77 嵐の中でⅦ

 ひときわ強い風に、箱馬車が煽られた。吊り下げられたカンテラの光が、きしきしと音を立てながら揺れている。

 馭者に扮した鷲のギルド員と、ウル・エピテスの門兵との会話が聞こえてくる。

「うまくいくかな」

 声をひそめつつ、どこか楽しげな様子でカホカは左右の窓に首を巡らせた。

 馬車の中は狭い。ティアとカホカはほとんど密着した状態で座っていた。

「なんか、熱っちぃね」

 両手でスカートを掴んだカホカが、ばさばさと風を送る。香水のさわやかな香りが漂った。

 ティアは窓の外に視線を送っていた。

 むしろ、寒かった。

「息苦しい気がする」

 ティアが言うと、

「……サラシ?」

「そうじゃなくて……」

 身体は、たしかに熱い。

 にも関わらず、悪寒が走るようだった。

 それは内門をくぐったあたりからはじまった。ウル・エピテスに近づくにつれ、より強く感じるようになった。

 ティアは腹の上で両腕を組んだ。深く座り直し、足を重ねる。

「体調が悪いの?」

 カホカが訊いた時、馬車の壁を、コンコンとノックする音が聞こえた。

「はーい」

 いつもより声音を高くさせてカホカが返事をすると、

「失礼いたします。車内を確認させていただきます」

 男の声が聞こえた。

「よろしくお願いします」

 カホカが告げると、馬車のドアが開けられた。より強いランタンの光が掲げられ、門兵の男が顔を覗かせる。

「ええと、ベステージュ家の――」

「オクタヴィアです」

 小首をやや傾けるようにして、カホカが門兵に微笑みかけると、「恐れ入ります、淑女レディ」と門兵も笑みをこぼす。

「招待状はお持ちですか?」

 訊かれ、カホカは「アラ」と、驚いたような顔を作った。

「忘れてしまいました……」

「え?」

 男が、まじまじと見返してくる。カホカはくすくすと口元を隠しながら、

「冗談です。ここに――」

 言いながら、招待状をつまむように取った。

「どうぞ。飽きるまで見ていただいて構いません」

 門兵はほくそ笑むように招待状を受け取る。オクタヴィア=ベステージュの招待状に目を落としてから、カホカの顔をちらりと見た。

「王都のご滞在はいつまで?」

「二、三日は。観光も兼ねております」

 カホカが適当に答えると、門兵はうなずき、

「ベステージュとおっしゃいますと、東ムラビアのどの辺りに?」

 知ったこっちゃない、とカホカは思った。

「忘れてしまいました。ご存知でしたら教えていただけると助かります」

 カホカが茶目っ気たっぷりに笑うと、とうとう門兵も声を上げて笑い、「ありがとうございました」と、招待状を返してくる。

 それから門兵は視線をカホカの隣――ティアへと向けた。

「招待状をお願いいたします」

 門兵から声をかけられるも、ティアは気づいた様子もなく、反対側の窓をじっと見つめている。

 門兵が、怪訝そうな表情を浮かべた。

「お兄様、目を開けたままお眠りにならないでくださいます?」

 機転を利かせ、カホカがティアの脇腹をつねる。

「痛っ―――」

「ねぇ、お兄様?」

 ティアが何かを言う前に、カホカは顔を寄せた。

「招待状です。忘れてしまいましたか?」

 笑顔を浮かべていながら、カホカの目は笑っていなかった。

「そうだった」

 あわててティアが招待状を出すと、「もう、お兄様たら」と、カホカが呆れた口調で門兵に渡す。

「拝見します」

 門兵が先ほどと同じように招待状とティアとを見比べた。

「ユーセイドだ」

 愛想も何もなく、ほとんど無表情でティアが告げた。ランタンに照らし出された光のなかで、金髪が輝いている。凛々しい形の眉に、灰褐色の瞳。程よく膨らんだ唇は朱い。

 男性でありながら、中性的な趣をまとうユーセイドに、門兵は恥じ入るように顔をうつむかせた。

「どうぞ、お楽しみください」

 消え入りそうな声で言い、カホカづてに招待状を返してくる。

 何の質問もなくドアが閉じられ、間を置かず馬車が動きはじめた。

「……おかしくね? 反応が逆じゃね?」

 いまいち釈然としない。

 けれど、ティアからの返事はなかった。カホカが見ると、貧乏ゆすりをはじめている。

「ティア?」

 よほど緊張しているのだろうか?

 顔色が明らかによくない。土気色だった。

「だから、どうしたのさ」

 体調が良くないなら、さっさと言ってくれなければどうしようもない。

 一向に喋り出さないティアに、カホカがやや苛立って訊くと、

「……わからない」

 ようやく、ぼそりとティアが言った。

「カホカは、何も感じないのか?」

「何を?」

 眉をひそめて訊き返すと、

「嫌な予感がするんだ。とても、嫌なモノに近づいている。そんな気がする」

「何、嫌な物って?」

 ティアが嘘や冗談でこんなことを言う性格でないのは知っているが、カホカ自身にはさっぱりわからない。

「あ、もしかしてファン・ミリア?」

「ちがう、と思う」

「じゃあ……」

「前にウル・エピテスに忍び込んだ時は、こんな感覚はなかった」

 いまいち的を射ない。

 ――うーん。

 どう声をかけようかとカホカが悩んでいると、馬車が止まった。雨音の隙間に、誘導の声がかすかに聞こえてくる。

「着いたみたい」

 カホカが窓を覗き込もうとした時だった。

 不意に腕を掴まれた。

「お?」

 どきりとしてカホカが振り返ると、ティアは汗を滴らせ、目を泳がせている。自分がカホカの腕を掴んでいることさえ、気づいていない様子だ。

 カホカの腕を掴む手が震えている。

 ――ひょっとして。

 ようやくカホカは思い至った。

 ティアがまだタオだった頃――師匠の元での修業時代、夜長の暇つぶしに、カホカが師匠に怖い話をせがんだことがある。

 タオは怖がって聞きたがらなかったが、カホカは許さなかった。

『聖騎士になるなら、こういう話だって聞いておかなくちゃいけないでしょ』

 無理やり丸め込み、その場にタオを留めさせた。創作か実話かはいまだにわからないが、師匠の話は微に入り細に入り、案の定、タオはビビりまくっていた。カホカは非常に楽しかった。

 その話の途中、カホカの腕を掴み、不安そうに目を泳がせていたタオの表情が、いまのティアにそっくりだ。

 ――脅えてるの?

 まさかとは思ったが、そうとしか思えない。

 わずかに馬車が動き、また止まった。どうやら順番待ちらしい。

 どうしようかとカホカは迷う。

 脇腹の怪我は、まだ癒えていない。それだけではなかった。カホカはファン・ミリアとの戦闘の際、槍を受けた左腕を痛めている。動かす程度には問題ないが、いざという時には心もとない。

 ティアが使えなければ、レイニー救出は難しいだろう。

 ――まったく、こんな時に限ってさぁ。

 この土壇場で、という意味もあるが、せっかくティアが男装しているのだ。ごくごく個人的な理由からだが、こんな時だけでも男らしいティアが見たかったのに、とつい思ってしまう。

 カホカは息を吐くと、

「こりゃ」

 ティアの鼻をきゅっとつまんだ。

 ティアが、はっと気づいた様子で焦点を合わせてくる。

「どうする、帰る?」

 なんでもない口調で訊くと、「え?」と、ティアが目を丸くさせた。

「アンタが何に怖じ気づいたのかはわかんないけど、その気がないのに無理したって成功するとは思えないし。だから――逃げちゃおっか」

 言い、カホカはひひ、と悪戯っぽく笑う。

「そりゃ、鷲のギルドは助けてあげたいけどさ。アタシはアンタについて行くって決めたわけだし。サスはわかんないけど、ディータなら許してくれるかもしれないし。――もし怒られたら、一緒に謝ってあげる」

 目を見開いたまま、ティアがカホカを見つめる。

 馬車が、また動きはじめた。すでに、外からは雨音だけでなく、人のざわめきが聞こえはじめている。

「どうする? アタシは、アンタに従うよ」

 カホカがのんびり訊くと、ティアの瞳が、すぅっと細められた。震えが、ぴたりと止まる。

「謝って済まされる問題じゃないな」

 鼻声ではあるものの、口調は平静のそれである。

「すまなかった。もう大丈夫だ。――行こう」

「そうこなくっちゃ」

 カホカは満足そうにうなずいた。

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