第四章 人質救出

【2020年9月20日 岐阜中央病院】

 特別病棟の個室ベッドで五樹ひとえが眠っている。すこし広めの病室の隅に置いてある寝台としても使える室内用ベンチに、梶木美咲が背中を丸めて座っていた。

 17日に事務所が襲われて、働いていた女の子たち3人が銃撃されて死亡した。18日の夕方には意識があった女の子が1人、息を引き取った。

 一命を取りとめたのは目の前で眠っている、五樹ひとえだけだった。

 美咲は、保科に付き添うように言われて17日からずっと病室にいた。今は眠っているのだけど、それほど状態が悪いわけではない。なのに面会謝絶になっていて、家族さえ会うことができない。

「わたしなんかいても、なにもできないのにな……」美咲はつぶやいて自嘲気味に笑った。

 一緒に仕事をしてきた仲間を一遍に失ってしまい、どうしていいのかわからなかったので、1人でいるよりもいいのかもしれない。だけど、ひとえの3歳の息子と、ご主人の事を考えると、美咲はやりきれなさで押しつぶされそうだった。

「ごくろうさまです」ドアの外で保科が声がする。警備をしている男に挨拶をして、3回ノックの音が聞えた。

「どうぞ」美咲は返事をかろうじて声にした。ドアの外まで届いてないのかもしれない。

「入るよ。お昼持って来たよ。食べよう」

「うん。ありがと。でも、食べたくないから、いいよ」

「美咲。すこしは食べないと、体が持たないよ」

「そうかもね、でもね一日中この病室から出ないから疲れないし、食欲もないし、眠れないし、でも気がついたらウトウトしちゃってさ、わたしって変よね」

「閉じ込めちゃって本当にごめん。外に出て気分転換した方がいいかもしれないけど、まだ危ないんだ」

「へぇ〜。危ないんだ。保科くんは、そんなに危険な事をわたしたちにやらせてたんだね」

「ごめん。ここまで強行してくると思わなかったから」

「わたしはね、大切な人たちを4人も死なせちゃったんだよ。そこで寝てるひとえだって家族にも会えないなんておかしいよね。どうして? 保科くんなにしてるの? 誰が襲って来たの? 教えてよ」

「ごめん。言えない。知れば美咲もやめられなくなる」

「なによその三流ヒーロー映画のセリフ。それでわたしたちをトイレ、シャワー完備の独房に閉じ込めちゃってるの? 笑っちゃうわ」

「美咲……」

「じゃ、このあとどうなるのかしら? 秘密がバレないように何処かの塔の上にでも閉じ込めちゃう? じゃ、髪を伸ばして逃げ出そうかしら? そしたら本当の王子様が迎えに来てくれるかもしれないしね」

 美咲が興奮して声を荒げ、早口でまくしたてる。

「美咲、病院だぞ。落ち着けよ」

「あっ、そ、そうね。少し興奮した。ごめんなさい」

「いや、ずっと閉じ込めているのは悪いと思ってる。もう手を出せないようにしてるから、もう少しだけ待ってくれ。もうすぐ自由に表を出歩けるようになるから」

「死んじゃった、女の子たちの事は? 犯人は捕まったの?」

「犯人というか、実行犯は取調中に死んだ」

「取調中? まさか、縛り上げたり、石抱かせたりして、拷問でもしたのかしら?」

「近い事はやったと思う」

「えっ……?」美咲は保科を見上げながら、吐きかけた息を飲み込んだ。

「つまり、お互いに真剣にやり合ってるんだ。そんな中に巻き込んじゃって本当にすまん」

「あの娘たちは、そんな事を考えもせずに死んじゃったのね」

「あぁ」

「もういいわ。いいから出ていって」

「わかった。弁当はココに置いとくから」

「うん。あと……」

「なに?」

「ご主人と息子さん、面会させてあげてよ」

「わかった。なるべく早く会えるように言っておく」

「ありがと」美咲はひらべったく返事をした。

 保科は、振り向かずに病室を出ていった。

「ごめんなさい。みんなが死んじゃったのは、あんな仕事やらせちゃったからだったんだって。みんなごめん。本当にごめんなさい」美咲のひとり言に嗚咽が混じった。

「みさきさん……」眠っていたひとえが美咲に呼びかけた。

「あっ、起しちゃった? ごめん」

「いえ、保科さん見えてたんですよね」

「うん。来てた。話、聞いてた?」

「なんとなく、夢の中で聞いてました」

「そう……。ごめんね。危ない仕事させちゃって」

「あのね、美咲さん。あの日、窓からなにか投げ込まれたんですよ。なにかなって思っていたら、イキナリ光ったんです。そのあとドアが開いて、〝タタタン〟って音がしたと思ったら、そのまま倒れちゃったんですよ。その時、女の子たちは……」

「もういいから、もう思い出さなくてもいいから、悪いのはわたしなんだから」

「そうなんですか? 仕事は楽しかったんですけどね」

「楽しくても、こんな事になっちゃダメじゃない」

「そうですよね。家族にも会えないなんて酷いですよね」

「そうよね」

「でも、もうこのお仕事、終わりですよね」

「あたり前じゃない。これ以上は続けられないわよ」

「わたしは家族が大事だから。もうやめます。だけど美咲さんは、保科さんと一緒にいたいんじゃないですか」

「そ、それは……。イヤよ。もう回りの人が死んだり、怪我するのはイヤよ」

「そうですよね。──少し疲れました。休みます」

「あぁっ、おやすみなさい。ひとえ」

 五樹ひとえに話しかけながら、美咲はもうこの仕事は続けられないと感じていた。


「今回公開した資料に対して、農水省が反発しているらしいですね」

「食料品の安定供給を保証するのは必須だから、少々の抵抗は覚悟してるよ」

「ですが、今回のテロはどうやら……」

「テロじゃないよ。ただの火災だよ」

「あっ、すいません。今回の火事ですが、右の方から火の手が上がったそうです」

「やっぱりですか。火種は海に沈めて消すように、調査室に連絡してください」

「わかりました。3日の内には跡形もなく、全員消え失せてるでしょう」

「頼みます。はやく彼女たちを自由にしてあげたいですしね」

「あと、調査室の方から今年のノーベル賞について、なにやら動きがあったと連絡が入りましたよ」

「ありがとうございます。後でメッセージで確認します」

「いや、盗聴の可能性があるので、直接お話ししたいらしいです」

「そうですか。帰りにでも寄ります」

 保科は病室のドアの外にいる男にそう言うと、白々しく明るい病院の廊下を革靴の音を響かせて出口に向かった。

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