【2020年9月20日 名古屋市役所・市長執務室】

 日も沈み、窓からは名古屋の街灯りがポツポツと見え始めていた。

 応接ソファーに座っている河辺市長の向かいには、白いコットンのカッターシャツに、生地の薄い安物のブルージーンズを履いた人物が座っていた。痩せててボサボサの長髪に何度も手櫛を通しながら、視線を宙に泳がせていた。

「夜宮くん。もうすぐ担当者が来るで、もう少し待っとってね」

「はっ、はぁ。まぁ1年間も逃げ隠れしてして来たから、ここで1時間待つくらいはなんでもないかな」

「まぁ、たぁへんだったね。わしもあんたの小説読んだけど、別に問題になる部分なんか無いと思うんんやけどな」

「僕もそう思ったんだけどねぇ。出版契約した出版社が半年もほったらかしにしてたので、聞いたら『圧力が掛かった』とか言い出したんです。ビックリでした」

「いわゆる〝飼い殺し〟くらったんだね。えらい災難だったね」

「まぁそうなんだけどね、それでもどうしても誰かに読んで欲しかったんだよ」

「それで、パブリックドメインにして、ネットに配布しちゃったと……」

「まぁ、ぶっちゃけそう言う事です」

 夜宮は、柔らかな表情のまま淡々と話をした。河辺市長と夜宮の話が一区切りついた時に、保科が来た事をインターフォンが告げた。

「河辺市長、保科です。失礼します」

「ようおいでたね。岐阜の方は大変だったね。保科くんの方は大丈夫だった?」

「私は大丈夫なんですけど、女の子たちが亡くなってしまって、告知チームは壊滅しました」

「そうか。遺族の方にはできるだけの事はしたってちょうよ。あと火事だったって言い張るように頼んだよ」

「あっ、はい」

「え。えっと、この前の火事ってやっぱりテロだったの?」

「まぁ、あんたに隠しても仕方ないで言っとくけど、わしも何度か狙われとるよ。まぁ死傷者が出たのは先週が初めてやったけどね。次はあんたかもしれんでね」

「まぁそうでしょうね。だから名古屋に逃げて来たんだけど」

「河辺市長、ではこちらの方が?」

「紹介遅れてゴメンね。夜宮くん。今日からあんたの面倒を見る保科くんだ。保科くん。こちらがノーベル文学賞候補の夜宮くんだ。」

「保科です。よろしくお願いします」

「はぁ、僕は夜宮です。ども」

「『神々の黄昏』読みました。神と人間の対話という形で、戦争のない社会を見せていく展開にとても感銘をうけました」

「どうも、ありがとうございます。だけどね『神々の黄昏』は自分で書いた気がしないんですよね」

「どう言う事でしょう?」

「なんかね、突然ね、誰かに書かされてしまった感じなんだ」

「それって、自動書記とかの類いですか?」

「いや、そこまで言うつもりはないんだけど、ノって書けただけですよ。まぁ『神が降りてきた〜』なんて表現する事はあるみたいだけどね」

「あぁ〜」

「どや、保科くん。夜宮くんっておもろいやろ」

「そ、そうですね。なんか、カリスマのない教組さんみたいですね」

「そうそう。わしはそんなところが気にいっとるんだけど、夜宮くんの事を目障りに思うとる奴らも結構多いみたいだよ」

「そうでしょうね。保守系の政党団体の中には嫌がる方が見えるでしょうね」

「いやぁ〜。迷惑でしたよ。本当に」

「それで、出版社に飼い殺しにされかけたんで、著作権を放棄して〝パブリックドメイン〟にして公開されたんですよね。そして他の国の翻訳家が母国語に翻訳して勝手に配布して、売上げのないベストセラーになったと、その辺までは聞いてますよ」

「ほいで、今年のノーベル文学賞候補になっとるらしい」

「あれって、出版されてなくても候補になるんですか?」

「他の国で訳本が出版されてるし、国内でも電子出版とか、セルフパブリッシングとかで本の形になっとるから、いいらしいわ」

「なるほど。最初に出版しなかったから、ノーベル文学賞候補になったんですね」

「そうです。ぜんぶ偶然なんですよ。すごいですよね」

「まるで人ごとですね。それに書いたあなたが、偶然とか言っちゃいますか? 神のご加護じゃないんですか?」

「どうなんでしょ。これが広がってから契約違反で訴えられたり、やたら交通事故に合いそうになったり大変だったので、僕は神様のおかげとか思えませんよ」

「それで、名古屋に逃げてきたと……」

「まぁそういう事です」

「ほいでな、保科くん」

「はい、河辺市長」

「夜宮くんの亡命を受け入れたいんだわ」

 保科は少しだけ黙って、一度だけ空を見上げてから河辺市長へ視線を戻した。

「まだ独立してませんよね」

「ノーベル文学賞の発表は10月8日やけど、授与式は12月10日やから、もう独立しとるでしょ」

「相変わらず、気軽に言ってくれますね。河辺市長」

「まぁまぁ、10月8日の発表の時に受賞できとったら、夜宮くんにコメントして貰うでね」

「受賞できたら。ですよね。まぁそれでも夜宮さんが『わたしは尾張名古屋国民です』と言ってくれれば、海外へかなり大きくアピールできるとは思いますけど」

「でしょう。だもんで多治見につれてって12月まで保護してほしいんだわ」

「わかりました。イロイロな意味で多治見が一番安全ですからね」

「じゃ、たのんだわ」

「移動はいつですか?」

「今から行ってもらうよ」

「えっ? 車の手配は? 普通の車じゃ危ないでしょ」

「いや車じゃなくて、空」

「空?」

「瀬戸線のトンネル通って、坂の下の高校まで行ってちょ。グランドでヘリが待っとるわ」

「あぁー。そうですかぁー。じゃ失礼します。──じゃ、夜宮さんいきましょうか」

「あっ、はぁ、そうですね。じゃ、お邪魔しました」

「ところで……」保科が思い出したように、立ち止まって河辺市長の方へ体を向けた。

「ところで、ノーベル文学賞の候補なんてどうして知ってるんですか? かなりガードが固いはずなのに、どうやって調べたんですか?」

「まぁ、調査室の諜報力もそれくらい成長しとるってことだって」

「わかりました。今度からはその諜報力を活かして、誰も死なせないでくださいね」

「安心してていいよ」

 そう言って河辺市長は、執務室から出ていく2人を見送った。

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