四日目
翌朝、キーっと甲高い声が騒いでるので夏目は目を覚ました。ゆっくりと体を起こすと、ウリーと向かい合うようにして誰かが騒いでいた。まだ眠たそうな瞳をこすり、よく目を凝らせば昨晩ステファンのところに泊まってしまったロゼーターがそこにはいた。夏目は飛び起き、彼女の方へ駆け寄る。
「ロゼーターさん!」
「ナツメ!起きたのね!」
「えぇ、今さっき……あの、昨日は…」
「いいのよ、謝らなくて!全部あのかぼちゃ頭が悪いんだから。ナツメが気にすることないわ!」
フン、と鼻を鳴らしてそう言う辺り昨晩の話はウリーから聞いたようだ。彼女の横でぐったりとしている様子から、こっぴどく叱られたらしい。それに気がついた夏目は少し苦笑いを浮かべた。
「森に行くんでしょう?それなら早く行きましょう!!ここにはもう居たくないわ」
「貴女は他に泊まって居たじゃないですか……」
「何かいったかしら?」
「いえ、何も」
無言の圧力とでもいうのか、ロゼーターは滅多に見せない笑顔をウリーに見せる。すると、彼はグッと口に出そうになった言葉を飲み込み首を横に振った。
「ふあ、おはようございます……よく寝れました…それでは、もう一度夢の世界へ行きたいと思います…」
ググッと伸びをしてから、レオンはベッドに身を委ねた。それとほぼ同時に扉がガチャリと音を立てて開き、千羅が中に入ってきた。
「うるさいぞ、もう少し静かにできないのか。仮にもここは俺の屋敷だぞ」
「あ…すみません、千羅さん」
不機嫌だと言いたげに腕を組んで騒いでいたレオンやロゼーターを睨みつける。それを見た夏目はおどおどした様子で千羅に謝った。当の本人たちは知らんぷりを決め込み、ウリーが呆れたような溜め息を溢す。
「夏目は謝らなくていい。ロゼーターが悪いんだ。それで、今日は森に行くんだろう?朝食はもう用意させてある。さ、行こう」
そういった千羅はぐいっと強引に夏目の肩を抱き寄せると、歩き出してしまった。二人のその様子を見てあっ、と言葉を漏らしたウリーは急いで立ち上がり、夏目の白く細い腕を咄嗟に掴んだ。
「な、夏目さまっ!」
震える声で彼女の名前を呼べば淡い茶色の瞳が、ウリーを捕らえ見つめていた。彼はコクリと小さく喉を鳴らすと千羅に向かって強めの口調でいった。
「朝食はこちらで用意させていただきますので、ご安心を。それにもう、ここを立ちます。夏目さまから手を離してください」
ウリーの口調は強いものだったが何処か不安そうに震え、それでも頼もしく夏目には思えた。
「悪いな、その頼みはきけない。夏目は俺と食事を取る。俺が今そう決めた」
「そんな、勝手が許させるとでも?夏目さまは急いでいるのです。貴方に付き合う暇はありません」
「一晩宿を貸した相手にその態度はないだろう?それともなんだ?俺が夏目を喰おうとでも思っているのか?」
「そんなこと一言もいっておりません。ただ、私は"急いでいる"と言っているのです。夏目さまには残された時間が少ない。それをわかっていただきたい」
「それならなおのこと夏目には俺といてもらう。誰にもその意見は邪魔させない」
夏目を間に挟み、ウリーと千羅睨み合いながら言い合いを続ける。会話の中心になっている夏目は二人の顔を交互に見つめると、あの、すみません、と小さな声で話しかけるが、二人は夏目の声に気づかずにお互いを睨み合うばかり。それに呆れたロゼーターがパチンッ、と指を鳴らした。
「うおっ!?」
「わっ!?」
ウリーと千羅の身体が宙に浮いたかと思うと、二人を遠く離れた場所に置きロゼーターが怒鳴り声をあげた。
「あんたたちいい加減になさい!ナツメが困ってんでしょーが!!!」
小さいながらもロゼーターのその怒鳴り声は廊下に響き渡り、キーンッと耳鳴りを起こしてしまうもので夏目は少し眉間に皺を寄せながら耳を抑えた。
「センラ、ここはあんたが譲りなさい。ナツメのやるべきことの方が優先よ。これは例えあんたでも邪魔はできないわ。勿論、私もウリーもレオンもよ」
「ふん、貴様に指図される覚えはないな」
「まあまあ、二人とも落ち着いてください。ここは、夏目さんの意見を聞きましょうよ。当の本人に決定権がない、なんてことないでしょう?」
眠っていると思っていたレオンはいつの間にか起きていて、身支度もしっかりと整え、にこやかな声で千羅とロゼーターの間に入った。くるりと夏目の方を向くとさ、夏目さんと手を差し伸べながら彼女に話しかけた。
「夏目さんが決めていいんですよ。僕は夏目さんに従いますから」
「えっ、あの……私…」
夏目は頭の中で必死に考えていた。千羅と話をするのは楽しい、もしかしたら女神の唄について何か知れるかもしれない、だが今優先するのは森にいって屋敷で女神の唄の秘密を知ることだ。どちらも夏目にとったら優先してしてしまいたい。ううん、と唸り声をあげた夏目が最終的に選んだ答えはー…
「森に、行きます…」
だった。千羅は両目を見開き、声にならない叫び声を発していた。そんな姿を見たロゼーターは、ある答えに辿り着いた。何故千羅がここまで夏目に執着するのか、という答えに。
「センラあんた、もしかしてー…」
「夏目さま!」
ロゼーターの言葉を遮ったのはウリーだった。嬉しそうに夏目に近寄り、跪く。そんな彼の様子に夏目はあたふたと慌て、急いで立ち上がらせた。
「私、夏目さまが千羅さんを選んでしまったら…って思うと胸が張り裂けそうでした…」
「そんな、大げさな……」
「大げさでもなんでも構いません。私は、夏目さまの望みを叶えたい。ただそれだけなのです」
「私の、望みを…叶えたい……」
「はい、夏目さまが幸せになることが望みを叶えることが私にとっての幸せで望みなのですから」
にこりと微笑み彼女の手を取り、そっと口付ける。その仕草に夏目は顔を熟れた林檎のように真っ赤にさせ、口を金魚のようにパクパクと動かしていた。
「……センラ、あんたナツメのことを好いてるわね?」
賑やかそうな夏目たちの方とはいっぺん、重たく気まずい雰囲気の中遮られた言葉の続きをロゼーターは口にした。千羅は、何も言わなかった。それがロゼーターには正解だと、その沈黙こそが答えだと理解した。
「あんたが付け入る隙なんてないわよ」
「うるさい、黙れ」
「好きになったのは、そうね。ナツメの強い意志を見たところあたりかしら?」
「黙れと言ってるのがわからないのか?」
「ナツメの素直なところに惚れたのね。でも、無駄よ。いくら追いかけてもあの子はきっとー…」
「黙れと言ってるだろうッ!?」
ドンッとロゼーターが壁際に吹っ飛ばされ、千羅が肩を上下させながら怒鳴りつけた。壁に叩きつけられたロゼーターは、頭を強く打ってしまい気を失ってしまっていた。楽しそうにしていた夏目たちは突然のことに驚き、目を見開いていた。ウリーとレオンは咄嗟的に夏目を庇うようにして、千羅と彼女の間に立っていた。
「あぁ、そうだよ。俺は夏目たちはに惚れたさ。悪いか?いや、悪くない。人間なんてくそくらえと思ってた。だがな、夏目は今までの奴とは違う。わかる、本能的にコイツは本当に真っ直ぐで素直な奴だってことは」
「千羅さん、貴方何を言って…」
「手に入れたいと思ったよ。昨日、あの時夏目の真っ直ぐで強い瞳を見たとき。全身の血が騒いだ。夏目が欲しい、夏目を自分のものにしたいってな」
「千羅さー…」
「おかしいか?なあ、夏目…俺のものになれよ」
千羅の瓶覗の瞳は真朱色に染まり、不気味さが増していた。狂っている、夏目はそう直感的に思った。
「夏目、俺のものになれ」
そう千羅が言った瞬間、ふわりと夏目の身体は浮き彼女の元へ引き寄せられる。まるで、糸で繋がれたマリオネットのように怪しげに動いていた。
「夏目さまっ!!!」
「夏目さんっ!!!」
ウリーとレオンが叫び動き出すのはほぼ同時だった。バッ、と夏目の手を掴もうと手を伸ばすが擦りともせずに、夏目は千羅の腕の中に閉じ込められた。
「ぃ、やっ!ウリーさ、ん!!」
「夏目、俺はお前が欲しい。昨日出会ったばかりだが、好きなんだ」
「わ、たし…は…千羅さん"好き"とは違う…!」
「これからなってくれればいい」
「いや…!」
嫌がる夏目をよそに、千羅はうっとりとした表情で彼女の頬を優しく撫でた。彼女に頬を撫でられるたびに夏目は背筋に寒気が走り、大きな瞳からポロポロと涙が溢れていった。
「千羅さん、夏目さまが嫌がっています!手を離してください!!」
「断る」
「千羅さん!!」
「断るといっているだろう?」
千羅はうんざりした様子でウリーを見つめ、すぐにその視線を夏目へ戻した。
「夏目、何がそんなに悲しい?」
「さわ、んないで…!」
パチンッ、と夏目は千羅の伸ばした手を叩いた。その瞬間、千羅鬼のような目つきになり、夏目の頬を思いっきり叩いた。
「人間ごときが俺の手を叩く、だと?何様のつもりだ?えぇ?」
夏目の身体を床に叩きつけ、強い眼差しで睨みつける。朱く染まった瞳には怯える夏目の姿が写っていた。
叩かれた頬は赤く腫れ、夏目は叩かれた痛みと豹変してしまった千羅への悲しみで涙を流した。それをみたウリーは、無言で千羅に近寄った。
「許しません、私は。貴方を絶対に許しません」
怒りをあらわにしたウリーは、千羅の腕を掴みグリと捻りあげた。その間にレオンは、床に転がったロゼーターを回収し夏目に近寄った。夏目を横抱きにすると、千羅たちから離れた場所へ避難させた。
「夏目さん、平気ですか?あぁ、赤くなっている。すぐ冷やしましょう。アザになったら大変です」
「レオン、さん…」
「はい?どうかしましたか?」
「千羅さんは私のことを異性として好いてくれてるんですよね?」
「多分、そうだと思いますよ。そうじゃなきゃ"俺のものになれ"なんて言いませんよ」
ロゼーターの持ってきたであろう水筒を開け、白いハンカチに中身を湿らしながらレオンは答えた。
「はい、これを当ててください。水なかったから、お茶ですけど…」
「ありがとうございます」
夏目は少し茶色に染まったハンカチを叩かれ、腫れてしまった頬に当てた。ひんやりとした感触にふるりと肩を震わせ、夏目はウリーたちの方へ目を向けた。
「夏目さまに手をあげたこと、後悔するがいい」
ウリー低く、唸るようにそういうと指をパチンッと鳴らした。音がすると、その場にあったものがふわりと宙に浮き、ほぼ同時に千羅に向かって勢い良く動いた。
「うっ…」
千羅の細く白い身体にソファやベッドなどの家具、コップやランプなどの小さなものまでが彼女に四方八方から体当たりをした。家具に囲まれ、千羅苦しそうに唸り声をあげた。ウリーは酷く冷たい瞳で、千羅を見つめている。
「ウリー、さん…」
「夏目さん、危ないから…!」
「レオンさん、ウリーさんどうしちゃったの?いつものウリーさんじゃない…」
淡い茶色の瞳を大きく見開き、潤ませた夏目はレオンに震える声で尋ねた。レオンは夏目の身体をかばうようにウリーたちに背を向け、彼女を自分の方へ抱き寄せる。
「レオンさん…っ!」
夏目はぎゅう、と強く彼の服を引っ張り涙声で訴えるように声を荒げた。
「レオンさん、千羅さん死んじゃいますっ!」
「死にませんよ」
「……え?」
「彼女は人魚ですから。死にませんよ、不死身って奴です」
だから死ぬことはないです、レオンは無表情でそういった。
「だからってあんな一方的に…!ダメです、ダメですよ!」
「夏目さんに手をあげたんですから、当然でしょう?選ばれしものは国家が全力で守るべき存在なんですから。それに手を出すっていうことは、反逆者と同じってことなんですよ」
幼い姿から想像もできないような冷たく抑揚のない声、夏目はゾクリと背筋を凍らせると、レオンをパチンッと叩いた。
「なっ…夏目、さん?」
突然のことに何が起きたのか理解できないのか、レオンはぶたれた場所に手を当て口をパクパクと動かして彼女を見つめた。夏目はゼェハァ、と肩を上下に動かしながらしたを向いていてどんな顔をしているのかは、影になって見えなかった。
「そんなのダメです…!死なないからって見捨てるようなこと!確かに怖い思いも痛い思いもしたけど、でも、千羅さんはいい人です…!」
「夏目さん、聞いてー…」
「私はただの足手まといです。何もできない。ウリーさんやレオンさんたちに頼りっぱなしで……」
「夏目さん、僕たちはー…」
「何もできない私からのお願いです。レオンさんに損か得かっていったら損だと思います」
「夏目さー…」
「千羅さんを助けてください。ウリーさんを止めてください」
レオンにしがみつき、大きな瞳にめいいっぱい涙をため、懇願した。コクリ、と小さく喉を鳴らすとウリーたちの方へ目を向けた。
「……The Door」
レオンが唸るように小さく呟くと、扉が彼の左側に現れた。彼は扉など見もせずにドアノブを掴み、扉を開ける。中は真っ暗で何もない空間のように夏目は、思った次の瞬間ー……大きなクマのぬいぐるみが暗闇の中から現れた。
「フェイ、止めてこい」
レオンはクマのぬいぐるみに対して強い口調でそういった。クマのぬいぐるみはツギハギだらけで、片目のボタンは取れかかっていた。
大きな身体をふらふらと揺らしながら、重たそうな足取りでウリーたちに近づく。そして、のそりと両手をあげウリーを掴むと、大きな口を開けパクリと飲み込んでしまった。
「ウリーさん!!?」
「おわっ!?な、何が…!?」
ウリーの使った魔法が解け解放された千羅と、レオンの腕の中から様子を見ていた夏目さん大声をあげた。
「レオンさん!ウリーさんは!?」
「大丈夫です、今頃フェイのお腹の中でメルヘンな絵本を読んでいるでしょう」
「え、メルヘンな絵本を?」
「フェイはこう見えて可愛いものが大好きなんですよ。だから、よく僕に噛み付いて大変なんです」
照れ笑いを浮かべながらそういったレオンに、夏目は顔を少し歪めさせた。
「千羅さん、助けましたよ」
ふわりと優しげに微笑んだレオンは、夏目の身体から手を離し千羅の方へ目を向けた。夏目は、慌てた様子で千羅の元へ駆け寄る。
「千羅さん!大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ、平気だが……これは…」
「レオンさんが助けてくれたんです。私が、お願いしました」
「夏目が?」
「はい。千羅さんを助けて、って」
優しく彼女の手を取り、夏目は涙ぐみながら答えた。その優しさに千羅は胸を打たれ、にやけてしまいそうな口元を必死に隠そうとしていた。
「夏目…俺はお前に…」
「いいんです、気にしないでください」
「だが……」
「気にしないで、ください」
夏目は言い聞かせるような口調でそういった。千羅はコクリと頷き、それを見たレオンがフェイのお腹をさすった。すると、フェイは突然のむせ始め口元を抑えのたうちまわった。夏目は目を見開きながらその様子を見つめる。
「うぅ、なんてものを見せられたんでしょうか……アレで十分頭が冷えました。許すことはできなそうですが」
気持ち悪い、と言いたげに口元を抑えたウリーがフェイの口から這い出てきた。余程、メルヘンな絵本を読まされたのかぐったりとした様子だ。
「ウリーさん…!」
夏目はウリーの元へ駆け寄り、背中をさすってやる。その間に気絶していたロゼーターが目を覚ました。何が起きたのか理解できず、とりあえずキーっと甲高い声で喚いた。
「何、何があったわけぇ!?急に意識なくなっちゃうし、目が覚めたら覚めたでウリーは気持ち悪そうだし、センラは全身アザだらけだし、フェイは出てるし…」
痛そうに壁にぶつけた側の頭を撫で、ロゼーターは辺りを見回す。
「で、何があったのよ。簡単に説明して頂戴」
「千羅さんが夏目さんに執着心剥き出しで襲って、ウリーさんがキレて僕が止めに入りました」
「簡潔にどうも……って、はぁあ!?私が気絶してる間にそんなことあったわけぇ!?」
「えぇ、まあ。ロゼーターさんがいなくても解決できたので」
「いや、できてないでしょーが。センラとウリーめっちゃくちゃ睨み合ってるじゃないの。ナツメなんて泣きそうよ」
ロゼーターが起きたせいか、暗かった雰囲気とは違い賑やかで騒がしくなった。レオンは呆れた様子で笑うと、夏目たちの方に目を向けた。
「ウリーさんも、千羅さんももういいですよね?あ、まだやるっていうならフェイのお腹の中でどうぞ。メルヘンな絵本を脳内に直接ぶち込みます」
「いや、遠慮しておこう」
「それだけは勘弁してください」
ニヤリと笑うレオンに対して、顔を真っ青に染めたウリーと千羅。
「ほら、これで解決したでしょう?」
「いや、それほぼ脅迫と対して変わんないし」
にこりと爽やかそうに笑うレオンと、引きつった笑うロゼーター。
「夏目さま、頬は……少し赤くなってるだけのようですね」
「レオンさんが冷やした方がいいって、いってハンカチを濡らしてくれましたから…」
「レオンのくせによくやりましたね。後でお礼をいっておきます」
「はい。ウリーさんこそ、平気ですか?」
「えぇ、まあ」
「それならよかったです…」
くすん、鼻を鳴らし夏目はウリーの胸に倒れ込んだ。緊張がほぐれ、安心したからなのだろう。
「心配、かけてすみません」
ウリーは優しく微笑むと夏目の色素の薄くなった栗色の髪をソッ、と撫でた。夏目は猫のように目を閉じされるがままで、ウリーに擦り寄る。
そんな二人の様子を見ていた千羅にロゼーターは、哀れみを帯びた声色で話しかけた。
「センラ、あんたには悪いけどこれが答えよ。ナツメはウリーしか見てないわ。あんたの入る隙なんてこれっぽっちもないの」
「……二人の様子をみて、わかったよ」
千羅は、ふぅと息を吐くと目を閉じた。その動作一つひとつが優雅で美しい、とロゼーターは心で密かに思った。
「森に行くんだろう?行けばいい。食事は籠に入れて持って行け。俺は、このアザをどうにかする」
自嘲気味に笑った千羅は、その部屋を後にした。ロゼーターは、何も言わず夏目の元へ駆け寄った。
「ナツメ、平気?ほっぺた真っ赤じゃない」
「大丈夫です」
夏目はクスリ、と笑いロゼーターの方を向いた。
「あれ、千羅さんは…?」
「センラはね、アザをどうにかするっていってついさっき部屋を出ていったわよ。後、森に行ってもいいそうよ。食事は籠に入れて渡してくれるとも言ってたわ」
「そうですか……」
肩を下へ落とし残念そうにする夏目の頭をウリーが、くるぶし辺りをロゼーターが優しく撫でた。
それから暫くして千羅の屋敷のものが籠に入った食事を持って現れた。それを受け取り、夏目たちは彼女の屋敷を後にし森を歩いていた。
「結局、千羅さん挨拶しに行ってもあってくれませんでしたね」
「そうですね」
「今傷心だから一人になりたいのよ」
「僕は逆ですね。傷心になると構って欲しいです」
四人で暗い森の中を途中休みを取りつつ歩きながら、千羅のことを話す。夏目としては仲直りをしたかったが、ウリーとしては仲直りなどお断りだし、千羅になどは会いたくなかった。大切な夏目を傷つけた本人でもあるし、何よりも千羅は夏目に好意を寄せている。ウリーにとったら、千羅は邪魔で仕方がないのだ。
「教えてもらった通りだと、あの屋敷のはずなんですが…」
「古いわね。人いるの?」
「さあ?そこまでは聞いてませんから」
困ったように呟くレオンに呆れた声色で馬鹿ねぇ、と笑うロゼーター。夏目は目の前にある古い屋敷をぼうっ、と見ていた。その屋敷が何処か懐かしいように感じたのだ。自分は昔ここに来たことがある、そんな感じだった。
古く錆びた城門、赤煉瓦の屋敷は温かそうな雰囲気を漂わせ、無雑作に生えた草花、庭の隅にある濁った池……何処かで見たことのある屋敷のように夏目は思えて仕方がなかった。ふらりと、おぼろな足使いで引き寄せられるように屋敷の中へ入って行く夏目。それを追いかけるようにして他の三人も屋敷の中に入って行った。
「うぇ、蜘蛛の巣……ここだいぶ使われてないんじゃないの?床なんてギシギシいっててもう少しで抜けそうよ」
「本当にここでいいんでしょうか?」
「教えてもらった屋敷はここなのでしょう?それだったら、ここで間違いはないとは思うんですが…」
ぐるん、と屋敷の玄関を見回す四人。蜘蛛の巣があちこちに張られ、部屋のいたるところには埃や硝子の破片が散らばり、以下にも幽霊屋敷と言いたげなその風貌。彼らは文字通り、顔を歪めた。
「…足跡が、あります」
夏目はゆっくり指を指し、三人の方へ顔だけを向けてそういった。彼女が指差す方向にはくっきりと一人分の足跡があった。埃のつき具合を見てから、ついこの間ついたばかりだとウリーは静かな声で言った。
「まさか、辿ってみようだなんて言わないわよね?」
「そのまさかです。この足跡、もしかしたら夏目さまの求めてる答えを知っている方かもしれません。行きましょう」
ウリーを先頭に、夏目、レオンという順に歩き出す。
「えぇっ!?嘘でしょ!?冗談はその頭だけにして頂戴!」
首を縦に振らないのは、ロゼーターただ一人。いや、と大声で玄関から動こうとしなかった。それを見兼ねてか、ウリーは溜め息をつきながら答えた。
「なら、ここに一人で待っていてください。私たちは行きますから」
「一人!?それなら、着いて行くわ!絶対にこんなところに取り残されるのだけは嫌!死んでも嫌!」
ロゼーターは、パタパタと小さな足音を立てながら彼らの元へ近づいた。
足跡を辿ってついた場所は二階の書庫だった。入り組んだ場所にあり、玄関からは見上げても見えないような場所。外から見上げても大きな木が影となって見えにくくなってしまうような場所だった。
「誰か、いるんでしょうか?」
「帰った様子はないと思いますから、多分いるとは思います」
「もう、そんなのはいいから早く開けなさいよう…こんなところで、グズグズしてないで!」
「それじゃあ、僕が開けますね。はい、いち、にの、さん!」
流石はレオン、と言った方がいいのか怖じ気もせずに書庫の扉を開け中に入って行ってしまう。そんな彼の小さな背中を三人は口を開けて見ていた。
「どうかしましたか?」
当の本人はなんとも思っておらず、キョトンとした表情で彼らを見つめていた。
「い、いえ、なんでもありません。中に入りましょうか…」
「さ、流石はレオンさん…すごい…」
「すごいっていうか、なんにも考えてないだけでしょアレは」
今度はレオンを筆頭に夏目たちが書庫の中に入って行った。
書庫の中は周りとは違い、綺麗に手入れをされているようだった。本棚にも、本にも埃は被っておらず、床に敷いてあるカーペットは美しい緋色をしていた。
「すごい本の数…図書館も負けてそうなくらい」
ずらりと並んだ本は二冊重ねて入ってあるにも関わらず、床に無造作に置かれてあるものもあれば二階の方へ山積みにされているのもあった。夏目は思わず思ったことを口に出していた。
「すごいだろう?コレ、全部人魚の長のコレクションなんだ。と、いっても人魚は水がなきゃ生きれないからここにあるのは彼らの持っている本の三分の一程度だけど」
夏目の後ろから若い青年の声が聞こえ、四人はバッと振り向く。そこには、壁に寄り掛かり百入茶色の本を片手にした青年が立っていた。赤茶色の髪は一つに束ね、狐のような瞳は夏目を捕らえていた。
「君が上島夏目だろう?話は噂程度なら聞いてるよ。女神の唄のことが知りたくて来たんだろう?」
「貴方は…誰なの?どうして、そのことを……」
「僕はイグナーツ、よろしくね」
イグナーツと名乗った青年はニコリと優しげに笑って手を差し出す。
「貴方は何故こんなところに?用は?何故夏目さまのことを?」
「質問が多いなあ。答えるのがやになっちゃうよ、でも、答えてあげる。まず、どうしてこんなところにかっていうとここは僕の好きな本ばかりで暇つぶしには丁度いいのさ」
「暇つぶしに…?」
「そう。で、次に用はって言うのはまあ、暇つぶしだね。最後の質問、どうして上島夏目のことを知っているか。そりゃあ、知ってるよ。よぉく、知っているよ。生年月日も、血液型も、スリーサイズも、利き腕も好きなことも何から何まで」
イグナーツのにたにたとした笑いに、夏目は身体を震わせウリーの広い背中の後ろに隠れてしまった。
「おっと、怖がらせる為に言ったんじゃあないよ。手伝ってあげようと思って来たんだよ」
「手伝う?一体何を?」
「女神の唄、だよ」
「どうして、手伝うんですか?」
「こんな大量の本の中からその女神の唄に関しての資料を見つけられる?答えはNoだよ。無理だ、不可能だ」
「それなら貴方が手伝っても同じことが言えるでしょう」
「その質問の答えはNoだ。僕はここの本全部の内容を頭の中に記憶してあるんだよ。パラパラと見たものもあるけど、それは正確だ、一度も間違ったことはない」
得意気に話すイグナーツに、若干うんざりした様子のウリーは彼の自慢話を遮ってわかりました、手伝ってください、そういった。
「女神の唄に関しての資料は、一階の窓側から三番目の棚の、上から五番目の段で右から十四番目手前のやつと……」
「ちょっと待ってください!一つずつ取っていかせてください!」
夏目は慌てて言われた場所へ行き、その本を探した。
「次は隣の棚の下から二番目の段で、左から二番目で奥の方だ」
「えっと……」
「その次は二階の右端で一番上の段で、右から五番目の手前」
「レ、レオンいってください!」
「また二階の右端で一番上の段で、右から十六番目の奥のやつだ」
「早い早い!追いつかないですって!」
イグナーツの記憶した本を探し出して十分。目的のものに関する本は合計十二冊もあった。どれも分厚く古いもので、読むのにも理解するにも時間がかかりそうだった。
「歌詞を探したいんだろう?確か歌詞は……」
十二冊の本の中から飴色の表紙の本を一冊手に取り、ペラペラと捲っていくイグナーツ。その様子を夏目はぼうっと見つめていた。
「あ、あったあった。これだよこれ」
そういって彼が見せたページにはたったの三文。
青イ月ガマタタクヨルニ
少年ノ涙ハ池トナリ
白ヲ赤ニ染メアゲテユク
たったそれだけ書いてあった。あまりの短さと、理解のできない言葉にイグナーツを除く四人は言葉を失ってしまった。
「これ、だけ…?」
「いや、もう二つこのような文があるみたいです。ここに書いたあとがあります」
ウリーが指差したのは文の終わりのところ。確かに何かを書いたような跡はあるが肝心のその何かがない。探すにも切り取られてあって、探しようがない。少し歌詞を手に入れたとはいえ、ほぼ振り出しに戻ってしまった夏目は落胆した。はあ、と溜め息をつこうとしたその時だった。イグナーツがあっ、と声をあげた。
「なんかの紙の切れ端なら確かね、向こうに置いてあるよ。お宝の隠し場所かなんかかと思って、別の場所に置いたんだよ」
そういって窓に近寄り、窓の淵に置いてあった鞄からボロボロの紙切れを取り出した。
「こんな古そうでなんか、怪し気なのだったらお宝でもありそうな気がするじゃん?」
はい、といって夏目に手渡したイグナーツ。ボロボロの紙切れを受け取った夏目は、よく目を凝らして紙に書いてある跡と、紙切れに書いてある文を見合わせた。
「これ、みたいです」
「繋げて見ましょうか」
夏目は大人しくウリーにその紙を渡した。彼は丁寧な手つきで破られた跡に沿って紙切れを重ねた。
青イ月ガマタタクヨルニ
少年ノ涙ハ池トナリ
白ヲ赤ニ染メアゲテユク
闇ヲ照ラスノハ
スベテ知ッタ少年
ユメヲウチクダク雫ヲノミホセ
女神ノ愛ヲソノ身ニササゲヨ
ソノ願イヲ永遠ニスルタメニ
血肉ヲワカチアエ
と書いてあった。夏目はなんのことだろうか、と頭を悩ませたが、答えは見つからず疑問ばかりが残った。
「女神の唄は扉の開き方、だと千羅さんから聞きました。ということは、後は月のしずくと太陽の涙と愛だけですね」
胸に手を当て夏目は、小さな声でそういった。後二つ……この調子でうまく行けば、もしかしたら願いが叶うかもしれない、そう思いながら。
「ねえ、もしかしてこの雫とか涙とかってやるべきことのものと同じじゃない?」
静かにしていたロゼーターが突然、そんなことを口にした。すぐさまどういう意味なのかを彼女に尋ねる。
「だから、この少年ノ涙って言うのは太陽の涙で、ユメヲウチクダク雫って言うのは月のしずく、女神ノ愛はそのまんまのような気がするけど愛……残っているやるべきことに当てはまるじゃない」
「それじゃあ、他のはどう説明するんですか?白ヲ赤ニ染メアゲテユクとか、血肉ヲワカチアエとか」
「うっ…それは……他のをやれば、わかるんじゃあないの!?」
「そう簡単にわかるでしょうか?」
ロゼーターの言いたいことはわからなくもない。確かに歌詞とやるべきことがあっているのは、当然といえば当然だし偶然といえば偶然だ。しかし、他の歌詞はどうだ?となると話は変わってくる。現時点では想像もつかないし、試すこともできないのだ。
何故なら、やるべきことを全て終えてないからだ。月のしずくと太陽の涙、愛をまだ夏目は手に入れてないのだ。それに、青い月が登るまでにまだ時間がある。
「とにかく、これを屋敷に持ち帰りましょう。本の持ち出しは千羅さんから許可をいただいてますし」
「そうですね…」
ウリーは顎に手を添え、考えるそぶりを見せた。いや、そぶりではない。真剣に考えているのだ。周りから見たらふりのようにしか見えないのだが。
「それよりも、イグナーツさん……手伝ってもらってありがとうございます」
「You're welcome!ここの本のことなら僕にいつでも聞いてね、待ってるから」
目尻を下げ、笑うその姿に夏目は心臓を鷲掴みにされたような気分だった。初めて会った人なのに何処か懐かしい、そう感じたのだ。そう、屋敷を見た時と同じ感覚…。
「夏目さま、続きは屋敷でいたしましょう。だいぶ疲れたでしょうから」
ウリーは自分の上着を脱ぎ、ソッと夏目の肩にかけてやった。身体の大きさが対照的で、ウリーの上着は夏目の足をも超え引きずれてしまっていた。
「あっ、ウリーさんその上着…」
「仕方ありませんね。夏目さまのお身体が冷えてしまうよりもマシです。さ、もう行きましょう」
優しく夏目の背中を押し、書庫を後にしようとするウリーの腕をイグナーツはぐいっと後ろへやり引き止めた。
「……なんですか?」
「少し、君と二人で話がしたい。今はまだこんなに明るい。そんなに急がなくてもいいだろう?」
少し嫌味を含んだ言い方をしたイグナーツに、ウリーは腹を立てた。キッとキツく目を釣り上げ、夏目の背中を押していた手を離した。
「レオン、ロゼーター夏目さまと外に」
「了解です。さあ、夏目さん行きましょう」
「え、あ…でも……」
「ナーツメ、行くわよっ」
「わっ、ロ、ロゼーターさんっ」
半ば無理矢理書庫から追い出された夏目と、追い出したロゼーターたちの姿が見えなくなるとイグナーツは微笑みながらウリーに近づいた。
「私の話がしたいとはなんですか?」
「世間話がしたいだけだよ」
「それなら、他を当たってください。この辺になら人魚たちでも、エルフたちでもいるでしょう?」
「僕は"君"と話がしたいんだよ、"リアン"くん」
「…っな、ぜその名前を…!?」
「言ったじゃあないか、僕はなんでもわかるって」
にっと弧を描くイグナーツの口元はようようと妖しく、それでもって美しかった。ウリーは、睨んだまま口を開く。
「白うさぎさんの所から来たんですか?」
「違うよ、僕は中間者だ。ノーサイド、どちらにも属さない」
「中間者?」
「うん、中間者。君たちの味方でも敵でもないよ。気まぐれに動くだけさ、僕は」
「……今回は、どうして手伝ってくださったんですか?」
ウリーは、縋るような声でそう尋ねた。何故、自分がそんな声で尋ねたのかは彼自身もわからなかった。ただ、彼の答えが自分の望んでいる通りであればいい、そう思ったのだ。
「気まぐれだよ。もしかしたらこの本とか隠してたかもしれないね。それか、嘘ついてたり……」
白い歯を見せ、笑うイグナーツを見てウリーは歯ぎしりを立てた。思っていた答えとは違うものが返って来たからだ。
「これから、貴方は私たちにとって邪魔となる存在ですか?」
「さあね、わからないや」
でも…と言葉を続けるイグナーツ。彼の続けた言葉にウリーは思わず生唾を飲んでしまった。
「話ができてよかったよ。意味のわからないことばっかり僕が言っていただけだけどね」
「これから君たちは、やるべきことについて探すんだろう?がんばれ、僕は応援してるよ」
「それと夏目は体調を崩しやすいし心が弱いから、ちゃんと見ててあげてね。君になら任せられるよ、リアンくん」
「あの子をよろしく頼む…」
ウリーが瞬きをしたほんの一瞬だった。イグナーツの姿は何処にもなく、書庫には彼が一人ポツンと立ち尽くしているだけ。
「そんなことがあるのか…あっていいのか?」
彼は小さく何度もそう呟いた。何故、そう呟いたのかというと……最後に笑ったイグナーツの顔は、見覚えのあるものだった。彼は既に死んでいて、それでもってこの世界の住人ではない。そんな彼がこんな所にいるはずがない、いるわけがない。ウリーは何度も、何度も頭を悩ませた……が、出て来た答えは彼をまた悩ませることしかできなかった。納得のできる答えは見つからなかった。
それからウリーは外へ出て夏目たちと合流し、自分たちの住む屋敷に戻ると、夏目は安心したのかそのまま倒れ熱を出して寝込んでしまった。パラレルワールドに来て四日目、夏目は熱のために女神の唄の歌詞を手に入れただけ。それ以上のことは調べることもなく、深い夢の世界に落ちていった。
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