72 嵐の中でⅣ(前)

 王都ゲーケルン。わしのギルド。

 ギルドの頭領であるレイニーの個室である。

 長椅子に、サスは腰かけていた。卓の上に両足を投げ出し、クッションに身体を沈ませる。腕組をしながら、部屋の奥に置かれた寝椅子をじっと見つめていた。レイニー専用のその椅子は、虎の毛皮で装飾されている。

 そこに、険しい顔つきのディータが入って来た。

「何かあったのか?」

 サスが訊くと、ディータは「ああ」とうなずき、

「いま、下に行って来たんだが……どうも様子がおかしいんだ」

「どういうことだ?」

 サスは両腕を頭の後ろに回した。

「なんて言いばいいか……」

 柄にもなくディータは歯切れが悪い。

「言ってみろよ。死んだのか?」

 サスは重ねて尋ねる。『下』とは、いま二人がいる地下一階のさらに下、地下二階を示している。また、地下二階は牢屋しかないことから、そこに閉じ込めている者を指すギルド内での隠語だった。そして今、『下』にいるのは、一昨日、サスが拉致した蛇のギルドの男だけだ。

「いや、そうじゃねぇ」

 首を振りながら、ディータはサスに向かい合って腰を下ろした。巨漢を支える長椅子が、ぎしりと軋む音を立てる。

「収穫があったんだ。お頭の妹のことだ」

「なに?」

 卓に載せた足を、サスはあわてて下ろした。

「居場所がわかったのか?」

「詳しくはわからねぇが、ノールスヴェリアだ」

「ノールスヴェリア?」

 サスは反芻した。意外だった。買われた女たちは、ゲーケルンに連れて来られる。それが蛇の常套手段のはずだ。

「どうやら、お頭の妹はノールスヴェリアで買われたらしい」

「たしかなのか?」

「――と、思う。嘘を言っている様子はなかった」

「なぜゲーケルンではなく、ノールスヴェリアなんだ?」

「そこまでは聞き出せていないが……俺は本当に知らないんじゃねえかって気がしてる。十年ちかくも昔の話だからな。その頃はまだ下っ端だったと言っている」

「だが、レイニーの妹は覚えていたわけか?」  

「かなり目立つ容貌だったらしいからな。髪も肌も白かった。元々はゲーケルンに送る手はずだったらしいが――物好きから横やりが入ったのかもしれない、と言っていた。レイニーの妹だとは今日まで知らなかったらしい」

「そうか……」

 サスはうなずく。他に買い手が現れたと考えれば、納得できない話ではない。

「レイニーが戻ったら、伝えてやらねぇとな」

 サスは独白めいた口調で言った。ようやく手に入れた手がかりだった。サスは、レイニーがどれほどの想いで妹を探しているか、その事情を知っている。

「それと、もうひとりのエルフの娘なんだが」

 ディータが、申し訳なさそうにサスを見た。それだけで大方の予想はついた。

「吐かねぇか?」

「こればっかりはどれだけ痛めつけても、知らない、わからないの一点張りだ」

「だが、奴は何かを知っているはずだ」

「兄貴が船の中で聞いた『あの方』ってやつだろう?」

 訊かれ、「ああ」とサスはうなずいた。

 ノールスヴェリアの港町キトーからゲーケルンに向かう船の中で、サスが聞いた会話である。牢屋からシィルが男の尻を蹴った時だった。激高した男が、シィルを『あの方』に売る、と。そう言ったのだ。

「俺もそれを足がかりに吐かせるつもりだったんだが、どうも妙なんだ」

「妙っていうと?」

「本人は話すと言っている。そして実際に話そうとするんだが、やっこさん、どうしてか言葉が出て来なくなる感じなんだ」

「なんだそりゃ」

 ディータの予想外の言葉に、サスは思い切り眉根を寄せた。

「時間稼ぎか何かじゃねぇのか?」

「もちろん俺も最初はそう思った。だが、同じことを繰り返すばっかりなんだ。口を開くと、何も言葉が出て来なくなるような。で、そうしているうちに自分が言おうとした言葉を忘れちまっていくような。――正直言って、気味がわりぃ」

 そしてディータは「……演技とは思えねぇんだ」と、ちいさく付け加えた。

 サスは不安そうなディータをひとしきり眺め、

「――わかった」

 と、立ち上がった。

「俺も行こう。ついて来てくれ」

 聞いただけでは想像しにくい話ではあるが、ディータがそこまで言っている以上、何かしら異常があると見て間違いなさそうだ。

 ふたりは部屋を出ると、足早に地下二階へと向かう。

 階段を下りると、短い通路の左右に二つの牢屋がある。黒ずんだ重厚な木の扉に、太い閂が二本、上部と下部に通してあり、その間には覗き穴がとりつけられている。

 ――ここは、まぎれもなくギルドの暗部だ。

 いつも、来るたびにサスは思う。

 ――結局、俺たちも蛇と変わらねぇ。

 鷲のギルドは義賊だなんだと褒めそやす者もいるが、本質は暗殺ギルドである。

 ちがうのは、何を傷つけるか、何を奪うか、ということだけだ。

 きっと、そう思っているのはサスだけではないだろう。レイニーも、ディータも、同じ気持ちのはずだ。

「せめて、蛇よりはマシだと思いてぇもんだが……」

 つぶやき、サスは右の部屋の覗き穴を見た。

 暗闇のなかで、男が床にうずくまっている。サスが視線だけで合図をすると、ディータが上下のかんぬきを抜いた。

 入ると、男がかすかに反応した。くぐもった呻き声がサスの耳に届く。

 サスは、黙って男の髪を掴んだ。容赦なく引き起こす。痛めつけられた顔の痣が、紫色に変わりはじめていた。腫れた口元には多量の血がこびりついている。両腕は動かせず、もはや涙さえも流してはいなかった。

「もう……許して……くれ」

 光の失せかかった男の瞳を、サスはじっと覗き込んだ。

「その言葉を、今までにテメェがさらった人間に言えるか?」

 抑揚のない声音で問いかける。

「お前が船で言った、『あの方』っつーのは、誰だ?」

「あの……方……」

「言えば、楽にしてやる」

 サスが言うと、男の口が開き、閉じ、また開いた。

「あの……方……は」

 ディータの言う通りだ。男は何かを言おうとしている。男の瞳が、虚空を見つめていた。さらに男は何度か口を動かしたが、やがて「痛てぇよぉ」と、泣き声を上げはじめる。

「おい、『あの方』だ。誰のことだ?」

 改めて聞くと、また男は「あの……方……」と同じ言葉を繰り返した。

 ――こりゃ、何だ。

 当てもなく視線をさまよわせる男から、傍らに立つディータを見上げた。ディータは無言のままサスにうなずき返す。「こういうことなんだ」と、その顔が告げていた。

 サスはしばらく考えてから、

「お前は、ノールスヴェリアで買った人間をゲーケルンに送っていた。そうだろう?」

 話を変えて訊くと、男はぼんやりとした顔つきでうなずいた。

 ――これには反応するのか。

 思いながら、サスは漠然と感じていた。

 ――コイツはもう隠そうとはしていない。

『あの方』を隠そうとしているのは、男ではない、別の何かだ。得体の知れない何かの力が、男の口を封じている……。

 さらにサスは考える。ややあってから、男に話しかけた。

「お前は、上から命令されていたよな。なぁに、お前は悪くねぇ。悪いのはぜんぶ上の連中さ。お前は、言われたことをしていただけなんだよな」

 同情するような口調である。聞こえているのかいないのか、男の反応は薄い。

 それでも構わずサスは続けた。

「お前は仕事をした。そりゃそうさ、誰だって生きてくにゃ、金がいる。俺だってそうさ。お前だってそうだろう? お前は仕事をしたんだ」

「仕事……」

 男が、サスの言葉を繰り返す。

「そうだ、仕事だ。船で商品を運ぶ仕事だ。いろんな商品があったよな。魚か、酒か、たまにちょっとした非合法な物を運んだ時もあったよな。――それをお前は届けた。だから代金を受け取った。お前は得意先から気に入られてる。ああそうさ、上客だ。しこたま金を持ってる客だ。ええっと、客の名前はなんてったっけな」

 サスは男に話しかけるというより、ひとりごとを言うように、

「なんだったかな。客の名前だ。いや、ド忘れしちまったな。重要な客なんだ。これを忘れちまうと、商品を届けられねぇ。せっかく仕事をしたのに、金をもらえなきゃタダ働きだ」

「金……」

 男のつぶやきに、サスは指を鳴らした。

「そうだ、金をもらわにゃならんからな。よし、今からでも遅くねぇ。代金をもらいに行くとするか。ええっと、客の名前はたしか――」

「ハ……ズ……ク」

 男が言った瞬間だった。突然、男の瞳が持ち上がり、ぐるりと白目を剥いた。

「――何だと?」

 驚くサスの視界の端で、折れたはずの男の腕がピクリと動いた。

「兄貴、危ねえ!」

 ディータの声が牢屋に響き渡った。

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