第13話
青年は、手をぐっと握り締めた。何も言い返せないこの状況が悔しくて悔しくてたまらない。自分は幸せな道を歩んできたと、青年自身が自覚している。与えてもらえるものを与えてもらい、それを自由にすることが出来たのだ。本来であれば、今目の前にいる少女も同じような道を歩んでいたはずだが、彼女は幼い頃にそれら全てを取り上げられている。
与えられた自由は、この薄暗い離宮で静かに余生を過ごすことだけだったのだ。
考えても、想像をがんばって膨らませても、青年には少女の苦痛を知ることは出来ない。それを体験していないのだから当たり前だ。
それでも――。
「オレは、あなたに幸せになってほしいと思っている……」
自分の胸のうちを打ち明ける。しかし、返ってきた声はとても冷たいものだった。
「あなたが、それを言われるのですか?」
「え……?」
覚悟していたよりも尚、冷めた声音に、青年はまたも身体が固まった。
「私を操り人形だと指摘したあなたが、それをおっしゃるのですか? 私に意思がないとおっしゃったあなたが、それを言われるのですか?」
言葉がでてこなかった。
確かに、自分は彼女に対してそういったことを言った。けれど、それはそういう風に受け取ってほしかったわけではない。そこから一歩踏み出してほしくて、あなたはきちんと意思のある人間なんだということを自覚してほしくていった言葉だったのに。
気付けば、彼女をさらに追い込む言葉となっていた。
「私は、意志のない人形です。幸せなど、二度と訪れるはずがない」
頑なに、認めようとしない少女に、もどかしさを感じる。
今、自分はきちんと立っていることが出来ているのかすらも、青年には理解できなくなっている。
伸ばした手を掴んでもらえないもどかしさ。
伝えた言葉が全く伝わらないもどかしさ。
彼女自身に気付いてほしい事柄はたくさんあるのに、それら全てを拒絶してしまう彼女に対するもどかしさ。
全てが重なって、悔しくなる。
「……別に、オレは特別幸せなわけではない」
思わず、言わなくてもいいことを言ってしまった。はっとしたけれど、それももう遅い。
「私に、あなたが幸せではないかどうかなど分かりません。けれど、今の私のこの状況の中で、あなたがそれを言うのは間違っているのではないですか……?」
震えた声が、耳朶を打った。
当たり前だ。彼女の怒りを買ったのだから。なんて浅はかなことを言ったのだろうか。このまま追い出されても仕方のないことだと自身でも分かる。
けれど、少女はそれきり言葉を発してくれなかった。
そろりと少女のほうを見ると、少女はうつむいていた。華奢な肩を微かに震わせて。
最初、それは怒りを耐えているのだと思った。けれど、しばらく観察しているうちに違うと直感的に思った。思わず、少女に駆け寄った。
靴音が、響いた。その音に驚いた少女がはっとしたように顔を上げないままで後退していく。
しかし、青年は少女を逃がさなかった。今の少女の状況を理解したのだ。
何故、こんなにも頑ななのか。何故こんなにも受け入れてくれないのか。何故そこまで全てをあきらめてしまったのか。
それは全て少女の身に降りかかってしまった呪いのせいだと思っていたが、違っていた。
少女は、出来なくなったのだ。
―――――自らを信じることよりも尚、他人を信じることを。
だからこそ、言葉を受け入れてくれない。
「……何度でも、伝える。俺は、あなたに幸せになってほしい」
言葉を発しながらも、足を止めることはしない。離宮といってもそんなにも広くない。少女を追い詰めるのに、時間はかからなかった。
「あなたは、幸せになるべきだ。誰かの手によって奪われた幸せならば、別の誰かに与えられてもいいのではないか?」
肩が、びくりと強張ったのが分かる。至近距離で見ると、少女はとても小さいと感じた。その細さに、息を呑んでしまうほど。流れた髪の間から覗く呪いの証は、とても痛々しい。手を伸ばす。触れたのは、少女の柔らかな金の髪。朝日がだんだんと照らされていく部屋の中で、少女のその髪は黄金の滝を思わせるほどに美しい。
身体が小さく震えている。怖いのだと理解できるが、それを受け入れてしまったら少女はまた一人になる。それだけは、どうしても許せなかった。
「あなたは、幸せになるべきだ」
繰り返す言葉に、しかし少女は反論しない。
「この手をとってくれ。あなたに、世界を見せる。美しく輝く世界を、俺があなたに見せる」
言葉がすんなりとでてきた。いつの間に、自分は少女をこんなにも思っていたのか。出会ってまだ数日しかたっていない。この国の滞在期間の期限もそろそろ迫っている。ここには息抜きに来ているだけなのだ。治安の問題もあり、ここが選ばれたが、それは正解だった。
こんなにも暗くて寒い場所にいる少女に、手を差し伸べる機会がめぐってきたのだから。
「あなたを、光の世界に連れ出して見せる」
「……ど、して…」
震える声が、聞えた。
「どうして…私にかまうのですか? 私が惨めだから? 可哀想だから? そんな同情心で言ってくださっているのなら、私はいらない……いらないっ!」
言葉が強くでた。けれど、青年は気にしなかった。
「同情心ではない。あなたのことを心から考え、俺の意志で提案している。あなたは十分苦しんだ。あなたは十分その罪を背負った。ならば、もう幸せになってもいいはずだ。これ以上苦しまなくてもいいはずだ。あなたは幸せになってもいい。幸せになる権利がある」
「だから…どうして、あなたは……」
「ここに通いつめてたった数日だが、オレはあなたの優しさをずっと見ていた」
少女は、自分を見てくれない。けれど、その雰囲気から自分の言っていることが理解できないといっている。
「あなたは、他人をいたずらに怯えさせない配慮を常におこなっていた。他人が自分に近づかないよう、常に配慮していた。それは、あなた自身の呪いのせいで他人を不幸にしたくなかったからではないか? もしかしたら、あなた自身はただ煩わしかっただけなのかもしれない、けれど、たった数日しかあなたと会話していない俺が気づいたんだ。この城の者たちが気付かないはずがない」
違う、とフィロは胸中で強く否定した。
他人を寄せ付けなかったのは、本当に煩わしいと思っていたから。自分に対しての噂話もよく耳にしていた。この離宮の前を通るたびに、まるで呪いを意識させるためにわざと聞えるようにしているかのように。そんな人たちが、ただただ憎かった。煩わしかった。
何も知らないくせにと、ずっと思っていた。
だったらあなたたちがこの呪いを受けてみろと、何度も思った。
誰かとの接触も制限され、まるで生き地獄に放り込まれたかのようなこの世界は、とても息苦しかった。
助けを求めても、誰も助けてくれなかった。
幸せだったあの頃は、もう戻らないのだ。
手を伸ばしても、それは絶対に届くことのない、天高くにある太陽のようなものだった。まぶしくて、熱くて、それ以上足を踏み出すことが、手を伸ばすことが、出来なかった。
それ以上踏み出してしまったら、それ以上手を伸ばしてしまったら、全身を炎で焼かれるような気がしたから。
「私は……呪いを持っているのです。幸せなど…掴めるはずが、ありません……っ!」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているような気がした。
「違う」
力強い声が、言葉が、全てを否定する。
「あなたは、幸せになれる。絶対に」
「ありもしないことを、できもしないことをいわないでっ!」
荒くなった声に、フィロ自身がはっとした。そして気付く。頬を伝う何かに。
「―――――え……?」
その現象が理解できなくて。受け入れることが出来なくて。ただひたすらに混乱した。
ぱた、と、音がした。
青年は何も言わない。まるで、こうなることが分かっていたかのようだった。
「な、に……これは……」
「分かっているんだろう?」
優しい声音に、さらに溢れてきた。
違う。
こんなのは知らない。
こんなこと、あってはいけない。
何かの間違いだ。
ありえない。
否定の言葉が浮かび上がるが、それを否定すればするほど、それはどんどん溢れてきて収拾がつかなくなる。
「ち、がう。これは、違う!」
「何が? 何が違う?」
「私は、弱くない!」
「弱いよ。こんなにも」
「違う! 弱くないわ! 私は、こんなにも弱くない!」
「いいや、あなたはとても弱く、儚く、脆い」
「やめて、やめて! 違う!」
「やめないさ。あなたのために、オレは言葉を止めない。あなたを思うがゆえに、あなたの願う言葉はあげない」
否定して、必死に否定して。けれど、それを認めてもらえない。否定したものを否定される。今の自分の現状を、彼は肯定する。これが現実なんだと、肯定するのだ。
「違うわ。私は……私は〝コレ〟を幼いあの日に置いてきた。全てを捨ててきた! 今更、こんなことは…っ!」
優しく、包み込むように青年がフィロの髪をその手に掬った。さらさらと流れているその髪は、間違いなく自分の金の髪だ。
「あなたは、それを置いてきたんじゃない。心の奥底に封印しただけだ。苦しみから、悲しみから、相手を憎む気持ちから逃げるために。必要がないと、幼い心で必死にそれらを封印しただけだ。あなたは生きている人間だ。全てを切り捨てることなんて出来るはずがない。寂しさは、幸せだったことをその心が知っているから生まれるものだ」
優しさに満ちたその言葉は、フィロの心に深々と染み込んでくる。いけない、許してはいけないと、何度も何度も自分に言い聞かせる。けれど、全く意味がない。
思わず、首を左右に振って気持ちを否定しようとした。
「違う、違うわ!」
「違わない。あなたは、幸せを知っている。この城の人間に、自身の両親に愛された記憶があるからこそ、感情全てを封印したんだ。あなたは、自分の心を守ると同時に、周りを傷つけないよう周りすらも守った」
「間違いよ! そんなことない、そんなはずがないわ!」
「間違いではない。あなたは、優しすぎるがゆえに、一人で苦しみすぎたんだ」
誰でもいいから、私の言葉を肯定してと、フィロは心のそこから願った。この人の言葉が優しすぎて、自分ではもうどうにも出来ない。
髪を触っていたその手が、今度は肩に触れた。けれど、悲鳴を上げることが出来なかった。振り払うことも出来なかった。
暖かすぎる手を、拒絶することが出来なかった。
何度も何度も願っていた。この暗闇から助けてほしいと。この暗闇から連れ出してほしいと。幼いあの日から、ずっと。
柔らかく、抱き締められた。
フィロは、大きく目を見開いた。
「あなたが一人でその傷を背負う必要はどこにもない」
優しすぎるその言葉は、両目からさらに透明な雫をあふれ出させた。
何度も願っては諦めたあたたかな手が、今、自分を優しく包んでくれている。
止まらなかった。止めることができなかった。
幼い頃に何度も何度も口にした言葉が、でてきた。
「……た、すけ、て……」
震えた、小さな小さな声が、そういった。
「ああ、あなたを助けに来た……」
「ここ、は…暗くて……とても、怖い……の…どうして、おと、さまも、おか、さま、も…来て、くれないの…? 悪いところが、ある、なら……ちゃん、と…治す、から……」
「大丈夫だ。迎えに来たよ」
「わた、の…こと………………嫌いに、ならないで…っ」
「――っ!」
思わず、その小さな身体を強く抱き締めてしまった。折れそうなほど細いその身体。涙ながらに訴えてきたその思いは、どれほどの長い期間、彼女が一人で耐えていたのかを思い起こさせる。
必死に涙をこらえながら、それでも聞いてほしかった言葉なのだろう。父と母へのメッセージが、胸に突き刺さるほど痛ましい。
これ程までに、この少女は追い詰められていたのか。
「おいて、いかないで……一人は、いやなの……いやなの……っ、わたしを…おいて、いかないで……っ」
途切れ途切れの言葉が、酷く胸に突き刺さる。
幼い自分の心を守るために、少女は全てを切り捨てようとした。けれど、出来なかったから封印した。
それはひとえに、他人の優しさに触れていたからだろう。
「置いていかない。絶対に。あなたを置いていくことは、絶対にしない」
ぎゅうっと、その存在を確かめるように、青年はフィロを掻き抱いた。その抱擁に答えるように、フィロはその細い手で、青年の背中側の衣服を掴んだ。震える手に力が入らないのか、とても弱いものだったが、それでも良かった。
青年自身の存在は、そばにあるのだと、この腕の中にいる少女に知ってほしかったのだ。
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