4章

第33話 うん、行こう!

 夏の日差しが、容赦なく路面を照りつける。

 蝉の声の響きが、暑さを増幅させる。

 家の中に閉じこもったままでは身体によくないから、買い物なりカラオケなり、なんでもいいから外に行ってこいと、私はママから、半ば強制的に家を追い出された。


 あれから、一度も学校へ行かず、夏休みに入った。

 小鹿野さんの家は全焼。

 負傷者は、新聞発表によれば、住人である少女1名と、救助に向かった少年1名、そして……長年別居状態にあった少女の父親。


 落ち着いて考えてみれば、菅谷が正解にたどり着いた理由もわかる。

 あの頑固で警戒心の強いタローが、毒入りのエサを食べるとしたら、それはタローが信用していた小鹿野さんの家族以外にいないからだ。

 小鹿野さんもその事に気づいたのだろう。少なくともタローの亡骸なきがらをなでた時に、タローが誰に会ったのか読み取ったはずだ。

 小鹿野さんは、たぶん家の中に潜んでいる父親の存在に気づき、私と菅谷に危害が及ばないように追い返して、たった1人でタローの仇を討つつもりだったのだろう。


 菅谷は小鹿野さんの家庭の事情も合わせて答えを導き出したのだと思う。

 お婆さんが亡くなって小鹿野さんが社長を継いだということは、勘当された息子に遺産は全く流れていないであろうと。

 事実その通りだったらしく、新聞には犯行動機として、事業の失敗による多額の借金があげられていた。娘が死ぬことで父親にカネが行くのか、そこは法律上どうなっているのかわからないが、少なくとも小鹿野さんの父親はそう思い込んだのだろう。もしくは、誰かにそそのかされたのかもしれない。


 警察と消防は菅谷の洞察力と行動力をべた褒めしていた。本来は事件解決と人命救助の両方で表彰式を大々的に行いたいのだろう。だが、事件は同級生の少女が、実の父親に殺されかけたという暗い側面を持つため、賞状は渡されたようだが派手な式典とかは一切無かった。


 小鹿野さんとも菅谷とも、あの夜から会っていない。


 2人とも病院に入院することになった。

 身体の傷もそうだが、精神面でのケアが大きいみたいだった。


 私は、家を出て、駅とは反対方向に歩いた。

 特に目的があったわけではない。一番近い店がそっちにあるからだ。

 とりあえず、店に入って、何か買おう。

 でもそのあとどうするか、まったく思い浮かばない。

 店に向かって歩きながら、この道をまっすぐ行くと小鹿野さんの家があったんだよなと思う。

 何度も行ったあの古くて大きな家。みんなで食べたご飯。そしてタロー……。

 もう、何もかも存在しないんだ……。

 考えただけで、涙で視界がにじんできた。


 あ、アパート、もう完成したんだ。

「入居者募集中」の看板が立っている。

 ついこの前まで建築中だと思っていたのに。


 みんな、どんどん変わってしまう。


 小鹿野さん、せっかくクラスに溶け込んだのに、こんな事件があれば、学校、行きづらいよね。

 夏休み中、2学期が始まる前に転校してしまうんだろう。

 それは、無理もない話だ。


 でも、別れるにしても、ちゃんとサヨナラの挨拶をしておきたかった。

 涙が、どうしようもなくあふれてくる。

 泣いている顔を道行く人に見られるのが恥ずかしく、道路に背を向けて、アパートの方を向きながら、私は声を殺して泣いた。顔が、涙と鼻水でヒドイことになってる。でも、できたばかりで誰もいないアパートだから、人に見られることもないし……。


 出し抜けに、目の前のドアが開いた。


 中から出てきた人と、目が合った。


 その人の目が、信じられない物を見た驚きで見開いている。

 きっと、私も同じ目をしていたに違いない。


 小鹿野さんが、そこにいた!


 私は小鹿野さんに飛びついた。小鹿野さん! 会いたかった! 本当に会いたかった!

 小鹿野さんも抱きついてきた! 同じ気持ちだったんだ!

 私たちは人目も気にせず、抱き合って泣き続けた。

 小鹿野さん、少し髪伸びたね。


 アパートの入り口の日陰部分に、2人並んで座った。

 小鹿野さんが、あれから何があったのか話してくれる。

「あのね、私、自分が自分であることを証明する物を、全部失くしちゃったの。

 預金通帳と印鑑が会社の金庫にあって、本当に助かった!

 生徒手帳もケータイもパソコンも無いし、再発行の手続きにすごく時間かかってるの。まだ全部終わってないのよ。ホント不便。だって住民票の写しすら取れないんだもの。

 だから、住む場所、ここにしたの。

 このアパート、うちの会社のなの。

 だから私、オーナー兼管理人、みたいな感じ?

 もっと早く連絡したかったんだけど、メールとかの連絡先が全部分からなくなっちやったし、ごめんね。

 でも、三宅さんたち、家がこの辺りって聞いてたから、きっと会えると信じてた」


 そして小鹿野さんは、私の眼を見つめて、ハッキリ言った。

「私ね、強くなる! こんなことで、くじけるなんてイヤだもん! 私、負けないよ!」


 そう宣言した小鹿野さんの瞳には、これまで見たこともない輝きがあった。

 それは、これまでの内気でカワイイ女の子の瞳ではなく、一歩踏み出した覚悟と自信と……いやそれだけじゃない、私に対して、これまで見せたことのない挑むような表情、少女というより女としての眼……。

 負けないって、ひょっとして私に向けて言ってる?

 それって、もしかして……。

「あー! あなた心読んだでしょ! それズルイ!」

「あら、やっぱりそうなのね?」

「ん? え? あ、あ、今のナシナシナシ!!」

「なんてね、ゴメン、知ってた。でも条件は同じはずよ?」

 条件……?

 燃えている家の中から菅谷によって助け出された小鹿野さんは、心肺停止状態だった。菅谷の必死の人工呼吸と心臓マッサージによって、救急車到着前に小鹿野さんは蘇生した。

 そうだ、小鹿野さんなら、読み取るのは不思議じゃない。そのわずか数分前の出来事を、菅谷のくちびるから……。

 私は、たぶん真っ赤になっていたと思う。小鹿野さんの顔をまともに見れず、顔を伏せた。


「三宅さん、菅谷くんは私を助けてくれたけど、あなたも私を助けてくれたのよ。憶えてる? あの時あなたの一言で、あの時の、絶望の中にいた私が、笑うことができたのを」

 あの時、人工呼吸の最中に、文字通り息を吹き返した小鹿野さんは、実の父親に殺されかけた記憶と、音を立てて燃えていく自宅の炎を目にして、恐怖に顔を歪めて菅谷に抱き着いて震えていた。狂気のふちのぞいてしまった者の眼をしていた。

 私はその時、小鹿野さんが生きてた安心感から、地面に座り込んで涙が流れてきた。でも、菅谷と抱き合っている小鹿野さんを見ているうちに……。


「ちょっと! いつまで抱き着いてんのよ!!」


 私の怒鳴り声にビックリした2人は、私の顔を見てキョトンとして、それからすぐにパッと離れて、少し照れながら大笑いした。そしてそのまま、小鹿野さんは号泣に転じて、菅谷の胸にまたすがりついた。


 あああああ、思い出したら死にたくなってきた……。


「どうしたの?」

 自己嫌悪で頭抱えてうずくまってる私に声をかけてくる

「三宅さん?」

 わーん、ごめんなさい、今話しかけないで!

「三宅さん、私、三宅さんみたいに、思ったことをすぐ実行できる、そんな風になりたいって、ずっと思ってた。三宅さんみたいな女の子に、憧れてたの」

 え? こんなガサツなのに?

「三宅さん、私、頑張って強くなるから。過去の事が見えるからって、過去に振り回されなきゃいけない理由なんてないもん。だって、明日が見えないのは、みんな同じでしょ?

 私、自分のことを可哀想とか思いたくない。

 だから、ゆずるとか、手加減とかしないでね」


 そこへ、菅谷が自転車で通りかかった。

 小鹿野さんは私より早く声をかけ、菅谷に向かって駆け出した。私たちに気づいた菅谷が驚いた顔でブレーキをかける。うん、確かに小鹿野さんは強くなったよ。

「菅谷くん、傷はもう大丈夫?」

 菅谷は私と小鹿野さんを交互に見て、どちらからも顔をらして赤くなった。一度に2人の唇奪いやがってこの野郎!

「あのね、私これからこのアパートに引っ越してくるから、これからもよろしくね」

「ああ、やはりそうなったか」

「菅谷、あんた知ってたの?」

「お前、落ち着いて周りを見るようにした方がいいぞ。建築業許可票に責任者として小鹿野の名前が書いてあったのを気づかなかったのか?」

 え? 慌てて周りをキョロキョロ見回すが、工事が終わったから許可票は無くなっている。でも、「入居者募集中」の看板には、「小鹿野不動産」の名前が確かにあった。

「ちょうど良かった、これ、部屋の鍵だから。菅谷くんにあげるね」

 な、なんて大胆な!

 驚いた顔の菅谷と私を見て、イタズラっぽい眼をした小鹿野さんは、ニッコリ笑って私に近づいて言った。

「ビックリした? はいこれ三宅さんの鍵」

 はい?

「オーナーの権限ね、3人で自由に使える部屋、1つ確保したから。そこはいつでも出入りしていいよ。また3人で、一緒にご飯食べたり、お勉強したりしようね」

 そうだ、またあの時みたいに、みんなで一緒に。家族みたいに……。

 タローの不在が悲しかった。

「もちろん私のプライベートの部屋は別よ。でも、菅谷くんがどうしてもって言うなら」

 やっぱり大胆になってる!

「ダメダメダメダメ! それは絶対ダメ!」

「お前なあ」

「でね、菅谷くん、約束は守れるわよね?」

 約束? なんだっけ? ビクッとなる菅谷。

「菅谷くん約束したもんね。プールに一緒に行くって!」

 プール! 私は自分の耳と尻尾がピンと立ったような感じになった! 菅谷は谷底に突き落とされる直前みたいな顔になる。

「私の水着、燃えちゃったから、また買い直さなきゃいけないの。菅谷くんつき合ってね」

 菅谷の左腕に自分の腕を絡めて小鹿野さんは言った。

「うん、行こう! 今すぐ行こう! そのままプールも行こう!」私も菅谷の右腕に絡めて叫ぶ。

「その前に、みんなでお部屋を見ましょう、ね?」

 小鹿野さんが菅谷の腕を引っ張っていく。

 小鹿野さん、強くなった。


 そうだよ、変わっていくことは、悪いことでも悲しむことでもないんだよ。


 不安と希望は同じコインの表と裏みたいなもの。その人の解釈次第でどっちにもなるんだ。


 だったら私は、希望を選ぶ。

 明日を信じて、先に行こう。

 もちろん明日は誰にも分からないよ。

 菅谷の気持ちがどっちに傾くか、いやそもそも、どちらも選ばないかもしれない。

 それは私だって小鹿野さんだって同じだ。

 でも、明日は今日の積み重ねだと思う。過去を振り返るヒマがあったら、前を向こうよ。


 菅谷の眼鏡の奥の瞳が、好奇心に輝いている。

 私もワクワクが止まらない。

 自信と期待に満ちた顔で、小鹿野さんが鍵を回す。

 このドアの向こうから、私たちの明日が始まる。


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