成すべき事を、言霊に変えて

一瞬の気絶、もしくは臨死体験。

 だけど、それも何とか終わった。消えかけていた景色を、ようやく僕の脳が認識する。


 べィは最初に奴が居たポンプ上へ、もう一度アイの形に群れ集い、体の質量差から余ってしまった虫たちを従えて、僕達を見下ろしていた。


 震える手で懐をあさる。魔法薬を詰めた小さなアンプルが砕けてない事に感謝し、先を折って二本目を摂取。薬効がたちどころに現れて、全身から過剰破壊と過剰再生に悲鳴を上げる。


 激痛と薬効、蠢く悪魔の肉に混じり、体の奥に違和感。こんな無茶には耐えられないと、体が繋ぎ目から解けていく感触が気持ち悪い。

 ……ああ、これはマズいな。早く決着を付けないと。


「かはっ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 薬品で急速再生しているとはいえ。以前重症の体が重く、口からは荒い呼吸が漏れる。

まだ脇腹は大きく抉られてるし、右肩の骨は砕けて腕が上がらない……まぁ、根元から千切れて無いだけ幸運と言えるのかもしれないけど。

 対して運に恵まれなかった左足は脛位の場所から千切れて無くなっており、赤黒い肉が新しい足になろうと傷口から伸びている。

 直接見えないし、見たら心がへし折れるから見たくないけど、十字に切り裂かれた背中の傷もやばいんだろう、何故ならさっきから僕の脳に警告しか送ってこない。


「どぉ? いつも通りみすぼらしいから解らないんだけど、平気?」


 僕の隣にイリスが降りる。

エーテルで織られた戦闘服には血が滲み、地面から僅かに浮いた足元に、ぽたぽたと赤い滴が落ちる。

 吐血と鼻血で真っ赤に染まった顔の下半分が痛々しい。先程杖を構えていた右腕は虫に蝕まれて肉を失い、見える範囲は半分骨になっている。

 装備の方を見れば、腰に用意されていた予備の珠晶石が残り二個になっており、魔杖も過剰演算オーバードライブとダメージで煙を上げている。魔術で保護されている筈のEパッドも液晶に大きな罅が入っていた。


「平気に見えるなら、脳味噌と目玉をどうにかする為に、今すぐ首をすげ変える事をお勧めするね。今ならアイツが簡単に首から上を吹き飛ばしてくれると思うよ?」


 憎まれ口が叩ける程度までは回復したとはいえ、返す僕も結構まずい。

 自己診断の結果、奇跡的に頭が砕ける事は無かったものの、奴の超剛力で床に叩きつけられた頭部は兜が割れ、その下で守られていた頭蓋骨に罅が入っている。

 さんざん切り刻まれた全身の出血も酷く、せっかく踏みとどまったのに、またすぐに貧血で倒れそうだ。


「ですよねー。こっちもちょっとキツいかも。内蔵ガタガタだし、手足も上手く動かない……体は頭さえ何とかなれば大丈夫な後衛だから良いとして、魔力がそろそろ限界近いのが致命的かな」


 イリスが咳き込む。赤い液体がボトボト落ちる。


「君、もしかしなくても呼吸器系までやられてる? 頭が無事なら的な事言ってたけど頭も無事じゃ無いじゃん。あはは、コレは本格的に拙そうだ」


 消化器官系は痛みを消し、出血と傷口を術式で無理矢理塞げばある程度戦える。もちろん無茶すれば死ぬけど、ごまかすのはそれほど難しい話じゃ無い。現に僕も腸抉られたのを現在進行形で誤魔化している。

 しかし、呼吸器系と脳は別だ。術式を操作する脳が潰されたら問答無用で死ぬし、その脳に動力源である酸素を送る呼吸器が潰されても同様だ。

 多少の傷なら治癒術式の一発で塞ぐことができるけど……。


「あはは、恥ずかしながら、さっき殴られた時に肋骨やってて、逃げるときの爆発で肺にグサっとキちゃった」


 貧血の頭からさらに血の気が引いた。いやいやいやいやイリスさん! そんな僕の表情見て「心配しなくていーよ」できなにこっとかやってる場合じゃないでしょ!

 こっちの心配してる場合じゃないよね? 理解してるよね?

 驚いた。何で死んで無い……というか意識があって動き回れるのこの人? 聖域の加護は僕が理解しているよりも凄い物みたいだ。


「はい最悪ー。可愛らしく笑ってとんでもないこと言うね、君。前衛の僕と違って『肉体変化:適応ボル・モルフェ:エルヴォ』使えないんだから外科的に骨取らないと治らないじゃん」


「うん、おしゃべりは楽しいけど、呼吸がちょっとつらいかも……」


 となると、治癒魔術で治すのも時間かかるんだろうなぁ……

 僕も僕で治癒魔術は使えるけど、あくまで自分に掛ける物がメインで、他人にかける方はそれほど得意じゃ無い。こんな大怪我を戦闘中にとか論外だ。


「で? さっきの質問に応えてくれる? キミの方はどうかな?」


「僕かい? べィの攻撃どころか、君にビンタされても脳味噌が崩れて死ねるかもしれないね。とはいえ、治癒力も防御力も君より高いぶんだけマシだよ。前衛の特権だね」


 言ってる傍から無意識下の治癒術式が効いてきて、足りなくなっていた血液の方はマシになって来た。頭を一回切り替えて、イリスの腕と肺の応急処置に魔力を回す。

 骨になった彼女の右腕に筋肉が付き、白い皮膚が覆っていくのは見えた。イリスがぎこちなく指を動かし、とりあえず使える事を示してくれた。肺はどうかな? 少しはマシになってくれるといいんだけど……。


「作戦会議は終了か? ならば一つ、聞いて良いかな?」


 僕達の遥か上、ポンプに腰掛けた悪魔が僕らを見下ろしながら口を開く。


「何だい? 待っててくれたことに対する感謝の印に、昔好きだった人とかプライベートな質問じゃ無ければ答えてあげるよ?」


 コイツが話好きで本当に助かった……。僕の回復魔法が効果を発揮するまでの間、無駄話は大いに歓迎だ。


「あ、それわたしが気になるかも!」


「ノーコメントだよ、そのまま出血多量と酸欠で死んでくれ」


 隣から響く相棒の声にしっかり返事をする。くっだらないコントも当然時間稼ぎである。特にこの蠅はこういう無駄話好きそうだし。


「はっははは、余も結構気になるな? 教えてみろ、その通りの姿になってやるし、なんだったら戯れに抱かれてやっても良いぞ?」


「冗談、蠅を愛する程飢えて無いよ、生まれ変わってから出直したら?」


「蠅を愛さない……か。そういう割に家の流し台にウジわいてるの放置してるよね?」


「君はどうしてそう簡単にロクでも無いモノ見つけて暴露するかなぁ!」


 いけない! 殴りたい! 隣の相棒を今この場で全力で殴りたいっ!

 て言うか何でコイツ家のシンクの現状を知ってるんだよ!


「はっはははははははっ! 本っ当! 面白いなぁ貴様らは! それが人生最後の会話になるやもしれぬのに、よくもまぁここまで余を笑わせてくれるものだ。

まぁそこの天使には悪いが、余の聞きたい事はそれでは無い、戯言はここで終りにしようか」


 まぁ良い感じに時間は稼げたかな? おい僕の隣っ! 心底残念そうな顔すんなっ! 『そこはもっと突っ込めよ!』って敵に目で訴えんな!


「貴様ら、力の差は理解できたろう。何故下がらない? 今退けば余の眷族は止められないだろうが、命は永らえよう。なんだったら軍勢をひきつれて余に一矢報いるもまた可能な筈、それをしないのは何故かな?」


 つまらない質問だな。答えるけどさ。


「理由は二つ。一つ目は、僕達が今の内に処理をしないと、アイを助け出す事は出来ない。

 何処かの誰かが君を叩き潰す事に成功しても、事件が此処まで進行してしまったら彼女はもう巻き込まれた被害者じゃ居られない。

 僕はね、君のことは心底どうでも良いんだよ。僕はただ『約束の為にアイを助け る』、それだけが目標なんだ。それが出来るのが僕らだけなんだから、僕らがやらなきゃどうするんだい?」


 そう、街を助けるだけだったら、僕じゃ無くてもできる。

 僕は唯の十把一絡げの魔法使いだ。現在系で一緒に戦ってるイリスはとにかくとして、オドレイやノインちゃん、ラッセルやフィオナ……この街と、僕が守りたい形ある物は、僕じゃない皆でも守れるし、護ってくれる。

 だけど、僕の約束は。その先に居る少女は。僕が傷つけてしまったあの子は。僕じゃないと守れない。

 僕のせいで全ての歯車が狂ってしまったのなら、僕が何とかするのは当然だ。


「その為に死ぬとしても? 圧倒的な力を見せつけられて尚、なのか?」


 ぷっ……。

 場違いな僕の反応に、イリスがちょっと心配そうな視線をこっちに向けてきた。

 だけど許してほしい。というか、マズい、ちょっと我慢できそうにない。


「あはははははははははははははははははははっ! 君、散々僕らの事を面白言って言って馬鹿にしてくれたよね? 僕から言わせれば君の言う事も滑稽で笑えるね」


 この雰囲気と、血まみれの全身に見合わない笑いが漏れる。マズい、傍から見たら完全に異常者なんだけど、クスリの過剰摂取オーバードーズと全身の激痛、繰り返される大量出血と大量造血で軽くトンじゃった頭が、笑いを止めてくれない。


 僕を見下ろすべィの顔にも困惑が見える。おそらくこんな答え、予想してなかったんだろう。もしかしたら、僕が狂ったとさえ思ったかもしれない。

 だけど笑っちゃったものは仕方ない。目の端に浮かぶ涙を拭いつつ、こいつの問いかけに答えてやる。

 しょうがない、しばらく付き合ってしたくも無い自分語りをしてやるよ、蠅。


「良いかい? さっきも言ったように、僕は君の事なんか『心底』『どうでも』『いい』んだよ。この意味、解るかい?」


 真っ直ぐにアイの顔をした、アイでは無い物を見据える。その目にはもう笑みは無く、僕の事を真っ直ぐに見下ろしていた。


「僕がこんな臭い下水道で、血まみれになってる理由はただ一つ、そこにアイが居るからだ。お前じゃない」


 断言する。自分で考えてみてもイカれている。誰か一人……それも他人の為に自らの命を投げ出すなんて、まっとうな人間が言う事じゃない。

 だけど悲しいかな、僕はきっと、あの時ぶっ壊れてまだ直ってないんだ。


「あの時、僕はアイを裏切って光を得た。僕はあそこでは無力だった……何せ、ただの人だったからね。だからこそ、同じ苦しみを持って、同じ十字架を背負うと約束した筈のアイの手を自分から離したあの日、あの瞬間が、僕は一瞬たりとも忘れられなかった。あの時程の怖さを、絶望したアイの顔を見た時程の後悔を僕はいまだに知らないでいる」


 自分でも驚くほど、静かな告白。べィもイリスも、静かに僕の言葉を聞いていた。


「そして……僕の地獄が始まった。アイを裏切って手に入れた世界は、とても眩しくて、暖かかったんだ。一歩踏み出して外に出た世界では、こんな僕でも、僕だけの居場所があって救われた。隣に立ってくれる人が居た。

 …………世界はしあわせで、あふれていたんだ」


 だけど……その暖かさは、悪魔にとっての呪いだった。光を浴びるたび、心の暗い部分が焼き尽くされる思いだった。

 アイも、この光を受け取れるはずだったのだと。

 アイから光を奪い取ったのは、一人分の居場所を掠め取ってぬくぬくしているのは僕なのだと、楽しい事があるたびに、心の中で傷が開いていった。

 決して閉じない心の出血。だから僕は、自分の居場所にいるのが怖くて、どこにも根を下ろせなかった。

 この呪いを解きたくて、僕はずっとずっと、足掻き続けてた!


「今、こんな僕ですら一人じゃ無い! だから……だからアイの隣りにだって、いつか必ず、打算や利用じゃ無い、優しい誰かが居てくれる! それだけを、僕は信じたい」


 僕は……弱い。

 ずっとずっと、アイを心の傷にした。僕のこの弱さが、今までずっと、アイを呪いに変えてしまっていた。

 その呪縛を断ち切れるのは、今しかない。

 その呪縛を断ち切るには、今度こそアイを救うしかない。


「だから僕は、アイに光を見せてやりたい。光の中で生きたアイが、それでもお前と結託して、世界を飲み込みたいと言ったなら……きっとその時には、僕には止める権利すらなかっただろう。でもお前は違う、お前は……お前は」


 利用されるだけ利用された。小さな女の子。

 腐臭の染みついた、小さくボロボロの体。体を蟲に侵され、時折来る苦しみに耐える日々。そして、それを幸せと思ってしまう、狂いきった生の歯車。

 その全てを、加担者の一人である僕だけは許す訳にも、同情する訳にもいかない!


「お前は……アイを穴蔵から出しただけで、光を見せなかった。あの子に光を見せないなら、お前の役割は終わりなんだ。役割を終えた役者に、誰も興味なんて示すハズないだろ? 後は僕の仕事なんだから、舞台袖にとっとと消えてくれ」


 静かに、だけど決意を持って、僕はまっすぐにべィを睨みつける。

愚者達ぼくらの視線のその先で、ゆっくりと悪魔が口を開いた。


「貴様に一つ問う。貴様の嘯く光への希望、それは本心か? 過ちへの償いだけではなく、未来に希望があるからこそ、貴様は主に手を伸ばすと? そのその為に、その命を燃やし尽くすと?」


 解り切った問。きっと悪魔の答えを知っている。

 だから僕は、その答えをそのまま返す。


「僕はもう二度と諦めない! 手を差し伸べる事を止めない! 繋がろうとする心が、僕らが、人間が、誰かを助けたいと思う心が、光を願う魂が燃え尽きる事は決してない!

 一歩、たった一歩でアイは光の中に行くことができる。なら、そのたった一歩は、僕の全てを懸けるに足りる」


 静かな宣戦布告。僕の青臭くて後ろ向きの決意に、べィ・ルゥ・ジィが今までとは何かが違う。小さく優しい微笑みで応えた。


「地獄の様なこの世で生き、同胞たる知恵ある生物の醜きを見て尚、血を吐くように叫ばれるその希望、その思い、その祈り……群れなす弱者たる余は尊重しよう。

 賛辞を受け取れ。余がこの世界に来る呼び声の主が……そして、余がこの世界に根を下ろし、最初に相対する『敵』が貴様で良かった。

貴様の肉を喰らって生まれる余の眷族は、貴様を取り込む事により余が得る力は、真に強大な物となるだろう」


その宣告を持って、謁見が終わった。

 足の具合を見る。最優先にしただけあって動けそうだ。揺れまくっていた脳味噌も今ので活気が戻った。肩も大丈夫、これでまた剣を振れる。

 隣に視線をやる。僕の回した回復魔法が効いてきたらしく。さっきよりもだいぶ良くなった顔色で、相棒が力強く頷いてくれた。

 その微笑みに、力が宿る。

 だから僕も視線を戻し、いつも通りの表情で敵と相対した。


「それにね、僕が君に向かうのは、さっきも言った通りもう一つの理由がある……」


「ほほぅ? 今以上のか? 許す、言ってみろ」


 僕の口元に、自然に笑み。


「勝てるから、さ」


 宣戦布告に、ベィも先程までの、愉しげで挑発的な笑みを取り戻す。


「やってみろ! 『人間』っ!」

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