第6話
こつ、と靴の音が響く、歩き方は静かで、とても上品だった。フィロは思わずイスからがたん、と立ち上がる。その音を、扉を押し開けた人物が聞いて驚いたのか、扉を開ける速度が弱くなり、止まった。
開けていいのか、それとも止めたほうがいいのか迷っているようだった。しかし、相手は意を決したようにゆっくりと扉を押し開けてきた。
真紅の瞳に、人の影が映る。
少し青を溶かしこんだ、星のきらめきのような銀の髪。長いその髪は、昼間とは違い下ろされている。腰に届くほどの長さなのに、女性の様に見えないのは、ひとえにその精悍な顔立ちのせいに決まっている。その瞳の色は、フィロが憧れてやまない、あの真昼の空の色。焦がれても焦がれても、自分には絶対に手が届かない、あの空の色――。
思わず見とれてしまっていたが、今はそんなことをしている場合ではないと気がつく。
「――なぜ、ここへ来られているのですか?」
言葉を発することが、相手に言葉をかけるということが、こんなにも勇気のいるものだとは思っていなかった。相手も、こちらから声がかかるとは思っていなかったらしく、多少驚いたような表情をしている。
「……昼間、貴女のお顔をきちんと拝見できなかったものですから」
「それは、貴方の都合であって、わたくしには関係ないことでございましょう? 何故ここにおられるのですか? 夜分に、女性の部屋に来ることが失礼だとは思われなかったのですか?」
「ま、それは思ったんだが、貴女のことがどうしても気になってな」
そう言って、男性はこつ、と一歩フィロに近づく。はっとしたフィロは、同じように一歩、後退する。
それに眉をひそめる男性だったが、これは仕方のないことだと思う、とフィロは思う。どう足掻いても、こんな夜遅くに訪問している相手のほうが確実に悪いわけで、そしてフィロも一応呪いを持つ者とは言えど、女なのだ。警戒するなというほうが無理だった。
「何故逃げる?」
そんな疑問をかけられて、フィロは少し呆気にとられる。何故といわれても……。
「…………申し訳ございませんが、わたくしも一応女なのです」
「そんなことは承知している」
「……ならば、わたくしが逃げるのも道理というものでございましょう」
「何故だ?」
「……貴方様にとっては、ただ呪いを持った者としか見えないかもしれませんが、わたくしも女なのです」
「それは承知していると先ほども言った」
「わたくしも、何度も申し上げております。わたくしも、〝女〟だと」
「……そんなに大切なことか?」
「女とは、総じて警戒心が強い生き物です。第一、見ず知らずの男性に突然自室に入り込まれて平然としている女はいません。それを承知していらっしゃらないのですか?」
そこまで言われて、初めて男性が考えるようにうつむいた。さらりと流れる銀の髪に、少し羨ましさを感じる。自分の髪も、金髪ではあるが、あんなにも綺麗に整っていないような気がする。真っ直ぐに伸びてくれたのは嬉しいが、この離宮に来てからというもの、髪の手入れなど殆ど出来なかったため、昔のように美しさを保てているとは到底思えない。
男性に髪で負けてしまうのは悔しすぎるほど悔しいが、今はそれを気にしている場合ではない。目の前で考え込んでいる男性をどうやってここから追い出すかの方が優先だ。
あまり近くに来ていないのは幸いだ。それに、彼が扉から近いということも。このまま力任せにその身体を押して外に締め出してから鍵をかければ万事解決ではないか。しかし、相手は男。しかも、どっかの国の皇子か貴族の息子。それなりに身体を鍛えているだろう。先ほど考えた行動を起こそうとしても、逆に捕らえられるだけかもしれない。
そう考えると、自分は結局何も出来ない。
これは、ふいをついて追い出すしかない。
そう考えていると、こつ、とまた靴音がする。体が大げさなくらい跳ね上がって、後退する。
「……そこまで怯えられると、多少なりとも傷つく」
「どうぞご勝手に傷ついてください。私は、女として普通の反応をしいていると思っておりますので」
そう言って、フィロは自分のベッドへ後退しながら、シーツを手繰り寄せ、そのまま自分の身体に巻きつける。
その行動を見ていた相手は少し渋い顔をした。が、確かの状況を考えれば警戒されてもおかしくない行動を起こしていると今更ながらに自覚する。が、ここまで拒絶されるのも傷つくのは本当のことで、まさか、自分がこんなにも否定されるとは思ってもいなかった。
一応身分がある人間として、傷つく。
「言える立場ではないと自覚はしているが……そんなに警戒しないでくれないか?」
「無理です」
「……」
即答だったことに、尚傷ついた。
「私は、今は何の発言力も持たない名前だけの姫ですが、自分の身を守らねばならないことくらいは理解しております。ので、ここからでてってくださいませんか?」
「……そんな無粋なことをしようとは思っていないのだが」
「貴方にそんな気がなくとも、私は警戒しなければならない立場に一応まだおります。ので、私に悲鳴を出される前に、ここから去ってください」
「もし今ここで去ったとしても、俺はまた昼に貴方を訪れるぞ?」
「面会拒否を今ここで申し上げておきます」
すでにここで断られてしまい、男のほうは物凄く落ち込んだ。
「そんなにも信用がないのか?」
「そうですね。突然現れた異性をいきなり信頼する女性には一度会ってみたいものです」
そこまで言われれば、本当に何もいえなくなってしまう。なんてこと。これでは反論が何も出来ないではないか。
「やっとお分かりいただけたようで、とても嬉しく感じます」
そう言って、フィロはシーツを身体に巻きつけたまま、一歩、また一歩と男に近づいていった。その光景を目の当たりにして、男は少し心が弾んだ。あれだけ信用していないといっていたわりには、近づいてきているという事実に、浮き足立ったのだ。
やはり、男は外見と身分だと、思わず自分に言い聞かせてしまう。
が。
「――え?」
ばさっ、と言う音とともに目の前が真っ白になったかと思うと、自分の胸をどんっ、と力強く押す何かがあった。突然のその出来事に、男は理解できず、ふんばりもきかず、挙句の果てには自分の足に
いたた、と思っていると、真っ白だった目の前がクリアになる。何事だと思って周りを見渡すと、そこは今までいた少女の部屋ではなく、外だった。何事か理解できず、ぽかんとしていると、頭上からオルゴールのように心を穏やかにする声が降ってくる。
「では、お休みなさいませ」
そう言って、少女の部屋の扉は、目の前で無常にも大きな音をたててしまった。それを呆然としながら見ているしか出来なかった男は、やっと理解した。少女が自分を追い出したのだと。
その事実に、男は思わずうなだれる。何たる失態。しかし――その表情はとても楽しそうだった。
まさか自分をこれほどコケにしてくれるとは。今までにないタイプの女性だ。これは、楽しくなる。そう考えるだけで、男は笑みしか作れない自分がいることを自覚した。
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