救援隊


その時は急に訪れる。

私の人生を変えてくれる瞬間。

やっぱり高宮瑞希は私のヒーロー。

恋をせずにはいられない。






「とりあえず、ウチに来い」


そう言われたのは金曜日の仕事が終わった後。

元々、梅ちゃんに誘われ泊りの用意をしてきた。

朝まで飲み明かそう。そう、梅ちゃんからのお誘いに二つ返事をした私。


梅ちゃんと石橋部長の関係も知りたかったし、私の愚痴も聞いて欲しかったから。

いつもの居酒屋で梅ちゃんの恋バナを聞く。


石橋部長とは二十年来の知り合いだと梅ちゃんは言った。

石橋部長のお父さんと梅ちゃんのお父さんが仕事で知り合い、家族ぐるみで付き合いがあったと。


今は引退してしまった石橋部長のお父さんのコネで高宮に就職した梅ちゃん。

石橋部長を口説く為にこの会社に入ったと言っても過言ではない。そんな風に梅ちゃんは言った。

そんな熱い想いをもってるなんて知らなかった。


普段から玉の輿を狙っていると豪語していただけに。


「私は昔から紀人(のりと)さん一筋だもん」


そう惚気ながら、ビールをグイグイ飲む姿は、恋する乙女とは言い難かった。


「で、すみれの結婚相手ってどんな人なの?」

「ガマガエル」

「は?人と結婚するんだよね?」

「うん、でもガマガエル」


同じ四十代の石橋部長とガマガエル。

全くスタイルが違う二人。


「石橋部長だったらどんなに良かったか」


そう、これが本音。


「ダメ。紀人さんはあげないよ」

「違うって。ガマガエルより石橋部長って話しだから」


スマートな石橋部長と比べると、ううん比べるまでもない。

ガマガエルと名付けた通り、脂ぎった顔、丸い体形、長い舌で全身を舐め回す様な視線。

どれを取っても石橋部長の方が断然いい。



「で、そのガマガエルとの結婚は決定なの?」

「うん」

「そっか。すみれは嫌じゃないの?」

「嫌に決まってる。でも決まった事だから」


そう決まった事。

私に拒否する権利なんかない。


梅ちゃんは悲しいものでも見るような目で私をみている。

可哀想と思ってくれているのかもしれないけど、これは分かっていた事。


恋愛結婚なんて出来ないと分かっている。



でも……


でも……


でも、せめて人間と結婚したかったな。



「すみれは人生を変えたくないの?」


ビールを飲み干し、私の目を真っ直ぐとみる梅ちゃん。

変えられる人生なんてない。

私には決められた人生しかない。



「……梅ちゃんにはわかんないよ」


目の前のビールを一気に煽る。

言うのは簡単。

でも、私には決められてしまった人生しかない。



「はぁ……すみれには自分ってもんがないの?」


梅ちゃんはため息と一緒に怒気を吐き出す。

梅ちゃんには分からない。

私の家の事情なんて。


伊波物産の為に生まれた私。

私の人生は何千人も居る伊波物産の社員の為のもの。

会社の利益になる事しか許してもらえなかった。

習い事も就職も。


全てを決められ生きてきたんだもん。

全ては伊波物産の為。


そう言われ育ってきた私。

それが間違っている事だと気づいたのは高校生の時。


でも、もう遅い。

それに早く気づいていたとしても、意味はない。



「もういいよ。退職するまで仲良くしてね」


無理やりな笑顔を梅ちゃんに向ける。

梅ちゃんだけが私を見てくれた友人。


伊波物産って看板を取り払った、ただの伊波すみれを友人としてくれた梅ちゃん。

本当に嬉しかった。



「ふぅ……ま、とりあえず飲もう。今のすみれはアルコールが必要だよ。これからの事を考えたら、特にね」


何か含みを持たせる言い方。

でも、今の私にはアルコールが必要。

梅ちゃんに注がれるがまま、ビールを飲み干した。

梅ちゃんは聞いても居ないのに、石橋部長との関係を機関銃の様に言い始めた。

半分以上はノロケ話。


「石橋部長は柊くんの事、知ってるの?」


柊くんとは梅ちゃんの息子。

その柊くんは祖母のしのさんと今夜外泊している。


「柊の事は言ってあるよ。まだ会わせてはいないけど」

「え、なんで会わせないの?」

「タイミングを見てるだけ」


梅ちゃんの表情が少し曇った。


「タイミング……他に何かあるんじゃないの?」


そう私が口に出せば、梅ちゃんは困った顔をしてしまった。



「実はね……」


驚愕な事実を口にし始める梅ちゃん。

破天荒だとは思っていたけど、ここまでぶっ飛んでいるとは思っても見なかった。


梅ちゃんの父親と石橋部長の父親は仕事関係で意気投合し、家族ぐるみで付き合う程、親交が厚かった。

小さい頃の梅ちゃんは石橋部長を親せきのお兄さんだと思っていたようだ。

石橋部長も幼い梅ちゃんを妹の様に可愛がってくれていた。


『大好きなお兄ちゃん』それが梅ちゃんの中での石橋部長のポジション。気づいた時には十九歳年上の石橋部長は梅ちゃんの初恋の人になっていた。


でも、そんな関係が変わったのは梅ちゃんが中学に上がる頃。

梅ちゃんの父親が急死してしまったから。

母と子だけになってしまった林田家。

それを陰からサポートしてくれたのは石橋部長の父親。

そして三十歳を過ぎた石橋部長は林田家を訪れる回数は減り、梅ちゃんの想いだけが成長していった。


梅ちゃんの破天荒ぶりは昔から培ったものらしく、中学を卒業した時、意を決して石橋部長に会いに行った。

幼かった妹がもう高校生になる事に驚いた石橋部長。

でもあくまで妹というポジションでしかなかった。

軽くあしらわれてしまった。


でも諦める事をしなかった梅ちゃん。

少しでも大人に見えるようにメイクや服装を変えた。


そして高校生の夏、チャンスが訪れた。

石橋部長の妹の結婚式。

身内同然の付き合いがあった林田家も親せきの席で出席。


高校生に見えない梅ちゃんを口説こうと、大人が周りを囲む中、石橋部長は花嫁の兄と言う立場上、お酌返しで泥酔に近い状態になっていた。


タイミングを見計らい梅ちゃんが行動に出たのは言うまでもない。

十九歳って歳の差を打破するのは並大抵の事ではない。

ましてや相手は自分を妹同然に見ている。


泥酔した石橋部長を介抱するように見せかけ、石橋部長を送ると言った梅ちゃんに両親たちは何も危惧する事なく、むしろ石橋部長をタクシーに乗せる事まで手伝ってくれた。


そう両親たちは全く心配していなかった。


でも梅ちゃんは全部を計算していた。

一人暮らしの石橋部長。

そして今の石橋部長は左右も分からない程に泥酔している。


酔っぱらった石橋部長をベッドに寝かせ、服を脱がせる。

そして……アレやコレやと介抱しながら梅ちゃんは初体験を終えた。


「とりあえず紀人さんが目を覚ます前に帰ったわよ」

「なんで?」

「だって妹だと思っていた女とヤっちゃっただなんて絶対に受け入れないでしょ?」


梅ちゃんは石橋部長の性格を良く知っていた様だった。


「で、柊を授かって紀人さんには内緒で産んだの」

「へぇ~内緒なんだ……え!!内緒なの?」

「うん」


梅ちゃん。

内緒って……どういう事?


「しのちゃんは知っているし、紀人さんの両親も知ってるよ」

「え。あの意味が分かんないんですけど」


私の思考は止まっている。

梅ちゃんの話している意味が全く分からなかった。


「妊娠に気づいた時。産みたかったから黙ってたの」


梅ちゃんは石橋部長の子供を妊娠していると分かった時点で、絶対に産むと決めていた。

もともと細身だった梅ちゃん。

少しふくよかになったのは成長期と周りは思っていたようで、母であるしのさんが梅ちゃんの変化に気づいた時には妊娠八か月だったと。


「父親は誰か聞かれたけど、言わなかったの」


梅ちゃんは面白い話でもするように笑いながら話していた。

そして、困り果てたしのさんは梅ちゃんの妊娠を石橋部長のご両親に相談。石橋部長の父親が血相をかえて梅ちゃんの元に来たのは言うまでもない。


「あの時はホント焦ったよ。オジサマが鬼に見えたからね」


普段温厚な人ほど、怒った時に怖いものはない。


「相手は誰なのか。すごい攻撃だったんだよね」


しのさんや石橋部長の両親からの激しい追及を受けた梅ちゃん。

でも相手の名前を言わなかった。


「もう八か月だったし下ろせとは言えなかったからね」


何も言わない梅ちゃん。

周りが折れずにはいられなかった様だった。

そして出産に際し約束させられた事はただ一つ。

『高校も大学も出る事』

それを約束させられ、梅ちゃんは無事に出産した。


「でもさ、産んだその日に紀人さんの両親がお見舞いに来てくれて」


石橋部長の母親はすぐにピンときたらしい。


「柊を見た途端、オバサマが泣きだしちゃって大変だったんだよ」


まさか三十路を過ぎた息子が親せき同然の子に手を出していたなんて。

石橋部長の母親は卒倒する寸前だったと。



「もちろん紀人さんは知らない。って伝えたよ。むしろその事自体も覚えてはいないだろうって」


泥酔した石橋部長に迫り関係を持った。

全ては自分が求めた結果。


梅ちゃんはそうしのさん達に言ったと。


「それから大人同士で話し合ったみたい」


石橋部長の両親としのさんは頭を抱えたんだろうな。

話し合いの結果、石橋部長には言わずに四人だけの内緒となった。



「お父さんの保険金のお陰とオジサマの援助があったから、柊をしのちゃんに預け、私は勉強出来たんだよね」


梅ちゃんが高校を一年休み、そして大学を出れたのはしのさんが柊ちゃんの面倒を見てくれたから。


そして石橋部長の父親のコネで高宮に就職した梅ちゃん。

石橋部長は結婚をしていなかった。だから梅ちゃんは高宮に就職してハンターの様に石橋部長を狙っていたと言う。


「やっと紀人さんを手に入れたから。すみれ、全てはタイミングと気合だよ」



梅ちゃんは強い口調で私に言う。

まるで何かを伝えるかのように。


茫然とするような話の内容に未だ思考が追い付かない。

でも、これだけは分かる。


梅ちゃんの強い気持ちが全てを導いた。

今の状況は梅ちゃんの努力の結果なんだと。



「とにかく、全ては自分なんだからね」


梅ちゃんはそう言いながらワインを口にした。


ビールから始まり、焼酎そしてワイン。

あまり飲めない私には考えられない量を口にしながらも、平然としている梅ちゃん。



そして梅ちゃんの重大発表から一時間経った今、なぜか石橋部長と一緒に瑞希がきた。



そして「とりあえず、ウチに来い」そう言った。


「あの、まったく意味が分かんないんですけど」


私は酔っぱらっているのかな?

意味の分からない言葉が飛び交っている。



「はぁ、すみれが家に帰ればそのまま結婚させられるぞ」


帰らなくっても結婚はさせられると思うんだけど。


「だから、今こっちで手を打ってるから」


全く意味が分かりません。



「おまえ全部、声に出てるってーの。あのなぁ……」


瑞希は呆れながら大きくため息を吐いた。


ってか私、全部声に出てたの?

ダメだ。飲み過ぎてしまっているんだろう。

梅ちゃんの告白から思考が追い付かない。



「とりあえず、すみれはオレんち」

「だからね。なんで瑞希の家に行くの?私は梅ちゃんちに泊るんだから」


そう私は梅ちゃんちに泊る予定で来たんだもん。


「それについては家で話すから」


瑞希にそうバッサリと言われ、気づけば梅ちゃんちから追い出されるように外に出た。

見覚えのある車の助手席に身体を納め、瑞希の運転を横から眺めていた。



「あのさ、そんなに見られると変に緊張するんだけど」


瑞希の頬に小さなエクボができる。

この小さなエクボを見るとなんだか幸せな気持ちになる。



「ねぇ、私がお邪魔しちゃって大丈夫なの?」

「別に一人暮らしだから問題ない」

「彼女とか急に来たりしないの?」


合鍵をもった彼女が急に現れたら、ちょっと怖いし。


「彼女なんていない」

「か、彼女いないの?」

「ああ、彼女はいない」


『は』って事は他の何かはいるって事?

瑞希の女関係に文句を言う筋合いはないけど。

でも、なんか悲しくなる。


「あのさ、オマエと同じなのオレは。だから彼女を作った所で邪魔になるだけ」

「そ、そうだよね」


瑞希も私と一緒。

結婚は会社の為でしかない。


重苦しい沈黙が車内に充満する。

それを無視するように窓の外を眺めた。


流れるような景色。ネオンが線に見える。

そして車はスピードを緩め、見覚えのあるマンションの地下駐車場へと入っていった。


「好きな所に座ればいいから」


この間と同じ綺麗に掃除されたリビング。

円形のラグが敷かれた上に三人掛けのソファー。

左右にクッションが一つづつ。

そしてテーブルにはノートパソコンと灰皿が置かれている。


クッションの一つを抱え、ソファーの左側に腰を下ろした。



「はい、どうぞ」


テーブルに置かれたのコーヒーのはいったマグカップ。

そして瑞希はソファーの右側に腰を下ろした。


長い脚をくみ、手は灰皿を手元に引き寄せていた。



「あのさ、なんで私はココにいなきゃいけないの?」


煙草に火をつける瑞希を眺めながら、コーヒーを手に取った。


「オマエは自分の置かれている状況、ちゃんと把握してる?」


煙草の煙と共に吐き出された言葉。

状況も分かってるし、私の将来もちゃんと分かってる。


分からないのは私がココにいる理由の方。



「伊波物産、売上も悪くないんだよ」


瑞希の口から伊波物産に関する情報が次から次へと。


「大きな負担になっている言われている10年前の遺産。

確かに経営の足を引っ張っているけど、オマエが身売りする程、伊波物産を圧迫している問題でもないんだ。

そんな中、調べる内に分かった事がある」


瑞希の口から出て並べられる言葉に、私は唖然とするしかなかった。


「加賀弦。こいつは真っ黒。今回の婚姻を打診してきたのもコイツだし、コイツに情報をリークしたのはオマエの父親の秘書室田だしな」


ガマガエル改め加賀弦。

そして父の秘書の室田。


秘書の室田さんは新卒で入社し、すぐに父の秘書に抜擢された。

目が鋭く、寡黙で何を考えているのか分からない人。



「加賀と室田は伯父と甥の関係。10年前の案件を加賀にリークし、その案件が圧迫しているように伊波社長に進言したのも室田じゃないかとオレは思ってる」


室田さんのお母さんとガマガエルが兄妹。

瑞希曰く、かなり強い関係だと言っていた。


「でもね、10年前の案件ってどうにもならないんでしょ?」

「そんな事はないんだよ。確かに当時は大変だったとは思う。でも今の伊波物産の力を考えれば大した問題でもない」



じゃ、私が売られる意味は?

ガマガエルに売られる意味は?


「オマエは知らないだろうけど、加賀って有名なんだよ」


ガマガエルの事は何も知らない。

ううん、むしろ何も知りたくない。


「アイツ、犯罪スレスレ、むしろアウトな仕事を沢山抱えている」


金融と言う仕事は確かに黒い影が付きまとう。


「それを隠す為にも伊波物産って優良企業のバックアップ、そしてオマエと結婚した後、伊波物産を乗っ取る計画まで立てている」


まるでドラマの様な話に、私はただ黙って聞いているほか無かった。


「きっと室田が伊波社長に、ある事無い事を報告して、今回の縁談になったんだろう。

全てを総合してもオマエの結婚で伊波物産が得るものと言えば多少の現金だけ。

あとは目に見えないリスクしかない」


苦々しい表情を浮かべながら話し瑞希をただ見つめる事しか出来なかった。



「でもね、もう決まった事だから」


そう、ガマガエルとの結婚はきっと覆らない。

多少の現金しか入らないとしても、父はきっと私を売る。



「そうでもないぞ。オマエが結婚を望むなら、オレ達は何も言わない。

でも、オマエが結婚を望まないなら……」


私の顔を覗き込み、視線を合わせようとする瑞希。

顔が近い。

余りの近さに心臓がバクバクと音を立て始める。



「あ、あんなガマガエルと結婚なんかしたくない」


自分の気持ちを口に出せば、自然と溢れてくる涙。

ガマガエルとの結婚……考えたくない。

触られた時を思い出せば、吐き気と鳥肌が私を襲う。


頬を流れる熱い涙。

歪む視界の向こうで瑞希は私に微笑んでいる様に見える。


「それならオレ達が救ってやる。結婚を無かった事にしてやるよ」


瑞希の指が私の涙を優しく拭う。

頬に当てられた手は温かく、私をいたわる様に優しい。



「ほ、本当にそんな事……で、できるの?」

「ああ、出来る。オマエが望むなら」


その言葉を合図に溢れ出る涙。

声を出して泣く私を瑞希は驚くほど優しく抱きしめてくれた。


瑞希の匂い、シトラスの香りに包まれ安堵する。



驚くほど沢山泣いた。

人前でこんなに感情を出したのは初めてな気がする。




「それで、色んな事があるから、片がつくまでオマエはココにいろ」


泣きやんだ私を見ながら、瑞希はそう言いネクタイをスルスルと緩めテーブルに置いた。

そしてワイシャツのボタンを外し始めた。


「え?ちょっと……」


瑞希は勢いよく立ち上がり、ワイシャツを脱ぎ捨てるように床へと放り投げた。

程よく引き締まった身体。

たるみはどこにも見当たらず、むしろ筋肉の筋が見えるかもしれない。



「くくくっ、オマエに恥じらいとか遠慮って言葉はないのか?」


面白そうに私を見下ろす瑞希。

自分の不躾な視線に気が付き、目を床に合せるも今さら遅く、瑞希の裸体を思い出しては頬に熱が集まる。


私は絶対に赤面している。



「ま、いいけど。オレの身体で良ければいくらでもいれば?」


瑞希は笑いながら寝室へと入っていった。



1人リビングに取り残された私。

既に冷めてしまったコーヒーを飲み干し冷静を装おうとした。

瑞希がしてくれた話を思い出す。

そんな簡単な話じゃない気がする。


でも、瑞希ならやってくれる。そんな風に思える。

ううん、思いたいんだ。




スウェットに着替えた瑞希に促されるまま、シャワーを浴びる。

なぜ、私がココにいるのかは未だ不明のまま。


持参したショートパンツ、そしてノースリーブのルームウェアを身につけ、勝手知った様にドライヤーを引っ張り出す。

髪を乾かす間、瑞希の香りが私を包む。

いつもとは違う香りのシャンプー、そして瑞希からする匂いの元はボディーソープだと知る。



鏡に映る自分の顔に頬が引き攣る。

泣きはらした目の周りを丹念にマッサージすれば、少しは見れる顔になった。


リビングに戻れば瑞希はパソコンを開き、カチカチとキーボードを打っている。



「先にシャワーありがとうございました」


その言葉に瑞希は動きを止め、私を見上げた。


「……冷蔵庫のモノは好きに飲み食いしていいから」


それだけ言うとまたパソコンへと目を落とした。



また冷たい態度。

さっきまでも温かさはココには無かった。


手持無沙汰なまま時計を見れば夜中の2時を回っている。

瑞希は私の存在など居ないかのように、カチカチと音を立て続ける。


失礼しますと声を掛け、冷蔵庫を開け冷えた水を取り出しグラスへと入れる。


変に目が冴えてしまっている今、アルコールで誤魔化したい。


でも、アルコールには強くない。

そして、ココでアルコールを飲む勇気など私には無い。


「ベッド、好きに使っていいから」


リビングにいる瑞希の声が聞こえてきた。



「私、ソファーでいいです」

「いい。オレまだ仕事終わらないから」


瑞希から発せられる、凍てつく寒さの空気に堪えられるはずもなく、私は言われるがままベッドへとむかった。



ベージュで統一された寝室。

大きなベッドだけがここにある。


綺麗にベッドメイキングされているソコにそっと身を滑り込ませる。


横になり自分が思っているより疲れている事に気づいた時には既に意識を手放していた。




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