寄る辺、胸絞めるほど暖かく

 直接目的地へ向かっても良かったんだけど、その前に自宅による事にした。理由は色々あるけど、とりあえずは昨日のアレからすぐに寝てしまったので、汗を流したかったというのが第一だ。


 シャワーを済ませて洗面所へ、付けっぱなしのテレビから流れる、昨晩都市の幾つかの区画で原因不明の断水が発生したというつまらないニュースをBGMに、上半身裸のまま洗面所に写りこんだ自分の姿を真っ直ぐに見る。


 ざんばらの黒髪に、目付きが悪いとよく言われる釣り目が鏡の向こうから僕を見つめている、首から下の体つきは百七十センチにぎりぎり届かない程小柄で細いけど、その分鍛えてはいるし、前衛魔導士らしく色々とズルもしているので問題ない。見れば昨日腹に貰った傷ももう塞がっているようで、特に痕にもなっていなかった。


「よし、行くか」


 一人呟いて上着を着る。駐車場に止めている車に乗ってキーを刺し、後部座席に横たわる『粉砕する者』の存在を今この瞬間から脳味噌の外に叩きだしてアクセルを踏む。

 目的地は車で三十分程、途中にあるコインパーキングに車を止めて今度は歩いて十分、町外れにある小さな孤児院だ。


「あー、ケイだー」


「ケーイケーイ」


「はーいはいはいけーですよー、お土産はないから離れてなさーい」


 わらわらとよってくるガキンチョをあしらいつつ奥へ、勝手知ったる元我が家なので、何の遠慮も無く中へと入る。

 奥まで進み、部屋の中で忙しそうに掃除をしている少女を見つけて呼び止める。


「ただいま、オドレイ」


「あ、ケイ兄さん」


 嬉しそうにオドレイが笑顔を浮かべる、腰ほどまで伸ばした水色の髪が清流の様に流れ、翡翠の瞳に彩られた、年齢不相応な落ち着きを持つ優しげな顔が柔らかい微笑みを浮かべている。

 あまり経営に余裕がある訳でも無いから、彼女本人にも飾り気はないが、そんな事全く気にならない程の素朴な美しさを持っていると僕は思う。

 まぁ何が言いたいかと言うと、孤児院のそんな義妹は今日も可愛らしくて、天使の羽根の生えた性悪生命体とか血と硝煙と攻撃魔法の匂いしかしない職場とかを忘れ去る為の最高の清涼剤だと言う事である。


「この様子だと相変わらずみたいだね、少しは楽にならないのかい?」


「残念ながら。ケイ兄さんが送ってくれたお金も、皆で相談してレンカちゃんの進学費用に当てちゃいましたし」


「そうかい、ってことはこの前見つけた雨漏りも?」


「そのままです、だってケイ兄さんが来てくれた時に直してくれるって約束したの、皆信じてましたから」


 ね? と小さくオドレイが首を傾げる。はぁ、やっぱり癒されるね。


「ふむ、そういえばそうだったね、道具はあるかい?」


 肩をぐるぐると回して『働けるぞ』アピール。子どもたちが嬉しそうな声をあげる。


「はい、お礼は晩御飯でいいですか?」


「おっと、まさかご飯も付くとは、コレはしっかりとした仕事をしないとね?」

 おどけてみせると、オドレイが応えた。


「じゃあまず、久しぶりに顔を見せてくれたお礼にお昼ご飯を食べて下さい。その雨漏りを直して貰って、終わったら今度はご飯にしましょう」


「やれやれ、僕は雨漏りの修理に半日もかけるつもりは無いんだけどね? それともそんなに雨漏りが多いのかい? ここ」


「ふふ……そうですね、ごめんなさい」


 オドレイが困ったような顔をする。とりあえず作業は昼食の後の様なので、僕は子どもたちの相手をするべく部屋の中に入った。

 ……ちなみに、この前見た時は確かに一か所だった雨漏りが何と四か所まで増殖してたのでこの後の作業が本当に夜までかかってしまったのは余談である。


「ふぅ、ごちそうさま」


「御馳走様でした」


「「ごちそーさまー」」


 夕飯を終えて食器を片づけ、オドレイが淹れてくれたお茶を啜る。世間話でもまったりと始めようかと思ったのに、そのタイミングで通信端末が鳴り響いた。

 取り出して確認、件名はイリス。


「はいもしもし? 急な仕事なら一人でやってくれるかな?」


「急な仕事じゃないから別にいいけどさー。もし本当に急な仕事だったらそれが通用するとか思って無いよね?」


「電話口でいきなり真面目に返してくるとは、君は偽物だね? 一体本物はどこだい? 僕は何があっても身代金は支払わないから死体の引き取り先だけ教えてくれないかな?」


「ぶー、そう言うと思いましたよーだ。でさ、本題に入るんだけど、今結構切羽詰まっちゃって、ちょっと頼みたい事があるんだけど良いかな?」


 溜め息が漏れる。オドレイが僕の方をみて何事かと小鳥みたいに首を傾げた。


「事と場合によるね? この場から動かずにできる事だと行う確立三十パーセントアップって所だね」


 元値がマイナス百五十パーセントなのは内緒だ。

 一瞬の間をおいて、端末越しにイリスが一言。


「なら大丈夫かなー? 実はね、昼に景気良く食べて財布の中身が危機に瀕したの忘れててさー夜も景気良く食べちゃってさい」


 切った。

 うん、今電話なんて無かった。僕はどうやら食事が終わってうたた寝をしていたらしい。


「あの、ケイ兄さん。今のお電話は?」


「電話なんて無かったよ、オドレイ。永い人生では気にしない方が楽な事の方が多い、今のもその一つさ」


「はぁ?」


 もう一度着信、やっぱり件名はアイツ。

 無視無視。


「あの……? お電話鳴ってますよ?」


 心配そうなオドレイに、とびきり爽やかな笑顔で返す。


「気にしないで良いよ」


 留守番電話に切り替わり、向こうも電話を切る。

 十秒置かずにもう一度着信、件名はやっぱりアイツ。


「あの……お電話が」


 やっぱり心配そうなオドレイ、うん、僕も正直鬱陶しくなってきた。


「なんだい? くだらない用事なら電話を切るよ?」


「さっきすでに一回切ったじゃない~! 酷いよケイ~!」


 うわ、涙声だ。どん引きだね。


「何かな? 君の無銭飲食の身柄引き渡しなら面倒だから行かないよ、ラッセル辺りを呼びつけてくれ」


「そうなりたくないから頼んでるんじゃん! ここの代金事務所にツケさせてよ~、次の報酬から天引きでいいからさ~」


「残念だったね、次に入る予定の報酬は君が先日購入し、昼間に受け取ったであろう最新式の宝珠『サリエルⅨ』の借金返済に充てられてるからツケは組めないよ」


「げげ、そうだった……じゃあお金持ってこっち来て?」


「君、逆の立場なら絶対僕を見捨てるでしょ? 僕も同じでそっちには行きたくないんだけど」


「そんな~、私だったら絶対に見捨てないよ~」


 嘘だ。むしろコイツならわざわざ来店して、僕が床磨きをしているのを見てゲラゲラ笑った挙句、自分の飲食代を僕のツケに上乗せするくらいはやりかねない。


「状況が状況だけに信用性ゼロだね、大人しく皿洗いなり床磨きなりして健全に対価を払ってから帰ってくるといい」


「む~、いつも通りイジワルだなぁ……ケイは。そんなんだから何時まで経ってもゴミ漁りしてる野良犬の匂いが取れないんだよ」


「敷きっぱなしの羽毛布団の匂いがする君に言われる筋合いは無いね。悔しかったらさっさと支払いを済ませて僕の所に直接文句を言いに来たらどうかな? いつも強運に恵まれてる君の事だ、テーブルの下でも覗いてみれば案外百ユーン玉でも落ちてるかもよ?」


「そんなんで足りるかぁ! 一体あたしが何を食べたと思って……あ、やったぁ! ケイの言った通りにしたら万札落ちてた、うん、これなら払えそ♪」


「ははは、君はそのまま喜びのあまりに一回昇天すると良いね、そのまま帰ってこなくてもいいよ、盆暮れもこっちに来れない様に事務所を閉めておくから」


 語尾に音符マークでもついてそうなくらいにはしゃぐイリスの声が携帯端末の向こうから聞こえやがった。嫌味で言ったのに本当に結果に繋がるあたり、いつもながらコイツの幸運はどこかおかしいと思うね。

 とにかく、喜び大絶頂の相方の電話をきり、端末をポケットへ、僕の方を見ていたオドレイが声をかけて来た。


「今の、お仕事のお仲間さんですか?」


「ああうん、この前会ったことあるだろ? 天使人の」


「ああ、イリスさんですね? とても可愛らしくて、明るくて、素敵な人でしたね」


「彼女の欠点を絶対に口にしない優しさを持ってるあたり君も十分に素敵だけどね」


「兄さん! 話をはぐらかさないで下さいっ!」


「はぐらかしてるつもりなんかないよ、照れ隠しとばれたくないならもう少し論理的に話題を変えようね」


 ついつい笑ってしまった。一方でオドレイは結構怒っているらしく、可愛らしく頬を膨らませたまま話を続ける。


「とにかく、仕事の話だったんですか? 兄さん」


「うん? いや、仕事では無いよ、それより面倒くさいことを言ってきたから切ってやっただけだし、そっちももう解決してるみたいでね。だから僕もここでこうしてゆっくりとお茶を愉しんでる」


「そうですか……良かった」


 オドレイが溜め息をつく。


「良かった、何がだい?」


 実の所、オドレイが何を言いたいのかは解っている、それでも聞かずには居られなかった。理由は……正直な所僕自身にもよく解らない。

 オドレイは本当に安心したみたいで、いちど深い息を吐き出してから、こっちに向かって微笑みを投げかけた。


「だって、私の目の前でケイ兄さんがお仕事にいっちゃったら、私、泣いちゃうかもしれないじゃないですか」


 ごめん、訂正。僕は解ったつもりになってただけみたいだ。オドレイの口から出た言葉は、僕の予想とは少し違う物だった。


 静かな僕に対して、オドレイがそのまま言葉を続ける。


「ケイ兄さんがどんなお仕事で私たちにお金を送ってくれてるか、私たちに詳しく話してくれたこと、在りませんよね? だけど……私達だってこの町で生きてる人間ですし、お馬鹿さんでもありません。何となく、理解はしてます」


「……そうか、少し、がっかりさせたかな?」


 概ね当初の予想通りの言葉が漸く出て来た。ショックを受ける様な事も無く、布に水がしみこむみたいに自然に言葉を飲み込んで、返す。

 僕は、魔術師ギルド内部ウィザードセキュリティサービスに籍を置く魔道猟兵だ。


 唯の魔術師なら、社会の発展に繋がる重要な職業であり何の問題も無い。

胸をはって生きていく事も出来るのかもしれないが、その後に続く猟兵の二文字が、そこに影を指している。

 簡単に言えば便利屋だ。魔術と身体能力を駆使して、何処かの魔法使いが作った『失敗作』や魔法を使う犯罪人を殺したり、民間人に端金でこき使われるのが今の僕の仕事である。


 当然、人殺しが商売の半分なのだから社会の中の信用度も低く、尊敬する人も結構いるけど蛇蝎の様に嫌う人もまた多い、安定した給料や生活なんて臨める訳がないし、それどころか明日には死んでる可能性だって高い。少なくとも、人に胸を張って良い仕事であるとは僕には思えない。

 だからこそ、意地悪な質問をしてしまった。彼女が優しい少女である事は知っている。だから、僕を否定できない事を僕自身も理解している。


「いいえ、全然。だって、兄さんは兄さんですから」


 オドレイがにっこりと微笑む、だけど少し無理をしている事が解るくらいには、僕たちの付き合いは長い。


「私たちは兄さんがどんな人か、知ってますから、兄さんの職業が何であろうと私たちは兄さんを嫌いになったりしません。

 ただ……ただ、私たちは、兄さんに危ない目にあってほしくないだけです。兄さんの流した血でお腹いっぱいご飯を食べるなら、兄さんの流した汗で、少ないご飯を分け合う方が、幸せだってことだけは、覚えておいて下さいね」


 オドレイが言葉を切る、僕も何も言わない。というか、胸が痛くて何も言えない。


「私、本当を言えば止めたいし、兄さんにも、そういう生き方は止めてほしいんです……だけど、泣いて、叫んで、兄さんに戦ってほしくないって言った時に、兄さんが全部……ここの事も捨てて何処かに行ってしまうかもって思うと、怖いんです。

 嫌われても、離れ離れになっても、それでも生きてて欲しいって、言い切る強さを持てないんです。

 こんな卑怯者で、ごめんなさい。」


 顔を押さえて、オドレイが謝罪する。涙は無かったけど、きっと彼女にとっては泣きたくなるほど辛いのだろう。


 ここの皆は、例外なく「家族を失う」事がどんな事かを身をもって経験している。

 ……それを解っていても、こうやって命を捨てるような生き方をする僕の方こそ、どうしようもなく酷い奴なんだろう。


「僕の質問はちょっとズルかったね、オドレイ。ごめんよ」


 手を伸ばしてオドレイの頭を撫でてやる。オドレイが気恥ずかしさと安心で顔を上げる。そこに致命的な隙ができた。


「でもてい!」


「痛っ!」


 僕のデコピンが華麗にヒット。前衛職の僕でも『痛い』で済ませるデコピンは、ここの子供たちに食らわせるために開発した秘密兵器だったけど、まさか悪ガキ軍団より先にオドレイに見舞うハメになるとは……


「な! 何するんですかいきなり! 酷いですよ兄さ~~ん」


 先ほどとは意味合いの違う涙目で、オドレイが僕を睨む。だけど全然気にならない、悪いのはオドレイだし。


「ん? だってオドレイ、酷い事言うからさ。どんなことがあったって、キミに何を言われたって、僕がここを捨てて出ていくわけないだろ?」


「いえ……兄さんならそういうとは思いましたけど」


 おでこに皺をよせ、困り顔のオドレイ。


「それに、僕がそう簡単に死ぬわけないだろ? オドレイだって僕がどれくらい強いか、知ってるでしょ?」


「むぅ……それとこれとは話が別です、兄さん! もう、そういう事ばっかり言うひとは『めっ!』ですよ、『めっ!』」


 さっきのお返しとばかりに、額を指で一突きされた。痛くは無いけど無意識にさすってしまう。


「おいおい……僕は孤児院の子供かよ」


「他人に意地悪する人に年齢は関係ありません、『めっ!』なものは『めっ!』です」


 すまし顔で背筋を伸ばし、オドレイがきっぱりと言い切る。 

 沈黙。しかしそれも長くは持たず、どちらともなく笑みがこぼれ、それはすぐに二人揃っての大笑に変貌する。

 僕はともかくオドレイが大笑いするという珍しい光景に、子供たちも部屋に入ってきて、理由も解らず一緒に騒ぐ。

 目じりに浮いた涙を拭い、思う。

 やっぱり偶に、帰ってこよう。ここは、僕の癒しの場所だ。


 そのまま子供たちと少し遊び、寝かしつけるところまでやってからそっと外に移動する。玄関まで僕を見送りに来てくれたオドレイが、静かに僕に問いかけた。


「泊っていかないんですか、兄さん。久しぶりにみんな楽しそうだったし、明日の朝でもいいんじゃないでしょうか?」


 とっても魅力的な提案だ。僕もそうしようかな、と思ったけど、事件の情報や解析結果が出ているかもしれない。一度情報を整理しに、自宅に戻っておくべきだろう。


「ごめんね。僕、実はサラリーマンでさ、書類がまだ片付いて無いんだよね」


 振り返って笑顔を見せる。オドレイもくすりと小さな笑みを零してから、小さく手を振って僕を送り出してくれた。

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