闇ぞ来たりて

 孤児院を出てのんびりと夜の街を歩きだす、十分程歩けばコインパーキングに辿り着いて、家に帰れる。


 だと言うのに


「何でこんな物が落ちてるんだろうね?」


 ついつい言葉が出てしまう。目の前には、白い塊。

 簡単に言うと、ヒト。もっと詳しく言うと、ボロボロの衣服……と言うのも服屋に失礼なんじゃないかと言いたくなるような布を体に巻いた人間である。

 白い肌、白い布、白い髪。


 白は清潔な色だって言う人を結構見かけるけど、そんな人にコレを見せたらどんな反応をするかな? 少なくとも僕には目の前の白尽くめは病的な物にしか見えない。

 不幸である、相棒の天使人の幸運が何かヤバいレベルなのは、実の所僕から幸運を吸い取ってるからでは無かろうか?

 彼女の扱う天使術について、今度もう一度学習してみようと心に決め、とりあえず目の前の白いものから迂回する。


 何でって? 普通の人間だったら当然の反応だからだよ。

 目の前の物が全く動かない事だけを気配で確認しつつ、足早にその場を去る。視線は僕の爪先に固定、アレを見てたら絶対に良くない事になる。

 横を素通り成功、そのままコインパーキングまで……行く前に後ろから気配がっ!


 身構えていた僕は咄嗟に体を捻って回避! 白い影が僕の体を掠めて目の前に跳び、着地点で受け身を取ってこちらに向き直る。

 四つん這いの獣の様な姿勢のそれが、やはり獣の様なこちらを見ている。ボロボロの布の隙間から、やや膨らんだ胸が見えたので性別はハッキリしたが、長い髪の毛が顔に掛り、突きささる視線を感じる以外には表情も顔つきも読めない。


「なんだいなんだい? 君は、行き倒れにしてはずいぶんと元気じゃないかい?」


 武器が無い為徒手空拳を構える。普通に考えれば僕みたいな人間が武器を携帯しない方がおかしいんだけど、孤児院には絶対武器を持ち込みたくないからこの十分で襲われるのは宿命だと割り切っている。


「……いた」


 獣人間が口を開く。昨日戦った少女とは違い、今日の暴漢は人語を解するらしい。


「何かな?」


 何時でも殴れる様に全身に力を入れ、応える。凶器が無くとも身体能力は強化されてるので、殴り倒せば『真っ当な』『人類の』頭蓋程度なら余裕で砕ける。


「おなか……すいた、それに、ケイ、たすけて、くれる」


 髪の毛が揺れて、その下から顔が露わになる。

 猫の様な大きな赤い目、途切れがちな言葉。

 ああ、見たことがある。あの時ずっと僕を覗き込み、僕もまた覗き込んでいた瞳だ。

 遠い昔に僕が大好きで、僕を大好きで、僕が見捨てた少女の形をした物が、今僕の目の前に戻ってきている。


「キミ……まさか」


 驚愕の声が漏れる。信じられない、生きているとは思わなかったし、生きていたとしても、こうして直接出会える日が来るとは思わなかった。

 でも、彼女は僕の目の前にいる。

 僕の喜びと驚きを肯定するかのように、彼女が小さく頷いた……ような気がした。

 それを見たら、もう我慢できなかった。

 体が勝手に前に一歩踏み出す。向こうが回避どころか反応する前に、両腕を伸ばす。僕の心の中に喜びが溢れる。その感情そのままに、僕は目の前の少女をきつくきつく、抱きしめていた。


「……良かった、良かったよ……生きてた、生きててくれたんだ……君が」


 ああ畜生。涙があふれそうだ。その体は病的に細くて白いけど、それでも彼女が生きていて、心臓の鼓動も、体温も感じられる。


 僕の耳元すぐ近くで、少し苦しそうな声がする。


「ケイ……いた、いよ?」


 ああ、そうだ。僕は前衛魔導士であり、筋力も強化されてる、感情のまま抱きしめるなんて論外だった。


「ああ、ごめんよ、大丈夫? ケガは無いかい?」


 慌てて両腕の力を抜き、体の様子を見る。どうやらケガにはなってないみたいだ。

 安心した、こんな事で何かあったら、感動の再開もクソもあった物じゃない。


「ふぅ……良かった」


 つい安堵のため息が漏れる。彼女は不思議そうに首をかしげるばかり。

 嬉しさで舞い上がっていた心もそうしてるうちに落ち着いてきたし、とりあえず状況の整理をしておこう。


「で? なんでさっきは再開直後にいきなり飛びかかってきたの? 僕の新鮮な人肉でも食べたくなった?」


 新鮮かどうかは怪しいけどね、生きながら腐ってるみたいな物だし、薬漬けだし……食品添加物七十パーセント以上、ある意味現代人には相応しいのかもね。


「ううん、わたし……とめた、いっしょにいていいって、いってたのに、ちょっとだけいじわる、された」


「何言ってるのかな、君? まぁいいや。とにかく、よくもまぁあそこから逃げ出して、しかも僕の事を見つけたね。凄いじゃないか、アイ」


 彼女……アイがもう一度首を傾げる。


「あなたは、ケイ。わたしは、アイ?」


「何で僕の名前が断定形で自分の名前が疑問形なんだい? 普通逆だろう」


「わからない。ケイ、たすけてくれる、それだけ? なにも、まっしろ」


 アイが続ける。頭痛を覚えてこめかみを押さえた。


「つまり記憶も無い……と、解った解った、とりあえずご飯だね、こっちに来ると良い」


 自宅に帰ろうかとも思ったけど、止めておいた。ほぼ裸に近い女の子を連れ込んだとか噂が立つとどうなるか解ったもんじゃない、『鬼』とか『悪魔』と罵られるのは別に気にしないけど『変態』とか『性犯罪者』と罵られるのは精神的にきつすぎる。

 とりあえず車を回収して仕事場に向かおう。仕事場なら必要な物はも何でもある……それに。


「風呂もあるしね」


「……?」


 僕の後ろを付いて歩くアイが首を傾げる。視線に気が付いたので、肩をすくめておいた。


「君ね、ちょっと……いや、かなり臭いよ?」


 言葉の意味が解らないのだろう。アイが首を傾げる。一方の僕はきっと顔を顰めた。

 ここまで酷い生活をしてきたのだろう、アイの体からは下水道みたいな酷い匂いがする。

 ……しょうが無いとはいえ、車に乗せたくないなぁ……。


 二人で夜道を歩く、どう見てもこれは罠で、ロクでもない事の前触れなんだろうな。

 とびきり凶悪な毒蜘蛛の糸が体に絡む様な錯覚を、僕は感じていた。

 いや、違う。きっとこれは錯覚でも何でも無く、唯の事実なんだろう。

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