌」

「合掌しないで! わたし行き遅れないからっ!!」

 エレセリアの肩を掴んで、前後に強く大きく揺らす。そんな揺れすぎている彼女にわたしは言う。

「いつか! 絶対に! いい人と出会うもんね!!」

「はい来た運命デスティニー論。白馬の王子様が迎えに来るとか本気で思ってるパターンの小娘。こりゃもう手遅れだわ」

「手遅れじゃないっ!! まだ遅れてないっ!!」

 そう反論するが、エレセリアの余裕な表情がわたしの心を貫く。

 そして彼女は畳み掛けるように言った。

「現実を見ようよ、ね?」

「みみみ、見てるしぃ……見えてるしぃ……」

 震え声での反論。これが精一杯だった。

「てか、まずお前、人と関わるの苦手でしょ。よく見るんだよね、お前が一人で飯食ってる寂しい姿をさ。あれ何て言うの? ぼっち飯?」

 エレセリアの肩から手を離して、わたしは数歩後退。そして停止。

「あの……それは……」

 傷に塩を塗って来てるよこの人。誰か止めてお願い。

「何で一人寂しく飯食ってんの? 友達いないの?」

「と、友達くらいいますよ!」

 何を言ってるんだ! 確かにわたしは一人でご飯を食べるけど、友達がいないわけじゃないんだぞ! 失礼な!!

「誰?」

「誰? えっと……」

「あっ、もういいよ。指で数え始めた時点で察したから。ごめんね、聞いちゃいけないことだったね」

「何でそんな眼でわたしを見るのっ!!?」

 凄い同情されていた。可哀想なモノを見る眼だった。

「人には……触れちゃいけないことの一つや二つあるよね」

「大丈夫! 触られても平気! おいで!!」

「は? 行かねぇよ」

「………………」

 拒否された。拒絶された。

 そんなわたしは両手を広げた状態で立ち尽くす。

「いくら待っても行かないよ」

 ……ぐすん。

 鼻をすすった。理由は悲しいから。

 両手を下ろし、わたしはベッドへ向かう。トボトボと歩き、げんなりした体勢のままベッドにダイブ。

 もうふて寝の泣き寝だ。

 そうやって枕に顔を埋めていると、エレセリアが立ち上がった。

 どうやらソファーに移動したみたいだ。

「この指輪を私に押し付けたヤツの名前はクレド。初めて会った時のクレドはレジスタンスのリーダーだったっけ」

 とエレセリアが過去語りを始める。わたしはそれに驚きを隠せず飛び起きた。

「え!? 話してくれるんですか!!」

 エレセリアが元の世界でどういう生活をしていたのか、どういう時間を過ごしたのか、聞いても毎回濁されて教えてくれなかった。

 でも今回は違う。なんと、エレセリアから過去を語ってくれるんだ。こんな嬉しいことはない。

「………………」

「あっ……、すみません。黙って聞きます、はい」

 エレセリアに睨まれた。

 てめぇ、話の折ってんじゃねぇよ。と言いたそうな表情で。

「次腰折ったら、二度と話さないから」

「大丈夫です! 黙って聞きます!」

 わたしに疑いの眼差しを送った後。エレセリアは過去語りを再開してくれた。

「私が率いていた革命軍と、クレド率いるレジスタンスが衝突したのは雲一つない快晴の時だった」

 この時点でわたしの頭上に『?』が現れる。〝革命軍〟や〝レジスタンス〟なんて初めて聞いたし。何なのそれ状態。

 でも、わたしは黙って話を聞いている。腰を折ったら話してくれなくなるから。

「今となっては何で衝突したのか覚えてないけど、結果は私率いる革命軍の勝利だったんだよ。それでクレドを捕虜として雑に招いたわけ」

 丁重じゃなく、雑に招いたんだ……。

 今も昔もエレセリアはエレセリアだったということか。

「とりあえず捕虜にしたけど、クレドは中々使えるヤツでさ。傍に置いておいたわけよ。すると自然に会話が増えて、話してる内にクレドと私の目的が同じことに気付いたんだ。そこから革命軍とレジスタンスの合併は早かった」

 そう、エレセリアは懐かしそうに言った。

「一緒に戦うようになって、背中を任せるようになった頃かな。求婚されたのは」

「え、プロポーズですか!?」

「そうだね。『この戦いが終わったら結婚してくれ』って言ってきやがったんだよ、あの野郎」

「それで、エレセリアは何て答えたんですか?」

 わたしがそう聞くと、彼女は二つの指輪を見せてくる。

「裏切ったら殺すって言って、この指輪を受け取った」

 こ、これが婚約というヤツか……。

 エレセリアが持っている二つの指輪に、憧れに似た眼差しを向ける。そして、疑問に思い、気付いてしまった。

 何故、クレドさんの指輪をエレセリアが持っているのか。

 何故、エレセリアは指輪を付けていないのか。

 彼女が二つの指輪を持っている時点で、わたしは気付くべきだった。

「……でも、結婚する前にクレドは死んだんだ」

 二つの指輪を大切そうに握ると、エレセリアはいつもどおり首に掛けた。

「あの、その」

 わたしは彼女に何か言おうとしたが、何て言葉を掛ければいいのかわからず。黙ってしまう。

「何て顔してんのさ。別にもう過ぎたこと。もう立ち直ってるし、今ではいい思い出だよ。だからアンタが泣く必要はない」

「だっでぇ……」

 気付いたら、わたしは泣いていた。それはもう豪快に。

「ちょ! 鼻水垂らしたまま近寄るな! 拭け! 今すぐ涙と鼻水を拭け!!」

 そう言われたけれど、わたしは彼女に抱きついた。とてつもなく嫌がられているのは重々承知だ。

 でも抱きつきたかったのだから仕方ない。

「は な れ ろ!!」

「うわあああぁぁあぁぁんっ」

 涙と鼻水をエレセリアの胸で拭いた。

 もちろん、殴られた。


        †


 あの後、号泣しているわたしを強引に引き剥がしたエレセリアは、ちょっと機嫌が悪くなった。

「アンタのせいで服が濡れてるんだけど。ネバネバしてるんだけど」

「すみません。ごめんなさい。もうしません。許してください」

 ひたすら謝った。

 エレセリアはわたしの涙と鼻水が付いた服を脱ぎ捨て、新しい服に着替え始める。

 凄く睨まれている気がするが、気にしないでおこう。

「次やったら吊るすから」

「はい、すみませんでした」

 深々と頭を下げる。それはもう床に着くほど。

 そんな額を床に着けたまま、わたしはエレセリアに質問をした。

「あの、クレドさんと出会ったのはエレセリアが魔王になる前ですか?」

「そうだけど」

「革命軍とレジスタンから、何で魔王になったんです? その道のりというか、過程がいまいちピンと来ないんですけど」

「何となく成り行きでそうなっただけさ。もちろん最初は魔王になるつもりなんてなかった。……やっぱり、私の人生が変わったから魔王になったのかもしれない。アイツと会ったから変ったのか、変ったからアイツと出会ったのかわからないけど」

 顔を上げて、ソファーに座っている彼女を見つめた。

 寂しそうで、悲しそうな表情をしている。そんなエレセリアを見るのは初めてだ。

「さて、今日はもう寝ようかな」

「え!? エレセリアの過去語りは? まだまだ謎だらけですよ!?」

「うるさい。もう話す気分じゃない。お休み」

「あっ……」

 電気を消された。真っ暗だ、何も見えない。

 その後、ベッドに辿り着くまでの道のりで、わたしはいくつか体にあざを作った。


        †


 トントン。

 誰かがわたしの右肩を軽く叩いている。

 トントントン。

 あ、これ起きないとまた――

 ムニュ!!

「ひいっ!!?」

 両乳に強い力を感じたわたしは飛び起きた。

 即座にベッドから離れ、周囲を警戒する。

 またやった。あの人、またやった。

「何度言えばわかるんですか!!」

「どう? ダブルだったから目覚めの早さ二倍でしょ」

「そんなことはないっ!!!」

 声を荒げ、わたしは私服に着替え終えているエレセリアに言った。

「何でエレセリアはいつもいつも変な起こし方するんですか!」

 今日こそは許さないぞ。

 わたしだって怒る時は怒るってことをエレセリアに教え――

 ドンドンドンッ、とドアを強く叩く音が部屋に響き渡った。

 こんな朝早く誰だろう。何か急いでるような感じの叩き方だったけど。

 無言でわたしはエレセリアを見た。すると彼女は視線だけでわたしに訴えてくる。お前が行け、と。

 はいはい、わかりましたよ。

 はぁ、と息を漏らして、わたしはドアを開けに向かった。

「………………」

 ゆっくりと覗き穴に右目を近付ける。

 ドアの向こう側にいたのは、赤い髪を乱して、肩を縦に動かしながら息をしている、金と青という二色の瞳を持つ女性。ケルティアさんだった。

 でも、何でケルティアさんがここに?

 というか、何でわたし達の居場所がわかったの?

「誰だった?」

「え? あ、ああ。ケルティアさんでした」

「なら早く入れてあげなよ。何か切羽詰まってる感じだったし」

 そうだった。何か凄い急いでる感じだった。

 わたしは急いで鍵を外し、ドアを開けた。

「ケルティアさん、どうしたんで――」

「二人共、大丈夫ですかっ!?」

 お、おうふ。開けたら凄い勢いで入って来た。

 ケルティアさんの異常な雰囲気に何かを感じ取ったのか、エレセリアは落ち着いた声で言った。

「とりあえず座って。落ち着いたら話聞くから」


        †


「えええぇぇっ!!?」

 わたしは驚きの声を上げた。

「うるさい。座れ」

「あ、はい」

 エレセリアに言われ、わたしは大人しくソファーに座り直す。

 わたしを睨みつけた後、エレセリアは視線をケルティアさんに移した。

「ねぇ、それ本当なの? 火薬が見つかったって」

「はい、それも相当の量が見つかりました」

「それで、その火薬を持ち込んだ犯人候補が私達?」

「はい」

「ふざけんなよ、何も持ち込んでなし。何で疑われなきゃいけないんだよ」

 腕を組み、足を組んで眉を寄せるエレセリア。

「っていうかさ、何でそんな騒いでるの?」

「ここ神樹の森は過去に一度だけ、火薬による大火災が起きてしまったんです。だからだと思います」

「あ、それ知ってます。確か森の半分が燃えちゃったんですよね」

「半分? 半分だけ?」

「いやいやいや、半分もですよ!?」

 何を言ってるんだこの人は。神樹の森の半分が燃えたっていうのはとてつもないことなんだぞ!!

「エレセリア、この神樹の森は38万メーディーなんですよ! その半分が燃えたって歴史に残る大火災ですよ!!」

「いや、メーディーって言われてもわからないし」

 そうだった、エレセリアはこの世界の住人じゃないから面積の単位を言ってもわからないんだ。じゃあ、どうすれば……。

「そうですよ! わたし達が住んでる国の7倍の広さですよ!!」

 わたし達、人類種ノイアルマが治めている領土の7倍と言えば理解してくれるはずだ。

「え、それクソ広くない?」

 とエレセリアは目を丸くしながら言った。

「そうなんですよ! 広いんですよ!」

 よかった、エレセリアが理解してくれた。これで話が進める。

「そんな広い森の半分が燃えたって、それいつの話? 私が来る前だよね」

「はい、かれこれ三〇〇年くらい前になりますかね」

「はぁ? 三〇〇年前? 大昔じゃん、本当なのそれ」

「本当ですよ! 〝炎の森〟って呼ばれるくらい凄かったんですから!」

「実際に見たことあるの?」

「……いえ、ないですけど。でも、過去について書いてある本で読みましたし」

 はぁ、と息を漏らし、やれやれ、と首を振るエレセリア。

「過去について書かれてる本ってのはね、捏っち上げられるんだよ」

 確かに小さい頃、わたしは日記を捏っち上げた。書いた本人のわたしは嘘だとわかるけど、他の人が見てもそれが本当なのか、嘘なのか判断出来ない。

「で、でも、神樹の森が燃えたのは凄く有名な話で……。多分、全種族が知っていることで……」

「もういいよ、昔に何が起きて、どうなったのか興味ないし。今の話をしよう。ね、ケルティア?」

「え? あ、はい、私もそう思います」

 いきなり呼ばれたケルティアさんは少し驚きながら答えた。

「さて、話を整理すると……」


1. 火薬が発見された

2. 持ち込んだヤツを探す

3. きっとよそ者に違いない

4. そうだ、人類種ノイアルマが来てたはず

5. ソイツらだ!


「こんな感じかね」

 わー、わかりやすい。

「まず、神樹の森に住む森巫種エルフ獣人種クティーリアが自ら火薬を持ち込むわけがないじゃん。ケルティアみたいに移住してる魔族種テラストルムもいるけど、自分から住む場所を失う真似はしない。となると、自然に外から来たヤツが怪しいってなる」

「なるほど。確かにそうですね。自分の家を焼くことはしないと思いますし」

 エレセリアの隣で、わたしは頷いていた。

 すると、エレセリアはケルティアさんに視線を向ける。

「そういえば、その火薬ってどこから持ち込まれたの?」

「どうやら列車でハートボンドに持ち込まれたみたいで……」

 ん? 列車?

 それって、今、わたし達がいる。列車のこと?

 エレセリアも引っかかったようで、わたしと同じように困惑した顔をしている。

「火薬ってどこから持ち込まれたのかわかる? 列車で運んでたってことは、他の種族が治めてる地域から来たってことでしょ」

「……人類種ノイアルマの国から運び込まれたことがわかってます」

 ケルティアさんの言葉にわたし達は言葉を失った。そして互いの顔を凝視し、首を横に振る。

「わ、わたし達じゃないですよ」

「火薬とか知らないんだけど」

 当然、否定する。だって持ち込んでないし。

 国を出る前に神鋼種ディオスティールが列車に何か積んでいるのを見たけど、あの中に火薬があったっていうこと?

 えっと、これってわたし達が疑われるんじゃ……。

「どど、どうします!? エレセリア!!?」

 わたしは隣にいるエレセリアに言った――はずだった。

 そこに彼女の姿はなく、いつの間にかエレセリアはいなくなっていた。

「エレセリアっ!!?」

 いない!? 何で!? どこ行ったの!!?

 周囲を見渡したが、どこにもエレセリアの姿はない。

 慌てるわたしに、ケルティアさんが困った様子で教えてくれた。

「あの……、エレセリアさんなら、あっちで何か荷物をまとめてるみたいですけど」

 荷物をまとめてる? どうして?

「あっ! 見つけた!」

 エレセリアは部屋の隅で荷物をまとめていた。あの人はどこか行くのだろうか。

「何してるんですか!」

 ん? と視線をわたしに向けたエレセリアはキョトンとした表情をする。

「え? 何で荷物まとめてないの? 早くしな?」

「え?」

 早く荷物をまとめろ? ……どうして?

 何で荷物をまとめる必要があるのか、わたしは考えてみた。

 この後、どこかに行く予定なんてないし。まだ列車は動かない。あと数日、わたし達はここに滞在するはず。

 もうわからないから聞いてみる。

「どこ行くんですか?」

 そう聞くと、エレセリアは眉を寄せて、何言ってんだコイツ、という眼でわたしを見つめてきた。

「逃げるんだよ、今すぐ」

「逃げる?」

 …………。

 逃げる…………?

 …………逃げる? 何で?

「今、私達は火薬を持ち込んだヤツとして疑われてる。実際は私達じゃないけど、それを証明するモノがない。だから逃げるんだよ!」

「!!?」

 逃げる! 逃亡!?

「そそ、そんなのダメですよ! もっと疑われるじゃないですか!!」

「仕方ないでしょ、話を聞くようなヤツらじゃないし」

「うっ……。確かに森巫種エルフ獣人種クティーリアがわたし達の話を聞くとは思えないですけど」

 それでも、逃げるなんてことをしたら『わたし達がやりました』って認めてるのと同じだ。

 逃げるなんて絶対によくない。

「あ、あの……」

 振り返ると、ケルティアさんが立っていた。

「逃げるのはよくないと思います。……だから、ちゃんと誤解だってことを理解してもらって……その」

 エレセリアとわたしは顔を見合わせる。

 そこにいたのは今まで見てきたケルティアさんではなく、まるで別人だった。

 その二色の瞳には強い意志が見え、表情にも表れていた。

 ケルティアさんの思いをわたしは受け止めた。多分、エレセリアも同じだと思う。

 だから、わたしは力強く頷いた。

「エレセリア。わたし達で何とかしましょう」

 ケルティアさんの言うとおり。逃げるのはよくない。

 ちゃんと誤解だってことを証明して、疑いを晴らすんだ。

「……はぁ、やるしかなさそうだね。確かにこのままだと種族間の関係が悪くなるだろうし」

 よいしょ、と呟いて、エレセリアは立ち上がった。

「犯人を捜しに行くぞ」

 …………。

 ………………。

 ……………………。

「え?」

 エレセリアの顔は本気だった。


        †


 ケルティアさんと別れたわたし達は、とある場所に向かっていた。

 でも、わたし達は疑われている身。

 それなのに、エレセリアとわたしは堂々と街中を歩いている。


『ねぇ、あの人類種ノイアルマ達じゃない?』

『え!? 本当なの!? 火薬を持ち込んだって!!』

『誰か憲兵に連絡した方がいいんじゃない?』


 という声が微かに聞こえるし、街中から集まる視線が痛い。

 わたしがこんな思いをしているというのに、前を歩く人はいつもどおりの感じだ。

「エレセリアは何とも思わないんですか?」

「ん? 何が?」

「視線とか……」

「言わせておけばいいんだよ。ああいうヤツらは、自分でどうこうする気なんてないからね。どうこうしようとするヤツは――」

「止まれッ! 動くなッ!」

 エレセリアとわたしの前に何やら剣を持った若い森巫種エルフのが現れた。

 その若い森巫種エルフを指差して、エレセリアは言う。

「こうやって、出てくる」

 そして、続けて言った。

「まあ、出てきても。大半は無力の凡人だけどね」

 エレセリアは若い森巫種エルフの横を平然と通り過ぎた。わたしはそんな彼女の後を小走りで追いかける。

「ま、待てと言ってるだろッ!!」

 森巫種エルフは剣を構えたまま迫ってきた。

 やっぱり、何か言った方がいいのかな。でもエレセリアは無視してたし……。

 考えた結果、無視してエレセリアの後に続くことを選びました。

「待てッ!!」

 それでも彼はわたし達を追ってくる。どうしたらいいんだろう、これ……。

「あ、あの、エレセリア……」

 チラッと顔を後方に向けたエレセリアはため息を漏らした。

「はぁ……」

 そして、若い森巫種エルフに向かい合う。

「剣なんて持ってどうしたのさ。チャンバラごっこならお友達とやってな」

「うるさい! お前らが火薬を持ち込んだのはわかってるんだぞ!!」

「いや、違うし」

「うるさい! 黙れ!!」

 彼は話を聞く気はないらしい。

 というか、そんな態度だとエレセリアが……。

 鋭い目つきになったエレセリアは低い声音で、若い森巫種エルフに言った。

「それ以上は、殺すよ」

 一瞬、寒気がした。周囲の空気が本当に凍り付いた。

 ただの脅しでも、エレセリアのは本当に生命の終わりを直感する。

 さすが元魔王。いつもの彼女に見慣れているせいか、異世界の魔王であることをつい忘れてしまう。

 動けなくなった若い森巫種エルフから視線を外すと、エレセリアは止めていた足を動かし始めた。

 先に歩き出したエレセリアは何かブツブツと言っていたけれど、声が小さすぎて、ほとんど聞こえなかった。

 唯一聞き取れたのは『何でこうなるのかな』という言葉だけ。

 わたしにはその〝こうなる〟が現状を指す意味だってことはわかる。

 そんな彼女の後を追うように、わたしも歩き始めた。

「イリニス」

「はいっ」

 突然呼ばれたから、ちょっとビックリした。

「な、何です?」

「ああいうヤツとは理解し合えない。話し合えない。対話出来ない。関係をよくとか論外。そもそもアイツは私達が〝火薬〟を持ち込んだって決め付けてる」

 何故かエレセリア残念そうだった。

 いや、残念そうというか、落ち込んでるみたいだった。

 エレセリアは何だかんだ、戦闘を好まない。二年前の魔王と戦った時だってそう。

 エレセリアと魔王はお互いに会話をしながら剣を交えていた。

 彼女の後を付いて歩いていると、わたし達は目的地に到着する。

「ここで合ってる?」

「はい、ここがハートボンドの中央。森巫種エルフ獣人種クティーリアが崇める、神樹の種を祀っている社です」

 巨大な二本の木の間に建っている、木で造られた社。その大きさは人類種ノイアルマの国の城とほぼ同じ。

 大きくて、神々しい。さすが神樹の種を祀っているだけはある。

 って、見惚れてる場合じゃない。

 エレセリアとわたしがここに来た理由。それは身の潔白を証明する為。そして、犯人を捜し出す為。

「本当にここに火薬を持ち込んだ犯人がいるんですか?」

 わたしは社を見つめる彼女に聞いた。

 そもそも、ここに来たのだってエレセリアが言い出したからだ。

「言ったでしょ。森に〝火薬〟を持ち込めるヤツはそれなりに権力を持ってるヤツだって」

 それがわからないから聞いてるのに。

「何で権力者ってわかるんです? 民間人かもしれませんよ?」

「それはない」

「何で?」

「民間人が神樹の森に〝火薬〟を持ち込もうとしたなら神鋼種ディオスティールが列車に積む時点で止めてるはず。〝火薬〟を運んだなんてなったら、森巫種エルフ獣人種クティーリアから何を言われるかわからないからね。森巫種エルフは特に」

 そう言われればそうだ。

 森巫種エルフは列車を嫌っているし、神鋼種ディオスティールも嫌っている。そんな森巫種エルフと今以上に関係を悪化させる意味なんてないし、悪化させたくないはずだ。

 だったら何で〝火薬〟を列車に積んで、ハートボンドに降ろしたんだろう。

「私の推測だけど。〝火薬〟を持ち込んだのは森巫種エルフなんだよ。そう考えると神鋼種ディオスティールが黙って〝火薬〟を運んだ理由に合点がいく」

 え? でも何で神樹の森に森巫種エルフが自ら〝火薬〟を持ち込むの?

「ま、持ち込んだ理由は直接聞けばいいさ」

 そう言うと、エレセリアは止めていた足を動かし始める。

 真っ直ぐ、彼女は社の中へ入っていく。

 もちろん、周囲の視線を集めながら。


        †


社の中に入ったエレセリアとわたしは丁重にもてなされ、客間に通されていた。

 テーブルも椅子も全てが木材で出来ている。だからなのか、部屋の中はいい香りがした。

 そして四角い窓からは光が差し込んでいて、鳥のさえずりが聞こえてくる。

「………………」

「……………………」

「…………………………」

 エレセリアの隣に座っているわたしは、緊張しかない部屋の中で唾を飲み込んだ。

 部屋の中にはわたし達以外に、森巫種エルフ獣人種クティーリアがいる。しかも二人にわたし達は会ったことがある。

 彼らはそれぞれの種族で幹部を務めている人達だ。

「君達と顔を合わせるのは終戦後、初めてだね」

 そう言ったのは大戦時、遊撃部隊を率いていた森巫種エルフだった。

 好青年という印象を受けるけれど、実際はボルバーニス8世国王より年上。聞いた話によると、四桁は生きているらしい。

 さすが長寿の種族でもある森巫種エルフ

「お久しぶりです」

 緊張しながらわたしは言った。そして、隣に座っている彼女を肘で突く。

「会ったっけ、覚えてないや」

 会ってるから! 絶対に会ってるから!!

 そう言いたかったが、もちろん言えるわけがない。

 怒らせてしまったのではないか、と不安になりながら視線を彼らに向ける。

 ……どうやら、怒ってはいないみたい。よかった。

「勇者は変わらないね。その態度といい、押し殺している強大な力といい。やはり、僕では勝てそうにない」

 肩をすくめて、苦笑する森巫種エルフ

 そんな彼とは裏腹に、彼女は不機嫌そうだった。

「あんなサルに劣るなんて、屈辱以外の何物でもない。お前はそう思わないのか?」

「君達、獣人種クティーリアはすぐ頭に血が上るね。もう少し冷静に、落ち着いて、大人しく出来ないのかい?」

「なんだと」

 彼女はその鋭い視線を森巫種(《エルフ》に向ける。

 森巫種エルフ獣人種クティーリアって、やっぱり仲悪いみたい。同じ神樹の森を住処にしているはずなのに、どうしてこうも仲が悪いんだろう。

 そんないがみ合う彼と彼女にエレセリアが言う。

「喧嘩するなら私も混ざるよ? 生命の保証は出来ないけどね」

「………………」

「……… ………」

 黙り込み、二人はいがみ合うのを止めた。

 コホン、と咳払いをして、森巫種エルフはエレセリアに青く光る瞳を向ける。

「すまない、見苦しいものを見せてしまった。本題に入ろう」

 さっきまでの雰囲気は消え、ピリピリとした空気が漂う。

「ハートボンドで火薬が見つかった。しかも、その火薬は人類種ノイアルマの国から運び込まれたことがわかっている。君達が乗って来た列車に積まれていたんだ」

「それで?」

 とエレセリア。

「お前達が持ち込んだのはわかってるんだ。持ち込んだ理由を言え」

 獣人種クティーリアはエレセリアを睨みながらそう言った。けれど、わたし達は火薬なんて知らない。持ち込んだ理由なんて言われても困る。

「知らないよ。私達じゃないし」

「とぼけるのか?」

 ため息を漏らし、エレセリアは立ち上がった。

 一体、何をやらかすんだろう。あまり失礼なことをされるとわたしが困るんだけど……。

 そう思うが、わたしにエレセリアを止める術はない。

 日光が差し込む窓まで歩いて行くと、エレセリアは外を眺めながら獣人種クティーリアに言った。

「まずは私達がここに来た理由を考えてみな」

 何でこんな所に来たのか、それはわたしも気になっていた。

「自白しに来たんだろう。少しでも罪を軽くしようとしてな」

「あははははっ」

 獣人種クティーリアの言葉を聞いたエレセリアは笑い出す。

「やっぱり獣人種クティーリアは頭悪いんだね、誰がやってないことを自白するのさ」

 あーあ、言っちゃった。『馬鹿』って言っちゃったよ。

「何だと! クソザル!!」

 声を荒げ、獣人種クティーリアは勢いよく立ち上がった。

「まあ落ち着けって。ほら、立ってないで座りな」

 ポンッと、エレセリアは獣人種クティーリアの右肩に手を置いた。

「な…………」

 いつの間にか、エレセリアは獣人種クティーリアの真横に立っていた。窓から獣人種クティーリアが座っている椅子まで、少なくても5歩は離れていたはずなのに。

 一瞬で移動していたエレセリアを見たわたしは別に驚かなかった。何故なら、過去に見ているからだ。

 前に見た時は確か、魔王と戦ってる時だったけ。

「お前……どうやって……」

「そんなことはどうでもいい。座れ」

 ゆっくりと獣人種クティーリアは座った。その顔は初めて目の当たりにした彼女の力で強張っていた。

「で、話の続きね」

 部屋の中を歩き回りながら、エレセリアは話し始める。

「火薬は人類種ノイアルマの国から持ち込まれた、それに間違いはないと思う。でもさ、森巫種(エルフ)と仲の悪い神鋼種ディオスティールが、自ら関係を悪化させるような真似するかね。さすがに神樹の森に火薬は運び入れないと思うわけよ」

「何が言いたいのかな?」

 そう言う森巫種エルフに指を差して、彼女は言った。

「単刀直入に言う。お前ら森巫種エルフが火薬を持ち込んだんだろ? そうじゃなきゃ神鋼種ディオスティールが黙って火薬を運ぶわけがない」

 神鋼種ディオスティールは秩序やルールを必ず守る種族だ。そんな種族が持ち込んではならないモノを運ぶなんてありえない。

 でも、現実に火薬は持ち込まれた。それはつまり、ルールが変わったということ。もしくはルールに例外があった。

 そのどちらも人類種ノイアルマには出来ない。ルールの改変、例外が出来るのは神樹の森に住む森巫種エルフ獣人種クティーリアのみ。

「ははは、何の冗談だい? 森巫種エルフが火薬なんて持ち込むわけないじゃないか」

「いいや、お前ら森巫種エルフが持ち込んだんだ」

「なら証拠は? 証拠はあるんだろうな?」

 獣人種クティーリアはエレセリアを睨むように見つめながら聞いてきた。

 それにエレセリアは足を止めて答える。

「証拠なんてないさ。ただの推測」

「はっ! そんな証拠もないのに――」

「でも」

 と、獣人種クティーリアの言葉を遮ってエレセリアは続ける。

森巫種エルフなら神鋼種ディオスティールに火薬を運ぶように頼めるんじゃない? ……というか、頼めるでしょ、しかも断られることなく」

 そして、エレセリアはこう付け加える。

「だって、お前ら仲悪いじゃん」

「……確かに僕達は神鋼種ディオスティールと仲のいい関係とは言えない。けれど、それは火薬を持ち運んだ理由にはならないのではないかな?」

「馬鹿だね。仲が悪いからこそ、仲良くなる為に相手の頼み事を聞くんでしょうが」

 エレセリアの言葉に森巫種エルフ獣人種クティーリアの二人は黙った。

 わたしはというと、まずエレセリアに視線を送る。その後に二人を交互に見る。

そして、ゆっくりと息を吐いた。緊張で胃がどうにかなりそうだ。

「その理屈なら理解出来る。けれど、何故、森巫種エルフになるんだい? 獣人種クティーリアという可能性も考えられるだろう?」

「それはない」

 首を横に振りながら、エレセリアは即答した。

獣人種クティーリアじゃ神鋼種ディオスティールを動かすことは出来ない。そうでしょ?」

「……そうだな。神鋼種ディオスティール獣人種クティーリアの言葉じゃ動かないだろう。ましてや、火薬を神樹の森に運び入れるなんて、天地がひっくり返らない限りあり得ないだろうな」

 獣人種クティーリアはそう答えた。

「だが、だからといって森巫種エルフが――」

「じゃあ、神鋼種ディオスティールは私達の名前を言ったの? 『エレセリアとイリニスに火薬を運ぶよう依頼されました』って」

「いや、それは……」

「そう! 神鋼種ディオスティールは誰に頼まれたか、誰に依頼されたか言わなかった!! ……それは何故か。答えは簡単、考えるまでもない。神鋼種ディオスティールが言えない相手だからさ」

「言えない相手……。つまり、森巫種僕達ということですか」

「そういうこと。森巫種エルフは神樹を崇めてるでしょ? そんな種族が自ら森に火薬を持ち込んだなんて、言えるわけないじゃん。だって言ったら、アンタの隣にいる種族が黙ってないもん」

 エレセリア言うとおりだ。

 森巫種エルフが火薬を持ち込んだとわかれば、獣人種クティーリアが黙ってない。大戦が終わったというのに、森巫種エルフ獣人種クティーリアの戦争が起こるかもしれない。だからこそ、神鋼種ディオスティールは名前を明かさず種族も言わなかった。

 さっきまでエレセリアを睨んでいた獣人種クティーリアが、その鋭い眼差しを隣に向ける。

「……おい、お前らを信じていいんだろうな?」

「僕達を疑うのかい?」

「あのサルの話は筋が通ってる。お前もそれはわかってるはずだ。疑うな、という方が難しいぞ」

 今にも口論を始めそうな二人に、エレセリアが割って入った。

「はいはい、そこまで。私は火薬を持ち込んだのは森巫種エルフって言ったけど。多分、それは種族ではなく、個人でやったことだと思うんだわ」

「個人?」

「そう、個人で。……だから、いると思うんだ。人類種ノイアルマの国に行って、最近帰って来たそこそこ権力を持った森巫種エルフがね。多分ソイツが今回の犯人だよ」


        †


 社から帰って来てから、数時間が経過していた。

「どうするんですか? これから……」

「待ってればあっちから来るでしょ」

 そう言って、彼女はベッドの上で眠る体勢になる。そんなエレセリアにわたしは質問を投げかけた。

「エレセリアが言っていた種族じゃなく、個人っていうのはどういう意味なんです?」

 小さな舌打ちの後、エレセリアは上半身を起こしてわたしに視線を向けた。

 少し怒ってるみたいだ。ちょっとタイミングが悪かった。

「そもそも森巫種エルフが火薬を持ち込むわけがないんだよ。アンタだって自分の家にゴキブリ入れないでしょ?」

「当たり前ですよ!」

 何を言ってるんだ。そんなこと当然じゃないか。誰が好き好んであんな禍々しい黒い物体を……。

「あ」

「つまりはそういうこと。森巫種エルフからすれば火薬はゴキブリなんだよ。だから種族ではなく、ある人物の個人的犯行ってこと」

「でも、何の為に?」

 フッ、と鼻で笑われた。

「わかってたら苦労しないよ」

 おっしゃるとおりです。馬鹿なこと聞いてすみませんでした。

森巫種エルフ獣人種クティーリアを争わせたいのか、人類種ノイアルマとの交友関係を悪化させたかったのか、それとも別の理由なのか……」

「どれもよくないですね」

「まあね」

 あくびをしながら答えた彼女の目線が素早くドアに向いた。

 すると、コンコンという軽いノック音が部屋に響く。

 エレセリアはゆっくりベッドから降りて、ドアの前へ向かう。

 どうやら、訪問者はわたし達が待っていた人物らしい。


        †


「遅かったね、待ちくたびれたよ」

 エレセリアはそう言って微笑んだ。

「すまないな、少し段取りが狂ってしまって忙しかったんだ」

 彼も笑顔でそう言った。

「ねぇ、一つ聞かせてほしいんだけど」

「俺に答えられることなら」

「何で火薬なんて持ち込んだの?」

「そうだな……。森の為という答えはどうだ?」

 テーブルを挟んで向かい合っている、エレセリアとリアコスさんは真剣な表情で話していく。

「森の為? 神樹の森に火薬を持ち込むことが、どうやって森の為になるのか、聞かせてもらおうか」

「世界は貴女のおかげで平和を取り戻した。しかも平和を取り戻しただけではなく、敵だった魔族種テラストルムさえ救った」

「そうだね」

「でも、その平和な世界に新たな騒乱が生まれようとしているんだ」

「それには私も気付いてるよ。全種族の敵だった魔族という存在が消えた今、この世界に敵――悪は存在しない。それがどれだけ危険なのか。十分、知ってる」

「確かに世界は平和であるべきだ。……だが、平和すぎるのは害でしかない。悪が存在しない世界に、正義なんて成立しないのだから」

 正直、わたしには二人が何を話しているのかわからなかった。

 世界がどうとか、平和が害だとか、ちょっと理解出来ない。もうしばらく黙って話を聞いてることにする。

「悪が存在しない世界に、正義は成立しない……。そう、だから世界は正義を成立させる為に悪を生み出す必要がある」

「さすが勇者、まさかここまでとは。本当にさすがとしか言いようがない」

「私はこれでも国を統治したこともあるし、軍隊を率いたこともあるんだぜ。それくらいのことはいつも考えてるさ」

「なら俺達のやろうとしていることも、わかっているんじゃないか?」

 それはわからない、と言ってエレセリアは組んでいた腕を解いた。

「そうか、なら話そう。その為に俺は来たんだからな」

「イリニス、アンタもちゃんと聞いてなさい」

「あ、はい」

 ちゃんと聞くけれども、理解出来るかどうか別ですけどね。

 わたしをチラッと見ると、リアコスさんは始めた。

「大戦後、世界に争いはなくなった。戦争も紛争も内戦も全てだ。けれど、近頃はそうじゃない」

 ゆっくりと立ち上がると、リアコスさんは窓際へ歩いて行く。

「この森はどう見えた?」

 どうと言われても、凄く綺麗な場所くらいにしか見えなかったけど。

 エレセリアはどうなんだろう? そう思ったわたしは彼女の方を向いた。

「表ではクソ平和に見えるけど、裏じゃ何が起きてるかわからないね。特に森巫種エルフ達が移住してきた魔族種テラストルムに何してるかわかったもんじゃない」

 言われてみれば、ケルティアさんはとても歓迎されているようには見えなかった。

「それもあるが、もっと別にあるんだよ。大きな問題が」

森巫種エルフ魔族種テラストルム以外に?」

「ああ、しかもこれはかなり深刻だ」

「何さ、勿体ぶってないで教えてよ」

 エレセリアから視線を窓の外に移したリアコスさんは、深刻そうな声音で彼女に言った。

森巫種エルフ獣人種クティーリアだ。今はまだ戦闘になっていないが、いろいろな問題で揉めているんだ。戦闘が起きるのは時間の問題だろう」

「あーなるほど」

 頷きながらエレセリア言う。でもわたしにはさっぱりわからない。

「全種族が一丸となって戦っていた相手がいなくなった現在。忙しくて後回しにしていた問題に手が付くようになった。その結果、森巫種エルフ獣人種クティーリアは大戦以前のような最悪な関係に戻ってしまった」

「大戦前って、森巫種エルフ獣人種クティーリアは戦争してたの?」

「ああ、昔は森の覇権争いや縄張り争いで何度も衝突していた」

 それは知っている。授業で習った覚えがある。

 まだ魔族の数が少なくて、全種族が他の種族を敵視していた頃。もう数百年以上前のことだ。

「つまり、アンタは森に火薬を持ち込むことにとって森巫種エルフ獣人種クティーリアの関係をよくしようとしたわけか。意図的に悪を生み出してね」

「まあ、思いどおりの結果にはならなかったが、そういうことだ」

 じゃあ、と言うとリアコスさんは、エレセリアとわたしを見た。

「行こうか。貴女達が何も関与していないことを上のヤツらに言わないと」

 でもそれじゃあ、リアコスさんが……。

 彼の瞳は覚悟を決めている眼だった。こうなることを最初からわかっていたのかもしれない。

「それでいいの?」

「ああ、こうなってしまった以上。もう計画は継続出来ない」

「わかった」

 エレセリアは立ち上がるとわたしに視線を送ってくる。

「ほら、アンタも行くよ」


        †


 再び社に来たけれど、今度は客間じゃない所に通された。

「凄いね」

「……ですね」

 エレセリアの言葉に返事をしながら、わたしはその神聖な部屋を見渡した。

 多分、ここは社の中でも一番神聖な場所。神樹の種を祀っている場所だ。部屋の外と内で空気の純度が違う……気がする。

 部屋の中央に存在する大きな木製の円卓。

 その円卓の中心に、暖かい光を放つ、手のひらほどの種が浮かんでいた。

 あれこそ、神樹の種。世界が始まった時から存在している、と言われる伝説の種……。

「何してんの、行くよ」

 エレセリアに腕を引っ張られたわたしは、視線を種から外した。

 よいしょ、とわざとらしく言いながら、エレセリアは円卓の空いている椅子に座った。

 わたしはその隣の椅子に腰を下ろした。

「二人共どうしたのさ、そんな険しい顔して。前より老けて見えるよ」

腕を組み、足を組み、口が裂けても態度がいいとは言えない姿勢でエレセリアは言った。

 いきなりの挑発的な言葉に、わたしの胃は悲鳴を上げる。

 何人かの眉間や額が動いたように見えたが、見なかったことにしておく。

 ピリピリとした雰囲気の中、最初に口を開いたのは前回もいた森巫種エルフだった。

「これで全員ですかね」

 彼の言葉に、獣人種クティーリアは無言で頷く。

 それを確認し終えた森巫種エルフの視線はわたし達に向いた。

「彼から話は聞きました。まず疑ったことについて謝罪します。申し訳ありませんでした」

「へぇ、森巫種エルフって謝れたんだね」

 またエレセリアはそうやって……。

「まあ、そんなことはどうでもいいんだわ。リアコスはどうなんの?」

「それは――」

「それ相応の罰を受けてもらう。獣人種クティーリアの問題は獣人種クティーリアが解決する、お前らには関係のないことだ」

 と、獣人種クティーリア森巫種エルフの言葉を遮って言った。

「あっそう」

 エレセリアはそう言って、円卓に肘をつく。

「リアコスから聞いたけどさ。アンタら種族間の関係がヤバいんだってね。そこんとこ、どうなの?」

 突かれたくない所を突かれたらしく、森巫種エルフ獣人種クティーリアの二人は黙り込んだ。

「沈黙ってことは本当なんだね」

「……ええ、そうです。今現在、森巫種エルフ獣人種クティーリアの関係は悪化する一方です」

「よくアンタ達一緒にいるね」

 二人を見ながらエレセリアは言う。

「ハートボンドは中立ですから」

 苦笑しながら答える森巫種エルフだったが、瞳は笑っていない。

 このピリピリとした雰囲気は二人の関係性が原因だったのか。どおりで社全体がピリピリしてるわけだ。

 わたしは唾を飲み込んで、三人の邪魔にならないよう黙ったまま、傍聴者になることを決意した。

 だって、皆怖いし。

「他の種族が衝突しようと私には関係ないんだけどさ。せっかく大戦を終わらせたのに、アンタ達はまた戦争始める気なの?」

「もちろん、出来れば避けたいですよ。ですが、そうもいかない」

「簡単に解決出来る問題だったら大戦前に解決してる」

 二人はそう答えた。

 同じ地域に住む者同士、仲良くは出来ないのだろうか。人類種ノイアルマは他種族と戦争したことなんてほとんどないというのに。

 エレセリアはため息を漏らしながら、小さく呟いた。

「喧嘩は同じ位のヤツ同士じゃなきゃ起きない、か」

 同じ位の者同士……。

 そう考えると、人類種ノイアルマが他種族と衝突しないのはそれが理由なのかもしれない。

 でも、やっぱり喧嘩はよくない。戦争は絶対によくない。

 せっかくエレセリアが平和にしてくれた世界なんだ、彼女がこの世界にいる間は戦争なんて起こしたくない。

「話し合いとか、譲り合ったりとか、そういうの出来ないんですか?」

 三人の視線がわたしに集中する。

「エレセリアは魔王と話してました。他の種族がしなかったことをエレセリアはしてました。その結果が今の世界です。魔族は魔族種テラストルムになって、長く続いた大戦が終わった世界。話し合って、わかり合えば――」

 ポン、と右肩を軽く叩かれた。

「イリニス。世界にはね、話し合ってもわかり合えないヤツらがいるんだよ。それがアイツら、森巫種エルフ獣人種クティーリアなんだよ」

「でもエレセリアと魔王は……」

 三人の表情を見たら、それ以上何もいえなくなってしまった。

 彼らはわかっていた。世界が平和になったのに、争っている自分達がよくないことを。それでもわかり合えなかった。だから、今の状況になっているんだ。

 そして、そのことにエレセリアは気付いていた。

「でもやっぱり……」

「いくら話し合っても、わかり合えないヤツらはわかり合えない。世界ってのはそういう風に出来てるんだよ。アイツらだって、望んで争ってるわけじゃないと思うし」

 エレセリアの言うことがわからないわけじゃない。

 森巫種エルフと獣人種クティーリアは別々の種族で、文化も思考も全然違う者達。同じ種族同士ですらわかり合うのには苦労する、他種族同士ならもっと苦労するのは当たり前だ。

 苦労どころじゃない、わかり合うなんて無理かもしれない。

 だからって、そこで諦めていいはわけがない。

 諦めたからこそ、大戦が起きたんじゃないか。

「わかり合えない。だから争う。……それっておかしいじゃないですか。子供ですか、あなた達は」

 ……やってしまった。

 無言でわたしを直視している三人。そんな彼女達を見て、わたしは自分が暴走していたことに気が付いた。

 出来ることなら、今すぐ退散したい。

「……ぷっ、あははははは。まさかイリニスがそこまで言うとはね! どうした森巫種エルフ獣人種クティーリア? お前らが下に見てる人類種ノイアルマの方がよっぽど頭いいよ。知識と知恵は違うって言うけど、本当だね!」

 そ、そんな煽るようなことしないで……。

 わたしは森巫種エルフ獣人種クティーリアから視線を逸らしながらエレセリアを軽く叩く。

「いやー、さすが知恵を磨いた人類種ノイアルマ。他の種族に比べると断然頭柔らかいね」

 人類種ノイアルマより下と言われた森巫種エルフはエレセリアを見つめながら言う。

「僕達が人類種ノイアルマに劣ると?」

「ああ、そうさ。お前らはコイツ劣ってる。それに気付かないんじゃあ、もう救いようがないね」

 と、エレセリアは横にいるわたしを指差しながらそう言った。

「ふん、全てが他種族より劣るサルが何を言ってる」

「そう! それだよそれ!」

 エレセリアは勢いよく立ち上がると森巫種エルフ獣人種クティーリアを交互に見た。

人類種ノイアルマは最弱だ。他の種族に比べれば劣ってる。でも、劣っていないモノもある、それが知恵だ。人類種ノイアルマは大戦を除けば他種族と戦争をしたことがない。その理由、アンタらにわかる?」

「弱いからに決まっている。何を今更」

「何だよ、わかってんじゃん。そうだよ、負けるから、弱いから戦争しないんだよ。……でも生きていれば他種族との衝突は必ず起こったはずさ。なのに、何故戦争になってない?」

 バンッ、と円卓を叩いて、エレセリア人差し指を二人に向けた。

「他種族と話し合って、わかり合おうとしたからだよ。相手の要求を飲み込みつつ、自分の要求を相手に飲ませる。そうやって人類種ノイアルマは生きてきた。これがアンタらとコイツの違いさ!」

 ゆっくり腰を下ろした後、エレセリア続けて言った。

人類種ノイアルマを見習ったらどう?」

 沈黙する二人。それをエレセリアは満足そうに見つめている。そんな彼女はわたしに小さな声で言った。

「よく言ったね、ちょっと見直したわ」

「そ、それはどうも……」

 小さくわたしは返答する。

 その直後、部屋の外から急いで走ってくる足音が聞こえた。

 ノックもせず、勢いよく開かれた扉。

 そこには息を切らしている青年の森巫種(エルフ)が立っている。しかも、相当焦っている様子で。

「ノックもせずに入るなんて、それ相応のことがあったんでしょうね?」

 森巫種エルフは青年に鋭い視線を送りながら言った。

「たた、大変です! も、森が!! 森が燃えてますッ!!!」


        †


 ――火の勢いは凄まじかった。

 逃げ惑う人々と、それを放心状態で見つめる者達。

 そんな中、熱い空気と焦げ臭さが、エレセリアとわたしを包むように襲ってくる。

 日が沈み始め、薄暗くなってきているからなのか。燃え盛る炎がとてもはっきり見えた。そして、森を燃やしていく様子も。

 消火活動を始めているが、火の勢いは衰えることなく、さらに激しくなっていく。

「………………」

 言葉が出なかった。

 炎が広がっていく様子を見つめながら、わたしは立ち尽くしてしまう。

 そんな時、パンッ! と誰かがわたしの後頭部を強く叩いた。

「何突っ立ってるんだよ。私達も行くよ」

「……え?」

「えじゃねぇよ。それとも何? このまま放置して、逃げる?」

「そ、それは……」

 わたし達だけ逃げるなんてありえない。

 ……でも、わたしに何が出来るっていうの?

「このままじゃ死人出るよ。いいや、もう出てるかもしれない。火災が長引けば長引くほど森は燃えて灰になる。逃げ遅れたヤツも丸焦げだろうね」

 パキパキパキッ、という音が火の海の中から聞こえてくる。もしもあの中に逃げ遅れた人がいたら……。

 考えただけでゾッとした。

「わ、わたしだって何かしたいですよ! でも何をすればいいのかわからないんです!!」

 声を荒げ、わたしは彼女にそう言った。

 パンッ、という高い音が鳴った直後。頬が痛み出す。

「落ち着け。まだ何とかなる」

 そう言い切れる根拠はどこにあるのだろうか。

 わたしは頬に手を当てながら聞いた。

「こんな火災をどうやって止めるんですか? 今のままの消火活動じゃ――」

「三〇〇年前」

 エレセリアはわたしの言葉を遮って、そう言った。

 そして今も燃え続ける森に視線を移すと、エレセリアは続ける。

「三〇〇年前、この森って燃えたんでしょ? でも鎮火出来てる。大昔に生きてたヤツらに出来たことが、今を生きるヤツに出来ないわけがないじゃん。……それに、今のこの世界には私がいる」

 だから、とエレセリア。

「安心しな、何とかしてやるから」

 勇ましくて、頼もしくて、格好良くて、それでも綺麗で。

 炎がほんのりと照らす彼女に、わたしは見惚れた。

「さて、イリニス」

「……あ、はい。何ですか?」

「正直なことを言うと、火を消すのは簡単なんだわ」

「え?」

 火を消すことが簡単? それってどういう意味?

「火は消すけど。これ魔王探しの旅とは無関係だから、別料金ね」

「ええぇぇ!? お金取るんですか!!?」

「当たり前だ、私は無償で人助けする心優しい女じゃないんだよ」

 勇者が言う言葉じゃない、言っていい言葉じゃない。仮にも世界規模の大戦を終わらせた勇者の口にする言葉じゃない!

「金は……森巫種エルフ獣人種クティーリアに請求すればいっか」

 そんな恐ろしいことを言った後、エレセリアは燃え続ける森の方を向いて、左手を前に出した。

 何をする気なのか、わからないけど。彼女のことだから何かする気なんだろう。

「――――――」

 エレセリアの唇が微かに動いた。何か言ってるみたいだけど、聞き取れない。

 読唇術と言っていいモノかどうかは別として、これだけはわかった。彼女は『おいで』と言っていた。

 直後、エレセリアの左手に青白く光る物体が現れた。何もなかったはずの場所に、突如現れる物体。

 この現象は間違いない召喚だ。

「武器を、召喚したんですね」

「あら? さすが召喚師イリニス様。わかっちゃいます?」

「そんな茶化してる場合じゃないです」

「はいはい、今すぐ消火しますよっと」

 エレセリアは召喚した武器である、青い弓を黒い煙が覆っていく空に向けて構えた。けれど矢がない。というか、そもそも弓矢で火を消すなんて出来るの?

 そんなわたしの不安が伝わったらしく、エレセリアは笑いながら言う。

「アンタが召喚した勇者は超有能だよ」

 そして、エレセリアは弓を引いた。

「え?」

 引かれた弦に周りから光が集まって、矢の形を生み出していく。

「イリニス。こんなこと滅多にしないんだから、よーく見てなさい」

「は、はい……」

 言われなくてもそのつもりだ。神樹の森で起きた火災、それを止めた人類種ノイアルマの勇者。歴史に名を残さないはずがない。

 そんな場に立ち会っているのだから、一生忘れない記憶になる。いや、する。

 炎が照らし、わたしが見守る中。エレセリアは青い光の矢を空へ向かって放った。

 矢は空高く飛んで行き、最高到達点に達した瞬間、弾けた。

 それはまるで雨のように。

「……雨?」

「これならすぐ鎮火出来るでしょ。まあ、念には念を入れてもう二発射っておくけど」

 そう言って、エレセリアはさらに矢を二本放った。

 燃え盛る森に、青い矢の雨が降り注ぐ。

 そうして、神樹の森で起きた火災は彼女のたった三本の矢によって鎮火した。


        †


 日が完全に沈んだハートボンドでは、まだ少し焦げ臭さが残っていた。

 回収された火薬が全部なくなっていたことから、発火の原因は例の火薬ということがわかったらしい。

 運よく死者は一人も出ずに、行方不明者もいなかった。

 それに安堵した後、森巫種エルフ獣人種クティーリアは今すぐにでも森を再生させたいようで、既に焦げた木々の撤去作業を始めている。

「よくやるね、アイツら」

「何せ神樹の森ですからね。森に住む者として、あのままっていうわけにはいかないんですよ、きっと」

 エレセリアとわたしは、頑張っている森巫種エルフ獣人種クティーリアを遠くから見つめていた。

 まあ、わたしは手伝おうとしたんだけど……。

人類種ノイアルマには関係ない!』

 と言われ、今に至る。

「それにしても、せっかく手伝うって言ったのに。あんな態度はないですよね?」

「ん? まあ、仕方ないんじゃない? 下に見てた人類種ノイアルマに助けられちゃったんだから。何の価値もないプライドが、これ以上は許さないんでしょうよ」

「そうなんですかね」

「そうなんですよ」

 ちょっと残念で悲しかった。

「んじゃ、やることないし。列車に戻るか」

「そうですね。ここにいても意味ないですし」

 わたし達が列車に戻ろうとした時、強い風が吹いた。

 火事で燃えた木が強風に煽られ、傾き始める。

「あっ!」

 わたしがそう叫んだ時にはもう遅い。木は既に倒れ始めていた。それも人がいる場所目掛けて。

 数人は気が付いて逃げ出したが、一人だけ逃げ遅れてしまった。

 倒れていく木がゆっくり、その下敷きになるであろう人物に近付いて行く。

 わたしは彼女を知ってる。あの人は社で森巫種エルフと一緒にいた獣人種クティーリアだ。

 魔術を使って何とか出来ないか考えたけれど、そんな時間はなかった。もう遅すぎるし、ここからじゃ遠すぎる。

 せっかく、誰も火事で怪我しなかったのに。何で……そんなのって……。

 ゆっくり動いていた木が地面にぶつかった。

 それはもう大きな音と地響きを起こした。木の大きさから察するに、下敷きになれば即死だろう。人物の原型すら留めないかもしれない。

『ったく、だから私は無償で人助けするほど心優しい女じゃないって言ってるでしょ! これも別料金だからね!』

「……え?」

 空中から聞こえる声は紛れもなくエレセリアのモノだった。

 エレセリアはさっきまで隣にいたはずだ。そんな一瞬で移動出来るわけ……。そうだ、彼女なら、エレセリアなら出来るんだ。

 いや、でも……何で上から声が聞こえてくるの?

「なっ!?」

 獣人種クティーリアを抱きかかえているエレセリアは空中に立っていた。いや、浮いていた。

 原理はわからない。ただ、彼女の足にあるモノがその原理を生み出していることは想像がつく。

 黄色い粒子を放出し続けている、ブーツのようなモノ。さっきまでエレセリアはあんなモノを履いていなかった。あれも弓のように召喚したに違いない。

 エレセリアは階段を下るかのように降りてくる。

 ちょうど月明かりが照らしたエレセリアはとても美しく、神々しかった。そんな彼女の姿を誰もが見上げ、凝視していた。

 ゆっくり降りてきたエレセリアは地面に着くと、抱きかかえていた獣人種クティーリアを優しく降ろす。

「命を救ったんだから、こりゃ高いぞ」

 そう言っている彼女の元に、わたしは走って向かう。

「え、エレセリアっ!!」

「ん? 何?」

「何ですか! 今のは!!」

「何って何さ?」

「だからその足のそれです!」

 わたしが指差した彼女の足には、翼のような形をしたブーツがあった。その翼から今も黄色い粒子が放出されている。

「ああ、これね。ツィルニトラだよ。私が魔改造しすぎて原型を留めてないけどね」

 ツィルニトラ。それがこのブーツの名前……ってわたしは武器の名前を聞きたかったわけじゃない。

「名前を聞いてるんじゃないんです!」

「ああ、性能とかを聞いてたのね。まずこれを履けば空中戦が可能になる。空が飛べるようになるからね。んで、今も出てるこの黄色いヤツは、私の魔力をツィルニトラが原動力に変換したモノ。この粒子が浮遊を可能にしてるんだよ」

 話を聞く限り、この世界のモノじゃないことがわかった。

 わたしは改めてツィルニトラを見つめる。どこか神鋼種ディオスティールが作りそうな感じだ。機械的というか、何というか。

「あ……消えちゃった」

 見つめていたら、ツィルニトラが光となって消えた。

「いや、いつまでも付けてないよ」

「ですよね」

 それもそうだ。剣だって使わない時は鞘にしまう。エレセリアの場合は……。あれ、どこに行ったんだろう。

「あのエレセリア――」

「ネイト様ッ!!」

 消えた武器はどこへ行くのか、それを聞こうとした時。獣人種クティーリアの女性が叫びながら走って来た。

「ネイト様!! ご無事ですか!!?」

 ネイトと呼ばれるエレセリアが助けた獣人種クティーリア。そういえば、名前知らなかった。ネイトさんっていうんだ。

「ん……。ここは?」

「ネイト様ッ!」

 意識を取り戻したネイトさんを獣人種クティーリアの女性が強く抱きしめた。

「よかった……本当によかった……っ!」

 そう涙声で言う彼女に、ネイトさんはまだ状況が把握出来ていないようで戸惑っていた。

 それを見兼ねたエレセリアが二人に近付く。

「アンタは倒れてきた木の下敷きになりそうだったんだ、逃げ遅れてね」

「……ッ!?」

 自分に迫っていた木のことを思い出したネイトさんは周囲を見渡す。

「安心しな。私がアンタを助けたから」

「お、お前が……私を?」

「クソザルの助けはいりませんでしたか?」

 そう意地悪そうな顔をしながらエレセリアはネイトさんに向かって言う。

 獣人種クティーリアの女性に支えられながら立ち上がると、ネイトさんはエレセリアを真っ直ぐ見つめた。

「…………いや、感謝する。お前のおかげ助かった。ありがとう」

「へぇ、何だ。ちゃんと言えるんだ」

「馬鹿にするな。頭くらい下げられる。不愉快だがな」

「ふーん、そう。ふーん」

 もう大丈夫だ、と獣人種クティーリアの女性に言うとネイトさんは黒く焦げた森に視線を送った。

「何故か突然雨が降り出した、それも火災が起きている所だけに。その雨のおかげで被害は最小限で済んだ、どこの誰かは知らないが会って礼が言いたいところだな」

 ネイトさんは視線を黒い森からエレセリアに移す。

「へぇ、じゃあ私が代わりにお礼を言っておいてやろうか?」

「そうだな。ではソイツに『この恩は忘れない』と言っておいてくれ」

「わかった。伝えておく」

 そんな会話をする二人を、わたしはちょっと口元を緩ませながら見つめる。

 すると、複数の足音が近付いてきた。

「やあ、僕も話に混ぜてくださいな」

 彼はネイトさんと一緒に社でわたし達と話した森巫種エルフだった。後ろにいる鎧の人達は護衛だろう。

「どうしたフルグ。お前は火を付けた犯人捜しをしていたはずだが」

 そうネイトさんが言ってくれたことで、わたしは彼の名前を知った。

 フルグさんか、覚えておかなきゃ。

「ちゃんと仕事はしたよ。だからその報告をする為に来たんだ。どうやら僕が来る前に大木が倒れたらしいけれど、大丈夫だったかい?」

「ああ、勇者のおかげで傷一つない。……そんなことより、報告って言ったな? 誰なんだ、火薬に火を付けた罪人は」

 フルグさんは自分の背後にいる、鎧の人達に視線を向けて『彼らをここに』と言った。

 すると、手首を鎖で繋がれた獣人種クティーリア森巫種エルフが連れて来られた。もちろん、わたしは彼らを知っている。

 わたしの隣にいたエレセリアは彼らを見ると、ため息を漏らして呟いた。

「はぁ……、やっぱりか」

 連れて来られた獣人種クティーリアはリアコスさんで、森巫種エルフは喫茶店で会ったアルフォイという人だ。

「お前達が森に火を放ったのか?」

 ネイトさんが鋭い眼光でリアコスさんを睨んだ。けれど何もリアコスさんは言わない。

「答えろッ!」

 ネイトさんに襟首を掴まれても、リアコスさんは何も言わなかった。

「無駄だ。彼らは何も話す気はないらしい」

 そう言ったのはフルグさんだった。

「僕も火を放った理由をアルフォイに聞いたんだが、何も答えてくれなかった」

「そうか、だったら話したくなるようにしてやるだけだ!」

 鋭い爪がリアコスさんに向けられる。それを見たわたしは止めようと。

「ちょっと、待っ――」


――待ってください――


 わたしの声はその美声に遮られた。

 ……ちょっと待って。今の声は誰の声?

 女の人の声だということはわかった。でも、その声はエレセリアでもネイトさんでも、わたしの声でもなければ、周りにいる誰の声でもない。

 つまり……この場にいない人物の声が聞こえた、ということになる。

「え、あぁ……ぇ」

「落ち着きなさい。アンタが幽霊とか、そういうのが駄目なのは知ってるけど。そういうのじゃないから」

 エレセリアはそう言うけれど、どこにもいない人物の声が聞こえるんだ。それ以外にないじゃないか。

「誰です? 姿を現してください」

 フルグさんが周囲を見渡しながら言った。

 すると、わたし達の目の前で光が集まり始めた。そして、その光は次第に人型を作り出していく。

 夜だからか、光はとても眩しかった。

 そんな眩しい光の中から、一人の女性が現れる。

 黄金の長髪に、金色の瞳。そして、背中に生える光の翼。

 わたしが見惚れていると、近くにいる森巫種エルフ獣人種クティーリアの全員が跪いた。

「え?」

 わけがわからない。周りを見てみると、立っているのはエレセリアとわたし、そして彼女の三人だけだった。

「無礼だぞ! 人類種ノイアルマとその勇者!」

 ネイルさんがそう言うってことは、この女の人は身分が高い人なのか。

 でも、獣人種クティーリアのように耳や尻尾があるわけでもないし。森巫種エルフのように尖った耳でもない。

 じゃあ、この人は誰なの?

「アンタ誰?」

 エレセリアは彼女の目の前に立つと、そう言った。ネイトさんやフルグさんの顔から血の気が引いているのを見て、わたしは確信する。

 これは不味いことになった、と。

 中立街であるハートボンドには森巫種エルフ獣人種クティーリアから一人ずつ代表を決めて、街の政治を任せている。その二人がフルグさんとネイトさんだ。つまり、彼らはハートボンドの最高権力者。

 その二人が跪くということは、とても身分の高い人ということになる。

「失礼いたしました。わたくしはミフォリアと申します。以後、お見知り置きを。勇者エレセリア」

 ミフォリア? どこかで聞いたことがあるような、ないような……。

「…………あ」

「ん? どうしたイリニス?」

「あ、ああ……」

「いやいや、あじゃわからないから」

 思い出した。ミフォリアという名前を。

 彼女は――いや、ミフォリア様は……。

「この方は幻精種ファンファータ代表・ミフォリア様ですよ!!」

幻精種ファンファータ代表? ってことは、凄い偉いじゃん」

 そう思うなら指差さないでっ! 

 幻精種ファンファータ代表・ミフォリア様。彼女は神の代行者と呼ばれる人で、この森の守り神。森巫種エルフ獣人種クティーリアの代表ですら頭が上がらない存在だ。

 しかも天想種イディアの誕生より前から生きている、生きた伝説。

 そんな偉大すぎる人が、わたし達の目の前にいる。

 ……って、だから指差すなっ!!

「んで? その幻精種ファンファータの代表様が何の用で?」

「彼らに対する誤解を解きに来ました」

「彼ら? リアコスと森巫種エルフのこと?」

「彼らが咎められる必要はありません。咎められるべきはわたくしなのです。彼らはわたくしの指示に従ったにすぎません」

 それは誰もが予想していなかった言葉だった。

 ネイトさんもフルグさんも伏せていた顔を上げて、驚きの表情を浮かべたまま、ミフォリア様に視線を送っている。

「そんなこと、嘘に決まってます」

 フルグさんは動揺しながらもそう言った。

 しかし。

「いいえ、事実です。リアコスとアルフォイはわたくしの指示で火薬を持ち込み、そして火を放ったのです」

「何故ですか? 神樹の守護者である貴女が何故……?」

 何故? と繰り返すと、ミフォリア様は一気に殺気立った顔つきになった。

「それに気付かないとは、なんて愚かな種族。神樹の守人と呼ばれた森巫種エルフはもういないのですね」

「な……」

「お言葉ですが、愚かな行為をしたのはミフォリア様の方では?」

 フルグさんに向けられていた視線が、ネイトさんに移る。

獣人種クティーリアですか。あなたも同じですよ。そこの森巫種エルフと同じ、愚かな種族です」

「………………」

 ネイトさんは何も言い返さなかったが、とても睨んでいた。

 そんな彼女を見つめたまま、ミフォリア様は話し始める。

「わたくしは怒っているのです。それはとてもとても大きな怒りです。激怒や憤怒です。その理由、あなた達にわかりますか?」

「いいえ」

「わかりません」

 フルグさんとネイトさんはそれぞれ首を横に振った。

「でしょうね。わかっていたらこんなことにはなっていません」

 残念そうな表情をすると、ミフォリア様は空に浮かぶ三日月に視線を向ける。

森巫種エルフ獣人種クティーリアの初代代表とわたくしが共存を誓い合った日も、こんな三日月が上る夜でした。……あれからもう数千年が経ちますが、月は変わりませんね。あなた達と違って」

 ミフォリア様は三日月から燃えてしまった森に視線を移動させ、二人に戻す。

「共存を誓ったあの日、あなた達の代表はわたくしに約束しました。『二種族は争うことなく、この森で共存し、神樹を守る』と。ですが、今はどうでしょう。過去に起きた小さな衝突は見逃していましたが、もう目を瞑っているわけにはいきません。このまま放置すればあなた達が森を駄目にする。あなた達が害だ」

 そう言われた二人は青ざめていた。周りにいる部下の人達はそれ以上に。

「だから森を燃やそうとしたの?」

 エレセリアは枝毛を探しながらそう聞く。

 たまらず、わたしは大きな声で言った。

「エレセリアっ! 失礼にもほどがあります!!」

「はぁ? 知るかよ。この世界でどれだけ偉かろうと、私に関係ないし」

 偉いとか、そういう問題じゃない。

 ミフォリア様はこの世界で一番長生きしていて、最古の種族と言われる幻精種ファンファータの代表。崇められてもおかしくない、そんな存在なんだ。

人類種ノイアルマの勇者として、もっと敬意ある態度と行動をですね。

人類種ノイアルマの召喚師。いいんですよ、彼女は異界人。わたくし達とは生まれた場所や時間。全てが異なっているのですから」

 そう優しく微笑みながらミフォリア様は言ってくれた。

「ほら、いいってさ」

 と、枝毛探しを続けるエレセリア。

「そ、それでも……」

 でも、やっぱり、話してるのに目の前で髪を弄られているのは、いい気分じゃないはずだ。

 そう思って、エレセリアに枝毛探しを止めてもらおうとした時、ミフォリア様がわたしに視線を送ってきた。

「ところで、人類種ノイアルマの召喚師。彼女を異界から呼び出したのはあなたですか?」

「え? ……あ、はい。そうです、ミフォリア様。エレセリアはわたしが召喚しました」

 ミフォリア様は嬉しそうな表情を浮かべた。

「そうですか。あなた達、人類種ノイアルマに召喚魔術を授けて正解でした。まさか、ここまで使いこなすとは、わたくしの予想以上です」

 人類種ノイアルマに召喚魔術を授けた? ミフォリア様が?

 召喚魔術は人類種ノイアルマしか扱えない大魔術であり、大禁術。他の種族にはつい数年前まで、その存在自体が隠されていたほどの極秘中の極秘魔術だ。

 それをミフォリア様が人類種ノイアルマに授けた? どうして魔術に長けている種族の森巫種エルフ天想種イディアじゃなくて、人類種ノイアルマに?

 けれど、その答えを聞く暇はなかった。

「話を戻しましょう。森巫種エルフ獣人種クティーリア。あなた達はこの森をどうしたいのです? 滅ぼしたいのですか?」

「そんなことはありませんっ!」

「滅ぼしたいなんて、思っていません」

 二人はそう即答した。

「そうですか。ですが、わたくしにはそうは見えません」

 だから、と続けて視線を森に向けると、ミフォリア様は言った。

「どうせ滅びるのなら、わたくしが森を滅ぼそう。……そう思い、火災を起こしたのです」

「この森は数多くの生命が暮らす、大切な場所です。それを自らの手で滅ぼすなんて……」

 そう悲しそうに言ったフルグさんを、ミフォリア様は無言で見つめる。

 そんな静寂な時に、パンッ! という手を叩く音が鳴り響く。

「じゃあさ、森巫種エルフ獣人種クティーリアが争うことなく、仲良く共存すればいいんでしょ? それにね、ミフォリア。そうやって悪役やるの止めた方がいいよ。全然似合ってない」

「な、何を言っているのです? わたくしが悪役だなんて」

 少しミフォリア様は動揺している様子だった。

森巫種エルフ獣人種クティーリアの関係をよくする為には、大戦時のような共通の悪が必要だ。だがしかし、そんな悪はもうピースパークには存在しない。……なら、自分がなるしかない。そうでしょ?」

「何を言っているのか、わたくしにはさっぱりです」

「神樹の森を燃やして、森巫種エルフ獣人種クティーリアが互いに向けている敵意を自分に向けさせる。そうすれば、大戦時みたいに協力し合うはず。そうアンタは考えた。でもさ、そういうのよくないと思うよ。それやったら、今後ずっと悪であり続けるしかなくなるよ? それでいいの?」

「………………」

「沈黙は肯定だよ?」

 そう言うと、エレセリアは枝毛探しを止めた。

「もう、全部話しませんか? ミフォリア様」

 そう言ったのはリアコスさんだった。

「彼女には全てが知られています。隠し切れません」

「……そうみたいですね。あなたの言うとおり、人類種ノイアルマの勇者を少々見縊っていたようです」

 両手を上げて、参りました、と言うミフォリア様。そんな彼女を見るエレセリアは勝ち誇った表情だった。

「勇者エレセリア。あなたの言葉は正しい。森巫種エルフ獣人種クティーリアが向け合っている敵意をわたくしに向けること。そして、それをしてしまったら悪であり続けなければならないこと。全てあなたの言うとおりです。ですが、わたくしはそれを覚悟の上で、森に火を放ったのですよ」

「そっか。……でも、わからないな。何でそこまでして森巫種エルフ獣人種クティーリアの仲をよくしようとするの? 確かに争われたら森が荒れるかもしれないけど、幻精種ファンファータにはそこまで害があるとは思えない。というか、幻精種ファンファータに害を加えないように争うと思うんだけど」

「だからこそですよ。幻精種ファンファータからすれば、森巫種エルフ獣人種クティーリアも大切な仲間なのです。今までずっと助け合って共存してきた、掛け替えのない友なのです。放っておけるわけがありません」

 ミフォリア様は悲しそうな笑顔でそう言う。

「だってさ、今の聞いてた? 森巫種エルフ獣人種クティーリア? 大切な仲間だって、掛け替えのない友だって。それなのにアンタ達はお互いにいがみ合って、争おうとしてる。……クソ種族じゃん! 今すぐ滅んじまえよ!!」

 と、エレセリアは大きな声で言った。……ちょっと怒ってるみたいだ。

 そんなことを言われて、二人が黙っているわけが――。

「……ッ」

「ッ…………」

 泣いていた。

 ネイトさんもフルグさんも、周りにいる人達も全員が涙を流していた。

「……愚かな、我々をお許しくださいっ」

 自分達の行いが、神樹の守護者であるミフォリア様に、森を焼かせる結果になってしまったことを悔やんでいた。

 地面に伏せて、謝り続けるフルグさんに近付くと、ミフォリア様は優しく肩に手を置く。

「顔を上げてください」

 ゆっくりとフルグさんは顔を上げる。

「わたくしはこの森が好きなのです。森巫種エルフ獣人種クティーリアが住み、そして魔族種テラストルムも暮らし始めた、この森が愛おしいのです」

「はい……ッ」

「森に住む者同士、共存は出来ませんか?」

「出来ます。……してみせますっ」

 フルグさんの言葉を聞いたネイトさんは、力強く頷いた。

 気が付くと、わたしも泣いていた。何でだろう、涙が止まらない。


        †


 あの騒ぎから数日。フルグさんとネイトさんは、種族代表に今回のことを報告する為に、それぞれ国へ一度戻ることとなった。

 自国に戻ったら、森巫種エルフ獣人種クティーリアの関係をよくする為に頑張るそうだ。

 その同行人として、獣人種クティーリアからはリアコスさんが。森巫種エルフからはアルフォイさんが選ばれ、四人は今日ハートボンドを発つ。

 丁度、今日はわたし達がハートボンドを出発する日でもあった。

 四人を送り出した後、わたし達もハートボンドを後にするつもりだ。

「街のことは任せますよ」

 フルグさんは部下の森巫種エルフ達にそう言ってから、馬車に乗り込んだ。

「………………」

 アルフォイさんは黙ったまま、フルグさんの後を追うように馬車に乗った。

「ネイト。僕達は先に行くよ」

「ああ、気を付けて行って来い」

 互いに頑張ろう、その言葉と右手を差し出すネイトさん。彼女の手を握り、フルグさんも言った。

「頑張ろう、この森と三種族……いいや、四種族の為に」

神樹の森と森巫種エルフ獣人種クティーリア幻想種ファンファータ――魔族種テラストルム

 森と四種族の為に、まずは小さなことから、頑張ろう。そういう意味で彼は言ったんだと、わたしは思う。

 握っていた手を離し、ネイトさんは下がる。

「エレセリアとイリニス。本当にありがとう、二人がいなかったら僕達はどうなっていたかわからない」

「あ、あの、えっと……はい」

 こういう時、なんて答えればいいんだろう。他の種族から感謝されたことなんて、今までほとんどなかったから対応に困る。

「まあ、そう思うなら変われよ?」

 そう言ったのはもちろん、エレセリアだ。

「わかっています。必ず二種族は変わります。世界が変わりつつあるんですから」

 そう笑顔でフルグさんが返答すると、御者の森巫種(エルフ)がフルグさんに視線を送った。

 出発の時間らしい。フルグさんは視線を送り返して、頷く。

「では、行ってきます」

 そして、馬車が動き始める。

 二頭の茶色い馬は力強く、木製の馬車を引いて、音を立てながら進んで行った。

 その姿が見えなくなってから、私達も行くぞ、とネイトさんが口にした。

 こっちは何故か見送りがいない。

 わたしが不思議そうに見ていると、ネイトさんが答えてくれた。

獣人種クティーリアは見送りをしないんだ。必ず帰ってくるからな」

「そうなんですか」

 ちょっと寂しい気がするけど、そういう文化なんだろう。

「でも……いや、だからこそ迎えは盛大だぞ。それはもう祭りだ」

 そういうことか。

 必ず帰ってくることを信じて見送りはしない。けれど、帰ってきた時は盛大に帰りを祝う。

 確かに大戦時、何度かそういう場面に遭遇したことがあったっけ。

「さて、私達も行くぞ。リアコス」

「はい」

 ケルティアさんはいなかった。多分、リアコスさんが獣人種(クティーリア)だからだろう。

 馬に跨ったリアコスさんに、エレセリアが声を掛ける。

「リアコス、ちゃんとケルティアには言って来たんだろうね?」

「もちろん。ちゃんと言って来た」

「そう、ならいい」

 二人は黒い馬に跨ったまま、エレセリアとわたしに視線を向けてくる。

「お前らもお前らのやるべきことをしろ。私達の心配はするな。私もお前らの心配はしない」

「はいはい、誰もアンタ達の心配なんてしませんよ」

「そうか。ならもう話すことはない。じゃあな」

 そう言い残すと、ネイトさんは先に行ってしまった。

「二人共、本当にありがとう。二人のおかげで森巫種エルフ獣人種クティーリアは新たな道を共に歩む、その第一歩を踏み出せた」

「わかったから、早く行きな。待ってるよ」

 ネイトさんは少し先で止まっていた。

 自分を待っている姿を見たリアコスさんは頷くと、わたし達に頭を下げた。そして、ありがとう、という言葉を残して彼女と共に旅立った。

 二人の姿が見えなくなるまで、わたし達はその場に立ち続ける。

「行っちゃいましたね」

「だね」

「わたし達も行きましょうか。そろそろ出発時刻です」

「わかった。行こう」


        †


 わたし達が駅に着いたのは昼過ぎだった。

 後ろを振り返ると、初めて降り立ったあの日を思い出す。

 エレセリアとの旅がもう一度出来て、嬉しかったし、綺麗な街並みを見て感動してたっけ。

 あの時はこんな大事に巻き込まれるなんて知らなかったから、気楽だったなぁ。

 ……本当に、今思い返すと、いろいろなことがあった。

「ほら、行くよ」

「あ、はい!」

 待っているエレセリアに追い付こうと、わたしは小走りをする。

 火事があったから、なのかな。駅にいる人達の雰囲気がちょっと違う。

「変わったね」

「え?」

「何? 見ててわからないの?」

 わたしは首を横に振って答える。

「そんなことないですよ! わたしだってそれなりの観察力は持ってます!」

「ふーん」

「何ですか、その信用がない目は」

「別にー」

 そう言って、彼女は先に列車へ向かってしまう。

 もう旅の終わり、という感じがしてならないけど。わたし達の旅はまだ続く。

 そういえば、何で旅してるんだっけ……。確か行方不明の魔王を――

「ああっ!!」

「え、何? うるさいんだけど」

 うざそうに振り返った彼女に、わたしは慌てて言う。

「え、ええ、エレセリア! わたし達、旅の目的を何一つ果たしてません!!」

 すると、エレセリアは遠い目をした。

「あー、思い出しちゃいましたかー。実はそうなんですよー」

「ええっ!? 気付いてたんですか!!?」

「うん」

「いつから!?」

「火薬が見つかった――くらいのくだりから、これ魔王の件無理だわって思ってた」

 というか、気付いてたのなら何で教えてくれないのかな。教えてくれれば何かしら対策が出来たというのに。

「ま、仕方ないでしょ。列車は待ってくれないからね」

「……確かにそうですね」

 もう列車の出発時刻が近い。今から魔王の行方を調べるなんて不可能だ。それに、エレセリアにその気がない。

 火事やら、種族間の問題やらで無理でしたって、ちゃんと報告すればわかってくれるはず。そうさ、わたし達は決してサボったわけじゃないんだ。

「アイツらを見送った後に観光したのが間違いだったねー」

 両手にお土産袋を持っているエレセリアはそう言った。

 そして、わたしは屋台で買ったお土産達を、無言で見つめる。

「………………」

 ダメだ。魔王のことを忘れて観光してました、なんて言えるわけがない。

「エレセリア」

「何さ」

「魔王のことですが……」

「諦めるしかないよね!」

「ですよね! わたし達頑張りましたもんね! 観光くらい許されますよね!!」

「どうかな」

「どうですかね……」

 少しの間、沈黙が続き、わたし達はほぼ同じタイミングで頷いた。

「とりあえず――」

「――行きましょうか」

 いっぱい買ったお土産を両手に持ちながら、エレセリアとわたしは自分達の客室車へ向かう。

 駅のホームに辿り着くと、見たことのある光景が広がっていた。

 車両のドアが開き、紺色の制服を身にまとった人々が中へ荷物を運び始める。食料や乗客の私物。そして他種族への輸出品。

 当然、車両から下ろす荷物もある。箱詰めされていて何かわからないが、大小様々な木箱。

 ホームはわたし達の国で見た光景に似ていた。

「行くよイリニス」

「あ、はい!」

 止めていた足を動かし始め。わたしはエレセリアと肩を並べた。

「ん、あれは……」

「どうかしました?」

「あそこ」

「あそこ?」

 エレセリアが指差す先にいたのはケルティアさんだった。しかも彼女が立っているのは、わたし達の客室車の前。ということは、お見送りに来てくれたのかな。

「おーい! ケルティアさーん!」

 駆け足でわたしは彼女の元へ向かう。

「あ、イリニスさん!」

 わたしに気付いたケルティアさんは笑顔で手を振ってくれる。だから、わたしも手を振りたかったけど、お土産のせいで手が振れなかった。

 彼女の元に着いたわたしは笑う。

「お見送りに来てくれたんですか?」

「はい、もちろんです。お二人が旅立つのを見送らないわけがないですよ」

「別によかったのに」

 いつの間にか隣にいるエレセリアはそう言っているが、嬉しそうな顔をしている。

「えっと、その、いろいろ本当にありがとうございました。エレセリアさんとイリニスさんのことは絶対に忘れません」

 深々とケルティアさんはエレセリアとわたしに頭を下げた。そして頭を下げたまま、彼女は続ける。

「リアコスがご迷惑をおかけして、ごめんなさい」

 謝られてしまった。

「ええぇ!? ああ、あの、えっと、その」

 どうしよう、何て返せばいいんだろう。ええっと、何て返したら……。

 チラッと、わたしはエレセリアに視線を送る。

「はぁ……」

 隣でため息が聞こえた。

「そういうのはいいからさ、頭上げなよ。迷惑掛けられたのは事実だけど、別に私怒ってないし。まあ、イリニスはどうか知らないけど」

「なっ!? わたしだって怒ってないですよ!!」

 そんなことで怒るほど、わたしの器は小さくない。

「頭を上げてください、わたし達は気にしてないんで」

「でも……」

「うざいよ、ケルティア。私、今怒りそうなんだけど」

 そうエレセリアは睨むように、ケルティアさんを見つめた。確かに少し苛立っている。

 顔を上げたケルティアさんの表情は申し訳なさそうだった。

「……はい、すみません。でも、謝らないと私の気持ちが晴れなくて」

「気持ちは受け取った。だからもう気にしなくていい、って私は思ってる。イリニスがどう思ってるか知らないけど」

「わたしだって同じ! 同じだからっ!!」

 何でわたしだけそうやって……。

 ケルティアさんの手を掴んで、わたしは言った。

「ケルティアさん! 本当の本当に気にしてないんで、安心してください!!」

 すると、ケルティアさんの顔に笑顔が戻った。

 やっぱり、笑顔が一番見ていて楽しいし、嬉しいな。

「ありがとうございます。イリニスさん、エレセリアさん。……本当にありがとう」

「もうお礼と謝罪は聞き飽きたよ」

 そう言うけれど、エレセリアは微笑んでいた。

 エレセリアの笑顔に視線を向けたのと同時に、汽笛が鳴った。もうそろそろ、出発の時刻らしい。

「あ……行かないとですね、エレセリア」

「だね」

 視線をケルティアさんに戻して、握り続けていた彼女の手を離す。

「じゃあ、わたし達は行きますね。重大な使命があるので」

 無言でケルティアさんは頷いた。

「まあ、永遠のお別れってわけじゃないし。またいつか来るよ……イリニスを置いて、私一人でね」

「だからああぁぁっ! 何でそうやって意地悪するのっ!!」

「うるさい。置いてくよ」

「うっぐ……。わたし悪くないのに……理不尽だこんなの」

 そんなわたし達のやり取りを見ていたケルティアさんは、楽しそうに笑っていた。

「じゃ、行くね。バイバーイ」

「ちょ! エレセリア!?」

 わたしの視界には、もう彼女の姿がない。

「あの、また来ますから! それまでさようならです!」

「はい、待ってます」

 ケルティアさんに別れを告げ、急いでわたしはエレセリアの後を追って、列車に乗り込んだ。

 ホームにベルが響き、列車のドアが閉まる。

 部屋に辿り着いたわたしは、先に来ているエレセリアをじっと見つめながら文句を口にする。

「何で先に行くんですか」

「別にいいじゃん。ほら、外にケルティアいるでしょ? 最後に挨拶したら?」

 確かにもう出発まで時間がない。というか、発車の合図である汽笛が鳴っている。

「もう!」

 わたしはそう言って、窓まで走る。

 そして鍵を外して、窓を開ける。外の空気が車内に入り込み、木々の香りが広がった。

「エレセリアさん! イリニスさん!」

 名前を呼ばれたわたし達は、手を振ってくれている彼女に視線を送る。

「さようなら! また来てください! リアコスと一緒に待ってますから!!」

「はい! 必ず! 必ずまた来ます!!」

 エレセリアは無言で頷きながら手を振り返す。

 ガタッ、という音が聞こえると、列車がゆっくりと動き始めた。

「さようなら!」

「はい! さようなら!」

 動き始めた列車は徐々に加速していき、ケルティアさんとの距離が少しずつ離れていく。

「またプライムツリーに行きましょうね! またお話ししましょうね!」

「はいっ!」

 本格的に動き始めた列車は速かった。

 そんな列車を追うように、ケルティアさんはホームの端まで走ってくれた。

 けれど、もうその先にホームはない。

「またエレセリアと二人で来ますからっ!!」

 大きな声でそう叫んだ。

 ケルティアさんは顔を立てに動かしながら、大きく手を振っていた。

 ちょっと涙が出そう。もう会えないわけじゃないのに、何か別れっていうだけで悲しい。

 でも、また会える。

 だから、泣いたりしないんだ。

「また来ますねっ!!!」

 ケルティアさんの姿はもう小さかった。


        †


 森の中を進む列車。もうケルティアさんの姿は見えない。

「いつまで見てんの?」

 エレセリアの声が聞こえた。

「そうですよ。別れは辛いかもしれませんが、出会ったら必ず別れるものなのです。そして、再び出会う。出会いと別れを繰り返して、人は生きていくのです」

 エレセリアじゃない声が聞こえた。

 ……ってあれ? わたし達以外に誰かいたっけ?

 振り返って、車内をぐるりと見渡すと、そこには黄金の長髪と金色の瞳を持つ、白いコート姿の美女がいた。

「ミフォリア様!?」

「はい、ミフォリア様です」

「何でこんな所にいるんですか!?」

「何で、ですか。そうですね。わたくしも旅に同行するからです」

「なん……だと……」

 いつの間にかエレセリアとわたしの旅に、仲間が加わっていた。

「召喚師イリニス。これからわたくしのことは『ミフォリア』と呼んでくださいな」

 彼女の笑顔はとても美しく、いつまでも見ていたいと思ってしまった。

「別に私は構わないけど、理由が聞きたいかな」

「わたくしを助けてくれた恩返しがしたい。ただそれだけです。……それに、わたくしがいた方が何かと便利だと思いますよ」

幻想種ファンファータの代表がいてくれると、確かに何かと便利だ。よし、採用!」

 エレセリアの許可が出てしまった。でも、わたしはミフォリア様を旅に同行させるのは反対だ。

「ちょちょちょ、ちょっと待った!」

「うるさい。私の決定は覆らない」

「でも彼女は!!」

「黙らないと脱がすぞ小娘」

「ひっ」

 こうして、魔王探しの旅に仲間が加わりました。

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