第1話 魔王を探して

 今をただ生きるなんて私には出来ない。

 悲しみの果てと孤独を知ったからこそ、私は知りたい。

 だから私はもう一度行こうと思う。

 結ばれた絆の意味を知る為に。


        †


 あの一方的な戦いから二年が経ち、世界は平和を取り戻していた。

 勇者は強大な力を持つ魔族を圧倒し、赤子の手をひねり潰すような戦いを繰り広げ、魔王もあっさり倒してしまった。

 しかもこの間たったの三ヶ月、さらにそのほとんどが移動時間で戦っていた時間の方が少ない。

 終戦後。10種族は魔族を新たな種族として認め、その存在を受け入れた。

 多少というか、いくつかの種族(特に森巫種エルフ)は猛反対した。

 しかし、勇者が武力をチラつかせて黙らせた。

 まあ、それでも一年掛かったけれど。

 そんなこんなで、魔族は魔族種テラストルムという11番目の種族になったのである。

 今現在、世界は平和になっている。けれど、わたしは全然平和じゃない。胃がキリキリするし、頭痛いし。……ストレスのせいなのかな。あまり調子がよくない。

 窓を覆い隠しているカーテンの隙間から、暖かそうな光が差し込む。だがしかし、わたしにその光は眩しすぎる。

 あー仕事したくない。

 いくら早く仕事を片付けても、それの何倍という早さで仕事は増える。

 終わりのない作業。減らない仕事。

 わかってる。平和になったから忙しいんだ。

 他種族との交流が増え、外交や貿易が盛んになったことは喜ぶべきだと思う。けれど、もうちょっと仕事の量、どうにかなりませんかね。

 ……なりませんよね、知ってます。

「はぁ……。行かなきゃ」

 優しく包んでいてくれた布団と別れ、わたしは日光を遮っているカーテンをゆっくり開けた。

「ん……眩しい」

 瞳を細めながら、鍵を外して窓を開ける。

 外の空気が部屋の中へ流れるように押し寄せる。入り込んだ空気は、わたしに焼きたてのパンの匂いを届けてくれた。

 近所のパン屋さんから香る、パンの匂い。これを嗅ぐことがわたしの日課。そして、だからこそわかる。

「今日はクロワッサンか」

 確か昨日はバゲットだった。……後で買いに行こう、今日の朝食はパンに決定だ。

 日差しと風が入り込む窓から離れ、わたしは着ている服を脱いだ。そして、そのまま脱いだ服をベッドへ投げる。

 洗面台へ向かい、顔を水で洗って、その後に寝癖の確認。寝癖は大丈夫だった。

 濡れた顔を拭いたタオルを加護に投げ込みながら、制服を取りに行く。

 木製で茶色いクローゼットの中から綺麗にしまってある制服を取り出して、わたしは召喚師へ変身を遂げた。

 クローゼットの横に立て掛けてある全身鏡の前に立って、最終確認を開始。

 赤ワインのような紅色スカートにシワや汚れがないか、コルセットの位置はズレてないか、あとは寝癖が本当に直っているのかを確認する。

「それにしてもこの制服……何でこう、胸を強調するデザインなのかな」

 鏡に映る自分は召喚師の制服を着ているのだが。そのデザイン上、どう足掻いても胸が強調されてしまう。

 そんな制服の上に白い上着を羽織って、わたしは身支度を終える。

「よし!」

 そしてわたしは勢いよくドアを開けて外に出た。……っと財布忘れた。

 わたしは財布を取りに戻り、再度外へ出る。

「行ってきます」

 部屋の中にある家具達に別れの挨拶を告げて、ドアの鍵を閉めた。

 今日はいい天気だ。青くて白い雲がいくつか見える。

 石造りの街並み。

 そんな街の中をわたしはコツコツと足音を立てながら進んでいく。

「いい匂い」

 漂っているクロワッサンの匂いを嗅ぐと、わたしの足取りは少し軽くなる。

 早く食べたいという気持ちを抑え、わたしはパン屋へ急ぐ。ちょうど店が開く頃だったらしく、コックコートの女性が店の前に看板を出していた。

 その横を通ってわたしは店内へ入る。常連客になってしまったわたしは、店主や店員の方達に顔を覚えられているんだ。

「おう! イリニスさん! どうだい? 今日はクロワッサンが目玉だぜ」

「じゃあ、クロワッサン四つとバゲット二つ、あとサンドイッチを三つください」

「あいよ! クロワッサン五つとバゲット二つ、からのサンドイッチ三つね!」

「はい、それでお願いします」

 朝から元気だなぁ、と白いコックコートを着ている大柄な男性を見つめる。

 名前は確かエノルドさんだった気がする。……あ、名札付いてる。うん、エノルドさんで合ってた。

「はいよ! コロネはおまけだぜ!」

「え? あ、ありがとうございます」

 パンの入った紙袋を受け取り、わたしはお釣りが出ないようにお金を渡した。

「まいど! また来てくれよな! 待ってるぜ!」

 元気な店主にわたしは片手を振りながら笑顔を向ける。店の外に出ると、コックコートの女性が軽いお辞儀をして、わたしを送り出してくれた。そんな彼女にも笑顔を向けて、わたしは歩き出した。

 両手でパンの入った紙袋を抱くように持ち、わたしは職場である城へと向かう。


        †


 城門の前で、わたしは見知った背中を見つけた。

 彼女もわたしに気付いたらしく、一瞬視線を向けて元の一に戻す。

 っていうか、無視じゃんこれ。

「もう! 何で無視するんですか!」

「うるさい、朝から声大きい。黙れウザイ」

 鬱陶しそうにしているエレセリアにわたしはさらに絡む。

「ウザくないし! って! 勝手にパン食べないでっ!!」

「ウマウマ」

 と、エレセリアはわたしの買ったパンを食べていた。確かにエレセリアの分も買ったけれども、勝手に食べるのはどうかと思うわけですよ。

 あれ? そういえば、何でエレセリアはここにいるんだろう。

 そう疑問に思ったわたしは聞いてみた。

「あの、エレセリアは何で城に?」

「ジジイに呼ばれたんだよ。何か大切な話があるからって」

「国王に? 気になりますね、大切な話……って! また勝手にパン食べたっ!!」

「ふ……、貴様の防御がなっていないからこうなるのさ」

 わたしの買ったパンのほとんどが、エレセリアに食べられてしまった。

 彼女はいつもこうだった。二年前に出会った時から。

「もうあげませんからねっ!!」

 絶対に死守する。

 そんな勢いでわたしは紙袋に強く抱いた。けれど、何かおかしい。

「うん、いいよ。全部食ったから」

 え? ちょっと待って。

 全部、食べた……だと? そんなバカなことが――

「なん……だと……」

 紙袋にあった違和感の正体は重さだった。何も入っていない紙袋。当然、それに重さなどない。何故なら、それは紙の袋だからだ。

 クロワッサンもバゲットもサンドイッチも、おまけのコロネも全部ない。

「わたしの朝食は!? ねぇ!! わたしの朝ごはんはっ!!?」

「美味かったぜ」

「ちげーよ! そんなこと聞いてねーよっ!!」

 と、猛抗議するが。当然のように無視される。

 わかってる、もう同じことを何度も繰り返してるから。エレセリアがどういう対応をするのか知ってるんだ、わたしは。

「パン……」

 そりゃ食べたかった。あのパン屋で朝食を買うのが日課みたいなものだったから、食べなきゃ一日の始まりという感じが上手く掴めないから。

「ほれ、昨日のあまり。パンのお礼」

「っ!? っとと?」

 エレセリアが投げたモノを危うく落としそうになりながら、わたしはそれを掴む。

 昨日のあまりで、パンのお礼の品がこれか。何なんだろう、エレセリアのことだから何か変な……。

「おにぎりだ!!」

 何かの葉っぱに包まれている丸いおにぎり。しかも二つ。

「いいんですか!?」

「食え食え」

「やった!」

 エレセリアは料理が上手い。その料理の上手さは国王直属の料理長が弟子入りを志願するほどだ。

 そんな彼女が作ったおにぎりともなればさぞかし美味のはず。正直パンなんてどうでもいい。

「具は何ですか?」

「昨日の晩飯の残りだから、自作のタレで味付けした肉が具だと思う。あとは具なしの可能性もあるね」

 是非、自作タレ付きの肉でお願いしたい。

「ほら開いたよ」

「あ、はい!」

 閉じていた城門が開き、わたしとエレセリアは城の中へ入って行った。


        †


 まず報告。おにぎりの具は肉だった。

 そして、城の中に入ったわたしとエレセリアは国王の元へ向かう。

 もちろんボルバーニス8世はまだ生きてる。『孫の顔を見るまで死ねん』ってよく言ってるし。

 そして挨拶に行ったわたしは、国王から思いもしなかった言葉を耳にしたんだ。言葉というか命令的なモノをね。


        †


「昨夜、魔族種テラストルムの代表補佐から文が届いてな。どうやら魔王が行方不明になったらしいのじゃ、種族会議を控えているというのに。……そこで、エレセリアとイリニスに魔王を見つけてほしい。どうにか種族会議が始まる前にの」

 わたしは唖然とした。開いた口が塞がらないとは、まさにわたしのことを指す言葉だろう。

「ちょ、ちょっと待ってください! 魔王が行方不明ってどういうことですか!? 魔族種テラストルム代表の彼が不在なんて知れたら、種族会議がっ!!」

 わたしは軽いパニック状態だった。

 何せ、数百年ぶりに開催する種族会議は魔族種テラストルムについての話し合いなのだから。その魔族種テラストルム代表が不在なんて論外。他種族から何を言われるかわかったもんじゃない。

 というか最悪の場合、戦争になるかもしれない。

 魔族種テラストルムの存在をよく思っていない種族(特に森巫種エルフ)が何かと文句を付けて攻め込んでくる可能性がある。

 あの純血脳なら混血である魔族種テラストルムを認めるわけがないし、やりかねない。

「今、世界は平和と共存の道を歩み始めている。ここで道を逸れるわけにはいかんのじゃ」

 深刻そうな表情で国王はわたしとエレセリアに告げる。

「だから、エレセリアよ。再び、手を貸してはくれぬか?」

 二年前のように、とボルバーニス8世は付け加えた。

 それに彼女はどう答えのるか。

 緊張した眼差しで、わたしと国王はエレセリアを見つめる。

「……ま、別に探すのはいいんだけどさ、探すってどの辺を探すの? それ大事よ」

 なんと、とてもあっさり承諾してくれた。

 彼女なら文句の一つくらい言いそうなのに。

 そんな彼女の対応に少し困った様子で、国王は質問に答える。

「探す地域は彼が行方不明になる前に訪れた場所や地域かの」

「つまり魔王探しの旅ってわけね。燃えるね、燃え上がっちゃうね。さて今すぐに行こうかね」

 と珍しく、本当に珍しく。空から女の子が降ってくるんじゃないかと思うほど、エレセリアはやる気に満ちていた。

 二年という歳月。彼女とわたしは友人としての関係を築き、仲良くしていた。けれど、こんなにやる気満々のエレセリアを見たことない。

「まあ待てエレセリアよ。出発は明日じゃ、旅に出るからには準備が必要じゃろう」

「いらねーよ、必要なモノは現地調達で十分」

「二年前はそれでよかったかもしれないが、今は違う。移動手段も馬車や徒歩ではなく、列車じゃ。戦時中に物資の運搬を目的として神鋼種ディオスティールが作り出した列車も、今やただの移動手段。他種族の国と国を繋ぐ固い線となっておる」

 そう、今や列車が主な移動手段となっているのだ。何せ、徒歩だとここから隣の森巫種エルフの国まで、最短の道を通っても二十日は掛かってしまうのだから。この世界は何故か無駄に広い。

 二人の会話を聞いていたわたしは国王に質問をした。

「あの、魔王が行方不明になる前に訪れた場所って?」

「神樹の森にある中立街・ハートボンド。そして海霊種ゼーガイストの国・シーアライアンスじゃ」

 中立街・ハートボンド。そこは神樹の森に住む森巫種エルフ獣人種クティーリアの国境付近に存在する、どちらの国にも属している特別な街だ。最近は他種族の移民や観光が多くなったと聞く。

「中立街にはまだ数は少ないが魔族種テラストルムも住んでいてな。魔王は移住の礼にでも行ったのだろう。移住を許してくれた者達への感謝を述べる為にの」

「そう、ですか」

 わたしは少し驚いていた。

 二年前では考えられなかった魔族種テラストルムとの共存。それが夢ではなくて、現実で起きている。こうして世界が平和になったのも、世界が変わったのも、全て彼女のおかげだ。

 そう考えたら、嬉しくなってしまい。唇に幸福の笑みが浮かぶ。

「何笑ってんの? 気持ち悪い」

「んなっ! 気持ち悪いとは何ですかっ!」

 一瞬で胸に広がっていた幸福が消えた。返して、わたしの幸せを。

「そもそも人の笑顔を気持ち悪いって普通言わないでしょ! もしも仮に言ったとしても本人の目の前で、本人に向かって言う言葉じゃないでしょ!! エレセリアはもっと言葉を選んだ方がいいと思う!!」

「……え? 何? ごめん聞いてなかった」

「ウソ! 聞いてた! 凄くウザそうな顔してた!」

「何だよ、見てたのかよ」

「見てましたぁ! ずっと見てましたぁ! ずっとぶッ」

「うるさい」

 鼻フックされた。

「うわぁ、汚い……」

 そしてわたしで拭かれた。

「今自分からやりましたからね!」

 自らわたしの鼻の穴に指を突っ込んだというのに、汚いとは何だ。しかもその指をわたしの服で拭くなんて。

 ちょっとここらで、わたしにも怒りという感情があることを教えてあげるべきかもしれない。

 ……と思ったけれど、止めておこう、反撃が恐ろしすぎる。

 いつか、いつか仕返しをしてやろう。

 そう思いながら、わたしは国王に視線を移す。

「コホン。わかりました。必ず、種族会議までに魔王を探し出してみせます」

「あ、ああ。頼んだぞ、二人共」

 こうして、エレセリアとわたしは二度目の旅に出ることとなった。


        †


 城を後にしたわたしは一旦自宅へ戻り、旅の準備を始めていた。

 二年前の旅で学んだ経験を活かし、今回は旅に必要なモノだけを用意する。

 大抵のモノは旅先で購入すれば何とかなる。つまり、必要なモノは旅先で用意出来ないモノというわけだ。

「……よく考えたら魔鋼具まこうぐ以外、現地調達出来るんだよね」

 魔鋼具――それは魔術を使用する際に必要となる道具。

 魔鋼まこうと呼ばれる石を加工して生み出される魔鋼具は、所有者の魔力を注ぎ込むことによって魔術という奇跡を起こす道具。

 その魔鋼具の歴史は……。

 ――と、長ったらしい説明を省いてみる。

 要するに、魔鋼具がなければ魔術は発動しないということ。

 そして、魔鋼具の形は様々で、わたしの魔鋼具は右手中指にある、青い魔鋼の指輪。それと同じ魔鋼で作られた左耳にあるイヤリングの二つだ。

「魔鋼具以外で必要なモノ……」

 服や食料は現地調達でいいし、移動手段は列車だから切符さえあれば乗れる。あと何が必要なんだろう。

 少し考えた結果。

 結論、やはり現地調達で間に合う。

「さてと、準備終わっちゃったし、お父さんとお母さんに会いに行こうかな」

 長い旅にはならないと思うが、両親に黙って旅立つわけにはいかない。

 小さなバックを肩に掛け、わたしは旅の準備を終える。

 ぐるっと部屋を見回し、ちゃんと戸締りがしてあるか確かめた。うん、バッチリ。

「それじゃ、行ってきます」

 我が家に別れを告げ、わたしは実家へ向かう。

 久しぶりにお母さんの手料理を食べて、その後は夜になるまでぐーたらする。日が沈んだら夜ご飯を食べて、明日に備えてぐっすり眠るんだ。


        †


 昼過ぎ。

 わたしはそこに存在する巨大な物体を見つめていた。

 これが列車……。

 白く輝く粒子を放出し続けるその巨体。

 魔鋼と神鋼種ディオスティールの魔力を燃料として動く機関車は改装され、大戦時のモノとは雰囲気がまるで違う。

 銀色に輝くボディは少し汚れていて、長い間走り続けていたことがわかる。確か、大戦時は夜間に物資運搬をしていたから黒い色だったっけ。

 そんな列車は我が国唯一の駅に、出発時刻を今か今かと待ちながら停車している。

「凄い……」

 見惚れた。

 見たことは何度かあった。でも、こんな間近で見たことは一度もなかった。そして乗ったこともなかった。まあ、運賃が高いからっていうのが主な理由なんだけど。

 車両のドアが開き、紺色の制服を身にまとった人々が中へ荷物を運び始める。食料や乗客の私物。そして他種族への輸出品。

 もちろん、車両から下ろす荷物もある。箱詰めされていて何かわからないが、他種族からの輸入品だろう。

 そんな光景を車掌の神鋼種ディオスティールは真剣な表情で見ていた。

 こうやって人類種ノイアルマの国に神鋼種ディオスティールがいるなんて、昔じゃ考えられなかったことだ。

 改めて感じる。世界が平和になったのだと。

 嬉しくなったわたしは、隣であくびをしている彼女に声を掛けた。

「凄い……凄いですよ! エレセリア!!」

「うるさい。いちいち子供みたいにはしゃがないの、アンタ大人でしょ」

「だって列車ですよ! 列車! 世界中どこでも行ける便利な乗り物ですよ!!」

「はいはい、そうだね。便利だね」

 そう言うとエレセリアは体を伸ばして、大きなあくびをした。何故か凄く眠たそうな顔をしている。いや、面倒くさそうな顔の間違いか。

 よく見ると、何だか懐かしい服装をしていた。

 両手にガントレットはなかったが、動きやすい作りのドレスみたいな服。

 少し服が変わったけれど、これは間違いなくエレセリアの戦闘服。二年前の旅でも同じような姿をしていたのをわたしは覚えてる。

 そんな彼女の姿をみたら、本当にまた旅が始まるのか。と改めて実感する。

 彼女から視線を外し、わたしは見送りに来てくれた人達に別れの挨拶を始めた。

「見送りに来てくれてありがとうございます。召喚師イリニスと勇者エレセリアは必ず、種族会議までに魔王を見つけ出します」

 国王や騎士団長。そしてわたしの両親。彼らに敬礼をしながらわたしは微笑む。

「では、行ってきます」

 そう言って、わたしは車両に乗り込んだ。

 わたしの後に続いてエレセリアが乗り込もうとすると、お母さんがエレセリアを呼び止めた。

 お母さんがエレセリアに用なんて珍しい。

「あのエレセリアさん……」

「ん? ああ、イリニスのお母さん。何です?」

「娘をよろしくお願いします」

 と深々と頭を下げるお母さん。その隣でお父さんも頭を下げていた。

「お父さん、お母さん。安心してください、何があっても骨だけは持って帰って来ますから」

「え?」

 お母さんの顔が凍りつく。

 って、おい! 何てことを言ってるんだ! あの人はっ!!

 わたしは車両から飛び降りた。

「大丈夫だからっ! 今回の旅は全然危なくないからっ!! ていうか、エレセリア!! うちの母は心配性なんだからそういうの言わないでっ!!」

 大丈夫? 本当に大丈夫なの? とわたしの手を握っているお母さん。どう見ても心配しているご様子。

 だからわたしは言う。

「大丈夫だから。本当に大丈夫だからね。心配しなくて平気だから」

 お母さんをお父さんに預け、わたしとエレセリアは車両に乗り込む。本当ならちゃんと安全な旅だっていうことを伝えたかったのだが、もう出発時刻が近くて話している余裕がない。

 エレセリアが余計なことを言わなければ、こんなことにはならなかったのに。後で説教だ説教。

 見送りに来てくれた人達に別れを告げ、エレセリアとわたしは車両に乗り込んだ。するとドアが閉まった。わたし達が最後の乗客だったらしい。

「うわぁ、広い」

 まず最初に感想を述べてみた。

 これが本当に列車の中? そんなバカな、と思ってしまうほど内装は豪華で宿みたいだった。

 これが俗に言う一等というヤツか……。

 聞いたところでは、一車両まるごと客室らしい。いくらしたんだろう、この車両。怖くて考えたくない。

 エレセリアも内装の豪華さに驚いているらしく、隅から隅までじっくりと見つめていた。

「あのジジイやるじゃん。さすが国王様。金を無駄に使いやがったか」

「む、無駄じゃないですよ!」

 国王に仕える者として、お金を無駄使いしたと認めるわけにはいかない。

「ほら、その、長旅だから国王はわたし達に気を使ってくれたんですよ!」

 フン、とエレセリアは鼻で笑った。

「じゃ、そういうことにしておく」

 はい、そういうことにしておいてください。

「それにしても、本当に広いね。というか、目的地までどのくらい乗るの?」

「十日です」

「は?」

「十日間ずっと走り続けますよ」

「それちょっと長くない?」

 そう言うエレセリアに、わたしは二年前のことを思い出しながら答える。ちょっと遠くを見るような眼で。

「二年前に比べれば……楽じゃないですかぁ……」

「そうだったぁ……」

 同じようにエレセリアも遠くを見るような瞳をする。

 二年前の旅では列車なんて便利なモノはなかった。つまり、移動手段は徒歩か馬車だったわけで……。

 二十日間ずっと歩いて移動したっけ。懐かしいなぁ。

 思い出に浸りながら、わたしは部屋の窓を開ける。そして身を乗り出して、

「行ってきまーす!!」

 そう言って皆に手を振る。

 国王と騎士団長、それにお父さんとお母さんが手を振り返してくれた。

「頼んだぞ! 二人共!」

 騎士団長に言われ、わたしは力強く頷いて答える。

「はい! 任せてください!」

 エレセリアも皆に手を振るが、彼女らしくヒラヒラと面倒くさそうな動きだった。

 そんな彼女を見てわたしは微笑む。

 汽笛が鳴り響き、先頭で客室車を牽引する機関車が徐々に動き始める。わたし達が乗っている客室車も徐々に動き始め、列車は目的地へ向けて走り出した。

 わたしは手を振り続けていたが、皆はどんどん小さくなっていき、そして見えなくなってしまった。

 ――本当にまた旅が始まったんだ。

 何だか少し緊張する。

 でも、その緊張を楽しいと思ってる自分がいる。

 だから、もっと楽しくしよう。

 ソファーに座っているエレセリアに、わたしは大きな声で言った。

「エレセリア! トランプしましょ!!」

 凄く嫌そうな顔をしているが、彼女に拒否権は与えない。

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