第6話 アンドロイドはオーナーを追う
警戒しながらエアロックから通路に出る。
実際に目にしている光景とモニターの画像の間に乱れも相違もない。他の監視カメラからの映像も船内センサーも、私と老師以外の人間の反応はない。
「どういうことじゃ?」
「船の記録が改ざんされています。老師が現れた際に私が見ていた監視カメラの映像が消えていますし、それ以降のデータが一切残っていません。私が再起動したあとに遭遇したはずの複数の人間の記録もありません。抹消したという痕跡も残っていませんが、私の体内記録と明らかな齟齬がありますから間違いありません。船内の記録として残っているのは、私が船の制御を取り戻して以降のものだけです」
コックピットに向かいながら、積み込んだはずの物資のリストを確認する。今回はホウヅカ行きの超特急便だけで、他の配達品を載せていないのが不幸中の幸いだ。
「ふむ。しかし、複数の賊が乗り込んだのは間違いない。わしはお前さんの応答がなくなったあと、船外で拘束され、引きずり込まれたからのう。修理用アンドロイドの乗船記録もないか?」
「ありません。綺麗さっぱり。老師からの乗船要請も残っていません」
「なるほどのう。わしらをエアロックに放り込んだのも、最初から計算づくだったんじゃろうの」
コックピットは最後に残っている
だが、メインモニターに映る映像は違っていた。
「こりゃ、宙港から出ちまってるじゃあないか」
「……確認します」
船外カメラに切り替える。闇と無数の星に埋め尽くされた画面の下半分に、恒星からの光を受けた銀の地表とその向こうに輝く衛星が見える。
道理で、宙港ネットワークの信号が弱かったわけだ。
「センターに問い合わせたところ、私が離床の申請をしたそうです。記録も残っていました」
もともと離床してミオからの連絡を待つつもりだったので、待機ポイントもすでに登録済みだったのだ。それを逆手に取られたのだろう。まさにそのポイントに船は停泊していた。
「映像が残っていたのか?」
「ええ。見せてもらいました。緊急度Aで問い合わせたため、この船が襲撃を受けたと勘違いされました。本人確認までされました」
「そうか」
コックピットの録画データを引っ張り出してみたものの、老師と更新していた時間の録画もない。修復を試みてみたが、どれも失敗に終わった。
最初にブラックアウトしたのが何によるものだったかを知ることもできなくなった。単純な物理衝撃であればよいのだが、それ以外の手法によるブラックアウトだった場合、このボディに何らかの悪影響が残っていないとも限らない。
一応セルフチェックは終わっている。問題はなかったのだが、チェック対象外の部分は自力では分からない。
「ゼン老師、あの御仁はどなたですか。ご存知のようでしたが」
「知らん。捕まってすぐお前さんのことを聞かれただけじゃ」
「それで私が納得するとお思いですか?」
船内環境を再チェック。センサーがことごとく騙されているのでなければ、この船にはもう誰もいない。
「ではもう一つ。一連の通話内容から考察するに、老師は私が拘束された理由をご存知のはずです。この船が襲われた本当の理由は私にあるとお考えですよね。それはなぜですか」
「知らん。知りたいなら自分で調べるとよかろう。それ自体は禁止されておらんだろう? それより何か飲むものをくれんか。長時間閉じ込められて喉が乾いたわい」
与圧服から抜け出して、老師は家探しを始めた。
「自分が何者になるはずであったかを考察するのは時間の無駄であり、禁止されています。……老師、ドリンク類ならキッチンにしかありませんが」
「それそのものが今回の件の肝であったとしても、見てみぬふりをするか? 放置すればミオにも無関係なことではあるまいに。……おお、あったあった」
天井のパネルを開いてゴソゴソ家捜ししていた老師が顔を出す。その手には見覚えのない銀の小瓶が握られている。
「妙なものをそんなところに隠しておかないでください。飛行中に何かあったら困ります」
「固いことを言うな。老人の楽しみじゃ。お前もやるか?」
念のため、差し出された瓶を手にとって蓋部分を開けると、かすかにアルコール臭がした。濃縮タイプのタブレットだ。老師の作業所に転がっているのを見たことがある。
「さて、どうする? これから」
「私の内蔵時計では、老師とモニター越しに会話してから六時間三十九分が経過しています」
「ということは、地上ではぼちぼいtお茶の時間か。残念じゃの、鷲の船ならば極上のタルトで美味い酒が飲めたというに」
「残念ながらこの船にはありません。コーヒーならば常備しておりますが」
「コーヒーは好かん。まあ、ブランデーを落とせば飲まんこともないがの」
開いている席に座り、老師はタブレットを口に放り込んだ。
「ま、船の上では期待はせんよ。それにそんな余裕はないわな。どうする。ミオを迎えに降りるか?」
全てが老師のしかけた罠だという可能性は拭えない。何一つ、痕跡の一つも残っていないのは、本当に何もなかったのではないか。
今も老師の紡いだ仮想世界の中にいるという可能性すら、否定できない。
だが、それならばむしろ、その間の記録や映像がないなどと手の込んだことをする必要がない。
私がブラックアウトしたのは紛れもない事実だ。
記録のブランクは内蔵時計のそれと一致する。
「そういえば、骨董品のチェスボードはどうしました?」
「奪われてしもうた。今時珍しいスタンドアローンなシステムのボードじゃったんじゃがなあ。展開したところは見たかの?」
「いえ、その前で記録が途切れています」
老師は残念そうにため息をつくと首を振った。
「そうか……それは惜しかったのう。鷲の船に戻れば映像が残っとる。後で見せてやるわい」
「ありがとうございます」
今を現実と考えるのが妥当だ。その上で、最善の策を考える。
謎がいくつかある。
まずは老師の出現。
本人の主張を容れたとしても、この船に来たのは老師の意図によるものと思われる。この船、または私が襲われることを知った上での行動だった可能性はある。
次に襲撃者。
私を拘束した人物――確か将軍と呼ばれていたが――とモニターの向こうにいた人物――こちらはオメガと仮称しよう――の主張が食い違う点。
将軍は私をとある人物――アルファと仮称する――と誤認し、ホウヅカに連れ戻すのが目的だったと思われる。
侵入した手口は手慣れた風で、しかし当局のもつ情報全てにはアクセスできていない。ということはホウヅカ当局の関係者ではないと判断できる。
少なくとも複数の人数を釣れていた。足音だけで七、八人程度。
次にオメガ。こちらは情報が少なすぎる。
行動の結果からは、私の確認と、私の所有にまつわるデータファイルの奪取が目的と思われる。なにより、私をオリジナルと称した。
確認したが、あの2つのファイルは船のデータストレージ内から確かに消えていた。
私自身もターゲットにしていたが、話の内容から類推するに、星に連れ戻し、監禁するためではなく、利用するためだったと判断できる。
その意味合いでは目的が真逆なのだ。将軍の一派が侵入して私を拘束、その後エアロックで監禁されている短時間のうちにオメガにより将軍は駆逐された、というのが仮説だ。
「時に、この船が宇宙に上がってからどれぐらい経つ?」
老師の言葉に記録をたぐる。宙港の記録にある離床時間は六時間三十分前。
――六時間三十分?
私がブラックアウトしてすぐ、この船は離床したことになる。
将軍が最初に侵入したのであれば、離床などせずにそのまま私を船から降ろせば任務は完了したはずだ。
なのになぜ私の覚醒を待った? 意識を失っている間になぜエアロックに移動させなかった?
それとも、できなかったのか。
では、なぜ。
わざわざ私が目覚めるのを待っていたのだとしたら、そしてあの会話を聞かせようとしたのであれば……意味合いが全く違ってくるのではないか。
そこまで考えて、私は首を振った。
情報が圧倒的に足りない。
それよりも今は緊急でやらねばならないことがある。
「老師、ホウヅカに直接降りる方法はありますか」
途端に老師は目を剥いた。
「正気か? この船は大気中を飛ぶようにはできておらんのだぞ?」
もともと配達専用のこの船は、星間航行用に作られている。惑星に降りるには、大気圏降下用の小型艇『シュガーポット』に乗り換えるか、ホウヅカのように宙港で軌道エレベータの定期シャトルを利用するのが一般的だ。
「ええ、存じております。幸い、シュガーポットは手付かずで残されていますので」
「だが、無断で降下すると当局が黙っとらんぞ」
「覚悟の上です。それに、老師なら何かご存知かと」
私の言葉に老師は黙り込んだのち、ため息をついた。
「まあ、ないわけじゃない。荒っぽい手なんで、あまりお勧めはせんがの。……ミオを迎えに行くか?」
「はい。老師を安全な場所に降ろすことができませんが、ご希望があれば、大気圏突入前に救命ポットで打ち出すことは可能です」
通信席に座り、操船ネットワークに繋ぐ。感覚が船内の隅々に行き渡る。
老師は与圧服を着込み、体をシートに固定した。
「勘弁してくれい。こんな場所で打ち出されたら、救助される前にミイラになっちまう」
「では、この船をお願いします。うまく星から脱出してください。後でお伺いしますから」
老師の示したポイントを確認しながら、最適な墜落ルートのシミュレートを始める。
「無茶はするなよ」
その言葉は何に対してのものなのか、私には分からない。
船は大きく傾き始めた。
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