67 晩餐会前夜Ⅱ(前)

 上客のみが教えられる二階の入口は飾り気のない木枠のドアだったが、入ると、絨毯の敷かれた通路が長く通してある。

 ジルドレッドとファン・ミリアが待っていると、ピンと背筋を伸ばした給仕らしき男が現れ、ふたりは一室へと案内された。

「団長は、ここをよく使われるのですか?」

「昨日、来たばかりだ」

「昨日?」

 部屋は完全な個室になっている。ジルドレッドから座るよう促され、ファン・ミリアは椅子に腰かけた。ジルドレッドは自分の飲み物を告げると、

「お前は、葡萄酒でいいのか?」

 訊かれ、ファン・ミリアは「はい」と応じる。

 室内は、取り立てて豪奢というわけでも、洒落ているわけでもなかった。むしろ狭く、重厚そうな石壁にはタペストリーが掛けられているものの、特に見るべきところもない意匠である。

 ただ、その分、落ち着いている。清潔だった。

 丁寧に磨かれた食卓は触れば指紋がつきそうだったし、部屋中を見回しても埃ひとつなさそうだ。窓は透明度が高く、光をまとうウル・エピテスが間近に迫っている。室内が簡素であればこそ、より王城が輝かしく見えた。

「昨日――ノールスヴェリアの鬼子がな、街を見たいと駄々をこねた」

「ああ」

 と、ファン・ミリアは納得した。たしかに、この部屋なら情報は漏れないだろうし、お忍びにはうってつけだろう。

「団長は気に入られているようですね」

「ありがたいとは思えんがな」

「何を」

 と、ファン・ミリアはちいさく笑みをのぞかせた。

「癖のある方だとはお聞きしていますが」

「癖というか、灰汁あくが強い」

 ややうんざりした面持ちでジルドレッドは苦笑した。

 ――ノールスヴェリアの鬼子。

 ファン・ミリアとは面識のない人物である。

 ルガーシュ=フルア・ルゥ。

 魔家まけ、すなわち魔導に通じる家系と聞いている。ノールスヴェリアは東ムラビアと比べて魔法を扱う者が多いとされているが、フルア・ルゥはそのうちの大家であり、ルガーシュ本人は長命と噂されている。が、当主ではない。

 そのあたりの事情が『鬼子』と呼ばれる所以であるらしい。何しろフルア・ルゥは屍馬しばという意味があり、おまけにルガーシュは『蹴る』という意味があるのだ。

 ルガーシュ=フルア・ルゥ。

 すなわち『屍馬蹴り』となる。

 名前を聞いただけでも一筋縄ではいかなそうな人物だ。

 そのルガーシュが外交の任に付き、東ムラビアに来ている。彼はなぜかジルドレッドをいたく気に入っている様子で、そのため案内役の白羽の矢が立ったのだ。

 聖騎士団の任務は、間違っても重要人物の案内などではない。しかし、東ムラビアが聖ムラビアと戦争状態にある今、両国に隣接するノールスヴェリアの動向を無視することはできない。ノールスヴェリアは両国に対して静観の姿勢を取ってはいるものの、それも風向き次第である。

「今回の視察を受け入れたのは、ノールスヴェリアを我が国に引き寄せるためですか?」

 率直にファン・ミリアが訊くと、

「さて、な。俺は何も聞かされていないが」

 興味なさそうに答え、ジルドレッドはドアを向いた。先ほどと同じ給仕が葡萄酒の瓶と、琥珀色の液体の入ったグラスを持ってきた。すでに顔見知りらしく、給仕はジルドレッドとなごやかに二言三言、言葉を交わすと、すぐに部屋を出ていった。ジルドレッドの前にはグラスを、ファン・ミリアには慣れた手つきで葡萄酒を杯へと注ぐ。

 何も言わずに乾杯をした。ファン・ミリアは杯の中で液体を静かに回し、口をつけた。

 こくりと喉を鳴らして飲み、ふと視線を上げる。

「……あの、何でしょうか」

 ファン・ミリアは怪訝に思って尋ねた。ジルドレッドが、目を細めてこちらを見つめていたからだ。

「この店で一番上等な葡萄酒だが、感想はないか?」

「美味しい、と思います」

 言ったものの、実際はよくわからなかった。最近、何を食べ、飲んでも、味気なく感じてしまう自分がいる。

 テーブルの上でグラスを傾けながら、ジルドレッドがやや鷹揚に椅子に背を預けた。政治に対して距離を取っているジルドレッドだが、立場として関わらざるをえない場合もあるし、さすがに今回、国賓級のルーガシュを相手にするのは気疲れもあるだろう。

「団長の――」

 と、ファン・ミリアは口を開いた。ジルドレッドの気分転換になるような話題を考えながら、

「娘御はお元気ですか?」

「ん?」

 と、ジルドレッドは一瞬だけ意外そうな顔をした後、「まぁな」と、かすかに歯をのぞかせる。

「たしか、五才ですか」

「今年で六だ」

「お転婆でしょうね」

「いや、それがずいぶんと大人しい」

 誰に似たのか、とジルドレッドは翠眼を柔らかくさせる。

「奥方に似たのでしょう」

「そうだとは思うが」

 ジルドレッドは困ったように笑うと、分厚く大きな手を自分の首筋に当てた。

「俺はあれぐらいの時分にはもう、剣を握っていたからな。まぁ、握っていなくても野山を駆け回るぐらいのことはしていただろう。娘というやつは、さっぱりわからんな」

「男親でしたら、そう思うものかもしれません」

 普段、聖騎士という猛者たちをまとめ上げているジルドレッドにとって、幼い娘は別次元の生き物に見えるのかもしれない。

「お前も、子供の時は大人しかったのか?」

 訊かれ、ファン・ミリアは思わずうめき声を発しそうになった。

「今は、大人しくありませんか?」

「荒れ狂う竜巻に見える程度には、大人しくはないな」

「心外です」

 ファン・ミリアはすこしだけ怒ったような顔つきを見せながら、

「私は――そうですね、子供の頃は、やはり大人しい子供でした。大人しすぎてよく怒られたものです。『大事な服を泥だらけにして帰ってくるとは何事か』と」

「想像に難くないな」

 ジルドレッドは含み笑いをする。

 ファン・ミリアも笑い、葡萄酒の杯を取ると、

「お前は、シフルに行くつもりか?」

 ジルドレッドの問いに、ファン・ミリアの杯を持つ手が固まった。

「どういう意味ですか?」

「シフルを得た時、どう治める?」

 訊き返され、ファン・ミリアはようやく合点がいった。

虚領きょりょうにするつもりです」

 きっぱりとファン・ミリアが言うと、

「そうか」

 と、どこか安堵した様子でジルドレッドがうなずいた。

「ご心配をおかけして、申し訳ありません」

「いや。お前がそのつもりなら、俺から言うことは何もない。虚領とはいえ面倒なことも多いだろうが、わからぬことがあれば教えてやる」

 ジルドレッドの言葉に、ありがとうございます、とファン・ミリアは丁寧に頭を下げた。

 虚領とは、地方領地の治め方のひとつである。

 通常、領主は自身の領内におり、住居――屋敷や城を構えて政を行う。戸籍を整備し、税を課す等である。有事の際には領兵を指揮し領地を防衛すると同時に、帰属する国に対して忠誠を誓う。

 しかし、場合によってはこれが適わぬことがある。

 基本的に領主の地位は世襲によって引き継がれ、次代に継承されていくわけだが、ファン・ミリアは夫も子も持っておらず、また本分としての立場は聖騎士団筆頭であり、要職である。

 おいそれと団を離れるわけにはいかない。

 そのため、支配権を持ちながらも領主が直接的に統治を行わないこと、またその地を指して虚領と呼ぶ。

 この形態は国から認められた例外的な措置であり、おおむね大貴族か、一代の功績によって領地を得た者が許される場合が多い。ファン・ミリアの場合は明らかに後者で、ジルドレッドもまた同様である。

 虚領の場合、領主が治めるべき地を離れているわけで、では誰が実務的に治めるかというと、これも状況によって様々だが、ファン・ミリアとしてはシフルに接した領地を持つ、評判の良い領主に任せようかと考えていた。

 要するにシフルに近い領地を持つ領主に、管理を任せようというわけである。領地において徴収した税の一部を管理者たる隣接領主に支払い、かわりに面倒を見てもらう、という仕組みである。

 ただ、領地経営の全部を任せてしまうと、その管理者たる別領主が何をしているのかわからないという危険性が出てくる。管理料だけを取り、管理すべき土地を放置する、といった具合にである。

 その対策として、本来の領主は目付け役を自領に送り込む。果たして管理者が報酬に見合った働きをしているか、領民に対して無慈悲な統治を行っていないか、監察を行うわけだ。

 ファン・ミリアはこれを、従者であり親友でもあるルクレツィアに任せようと考えていた。彼女であれば管理者が領民を蔑ろにする行為を許さないし、また、管理者から賄賂を受け取るなどして買収され、領主たるファン・ミリアに虚偽の報告をするといった心配をしなくてすむ。

 そうしてルクレツィアには経験を積んでもらい、ゆくゆくは管理そのものを任せたい――というのがファン・ミリアの構想だった。

 だが、そうなると必然的にルクレツィアは王都を離れざるをえなくなるわけで、ファン・ミリアはまた寂しい王都暮らしに戻ることになるが、瑣事さじである。諦めるしかない。

 話を戻すと――。

 ジルドレッドはファン・ミリアがシフルに行ってしまわないか――聖騎士団を辞めてしまうのではないか、心配してくれていたのである。

 これに対して、ファン・ミリアは『虚領にする』と答えた。言い換れば、聖騎士団を辞めるつもりはないことを伝えたのだ。

 このあたりの旨については、すでに国には伝えてあるものの、たしかにジルドレッドには伝えていなかった。

 ――どうやら、自分は上司にいらぬ心配をさせてしまったらしい。

 そう思ったがゆえに、ファン・ミリアはジルドレッドに詫びたのだ。

 言いたくても言えぬことがあるのではないか。内心で鬱屈した悩みを抱えているのではないか。

 ジルドレッドはそんなふうに自分を慮り、食事に誘ってくれたのかもしれない。

 だから――ファン・ミリアは食事が運ばれ、再びふたりきりになった個室で、紫水晶アメジストの瞳をゆっくりと持ち上げた。

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