六日目⚫︎前編⚫︎

ふわふわとした気分だった。ウリーに抱きしめられ、夏目は今まで感じたことのないような気持ちになっていた。


「おはようございます、夏目さん。体調はどうですか?キツそうでしたら、残りのやるべきことは明日に回しますか?」


心配そうに夏目の顔を覗き込むレオン。夏目は、わあっと声をあげ目を見開いた。


「もしかして僕に気づいていませんでした?」


これはすみません、と笑うレオン。夏目は少し表情をやわらげて、目尻を下げて笑う。


「大丈夫です。心配かけてすみません」


「そんな…!気にしないでくださいよっ!」


ケラケラと乾いた笑い声でそういったレオンに、また夏目はすみません、と謝った。それとほぼ同時に扉が開き、ロゼーターとウリーが中に入って来た。


「夏目さま、目が覚めましたか。朝食を持って来ますので、少し待っててください」


ウリーは部屋を出て、夏目のために用意した朝食を取りに行ってしまった。ロゼーターは小さな足で彼女に近づき、心配そうな顔で見つめる。


「本当に大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


「無理そうならちゃんと言いなさいよ。あんたは無理しちゃいそうだから」


「わかりました」


ロゼーターのことを母親みたいだ、と夏目は思いながら静かに彼女の言葉に頷いた。


「今日はどうする?月のしずくと太陽の涙でしょ?そんなの何処にあるのよ」


「千羅さんは、月のしずくは固体、太陽の涙は液体だと教えてくれました」


「と、いうことは何処かにそれがドーンと置いてあるってわけね」


ロゼーターは大袈裟にドーンと両手を広げながら夏目に話した。それを見たレオンは呆れた口調で言った。


「いや、ドーンとは置いてないでしょう」


「わざと大袈裟に言ったのよ。本気にしないで頂戴」


「ロゼーターさんのことだから、本気にしたのかと思いましー…って痛い痛い、足噛まないでください!ロゼーターさん!」


「バカいうあんたが悪いのよっ」


がぶがぶとレオンの細い足首に噛みつきながらロゼーターはいった。彼女の歯はギザギザになっていて、他の人よりも噛まれるとすごく痛い。これは、前にレオンが夏目に愚痴っていたことだ。


「二人して何馬鹿なことをしているんですか?」


お盆を手に持ち、呆れたように笑ってウリーは言った。レオンは、あ、いえ、これは、と戸惑いながら答えた。


「ロゼーターの表現の仕方が大袈裟なのはいつものことでしょう。でも、その可能性もありますよね。ドン、と置いてあるのかもしれません」


カチャカチャとポットから紅茶を注ぎ、ウリーは静かな声でいった。夏目は、ヒントになるような何かないかと今まで読んできたものを思い出す。


「持って帰ってきた本にも手かがりとなりそうなものはありませんでした。はい、夏目さま…熱いので気をつけてください」


「もう一度、森へいって見た方がいいでしょうか?あ、ありがとうございます」


「そうですね、このまま手がかりが見つからないようでしたらもう一度森へいくべきだと思います」


夏目はずずっと紅茶を啜りながら、ウリーのことを見つめていた。ウリーは自分の作った朝食をを夏目が食べやすいようにと、小さく切り分け熱を冷ましていた。そんな彼のことを少し過保護すぎないかとレオンとロゼーターは思いながら、見ている。


「はい、夏目さま」


「ありがとうございます…切り分けてもらっちゃって…」


「いえ、構いませんよ」


ニコリと笑って、お皿を夏目に手渡す。その横ではレオンとロゼーターがブツブツと何かを言っていた。


「やっぱり、過保護過ぎるわよう」


「ですよね。流石の僕でも引きます」


「私もよ」


話の内容はウリーの過保護な様子だった。レオンとロゼーターはこそこそと話してるふりをしながら大きな声で話していた。内緒にするつもりなさそうに見える。


「私の何処が過保護だと言うんですか!」


「逆にあんたの何処が過保護じゃないのよ!」


ロゼーターの言葉に返すことができず、ウリーはその場にガクッと倒れこんだ。


「夏目さんソレ美味しそう」


「食べますか?」


「いいんですか?それでは遠慮なくあーん」


食べさせろと言わんばかりに口を大きく広げ、レオンは夏目に詰め寄った。夏目は小さく切り分けてあるキッシュをフォークに一つ刺すと、レオンの口元に運んだ。


「うわ、これ作ったのがウリーさんじゃなかったらもっとよかった!」


そうじゃなかったら最高でした!と笑って、夏目の近くに擦り寄る。


「それじゃあ、今度私が作ってあげます」


「ご飯を?」


「はい」


ニコリと目を細め、優しく笑う夏目にレオンは抱きついた。抱きついたせいか大きな帽子が少しずれ、レオンの素顔がチラリと見えた。


「レオンさー…」


「うわああああっ!夏目さん見ないでください!」


慌ててレオンは帽子のツバを掴み、夏目から離れる。そんな彼の大きな声にウリーとロゼーターが騒ぎに気づき、彼らの方へ目を向ける。そこには、ベッドから落ちてしまったレオンと、驚きを隠せない夏目がいた。


「どうかしたんですか?」


「なん、な、なんでもありませんっ!!気にしないでください!ね、夏目さん!?」


帽子を深く被り直したレオンは、ウリーに慌ててそういった。動揺を隠せないレオンにロゼーターは意地の悪そうな笑みを浮かべていた。


「あんた、ナツメに顔見られたんでしょ?」


「そんなわけありませんよっ!!」


「どうなのよ、ナツメ」


「ちょっとだけ見えました」


「夏目さぁぁあん!!!言わないでください!本当に言っちゃダメです!!」


どうやら、レオンは自分の顔にコンプレックスを抱いているようだ。彼の慌てようからまず間違いはないだろう、と夏目は思った。


「いいじゃない、ナツメあんたの顔に悪口言わないわよ」


「僕はこのままの僕を好きになってもらいたいんです!!」


「別に変ってわけでもないのに」


「とにかく僕は嫌なんです!!」


キーッと騒ぐと、ベッドの下へ隠れてしまう。ロゼーターは肩をすくめ、レオンの後を追いかけた。


「あ、ウリー」


「はい?」


「私この子の機嫌治すから、あんたたちはやるべきことをしてきて頂戴」


「言われなくてもそのつもりですよ」


それならよかった、と笑うとまたレオンの後を追いかけた。

残された…といっても、同じ部屋にいるのだが、ウリーは優しげに目を細め夏目に食事の続きを促した。

食事を終え、一昨日借りた本をウリーとともにリビングで見ていた。


「ヒントになるようなものありませんね」


「そうですね…」


「森に行きますか?」


「あの屋敷に…?」


「えぇ」


「行きたい、です」


夏目の返事を聞くと、ウリーは立ち上がり彼女の手を掴み屋敷を出てあの森の屋敷へ向かった。

ウリーと二人で森に来たはずなのに、夏目は一人で森の中を彷徨っていた。


「うう、どうしよう……ウリーさんの姿は全然見えないし、連絡もつけようがないし、屋敷への行き方もわからないし…」


胸に手を当て、暗い森の中をぐるぐると見回した……が、目印になるものは何もなく夏目は涙目になりながら、ゆっくりと歩き出した。

ガサガサと草木をかき分けながら森の中を進んでいくが、不気味さは消えず恐怖心が増すだけ。夏目は既に泣いていた。ボロボロと大粒の涙を流しながら、森の中を歩いていたのだ。


「…だ。……めのものを……ちまえ」


「あぁ……を、…だ」


葉の揺れる音に混じって、低い男の声の唸るような声が聞こえた。夏目は肩を揺らし、辺りを何度もぐるぐると見回す。


「……大金持ちになら…」


「高く売れるな…」


そんな声が聞こえ、夏目はひぃっと短い悲鳴をあげて走り出した。ただ、怖かった。夏目は恐怖しながら暗い森の中を走った。靴が脱げ、ぬかるんだ泥が靴下やスカートにくっついてしまうことも気にせずにただただ無我夢中に走り続けた。

夏目が暗い森の中を走っている頃、ウリーは狼たちに捕まえられていた。 彼の両手は後ろの方で縄に結ばれ、口には布を噛まされていた。囲うようにして五、六人の男たちが座っていた。皆それぞれ口元はボロボロの布切れで隠し、腰にはナイフや拳銃をぶら下げていてまさに山賊だという風貌。ウリーは呆れた様子で、彼らのことを観察する。


「お前、その格好いいとこの執事だよな?」


「脅迫文送ればかなりの大金が入るってことっすか、アニキ!」


「馬鹿か。そんな簡単に金をもらえるわけねぇだろ。つか、そんな犯罪者みてぇなことできるかっての」


今の自分らのしていることが犯罪じゃないと思っているこの男がすごいと、ウリーは心の中で思った。決して彼のことを褒めているのではない。呆れを通り越しているのだ。


「その男の布を外してやれ」


後ろからテノールの声が聞こえた。ウリーは咄嗟的に振り向こうとするが、他の男に顔を無理矢理前に向けさせられる。


「っぱぁ……ここは、何処ですか?」


「俺たちの基地だよ」


「貴方は…?」


「ゼン。ここのリーダーだよ」


ふわっと、マントを翻しながらウリーの前に現れた男。短く刈り上げられた胡桃色の髪、左瞼から額にかけて斜めにある傷跡、短く整えられた眉に中世的な顔……他の男たちと同じように口元は布で隠していた。


「あんた名前は?」


「ウリーと申します」


「へえ、あんたが白うさぎの犬だっていうウリー?一度会ってみたいと思ってたんだ」


「私を離してくれませんか?」


「どうして?」


「主がこの森の中にいるんです。はぐれてしまって…きっと今頃、彷徨ってるはずです」


ふぅん、とゼンは答えるとウリーの真ん前にある椅子に浅く腰掛け、長い足を組んだ。


「離すの無理な頼みだ。でも、俺の部下たちに探せよう。その子の特徴は?名前は?」


「……貴方は信用なるんですか?」


「ならない?それなら、探さないけどいい?俺たちよりもここの森に詳しいやつなんて早々いないよ」


苦虫を潰したような顔つきになると、ウリー低い声で唸るように答えた。夏目が心配で仕方なかったから、この男を信頼することに決めたのだ。彼にとったら夏目は唯一無二の存在。放置することなどできない。


「名前は上島夏目、と言います。十五歳の少女で栗色の髪をしています。水色のワンピースを着ていますからすぐわかるはずです」


「今いった女を探してここに連れてこい。乱暴はするなよ。したら、どうなるかぐらいは予想ついているだろうな?」


ゼンはキッとウリーの周りにいる男たちを睨みながら、そういった。その姿はまさしくリーダーそのもので、ウリーは少し背筋を凍らせた。


「アイツらは馬鹿だけど、素直でいい奴だ」


フッと、布の奥でゼンは頬を緩ませた。ウリーにはそんな彼の様子が親バカのように見えた。

その頃の夏目は、変な猫に捕まっていた。ふさふさとした毛並み、つり上がった赤い瞳、ニッと妖しげに弧を描く口。夏目は涙を流しながら、その猫を見つめていた。


「お前」


「ひっ」


「……まだ何もいってないだろう」


「ご、ごめんなさい…」


こうやって猫が話しかけようとして、夏目が悲鳴をあげる……それを繰り返して約三十分は経っていた。


「お前」


「ひっ」


「……だから、まだ何も」


「ごめんなさい」


話が進まず、猫は眉間に皺を寄せはぁと深いため息をついた。


「あ、あの猫さんは…」


「あぁん?」


「ひぃっ、ごめんなさいごめんなさい」


猫さん、と呼ばれたのが気に食わなかったのか地の底から這い出たような声で、夏目を睨む。


「我輩の名前はチェシャだ。今度、猫なんて呼んだらその首噛みちぎるぞ」


チェシャ、と名乗った猫は夏目にシャーッと威嚇をすると、そう吐き捨てるようにいった。


「お前、カミジマナツメだろう」


「は、はい…」


「月のしずくと太陽の涙を探してここに来た、そうだろう?」


「はい…」


チェシャはニヤニヤと笑いながら、夏目の考えていることを当てていく。彼女は、目を見開きながらチェシャの言葉を聞いていた。


「あのかぼちゃと離れたわけか。ふむ、アイツならこの道をまっすぐにいって、花畑を左にいった方にいるぞ。すぐに見つかるはずだ、そのまま行け」


「ほ、本当ですか!?」


「あぁ、本当だ」


「ありがとうございます!チェシャさん!」


夏目は頭を深く下げると、彼のいったとおりに森を歩いて行く……それが嘘だということも知らずに。

まっすぐ歩き、花畑を左にいったがウリーの姿は何処にもなかった。おかしい、と思った夏目はどうするか悩み、もう少し先へ進んで見ることにした。


「悪い悪い、さっきのは間違えた。ここから三つ目の木のところを右に行けば会えるさ」


顔だけを現し、チェシャはそういうと顔もを消した。

夏目はその言葉を信じてまた言われた通りに歩いて行く………が、やはりウリーの姿は何処にもなかった。そろそろ嘘だ、と気づいてもいいはずなのに余程のお人好しなのか、嘘だと気づかずに何度も何度もチェシャの嘘に騙されていった。

それからゼンの部下たちが夏目を見つけたのは二時間もした後だった。

午後三時頃夏目はウリーと再会した。大きな瞳から涙をこぼしながら、彼に抱きついた。


「夏目さま…!申し訳ございません!私が目を離したせいで…」


「いえ、私がぼうっとしてたせいです…」


「その子が上島夏目か?」


二人の間に前が割り込むようにして、口を開いた。夏目は今気づいたのか、どうも、とゼンに向かって頭を下げた。


「礼はいらないよ。それで?二人はどういう関係なの?」


「どういう関係って…?」


「え、恋人とか主従とかさ」


「こ、こ、恋人!?」


「そ、そんな滅相もございません!!!!私は、仕事で夏目さまのお世話をさせていただいているだけです!!」


「そ、そうです!」


ゼンはぽかんと間抜け面で二人を見つめると、すぐにあははと腹を抱えながら笑い出した。


「うん、わかった。主従関係ってことにしておくね、今は」


何が面白かったのかゼンはひいひいと、肩を上下に動かしながら笑いウリーたちを見つめた。よく見てみれば、目には涙をうっすらと溜めている。そこまで笑うか、と言いたげな表情でウリーは、彼を睨みつけた。


「それで、お嬢さんは何をしてたんだい?部下たちの話だと一人でふらふらと彷徨ってたそうじゃあないか」


「実は…チェシャさん、って方が道を教えてくれたんですが……なかなかウリーさんに会えなくて…」


困ったように笑っていった夏目とは裏腹に、ウリーとゼンは言葉を失っていた。まさかチェシャの言葉を鵜呑みにして、信じてしまうとは……!と言いたそうだった。


「夏目さま!今度から絶対にあの方の言葉を信じてはいけませんよ!!絶対に、ですよ!!」


「え、と……はい、わかりました…」


ふう、と息を吐いたウリーの額は少し汗ばんでいた。それに気がついた夏目は、ポケットからハンカチを取り出し、彼の額にソッと当てた。


「お嬢さん、面白いね」


「そんなことはないとは思いますが…」


「なんでアイツの言葉を信じたの?何回も嘘を教えられれば、流石に気づくだろう?」


「きっと、いつかホントのことをいってくれるって思ってたから。それに、ここに来てわかったんですが遠回りをしてただけで、結構近づいていたんですよ」


本当はもっと遠いところにいました、と言って笑う夏目にまたもゼンは言葉を失った。

ここまで他人を信じることができる人がいるだろうか?否、いない。他人なんかを信じられるような人は存在しないのだ。口では信じると言っているものも、実際は信じていないのが現実だ。

所詮、人は自分が一番大切で可愛いのだ。


「……お嬢さん、君はどうしてそこまでアイツを信じた?」


「チェシャさんは嘘が嫌いそうでした、から……信じなきゃって思ったんです」


おどおどとした様子で夏目はいった。ゼンは面食らったような顔で夏目を見た。そして、次の瞬間、彼女の目の前で跪いていた。


「お嬢さん、俺をあんたの部下にしてくれないか?」


「突然なにいってるんですか、貴方は」


「彼女の素直さに惚れたよ、あんたのところにいたい。俺を飼ってくれ。あんたのためになんでもするよ」


そっと優しく手を取り、夏目の手の甲に口付ける。


「え、あ、あの……初対面の人に急にそんなこと言われても怖いです…」


夏目のいう意見が最もだ。ゼンと夏目はついさっき会ったばかりだ。そんな男に俺を飼ってくれ、など頼み込まれても困るだけだ。何より、夏目の世界にそんなことを言う奴は変態か変質者のレッテルを貼られて、警察のお世話になる。


「なあ、頼むよお嬢さん」


「あ、あの……困ります…」


ぎゅうと手を握られ、夏目は顔を赤くさせながら首を小さく左右に振った。二人の様子を見兼ねたウリーが大きな声をはいはい、と声をあげた。


「夏目さまが困っているのでやめてください」


そういってゼンの手を夏目の手から無理矢理引き離した。


「どうしてもダメかい…?」


捨てられてしまった子犬のような瞳でゼンは、夏目を見上げた。夏目はうっ、と小さく唸りどうしようかと悩み始めていた。こんなにお願いされているのに断ったら悪い…いや、でも、この人は初対面だしなによりも人を飼うってなんか危ない人のような………夏目の頭の中はぐるぐると回っている。


「お嬢さん、頼む…」


「うっ……」


「なんでも、言うことを聞くから…役に立つから」


「………わ、わかり、ました」


夏目は押しに弱かった。ゼンの子犬のような瞳に負け、彼の頼みを聞いてしまったのだ。ウリーは、顔を真っ青にして夏目さま!と叫ぶ。


「私だけじゃ足りませんか!?ついでにレオンとロゼーターもいますけど……私だけじゃ、力不足なのですか!?」


「そ、そんなことありません!ウリーさんは、すごく頼りになります。料理もお上手ですし、なんでも出来ちゃうし、強いしかっこいいし……」


「夏目さま……!それなら、何故この男を!?」


「あ、あんな目をされたら私には断ることなんて出来ませんっ」


端から見たら破局寸前のカップルだろう。ゼン以外の周りにいる男たちは、甘々とした空気に耐えられなくなったのか、又は自分たちのリーダーの情けない姿に呆れたのか一人、また一人と何処かへ消えていってしまった。


「でも、この男は曖昧すぎます!敵かも味方かもわかりませんよ!!白うさぎさんの手下かもしれない!!!」


ウリーは夏目の視線に合わせるように、地面に膝をつき必死な声でそう言った。彼女は形の良い眉を寄せながら、彼の言葉を静かに聞いていた。


「こうやっているときに刺されて、殺されるかもしれない。私は、反対です!この男を仲間にするのは絶対に反対です!!」


「でも、今のところそんな心配なさそうですし…」


「夏目さまは、警戒心が薄すぎる!!もう少し、周りをよく見て気をつけていただかないと…!いくら、私たちが着いて回るとはいえ、夏目さまの行動一つで誰かの命が消えることもあるのですよ!」


ガツンと頭を鈍器で殴られたような痛みだった。夏目は目の前にいるウリーの言う言葉を信じられない、と言いたげに聞いていた。あの優しいウリーが、そんなことを言うはずがない。そんな目をしていた。


「綾子さまはそんなことはしなかった!!あの方はもう少し周りをー……っ!?」


ハッ、と我に返ったウリーが顔を上げたとき夏目は泣いていた。ただまっすぐとウリーを見つめて泣いていた。声は漏らさず、静かに病的なほど白い頬に涙が伝わる。


「お母さんと、私じゃ違うのは当たり前ですよ…」


「おかあさ、ん?」


「綾子は、私の母です。夢に出て来た綾子も私の母です。ウリーさん……リアンさんは、貴方…だったんですね」


ボロ、と大粒の涙が溢れたかと思うと夏目は走り出してしまった。小さな背中は何処かへ頼りなさげでさみしそうで……。


「今のはあんたが言い過ぎだ。お嬢さん!!」


なんとなくこの場の雰囲気を察したのか、ゼンは吐き捨てるようにそう言うと夏目の後を追った。


「夏目さま、に……知られた。私は…」


震える声で、ウリーは小さく呟いた。


「あの人にだけには知られたくなかった……私が、リアンであることも、綾子さまと知り合っていることも……夏目さまには知られたくなかった…」


ぶちっ、と音がして彼の両手を拘束していた縄が引きちぎられた。そして、彼はまっすぐと夏目とゼンが消えた方へ走り出す。

逃げ出した夏目はゼンの基地からだいぶ離れた場所にある池のところで一人体育座りをしていた。その池は千羅たちのいる池ではないが。


「お嬢さん」


「ぁ……ゼ、ンさん…」


「ゼン、でいいですよ」


ゼンは優しく笑いながら、夏目の隣に胡座をかいた。


「それじゃあ、私のことは夏目でいいです」


「いや、俺はお嬢さん……お嬢、とお呼びしますよ。お嬢は、ゼンでいいんで」


大人びた笑顔を見せながら、ゼンはそう言った。夏目はコクリと頷くと自分の膝と膝の間に顔を埋めた。


「お嬢は、何が悲しいんです?」


ポチャン、と水音を立てながらゼンは夏目に静かに問うた。彼女は何も答えなかった。


「旦那に酷く言われたこと?」


「違います」


「それじゃあ、母親と比べられたこと?」


「違います」


「うーん、それ以外は……」


「隠し事、してたことです」


「隠し事?」


はい、と曇った声で夏目は答えた。彼は夏目の方など見もせずに、小さな石を池に向かって投げて、遊んでいる。


「お母さんが私とおんなじだったこととか、ウリーさんの本当の名前だとか……隠されてたことが辛い。ちょっと考えればあの夢でわかったはずなのに、考えられなかった私が恥ずかしい」


普段、夏目はよく話す方ではない。よく聞く方だ。誰かの話を隣や近くで聞いているだけ。自分からは特に話したりしない。話せないわけではない、ただ、話すのが苦手なだけだ。人と関わることが怖かった。それだけなのだ。


「私昔、いじめられたことがあったんです。不気味だ、気持ち悪い、死んじゃえってたくさん酷いことを言われて来ました。お母さんには何も言いませんでした。怖かったから、言うのが怖かったから隠し事してました」


ゼンは何も言わず、ただ夏目の言葉に耳を傾けていた。それが、夏目にとったら心地よく安心出来た。


「でも、お母さんにはバレてました。私がいじめられててそれを隠していることを。流石ですよね。親子だから当たり前だってお母さんは言いました」


スン、と鼻を啜りながら夏目はゆっくりと話す。


「でも、その裏ではお母さん頭を下げてたんです。近所の女の子たちに私と仲良くしてあげてって、毎日頼みに頭を下げててくれたんです。私、そんなの知らなかった。お母さんがそんなことしてくれてるなんて、夢にも思わなかった」


でも、本当だった……夏目は、はっきりと言った。


「そのとき気づいたんです。隠し事っていけないんだなって。私、お母さんにそんなことさせてるの知らなくて私だけが辛いって自惚れてた。お母さんも辛かったんだ、って知って隠し事が嫌になった。隠すことも、隠されることも嫌いになった」


「それで、旦那が隠してたことが悲しかった?」


「ウリーさんは、いつか話してくれるって言ってくれました。だけど、こんな風にその隠し事を知っちゃうのは悲しいです。辛いです」


ようやく夏目は顔を上げ、ゼンの方を見た。可愛らしい彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたが、美しいとゼンは感じた。


「ウリーさん、私にあの言葉言うとき辛そうだった。もっと早く気づけばあんな顔しなかったはずなのに……気づけなかった私が嫌で、嫌で仕方ないんです」


「お嬢、あんたは優しすぎるんだ。人の痛みも分かち合いたいと思ってる。でも、そんなのは所詮人には無理だ。分かち合うことなんて出来ない。俺たちはそういう生き物なんだ」


夏目の背中に手を回し、優しくさすってやる。ひっく、としゃくりをあげながら夏目は涙を流して彼の言葉を聞いた。


「痛みなんか分かち合う必要はないんだ。もし、誰かが傷ついてたらあんたはきっと悲しむだろう。死んだら、泣くだろう。それは間違いじゃない。でも、それを共有するのは無理なんだよ。誰かが傷ついたら、あんたも傷つくなんて無理だ。死んだら、あんたも死ぬなんて無理だ」


そんなことは絶対に出来ないんだ、と言うことを夏目に優しく言い聞かせる。


「お嬢、あんたは共有しようとしなくていい。あんたの悲しみも痛みもあんただけのものだ」


「私、だけの?」


「そう、あんただけのものだ。誰のものでもない。だから、誰かが傷ついたら助けてやれ、泣いたら一緒に泣いてやれ……俺は、それで十分だと思うぜ。お嬢は抱え込みすぎなんだよ、きっと」


会ったばっかりの俺が言うのもなんだがな、と苦笑いを浮かべてゼンは言った。夏目はその言葉にまた、わあわあと泣き出してしまう。目は真っ赤に腫れ、充血していた。


「旦那、そこにいるんだろ?後はあんたとお嬢が話すことだよ」


ゼンはそういうと夏目から離れ、近くにそびえ立つ大きな木の方へいった。入れ替わるようにして、ウリーが姿を現して、夏目の元へ近寄る。


「夏目、さま…」


かすれた声でウリーは彼女の名前を呼んだ。夏目は、顔をゆっくりと上げしっかりとウリーの方を見つめた。


「貴女の言葉を聞いて、私はなんて馬鹿なんだろうと思いました。貴女がやさしすぎるのは、とうの昔に知っていたはずなのに……それなのに、私は貴女を泣かすまで追い詰めた」


「ウリーさん……」


「夏目さま、聞いてくださいますか?私の話を」


ウリーは優しく微笑みながら、そう尋ねた。夏目はただ、静かにコクリと頷いたー…。



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