第30話 アンドロイドは街の外を目指す

 老夫婦と別れて元の地下通路に戻ると、アランは足を止めて私を振り返った。


「ご足労をおかけいたしました」

「いえ」

「それと、もう一つお詫びせねばなりません。……失礼いたします」


 アランは頭を下げると私の右手を取った。

 握手するように握られた手の甲を上に向けると、アランは親指の腹で手の甲を撫でた。と、ミクロン単位の薄い皮膜が手の甲から剥がれた。

 視界をマイクロスコープに切り替えると、ごく薄いその皮膜に組み込まれたアンテナを確認することができる。

 それが非接触型のICタグだとすぐ知れた。

 最近は体温程度の熱エネルギーで発信可能なマイクロチップが主流になって、使われなくなった技術だが、観光星やレジャーランドなどの娯楽施設ではいまだ利用されている。

 入星の際に手の甲に塗布するだけでよく、IDカードなどを携帯しなければならない不便さがない。

 通常の入浴などでは消えず落ちず、どこに誰がいるのかを的確に把握できる。

 だから自分の居場所も的確に捕捉されていたのだ、と気がついた。

 ユニオンのピアスじゃなかったのだ。

 私はポケットの上からピアスを確かめる。すりかえられたピアスは、では何のために。


「申し訳ありません。祖父の店であなたに握手した際、こっそりはりつけたそうです。おかげで先程はあなたの位置を即特定できましたが……本来は同意がなければ使用してはならないものです」


 離された右手の甲を撫でる。何の違和感も感じていなかった。

 非接触型のICタグなら、こちらが電波を発するわけではない。

 街の至るところにリーダーが仕掛けられているのは気がついていた。

 どこにいても同様の発信を感知していて、あまりにノイズがひどいからとフィルタリングしていたのだ。

 だから、自分の体からそれに応じる反射波が出ていても全く気がついていなかった。


「いえ、おかげで助けられたのです。謝る必要はありません。これが私の信号だと知っているのはご夫婦とアランさん、あなただけですか?」

「いえ……」


 アランは言葉をにごす。

 誰のIDだと分からないものがネットワーク上に現われれば注目されるのは当然だろう。入星管理システムの管理者には不明なIDとしてマークされているに違いない。

 当局から追跡されていないとも限らない。


「そうですか。では、あのお二方にはご迷惑をかけることになりませんか?」

「ああ、それは大丈夫です。地下にはリーダーはありません。店の地下にもありませんから」


 先ほどのはやはり店の地下だったのか。コーヒーの匂いがしていたからそうだろうとは思っていた。ということはかなり王城に近いところにいることになる。


「では、急ぎましょう」


 薄い皮膜を炎で燃やしてアランは顔を上げた。


「周囲を包囲していた連中がそろそろ気づく頃です」

「分かりました」


 ネットワークは切れていてリアルタイムの情報は届かない。地上であふれていた電波ノイズも一切ない。早足で歩く二つの足音だけが地下に響く。

 アランは時折後ろを確かめるようにちらりと視線を送ってくる。

 早足で歩きながら、私は前を行くアランの背に声をかけた。


「あなたは軍関係者なのですか?」

「いえ、違います」

「そうですか。では、私の顔に賞金がかかっているのをご存知ですか」

「ええ。……存じています」

「だれがかけたのか、ご存知ありませんか」

「申し訳ありません、ブラックネットの運営母体は公開されていないのです。さらに誰がかけたものかという情報も、秘匿事項とされていて決して公開されません。公的権力を使っても知ることはできませんでした」

「では……問い合わせはされたのですね」


 私の言葉にアランは口をつぐんだ。

 今の言葉は、アランが公的権力を使える側に立つ者である可能性をほのめかしたことに気がついたのだろう。


「あなたが何者なのか、私は知りません。あなたがなぜここにいるのかも知りません。ただ、あなたがあの方でないことを知っているだけです」

「あなたはハーシェル王子をよくご存知なのですね」


 アランの息を呑む音が聞こえた。

 名を口にすること自体を自粛するほどに彼の名は禁忌タブーなのだろう。

 あの老夫婦はホウヅカ最後の王と懇意にしていた。子や孫も同じように交流があったとしてもおかしくはない。


「私が二年前のあの時、この星に降り立っていたらどうなっていたのでしょうね」

「……あなたは高精度アンドロイド、でしたね」


 アランの声に動揺が現れる。


「ええ、そうです。高精度アンドロイドについてはご存知ですか?」

「一応知識として一通りは」

「では、記憶や人格の刷り込みは起動前に行われることはご存知ですね?」

「……ええ」

「私が起動されたのは、ラボを出て運び屋であるミオに引き渡された時です」

「え?」


 アランは足を止めて振り返った。


「それでは、人格や記憶の移植はラボですでに行われていたのですか?」


 目を瞬かせるアランの顔を見つめて、私はほんの少しだけ笑みを浮かべ、首を横に振った。


「極秘で注文されたものだったのでしょう。記憶と人格については納品後に行うと注文書には書かれていました」

「バカな。そんな装置、この星にあるはずが……。それにラボで起動してしまっては人格も記憶も入らない」

「ええ、だから私は空っぽだったのです。……時間がないのですよね、歩きながら話しましょう」


 アランは驚きを隠せないままの顔でうなずき、足を踏み出した。


「……祖父母から話は聞いていましたが、いまだに信じられません。実のところ、あなたの中には彼の記憶があるのだろうと思っていました」

「でも、あなたには私がハーシェル王子でないことはひと目で分かるのでしょう?」


 ふたたび足を止めたアランはわたしを振り返り、じっと見つめ、やがてうなずいた。


「ええ、私にはわかります。ですが、一般の国民にはわからないでしょう。……二年前、あなたが作られたことを知った時にはショックを受けましたよ」


 それだけ言うとアランは背を向け、再び歩き始める。

 アランは二年前、私が作られたことを知っていた。

 私が受取拒否のキャンセルを食らったということと、その際の代理人と名乗る人物との通信でのやり取りの記録レコードしか私は知らない。

 いまさらながら、当時の記録データを再生する。ミオの後ろに立った状態で見た内容の記録で、当時から今に至るまで私の立ち位置は変わっていないのだなと苦笑する。

 その記録の中に、私についての詮索をしないこと、という言葉キーワードがあったことを私は記録している。

 だから、ミオは私に言ったのだ。――無駄なことはするな、と。

 こんな形で自分がなるはずだった自分を調べる羽目になろうとは思っていなかった。

 普段から目の前にあった情報を、今になって理解し分析しているのだ。どれも古い情報であるにもかかわらず、今の私には目新しかった。

 王子の影武者が作られていたことについては、ミオに対して口止めを行い、全ての関係者には箝口令が敷かれただろうことが記録から読み取れた。

 関係者でなければ知らないはずのことを、彼は二年前の時点で知っていた。

 軍関係者でないという彼の申告を信じるならば、アランはハーシェル王子の比較的近い場所にいたか、注文者の側にいたのだろうということが推測できる。


「アランさん、ハーシェル王子という方は、どういう方でしたか?」

「アランと呼び捨ててください。詳しくは存じません。優しい方だったと聞いております」


 それは、公的な立場での言葉だろう。ハーシェル王子と私を見て判別できる人間が、伝聞でしか彼を知らないはずがない。


「そうですか。私が見聞きした限りでは、冷静沈着で綿密な計画の立てられる、頭のよい方だと認識しております」

「……会ったことがあるんですか?」

「いいえ。……ハーシェル王子を知る方の言葉から推測したまでです。さらに言えば、彼を軟禁していた方たち、ですけれどね」


 アランはまた足を止め、振り向いた。その表情は、驚きよりも怒りの要素が強かった。


「……そいつらに何かされたんですか」

「いえ。幸いなことに」

「そうですか。……もしまた彼らと接触することがあれば、知らせてください」

「それはなぜですか?」

「……個人的にぶちのめしに行くためです」


 アランの言葉を百パーセント信用しているわけではないが、彼の怒りは本物のようだ。驚きながらも私は素直にうなずくと通信方法を交換した。


「本当のハーシェル王子なら、こういう時どうするでしょうね」

「こういう時、とは?」


 再び歩きながら話を続ける。


「幽閉され、王系譜からも抹消され、国民からもいない存在として扱われている状態で、追い打ちのように賞金首として国民から追われていることです」


 しばらく沈黙した後、アランは答えを口にした。


「わかりません。存在しないことになっていますから、怒って顔を出すこともできないでしょう。それでも、騒動になっていることには心を痛めるのではないでしょうか」

「それから?」

「騒動を終わらせるにはどうしたらいいか、を考えるのではないでしょうか」

「なるほど。……アラン、あなたの知るハーシェル王子なら、何をしますか?」

「……賞金首になった原因をつぶしにいくでしょうね」

「たとえば、自分が幽閉場所から脱走したことによって賞金首となったのだとしたら?」


 長い沈黙が続いた。そして、絞り出すように答えを口にした。


「もし、国内の騒動を収められるのであれば、戻るでしょう」

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