第5話 祈り

 星奈の苦い初陣から二年が経った。

 戦場なんてものはいくら経験してもいやなものだ。あの血みどろの光景、臭い、轟音。初めて人を殺して作戦に貢献したときも、喜びや達成感はなかった。むしろ、殺した相手の断末魔が脳の奥にこびりついて、寝ても覚めても心が安まることがなく、ついに星奈は心を病んだ。

「その感受性はなくさない方がいい。」

と周りは言ってくれた。自分も失うつもりはない。人を殺す快感なんてものに目覚めて、トリガーハッピーになるくらいなら、殺してしまった人たちの冥福を祈り続けた方がいい。たとえそれで心を病んでしまってでも。

 医者や周りの助言で、星奈は久しぶりに実家に帰った。久しぶりの故郷は、たいした変化もなく、その光景を見るだけで星奈の心は落ち着いた。家に着くと、家族は快く星奈を迎えてくれた。その笑顔がまぶしくて、星奈は玄関で大泣きした。両親に自分の「罪」を告白し、一晩中説教を聞いた。ありがたかった。

 翌朝から、生まれて初めて、心から真剣に家業を手伝った。死んでしまった人、殺してしまった人を、一人一人、大切に供養した。自分勝手かもしれない、わがままかもしれない。それでも、星奈なりのけじめとして、やらなければならないと思った。この家に生まれて良かったと思う。でなければ、出家でもして、世捨て人のようになっていたかもしれない。実際、拝み続けている間、少しずつ重い「憑きもの」が落ちていったような気がする。冥人が言っていた。「死人はどうすることも出来ない。生きてる自分の気持ちが整理できなければ、成仏すら出来ない。」と。それを実感した。冥人にもこんなことがあったんだろうか、と思い浮かべる。同じ日本人だし、やはり初めての人殺しには抵抗や後悔があったんだろう。そんなとき、こうして拝んだのだろう。自分勝手でも、死者のために、自分のために。自分はここで立ち止まるわけにはいかない。今でも仲間たちが死線をかいくぐっているのだ。いつまでものうのうと生き延びているわけにはいかない。

 学校は卒業した。出席日数は足りないなんてもんじゃなかったが、状況を理解してくれている学校側が、特別に卒業試験を受けさせてくれた。仮にも学生として、勉強してきた、というかさせられてきたので、結果は上々。後腐れなく卒業できた。聖剣隊への入隊にあたり、本部のあるアメリカのハイスクールへの転校も勧められたが、情報を集めてみると、ドラッグの蔓延がひどいとか、たびたび銃乱射事件がどこかで起きるとか、怖い情報がいろいろ集まったので、丁重にお断りした。

 久々に旧友たちと会って遊んだ。これについては、実はあまりいい思い出がない。大学生や社会人となった友達は、血まみれの世界で生活していた自分と比べ、輝いているように見えた。友達は見知らぬ異世界のことを知りたがり、星奈の思い出したくないことまで掘り起こされて、パニックになりかけたこともあった。かつての戦争体験者たちの経験談を話すときの気分、いかばかりか。友達がリアルな戦争ゲームを笑いながら楽しんでいる傍ら、星奈は画面内の血しぶきに怯え、デジタルの銃声に震えた。彼らは遠い存在になってしまったのだと、星奈は独り嘆き、次第に疎遠になっていった。

 友達との付き合いを遠ざけて、家業にいそしんでいる中、意外な訪問者があった。

 ハシムだった。

「具合は悪くなさそうだな。星奈。」

開口一番、ハシムはこう切り出した。

「う・・・うん・・・おかげさまで・・・。」

正直、「すぐに隊に戻れ」と言われるのが怖かった。また人殺しをしなければならない。そこまで自分は回復していない。恐怖が半端なかった。

「そう萎縮するな。今日は休暇だ。実はな、個人的に頼みたいことがある。」

「そ・・・そう・・・。・・・頼みたいこと・・・?」

「拝んで欲しい。」

ハシムの依頼は、全く意外だった。敬虔なムスリムであるハシムが、お門違いの星奈の家に拝みを依頼してくる。どういうことだろう。

「ニュースを見ていないか?この間の聖剣隊の作戦に、日本の自衛隊も参加した。その作戦で、日本人の死者が出た。彼らを弔ってやりたい。日本の方法でな。」

 そういえばテレビで言っていた。結構大きくクローズアップされて、集団的自衛権がどうとか、安保法がどうとか、そういった議論で連日騒いでいる。あまりにもうるさいくらいで、星奈にとっては精神にも来るものがあって、最近はこの話題が来るたびにチャンネルを変えたり、電源を切っていた。療養中だというのにテレビや新聞などの取材も頻繁に星奈の家にやってきて、家族がそれを追い払ってくれていた。

「うん。それは一応知ってるけど・・・それで、わざわざウチに・・・?」

「何か問題でもあるのか?」

「一応、檀家さんっていって、お家ごとに属してるお寺があってね・・・」

「面倒だ。ここで済ませてくれ。」

「慰霊なら、大きな神社とかでやってもらった方が・・・」

「星奈、ここでやってくれ。お前は顔を合わせなかったろうが、仲間だ。同じ釜の飯を食うっていうのは、お前の国の言葉だろう。」

 仲間か。と星奈は心の中で反芻した。心地いい言葉だ。思い起こせば、ハシムは異教の方法で慰霊をして欲しいと言ってきている。背信行為と言われてもおかしくない。それでも、星奈にやって欲しいのだ。そのために、遠路はるばるやってきたのだ。ここで追い返したら、それこそ家の面汚し。やるしかない。

「分かった。でも、ちょっと準備があるから、今すぐにはできないよ。大きな行事には時間がかかるの。二、三日待ってもらえるかな?あと、予算が知りたい。」

「仲間からも金を取るのか。」

「お仕事ですから。」

「分かった。意外とがめついな。カネに汚いといい死に方をしないぞ。まぁ、準備ができたら呼んでくれ。携帯のアドレスは分かるな。予算は・・・」

こうして、慰霊祭の段取りを決めて、後日、星奈の父が執り行うことになった。


 儀式は滞りなく終わった。今回慰霊した自衛隊員たちは、すでに国葬されていたため、この慰霊祭は控えめに執り行われた。それでも、聖剣隊隊員の星奈の家で行われ、ハシムが参列するということで、メディアにも取り沙汰された。辺りは取材に来たメディアたちで賑やかだったが、儀式の方はしめやかで、聖塚家の塀を境に、世界が切り離されたような、不思議な感覚があった。聖域とはまさにこういうことなのだろう。

 厳粛な儀式が終わり、後片付けのさなか、再びハシムが訪ねてきた。

「ありがとう星奈。あれが日本風の慰霊の仕方か。」

「宗教と宗派にもよるけどね。日本は昔から二つの宗教でなりたってるから。」

「不思議な国だな。とにかく、俺のけじめはつけた。これでもう一度戦場にも立てる。」

「・・・けじめ・・・?」

星奈は殺してしまった人たちのために拝み、けじめをつけようとあがいている。では、ハシムのけじめとはなんだろう。

「公にはなってないがな・・・。あの自衛隊員たちが死んだのは、俺のミスなんだ。」

「・・・え?」

ハシムがミスをするのは珍しい。実直な性格で、他人に厳しい分、自分にはさらに厳しくするハシムである。少なくとも、星奈が戦線に立っていた二年間、ハシムのミスなど聞いたことがない。それも味方の生死に関わるミスなど、考えられない。

「意外・・・という顔だな。俺自身認めたくなかったさ。だが、現実に死者が出ている。目をそらすわけにもいかん。お前もよく分かっているはずだ。」

「・・・うん・・・」

死者から目をそらしてはいけない。この言葉を祖父以外から聞いたのも意外だった。以前はよく分からなかったこの言葉も、今ならよく分かる。死者に鈍感になれば、人はさらに人を殺す生き物になる。倫理観というものは人間独自のものの見方だ。時には邪魔になると悪態をつかれることもあるが、それなくして今の文明の発展はない。

「俺も昔は・・・聖剣隊に入る前は、他人の生き死にに鈍感だったよ。物心ついたときから周りは戦場だった。よく分からないうちに反政府組織に入って、テロリストに仲間入りした。俺はよく生きた方だ。他の連中は、ほとんどが爆弾を抱えて街中で自爆していった。これが聖戦ジ・ハードだと信じていた。俺もいつかは異教徒たちを殺して、天国に行けるものと信じていた。処女っていうのもよく分からない頃から、天国だけは信じていたのさ。『杖』と出会ったときは、まさに天啓だと思った。異教徒たちを皆殺しにできる力を手に入れた、と。だが、できなかった。」

「どうして?」

「冥人に妨害された。」

「ウソ・・・」

「嘘ではない。冥人は普段は影の中から索敵するだけだが、本気を出せば影そのものに質量を与えて実体化できる。それだけだが、応用の範囲が広い。あの男一人に、俺の組織はなすすべなく壊滅され、俺は拿捕された。」

マジか。これこそ意外だった。普段裏方に甘んじている冥人に、そんな力が秘められているとは。

「その後、取引を持ちかけられた。聖剣隊に参加し、平和に貢献すれば、罪を免除してやるとな。冥人は頭も回る。俺が頑として自決すると言い続けていたら、論争になってな。あらかじめコーランを熟読していたらしい。俺の主張があの項に矛盾してるとか、間違った解釈をしているとか、ことごとく論破されてしまったよ。」

「微妙にえげつないなぁ・・・。」

「おかげで、冷静になれた。あらためてコーランを読み返してみたりしてな。だが、今でも冥人に勝てる気がせん。すごいよ、あいつは。」

それはすごいと思う。他人の価値観を変えるなど、そうたやすいことではない。堅物のハシムを改心させるなら、よほど冥人の主張に間違いがなく、心もこもっていなければ不可能だろう。星奈には絶対にできない。

 ここで、疑問がわく。なぜ、ハシムはここに来たのか。自分で他人の死に鈍感だと言っていた。わずか三年の付き合いだが、ハシムが敬虔なムスリムであることもよく知っている。だからこそ、なぜ。聞いてみるか。

「ところで、なんでわざわざウチに来たの?大きい慰霊祭ならもう他でやってるし、それに参列しなかったの?」

「できなかったんだ。」

「できなかった?」

「恥ずかしい話だが・・・。プライドが邪魔してな。ミスを認めたくなかったんだ。昔みたいに、他人の死だと割り切れると・・・思っていた。だが・・・人間ってのは、変わるものだな。お前と同じだ。寝ても覚めても彼らのことが忘れられん。どうしたものかと冥人に相談したら、けじめをつけるのが肝要だと言ってきた。どうつけるかは、自分で考えるしかない、ともな。それで、悩んだあげく、ようやく彼らを弔ってけじめをつける気になったんだが・・・そのときにはもう葬儀が終わっていてな。要するにお前に泣きつくしかなかったんだ。」

なるほど。意外なところで家業が役に立ったわけだ。ちょっと自分の家が誇らしく思えて、星奈はいろんな意味で人並みな胸を張った。

 と、どこかで携帯が鳴り出した。聖剣隊用の携帯であることが、着信音から分かるようになっている。星奈は身をすくめる。この音は聞きたくなくて、自分の携帯はなるべく持たないようにしているくらいだ。音はすぐに消えたので、おそらくメールだろう。

「ああ、俺だな。」

ハシムが懐から携帯を取り出す。ボタンを操作して、携帯の画面を読む。

「・・・。妙な・・・。」

ハシムが顔をしかませる。

「妙って・・・何が・・・?」

「召集なんだが・・・おかしい・・・。こんなところに・・・何が・・・?」

文章を見ていない星奈にはさっぱりだった。

「かいつまんで、教えてもらえるかな?私も行くの?」

「お前も絶対参加らしい。だが、誰も殺す必要はないとか・・・。召集場所からして妙だ。行き先は南極・・・。こんなところになぜ・・・。」

「なんで南極なんか・・・?今のところ、世界で一番紛争と縁がない場所だよ・・・?」

「・・・。思い当たる節は・・・ある。」

「・・・え・・・?」

星奈に分からない、ハシムの思い当たる節とは・・・?まだ冥人には星奈の知らない秘密があるのか。

「星奈、冥人がたまに行方をくらますことがあるのは知っているな?」

「ああ、うん。あれってトイレじゃないの?」

冥人本人の証言で言えば、トイレで気張っていた、らしい。

「冥人が姿をくらまして、再び現れると、やけに疲れた様子を見せる。俺が見るに、あれはどこかで魔法を使った後だ。便所で気張っていたぐらいで、あんなに消耗はしない。」

「どこかで魔法を使っていた?」

「先ほど話したように、冥人は影を実体化できる。おそらく、それを使って、離れたところの誰かとコミュニケーションを取っている。」

「誰かっていうのは?」

「そこまでは分からん。行ってみなければ。」

ハシムの話では、星奈含め聖剣隊全員参加。少なくとも星奈は殺しはしなくてよくて、目的地は南極。一体、そこに何があるのか。

 果たして南極には、想像も付かなかったものたちが待ち受けていたのだった。

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