第二章 ミオの記憶
第7話 ミオは感嘆する
洛陽。
誰かが以前、こんな時間のことを『太陽の投げキス』と呼んでいたっけ。気障な言い回しをするもんよね、と思ったんだけど。
たなびく雲の隙間から、ゴールデンドロップばりの光の筋が全天に伸びる。その色彩が刻一刻と赤みを帯びてオレンジから朱色、赤から深い紅色へと変化していくさまを、瞬きも息の仕方も忘れて見つめる。
やがて闇が侵食してくると、紅から鈍い赤、濃灰色、闇一色に塗り潰される。
そしてようやくため息をついた。
人工の光でなく彩られる艷やかなショーの美しさを、言葉になんかできない。
計算され尽くした美とは違った……そう、生き生きとした美。
「……やっぱり来てよかった」
誰に言うともなくつぶやく。
うん、分かっている。こういうのは恋人同士で見るものだ。
王城の展望エリアはあたし以外全員そういう二人組だったし、実のところあたしもこの光景を誰かと分かち合いたかった。
せめてジョンが同行していれば。――そう考えかけてやめる。
彼がいれば記録係には最適だけど、思いを共有できるわけじゃない。
むしろ虚しくなっていただろう。
――ま、いっか。
片手に握ったお上りさん丸出しのカメラをぽんと叩いて微笑む。
あいつの欲しがってた映像は撮れたしね。そういう意味合いでは、一緒に見たと言えなくもないし。
サンドマンであいつと一緒に見るんだ。本物には敵わないけど、できるだけリアルな映像を撮りたかった。そのためにわざわざ3Dカメラ持ってきたんだもの。
それにしても。
階段に向かいながら、あちこち観察して回る。
誰でも入れるようにするのはいいとしても、この階段はなしにして欲しかったな。
人一人がすれ違えるギリギリの幅の螺旋階段。しかもセーフティーバーなし。
下を覗くとすっかり闇の世界になった奈落が口を開けている。内側を歩いてよろけたら闇に真っ逆さまだ。
伝統だかなんだか知らないけどオイルを燃やすタイプの照明は暗いし臭いし、足元がよく見えない。
懐中電灯の使用がなぜか禁止されてるとか、わけわかんない。
「せめて庭に直接降りられるエレベーターぐらいつけるべきよ」
と愚痴ったところで、恋人同士にはそれすらもイベントの一部なのだ。
ゆっくり歩く目の前のうざったい二人組たちが早く降りてくれることを期待しつつ、気を紛らわせるために周囲を眺める。
それにしてもまあ、王城の屋上なんてよく開放したもんだ。
王城に住んでいるって噂の王族は実際にはこちらじゃなくて、王城からは離れた森の中にある屋敷に住んでいるらしい。
でもその屋敷、ここから屋根が見えるのよね。
迫撃砲が打ち込めちゃう距離じゃない、なんてついつい危険箇所を確認してしまう。
職業病だわ。
それにこの王城、荷物チェックも金属探知も一切なし。曰く、上がってくる客の護衛たちを守るために、
六十年経って、王族とは名ばかりの存在のはずだ。
でも、実際には違うらしい。列に並んでいる人たちの会話の端々からも、王族への思慕や敬意が手に取るように分かる。
現に、つい二年ほど前に王族を担ぎ出そうとしたわけだし。
首謀者のホーデン公についてはまだ裁判中だとか、粛清済みだとか色々噂だけは飛び交っているらしい。でも、はっきりしたことは誰も知らなかった。
真実は国民に隠されているのだろう。いや、日々を生きる彼らにとっては必要のない情報なのかもしれない。
だから、二年前の反乱も成功しなかったんじゃないか。
民意の汲み上げ方を間違えたのだ。
ついイラッとする頭をそんなことを考えながらクールダウンして、何とか階段を降りきる。
飛び降りて無事ならとっとと飛び降りていただろう。ここが無重力ならよかったのに、と無駄なことを考えつつ、土産物屋へ向かう。
土産物屋という表現は多分正しくない。入り口のおばさまによれば、もともとは王族の所有する館で、贅を尽くした館をまるごと店に改造したのだそうだ。
広間だったと思われる場所には移動式屋台も何台か置かれていて、さながら市場のようだ。域に立ち寄った時より観光客の数が明らかに増えている。もう日も落ちたのに。
「あら、お嬢ちゃん、さっきはありがとね。今度は誰かのお土産かい?」
大きなお腹の女性がこちらを見つけて声をかけてきた。先ほど仕入れに立ち寄った店の店主だ。
「こちらこそお忙しい時にありがとうございました。荷物はもう?」
「ああ、さっき若いのに頼んでおいたから、もう船に届いてると思うよ。で、どう? 綺麗だったろ? ここの夕暮れ」
彼女はにぱっと笑う。あたしも釣られて微笑んだ。
「はい、伺ったとおり素敵でした」
「だろう? せっかくここまで来たんだもの、見ていかなきゃ損だよ。ここはあの黄昏の美しさが売りでねぇ。見逃すと絶対後悔するからねえ」
大きくなったお腹を揺らしながら彼女は朗らかに笑う。あたしもうなずいた。あれは一見の価値がある。わざわざこの時間まで粘った甲斐があったというものだ。
「あとで夜景も見に上がりたいんですけど、あの階段ではちょっと怖くて」
「ああ、そうだろねえ。夜上がるのはやめておいたほうがいいよ。若い時に行ったんだけど足元暗くて踏み外しそうになってねえ。それに今は幽霊が出るって話だし」
幽霊、などと言いつつ笑顔は変わらない。
「幽霊、ですか。夜間閉鎖とかはしないんですね」
「しやしないよ。ここからの夜景も売りの一つだもの。幽霊でさえここでは観光資源なのさ。幽霊見たさに来る客もやっぱり大事なお客さんだからね。大昔の王族の誰かだとか色々噂はあるみたいだけど、見てみたいかい?」
ぷるぷると頭を振った。どうせなら生きている王族とお友達になりたい。いい商売相手になりそうだし。
「他に夜景スポットってないですか?」
「ああ、すぐ近くにあるよ。出口の警備員に聞いてみて。送迎バスがもうじき出るから」
いらっしゃい、と他の客の相手を始めた店主に会釈して、あたしは別の夜景スポットに向かうことにした。
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