五日目
翌朝、夏目は重たい瞼を開けるとゆらゆらと揺れるランプが目に入った。身体を起こそうとするものの、怠くて身体が思うように動かなかった。
「ナツメ、目が覚めた?」
「ロ、ゼータ、さん」
「酷い声ね。お医者さんがね、疲れとストレスで出た熱だろうって、一日安静にしてればよくなるはずだって言ってたわよ」
「ごめ、なさい…」
「何がごめんなさいよ?謝ることなんてあった?」
「迷惑、かけ、て…」
「迷惑だなんて……そんなことこれっぽっちも思ってないわよ。安心して、夏目は休んで頂戴。調べものぐらいなら私にだってできるもの」
ロゼーターは夏目の枕元で優しい声色で囁いた。ふんわりとした彼女の頭を優しく撫でながら。
「そうだわ、ナツメが目を覚ましたことウリーに言わなくちゃ。ちょっとしたへ行ってくるから」
一言夏目に断ってからロゼーターは、ベッドから降りて部屋を後にした。たった一人取り残された夏目は、怠い身体を無理矢理起こして、辺りを見回した。
「……十二時、半」
時間を確認すると、夏目は顔を窓の方へ向けた。天気がいいのかカーテン越しに暖かい太陽の光が部屋に差し込み、チュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえた。
ガチャ、と音を立て扉が開くとお盆を持ったウリーが中に入って来た。起き上がっている夏目を見るなり、彼は慌てて彼女に近寄る。
「起き上がってても平気なんですか?身体の調子は?怠くありませんか?」
「え、あの…」
「熱まだ下がっていませんね…お薬持って来たので、それを飲みましょう」
「ウリーさん…」
「お薬の前に何かお腹に入れた方がいいですね。林檎を擦りおろしましょうか?いや、それだと栄養が偏りそうですね…」
ウリーは一人忙しそうに夏目の世話を焼いていく。それを扉の所で面白そうに見ているロゼーターと、彼女から夏目が起きたことを知らされたであろうレオンがいた。
「ロゼーター、レオン、夏目さまのこと見ててください!今すぐ簡単なリゾット作って来ますから!!」
「はいはい。ちゃんと見てるわよ」
「焦って火事になったりしないでくださいね」
ケラケラと笑いながら部屋に入ってくる二人と、慌てて部屋を出ていくウリー。夏目はそんな彼らの様子を見て、クスリと頬を緩めた。
「大丈夫?」
「ちょ、と怠い、だけ…です」
「そう、喉は?聞いてる限りじゃあすごく痛そうよ」
「イガイ、ガして、痛いです」
「のど飴あげましょうか。丁度今持ってるのよ」
ロゼーターは自分の鞄から自身よりも大きな飴を取り出して、よろよろとふらつきながら夏目のために飴を持って来た。夏目はそれを受け取ると、口の中に入れた。と、いうよりか、ほぼ無理矢理食べさせられたという表現の方が正しい。ロゼーターが、早くしろと言わんばかりに口を開いたのだ。
「どう?」
「なんの、あひれ、すか?」
「えっと……オレンジ?」
首を傾げながら答えたロゼーターに、夏目は頬をヒクヒクと引きつらせた。
「ロゼーターさんの食べる飴のオレンジってすっごく酸っぱいですよね。甘さなんてないですよね。どこ産のオレンジなんだろうってもらう度思います」
レオンが冷静に言っている間、夏目は喉の痛みよりも飴の酸っぱさの方に悶えていた。夏目は元々酸っぱいものだったり、辛いものだったり味が偏りすぎているものが苦手だった。それを誰かに言ったことなど一度もなかったが、自ら食べたりはしなかった。
「夏目さま!リゾットを…って、どうかしましたか!?」
「だ、だいじ、ふれす…」
「そんな風には見えませんよ!?ロゼーター!何したんですか?」
「名指し!何もしてないわよ、のど飴あげただけ」
「あの酸っぱい奴?」
夏目の背中をさすりながら、まさかと言いたげなウリーはロゼーターの方を見ながらそう尋ねた。
「えぇ、アレが一番おすすめなの」
「夏目さまは今喉が痛いのに、なんでそんな酸っぱいのあげるんですか!あげるなら、せめて甘い奴にしてください!」
彼の言うことが最もだろう。甘いのが嫌いな人にとったら酸っぱいものはいいだろう。しかし、これとそれと話は別だ。今ロゼーターが飴をあげたの喉を真っ赤に腫らし熱を出している夏目だ。そんな彼女に酸っぱい飴をあげるなんて、普通考えたらあり得ない。喉に優しいものをあげるのが普通だろう。
「夏目さま、ぺっと吐いちゃってください。最後まで舐めなくていいですよ」
ウリーは優しくそう言った。普段の夏目なら笑顔で食べているだろうが、今回は本当にダメだったようですみませんと謝ってから飴を口の中から出し、ティッシュにくるんで彼に渡した。
「リゾット作ってきましたので、少しでも食べてください」
目尻を下げ、優しく微笑みながら彼はスプーンでリゾットを掬いふう、と息を吹きかけそれを夏目の口元へと運んだ。所謂、あーんというやつだ。
「え、あ、のウリーさん」
「夏目さま、口をもう少し大きく開かないと食べれませんよ」
「あ、はい…」
夏目が何に戸惑っているのか気付いていないであろうウリーは、あーと口を開く真似をしながら彼女の口へ自分の作ったリゾットを運んで行った。
「アイツ自分が何をしてるのかわかってるのかしら?」
「ウリーさんのことだから、きっと気付いてないですよ」
「そうよね、アイツのことだから気付いてないわよね」
「えぇ、ウリーさんのことですから」
そんな二人の様子を端から遠目に見ているロゼーターとレオンは、お互いに顔を見合わせ過保護なウリーの世話をしていく様子を楽しそうに見ていた。
食事が終わった後は苦い薬を飲まされ、夏目はぐったりとしていた。こんなもの存在していいのだろうか、と疑ってしまうようなほどの苦さとまずさ。薬が美味しいわけがないが、流石にここまで苦いのもないだろう、と夏目は思っていた。
「ウリー、さん」
「はい、どうかしましたか?」
「迷惑、かけてごめんなさい…」
「迷惑だなんて……そんなこと、一度も思っていませんよ」
「でも、私なんかのせいで巻き込んじゃっているようなものだし…」
「そんなことありませんよ」
林檎を器用にウサギの形に整えていたウリーは、手の動きをやめ夏目の方へ向けた。
「夏目さまのことで迷惑だなんて一度も思ったことありません」
そう言い切るとウリーは、休めていた林檎をまた剥き始めた。
「ウリーさん」
「どうかしましたか?はい、林檎です」
「少し、お話しませんか?あ、ありがとうございます」
「いいですよ。気をつけてくださいね…っと」
シャク、とみずみずしい音を立てながら林檎を噛む夏目。それを優しげに見つめるウリー。
「どんなお話をしますか?」
「えっと……ウリーさんたちのこと、もっと知りたいです。この世界のこともたくさん…」
「いいですよ、それでは夏目さまが好きそうなお話をしましょうか」
ウリーは自分の前で手を組むと楽しそうに話し始めた。
例えば、町の仕立て屋で起きた小さな事件の話や、森の奥に住む小人の話……夏目が来る前に鍋を焦がして大変だった、など日常的な話を、面白おかしく夏目に話した。彼女は不思議そうな顔をしたり、悲しそうな顔をしたり、コロコロと表情を変えてウリーの話を聞いていた。二人で過ごす時間はあっとうい間に過ぎ、もう夕方になってしまっていた。
「それでは、私は夕食の支度をしてきますね」
「わかりました」
ウリーは夏目の頭を優しく撫で、部屋を後にした。
「ウリー、あんたさナツメのこと」
「違いますよ」
「……そうには見えないんだけど」
「ロゼーター、貴女の気のせいですよ」
部屋を出てすぐ、ロゼーターは腕を組みながら彼が出て来るのを待っていた。出てきた瞬間に小さな声で話しかけた。ウリーの方をちらりとも見ないで。
「あんたがもし、あの子のことを…」
「ロゼーター、貴女でも言っていいことと悪いことぐらいわかりますよね?」
ウリーも彼女の方は見ないで、真っ直ぐ前を向きながら彼女の言葉に返事をする。
「わかってるわよ……。もし、の話だったのに……気にしないで。私も忘れるから」
強く言い放つと彼女は、明るく夏目の部屋の中に入って行った。さっきまでシン、としていた空気を変えるかのような明るさだった。
廊下にいるウリーは、夏目を撫でた手をジッと見つめてから何も言わず下へおり夕食の支度に取り掛かった。
「ねえ、ナツメ」
楽しそうにガールズトークをしていたはずのロゼーターが急に、真剣な声色で夏目に話しかけてきた。当然夏目は不思議に思い、はい、と返事をする。
「あんたさ、最後の愛ってどうするつもりなの?」
「どうするつもりって……?」
「愛ってことは、誰かを愛するとかそういうことじゃないの?私はそう思うの、というか、それしか考えられないわ」
ニコリとも笑わず、ロゼーターはまっすぐと夏目を見つめながらそう答えた。
「ナツメ、あんたは愛をどうするの?誰かを愛しているの?」
十五歳の少女が愛を知るだなんて、無理な話だ。大人でさえ、本当の愛を知る人間は少ないだろう。
姿形がない愛という感情、それを夏目はどうするのだろうか、とロゼーターは純粋に疑問に思ったのか。それとも、千羅の一件があって夏目の気持ちについて疑問を思ったのだろうか。それは、ロゼーター自身にしかわからない。
夏目はただ、唇を固く結び彼女の質問へは答えなかった。否、答えられなかった。夏目は答えることができなかったのだ。
家族を愛しているか?と聞かれたらYesと答える人の方が多いだろう。何故?と聞かれたら"血のつながりがあるから"などが多くの理由だと思う。それでは、友達を愛しているか?と聞かれたらNoと答える人が増えるだろう。何故?と聞かれたら"他人だから"という理由が多いだろう。
血のつながりと他人、何故人はそんなことをこだわるのか?それは人だからこだわるのだ。感情を持つ人だからこそ、こだわってそれにしがみつこうとする。いわば、人特有のものなのだ。
犬や猫などの動物に感情などありはしない。否、ある。彼らにも感情はあるのだ。怒り、悲しみ、喜び、単純なものではあるが、しっかりとした感情があるのだ。しかし、人のようにそれを言葉で示すことはできない。敏感に感じ取ることなどできない。それができるのはやはり人だけなのだろう。
「ナツメ、私はあんたの知らないあんたの気持ちを知ってる。それをあんたがどうするかは自由よ」
ロゼーターは優しく夏目の手を取って、そう告げた。夏目はただまっすぐと彼女を見つめていた。
「後悔はしないで。それだけ言いたかったの。だって、もう、五日目よ?後、二日で私たちは終わるから」
弱っている夏目に言うのは卑怯だと心でわかっていながら、ロゼーターははっきりと終わりだということを伝えた。
そう、後二日で彼らは終わるのだ。夏目の生と死をかけた話も、それを助けるためのウリーたちの話も後二日で終わってしまうのだ。時の流れほど、残酷で美しいものはない。
「ロゼーター、夏目さまをお風呂に入れておいてください」
「わかったわ。ナツメ、行きましょう」
扉越しにウリーが控えめな声で話しかけてきた。多分、彼女らの話を聞いていたのであろう。
夏目はロゼーターに連れられ、風呂場へ行き二人で風呂に入った。
「ナツメ、さっきのこと気にしないでっていうのは簡単だわ。きっと周りの人は気にしないで行けばいいとでも言うと思う。でも、私は周りの人とは違うわ。さっきのこと、気にして。気にして残りを過ごして」
ロゼーターはいつにもなく真面目な表情で、真面目な声色で夏目にそういった。彼女の真剣さが伝わったのか、夏目は静かにコクリと頷いた。それを見たロゼーターは、表情を少し和らげた。
風呂から上がり、フラフラとする夏目をベッドへ連れていき、ロゼーターは下へ降りてしまった。入れ替わるかのようにレオンが部屋の中に入って、夏目のベッドに浅く腰掛けた。
「夏目さん、僕夏目さんのこと大好きですよ」
「レオンさん?」
「夏目さんも僕のこと好き?」
「す、好きですよ?」
「それならよかった。ウリーさんは?ロゼーターさんは?」
「二人とも好きですよ」
夏目の返事にレオンは、ニコリと笑うとよかったよかったと呟いて部屋を出て行ってしまう。彼女には何が何だかわからず、首を傾げて扉をジッと見ていた。
「夏目さま、夕食お持ちしましたよ。食べられそうですか?」
「少しだけ…」
「二人は?」
「出て行ったきり、見てないです」
「そう、ですか。わかりました。後で、連絡入れておきます」
ウリーは優しく微笑むと、夏目のベッドの近くに椅子を引き寄せそこに座り、昼間と同じように夕食も夏目に食べさせた。夏目はそれを拒否することなく、されるがままにされていた。
「…あの二人、何か言ってました?」
「ロゼーターさんは、愛のことをどうするのかって。レオンさんは、レオンさんたちのことを好きかを聞いて」
「そうですか…」
いつも騒がしい二人がいないと、何か物足りなく夏目は下を向いてそれっきり黙り込んでしまった。
「夏目さま」
「私は何処にも行きませんよ」
「貴女のお側にいます」
自分の手を優しく握るウリーを最後に、夏目の意識はフッと途切れた。
こと切れたかのようにぐったりとする夏目を見て、ウリーは懺悔の言葉を口にするように何度も彼女の名前を呼んだ。
「夏目さま」
「夏目さま」
「夏目さま」
言葉はどんどん小さくなり、最後唸るように呟いた名前は…
「綾子さま」
夏目の母親の名前だった。ウリーが愛おしげに呟いた名前は、夏目の名前ではなく彼女の母親の綾子の名前だった。
「綾子さま」
「お側にいます、私が必ず綾子さまを守りますから」
夏目の手を額に当て、何度も何度も呟く。綾子さま、と。夏目の名前ではなく、綾子と何度も。
そんなウリーの様子を、ロゼーターたちは部屋の外から見ていた。彼らはいなくなったわけでない。夏目には見えなかったのだ、彼らがいることが。
夏目は夢を見ていた。自分ではない誰かと話しそうに話している夢を。目の前の男は、明るい赤橙色の短髪、うっすらと青みを帯びた卯の花色の瞳は優しげに細められ、夏目を見ていた。
「ねえ、リアンはどうして私なんかと話してくれるの?」
「どうしてでしょうね」
「また、嫌な言い方!」
「ふふ、すみません。綾子さまと話すのが楽しいから、じゃいけませんか?」
「リ、リアンにしてはいい言葉ね。いいわ、暇だからお話ししてあげる!」
「暇、ですか。綾子さまはいつも暇なんですね」
自分の思っている言葉じゃないのに夏目の口は、彼女の意思とは関係ないことを話していく。そして、目の前の男は自分を綾子、と呼ぶ。夏目はわけがわからなくて、頭を悩ませた……が、求めている答えには辿り着かず、考えることをやめ夢を見ることにした。
「アヤコ」
「ロゼーター!」
自分の足元から声がしたかと思い下へ目を向ければそこには、夏目の知っているロゼーターよりも少し若々しい彼女の姿があった。
「またあんたこんなところにいて。あの子が探してたわよ」
「ふふ、私を見つけられるかしら」
「隠れんぼだけは、得意だったわね、アヤコは」
「隠れんぼだけはって何よう。私はなんでも得意よ」
嫌味ったらしくいうあたり、夏目の知っている彼女で間違いなさそうだ。
「綾子〜!!」
「あら、もう見つかっちゃった。意外と早いのね」
「君の考えることならすぐにわかるよ。それにしてもロゼーターとリアンたちも、綾子を見つけたなら教えてくれよ」
はぁ、と息を吐くと短く整えられた銀色の髪を靡かせ真紅の瞳が自分を捕らえた。
「ついさっき会ったばっかりよ。あんたの話をしてたら、あんたが来たってわけ」
「私をいつも通りここにいたら、綾子さまが現れて軽くお話をしていただけです。そしたら、ロゼーターが来て貴方が来たっていうわけですよ」
「まあ、どっちでもいいよ。綾子を見つけられたしね」
「ふふ、次はこう簡単に見つけられるかしら?」
四人は目の前で楽しそうに話していた。夏目自身もそこに混じっていたが、何処か遠い場所のように感じた。
「そうだ、綾子君の言っていたケーキを作ったんだ。一緒に食べよう」
「本当!?それじゃあ、早く行きましょう!リアンたちも一緒に!」
そういって駆け出す自分に似た幼い少女。夏目の身体をすり抜けるように。目の前には自分そっくりの女の子がいて、楽しそうに笑ってロゼーターたちといる。夏目は目の前にいる少女を見たことがあった。自分の顔だ、というわけではない。何か、アルバムのようなもので見たことがあった。
「あっ、競争よ!早く着いた人が多くケーキを食べられるのよ」
「そんなルールないよ!たくさんあるから…って、綾子ー!そんなに慌てて走ったら転ぶよー!!」
綾子は銀髪の少年に言われたとおりその場で転んだ。少年は慌てて彼女の方へ駆け寄って、抱き起こした。
「あーあー、鼻血出てるよ。ほら、ハンカチ鼻に当てて、鼻を抑えて」
「げぇぎのごじでね」
「わざとそんな言い方しなくてもいいから。元々君のためにケーキを作ったんだ。綾子が優先的に食べられるんだよ」
少年は綾子のことを愛おしそうに見つめていた。その瞳は蛇が獲物を見つけ、捕らえて離さないような粘り強さがあった。夏目は寒気が走り、自分を抱きしめるようにして彼らの様子を見つめる。
「ふふ、流石白うさぎさんね」
クスクスと笑う綾子に、雪のように白い頬を赤く染めたー……白うさぎ。少女の笑顔を見て夏目は、あっ、と言葉を漏らした。
「お、かあさん……」
目の前にいる少女は、夏目の母親綾子だったのだ。昔アルバムで見たことのある母親の笑顔そのままだった。夏目は、目を見開き目の前の光景を必死に理解しようとする。
少女は母親綾子で、鼠はロゼーター、銀髪の少年はあの白うさぎ、青年はリアンという。この中でわからないのはリアンの存在だった。ここには自分の知る人しかいない。ということは、このリアンという人も夏目は知っているのかもしれないのだ。しかし、思い当たる人物はいない。リアンと呼ばれる人はいたか?否、いないのだ。
「……誰なんだろう、リアンさんって」
そう、小さく呟いた瞬間夏目は夢から目を覚ました。パチリ、目を開くと見慣れてしまった黒い天井。夏目は身体を起こして、辺りを見回す。
「なんだったんだろう、あの夢は……」
ふと思い出すのは、誰かわからないリアンという人物のことだった。それと同時に愛おしさが胸の中に広がった。彼を知っている、そんなような気がした。
「リアン、さんか……」
綺麗だったな、と口を開こうとした時ガシャンッと何かを落とす音がしてその言葉を飲み込んだ。突然のことで、夏目は肩を揺らし音がした方へ目を向けた。
「……夏目さまその名を何処で聞いたんですか?」
「ウリー、さん?」
「何処でその名前を?」
ふらふらと夏目に近づき、ウリーは強めの口調で尋ねる。夏目は、何度か瞬きをしてから今見た夢のことを彼に話した。ただし、夢に出て来た綾子が自分の母親であることだけは言わなかった。いや、言えなかった。
「…夢、ですか」
「はい。ロゼーターさんと、白うさぎさんと、リアンさんと、綾子さんっていう人が出てきました」
「そうですか」
出て来た人物の名前を聞いてウリーは何度か頷くと、それっきり黙り込んでしまった。何も言うわけではなく、ただぼうっと窓の外を見つめている。
「夏目さま」
「はい」
「それは"夢"ですよ。気にしないで、今日はもう休みましょう。また、明日もあるんですから…」
ニコリと笑ってそういった彼は、いつものウリーで夏目は何処かぎこちなさを感じていた。
「ウリーさん」
「さ、もう目を閉じて。明日になれば忘れているはずですよ」
「ウリーさん」
「夏目さま、目を閉じて」
「ウリーさん!!」
夏目は目を閉じさせようとするウリーの手を掴み、半ば怒鳴りつけるように大きな声を出した。彼女が大声を出すなんて今まで一度もなかったためか、ウリーは目を点にして彼女を見つめていた。
「ウリーさん、何か知っていますよね?教えてください、なんでもいい……なんでもいいんです、そのことを教えてください、お願いします」
掴んだ手の力は弱々しく払おうと思えば払ってしまうことができるほど、弱かった。しかし、ウリーはそんなことはしなかった。掴まれてない方の手で夏目の身体ごと自分の方に引き寄せたのだ。
「言えません。教えられません」
「どうして……」
「これだけは、言ってはならないのです。夏目さまのためでもあり、私のためでもあるんです。今は、まだ話せません」
頭上から聞こえる彼の声は震えていて、いつもの気高いウリーの姿はそこにはなかった。夏目は彼の腕の中でゆっくりと瞼を閉じた。
「いつか、話してくれますか…?」
今度は夏目の声が震えていた。真実に辿り着きたい、その思いが強くなったのと同時に真実が怖かった。恐ろしかったのだ。
「えぇ、話しましょう。夏目さまの願いが叶ったその時に」
ウリーは優しく囁くと夏目の髪を撫でた。月は後もう少しで満月になるであろうところまで、満ちていた。
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