【2020年9月20日 多治見タワービル】

 ヘリは多治見タワービルのヘリポートに到着した。保科と夜宮はそのままビルのエレベータに乗って5階まで下りて、足音も響かないくらいクッションのいいPタイルの廊下を歩いていた。落ち着いた間接照明のせいか、2人はゆっくりと歩いていた。

「このビルは5階までが住居エリアで、コレより上は企業と行政のエリアになっています」

「へぇ〜。ひとつの街みたいだね」

「多治見新首都のビル群は、ビル一棟ごとに街になっているんです。ちなみにココは……」

「霞ヶ関ビルって感じですかぁ」

「さすが作家さん。察しがいいですね」

「自分で〝新首都〟とか言ってるるじゃないですか。それに、例の噂とかあるしね」

「あぁ、思わず言っちゃいましたね。ただ噂の真偽はともかく、そうなっても対応できるように動いてはいるつもりです」

「なるほどぉ。それで手回しよくずっと準備したんですね。日本の官僚さんたちは優秀ですね」

「その辺は想像にお任せします。夜宮さんはこの515号室をお使いください。ココです。着きました。私の部屋は向かいの501号室ですから、なにかあったら呼んでください」

「あーっ。ありがとう。ところで少し話して行きませんか?」

「いいですよ。部屋に戻ってもたいしてやる事ありませんから。とりあえず荷物だけ置いてきます」

 保科はそう言って501号室へ、夜宮は515号室へ入って行った。


 ビジネスホテルよりも少し広い部屋には、まだ新築の匂いがしていた。赤い化繊の絨毯が敷き詰められてるリビングのローテーブルには、保科が持ってきたお菓子が並んでいた。

「保科さんって下戸なの? それとも甘党?」夜宮はあぐらをかいて、ブラックコーヒーを飲みながら、ローテーブルの反対側に座っている保科に聞いた。

「お酒を飲まないわけではないのですけど、つい最近まで仕事していた場所には女性ばかりでだったんです。それで間食にはこういった甘いお菓子ばかりで、お酒も飲まなくなったんです。お酒の方が良かったですか?」

「僕は下戸なんで助かるよ。ところで仕事仲間って告知チームの事ですか? いいチームだったんだね」

「えっ? なんでですか?」

「保科さんは、その仕事場が好きだったから、そこの習慣が身に付いた。それに懐かしそうに話してるからね、なんとなく」

「なんでもお見通しなんですね」

「僕は、なんとなく、ぼーっと見てるだけだよ」

「でも、もうそれ以上はなにも聞かないでくださいね。内緒にしないといけない事なんで」

「好きな人がいたんですね。あっ、ごめんなさい。もう聞きません」

 夜宮は悪戯が上手くいった少年のように笑った。

「ははっ。夜宮さんには敵いませんね。機密は機密なんですけど、どちらかというとプライベートな事を思いだす方が辛いんです。でも、どうしてわかったんですか?」

「お役人が、機密を〝内緒〟だなんて言い方はしないでしょ。プライベートな事だから〝内緒〟だって言ったんでしょ。しかも女性ばかりの職場だから、好きな人でもいたんだと思ったんだよ」

「脱帽です。このままだと夜宮さんが知らなくてもいい事まで話しちゃいそうです。ノーベル文学賞候補になる人はやっぱり違いますね」

「あぁ『神々の黄昏』ですか。あれは本当に手が勝手に動いた感じなんだよなぁ」

「えっと、神の啓示とか、仏様が夢枕に立ったとかですか?」

「そんな非科学的な事あるわけないじゃない」

「あの小説を書いた人がそれを言うんですか?」

「まぁそうだね、僕は京都の宇治の生まれで、両親は奈良にある大きな新興宗教の信者だったんだ」

「あぁ、関西には信者さんが多いですよね。夜宮さんも判子を9個貰ったんですか?」

「読んでくれたんだよね。ありがとう。ずっと反発してたから、初席だけで行くのをやめました」

「ははっ、登場人物と同じじゃないですか」

「いや全く。それでも気になってイロイロ調べてみたんです。調べれば調べるほど僕の中に作られる教組像と、教義の教組がドンドン乖離していくんです。それで思い切ってアレを書いてみたんですよ」

「でもその話って、『神々の黄昏』の中の短編の1つですよね」

「まぁそれがキッカケだよ。それから他の神様も気になって、調べたり聞きに行ったり、歴史書を読んだりしたんだよ。ジャンヌダルクの話を書く時は、心理学や医学の本も読んだかな」

「作家さんって大変なんですね」

「実はジャンヌダルクは、癲癇てんかんだったらしいよ」

「えっ? 癲癇てんかんって、発作で倒れる病気ですよね」

「そうそう。歴史上の人物には癲癇てんかんの人が結構多いみたいなんだ。ナポレオンとか、シーザーとか、ドストエフスキーもそうらしい」

「スゴイですね。なんでなんです」

「よくわからないけど、どうやらサヴァン症候群に近いらしい」

癲癇てんかんになると、特殊能力が身に付くんですか?」

「そんな厨二話ちゅうにばなしはしちゃいないよ。とりあえず話をもどすね。ジャンヌダルクは記憶力が良くて、その記憶の欠片を無意識に再構成できる能力があったんじゃないのかな」

「えっと、ジャンヌダルクの神のお告げは、その能力の結果だと?」

「そう解説している本もあったんだけど、僕はすごく納得しちゃったんだ」

「どうして納得したんですか? それと『神々の黄昏』とどう関係があるんですか?」

「僕も癲癇てんかんなんだよ」

「えっ? そうなんですか?」

「まぁ100人に1人はいるから、珍しい病気じゃないだよ。ただちゃんと治療を受けているのはかなり少ないんだけどね」

「その能力で『神々の黄昏』を書いたんですか?」

「能力って……。そんなんじゃないよ。資料にたくさん目を通してから書き始めると、勝手に話が繋がっていくんだ。エピソードが欲しかったら勝手に湧いてくる感じかな」

「多分、それを能力っていうんですよ」

「なら、そうかもしれないね」

「ちょっと羨ましいです」

「そう? でも睡眠時間には気を使うし、ちゃんと薬を飲んでないと発作が起きるし、発作が起きるとそのあとは回りにも気を使うんだよ」

「あぁ、ご病気でしたよね。失礼しました」

「いや、病気についてはもう慣れたからいいよ。たぶんコレも神様の演出なんだから」

「そんな短編も入ってましたね」

「そうなんだよね。あの短編集って誰か知らない人の話じゃなくて、ほとんど自分の事なんだけどね。みんながなんで騒いでるのか、理由がよくわからないよ」

「ですけど『神々の黄昏』の訳本を聖典にしてる人たちとかいるみたいですよ」

「それこそ迷惑だよ。僕は預言者よげんしゃなんかじゃないし」

「ですけど『神々の黄昏』のおかげでいろんな宗教、宗派がお互いを認め合って、見直しはじめて、宗教を理由にした紛争が減っているんだからいい事じゃないですか」

「それは日本の神道の考え方で、僕はなにもしてないんだけどなぁ」

「今回のノーベル文学賞候補になった理由は、その辺だと思うんですけどね」

「まぁ書いたものが誰かの役に立つならそれでいいや。賞金も入るから、これで貧乏生活ともおさらばできそうだ」

「宗教法人でも作るんじゃないんですか?」

「やめてくれよ。いいを見つけて結婚して家庭に入りたいよ」

「えっ、男ですか? 女じゃなくて?」

「やめてくれよ。僕の恋愛対象は異性だよ」

「夜宮さんって、ご本名は?」

「吉見靖子。だからハンドルは略して〝夜宮〟にしたんだ」

「夜宮さんって、女性だったんですか……」

 保科の声が尻すぼみに小さくなっていった。

「失礼だな。僕は女だよ。いままで男だと思っていたのかい? 今晩だってだったのに、湿っぽい話から入ったから、誘いそこねたんだよ」

「えっ、はい。本当に失礼しました」

「もう、いいよ。こんな身なりじゃ間違えられても仕方ないのかもね。それに同性だと思われていたから深い話ができた気がする」

「そんなに深かったですか?」

「うん。この1年間、他人と腹を割って話した事なんてなかったから、とても心地よかったよ」

 そう言った夜宮が市役所に居た時よりも楽しげにしているのに気がついた。あれは逃げ回るために、意識して作っていたのかもしれないと、保科は思った。

「そう思っていただけたのなら、よかったです。ではそろそろ失礼します」

「またこうして、僕と話をしてくれる?」

「二人っきりの個室でなければ」

「ふんっ。今度はお酒を持って、君の部屋へ行くよ」

「また、そんな事を……。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみなさい」

 保科は夜宮の部屋を出て、自分の部屋に戻って行った。

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