第2話

 食事に乗ったお盆を見ると、昔自分が口にしていたものよりは質素になっているものの、きちんと栄養を考えて作られた食事だということは理解できた。

 野菜がたっぷりと入ったスープに、サラダ。パンはクロワッサンと木の実が練りこんであるパンが添えられている。そのすぐそばには赤いイチゴのジャムがあり、さらに飲み物の紅茶が添えられていた。

 こうして改めて自分の食事を見てみると、一応まだ両親が自分を見捨てていないということが伝わってくる。そうでなければ、ここまで気の利いた食事は持ってこられないはずだ。まだ、姫という身分が剥奪されていない。だからこそ、誰もが恐がっているのに、誰もそばを離れることが出来ないでいる。

 そんな人たちを、少女は哀れだと思ってしまう。

 自分をこの世に繋ぎとめている身分が、自分だけではなく他人までもを巻き込んでいるのだと思うと、申し訳がない。

 パンを手にとる。木の実が練りこんであるパンを小さく千切って、口に運んでは咀嚼を繰り返す。時々、口に当たる木の実独特の硬さと香りが口いっぱいに広がってと独特の味を出していているのがおいしい。

 スープにも口をつける。口いっぱいに広がる野菜の甘みが心を落ち着かせてくれる。何度かその行為を繰り返す。サラダにも手をつけて咀嚼していく。

 しかし、半分も食べないうちに、食欲がなくなってしまった。少女は、手を止める。唯一、全てをなくしたのは、小さなカップに入っていた紅茶のみだった。スープもまだまだ残ってるし、パンも、木の実のパンしか口にしていない。クロワッサンには一度も手をつけることなく終わってしまった。

 無理してでも食べようとしたけれど、それをしようとすると、吐いてしまいそうだった為、止めた。

 少女は立ち上がり、お盆を持って扉の前まで移動すると、開けたときに扉が当たらないところにお盆を下ろす。そして、内側からノックをした。

 こん、と遠慮がちな音が響いただけなのだが、外からは小さな悲鳴が聞こえてきた。

(……悪いことを、してしまったわ)

 しかし、黙っているわけにもいかなくて、少女は声をかける。

「食事が終わりました。下げてくださらない?」

「は、はい! かしこまりました!」

 恐怖に引きつった声を聞くと申し訳なくて少女はさっと扉から離れた。そして壁を埋め尽くしている本棚から一冊の本を取り出すと、今まで食事をしていたところにもう一度腰をかけ、本を開く。

 ちょうどそのタイミングで、扉が開く。開いた隙間から入ってくる光に、惹かれそうになるのを何とか抑えて、少女は本に視線を落す。

 衛兵は少女がそばにいないことを気配で確認すると、少女が置いたお盆を手に、外に出て行く。外では、また姫様は少量しか食べていない、というような会話を遠くに聞きながら、少女は頭に入らない物語の本を読んでいた。

 いつまでもいつまでも続く、この苦痛にしか思えない毎日に。

 何をすればいいのか分からなくなる毎日に。

 辟易へきえきして。

 感情をもう手放してしまったのに。どうやって笑ったらいいのか、もう分からないのに。笑うって、どうやっておこる現象なのか、そんなくだらないことをぐだぐだと考える日々。

 泣き方さえも分からなくなってしまっているし、悔しさも分からない。恐怖は凍り付いてしまったし、どんな感情が残っているのか、本当にもう分からない。

 何もかもを捨ててしまった自分に残っているのは、なんなのだろう。

 あと理解できることといえば、自分はここで朽ちていくしか出来ないということだけなのに――。



 また、いつもの朝を迎える。

 同じ、退屈な朝が始まると思いつつ、少女は昨日と同じ手順で準備を着々と進める。しばらくすると、メイドが衛兵に声をかけ、衛兵が少女へと声をかける。昨日と同じような朝食のメニューを見て、昨日と同じような行動をする。

 着る服も、一応ここに何着かそろっている。夜、眠る二時間くらい前にシャワーを済ませて、夜着に着替えてから、衛兵にその日に着ていた衣服を持っていってもらうように頼む。洗濯などはさすがにここでは出来ないため、城のほうでメイドたちに任せていた。

 翌朝に、まだ少女が眠っている時間帯に衛兵が静かに扉を開けて机の上においていってくれている。

 目覚めると、毎日そこに服が置いてある。

 申し訳ないなと思いつつ、少女はそれをクローゼットの中へとしまいこむ。

 今日は、天気もいいから、窓の近くはとても気持ちよかった。本を開いて、日向ぼっこをしながら少女は文字を目で追っていく。

 いつもと変わらない風景。いつもと変わらない行動。いつもと同じ毎日。

 慣れすぎてしまった生活だった。

 何を求めるでもない、求められるでもない。唯一求められていることといえば、きっとこの世から消えてほしいということぐらいだろう。少女には、求められていることがそれしか思い浮かばなかった。少女には、それしか行動を起こすことが出来なかった。けれど、父から――国王から、自害は許さないという命令が出ていて、それを実行に移すことが出来ないでいるのが今の現状であった。

 どうして、父がそんなことを言ったのか理解できないが、もしかしたら自分が自害したら呪いが自分たちの方へと飛んでくるのではないかという予想を立ててそれに踏み込ませてくれないのではないだろうかと考える。こんなときぐらい、まだ自分を愛してくれているのかもしれないという、甘い夢につかればいいのに、そんな妄想すらも出来ない。

 そんな時、外からメイドたちと思われる会話が聞こえてきた。

「あなた、ここに来てどのくらいになるの?」

「あ、はい! 本日王宮に上がったばかりで、まだ右も左も分からない状態です」

「そうなの、でも凄い努力したのね。えらいわ」

「ありがとうございます! 先輩!」

「それと、今日入ってきたのなら、このことは覚えておいて。城の外れにあるあそこの離宮。あそこだけは入ってはダメよ」

「え? どうしてですか?」

「あそこには、トリアンダーフィロ様が……呪いを持った姫様がいらっしゃるの」

「呪い!?」

「ええ、そうよ。姫様に近づくと、自分まで呪いをもらってしまうかもしれないわ。だから、絶対に近づいてはダメよ」

「わ、分かりました」

 人というものは噂を信じるものだ。そして――。

(―――――なんて、醜い生き物なんだろう)

 思わず、そう思ってしまう。こんな外れの離宮で、私に聞こえるように言っているのはわざとなのか、無意識なのか。これで、私自身が魔法なんてモノを使えたら、きっとあの人たちを殺してしまっていたかもしれない。

 しかし、あいにくと、少女が持っている特殊なものは、魔力という高貴なものではなく、呪いという醜いものだ。そんなものが、高貴なものに勝てるはずがない。

 自分がどう思われているのかなんて分かっていた。だが、こうして直に聞いてしまうのは、少し息苦しさを感じてしまう。どうしてそんなものを感じるのか、少女には分からなかった。

(ああ、私は、トリアンダーフィロと、呼ばれているのね)

 自分の名前なんてくだらないものだと、本気でそう思った。もう誰も呼んでくれない、そんな意味のない名前――トリアンダーフィロ。

(私は、フィロ……呪いを受けた、この国の、第一王女にして、第一王位継承者……)

 ああ、なんてくだらない肩書きなのだろう。

 本から視線が外れてからしばらく、フィロは窓の外に広がる青い青い空を見た。何も映していない、真紅の瞳。

 考える。

 あの広大な空で包んでくれたのなら、この身に根付いている呪いはとかれないのだろうか。消えてくれないだろうか。

 もし、そうであるならば、喜んで身を投げ出すのに。たとえ、呪いとともにこの身が消滅してしまったとしても。呪いを解いた代償が、自身の命だったとしても。

 この世界はとても美しくて、とても残酷な世界だった。

 何度か、思ったことがある。

 どうして自分がこんな不幸に身を引き絞られるような、痛い思いをしなければならないのかと。

 誰にも望まれていないこの身は、生きているだけで邪魔なだけだろうに。生きている価値すらも、ないというのに。

 そういうものなのだと自分に言い聞かせて、思い込んでいた。

 知らず、フィロは空に向かって手を伸ばしていた。窓の外に広がる広大な空はとても美しくて、まぶしくて。手を伸ばせば、届くと思っていたあの頃を思い出す。瞬間、はっとした。

 何を望んでも、逃げられない運命というものはいくらでもある。そして、自分はそのことを痛いほど思い知らされていると。

 空に向かって伸ばしていた手が、戻っていく。最終的には、膝に乗せていた本の上に、行儀よく両手を重ねた状態になる。

 逃げられない運命しか目の前にないフィロには、もう選択肢なんて優しいものは残っていない。優しいだけの時間は、もう絶対に訪れないのだ。

 ならば、周りの声のとおりに振舞おうじゃないか。呪いを持つ姫君に近づけば、呪いをうつされると、そう思っているのならば、そう思っておけばいい。私は、その言葉通りに振舞うだけだ。

 それによって下される決断が、どれほど理不尽なものであっても、それを受け入れるのが、私の運命なのだから――。

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