三日目 ●前編●

目が覚めた夏目は顔を洗い、歯も磨き、髪も整え服も着替えた。その一方でロゼーターはまだ夢の中にいるようで、規則正しい寝息が聞こえた。


「……まだ、太陽は出てないんだ」


ロゼーターを起こさないよう気をつけながら、カーテンを少しだけ開け窓の外を覗く。太陽はまだ出ておらず、深い暗闇が目の前に広がっていた。


「……女神の唄、月のしずくと太陽の涙、愛……ヒントは図書館にあるのかな」


窓の外はまだ暗く、夏目は自分のやるべきことを考えていた。


「どういう意味なんだろう……」


窓の淵に肘をつきぼうっとしながら、頭を動かす。


「ナツメ起きたの…?」


寝ぼけたような声が聞こえ、夏目は慌てて顔をベッドの方へ向かせた。ベッドの上では眠たそうに目を擦るロゼーターの姿があった。どうやら、人の気配が遠くなったことで目が覚めたようだ。


「…ふぁ、よくそんなに早く起きれるわね。私なんて無理。もう一回寝させて頂戴」


ロゼーターは朝ごはんの前に起こして、と言うと布団に潜り込む。夏目はクスリと笑うと静かに頷いた。それから一分もしないうちに規則正しい寝息が聞こえてくる。

しばらくしてから、太陽が登りウリーが夏目たちを起こしにやってきた。


「おや、もうお目覚めでしたか」


「はい。ロゼーターさんは寝ていますが…」


「もう…仕方ありませんね…」


「あっ、私が起こして下におりますから…まだ、起こさないでいいです」


夏目は控えめな声でそういった。先ほどロゼーターとも約束していたこともあったが、やはり、昨日の疲れもあるだろうからまだ休ませてあげていたい、という気持ちが強かったのだろう。


「……夏目さまがそうおっしゃるなら…」


ウリーは夏目の意思を何よりも尊重したいと考えていた。だから、彼女の申し出を断ることもなかった。


「それでは、九時半頃に下へ来てください。今日の朝食は外で取りましょう」


「わかりました」


静かに頷いた夏目を見て、ウリーはその部屋を後にした。


「…外、か。昨日見た限りだと見た目は私の世界とおんなじなんだよね」


家も道も食べるものも服も、何もかもが夏目の世界と同じ。それなのに住む住人は違うし、やることも違う。魔法で何かを作ったりなんか出来ないけど、この世界ではそれが当たり前。不思議なことばかりだった。

夏目は赤く光る太陽を見つめながら、静かに目を閉じた。瞼の奥で自分の世界のことを思い出す。母のことや父のこと、祖母や友人のこと、向こうに置いてきてしまった思い出全てを思い出していた。今まで思い出さなかったのが不思議で、夏目は十五年の思い出をあっという間に懐かしみ、そして過去へと変えてしまった自分へ少し嫌悪した。


「ん、ナツメ…おはよ」


ふあ、と大きな口を開けながら欠伸をしたロゼーターがのそのそと起き上がり夏目に声をかけた。


「あ、おはようございます」


夏目はハッ、と我に返りロゼーターを見た。綺麗に整えられていた毛並みは少しボサボサになっていて、人間で言う寝癖のようだ。


「ロゼーターさん、朝ごはんは外で食べるそうですよ」


「そうなの?なら、早く支度しなくちゃ」


笑顔でそういったロゼーターは、ベッドからぴょんと跳ねるようにして降りると言葉の通り早く支度をした。毛並みを整え、可愛らしいポンチョを羽織り、小さな歯を磨く。


「ナツメ早く!きっと、レッジェーロよっ!」


小さな鞄を肩からかけると、彼女は扉に向かいながら夏目にそう声をかけた。夏目はレッジェーロ?と首を傾げる。


「カフェなんだけど、あそこのモーニングセットはすごく美味しいのよ。ふわふわのスクランブルエッグに、あったかいクラムチャウダー……他のも美味しくてほっぺたが落ちちゃうわ!」


ロゼーターは身振り手振りで夏目に、レッジェーロというカフェの良さを伝えた。その様子で伝わったのか、夏目は期待したような眼差しでロゼーターを見た。


「ロゼーター!夏目さま!!」


下からウリーの大きな声が聞こえた。突然の大声に夏目は驚いたのか、その小さな肩をぴくりと揺らす。


「今行くわよー!!ほら、ナツメ早く!」


ロゼーターはグイッと勢い良く夏目のスカートの裾を引っ張ると、寝室を後にした。夏目は片足を痛めたかのような歩き方でいそいそと部屋を後にする。

下におり、玄関に向かうとウリーとレオンが二人を待っていた。


「もう、遅いですよっ」


「お、お待たせしちゃってすみません…!」


「夏目さんじゃないですよ!ロゼーターさんです、ロゼーターさん!」


二人の姿が見えるとレオンは腰に手を当て、頬をリスのように膨らませて小言をいった。当然のように夏目はぺこぺこと頭を下げ、何度も謝る。


「さ、レッジェーロに行きましょうか」


「やっぱり、レッジェーロ!!!ね、いった通りでしょう?」


見てみろ、と言いたげなロゼーターに夏目は微笑ましそうに笑った。


「何か話してたんですか?」


「はい、ロゼーターさんがレッジェーロのごはんは美味しいって教えてくれて…」


「そうですか…確かに、あそこのは美味しいですね。ジェニファーさんは料理がうまいですし、ステファンさんのデザートは絶品です」


ウリーは、夏目に絵本を聞かせるかのようにその店のことを教えた。あの店でのオススメはなんだとか、店員はこんな人だとかそんな話を。夏目はそれを頷きながら楽しそうに聞いていた。決して、嫌な顔はしなかった。

四人はゆっくりと歩き出した。楽しそうに話をしながら。先頭にウリーとレオン、その後ろに夏目とロゼーター、という順で。


「こ、ここを通るんですか…」


屋敷の目の前の坂を下り、しばらく真っ直ぐ歩いたところで森に続く道がある。それを目の前にして夏目は目を丸く見開き、ウリーに尋ねた。彼は何がそんなに驚くことなのか理解ができなかったのか、頭の上にはてなマークを浮かべると頷いた。


「えぇ、この道以外隣街に行く方法はありませんよ」


夏目の世界ではアスファルトの地面が当たり前だ。ごく一部しか綺麗に整備されていない道路はないだろう。山などを抜いたとしても、だ。だが、この道はあまりにも人が通るには厳しすぎる。夏目は直感的にそう感じた。

草木が覆い茂り、歩く道など人一人がやっとというところ。よく見てみれば虫や動物の死骸も落ち、地面はぬかるんでいるように見えた。


「……夏目さま?」


ウリーは黙り込んでしまった夏目の顔を覗き込んだ。彼女はただぼうっと道を見ているだけのようで、突然視界に入ってきたかぼちゃ頭のウリーに驚き後ずさりをしてしまう。


「わっ、す、すみませんっ!」


後ろに転びそうになる夏目の腕をウリーは優しく掴み、自分の方へ力強く引き寄せた。その行為に夏目は顔を紅色に染め胸を高鳴らせた。


「大丈夫ですか?」


とんっ、と鼻の頭をウリーの胸にぶつけた夏目は小さく唸ると鼻声で大丈夫です、といった。


「あらあら」


「おやおや」


「初々しいわね、この二人」


「初々しいですね、ご馳走様です」


顔を赤くする夏目とそれを不思議そうに見るウリーたちの姿を、楽しそうに見つめるロゼーターとレオン。この二人はなんだかんだいって仲がいい。


「すみません、ぼうっとしちゃって……」


「大丈夫ですよ。突然、顔を覗かせた私が悪いんですから」


クスリと笑うウリーに、夏目は頬を染めたまま見惚れた。その表情は十五の少女とは思えないほど、憂いを帯び儚さを表していた。

それから、四人はまた歩き出しレッジェーロのある隣街へ向かった。夏目の屋敷から隣街は、一時間もすればつくような場所。なんせ、森の道はごちゃごちゃしていて慣れている人でさえ歩くのがやっとなほどの荒れよう。アスファルトに慣れた夏目にはそんな道をずっと歩き続けることは大変だった。靴擦れを起こし、夏目はウリーにおぶさっている状態。


「…ウリーさん、すみません。重いでしょう?」


「そんなことありませんよ。寧ろ、軽すぎてちゃんと食事をとっているのか怪しんでしまいそうです」


「へ!?そ、そんなことないですよ」


ゆらゆらと高い位置で揺られながら夏目はまたもや、顔を真っ赤に染めあげた。それもそうだろう。夏目だって年頃の女の子だ。自分の体重のことを言われたら恥ずかしくなるのも頷ける話。しかし、そういうことに鈍いウリーは気にもせずに、歩を進めた。


「ダメね、あれじゃあ。ナツメが可哀想よ」


クスクスと笑うのはロゼーター。ウリーのことを乙女心がわかってないなどと、散々な避難の声を浴びさせる。


「夏目さん、ボクのところに……じょ、冗談ですよ!いや、冗談ではないですが!!!」


レオンは両手を広げ夏目に向かってそう言ったが、彼女を離さまいとウリーに睨みつけられすぐに広げた手をしまう。


「……ウリーさん意外と嫉妬深いんですね」


「何か言いましたか、レオン」


「イエ、ナンデモ」


低いウリーの声に、レオンは顔を引きつらせた。


「あ、見えてきましたね。夏目さま、見えますか?」


グイッと夏目が見えるようにと、彼女を上に上げる。覗き出した顔から見えた景色は、海が一望できる街並みだった。よく見てみれば遠くの方に他の街も見え、夏目はキラキラと目を輝かせた。


「すごい…綺麗……!!」


蒼い海に、白を基調とした建物。港街、という言葉が似合うような街並みに夏目の好奇心は震えだっていた。


「ふふふっ、ナツメも子供ね」


「夏目さん、はしゃいでいますね」


ウリーの背中の後ろではしゃぐ夏目を見て、ロゼーターとレオンはお互いを見て笑いあった。夏目がはしゃぐなんて、この世界に来てから初めてのこと。彼女自身も、その周りの人たちも驚いていた。


「あら、ロゼーターさんたちじゃないの」


坂のしたの方からロゼーターの名前を呼ぶ声が聞こえた。声からするにまだ二十歳過ぎの若い女性のものだろう、と夏目は思った。話しかけてきた女性はゆっくりと坂を登り、その姿を現す。ふんわりとした金色の髪、ぱっちりと開かれた蒼い瞳、可愛らしい声。


「ステファン。元気にしてた?」


「してましたよ。今日はどうしたの?あ、もしかしてお店に来てくれるの?」


「そのつもりよ。この子の案内のおまけなんだけど」


「…あら、随分と可愛らしい子。お名前は?」


ステファン、と呼ばれた女性は夏目の顎のしたに細くしなやかな指を当て上に持ち上げる。夏目は思わずコクリと喉を鳴らした。


「上島夏目です…」


「そう、夏目ちゃん、ね。私の名前はステファン・ティファニー。よろしくね」


にこりと笑うとステファンは、夏目に向かって握手を求めた。夏目はその優しさゆえか、ウリーの肩に置いていた手を少しだけ離し、ステファンの手を掴んだ。


「小さな手…すごくかわいいわ。食べちゃいたいくらい」


「えっ、た、食べ…っ」


「冗談よ、冗談。本気にしないでちょうだい」


クスクスと笑い、手を口元に当てるステファンに夏目はうっとりとして彼女の様子を見ていた。何故かというと、彼女から漂う気品みたいなものを感じたのだろう。とても美しく、気高く、それでも治す気品と知性を持ち合わせたステファン。夏目の母親、綾子にそっくりだった。


「ナツメをあんまりからかわないであげて。この子すぐ本気にしちゃうから」


ロゼーターは夏目の目の前に出ると、ステファンに向かってそう言った。


「そのようね」


ステファンはたった一言そういうと、またクスクスと笑い出す。彼女は一度笑うと笑い続けるのが特徴的だ。


「行きましょうか。靴擦れおこしてるんでしょう?お店の方で手当てしてあげるわ」


笑い終えたらしい彼女は、人懐っこい笑顔で夏目にそういった。顔を赤くする夏目の代わりにウリーがありがとうございます、と礼を言う。

ステファンを加え、五人は急な坂道を下る。ぬかるんだ道は綺麗な靴や服などを汚し、その度にロゼーターが悲鳴をあげた。

店に着く頃には跳ねた泥が乾き、手で払えば落ちるようになっていた。ただし、茶色いシミが残ってはいるが。


「お姉ちゃん、ただいま。ロゼーターさんたちが来たわよ」


「おかえりなさい。ロゼーターが?珍しいわね。この時期は地面がぬかるんでいてくるの嫌がるのに」


扉を開けるとからん、と扉の右端につけられていた鈴が鳴った。中に入り、ウリーは空いている席に夏目を下ろし、ステファンと瓜二つの女性に話しかけた。ステファンと彼女の会話からして二人は姉妹のようだ。


「ジェニファーさん、すみませんが救急箱はありませんか?夏目さまが靴擦れをしてしまって…」


「あるわよ、ちょっと待ってて。持って来てあげる」


「ありがとうございます」


ステファンと全く同じ容姿、ふんわりとした金色の髪、ぱっちりと開かれた蒼い瞳、可愛らしい声。違うのは彼女が出すオーラだけだった。ステファンはどちらかというと優しげなオーラを出していたが、彼女はその逆冷たいオーラを出している。


「はい、どうぞ。で、その子誰なの?」


「上島夏目ちゃんっていうの。ロゼーターさんのところの子らしいわ」


「あら、ロゼーター結婚でもしたの?」


「そんなわけないでしょ。選ばれしものなのよ、この子は」


「えっ!!あんた、まだ案内役していたの?もうとっくのとうにやめたのかと思っていたわ」


ウリーに靴擦れをおこしたところを手当てしてもらい、夏目は彼女たちのやりとりを見ていた。


「お姉ちゃん、名前言わなきゃ。夏目ちゃんがなんて呼んだらいいかわからないでしょう?」


「…っジェニファー・ティファニー」


「夏目ちゃん、ジェニファーは私の双子のお姉ちゃんなの。よろしくね」


にこりと笑うステファンと反対に、ジェニファーは顔をしかめた。


「ジェニファーあんた相変わらず人見知り激しいのね」


ケラケラとバカにしたような笑い声を出すロゼーターを、キッと睨みつけるとジェニファーはカウンターの奥へ消えた。


「それで、何を食べるの?ロゼーターさんのことだから、朝ごはんを食べに来たんでしょう?」


「えぇ、それはモーニングセットを四つ」


「わかりました。お飲み物は?」


「コーヒーを一つと紅茶を三つ。レモンとストレート、ミルクをお願いします。コーヒーはブラックで構いません」


ウリーは手際良く注文すると、すぐに夏目の方を向いた。


「夏目さま、どうです?この街はとてもいいところでしょう?」


「はい…こんなに海が綺麗に見えるところに来たのは初めてで…!」


「ふふ、喜んでいただけて何よりです」


夏目はキラキラと輝いた瞳で窓の外に見える景色に、魅入るように見ていた。そんな夏目をウリーとロゼーター、レオンは微笑ましそうに見ている。


「夏目さんの世界では海は見えないんですか?」


「そ、そんなことないですよ。見えます。でも、こんな風に見える場所はないですね」


「そうなんですか……でも、ボクはいってみたいです。夏目さんの世界に」


「え?」


「だって、夏目さんって学生さんでしょう?制服着るんですよね?」


「は、はい…」


コクリ、と頷いた夏目にレオンは大きな瞳をさらに大きくさせ身を乗り出しながら、興奮気味にいった。


「みたーいっ!セーラー服ですか?それともブレザー?夏目さんならどっちでも似合いそうですね!あ、ちなみにボクはどっちでもいいです。むしろ、タイツかハイソックスかのどっちかなんで!!」


大きな声で熱く語った彼の頭をロゼーターは、思いっきり叩いた。バチンッと気持ちがいいほどの音だった。


「いったいっ!!!なにするんですか、ロゼーターさんっ!」


「何いってんのよ、あんたは!!ナツメを困らせるんじゃないのっ!」


「何って男のロマンですよ!ねぇ、ウリーさん!」


「わ、私を巻き込まないでください!!」


かぁ、と真っ赤になるウリーは夏目を一度みてからまた吠えた。それは多分、夏目のことを少なくとも異性として意識しているから、であろうとロゼーターは密かに思った。


「お待たせいたしました。モーニングセットでございます」


そういって美味しそうな匂いを漂わせたトレイをテーブルの上に乗せたステファン。


「わぁ、今日は三種のベリーのジャムのついたトースト、しかもリヴァンのところの野菜を使ったサラダ……!」


鼻が良いのか、ロゼーターはすんすんと鼻を鳴らして使われているものを言い当てて行く。夏目は目を丸くしてトレイの上に乗った料理を眺めていた。


「これ、全部お姉ちゃんが作ったのよ」


ステファンは胸を張ってそういった。夏目は厨房にいるであろうジェニファーのことを思い出し、すごいと呟いた。


「一人でこんなにたくさんのもの作れるなんて……」


そう、注文をとってから数分もしていないのだ。なのに五人分の食事をすぐに作り上げ、出してしまうなんてフランスや一星レストランのシェフでさえそんなことはできないだろう。しかし、ジェニファーはそれを一人でやり遂げてしまった。夏目はただただ、呆然とするしかなかった。


「とにかく食べましょうよ!」


レオンは待ちきれないのか、両手にフォークとナイフを持つとトレイを見つめる三人を急かした。夏目はゆっくりとした動きでフォークを手にすると、野菜の入っている透明な皿を持った。


「いただきます」


そういってフォークを突き刺すとシャキッと、野菜から水しぶきのようなものが溢れ、その野菜独特の匂いが鼻を掠めた。


「……ん、美味しいです」


夏目は目尻を少し下げ、そういって笑った。


「それは良かった。お姉ちゃんったら、緊張しちゃってるのか、包丁を持つ手がカタカタ震えてたのよ」


「ステファン!聞こえてるわよ!!」


「はぁい、ごめんなさい」


クスクスと姉の失態を話し出すステファンに、厨房の方からジェニファーの怒号が飛んだ。それをみてロゼーターは呆れつつも、自分の望んでいた食事が出て来たことで気分を良くし、笑顔で食事をしていた。


「いつ食べてもここの料理は絶品ですね!」


「そうですね、ジェニファーさんの腕がいいんでしょう」


「でも、こんなに美味しいのにどうしてこの街でカフェなんかを?」


レオンは思ったことを口に出し、ステファンを見つめる。すると、ステファンは明るい笑顔から一変、怒りを含んだような表情でレオンを見つめた。


「全部白うさぎのせいよ。あの人が勝手にやったことなの。元々は王宮専属のシェフだったお姉ちゃんを追及して、こんなところに追いやって…!!」


"白うさぎ"という言葉にロゼーターの大きな耳がピクリと反応した。それを見逃さなかった夏目は、どうして追い出されたんですか?とステファンに問うた。勿論、不躾な質問だとわかっている。


「選ばれしものなのよね、夏目ちゃんは」


「え?あ……はい」


「この子に言ってもいいの?」


「構いませんよ。夏目さまは黒幕が白うさぎさんであることは存じておりますので」


「そう、なんだ」


長い睫毛を伏せ、ステファンは静かな声でいった。


「白うさぎはね、"元"案内人だったの。だけど、何かあったらしくってそれをやめて浮浪者になったらしい。その後から数年かしら、今の赤の女王が新米の頃にあの人が影で動くようになったのは」


ステファンはなるべく夏目が理解しやすいように、簡単に話を始めた。影で動くようになってからどんなことをしただとか、そのおかげで周りがどんな目にあってきたかなど出来るだけ詳しく、わかりやすく。


「…そして、私たちが目をつけられた。王宮で専属のシェフをしていたジェニファーは追及され、街のほうで仕立て屋をしていた私はありもしない噂を流されたわ。すごく、居心地が悪かった」


その時のことを思い出したのか、綺麗な顔を歪めながらステファンは忌々しそうにそういった。夏目は悪いことを聞いてしまった、そう直感的に感じた。


「あの、すみません…。気分が悪くなるようなこといってしまって……」


夏目は頭を下げてそういった。すると、今度はステファンが頭を下げる。


「そんなことないわ!私こそ暗い話しちゃってごめんなさい!」


顔の前で右手を振るステファン。夏目は眉間に皺を寄せながらごめんなさい、ともう一度謝った。


「もう、二人して謝らないの!せっかくのいい気分が台無しじゃない!」


二人で頭を下げている様子には腹が立ったらしく、ロゼーターは腕を組みながら彼女らを睨みつけた。


「ロゼーター、静かに」


しっ、と右手の人差し指をロゼーターの唇に当てたウリー。その仕草が滑らかで夏目は思わず、魅入ってしまった。


「さて、食事も済みましたし図書館へ行きましょうか」


「あら、図書館へ行くの?」


「えぇ、夏目さまが調べ物をしたいと言ったので」


ウリーは苦笑いを浮かべながら、ステファンの質問に答える。すると、彼女は明るく人懐っこい笑みから一変、憎悪の篭った表情を浮かべ地の底から出て来たのではないかと疑ってしまうほど低い声でいった。


「そう、なら、今日は裏道を通るといいわ。アイツらが来てる」


"アイツら"という言葉にウリー、ロゼーター、レオンがピクリと肩を揺らし反応した。


「……監視のため?」


「それはわからないです」


「……タイミングが悪いですね」


ズズッと音を立てながら紅茶を啜るレオン。ロゼーターとウリーはお互いを顔を見合わせ、肩をすくめた。


「アイツらって……?」


夏目は胸に手を当てながら、隣に座るウリーに尋ねた。


「一度お会いしたはずですよ。身長が大中小の三人組の男」


「あっ」


「あの方たちがここに来ているそうです」


あの時のことを思い出したのかその小さな肩は、カタカタと震えていた。ウリーは目を優しく細め、夏目の頭を撫でる。


「夏目さま、大丈夫です。私がいます、ロゼーターも、レオンもいます。夏目さまを一人になんかさせません」


"絶対に守ります、この命に代えても"と、ウリーは穏やかな口調でそういった。夏目はその言葉に妙な安心感を覚え、カタカタと震えていたのが止まった。胸の奥がきゅうと掴み取られたように苦しく、でも、温かい。そんな優しい痛みに夏目はぽかんと口を開けて、ウリーを見ていた。


「さて、行きましょうか。ジェニファー、会計を」


「わかったわ、向こうのレジに来て」


ウリーは夏目の頭から手を離すと、ジェニファーの後ろを静かについて行く。その間にロゼーターとステファンに引っ張られて夏目は、裏道へと続く扉の方に来ていた。


「はい、夏目ちゃん」


ぐいっ、と夏目に押し付けるようにしてステファンは桃色の小さな袋を手渡す。夏目はキョトンとした顔で彼女をみた。


「私の作ったクッキーよ。夏目ちゃんのためにって」


にこりと愛らしく笑う彼女に、夏目は何度か瞬きをした。


「私の…ため……」


「うん、夏目ちゃんのため」


「……っありがとうございます!」


夏目は今までに見せたことのなかった笑顔を浮かべ、ステファンに礼を言う。その様子を見ていたレオンとロゼーターは、夏目の両親のように微笑ましそうに見つめていた。


「お待たせいたしました……って、何かあったんですか?」


会計を済ませたウリーは急いで裏道に続く扉の方へ向かった。扉の目の前に着くと幸せそうに笑う夏目を見てウリーは驚いた表情で、ロゼーターたちを見た。


「ナツメったらね、ステファンからクッキーをもらって嬉しそうなのよ」


「それはそれは。ありがとうございます、ステファン」


「いえ、いいのよ。私が好きでやってるんだから」


「それでも、です。夏目さまがこんな風に笑うのは初めてで……」


そう言いながらウリーの瞳は夏目の方へと向いていた。その眼差しは何処か優しげで愛おしそうに見えた。執事としての愛しみではなく、男としての愛しみのようにステファンは感じていた。


「さ、行きましょう。ここからまた歩きますから」


トン、と優しく夏目の背を押しウリーはドアノブを掴んだ。ぐるりと右回りにドアノブを回すと、扉は簡単に開く。


「それでは私たちは行きますね。ありがとうございました」


「時間があったらまた来てね。ねぇ、お姉ちゃん」


ステファンが後ろに振り向きながらそう言った。いつの間にか来ていたらしいジェニファーは、そわそわとしながら腕を組んでいた。


「……じ、時間があったら相手してあげるわ」


"もう、そんなところで照れなくてもいいのに"と笑うステファンと、顔を赤く染め横に視線を逸らしたジェニファーに見送られながら夏目たちは、レッジェーロを後にした。

レッジェーロから出て十分程歩いたところで、ロゼーターが文句を言い出した。ウリーはまたか、と思いながら彼女のネチネチとした文句を聞き流している。彼の真横では丁寧にロゼーターの文句ひとつ一つに返事をする夏目が、呆れて欠伸をするレオンがいた。


「ああっ、やっと乾いたのに!また、汚れちゃったじゃない!」


「図書館にいったら、拭きましょう。私、ハンカチ持ってるから…」


「そうなの?それじゃあ、ナツメの言葉に甘えさせてもらうわ」


ポンチョに跳ねた泥をその小さな手で払いながら、ロゼーターは苦笑いを浮かべた。


「あっ、夏目さん夏目さんっ」


何かを遠目で見つけたらしいレオンは、ぐいっと夏目の服の袖を掴み名前を呼んだ。夏目は頭の上にはてなを浮かべながら、レオンの方を向いた。


「あそこに見える大きな建物……あ、見えます?」


「は、はい…見えます」


「よかった。あれがですね、図書館なんですよ。おっきいでしょう?」


ぶかぶかのスーツの袖から肉付きの良い子供の手が指差したのは、丸い形をした大きな建物。見る限り二、三百メートルはあるだろう、と夏目は思った。

白と青を基調としたその建物。パッと見図書館とは思えないようなその造形、雰囲気に夏目はこくりと小さな喉を鳴らした。


「あそこの図書館には、この世界のこと以外にも夏目さまの世界の本もあるのですよ」


夏目の耳元で優しく囁くようにウリーは呟いた。突然のことと、慣れていないことにきゃあっと悲鳴をあげ、ふらりとよろめく夏目。


「おっと…大丈夫ですか…?」


驚いたようにウリーは夏目の肩をソッと抱き、顔を覗き込んだ。その瞬間、かぁっと夏目の顔は真っ赤に染まった。白い肌に不釣り合いな程の赤。ウリーは首を傾げながら、夏目を見やる。


「ウリー、あんたが悪いのよ」


「私が?」


「突然耳元で話しかけたら誰だって驚くでしょうよ。特にナツメなんて男慣れしていないっぽいんだから、余計に」


ロゼーターは腕を組み、ジロリとでも音がついてしまうんじゃないかって勢いでウリーをキツく睨みつけた。


「うっ……そ、それは…私が悪いですね。すみません、夏目さま…」


「い、いや、だいじょうぶですから………その、肩から手を…」


「あっ、はい」


いつまでも離さないウリーに、夏目は恥ずかしそうにそう言った。そんな反応が年相応、いや、年よりもしたのように感じる。そんなこんなのうちに、四人の歩くスピードは速まり図書館にはあっという間についてしまった。

図書館につくと、まず最初に受付に行き名簿に名前を記入した。勿論、この世界の書く文字がわからない夏目は書けず、ウリーが代筆してくれた。

次に、文字がわからない夏目のために彼女でもわかるような辞書を一冊取り簡単な説明と解説をウリーが始めた。その間、ロゼーターとレオンは好き勝手に動き回っている。


「…と、言うわけです」


「はい…」


「覚えてしまえば簡単なことです。難しいとは思いますが、ここで調べ物をする場合には嫌でも必要になってしまうので…」


「頑張ります」


「わからないことがあれば、私にでもロゼーターにでもレオンにでも聞いてください」


ふう、と息を吐くと優しげに夏目を見つめたウリー。見つめられている本人、夏目は真剣に辞書と簡単な本を交互に見つめながらペラペラとページをめくっていく。そんな夏目の姿に、ウリーは思わず見惚れてしまう。それと同時に、一人の少女の姿と重なり、目を点にした。夏目の姿はその少女と瓜二つ、見間違うはずがない、そう思いながらウリーは夏目を見つめる。


「ウリーさん、どうかしましたか?」


「っい、いや、なんでもありません。ぼうっとしていただけですよ、気にせずに続けてください」


じっと見つめられ、その視線をむず痒く感じたのか夏目は眉間に皺を寄せながらウリーの名を呼んだ。暫くウリーを見ていた夏目だったが、本に目を戻すとまた真剣に読み始めた。


「ナツメ、どう?」


夏目が一冊文字慣れのために読んでいた本が読み終えた頃、ロゼーターが話しかけてきた。


「だいぶ慣れました。でも、やっぱり辞書がなくちゃ、読めません」


目尻を下げ、残念そうに呟く夏目にロゼーターはケラケラと笑い声をあげながら言った。


「そう、焦んなくていいのよ。ここにはヒントを見つけに来ただけでしょう?」


「はい、そうでした……文字に慣れることで忘れてました」


夏目がそういうと、ロゼーターは呆れたように肩をがっくしと大袈裟に下へ落とした。彼女のその天然さにロゼーターは呆れたのだ。何のためにここに来たのか忘れた夏目に対して。元から何処か抜けていそうな雰囲気を持っていた夏目だったが、まさか目的を忘れる程とは。


「夏目さーんっ、これこれ!!」


「レオン、図書館では静かにしなさい」


「はぁい……じゃなくて、どうですか、この本っ!」


ドサドサッと乱暴に机の上に置かれた何冊もの本。よく見てみればその本たちは図鑑やら、資料集やら、歴史やらといろんな種類の本があった。その量に夏目は驚きを隠せず、思わずわぁっと感嘆の声をあげる。


「こんなにたくさん……!」


「これ、全部関係ありそうなんだよね。ま、僕が見た限りなんですが…」


へらへらといつものように間抜けた表情で笑うレオンに、夏目はそんなことないですと静かな声でいった。静かな声、といっても軽蔑したなどではなく、ただ単にどういう風に言えばいいのかわからなかっただけだ。


「それで、特に気になったのが……あれ、どの本でしたっけ?ちょっと待ってください、今見つけますから!」


かっこよく決めていたはずのレオンだったが、肝心の本のありかがわからず慌てて本を探し出すその姿はなんともいえない。それを見ていたロゼーターはカッコ悪い、とレオン本人には聞こえないような声で呟いた。


「あ、これこれ!これです!!!」


そういって広げたページは、とても古く黄ばんだものだった。と、いってもそこに書いてある文が読めない程ではなく目を凝らせばなんとか読めた。夏目は、覚えたての言葉でその文を呼んだ。


「にんぎょのがっしょう?」


「そうです、ここの近くに人魚の住む湖があるんですけど、そこの人魚たちは歌をよく歌うみたいで……」


レオンは、本の一番したの右端にある言葉を指差した。


「ここ、女神の唄って書いてあるでしょう?」


そう言われ夏目は本を覗き込んだ。レオンの指差したところには確かに女神の唄と書いてあった。


「本当だ…」


「夏目さんの探している女神の唄っていうのは、もしかしてここにあるんじゃあないんですか?」


「行けば何かわかるのかな…」


夏目は顎に手を添え、悩む仕草を見せた。もしかしたら探している答えにたどり着くかもしれない。答えにたどり着かなくともヒントを得られるかもしれない。そう考えたら夏目はいてもたってもいられなかった。今すぐにでも飛び出してこの湖へいってみたい、そう思った。

だが、それは無理だろう。ウリーたちは夏目の安全を考えて動いてくれている。今日だってそれを考慮した上で図書館へ来たのだ。ここへ行きたい、といってすぐに行けるわけがない。


「夏目さま、行きますか?」


「え…?」


「ここなら、すぐそこですし行けないことはないですよ」


悩んでいた夏目を横目に、ウリーはさらりとそういった。考えていたことと言われた言葉が違くて夏目はキョトンとした表情で、ウリーを見つめた。


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