66 晩餐会前夜Ⅰ

 王城ウル・エピテス。

 聖騎士団本部の団長室に、ファン・ミリアが憮然とした面持ちで直立している。

 重厚な机のむこうで、団長のジルドレッドもまた渋面を作っていた。その背には、雨が降りしきる王都の夜景が見えた。

「お前が、任務を失敗するとはな」

 昨夜に関する報告を聞き終えたジルドレッドが、溜息まじりにつぶやいた。

「返す言葉もありません」

 ファン・ミリアは両手を後ろに握り、ただ処罰を受け入れる覚悟のようだ。

「お前は、いさぎよすぎる」

 苦虫を噛み潰したようにジルドレッドが言った。

「普通はな、あれこれと理由をこじつけては、自分に責任はないと言うものだ」

「私の性分ではありません」

 生真面目に返してくるファン・ミリアに、「わかっている」とジルドレッドはやや面倒そうに手を振ってみせる。

「だが、事前に言い逃れを用意するのはこのウル・エピテスの常套ではある。己の非を素直に認めるのは、己の中で十分だ、という考え方もあるだろう」

「団長なら、そうするのですか?」

「時と場合によってはな。志のない相手にお前の高潔さを見せつけたところで、かえって付け入る隙を与えるだけだぞ」

 ファン・ミリアは黙り込む。憮然としたなかに、かすかな不満が覗くのを、ジルドレッドは見逃さなかった。

 小言や、場合によっては罵声を浴びせかけられるくらいの覚悟はあっただろう。けれど、この角度から文句をつけられるとは思っていなかった、という表情だ――そうジルドレッドは見た。

 内心では微笑ましく思わないでもないが、上司として、ジルドレッドはそんな表情をおくびにも出さない。

 英雄、あるいは聖女としてのファン・ミリアの才能と能力は万民が認めるところだが、実のところ、未熟な面も多い。

 今、ファン・ミリアが作っている表情がその証左でもある。

 どれほど優秀な人間だとしても、彼女はまだ若い。

 性格にかどがあり、その角があることを認めることができない。ファン・ミリアに限らず、若さとはそういうものなのだろう。

 これまで多くの若い優秀な部下を従えてきたジルドレッドには、それがよくわかった。

 ファン・ミリアの場合、自分に対する理想が高すぎるのだ。それこそ英雄として、聖女として、「自分はこうでなくてはならない」と自身を規定しすぎるきらいがある。

 ――自分に理想を求め過ぎると、他者にまでその理想を押し付けるようになる。

 ジルドレッドは常々、ファン・ミリアの潔癖な性格を危惧していた。

 また先達せんだって、副団長のベイカーから、ファン・ミリアが悩んでいるらしい、との報告があった。ベイカーは彼女から『理想』についての相談を受けたのだという。

 ジルドレッドも薄々は気づいていたことだが、シフル領での一件以来、どうも気持ちが晴れないらしい。

 タオ=シフルの死に触れ、何かしら思うところがあったのだろう。

 求められもせずにあれこれと助言をしたところで、ファン・ミリアは簡単には受け入れはしないだろう。自己への厳しさが転じ、頑なさ、意固地さ、さらに言えば、ある種の傲慢さがこの娘にはある。

 つまるところ、ファン・ミリアはまだまだ幼いのだ。

 だからこそ、ジルドレッドはこの部下を微笑ましく思っている。同時に、将来、いま以上にこの国の重責を担うであろう彼女に、どうにか処世術なり、柔らかさなりを身につけて欲しいとも思っていた。

 ――誰しもが、理想を目指して生きる強さを持っているわけではないのだ。

 人の心は美しいが、醜くもある。

 自己を顧みず、命を投げ捨てて誰かを救おうとする者もいれば、ごくわずかな金のために人を殺める者もいる。

 それゆえ、かつてジルドレッドはファン・ミリアに告げたのだ。

『理想は高潔であればあるほど、成し遂げることが難しい』と。

 ジルドレッドはひとつ、咳払いをした。

 その一挙手一投足を、ファン・ミリアがまっすぐな瞳で見つめてくる。

 やれやれ、とジルドレッドは再び溜息をこぼしたくなるのをぐっと堪え、

「お前と飯を食いに行ったのは、もう随分前のことだな」

「は?」

 だしぬけに言われ、ファン・ミリアはきょとんとした表情を作る。

「明日の晩餐会は、お前が主賓なのだろう?」

「私はただ、殿下からのお誘いをお請けしただけです」

 ファン・ミリアの表情が打って変わって硬いものになる。

 ――殿下も、ファン・ミリアにその気がないのを察してしかるべきなんだがな。

 ジルドレッドは内心、呆れた気分で、

「お前の心情は知らんが、今回の晩餐会の主旨はそうなっている」

 言うと、ファン・ミリアは無言のまま、いかにも不機嫌そうに唇をへの字に曲げた。滅多に見せない表情ではあるが、これはこれで趣があるな、とジルドレッドは感心しながら、

「まぁ、すこし付き合え、そう遅くにはならんだろう」

「はぁ……」と、ファン・ミリアは二度三度まばたきをして、

「しかし、また何者かがウル・エピテスに侵入するのでは?」

「その話もしたい。遠くの店は選ばんさ。我が団は警護の任から蚊帳の外だしな」

 ジルドレッドはそう言って椅子から立ち上がった。

「着替えて来い。俺はベイカーに伝えて馬車を回しておく」

「わかりました」

 ようやくうなずき、ファン・ミリアは部屋を出ていった。



「よろしいのですか?」

 着替えを終え、二人がけの幌馬車に乗り込むと、ファン・ミリアはジルドレッドの隣に腰かけた。

「何がだ?」

 制服姿のまま、ジルドレッドが訊き返してくる。

「私に構うより、早く家に帰って娘御の相手をしたいのではないかと」

 ジルドレッドにはまだ幼い娘がいるのを、ファン・ミリアは知っていた。たしか、五歳か六歳だったはずだ。父親として可愛い盛りだろう。

「いらん気遣いをするな」

 ジルドレッドは鼻で笑う。

「お前に心配されるほど、所帯じみて見えるか?」

「いえ、まったく」

 動き出した馬車のなかで、そんな会話をしていると、

「そういえば、お前の好物を聞いたことがなかったな」

「好物、ですか」

「奢りだ、好きな物を言っていい」

「好きな物……」

 つぶやき、ファン・ミリアは幌の一部を切り取ってつけられた小窓の庇から、雨が落ちるのを見た。

「……パンと葡萄酒」

「お前は、禁欲でもしているのか? それとも俺の財布に遠慮をしているのか?」

「いえ、そういうわけでは」

 鋭い突っ込みに、ファン・ミリアはあわてて首を振った。

「特に好き嫌いは……ただ」

「ただ、なんだ?」

紅茸べにだけは好みません」

 子供時分、故郷のラズドリアの森できのこ狩りをした際、野生の紅茸を食したことがあり、これが見事に中毒あたった。猛烈な吐き気と腹痛に襲われ、死ぬかと思った。多分、まだ幼かったため、体内の浄化作用が未熟だったせいだ。それ以来、紅茸はどうも苦手だ――ということをファン・ミリアが神妙な口調でジルドレッドに伝えると、

「もういい。俺が決めるぞ」

 嘆息して、ジルドレッドが御者に店名を伝えた。数分後、馬車が止まった先は、ファン・ミリアも知っている店だった。入ったことはないが、王城からすぐ近くである。ファン・ミリアの屋敷からも遠くない。

 ジルドレッドは正面口からは入らず、脇にとりつけられた階段を上っていく。

 ファン・ミリアはその背中を追いかけた。

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