第二章 東京オリンピック

【2020年夏 岐阜市内 美咲の事務所】

 美咲と一緒にゴルフ場の買収をはじめてから、保科は美咲の事務所で仕事をする時間が増えた。事務所の誰よりも早く〝出勤〟している事もあり、たまに事務所で仮眠してそのまま泊まっている事もあった。

「保科くん。おはよう」

「あぁ、美咲おはよう」

「またソファーで寝てたの? 家に帰った方がよくない?」

「帰ってもひとりだしね、人の気配がするからココの方が落ち着く。それとも迷惑だった?」

「別にね迷惑なんかじゃないけど、東京の奥さんのところに……、帰らなくてもいいのかなぁ〜。なんていらない気をつかうわけよ」

「いまは仕事の方が忙しいからね。それに東京に帰っても……なにも……」

 言葉じりを濁した保科の表情を見て、その時、美咲はそれ以上踏み込めなかった。

「それよりもさ、そろそろみんな出勤して来るんだから、サッサと起きてよ。着替えるなら作業部屋使って」

「いつも苦労をかけて、すまないねぇ」

「それは言わない約束だろ。って乗って欲しいの? イヤよ。本当に迷惑なんだから」

「そんなに邪見にするなよ。オレの書斎つくってくれない? 家賃払うから」

「家賃ねぇ。じゃ、事務所の家賃全部払ってくれたら、いいわよ」

「いいよ。いくら?」

「えっ? 本気? 2フロア借りてるから、共益込みで30万だよ」

「うん〜っ。わかったそれでいいよ」

「ちょっと待ってよ。いいの? ココに住む気なの?」

「うん。ウチのマンションと仮事務所引き払えばあまり変わらないもん」

「保科くんさぁ」

「なに?」

「もしかしてさぁ、奥さんと仲悪いの?」

「まぁ、上手くはいってないかな」

「それで、昔、惚れてくれた女に近づこうとしてるの?」

「うん、まぁ、あたらずも遠からず……かも」

「保科くん」

「……?」

「最低だね」

「あぁ。本当に最低だよ。東京に居るより、ずっと美咲とこうして馬鹿なことを言い合っていたい」

「甘えないでよ」

「そうだね。ごめん。甘えすぎてた。事務所のことはナシでいいや。忘れて」

「うん〜。そうねぇ、それは別にいいかな?」

「どうして? オレが側にいると美咲の迷惑だろ」

「ソレはソレ。上の物置部屋を片付けて経費が浮くならソッチの方がいいもん」

「ふっ。美咲は経営者として、ちゃんと割り切るんだね。さすがだよ」

「経営者というよりも、女だからかな? こういうのって男の方が女々しいもん」

「そうなのか?」

「そうよ。保科くんって、ずっとわたしに甘えちゃって、すがってて、カッコ悪いもん」

「そうだよな。カッコ悪いよな。じゃ、お言葉に甘えて上の物置部屋を片付けて、引っ越しの準備してくるわ」

「あの〜。おはようございます。もう入ってもいいですかぁ?」

 事務所の入り口で、経理兼デザイナの五樹いつきひとえが、申しわけなさそうにふたりに声をかけた。

「あっ、ひとえ。お、おはよう。別にいいわよ。出勤時間だもん。あたり前じゃない」

「なら、いいんですけど、おふたりがお取込み中だったので、入りづらくて」

「取込んでぇ〜、なんていないわよ。ねぇ保科くん」

「そ、そうだよ。五樹さん。事務所の移転について打合せをしていただけだよ。好きだったとかそんな話なんかしてないよ」

「そ、そうですね。離婚して美咲さんと付き合いたい。なんて、話してませんでしたよね」

「な、何よソレ。そんな話してないでしょ」

「はい。だから、話してませんでしたよね。って言ったんですよ」

「ちょっと、そんな誤解される言い方、やめてもらえる?」

「誤解じゃないと思いますけど、やめておきますね。うふっ」

「ひとえ。なによそれ。旦那持ちの余裕?」

「じゃ、わたし、昨日の続きに掛かりますから、声かけないでください」

「も、もう。悔しいわね。保科くん。あなたのせいよ」

「あ、あぁ。ごめん美咲。やっぱり引っ越しは……」

「あぁ、そうね、明日から引っ越しできるように、今日から片付けておくわ」

「そ、そう。わかった。じゃ、オレも今日は帰って荷物まとめてこようかな」

 そう言って保科は事務所を出て行った。出て行く保科の背中を見ながら美咲は『少し強引すぎたかも』とも思った。だけどコレで良かったんだと、自分自身に言い聞かせた。

「なに言ってんだか。わたしだって割り切れてないわよ」

 五樹ひとえは、美咲のひとりごとを聞かなかった事にした。

「おはようございます」「おはよ〜さんです」「おは〜です」

 バイトの女の子たちが出勤してきて、今日も美咲の事務所の1日がはじまった。


 6月になると日本中〝東京オリンピック〟の話題で持ち切りになっていた。ネットも、雑誌も、テレビもスポーツ特集が組まれて、挨拶の代わりにメダルの数や有力選手の話をするほどだった。

「保科さん、おはようございます。もうすぐオリンピックですね。うちも観戦に行きたいけど、子どもが小さいから無理かな」

 事務所でひとり、テレビの朝ニュースを見ていた保科に、出社してきた五樹が声をかけた。

「あぁ、五樹さん。おはようございます。オリンピックは成功して欲しいな」

「どこの競技場も完成してるし、外国の選手団もどんどん来てるし、成功するに決まってますよ」

「そ、そうだよね。なにごともなく終わりますよね」

「ふふふっ。保科さん変ですよ。まだ始まってもないのに『終わりますよね』だなんて」

「そ、そうですね。変な言い方をしました」

「変と言えばちょっと気になるんですけど……」

「変って、何がですか?」

「東京オリンピックって割に、競技の半分以上が東京以外でやるじゃないですか。それでも東京オリンピックなんですよね」

「まぁ、愛知でも3種目、山梨でもかなりの競技をやりますからね。全部東京でやると予算が大変だから賢明だと思いますよ。新幹線もあるから移動も楽ですし、山梨が多いのはリニアモーターカーの営業を兼ねてますからね」

「まぁ、そうなんだけど、観客が集まりそうな競技ほど、東京じゃないんですよね」

「ホテルのキャパとか結構一杯ですからね。愛知も名古屋でなければ、結構ホテルに余裕がありますからね」

「保科くん、ひとえ、おはよう」美咲が出社してきた。

「美咲、おはよ」「あぁ、美咲さん。おはようございます」

「なに? オリンピックの話? このまえ聞いたけど、オリンピック特需で東京は人が足りないんだってね」

「うん、オレが持ってくるのも、特需であぶれちゃった仕事がほとんどかな」

「そうなんだ。おかげでWebだけじゃなくて、イベントの仕事とかもやれて、とっても嬉しい満足よ。ありがとう居候の保科くん」

「美咲、ちゃんと家賃払ってるから、居候じゃないだろ。むしろ大家に近いだろ」

「まぁ財政的にはそうだけどね、ほぼ三食ともわたしたちが交代で作ってるじゃない。なんか6人で保科くんを養ってる気がしちゃうのよねぇ」

「えぇ〜。食費もちゃんと入れてるでしょ」

「う〜ん。助かってるわよ。保科くん。ありがとうね」

「本当にもう、美咲は高校の時から変わらないんだから」

「あ〜ら、ごめんあそばせ」

 そんなやり取りをしている間に、バイトの4人が順番に出社してきた。

「おはようございます」「おはようです」「おは〜」「ハロー」

「ところで、保科さんが来てから、美咲さんいつも楽しそうですよね」

「えっ、ひとえ、なんてコト言うのよ。ほら、あの、仕事がね、安定してきてるからさ、嬉しいのよ。そうよ収入が安定してて嬉しいのよ。ひとえ」

「あぁ、そ。そうだよね、オレは美咲のためになるなら、いくらでも仕事とってくるからまかせとけよ」

「まぁ、それはたのもしい限りです。ところで美咲さん」

「なに? ひとえ」

「東京で人が足りないんだったら、このタイミングで東京進出もアリじゃないですか?」

「おぉ! そうか。そうよね。ひとえ。ナイスだわ」

「えっ、なんですか? 東京進出ですか?」

「引っ越すの〜?」

「主人が岐阜市勤務だから、ちょっと無理かな」

「でも東京いきた〜い。東京の仕事した〜い」

「そうよねぇ、みんなで東京に行こうか? 行っちゃおうか?」

 6人がそれぞれ、盛上がっている中、保科の顔から笑顔が消えて、表情が固くなった。

「いや、ダメだ。いま東京へ行っちゃダメなんだ」

「えっ? どうして保科くん。仕事があるんだったらチャンスじゃないの?」

「だから、東京はダメなんだよ。美咲」

 保科が不意に声を荒げて美咲に詰め寄った。急なことだったので6人の女たちは驚いた。というよりも、人前で保科がココまで取り乱したのをはじめてだった。

 静まり返った事務所。所在なさげに目を泳がせる保科。

「いや、あ、あの、今は足りないんだけど、オリンピックが終わったら、ほら仕事なくなっちゃうかも。だろ……」

 保科の言葉は言いわけがましくて、歯切れが悪い。

「そ、そうだねぇ。万博の時もそうだったでしょ」

 雰囲気を和らげる為に美咲が咄嗟にそう言った。

「美咲さん万博の時から社会人だったんですか? 今いくつぅ」

 美咲の対応に乗っかって、ひとえが美咲をイジリにかかった。

「万博の時は小学6年だったのよ。これは、先輩に聞いた話なの」

「本当はもう50とかじゃないんですか〜?」

「すごいメイクですね。どうやったら20歳も若くなるんですか?」

「いや、海外旅行の時に、ヒアルロンとか、シリコンとか入れてるのかも」

「そこまでいくとほとんどサイボーグですね」

「なに、失礼なコト言ってるのよ。わたしはまだ20代よ」

「まぁ、アラサーですけどね」

「うるさいわね。ギリよ。八捨九入なら、アラツーよ」

「いや、それほとんど切り捨てですから」

「まぁ、それも数ヶ月だから言わせておきなよ」

「もう、あんたたちは!」

 美咲は一応バイト女子たちの集中砲火を受けながらも、そのまま保科の方へ向きなおった。

「ねぇ、オリンピック終わったら、仕事なくなっちゃうの?」

「たしかに、特需であぶれた分の仕事は減るんだけど、みんなにお願いしたい仕事が別にあるんだ。どうだろう」

 保科が一度、軽い笑顔を作ってから答えると事務所は一応落ち着いた。

「美咲さん、良かったですね」

「ひとえ。そうね、まだ仕事があって良かったね。まだ、お金の心配しなくてもよさそうよ」

「いえ、そっちじゃなくてですね……」

「えっ?」

「保科さんが、まだココにいてくれて、良かったですね」

 ひとえが美咲に耳打ちすると、美咲は少し驚いてから怒った顔を作り、一度だけ溜息をついた。

「う、うん。そうね」

 美咲が呟いた。


 7月になりオリンピックが始まると、テレビもネットもオリンピックの中継ばかりになっていた。サッカーのグループリーグ、陸上の各選手のコンディション、水泳選手の練習風景など、メディアの半分以上のリソースはオリンピックに使われていた。

「なんか東京オリンピックというよりも、西日本オリンピックって感じですね」

「ほんとよねぇ。でもその方が施設とか楽だよね。日本って鉄道とかの時間が正確らしいし、速いしね」

「それに、夏の暑い時期にでしょ。首都圏だけでやってたら、倒れる人がふえそうじゃない」

「それを行ったら、名古屋も似たようなもんだけどね」

「そうだけど、山梨とか涼しそうじゃない?」

「ねぇ、保科くんは国土交通省だから、スタジアムとか都市計画とかに関わったんでしょ」

「えっ、今回のオリンピックにはほとんど絡んでませんよ。こちらの仕事がありましたから」

「気になってたんだけど、オリンピックの忙しい時期にこんなところに居るなんて、保科くん、左遷されたの?」

「左遷かぁ。そうだなぁ。一応、国土交通省の役人だけど、今は民間企業に出向してる事になってるから、まぁエリートコースからは外れちゃったね」

「そうなの? でもエリートとその他は何が違うの?」

「エリートは給料も違うと思うけど、副大臣とか、立候補したりできるかも」

「保科くんはそんなの興味ないの?」

「無いと言ったら嘘だけど、今はこの現場が一番大事だと思ってるし」

「すごーい。わたしたちそんな大事な仕事してるんだね」

「もう少し待ってもらったら、ハッキリわかりますよ」

「えっ、なになに? 教えてよ」

「もうちょっとだけ待っててよ。半月もすればちゃんと話できるから」

「え〜っ。ケチ」

「はははっ。実は結構ケチだし」

 その時、地震速報が入った。保科は表情を固くして、体ごとテレビの方を向いた。

『関東地方でマグネチュード4の地震。各地の震度は……』

 最近の保科はいつもそうだった。テレビで地震速報が流れるたび、真剣にテレビを凝視して、動かなくなる。各地の震度が出て、大きな被害がない事がわかってからやっと動き出す感じだった。

 女性達は少し大げさに感じてはいたけど、東京に残してきた奥さんを心配しているんだと思っていたので、美咲に気兼ねしてその事を口には出せなかった。

「さ、最近、ちょっと地震が多い感じしない?」

「そ、そうよね。小さいのがパラパラ起きる感じよね」

「この辺は大丈夫かしら? ほら、東南海プレートがどうとかいうじゃない」

「あぁ、なんか夢中になっちゃって。ごめん。岐阜はまだ大丈夫な方だよ。だけど、川沿いは少し心配かな」

「さすが、国土交通省。詳しいのね」

「まぁ、専門だからね」

「やっぱり、東京の……。奥さんのコトが心配?」

「心配してるよ。だけど、彼女は自分から東京に残ったからね。東京で何が起きても覚悟はできてると思う」

「やっぱり、東京で何かおきるの?」

「それは、その、いまオリンピックやってるじゃない。だからテロ対策とかで大変なんだよ」

「そう。そうね」

 保科が何かを隠しているコトに気がついていたが、美咲は奥さんの話を聞きたくなかったので、適当に話を切り上げた。

 そしてオリンピックの開催中は、保科は上の空でテレビを見続け、美咲はどことなく落ち着かず、事務所の雰囲気もよそよそしかった。そんな状況がオリンピックの閉会式まで続いた。


 オリンピックが終わった翌日、保科は美咲に多治見まで送って欲しいと頼んだ。

「どうしたの? 多治見に行く時は、いつも運転手の人が迎えにくるじゃない」

「まぁ、そうなんだけど、そろそろ美咲にいろんなコトを話さないといけないし」

「別にホテルの部屋で聞いてもいいんだけどね」

「そういった話も含めてなんだけど」

 保科がそう言った瞬間、美咲はハンドルを取られてしまい、車がふらついた。

「おぃ、危ないなぁ。しっかりしてくれよ」

「な、なによ。保科くんが一緒に、ほ、ホテルに泊まってもいいなんていうからじゃないの」

「オレはそんなコト言ってない。ホテルの話をしたのは美咲だ」

「それは、そうだけども。不意打ちは卑怯よ」

「そうだね。ちょっと卑怯だった。あやまるよ」

「また、簡単にあやまるのね。そんな保科くんは……」

「そんなオレは嫌いか? 美咲」

「そんなコト言っても、保科くんには奥さんがいるし、不倫とかやだし」

「実は、女房からは離婚届が送られて来た」

「えっ!」

 まだ、車がふらついた。

「おい、美咲。運転変わろうか?」

「いえ、大丈夫よ。もう大丈夫だから順番に説明してくれないかな」

「美咲は結婚式に来なかったから、知らないかもしれないけど、義父さんはオレの最初の上司でいわゆるエリートなんだ」

「エリートの娘さんと結婚したの? よかったじゃない」

「そうね、オレがエリートのママなら義父さんも何も言わなかったと思う」

「でも、左遷されて岐阜まで飛ばされちゃったっと」

「実は、いま美濃でやってるコトも関係あるんだけどね」

「保科くんが、ココでやってるコトが、向こうのお父さんは気に入らないのね」

「ひらたくいうとそういうコト」

「でも、奥さんはどうなの? お父さんがダメなら奥さんもダメなの」

「女房は、安定志向だからエリートコースを外れた男には興味がないらしい」

「えっ? なに、保科くんってそれで結婚してたの?」

「最初はエリート官僚目指してたから、いい人脈ができると思ってたんだよ」

「なによそれ。なんかわかんない。どうしてそんなんで結婚できるの?」

「まぁそういう事。オレもおかしいと思ったから、離婚する事にした」

「なによそれ。離婚したから、わたしに乗換えるってコト? ムシが良すぎない?」

「美咲のいう通りだよ。全部オレの都合の話だよ。岐阜に来た頃はまだ離婚する気はなかったんだ。なんとか話し合おうと思ったんだ」

「……」

「でもね、美咲と一緒に仕事し始めてから、変わったんだよ。楽しかったんだ」

「なによそれ。他の女と話して楽しかったら離婚するの? 浮気者」

「まぁ、そうだよね。本当は美咲に告白してプロポーズまでしたかったけど、今日は辞めておく」

「もしかして、そんなコトをいうために連れ出したの?」

「ソレは目的の半分かな?」

「半分? じゃ、あとの半分は?」

「見ればわかるよ」

 保科はそういって、目的地のゴルフ場跡地を指さした。

 2年ほど前まで、美咲は毎週この道を車で走ってクライアント先まで通っていた。道はその時より、いくらか交通量が増えたような気がしたけど大差なかった。景色もそれほど変わらなかった。だけど保科が指さしたところには見覚えはあるが、あるはずのない建物が建っていた。

「何あれ? どうしてこんなところに建っているの」

「あれはね都庁のコピーなんだよ」

 ゴルフ場の跡地まで来ると、まだ工事中の鉄塀で囲まれていた。到着して、ヘルメットを被って見上げると、新宿で見たのと同じ建物が建ってる。時間がなかったので、同じ設計図を使ったらしい。

「ココに何を作るの」

「でっかい街だよ。日本の中心になる街だ」

「山の中に? 名古屋とか大阪の方がよくないの? それにコレ役所だよね」

「地盤が固くて、アクセスもいいからココに作るんだ。他にもイロイロ作ってる」

「なにをするの? 工事現場で働くの?」

「現場の人が足りないから、そうしてもらえると助かるけど、ちょっと違う仕事をして欲しいんだ」

「今度はなにをするの?」

「パラリンピックが終わったら、名古屋の河辺市長が重大発表をするんだ」

「また先輩? いつも無茶苦茶やってるわよね」

「今回は、ソレどころじゃないんだ実は……」

「えっ! それ本当? ずっとその準備してきたの?」

「まぁそういう事」

「それで、今度はわたしたちに何をやらせるつもりなのよ?」

「あらかじめリーク情報としてネットに情報を小出ししておいて欲しいんだ」

「内容にもよるけど、まぁ大丈夫だと思うけど、もう少し打合せしましょ」

「うん。わかった。たのむよ」

「でもね、その話とこのニセ都庁とはどういう関係があるのよ」

「それは帰りの車の中でゆっくり話すよ」

 ふたりは〝ニセ都庁〟の中を歩きまわりながら、話を続ける。

「僕らのグループで、この地域のゴルフ場跡地に、首都をつくる計画を進めているんだ。今までの働きは全部その下準備だったんだよ」

「すごいわねぇ。なんかワクワクしてきちゃった」

「ありがとう。喜んでもらってなによりだ。ただね、こんな動きを良く思わない人達もいるんだよ」

「えっ、なに? 国家の犬とか、黒幕が出てくるの? それとも悪の手先?」

「いやいや、そんな話じゃなくてさ、義父さんが保守的な人だったんだよ。だから結局、女房とも別れる事になったんだよ」

「な〜んだ。そんな話どうでもいいわ」

「えっ?」

「保科くんのちっぽけな話より、この新首都の話の方がずっと面白そうだもん」

「あ、ありがとう。働きに期待してるよ」

 保科はすこし引きつった表情を顔に貼りつけたまま、笑っていた。


 オリンピックからパラリンピック開催中、神経過敏気味だった保科の表情が和らいだのは、パラリンピックの閉会式が終わった時だった。

「えっと、オリンピック開催中から、みんなが準備してきてくれたおかげで十分告知できました。ありがとう」

「そうよねぇ、大変だったわ。ひとり20アカウントをコントロールして書き込みして、まとめサイトつくって、アンチの書きこみして、自演して炎上させて」

「そうですよ。わたしなんか多重人格者になった気分です」

「えっと、みんなゴメンな。オレも違うプロバイダーから10回線も契約したかいがあったよ。本当にありがとう」

「まぁそれはいいんだけどさ、保科くん。明日の〝河辺市長の会見〟は段取りはもう進んでるの?」

「イベント自体は、名古屋の部隊が進めている。おもに守山自衛隊に頼んでるんだけどね」

「ネットでもさ『市長暗殺』とか書いてあったじゃない。それは大丈夫なの?」

「ココで本当に暗殺されると大変だしね。自衛隊もプロだから。大丈夫でしょう」

「まぁ、岐阜にいるわたしたちが心配するコトじゃないかもだけど」

「そうだね、美咲。オレらは次の準備もあるしね」

「もしかしたらソッチの方が大事かな?」

「そうだよ。だって本命は美濃だもん。名古屋はあくまで風よけだよ」

「そうかぁ、ココだけじゃなくて他の地域も動いてるんだよね」

「うん。今はお互いに連絡取るのはまずいけど、発表後はお互いに連絡を取り合わないとね」

「ところで、保科さん。『名古屋が独立しても経済的に自立は無理』って書かれてますけど、コレどうしますか?」

「五樹さん。それは『名古屋だけだと無理』を強調して、アンチで煽ってください」

「りょうか〜い」

「保科くん。それはフォローしなくてもいいの?」

「いいのいいの。明日の発表を聞いたら何も言えなくなるから。今のうちに言いたいだけ言わせてから、恥かかせてやろうよ」

「保科くん、性格ワル〜。だから離婚しちゃったんでしょ」

「毎日リーク記事で情報を小出しにして、炎上させて、自演してたら、少しは性格も歪みますよ。それに離婚の原因は、美咲には言ったでしょ」

「え〜っ。保科さん、もう離婚しちゃったんですか?」

「美咲さんとの浮気がばれたんですか?」

「やっぱり、遠距離恋愛は続かないんですね」

「君たちね、イロイロ間違えてるから」

「そうよ。保科くんとは、なにもありませんからね」

「へぇ〜。なんだ」

「やめてよ、言葉のアヤってやつよ」

「あーっ。しゃちょーう。しあわせになってーぇ、くださいねー」

「なによその棒読み!」

「まぁまぁ、美咲落ち着いて、明日の発表までやれる事は全部やっておこうよ」

「う、うん。保科くんがそう言うなら」

「さすが、保科さん。美咲さんの扱いが上手になりましたね」

「五樹さん、そんな言い方やめてください。また暴れます」

「え〜っ。誰があばれるって」

 2020年9月7日、河辺市長の独立会見前夜の事だった。

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