第7話

 男を追い出したまではいい。しかし、シーツをどうしようと、フィロは部屋の中で悶々と悩んだ。扉は今まで意図的に鍵を閉めていなかったが、今回ばかりは特例だ。きっちりと鍵を閉めておいた。しかし、あの男性にシーツをかけて押し出したまではいいが、彼があそこで尻餅を着いたおかげで、シーツが少なからず汚れてしまった。なんと言い訳しようか。

 そんなことを考えながら、彼女の夜は明けていった。



 次の日。フィロは自身の部屋でお茶を楽しんでいた。特に何をするでもない時間だが、お茶はとても好きだった。ただ暇な時間を無意味に過ごしている時よりも、充実感を得られるからだということに、本人は気づいていない。

 けれど、たとえ一人のお茶会でも、この時間はフィロにとって救いだった。何もすることがないのももちろん、昨夜のことを思い出さなくても済むからだ。あれから、もう何時間と経っているけれど、流石に兄男性の身分が気になってきたフィロは、内心物凄くどきどきしていた。

 もしあの人が王族だったなら。もしあの人が貴族の息子だったなら。

 そんなことばかり考えているためか、気づいたらカップの中の紅茶は無くなっていた。ふう、と溜息を一つついてからフィロはポットを持ち上げてカップに紅茶を注いでいく。もちろん、普通であればメイドがする仕事なのだが、当たり前のように“呪い”に恐がってフィロの周りにはメイドの一人もいない。

 慣れたことではあるが、新しく持って来てもらう時に申し訳ないから、この離宮にそういったものを備え付けてくれないかなと思わず考える。

「……無理よね、普通に考えて」

 両親から見放されてしまった自分の要求など、聞き入れてもらえるはずがない。心優しい両親といえど、娘の呪いに怯えて逃げ続けている人たちだ。おそらく無理だろうと勝手に予想を立ててしまう。

「早く、母様が新しい命を宿してくれたら……」

 お役御免になる自分には、与えてもらえるのだろうか。

 今まで、自分が最も欲しているものを。

「で? 俺の分はいつになったら持って来てくれるの? メイドさん」

 突然、自分のすぐ近くから声が響いてフィロは思考停止した。聞いたことのある声、口調。そろりと声のした方を覗くように見やる。

 そこには。昨夜、手酷く追い返したはずの男性が普通に座ってにっこりと笑いながら自分を見つめていた。

「……もういやだわ」

「ん? 何が?」

「…さぁ、私のティータイムも終わったことですし、あとはお一人でどうぞご堪能ください。もしくは、メイドを呼んで一緒に頂いては?」

 さっさと退散するのが一番だと思って、フィロは早口にそうまくし立て、席を立とうとする。

 が、相手の言葉に行動が止まった。

「あれ? あなたのティータイムはいつも十分程度で終わりを告げてしまうのかな?」

「……いつからいらしたのです?」

「ん? 結構前」

「でしょうね。そうでなければそんな事細かな時間まで私に伝えることなど不可能ですしね。しかし、ご存知ですか? それはストーカーというのですよ」

「大丈夫。自国でもそんなこと言われてきたから。慣れた」

「そんなことに慣れられてしまったあなたに国の方々がとてもお可哀想ですわ。なので、行動を謹んでください。わたくし、一人で楽しんでおりました」

「そんな冷たいこと言わないでよ、お姫様」

 軽口を叩きながらも、その瞳はフィロの行動を逃がさないようにと光っている。もしここで立ち上がったりでもしたら速攻で手首を掴まれてしまうだろうということが予想できるくらいには。おそらく、わざと分かりやすくしているのだろうけれど、それはそれでとても怖い。

 けれど、フィロにも相手に手を掴まれるなどと恐ろしいことを想像してしまったために、無駄に自分が動けなくなったことを自覚してしまった。どれだけこの男は自分を追い詰めれば気が済むのか。

「……性格が悪いと、よく言われませんか?」

「ああ、よく言われるな。しかし、これが元からの性格なのだから仕方がない」

 からからと笑ってそんなことを伝えてきた男に、フィロは心底呆れてしまう。もう少し自制してはどうなのだろうか。そもそも、なぜこの男がこの部屋にいる。

「…………そうですよ。何故あなたがこの部屋にいるのですか」

「ん? 鍵が空いていたからそのまま普通に入ってきたけど?」

「……部屋の主である私の許可なく、入り込んだのですか……」

「ま、簡単に言うとそうなるな」

「簡単も何もないでしょう。さ、出てってくださいませんか?」

 引きつる頬を無理やり笑みに変えて、フィロは相手に体質を促した。しかし、それを実行してくれるほど、相手の男は甘くない。優しくない。

 こちらの表情を見て、少し溜めたあとに、彼はフィロを見てこの上ない満面の笑みを浮かべて言葉を発した。

「嫌だね」

 言われると思った、と内心でがっかりとしながら、フィロは大人しく席に着いたまま大きくため行くを吐いた。

 たとえこのまま席を立ったとしても、彼の隙のない座り方から見るに逃がしてはくれないだろう。先ほど感じたとおり、おそらく手首を掴まれて終わる。そんな恐ろしいことをして欲しくない。そもそも、席を立ったとして、逃げ道などどこにもない。ここは紛れもなく、フィロの部屋なのだから。

 結局、フィロは相手の思う通りにおとなしくしているしかないのだ。

「……よほど、自分に触れられるのが嫌みたいだな」

「当たり前でしょう。私は、私はが一番嫌いで、怖いのだから」

「それほどまでに恐怖を覚える必要はないと思うのだが?」

「それは、あなたが私にことを知らないから言えることであって、私のことを知ったらそんなことは言えないわ」

「なら、あんたは自分のことを俺に話すべきじゃないのか?」

「……よほどあなたの頭は弱いと伺えますね。私が自分のことを話したがるような人間に見えますか」

 皮肉しか言えなくて、けれど、ふフィロにとってはそれは自分を守るための盾で。

 これ以上関わって欲しくない。

 知りたいと思って欲しくない。

 触れようとしないで欲しい。

 私を、壊さないで。

 そんな願いを持っているのに、彼はそれをおそらく全て理解しているだろうに、フィロを一人にしようとしてくれない。どうして、なんてことがわかるはずもなく、それでも、何故という疑問が浮かんでは消えていく。

 あなたなら、自分の権力を使ってなんでも出来るはず。それならば、今こに場にいるフィロ自身に聞く必要は何もない。

 噂だけで十分理解できることだ。

「あなたがここにいる理由は? なぜ私のことを気にするの?」

 そんな必要は全くないのに。まるで、私自身を知ろうとしているような彼に態度が、怖くて怖くてたまらない。

 彼は、微笑みながら、私の中をかき乱していくから――。

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