第3話

 今日は、いつもより外が騒がしいと感じた。

 今はお昼ご飯を食べて、ゆっくりと落ち着いているときだった。気付いたら、転寝をしてしまっていたらしく、身体が少し痛い。

 フィロは一度、扉のほうを見つめた。いつもと違うざわめきに首を傾げるが、冷めるのも早かった。自分が気にしたところで、扉の隙間から外の様子が見れるわけでもない、自分には全く関係できないことであって、気にしたところで無意味になる。

 それは、生きてきた十六年で思い知らされたことだった。

 ふう、とため息を一つつき、フィロは窓の外を眺める。今日は、本は要らない。持っていても文字を読まないし、何より、全ての本を読み飽きてしまった。新しい本が欲しいくらいだ。

 そう考えていると、自分の居る離宮の扉が無遠慮に開かれた。

「……え?」

 突然の出来事にとっさの反応が出来ず、フィロは固まった。誰だろうか。こんな呪い持ちの姫の暗い離宮に来る物好きは。

 扉から、普段窓からしか見ていない太陽の光が降り注いでいる。それは、自分には似合わないほど綺麗な光に見えて、ずっと見続けるのが辛いくらいだ。しかし、その光はちょうど真ん中の部分が不自然な黒い形をつくっている。人の影だ、と理解するのに、ほんの少しの時間を要した。

 床ばかり見ていた視線が上に向く。人の影を作っている本人を、初めてその真紅の瞳に映した。整えられた衣服をしっかりと着こなしている、貴族風の男性。青みがかかった長髪の銀髪を綺麗に横で一つにまとめている。その瞳は、憧れてやまない、空の色。

 自分が、緊張したのが分かった。

「……」

 相手も、自分を見て驚いたのが分かった。そこで、フィロは少し冷静になる。やっと自分が呪い持ちの姫だと分かってくれたのか。と、考えていた次の瞬間、男性が言葉を発した。

「うっわ……美人さん?」

 一瞬で、思考が冷静になった。この男は馬鹿なのだろうかと本気で考えてしまうほどには。はあ、とため息をついて、フィロは扉付近でおろおろとしている衛兵に声をかける。

「あなたたち……」

「はっ、はい!?」

 怯えた声が、フィロの言葉に答えた。やはり、事情を知ってもらうためにはこの光景を見てもらわなければならないのだろうかと考えながら、彼女は内心、自分がその反応をされて傷ついているということを、見ない振りをする。

「そんなに恐がらないで。あなたたちが私の言うとおりに動いてくだされば、呪いをうつすことなんてしないわ」

「はっ!」

「早く、そこにいらっしゃるお客人をここから連れ出していただければそれでいいの。出来るかしら?」

「も、もちろんです!」

 むしろそれをしないと自分達の首が飛びますので、という言葉は雰囲気で訴えた。

 その雰囲気を正確に読み取ったフィロはそうだろうな、と思った。

 どこからどうみても、貴族の子息か、国の皇子。そんな高貴な人間がこんな呪い持ちの人間の姫のところに足を踏み込もうとしたなど、許される行為ではない。もし迂闊にそんなことをして、呪いをもらってしまっては相当危ないことになる。貴族なら一家が路頭に迷うだけで収まるが、皇子なら、一国を揺るがすことになる。そんな面倒なことに巻き込まれたくない。

 しかし。

 衛兵が男性を連れ出そうとした瞬間に、その男性が何かに気付いたように衛兵の手を振り払い、フィロの部屋へと無断で入ってきた。

「なっ!?」

 さすがにそんなことまで予想していなかった彼女は驚きの声を上げて、後退する。何処かに隠れる場所はないか、けれど、そんな事を考えている余裕なんてなくて。いつも過ごしている部屋の見取り図が全然頭に浮かんでこない。近づいてくる足音が、恐怖の足音に変わっていく。

 どうすればいい。

 どうすれば、私は自分を守れる?

 瞬間に、自分の中に爆ぜたことは、女性特有の、甲高い声を上げることだった。

「きゃあああああああっ!」

「っ!?」

 さすがにフィロのその悲鳴を聞いて男性は足を止める。その隙に、フィロは叫んだ。

「何をしているの! 早く! 早くこの方をここから出しなさいっ!」

 自分が混乱していると分かる。何をどうすればいいのか、分からない。

 衛兵が、慌てて男性を引っ張り出し始める。もうこうなれば、強硬手段にでるしかない。男性が呪いを受ける可能性があるということもあるが、何よりも、自国の姫があんな恐怖に引きつった悲鳴を上げたのだ。それも、今までに聞いたこともない、本気で怯えた悲鳴。

 それがトリガーとなり、衛兵達は男性を引きずり出す。無理矢理引っ張られている男性は「ちょっ、待て!」と少し声を荒げていたが、そんなことは知らない。

 背中を向けて、自身を守るように抱き締めているこの少女を見てしまえば、これ以上、ここに誰かを居座らせることなど出来るはずがなかった。

 ばたん、と言う音が、妙に大きく耳に残る。どうして、あの男性は私に近づいてきたの。そんなことを考えても、何も思い浮かばない。

 フィロは、ふらふらとした足取りで、浴室へと向かう。鏡台の前に立つ。鏡に映る自分。長く、整えた金の髪。その間からのぞく、ほっそりとした白い首。その右側に、見たくないものが見えた。視線を逸らしたいのに、それが出来ない。真紅の瞳に映るそれは、呪いを受けた証の――あざ。ぎゅうっと、硬く閉ざしている、薔薇の蕾の痣は、他人から見れば、ただ美しいだけの痣としか見えない。

 しかし、その実はこの少女が呪いを受けた証でもある。

 何がいけなかったの。何をしなければならなかったの。何をすれば、この痣ははがれるの。

 自分が、虚無きょむになっていく。

 何を考えればいい。何を思えばいい。

 何も思えないし、何も考えられない。

 泣きたいのに。声を上げて、みっともないと笑われてもいい。泣きたい。

 それなのに、涙の一粒も出てこない。

 こんな私は、呪われた姫といわれても仕方のないことだ――。

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