薔薇、散る時

妃沙

第1話


     ◇     ◇     ◇


 あるところに、呪いをかけられた悲しい悲しい少女がいました。

 その少女には、どうすることもできなかったのです。

 肯定するしか、できなかったのです、

 呪いは少女を戒め、少女を深く苛みました。

 少女は、悲しい物語の主人公となって散っていくのです――。



     ◇     ◇     ◇



 幼い頃の記憶というものは、たいてい美化されていることが殆どだ。それなのに、私にはその美化する記憶すら持ち合わせていない。どうして、なんて、誰かに聞かなくても分かっている。

 自分が一番、よく理解している。

 誰も助けてくれなかった日中が脳裏に浮かぶ。とても、よく晴れた日だった。雨ではなかった。

 笑顔で走り回っている私が、いる。まだ、ほんの小さな頃の記憶だと理解したのは、しばらくたってからだった。

 一人部屋にしてはとても広い。しかし、少女の身分からして、その部屋は当たり前のように与えられたものでもあった。笑っていた。私も、周りにいる大人も、皆。

 ――それなのに。



 そこではっと目が覚める。薄暗い天井が見えた。記憶とは大違いの目の前の現状に、理解が追いつかなかった。見上げても、高い天井は自分を突き放しているようで、彼女には遠い存在だった。もともと天井なんて手が届くものではないと理解していたけれど、それ以上に、自分にはそこに行く資格がないと、そこに手を伸ばす資格がないと言われているようで、泣きたくなった。

 良くも悪くもないベッドの上で、無意味とわかっていても、思わず手を伸ばしてしまう。

 自分のその瞳に映ったのは、全く日に焼けていない、白い手だった。白すぎて、逆に不気味だなと、彼女自身は思う。

 ころしと寝返りを打つ。最初に映るのは、壁と一体化している本棚の中にぎっしりと詰められている本。綺麗に整頓された状態で並んでいるそれらは、膨大な量だった。それは、彼女の今までの人生の暇を表している。綺麗に収納されているため、部屋の中がごちゃごちゃになっている感じはない。が、見飽き、読み飽きてしまったそれらは彼女にとっては邪魔以外なにものでもない。

 明かりがつけられない暗い部屋。手が届くか届かないかの絶妙な位置についている明り取りの窓は二つ。西と東に一つずつ付いていた。日が昇ったことを知らせるための窓と、日が沈むことを知らせるための窓。

 それに何の意味があるのかと問いたくなるけれど、それを問うたところで答えが返ってこないのは分かりきっていることだ。

(ここは、どこだろう?)

 薄ぼんやりとした頭で、彼女は何度か寝返りを打っていた。そのうちに、目が覚めてくる。

(……ああ、私に与えられた、部屋……)

 何度も寝返りを打って時間を潰そうとしていた彼女だったが、それが無意味だと理解すると、体を起こす。上半身を起こした状態で彼女はため息をついた。寝返りを打っていた時に眺め回していた壁の本をもう一度、観察するようにゆっくりと眺め回す。

(ここにある本は、読んでしまったし……することがない)

 彼女は、諦めてベットから降りる。

 さらりと流れるのは、金の髪。まるで、黄金の滝が流れているかのように美しく輝いている。押し上げられ、儚げに開かれている瞳は真紅。とても、優しげな風貌の少女だった。

 くるりと辺りを見回しながら、少女は自身の着る服を引っ張り出して、ごそごそと着替えを始めた。質素なドレスは、小さな頃の贅沢を思い出させるには不十分で、しかし少女はその質素さに慣れてしまった。

 辺りを見回しているように見えるその真紅の瞳は、けれど何も映していなかった。周りに視線を走らせているはずなのに、その瞳には何も映っていない。

 しばらく、広い部屋の中を意味もなく歩いていたが、少女は唐突に壁際に静かに佇んでいる机の方に近づく。そこにある椅子を手に抱えるように持って、窓のそばへと移動する。

 セットを完了すると、少女は椅子に座って行儀よく両手を膝の上に置き、静かに座って窓の外を眺めた。

 その真紅の瞳に広がるのは、手を伸ばしても、決して触れることの叶わない空だった。晴れたそこには白い点が所々に散りばめられていて、青と白のコントラストを描き出している。

(……いつものように、一日が動き出した)

 そう思った。

 何をするでもなく、ただ時間だけが過ぎていく毎日。ため息を一つつくけれど、現状は何も変わらない。

(私は、なんでこんなことになっているの?)

 考える。けれど、そんなことが分かるはずもない。

 あの時、みんなと一緒に外に出て、華々しく咲き誇った薔薇を眺めていただけなのに。

 何もした覚えのない自分が、どうしてこんなところに幽閉されなければならないのか。分からないことがありすぎて、理解できないことがありすぎて、理不尽なことが、ありすぎて――感情が、剥がれ落ちてしまった。

 何かを要求できるでもなく、何かを要求されるでもない、退屈な毎日。

 静かに、瞳を閉じる。真紅の瞳が隠れた。

 その時、部屋の外から微かな話し声が聞こえたのを、彼女の耳が拾い上げた。

 メイドの声と、衛兵の声。何かを言い争っているような声だった。ここに入りたくない、という声が聞こえてきた。

(……当たり前、か)

 そんな自分の感覚に思わず笑いたくなったのに、口元を笑みの形に作ることすら出来ない。どれほど、自分は感情を捨ててしまったのかと思ってしまう。

 少女は、笑みの形を作れなかった代わりに、小さくため息をついた。誰も、自分に近づこうなどとは思わないことは、理解してる。

 自分の“呪い”について、詳しいことなど公表されているはずがないのだから。

 しばらくの口論の後、遠慮がちに、しかし恐怖を孕んだ声とともに、ノック音が部屋に響き渡る。

「姫様、失礼してもよろしいでしょうか」

 こちらに拒否権などない。少女は、ええ、と小さく答えた。失礼します、と恐々と男性が一人、部屋に入ってくる。

「姫様、お食事をお持ちしました」

「……あら、ありがとう。でも、私に近づくのはよくないわ。あなたのすぐ足元にそれを置いて出て行きなさい」

 椅子に座りながら、相手の顔を見ずに少女は答える。

 そのことに対して、相手がほっとしているのがわかる。それほど、自分を見たくないのかと思うが、それはもう気にしてはいけないことだった。

「は、はい……」

 そう返事すると、衛兵はさっとその行動を起こし、少女に失礼にならない程度に慌てて部屋を出る。なんて分かりやすくて清々しい人なのかしらと思いながら、少女は、放置された自分の食事に向かって歩き出した。

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