私以上の勇者はいない

西條神無

プロローグ 勇者なんていなかった!?

 戦争、争い、殺し合い……。

 戦って、勝って、敵を殺して、私は何を得たのだろうか。

 どんなに……。

 どんなに、どんなに、戦っても……。

 私の願う世界は生まれない。


        †


 震える手を動かしながら、日を遮ってしまうほど生い茂っている森の中で、わたしは準備を整えていた。

 地面に書いてある魔術印をなぞるように、大きさの違う丸い石を並べる。

 これは一生に一度しか出来ない、失敗の許されないモノだ。だからこそ、わたしは緊張している。

 手が震えているせいで、上手く石が並べらないことに苛立ちを覚えながらも、準備は続く。

「……大丈夫、大丈夫。絶対に成功する」

 わたしは自分を励ます。そうしないと、失敗しそうで怖かった。

 何でわたしなの? ……なんて今更言えない。そもそも、わたし達にそんなことを言っている余裕なんてない。

 わたしが今から行う召喚魔術で、この世界は変わる。

 わたし自身。どう変わるかはわからない、けれど現状を打破するにはやるしかないのだ。

「勇者の召喚が、この世界を変える……。勇者が世界を救ってくれる」

 だからわたしは召喚する。

 世界を救ってくれる勇者を。

 魔王を打ち滅ぼしてくれる英雄を。

 この争いを終わらせてくれる救世主を。

 石を並べ終えたわたしは息を整えて、大きく、強い思いを込めた声で言う。

「お願いっ! わたしの声に――思いに答えてっ!!」

 わたしは地面に膝を付いて、円の列を成す石に魔力を流し込む。すると、一つまた一つ、と丸い石に光が生まれる。

 次第に光は広がり、全ての石に青い光が灯った。

 ぐにゃりと空間が歪み始め、少しずつ歪んでいた空間は人の形を作り出す。

 そこに現れたのは、美しく伸びる手足のシルエット。

「女の人……?」

 どうやら、わたしは女性勇者を召喚したようだ。

 シルエットは徐々に正確な形となり、彼女がどういう服装なのか、視界に捉えただけでわかるようになった。

 けれど、わたしの首は自然と傾いていく。

「……あれ?」

 森の中で日の光が差し込まないからなのか。わたしの瞳には、黒っぽい服装の女性が写っている。

 しかも、彼女は玉座的なモノに足を組みながら座っていた。それはもう気品たっぷりで偉そうに。例えるのなら、魔王という言葉がぴったりな雰囲気だ。

 直感で恐怖を覚えた。けれど、それはたったの一瞬だけ。彼女の姿を見れば見るほど、わたしは視線を動かせなくなる。

「……綺麗な人だ」

 態度は別として、とても美しい女性だった。

 綺麗にすらっと伸びる細く美しい足を交差し、ふんぞり返って座っている彼女。わたしはさっき、魔王と例えたけれど、訂正しよう。彼女は魔王じゃなく女王様だ。

 そんな彼女は、閉じていた瞳をゆっくりと開ける。

 まぶたの下に隠れていた紫色の瞳が露わとなり、煌く二つの瞳は真っ直ぐわたしを捉えていた。

 上から下に視線を動かした後、彼女はゆっくり息を吐く。

「……お前が私を呼んだのか?」

 風貌どおりの声。耳を当然のように通り、脳内に響かせる。わたしはこれほど自然に聞こえる声を、今まで聞いたことがない。

 そのせいでわたしは容姿に見惚れ、声に聞き惚れていた。

「聞こえてない?」

 その彼女の声で、やっとわたしは我に帰ることが出来た。まさか、こんなにも美しい人を召喚するなんて。これも何かの縁なのだろうか。

「い、いえ。聞こえてます。すみません、ちょっとあなたに見惚れてしまいました」

 わたしは正直に遅れた返答の理由を述べた。

 すると、わたしの言葉に彼女は口元を緩ませる。

「あはは、それは仕方ない。私は美女だからね。声も体も全てが美しい私に見惚れるなんてことは、当然だ。それこそ自然の摂理さ」

 そう言った彼女はふふん、と自慢げな表情でわたしに視線を送ってくる。

 ……あれ? ちょっと言ってることが理解出来ない。

 待って、落ち着いてわたし。

 額に手を当てて少し悩んだわたしは、彼女と会話というキャッチボールをすること決めた。

 まずは名前からだよね。自分から名乗るのが礼儀って言うし、わたしから――

「私はエレセリアっていうんだけど、お前誰?」

「っ!? あ、ああ、えっと……」

 まさか先を越されるなんて。でも大丈夫、ここでちゃんと名乗ればキャッチボールとして成り立つ。

 玉座に座ったままのエレセリアさんに、わたしは自分の名前を伝える。

「わたしはイリニスといいます。訳あって、あなたを召喚させていただきました」

「召喚? ……あぁ、召喚魔法的なヤツね。確かにそんな感じの痕跡があるわ。でも、何か違う。私の知ってる召喚魔法より劣ってるというか……」

 召喚、魔法……?

 ええと、待って、わたしがエレセリアさんの投げたボールを取れてない。

 だがしかし。ここでキャッチボールを破棄してしまえば、今後のコミュニケーションに支障が出てきてしまう。

 何とか頭を使って、わたしはエレセリアさんに言葉というボールを投げた。

「突然のことで混乱しているのも無理はありません。落ち着いてわたしの話を――」

「落ち着いてるし、特に混乱もしてないけど?」

「あ、はい、そうですよね。すみません」

 そう。エレセリアさんは凄く落ち着いていて、混乱もしていないのだ。

 だからこそ、わたしが考えていた台詞や話の運び方の台本が音もなく崩れ去った。 正直、もう何を言えばいいのかわからない。

「それで、私を召喚した理由って何さ。何か壮大な理由があるんでしょ? 自分達じゃ無理だから助っ人を呼ぼうってなってるんだから」

「はい、その通りです。わたし達には手に負えない事態で……だから勇者を召喚して、勇者に力を借りようと思いまして」

 そう説明を始めたわたしは驚いていた。

 わたしが召喚したエレセリアさんという女性は相当頭の回転が早いようで、自分に必要な情報を自ら引き出そうとしている。

「待った。勇者を召喚って言った?」

「は、はい。別の次元から勇者を召喚しました……わたしが」

 鋭い眼光に少し怯えながらわたし答えた。

 何が気に食わなかったのだろう。

 もしかして『勇者』って言ったのがまずかったのかな。やっぱり『勇者様』の方がよかったのかも。でももう言っちゃったし、もう遅いし、手遅れだし……。

「あのさ」

「はいっ」

「何緊張してんの? もっと肩の力抜いた方がいいよ」

「あ……はい」

 そう言われたわたしは肩の力を抜く。そうして、ようやく力が入っていたことに気付いた。

 ……恥ずかしい。初対面の人、しかも美人に気を使われてしまうなんて。

「私が勇者ってことでいいんだよね?」

「え? あっ、はい! そうです、あなたが勇者様です」

 納得したように何度か頷いた後、エレセリアさんは玉座から立ち上がった。

 そして体を伸ばしながら視線をわたしに向ける。

「イリニスだっけ」

「はい、わたしの名前はイリニスですっ」

「そか、じゃあイリニス。そろそろ私が呼び出された理由を聞こうか。私が勇者ってのはわかったからさ」

 エレセリアさんは玉座から離れ、ゆっくりとした足取りで近付いてくる。

 生い茂る木々が光を遮っていた為、よく見えなかった彼女の姿が木の枝から差し込む日光に照らされて鮮明に見えるようになった。

 首元に掛けているチャーンには大きさの違う二つのリングがあり、黒色と鮮やかな紫色を基調としたドレスに似た服といいバランスを取っていた。

 けれど、そのドレスに似た服は動きやすいように丈は短く、汚れのない長くて白い脚が見えている。

 胸部は綺麗に膨らんでおり、身体と調和が取れた大きさだった。それはまるで芸術のよう。男の人の視線が吸い寄せられてしまうのが納得出来る。

 そして両腕には鋭い爪のガントレットが備えてあり、彼女の素手は見えなかった。

 そんな服装をしているエレセリアさんだが、戦闘服にしては少し露出度が高い。そのせいで防御性能が低いように思える。

「何ジロジロ見てんだよ」

 そう言われ、わたしはハッ! と我に帰る。

「すみません。つい見惚れてました」

「何? そういう系の人なの?」

「ち、違いますよ! わたしの恋愛対象は男の人ですっ!!」

「……女でも見惚れてしまうこの美貌。美しすぎるって罪だわー」

 そう言うエレセリアさんは喜んでいる様子ではない。これはわたしの予想だけど。多分、彼女は慣れている。綺麗だとか、美しいだとか。そういう褒め言葉を聞き飽きているのではなかろうか。

 ……わたしも褒め言葉を聞き飽きてみたいなぁ。

「ま、私が綺麗すぎるのは置いておいて。理由を聞こうか、召喚の理由をね」

 と言うエレセリアさんだったけれど、何故かわたしの横を通って歩いていく。

「え? どこに行くんですか?」

「街とかあるでしょ、歩きながらでも会話は出来るよ」

「ああ、そうですね」

 納得した。確かに移動しながらでも話は出来る。

 エレセリアさんの後を小走りで追い、わたしはすぐに追いつく。そして同じ速さの足取りで歩いて、肩を並べた。

「あの、座っていた玉座的なモノは放置でいいんですか?」

「ん? 今の私には必要のないし、いいんじゃない? というか、それよりも早く説明してほしいんですけど?」

「あっ、すみません。えっと、でも何から話していいのやら……」

 昼間だというのに薄暗い森の中。わたしはエレセリアさんに何から説明すればいいのか悩み始める。

「テキトーで簡単に話して。もちろん理解しやすいようにね」

「あ、はい。わかりました」

 テキトーで、簡単で、理解しやすく。

 ある程度の構成が決まったわたしは、歩きながらエレセリアさんにこの世界で起きていることを話し始めた。

「まずですね。今、この世界は戦争中なんです。それも世界規模の」

「ほぉ、そりゃ大変だ。……ってことは、私のやることは戦争に勝利することかね」

「まあ、そうですね。正確には戦争に勝利と言うより、魔王退治の方が正しいです」

「え? 魔王退治? マジで?」

 何故かエレセリアさんは『魔王』という単語に反応した。

「はい、本当です。魔王率いる魔族との戦争なので、魔王が倒されれば戦争は終わります」

「ふーん、そう。魔王退治か」

「勝手に呼び出しておいてなんですが、引き受けてくれますか?」

 わたしは恐る恐る聞く。もしここで断られたら、わたしピンチ。

「いいよ別に。面白そうだし」

「え? 本当ですか!」

「う、うん。本当だから手離して」

 嬉しさのあまり、わたしはエレセリアさんの手を掴んでいた。

 すみません、と謝罪しながら彼女の手を離す。……それにしても硬かった。

「それで、私はどこに向かってるの?」

「えっとですね、まず国王様に挨拶をしなければならないので」

「つまり城か。ほら、早く案内して」

 催促されたわたしは『では、案内しますね』と言い。エレセリアさんの前を歩き始めた。

 ここから王都までそう遠くない。

 けれど、移動している間ずっと沈黙というのも寂しい。

「あの、エレセリアさん」

「ん? 何?」

 彼女の美しい瞳がわたしを直視した。その瞬間、わたしはエレセリアさんから目を逸らしてしまう。何というか、恥ずかしいといいますか。照れるといいますか。

 こんな美女に見つめられるのは同性でも照れてしまう。逆に言うと、同性すら魅了してしまうほど彼女は美しかった。

「呼んでおいて目逸らすのはどうかと思うよ」

「すみません。目が合いそうだったので、つい」

 と、モジモジしながら言ったのがマズかった。

「お前、やっぱりそっちだろ。そういう雰囲気するぞ」

 足を止めて、わたしを凝視するエレセリアさんはちょっと引いていた。

「違いますよっ!!」

 そう否定したけれど、エレセリアさんは信じてくれなかった。そして『嘘だぁ』と言いながら、エレセリアさんはわたしと距離をあける。

「うぅ……違うんですよ、本当に違うんです」

「わかったわかった。わかったから、徐々に近づいて来ないでお願いだから」

「本気で引いてるじゃないですか!」

 もう泣きそうだった。確かに女の子同士がイチャラブする本は何冊か持っている。

 けれど、わたしの恋愛対象は男の人なのだ。それに間違いはない。

 当然、わたしの心の声がエレセリアに届くわけもなく、誤解を解くのに数時間も掛かっていた。

 だからなのか、気が付くとわたし達は王都に辿り着いていた。


        †


 城に到着したエレセリアが最初に放った一言。

「うわ、攻め落としやすそうな城」

 どうやら、人類種ノイアルマの代表が住む城は攻め落としやすいそうだ。

 巨大で頑丈そうな城門をくぐり、わたし達は城の中へと入っていく。

「おぉ、綺麗じゃん」

 城の中に入ったエレセリアさんは体ごと、クルクルと回りながら周囲を見渡す。って、そんな回ってると……。

「あ、ヤバイ。世界が回ってる」

「遊んでないで行きますよ。ほら、わたしに掴まって」

 ふらふらと体を揺らしているエレセリアに肩を掴ませ、わたしは彼女が転ばないように気を使いながら国王の元へ急ぐ。

 歩いていく内に、エレセリアさんの平衡感覚は戻った。

 階段を上がり、廊下を歩き続け、また階段を上がる。そして再び廊下を進む。

 道中、見回りをしている兵の人に挨拶をしながら長い経路を進み、やっとわたし達は国王がいる部屋にに辿り着く。

 他の扉と明らかに作りが違う高貴な扉。その前でわたしはエレセリアさんに釘を打ち込む。

「ここにボルバーニス8世国王がいます。今から挨拶をするので、くれぐれも失礼のないようにお願いしますね」

「任せなさい。これでも私はマナーいい方だから」

 自慢げに言ったエレセリアさんに、わたしは疑いの眼差しを送る。

「何さ、疑ってんの?」

「いや、別に」

 はい、疑ってます。なんて目の前で言えるか!

 不安は残るけれど、ここは彼女の言葉を信じるしかない。

 この美貌だ、きっとマナーだってちゃんとしているに違いない。そうに決まってる。というか、そうであって、お願い。

 すぅー、はぁー、と深呼吸の後。わたしは扉を軽く叩いた。

「しつれ――!!?」

 動きが遅く見えた。

 わたしの右隣で扉を蹴破ろうとしている美女の姿。その顔には笑顔が溢れている。

 ああ、神様。彼女は何をしているのでしょか。

 この後に待ち受ける展開。それを予想したわたしは静かに涙を流す。

 ごめんなさい。お父さん、お母さん。わたし、職を失うかもしれないです……。

 そして。ドンッ! という大きな音を響かせながら、扉は崩壊する。

「どうも、勇者でーす」

 そう言いながら、堂々と中へ入っていくエレセリアさん。そんな彼女をわたしは放心状態のまま見つめる。

「ん? 何してんの、行くよ」

 動かないわたしの手を掴むと、エレセリアさんは強引に引っ張る。

 あぁ、もうダメだ。終わった……。

 わたしの頭は思考を完全に停止させている。何故なら、目の前で起きた現実を認めたくないからだ。

『止まれ。何者だ貴様』

「ああん? お前こそ誰だよ」

 あれ、エレセリアさんが男の人と険悪なムードになっている。しかも、どこかで聞いたことのある声だったな……。

『騎士団長として、貴様のような賊はここで処刑する!』

「はぁ? 何言ってんのアンタ」

 そうか、今の声は騎士団長の声だったか。

 ……騎士団長? って騎士団長っ!!?

「待った! ストップ! ストップ!!」

 睨み合っている彼女達の間に体を差し込んだわたしは、両手の手のひらを二人に向ける。

「こ、これはイリニス召喚師。何故あなたがここに?」

 わたしに気付いたアルカナル騎士団長は目を丸くしながら、鋭い刃の剣を下ろす。

 話を聞いてくれる雰囲気になったことを確認し、わたしは事情を話した。

「すみません、多少の手違いで扉を壊してしまいました」

「手違い? ……そうか。それで、そこにいる女は?」

 ずっとアルカナル騎士団長を睨んでいる女性。

 それはもちろん、間違えることなく、エレセリアさんだ。

「えっと、彼女はわたしが召喚した勇者様です……はい」

「何? 勇者だと?」

 アルカナル騎士団長は眉を寄せ、エレセリアさんに敵意むき出しの視線を向ける。

 それに答えなくていいのに、エレセリアは答えるように睨み返す。

 ある意味熱い視線を贈り合う二人の姿を見たわたしは、覇気のない息を吐きながら頭を抱える。

 すると、誰かが近付いてくる足音が聞こえた。

「ホッホッホッ、これはこれは面白い。そなたが勇者で間違いないのか?」

 優しい声。白く長いヒゲを生やし、金色に輝く王冠を被っている老人。人類種ノイアルマ代表・ボルバーニス8世国王がそこにいた。

 ……って国王様!?

 笑みを絶やさずエレセリアを見つめるボルバーニス8世国王に、わたしは現状をどう説明すればいいのか必死に考える。

 まず勇者を召喚したこと、扉を蹴破って騎士団長と揉め事になりそうなこと。

 それら全てを嘘偽りなく伝えなければならないなんて……。お願い誰か代わって。

「あ、あの……彼女が勇者で間違いないです。わたしが召喚しました」

「おお、そうかそうか。よくやってくれたぞイリニス」

 震える声で言い切ったわたしに、国王様は優しい言葉と笑顔を返してくれた。

 そのおかげで、わたしの胸の痛みは少し和らぐ。

「何だ老いぼれ。お前が王か?」

 ここでエレセリアが爆弾を投下。わたしとアルカナル騎士団長は硬直。そして、二人で国王様の様子を恐る恐る伺う。

「老いぼれか、確かにそうじゃな。それに、そなたのように美しい者に言われる言葉なら、全てが褒美だわい」

 と少し嬉しそうな国王様を見て、わたしは心底安心した。よかった、怒ってない。

「ほれ、立ち話もなんだ。座って話そうじゃないか」

 そう言うと、ボルバーニス8世国王は部屋の中心にある円型のテーブルへ向かう。

「行きますよ、エレセリアさん」

 彼女を連れ、わたしは国王様の後に付いて行く。

 ボルバーニス8世国王は自分の椅子に座ると、わたし達に『座りたまえ』と言いながら右手で椅子を差した。

「失礼します」

「失礼いたします」

 わたしとアルカナル騎士団長はそう言ってから椅子に座ったが、エレセリアさんはあくびをしながら座った。

 その座り方が気に食わなかった騎士団長は眉を寄せて、エレセリアさんを睨む。しかし当の本人は気付いていない。

 使用人のメイドが紅茶の入ったティーカップをそれぞれの手元に置いていく。

 わたしはすぐ手を伸ばし、カップを口元へ運んだ。

 すると、ふわっと甘い香りが漂い、鼻を通って肺に入る。

 緊張のせいか、わたしは喉が渇いていた。紅茶は少し熱かったけれど、喉を潤すのにはちょうど良かった。

 そして、わたしはコホンと咳払いをして、口を開く。

「国王様、紹介が遅れました。彼女が勇者のエレセリアさんです」

「どうもー」

 再びアルカナル騎士団長がエレセリアさんを睨むが、彼女は紅茶を飲んでいた為、それに気付かなかった。……いや、気付いていて無視しているのかも。

「それでエレセリアさん。こちらが我が国の国王であり、人類種ノイアルマの代表・ボルバーニス8世国王様です」

「初めまして、エレセリア。ワシがこの国の王で、人類種ノイアルマの代表を勤めている老いぼれじゃ」

 笑顔で言う国王様に視線を向けると、エレセリアは不思議そうに言った。

「さっきからさ、ノイアルマって言ってるけど。それ何?」

「……おや、人類種ノイアルマを知らない?」

 そこでわたしは国王様に、まだ詳しいことを教えていないことを伝える。

「国王様。すみません、まだ種族のことを話していないんです」

「おお、そうじゃったか。なら早く話すとしよう。……と、その前に、エレセリア。改めて聞くが、本当にそなたは勇者として働いてくれるのか?」

 笑みが消え、真剣な表情になったボルバーニス8世国王は、落ち着いた声音でエレセリアさんに聞く。

 大きなあくびをしながら頷いた後、エレセリアさんは親指を立てながら答えた。

「任せろ。魔王なんて血祭りだぜ」

 その姿を見たボルバーニス8世は、普段どおりの顔に戻り『そうかそうか、頼むぞ』と満足そうに言った。

 そしてわたしに国王は視線を向ける。多分、この世界の状況を説明しろということなのだろう。

 コホン、と咳払いをしたわたしはエレセリアに説明していなかった、この世界のことを話し始める。

「エレセリアさん、まずこの世界に住んでいる各種族について話しますね」

「駄目」

 なん……だと……?

 一瞬、躊躇ってしまったが、わたしは無視して続けることにした。

「この世界の名は〝ピースパーク〟10の種族が存在している世界です」

「10の種族?」

「はい、10の種族です」

 とわたしは各種族の名前を口にする。


――偶然の奇跡で生まれた〝幻精種ファンファータ

――生み出され、生み出す〝神鋼種ディオスティール

――世界の記録を任された〝天想種イディア

――海と共に生きる〝海霊種ゼーガイスト

――神樹を崇め、加護を得た〝森巫種エルフ

――魂を龍に変化させた〝龍魂種ウィルドラッヘ

――肉体を半獣化させた〝獣人種クティーリア〟 

――肉体そのものを捨てた〝幽魔種ゾイレス

――鬼の力をその身に宿した〝妖鬼種ディアニモ

――知恵を磨いた〝人類種ノイアルマ


「そして……混血種の魔族が存在しています」

「待った。混血含めたら11種族になるんだけど?」

「はい、そうなんです。それが大問題で、それこそが戦争の原因なんです」

 というわたしの言葉に、エレセリアさんはさらに困惑の表情を浮かべる。

 いきなり、この世界にはたくさん種族がいます。と言われたのだ、混乱しない方がおかしい。

 頭の中を整理している彼女に、わたしは真剣な表情と声音でさらに言う。

「この世界の住人は混血を最も嫌い、存在を許しません。けれど、いつの時代でも必ず混血は生まれてしまう。だから10種族はそれぞれの方法で混血を追放するんです。荒れ果てた土地に、死んだ大地に。その追放された混血の者達を魔の種族〝魔族〟と呼ぶんです」

「……それで?」

「今から100年以上前、魔族の中に魔族を束ねる存在が現れ、彼の先導により、魔族は他の種族全てに宣戦布告しました」

「それが戦争の始まりってわけね」

「はい、各種族がそれぞれ魔族の侵攻を食い止めようとしましたが、魔族の力は強大で止めるどころか、領土を侵略されていきました」

「だんだんわかってきた。それで各種族がバラバラに戦っても勝てないってことに気付いたから、10種族で連合軍を作ったわけだ。そうでしょ?」

 わたしは少し驚きながら頷いた。まさか、こんなに理解が早いなんて。

 そう思っていると、エレセリアさんは続けて言った。

「連合を組織したけれど、それでも魔族は強かった。いや、強すぎた。10種族が束になっても勝てず、戦況は悪くなっていくばかり。だから私、つまり、異世界から勇者を召喚したんだよね?」

「は、はい。そうです」

 何なんだこの人は。何でここまで理解が早いの? 

 わたしが説明の為に用意していた台本がいらなくなってしまった。

「でもさ、魔族って何でそんな強いの? 普通10対1なら一瞬で潰せると思うんだけど、そんなヤバいヤツなわけ?」

 わたしが『それは』と言おうとしたら、アルカナル騎士団長がわたしより先に唇を動かしていた。

「それは魔族が混血だからだ」

「混血だと何なのさ?」

「例えば、攻撃に特化した者と、防御に特化した者がいるとする。その両方の力を全て受け継いだ場合、攻撃と防御の両方に特化した存在が生まれる、つまり――」

「あーつまり、混血っていうのは他種族のイイトコ取りってわけか。ハハッ、そりゃ強いわけだわ、納得」

 うんうん、と頷きながら『大体理解した』とエレセリアさんは言った。そして大きな声で。

「崖っぷちじゃねぇかよ! おい!!」

 どうやら、わたし達が、どれほど追い込まれているのか理解してくれたようだ。

「そんで、最後の望みの勇者ってわけね。クッソ大変な世界に呼び出されたな私」

 こんな状況下に呼び出してしまったことは、本当に申し訳ないと思ってる。

 けれど、もうわたし達では魔族には勝てない。止められない。

「エレセリアさん、改めてもう一度聞きます。勇者として、わたし達と共に戦ってくれますか?」

 正直、怖かった。今ここで断られたら、わたし達に希望はなくなってしまうから。

 そんなわたしに、彼女は言う。

「違うでしょ? 私に言う言葉はそれじゃないよ」

「え?」

 言葉が違う? えっと、待ってわたし。落ち着いて。

 焦り始めていたわたしにエレセリアさんは優しく声を掛けてくれた。

「人に何かお願いする時はどうすんの?」

 ……お願い、する時?

「あっ! えと、その」

 わたしは彼女が何を言っているのか、ようやく理解出来た。

 もう何て言えばいいのか、わかってる。

 だからわたしは深呼吸をして、彼女にお願いする。

「お願いします。わたし達に力を貸してください。一緒に戦ってください」

「嫌♪」

 …………。

 ………………。

 ……………………へ?

「嘘、いいよ」

 一度は無表情になったわたしの顔だったが、自然に動くのを感じた。

 断られてビックリしたけど、わたしの顔は笑顔に変わる。

「ありがとうございますっ! エレセリアさん!! っていうか嘘はやめてください!!」

 嬉しさのあまり、わたしは隣に座る彼女に抱きついた。

「ちょ、ウザイ! 離れろ!」

 わたしを引き剥がそうとするエレセリアさん。それでも抱きつき続けるわたし。

 そんなわたし達を見ていたアルカナル騎士団長は真剣な声音で言う。

「一つだけ、確かめておきたいことがあります。彼女は魔族に対抗出来る力を持っているのでしょうか」

 アルカナル騎士団長は国王様に抗議する。

「アルカナルの言い分にはワシも同意見じゃ。ワシもエレセリアが魔族に対抗出来る力を持っているのか知りたい」

 そして、パンッと国王は手を叩いた。

「そうじゃ! 模擬戦をしてみないか? アルカナルとエレセリアでの」

 その瞬間、二人の視線が交差した。

 確かに言われてみればそうだ。

 召喚術は最大最終の術である、勇者召喚は今まで一度も例のない行為。その為、勇者召喚で呼び出した存在がどれほど強いのか、わたし達は知らない。

 エレセリアが魔族に対抗出来なければ、認めたくないけれど召喚は失敗となる。

「どうじゃ? 二人共?」

「陛下がそう言うのであれば、このアルカナルが相手をしましょう」

「私も別にいいよ」

 と言うが、二人はやる気満々だった。

 そんな二人に国王は満足し、模擬戦の場を用意する。

「模擬戦の場は中庭でどうじゃ? あそこなら闘技場とほぼ同じ広さあるぞ」

 中庭ってことは、よく兵士が訓練で使っている平地か。確かにあそこなら模擬戦に向いているけれど、騎士団長と勇者が戦うなんて、もうどうなるのこれ。


        †


 中庭に移動したボルバーニス8世とわたしは、今から始まる模擬戦を観戦する為、少し離れた位置に椅子とテーブルを配置した。

「我が国最強の男であるアルカナルと、召喚された勇者のエレセリア。どちらが強いのか、楽しみじゃな」

「そ、そうですね……」

 ウキウキしている国王と違い、わたしはげんなりしていた。

 召喚師という立場上、自分が召喚した勇者に勝ってほしい。けれど、王に仕える者として、騎士団長にも勝ってほしいわけで。

 わたし的にはどちらが勝とうが負けようが、複雑な気持ちに変わりないのだ。

「ほれ、準備が整ったようじゃぞ」

 頭を抱えて、俯きながら唸っていたわたしは、中庭の中央に向かい合って対峙する二人に視線を向ける。

 あれ? エレセリアさん何も変わってない? 

 アルカナル騎士団長は戦闘用の鎧を身に付けているが、エレセリアさんは私服のままだった。

 何でそのままなんだろう。確かにガントレットはしているけど、まさかそれで騎士団長と戦う気なのだろうか。

「おやおや? 体に合う鎧がなかったのかの」

 国王もエレセリアさんに気付き、不思議そうに彼女を見つめる。

 そう見ている内に、模擬戦は始まった。

 アルカナル騎士団長は鞘から抜いた長剣をエレセリアさんに向け、走り出す。

 何故かエレセリアは動かずに、小石を手のひらで転がしていた。

 模擬戦中だというのに、あの人は何をしているんだか。

 ……そう、わたしが呆れた時。それは起きた。

 向かってくる騎士団長に、エレセリアさんが手のひらで転がしていた小石を軽く弾いたのだ。

 文字通り、軽く弾いたように見えたのだが、騎士団長の真横を通過したそれは――

 ズドガンッ! と軽く弾いたにはありえない、耳を聾する破壊音が中庭に轟き、城壁を粉砕しながら、その残骸が宙に飛ばす。

「………………え?」

 空に舞っていた瓦礫が地面に落ち、山と化す。わたしはそんな有り得ない光景を見つめ、唖然とした。

 何が起きた? え? 何が起きたっ!?

 わたしも軽いパニックになっていたが、国王や騎士団長も目の前で起きたことに信じられず、瞳を見開いたまま動かない。

 落ち着いて状況を整理すると。まずエレセリアさんが小石を指で弾いた。

 すると、どういうわけか、エレセリアさんの手から離れた小石はトンデモナイ速度と破壊力を兼ね備えていた。

 その結果、城壁を粉砕しましたと。

 …………何これ?

 だが、これが事実。嘘偽りのない真実がこれなのだ。

 それを受け止めたわたしは、体を伸ばしているエレセリアさんをじっと見つめる。

 もしかしたら、わたし。

 トンデモナイ人を呼び出しちゃった……?


        †


 エレセリアさんを召喚して、三日が経過した。

 早朝。まだ日が昇ってすらいない、薄暗い朝。

 あの有り得ない模擬戦の後、わたしは国王に『エレセリアと共に魔王を倒しに行くんじゃ』と言われ、旅のお供として選ばれた。理由を聞くと、案内役がいないと旅が大変になるからだそうだ。

 本当は行きたくなんてない。

 だって怖いし、そもそも召喚師は戦闘向きじゃないし、というか、わたし自身が戦闘に向いてないし。

 けれど、命令は逆らえないわけで。結局しぶしぶ旅に同行することになった。

 そして、現在。

 エレセリアさんとわたしは既に国を後にしている。

 振り返っても国はもう見えない。

 ずっと遠くまで続いている道を進みながら、わたしはふと思った疑問を右隣にいるエレセリアさんに投げ掛けた。

「そういえば、エレセリアさんって元の世界だと何してたんですか?」

「私? 私は〝魔王〟やってたよ。瑰麗かいれいの魔王って呼ばれてて、私を倒しに来る勇者達を全員返り討ちにしてたっけ」

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