第5話



     ◇     ◇     ◇



 夢を見る。幼い頃の夢。

 皆が笑ってくれている。私も、皆と一緒に笑っている。たくさんの緑と、色とりどりのお花に囲まれて、幸せな毎日を過ごしている。

 笑っても笑ってもたりかなったあの日々が、とても愛おしいと感じる。

 ぱたぱたと走り回って、転んで、少しだけ怪我をして。それでも笑って。

 そんな毎日が続くと信じきっていたあのころの私。揺るがないと、妙な自信を持っていた、愚かな私。

 けれど、夢は必ず覚めるものであり、その夢を壊す人物が必ず現れるものだ。

 その夢の最後には、必ず――自分の瞳と同じ、真紅の少し汚れたドレスを着た女が現れる。そして、自分を見つけると歪んだわらいを見せて近づいてくるところで――必ず目が覚めるのだ。



     ◇     ◇     ◇



 はっと目が覚める。自分は今、何の夢を見ていたのだろうか。

 身体を起こすと、全身に冷や汗をかいていて、身体がべたべたとする。気持ち悪い。フィロはベッドから足を下ろして立ち上がると、一度窓の外を見た。まだまだ暗く、星の光が見える。月も少しだけ見えるということは、まだ全然真夜中だということだ。

 深く長いため息をつき、フィロは身体をゆっくりと動かす。それをすることすら億劫おっくうで、けれど全身の冷や汗を流したくて浴室に向かう。

 長い金の髪がふわふわと揺れて、自分の後をついてくる。それすらも、今はなんだか恐く感じてしまう。何故かなんてことは、正直分からない。けれど、起きる前まで見ていたあの夢が関係していることは確かだった。

 彼女は、どうして呪いなんてものをこの身に刻んだのか。

 何をそんなにも恨めしく思っていたのか。

 どうして、あんなにも悲しそうな表情をあのときにしていたのか。

 何をどう考えても、フィロがあの女性のことを分かるはずがない。分かったとしても、それを受け入れることが出来ない可能性のほうが高いだろう。

 こんな風に、自分の殻に閉じこもって外にでようともしない自分と彼女とでは、きっと大きな違いがある。

「……私は、求められて生まれたこの国の第一王女……けれど、今は――」

 応える声なんてなくても、自分の呟いた言葉の先は簡単に出てくる。

 今は――いらない危険分子。

 ああ、大人って勝手だなと思う。

 何かを決めるときも、何かを行動するときも、必ずその同意が必要となってくる。あれをしてはいけない、これなら良い。けれどそれはいけない――そんな繰り返しをずっとされて、子供はいやにならないのだろうか。

 それとも、本能の部分で何かを感じ取っているのか。

 いずれにしても、自分が自由になる術などない。これからは、何かをしたいと思って親に同意を求めても返ってくる答えなんて分かりきっている。

 ――それは、否定という言葉。



     ◆     ◆     ◆



 抱き上げられた、幸せな女の子。

 大切にくるまれているその女の子は、きっとこの世界で何の不自由もなく育つに決まっているだろう。

 そんな風に感じる。

 それなのに――突然、目の前が真っ暗になる。

 幼少の姿で辺りを見回す。何も見えない。つい一瞬前までは、あんなにも鮮やかに広がっていた光景は、今は黒に塗りつぶされて何も見えない――見えない。

 手を伸ばすけれど、伸ばした手はただただ空を掻くだけ。何も見えないし、何も触れない。

 叫び声を上げていた。

『ねぇっ! ここから出して! ここから! だしてよぉっ!』

 どんどんと、力いっぱい扉を叩く。それなのに、その扉はびくともしない。誰かが外に立っている気配はするのに、どうしてここが開かないのか。少女には分からなかった。

 作った拳が、扉に叩きつけている拳が、痛い。どうして、こんな扱いを受けているのか。全く理解できない。何をどうしたらいいのか。何をすればここから出してくれるのか。まさか、これは何かの新しい遊びなのでは、と思いもしたが、それは刹那せつなに掻き消える。

 そんなはずがない。

 こんなにも叫んでいるのに、こんなにも扉を叩いているのに。誰も気付かないはずがない。では、どうしてここに閉じ込められているのか。

 泣き声を上げてしまった。どうして、私はここにいるの。ここはどこなの?

 どうして誰も私の声に応えてくれないの。

『出して! ここから出してよぉっ! 暗いの! 怖いよ! ねえ、誰かいないの!?』

 泣き叫んでも、どんなにわめき散らしても、誰も助けてくれない。

 これが、現実なんだと突きつけられるのは、あまりにも短い時間、あまりにも大きな衝撃だった。

 どこまで私は苦しめられればいいのだろう?

 どこまで貶められればいいのだろう?

 求めているこの手を掴んでくれないのはなぜなの?


 ――お父様……お母様……



     ◆     ◆     ◆



 下ろしていた目蓋を上げる。真紅の瞳が虚空を見つめた。

(……ああ、まだこんなにも鮮明に、私は思い出すことが出来るんだ……)

 自分で自分を嗤ってしまう。どれだけ助けてもらえなかったあの日々。伸ばした手を取ってもらえないという絶望。

(あれから、もうずいぶんたつのに……こんなにも鮮明に思い出して、馬鹿みたい)

 そう思う。だって、あれは幼い頃だ。自分はもう、成人している。それなのに、あの日の記憶は、まだこんなにも鮮明に思い出される。

 だからこそ、残酷だと思う。

 夜空を見上げながらフィロはため息をついた。ずっと立っているのも疲れてきたため、フィロはいつものようにイスを持って窓辺に腰を落ち着ける。見上げる夜空はいつもよりも少し明るい気がした。

 その時、こん、と扉を微かに叩く音がしたような気がした。不思議に思ってフィロはそちらに顔を向ける。

 ゆっくりと、扉が開かれる。身体が硬直する。誰だ、こんな時間にここを訪れるのは。衛兵だろうか。いつも洋服を持ってきてくれているから、その時間になったのだろうか。しかし、それにしてはとても警戒している気がする。

 フィロは身構えて扉を睨み付けるように見つめる。そして、驚きの人物が入ってきた。

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