68 晩餐会前夜Ⅱ(後)
「――団長は、最近の王都を騒がせている暗殺ギルドの抗争を知っていますか?」
「ある程度はな。だが、知っている内容はお前と大して変わらん」
ファン・ミリアのただならない雰囲気を感じ取ったのか、今度はジルドレッドが料理を口に運ぶ手を止めた。
「今回、我々が軍の要請を請けて護送をしたのは、『鷲』と呼ばれる暗殺ギルドの重要参考人でした」
ジルドレッドはちらりとファン・ミリアを一瞥しただけだった。続けろ、という意味だろう。
「そのさらに前日、私が偶然に出会ったカホカという人物。これが鷲のギルドの構成員とともに現れたのは報告した通りですが、そのカホカが、『蛇』と呼ばれるもう一方のギルドは人身売買を行っている、という話を私に伝えてきたのです」
「……証拠は?」
「ありません。知っているのか、知らないのか。すくなくとも私には言いませんでした」
「お前の心証はどうだ?」
「わかりません。しかし、カホカは確信があるような口調でした」
「考える余地があると?」
ファン・ミリアは口ごもった――ものの、
「調べるべきかと思います」
そうか、とジルドレッドはフォークを皿に置いた。銀器の、カチャリと皿に触れる音が部屋に響く。窓の外の雨音が近くなった気がした。
「お前も食え。冷めると不味いぞ」
促され、ファン・ミリアはフォークを手に取った。燻製にした豚肉を切り分け、香草のソースにつけて口に運ぶ。
「……ベイカーとも相談してみるか」
つぶやくようなジルドレッドの言葉に、ファン・ミリアはすくなからず驚いた。
「彼女の言葉を信じるのですか?」
「さぁな。俺はそのカホカという女を話でしか知らんが、お前は引っかかっているのだろう?」
「……はい」
「なら、調べてみるさ」
ジルドレッドは言い、「それにな」と付け加えた。
「俺も心当たりがないわけでもない」
「というと?」
「お前が護衛に出ていた時、つまり昨夜だが、城で、ごく微弱な魔力が発生した。通常ならば見逃しても仕方がないといった程度のな。本部からは距離もあり、大気で散発的に発生する魔力に紛れてほとんど把握できない力だった。実際、うちの探索班でさえ気がつかなかった」
「では、一体誰が?」
「ルガーシュだ」
苦り切った口調でジルドレッドがその名を口にする。
「さすが、といったところだな。時間的に見て、お前が城を出てからそれほど経ってはいなかっただろう。俺がルガーシュの供をして城を出ようとした、そのタイミングだった」
その時、ルガーシュは城門からふと振り返り、不思議そうにウル・エピテスを仰ぎ見てこう言ったのだ。
『――貴国では、空に魔性でも飼っているのか?』と。
「空……」
その話を聞いて、ファン・ミリアはある事実に思い至った。
「まさか――」と、つぶやく。
「蝙蝠ですか?」
「そういうことだ」
ジルドレッドが認めた。
「本部でお前から聞いた報告と、奇妙な点で一致していることがある。そのカホカなる女の仲間と思われる、もう一人の女。お前の報告では蝙蝠に化けたそうだな」
ファン・ミリアが無言で認めると、
「ベイカーからも聞いている。最初に異変に気付いたのは、お前がウル・エピテスに舞う蝙蝠に微量な力を感じ取ったことがきっかけだった」
「つまり、その女がウル・エピテスに忍び込んだと?」
「確証はないが、俺はそう見ている。――であれば、なぜ女はウル・エピテスに忍び込んだのか、という疑問にぶつかるわけだが」
「レイニー……鷲のギルドの頭目」
ファン・ミリアは緊張した声音でつぶやいた。
「カホカという女と、その仲間である蝙蝠の女、このふたりが『鷲』と呼ばれる暗殺ギルドとつながっているのなら、そう考えるのが自然だな」
それだけではない、とジルドレッドが続けた。
「ルガーシュの助言を受け、俺が調査を指示したのはウル・エピテスの尖塔のうちのひとつだった。俺自身、半信半疑ではあったが、グスタフを行かせたところ、そこはまさしくレイニーを捕えてある牢獄だった」
グスタフとは、聖騎士団員の名である。グスタフ=レイフォード。聖騎士団の中でも上級、つまり隊長格の男で、
「結果は?」
料理を食べることさえ忘れ、ファン・ミリアが訊くと、
「空振りだった。いや、正確には追い返された」
そこでグスタフが見たのは、鎖に繋がれたレイニーと、自分たちのすぐ後に現れたウラスロの使者だったという。
「ひっきりなしに聖騎士団の本部に来ては、お前を晩餐会へと誘ったあの男だ」
「なぜ、あの男がそんなところへ?」
気弱そうな男だった。ファン・ミリアが見るたび、つい苛立ってしまうほどの。
当然の疑問をファン・ミリアが口にすると、
「わからん。わからんが、軍とあの男に繋がりがある、と思うしかない。しかも、だ。もし男が独断によって行動したのではないとすると――」
「ウラスロ殿下が、今回の件に関わっている?」
ファン・ミリアの推測に、しかし、ジルドレッドは答えず、
「加えて今日、聖騎士団に通達があった。明日はお前が晩餐会に出席するめでたい日ゆえ、聖騎士団は臨時に休暇を与える、とな」
「馬鹿な」
思わずファン・ミリアは声を荒げた。たしかに明日、ファン・ミリアは晩餐会に出席する。するが、それで所属する団が休暇になるなど、聞いたためしがない。前代未聞である。
「それは、殿下からの下知ですか」
「まさか」と、ジルドレッドは一笑に付した。
「俺たちは、殿下の
「では、いったい――」
「いちおう、
そうであれば、命令の出どころ自体はおかしくはない。
宰相府とは、聖騎士団の上位組織であり、王の下命を受け、実質的な国家の運営を担う部署である。構成員は東ムラビア王国を代表する大貴族がずらりと名を連ね、フーノック卿もその一員で、聖騎士団の後見人として、団を監督・指導する役割を負っていた。
「卿は何と仰っていましたか?」
「あの方は狸だ。何も言わんさ。――そう決まった、と。これだけだな」
やれやれと言わんばかりに、ジルドレッドは特大の溜息をついた。
「どうやら明日の晩餐会、上の連中は俺たちを遠ざけておきたいらしい」
「連中とは具体的に誰か、団長は心当たりがありますか?」
「ない、と言っておこう」
意味ありげな物言いである。しかし、ファン・ミリアはそれ以上つっこんで聞くのを控えた。ひょっとするとジルドレッドには心当たりがあるのかもしれないが、おいそれと口に出すわけにはいかない、という意図が感じられたからだ。
「しかし命令は命令だ」
ジルドレッドが、うんざりしつつも生真面目な表情を作った。
「明日、団員には自宅、もしくは寮で待機するよう伝えてある」
ファン・ミリアはうなずいた。
「だが、俺とベイカーは何くれとなく理由をこじつけては本部に詰めておく。また、最低限のこちらからの要望として、お前にはグスタフをつけることをフーノック卿に認めさせた。常にお前の手の届く
「わかりました」
「ともあれ、せっかくの晩餐会だ。お前は気が進まんだろうが、楽しめる分には楽しめ」
「……はい」
ファン・ミリアはそれだけ返事をするのがやっとだった。
食事を終え、ジルドレッドを乗せた馬車を見送った後、ファン・ミリアは屋敷までの道のりを歩いて帰った。
店が用意した馬車を勧められたが、ファン・ミリアは断った。
十歩以上の距離は歩かずに馬車を呼ぶ、というのが貴族の習慣ではあるものの、ファン・ミリアはまだ貴族ではない。実際、店から屋敷は目と鼻の先である。
何より、歩きたかったのだ。
しかし、昨夜から続く雨はいっこうに降り止む気配を見せず、むしろ強くなっていくようだった。
短い距離ながら、ファン・ミリアは濡れそぼって屋敷の門をくぐった。扉に取り付けられた
「私だ」
「サティ?」
すぐに扉が開いた。ルクレツィアはファン・ミリアを見るや、「まぁ!」と黒茶色の瞳を丸くする。
「あなた、また濡れて帰って来たの?」
「うん……すまない」
と、ファン・ミリアが答えると、ルクレツィアは呆れたように腰に手を当てた。
「昨日の今日で、聖女さまはいつからそんなに雨に打たれるのがお好きになったのかしら」
「いつごろだろう」
ファン・ミリアがぼんやりと答えると、ルクレツィアから「来なさい」と手を取られた。
居間の長椅子に座らせられ、
「服を脱いで待ってて」
言い置き、足早に室を出ていく。
ファン・ミリアがもたついた手つきで服を脱いでいると、すぐにルクレツィアが戻ってきた。腕に布をかけている。
まだ服を脱いでいないファン・ミリアを見て、「なんでまだ着てるのよ」と、ルクレツィアがさらに呆れ顔を作った。
「脱ごうとはしていた」
ファン・ミリアが抗議すると、
「でも脱いでないじゃない」
ほら、手を伸ばして、とルクレツィアから言われるがままに、ファン・ミリアは手を伸ばした。
服を脱がされ、裸に近い恰好で長椅子に横になった。ルクレツィアはファン・ミリアの頭の後ろに立つと、濡れたストロベリーブロンドの髪を拭きはじめる。
頭の上に布をかぶせられ、ファン・ミリアはされるがままになっていた。
あくびが出た。
「髪を拭かれるのは、気持ちがいい」
ぽつり、とファン・ミリアが言うと、
「だから濡れて帰ってきたの?」
上から、ルクレツィアの声が落ちてくる。
「そうかもしれない」
「いいご身分ですこと」
ルクレツィアがファン・ミリアの髪の
「もう、せっかくの髪が台無しじゃない」
丁寧に髪を乾かしながら、
「今日、ドレスを広げてみたわよ」
「……」
けれど、ファン・ミリアは無言のまま何も言わない。
「サティ、あなた今、すごい嫌な顔をしているわね。見なくてもわかるわ」
その通りだったので、やはりファン・ミリアが無言でいると、ルクレツィアの笑う気配がした。
「それはそれは豪華なドレスだったわ。染め残しもまったくない、ぜんぶがキレイな群青色。たぶん、
「……気持ち悪い」
ファン・ミリアが心の底から思って言うと、
「あらあら、今夜の聖女さまはとってもご機嫌が斜めね」
くすくすと、ルクレツィアが忍び笑いをもらす。
「普通、殿方からあんな素敵なプレゼントをもらえば、泣いて喜ぶものよ?」
「欲しいなら、ルクレツィアに譲ろう」
「殿方からじゃなくっちゃ、意味がないわ」
「私は、ルクレツィアからもらったほうが嬉しい」
「あら、光栄ね。でも私が贈るには、もうちょっとお給金を上げてもらわないと無理そうだわ」
そうだな、とファン・ミリアは瞳を閉じた。
雨に打たれた後の気だるさに身を任せていると、
「明日、午過ぎに髪結い師が来るわ。あなたのことを伝えたらね、そりゃもう大興奮、完璧な髪形に仕立て上げます! って張り切ってたわ」
「ん」
「その後で、宝飾師ね。
「ルクレツィア」
「なあに?」
「眠る」
「どうぞ、ごゆっくり」
ルクレツィアが言い終わらぬうちに、静かな寝息が聞こえてきた。
よほど疲れていたらしい。それもそのはず、昨夜は一睡もできなかったようだ。
――サティは、悩んでる。
どんな悩みかは知る由もないが、ルクレツィアは気づいていた。
――これだけ甘えてくるなら、言ってくれればいいのに。
友人としてそう思わないでもないが、このあたりの矜持が、ファン・ミリアという人らしい気もする。
髪を拭き終わると、ルクレツィアはファン・ミリアに上掛けをかけてやった。部屋の灯をすべて消す。
「せめて、寝ている時くらいはいい夢を見てね」
ちいさく声をかけると、足音を立てずに居間を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます