65 鷲のギルドⅥ (後)
押し黙って考え込んでいたサスがようやく口を開いたのは、カホカがひとりで料理のほとんどを食べ終えた頃だった。
「ウル・エピテスがウラスロの所業を隠したいと思うんなら、
「どういう意味だ?」
ティアはちいさく首を傾げる。
「ウル・エピテスがウラスロの非道な行いを、異教退治という名目にすり替えようとしても限界がある。たしかにゲーケルンの住人の大半はそれを信じるが、一部では疑う者も出てくるだろう。ウラスロがアンタの言う通りの人間なら、奴を恨みに思う連中が声を上げないわけがない」
「待ってくれ、兄貴」
たまらずといった様子でディータが口を挟んだ。
「兄貴の言うことは一理あるが、俺はそんな声を聞いたことはないぞ」
「ああ、俺もない」
サスは苦笑しながらティアへと視線を戻した。
「だが、この恩人の言葉を信じるなら、ウラスロに対する不満を握りつぶしてる奴らがいるって考えるのが自然なんじゃないのか? 粛清しかり、暗殺しかり。ウラスロ、ひいてはこの国に反旗を翻そうとする人間を見つけては、隠密裏に消しちまえば誰も声を上げられねえ」
だから、とサスは続けた。
「ディータ、後でちょいと調べてみてくれ。ウラスロが異教退治した地域の出身で、このゲーケルンに来た人間がいるか。いるなら、そいつらがいま何をしているのか?」
「それはいいんだけどよ」
ディータは口ごもりながら、
「本気なのか? 兄貴は」
「冗談を言ってるように見えるか」と、サスは口角を上げる。
「本気じゃねえんなら、わざわざお前に頼むもんか」
「兄貴の言う、その隠密裏に動いてるってのは、例えば聖騎士団とかか?」
「まぁ、可能性がないこともないな」
「いや、それは考えにくい」
話を聞いていたティアが、割って入る。
「たしかに聖騎士団は国の脅威に対処する任を負ってはいるが、秘密裡に諜報を行ったとしても、法を通さずに粛清するとは思えない」
ティアの発言に、「まぁ、そうだろうな」とサスはあっさり同意した。
「聖騎士団の評判は俺も知っているしな。それに、こういう汚れ仕事ってのは、だいたいが外の子飼いにやらせるもんだ」
そう言い、サスはもともと低い地声をさらに一段低くさせ、
「俺はな。ずっと疑問に思ってたんだ」
部屋にいる誰もが――カホカでさえも、サスを凝視する。
「『蛇』だ。俺たちは長年、蛇とやりあってきたわけだが、たまにな、奴らが途方もない組織に思える時がある」
サスは顔を落としながら、視線だけをティアへと持ち上げた。
「あまりにもな、尻尾を出さなすぎる。俺は、蛇の頭領を見たことがない。名前さえ知らない。ウチのお頭もそうだ。これまで、蛇の下っ端を捕まえては吐かせようとしたが、どんなに臆病そうな奴でさえ、『知らない』の一点張りだった。いまは、本当に自分らの頭を知らねえんじゃないかって気がしてる」
そんな馬鹿な、とディータが声を荒げた。
「奴ら、自分のギルドの頭を知らないのか?」
「まとめ役ぐらいは知ってるだろうが、頭に関してはな。しかし、そうなってくるといよいよ面倒だぜ。下手をすると、蛇はウル・エピテスの一部って可能性さえあるからな」
「国が、蛇を養ってるっていうのか?」
ディータが目を剥く。勢いあまって立ち上がりそうになるのを、落ち着いた口調のサスが制した。
「表立ってはできんだろうな。誰か蛇のギルドに上役をつけておいて、裏でこっそり金を流してるってほうが自然だな。蛇もウル・エピテスに金を払って活動を許されていたと俺たちは思い込んでいたわけだが、そもそもの根底がちがってたのかもしれねぇ」
「……俺たちゃ、いままで東ムラビアそのものに喧嘩を売ってたってことか?」
「あくまで間接的にだが、今回の一件で俺はそう思いはじめている」
「勝てねぇわけだ、ちくしょう!」
怒気をにじませ、ディータが忌々しく吐き捨てる口調で言った。
その様子を見ながら、
「しかしなぜ、今頃になってウル・エピテスは動き出したのか?」
ティアが言葉に出してみると、「俺もそれを考えていた」とサスが腕組をした。
「鷲のギルドの発端は、俺がお頭と出会って作ったものだ。お頭はノールスヴェリアからこっちに渡って、一匹狼で妹を探していた。ひとりで蛇に喧嘩を売ろうとしていたからな。それを無茶だと言ってこのギルドを作らせたわけだ。いまから十年ほど前の話だ。――俺は俺で、人をだまくらかして小銭を稼ぐしか能のねぇ、小賢しいだけの人間だったからな。いまにしたって真人間からは程遠いが、それでもまぁ、守るもんができたってのは悪いもんじゃねえ」
「兄貴……」
「だから、暑苦しいんだよ、お前は」
人情に
「――で、だ。お頭がそもそも蛇を潰そうとしたのは、奴らが人買いを行っていたからだ」
「国が、人身売買に手を染めているということか?」
ティアは眉をひそめた。不快感を隠さずに訊くと、
「その可能性はあると思うよ」
答えたのは、隣に座っているカホカだった。
「なんでそう思う?」
サスからも訊かれ、「勘」と、カホカは答えた。
「ていうか、サティアに――ファン・ミリアに蛇は人買いをしてるって伝えたとき、初耳って感じだったんだよね」
「彼女はそれを知る立場にいる人間ではないからな。知らなくても不自然ではないだろう?」
ティアが言うと、カホカは「アタシだって、確証があるわけじゃないよ」と、背もたれに身体を預けながら、天井を見上げた。
「でも、話ぐらいは聞かされてもいいんじゃない? 昨日だって、わざわざ出張ってきたくらいなんだからさ」
「ウル・エピテスの誰かが、意図的に隠そうとしている?」
「アタシは、そんな気がしたけど」
「要するに、だ」
サスが言った。
「もともと、ウル・エピテスは人買いを邪魔する俺たち鷲が目障りだった。それに加え、デナトリウスの容態が悪化して、次の王候補のウラスロが台頭してきた。奴のしでかす醜聞を抑えるためにも、蛇をより活発に動かしたい。そんなところか」
ティアは、無言でサスを見つめる。そうかもしれない、という気はしているが、サスの話は推測であって、正鵠を射ているかどうかはわからない。
それはサスも承知しているらしく、「とにかく」とティアを見返した。
「真相がどうであれ、俺自身としては、アンタに救ってもらった恩がある上、蛇を叩き潰したい気持ちは変わらねぇ。アイツらのせいで、仲間の多くを失っちまったからな。だが、このギルドの頭は俺じゃねえ。最終的に俺たちをどうこうするのは、レイニーの判断だ。これを裏切るわけにはいかねえし、裏切ったところでギルドは空中分解だ。それが組織ってもんだ」
力強い瞳で、サスはティアを見据える。
「重ね重ね悪いが、もう一度アンタの力を借りたい。お頭を助けるのに力を貸してほしい。もしアンタがウラスロへの復讐を望むんなら、お頭に頼んでギルド全体で協力するよう頼むつもりだ」
取り引きみたいな言い方になっちまって申し訳ねえが、とサスは付け加えた。
「あなたたちにそこまで危険なことを望んでいるわけじゃないが……」
ティアはつぶやくように言って、
「レイニーを、ウル・エピテスから助け出せばいいんだな」
最初からそのつもりだった。そのために、ティアはレイニーの居場所をつきとめたのだ。
ティアの返事に、サスは胸を撫で下ろしたようだった。
「明日、晩餐会がある――」
「ディータから聞いている」
そうか、とサスは深くうなずき、
「この晩餐会自体にゃ、下々のモンに入る余地はない。貴族でも上級のお偉いさんだけだ。だが、その後に舞踏会が開かれる予定らしい。こっちは貴族以外の人間も招待されているし、場所も広い」
「そこに紛れ込むわけか」
ティアはディータを見た。
「招待状はあると聞いているが」
「それが、あるにはあるんだが……」
「何か問題が?」
「用意できたのはふたり分だけだ」
すまねぇ、とディータが頭を下げる。
「足を残すわけにはいかねえからな。あれこれ手を使ったが、なんとか手に入れることができたのはそれだけだった。――ベステージュ家っつー小貴族の子女で、男と、女だな。上が兄貴のユーセイド=ベステージュ、十八歳、下が妹のオクタヴィア=ベステージュ、十五歳」
「私が妹のオクタヴィアを演じればいいのか? では兄は?」
「俺がって言いたいところだが、ちと無理だしなぁ」
ディータが言い、つるりと禿頭を撫でた。
「オッサンが行ったら招待状見せる前に捕まるって」
カホカの遠慮のない物言いに、「俺も似たようなもんだな」と、サスも苦笑いを浮かべ、
「うちのギルドで若くて使える人間を用意するつもりだ」
「必要ないよ」
カホカが、頭を振った。
「アタシがオクタヴィアをやる」
おい、とデイータが止めに入る。
「お前は傷があるだろう」
「直った」
カホカはあっさり言って、
「サティアには貸しがあるしね。それにいまの状態でも、アタシより動けるのがこのギルドにいる?」
「いないな」
サスが即答した。
「アンタの力は、俺が実際にこの眼で見てる。あのファン・ミリアと対等にやりあえる人間が、この王都に何人いるかって話だ」
「いや、私が行ったほうがいい」
だとしても、さすがに手負いのカホカを動かしたくない、というのがティアの意見だ。
すると、カホカが「何言ってんの?」と呆れたような顔をした。
「ティアも行くに決まってんじゃん」
「どういう意味だ?」
意味がわからず訊くと、カホカがにんまりと笑いかけてきた。
「よろしくね、ユーセイドお兄様」
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