第12話
――私に、あなたの熱を与えようとしないで。その熱を知ってしまったら、私は……
手を握れと。目の前の青年は言う。けれど、それが簡単に出来ることではないと、彼にも理解してほしいと願うのは、私のただの我儘なのだろうか。
「お願いだから、部屋から出てください……」
小さな小さな呟きは、それでもこの静寂に包まれた部屋の中では大きな音となって青年の耳に届いた。
「お前が、この手を取ってくれるのなら言うことをきく」
「私には、出来ません。私には……出来ないんです!」
感情が、爆発したかと思った。胸の中に、なんだか分からないもやもやとした感情が渦巻いて、気持ち悪い。お腹のあたりがとてもムカムカして、何処かにそれをぶつけたい気持ちになる。
「ここは私の住まいです、私の場所なんです!」
「だが、国の持ち物だ」
「そんなことは今は関係ありません! 私の住まいにあなたは勝手に入ってきているんです! 何度も、何度もっ!」
悲鳴だと、青年は思った。
そして、青年には助けてと叫んでいるように聞えた。
「私にかまわないで。私に近づかないで。私を、そちらの世界に引きずらないで……」
「え?」
フィロのその言葉に、青年は驚いたようにフィロを見つめた。
今、彼女はなんと言ったか。
「……まぶしすぎるのよ。人が居る外の世界は」
「―――――」
言葉が、でてこなかった。
――そう。何もかもがまぶしすぎる
全てが、まぶしくてまぶしくて、仕方がない。目を焼かれるような感覚にすらなる。ただでさえ、人とのかかわりを絶たれたフィロにとって、この部屋にこなければならなくなったメイドや兵士たちとの会話すらも、胸中では心臓が壊れそうなほど脈を打っているのが分かるほどなのに。
全ての人が、まぶしくてまぶしくて。
全ての人が、憎くて憎くて仕方がなかった。
どうしてあなたたちは、当たり前に外の世界いることが出来るのか。自分だって、そんな風に太陽の下を堂々と歩きたかった。綺麗なドレスを着て、綺麗に髪を整えて。メイドや兵士の人たちと楽しく会話をする。
何回も、何十回も、何百回も、何千回も――もう、数え切れないほどに抱いた、醜い醜い、羨望。
望んでも手に入らないと分かっているのに、それでも望まずには要られなかった自分。
ああ、なんて醜いのか。
「……あなたが望むのなら、俺はいつだってこうやって手を差し出す。いつだって、その手を握り締める」
突然の言葉に、フィロははっとしたように青年を見た。彼は、とても真剣な瞳で、自分を見つめている。
言葉がぐっと喉の奥に詰まった感覚がした。いけない。今、何か言葉吐き出しては。今、喉から音を出しては、いけない。
本能的に何かを悟ったフィロは、黙った。それを察した目の前の青年は、少し悔しそうに表情を歪めた。ここまで言っているのに、何故彼女は自分の手をとってくれないのか。いや、その理由はすでに知っている。しかし、改めて突きつけられたことが一つだけあった。
それは、自分が考えているよりも尚、目の前の少女は少女自身にかけられたその呪いに酷く怯えている、ということだ。
差し出している手が、しびれてきた。
それは、この状況に対する自分の気持ちのようなものだと、青年は理解していた。はやく、この手を握ってほしい。早く、この腕で目の前の少女を抱き締めたい。ここ数日間、彼女の元へ通って初めて、そんな自分の気持ちに気付いた。
自国でもいやというほど縁談話をされ、そのたびに見合いもしてきた。それが自分の使命だからだ。勿論、その中に気に入った女性も少なからずいた。しかし、後から冷静に考え、結局破談しただけだ。何がいけなかったのか、それは自身にも全く分からない。けれど、何故か受け付けられなかったのだ。どうしても、受け入れることが出来なかった。その原因は、今でもまだ分からない。何かを求めているのかと問われれば、特に何も求めてはいない。ただそばにいてくれれば言いと簡単に考えている。そして、その条件に当てはまる女性は、それこそ探せばいくらでもいるのにもかかわらず、何故かそれを受け入れることが出来なかった。
両親にも不思議がられた。それ相応の身分と、自分が求めている女性の条件を当てはめた人しか、見合いには出されなかったからだ。それなのに、その期待に添えることが出来なかった。心苦しいと感じた。
だからこそ、この国に来たのだ。
少しだけ身と心を休めるために。
戻ったら、義務である結婚を受け入れるために。
「……手を、とってくれ」
悲痛な思いを言葉にこめて、たったそれだけを呟く。けれど、目の前にいる少女はそれを現実にはしてくれない。
まるで怯えるように身体を後ろへと移動させていく。
「や、めて……」
懇願するように、少女は青年に向かってそう呟いた。先ほどよりも尚明るくなってきている外には少しずつ光が溢れ始めている。
その光を吸収するように、少女の長い金の髪が目にはいる。黄金の滝を思わせる、美しい金の髪だった。
「私は、あなたの手は取らない……」
「いや、あなたは、この手をとるんだ」
「いや。絶対に、いや」
「その拒絶は、本当にあなたの意思でしていることなのか? 周りから抑圧されたために、自分の気持ちを、行動を、無意識に抑えているためのものではないと言い切れるのか?」
「言えるわ」
その言葉が返ってくるとは思わなかったのか、青年はこれ以上ないほど大きくその眸を見開いた。あの、焦がれてやまない、空色の眸を。
それでも、フィロは自分の気持ちを青年にぶつける。
「私があなたの手を取ることが、どうしてあなたの中では当たり前になっているか知らないけれど、私は人形ではないわ。まるで人形のような生活を送っていても、他人の目にそう映っているのだとしても、私にも意思はある。考える能力もある。周りの視線が怖いという感情も勿論、あるとは言い切れないけれど、それでも、私は私の意志で、あなたを拒絶しているわ」
その言葉は、青年を追い詰めるに十分な威力を持っていた。
何も言えなくなるのは、久方ぶりかもしれない。与えられるばかりの人生の中で、この少女に認めてほしいと感じたのは、いつからだっただろうか。
全てをあきらめているその眸が、どうしてか許せなかった。どう見ても、自分よりも年下の少女が、世界のことを分かっていることが、納得いかなかったのかもしれない。そのほかにも、もっと理由はあるのだろう。
けれど、今自分が彼女に向かって手を差し出している理由は――。
「……なら、どうしてあなたは笑ってくれないんだ」
そう、自分はこの少女の笑顔を見たことがない。勿論、社交辞令として微笑んだところは何度か見たことがある。けれど、それでも数えるほどであった。
「……何故、私があなたに向かって、微笑まなければならないのですか」
「俺に向かってじゃなくてもいい。もっと、違う誰かに対して微笑むだけでもいい。ここ数日、ここに押しかけるように通っていたが、あなたはメイドや兵士にも笑顔を向けていなかった」
「それがここでは当たり前の光景です。来たばかりの、しかも、他国の方に言われる筋合いはございません」
「だが……!」
言い募ろうとしたが、大きな音に阻まれた。ばんっ、という大きな音。その音の根源を探ってみると、そこには少女の手が近くにある机を拳で叩きつけている光景があるだけだった。
「……知った風な口を利かないでください。何故、他国のあなたにそこまで言われなければならないのですか? 私のことを知ったようにいっていても、所詮は私のことを考えていない。私は、別にこのままでもぜんぜんかまいませんから。当たり前の光景を、あなたが受け入れればいいだけです。それが出来ないのなら、即刻自国にお帰りください」
少しだけ、怒りのようなものが感じられたのは、おそらく気のせいではない。
青年の眸に写った少女の表情は、今まで見た中でも、怒りを表していたのだ。
「私は、呪いを持ったものとして、当然の振る舞いをしているつもりです。私の行動は、国の信頼と連動しているとも思っております。私は、こんな呪いを持っていたとしても、この国の姫ですから。呪いを持っている私が何故、幸せそうに笑うことができるのですか? それをすることによって、私に何の得があると?」
青年は、言葉を失った。
「今の私が、幸せだと笑ったところで、正気を疑われるだけでしょう。それが分からないほど私も愚かではありません。ちゃんと、両親が望んでいる〝呪い持ちのかわいそうな姫〟を演じているつもりです」
「―――――それは、やはりあなたの意思は働いていないのではないか?」
「……どういう意味でしょう」
本気で少女には分からないのだろうと、青年は思った。
「あなたの言う〝呪い持ちのかわいそうな姫〟を演じているのであれば、それはあなたの意思でやってることではない。ただ両親の期待にこたえた結果、今の状況になっているだけだ。そこにあなたの意思は存在しない。知らぬうちに、あなたは両親の敷いたレールの上を歩いているだけだ」
今度は、フィロが言葉を失った。
「あなたは、自分の意思を持っていない。ただの操り人形だ」
突き刺さる。それはまるで言葉の刃物。
「……だったら」
低い声が、知らぬうちにでてきた。
「だったら、私はどうしたらよかったのでしょう? そのまま何も知らないように振舞えと? 笑えと? そんなことが出来るはずがない。だからこそ、私は自らを落として操り人形として生きてきた。どれだけの感情が押し寄せてきても、それは私にはいらないものだった。私が持っても仕方のないものだった! だったら、諦めて、捨てるしかないじゃない!」
感情を抑える術を、身につけてきたはずなのに。
「そうですよ、私は操り人形のような人間です。自分の意思を持つことなど、ありえない。そんなこと、あっていいはずがない。私は私を貶めなければならなかった。全てをあきらめなければならなかった!」
こんなにも、感情が溢れてくる。
「望んでもそれが手に入るとは限らない。いいえ、むしろ手に入ることなど絶対にありえなかった。私は、幼い頃に地獄に落とされたのです。そこから這い上がる力も気力もなくて、ただ泣くばかりの、ただ叫び散らすだけの、愚かで醜い存在だった」
あの日、あの女の人が呪いをかけてから、全てが狂っていった。
「手を伸ばせば、私がこの場所から出られると、あなたはおっしゃいましたね」
フィロは、目の前にいる青年に向かって言葉を投げかける。青年は身体を硬直させながらフィロのその表情を見つめているしかできなかった。
「あなたが言っていることは、ただの妄想です。ただの願望です。望んでも手に入らないものなど、この世界にはありとあらゆるところに点在している。世界に蔓延っているのです。どう頑張っても、手に入れられないものの方が、人間は多い」
言葉が紡げないのは、言われている言葉の全てが、事実だから。
青年は、フィロの言っていることこそが現実だと分かっているのだ。
庶民がどれほど切望しても、世界の秩序は、法は、変えられない。なぜならそれらを掌握しているのは、王族だからだ。どれほどこうしてほしい、ああしてほしいと願っても、それら全てを王族が、貴族が、かなえてくれることは殆どない。
自分に都合の良い言葉ばかりを厳選し、それらを実行していくだけの存在だ。
庶民の人間から見れば、王族貴族は悪の塊であるだろう。
「分かりますか? 私たちは、まるで自由に振舞っているように見えてその実、様々なものに縛られているのです。私ももうこの歳ですから、両親の心は理解しているつもりです」
それなのに、両親がそれを受け入れないのは、ひとえに実行することが難しいからだ。生まれたときから五体満足に、そしてとても健康的な赤子だと国中に発表してしまったがために、未だに生かされている、哀れで可愛そうな〝呪い持ちの姫君〟。今この現状で、フィロが死んだとなれば、王室の誰かが、もしくは貴族の何者かがその姫君を殺したことになるだろう。
幼い頃は、何度か城下町にも遊びにいき、その健康さは市民が知るところとなっている。
だからこそ、こうして未だに生を与えられているのだ。
「あなたに、この気持ちが分かりますか? どれだけ望んでも与えられないこの絶望が、あなたに分かりますか」
何も答えられない背年に対して、フィロはふ、と微かに笑った。
理解できるはずがない。このような状況に陥ったこともないような、幸せな道を歩んできた目の前の青年が、自分のような日陰に追いやられたものの気持ちなど、分かるはずもない。どん底に落とされたものの気持ちが、この人に分かるはずがないのだ――。
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