64 鷲のギルドⅥ (前)
水浴を終えたティアとカホカのふたりが、それぞれゆったりとした服装でレイニーの部屋に行くと、ディータと、見知らぬもうひとりの男が談笑をしていた。
「よぉ、来てくれたか」
ディータが手を上げ、長椅子に座るよう促してくる。その前の卓には、色とりどりの料理が所狭しと並べられていた。
「すげー」
カホカが感嘆の声を上げた。
「なにこれ、ぜんぶ食っていいの?」
もちろんだ、と答えたのは、ディータではないほうの男だった。
――この男が。
聞くまでもなく、彼が何者であるかはわかった。
年齢は四十歳ほどだろうか、灼けた肌に、
――サーシバル。鷲のギルドのナンバー2か。
思いながら、ティアはサスと向かい合う位置に腰を下ろした。隣のカホカは座るやいなや、手ずからパンの上にサーモンを乗せて食べはじめている。
「落ち着けよ。とりあえず乾杯といこうぜ」
笑いながらディータが言って、酒杯を持つ。ティアは前に置かれたいくつもの杯のうち、水を取った。カホカは牛乳をかかげた。サスもまた、葡萄酒の杯を取っている。
「乾杯」
誰からというわけでもなく、唱和して杯を突き合わせた。
ティアが唇を湿らせる程度に水を飲むと、
「ディータから、話は聞かせてもらっている。アンタたちにはずいぶんと世話になっちまったようだ。まずは礼を言わせてもらおう――ありがとよ」
サスが頭を下げてくる。
「くるしゅーない」
葡萄を舌で転がしながら、カホカが笑う。相変わらずの態度だが、実際のところ、今回のサスの救出はカホカの働きに依るところが大きい。
「ティア、
そのカホカが、大皿に乗った蟹の蒸し焼きを指さしている。
「うん」
その通りなのでティアが返事をすると、
「蟹って、おいしいんだけど食べにくいと思わない?」
「うん?」
「ああ、傷が痛いなぁ。傷が痛むなぁ」
そういうことか、とティアは苦笑した。東ムラビアの沿岸部で獲れる蟹は味こそ悪くないものの、殻が大きい上に硬くて剥きにくい。ティアは水皿に指をひたすと、脚を折り、中身をつまみ出した。それを皿に並べようとすると、カホカがこちらに口を向け、ぱくぱくと開いては閉じを繰り返している。
どうやら、食べさせろ、ということらしい。
「……とうとうエラ呼吸ができるようになったのか?」
ティアがすっとぼけて訊くと、
「腕が腐ってもげた」
「そうか、大変だな」
さすがにそこまでは付き合えないので、ティアが蟹の身を皿に並べると、カホカは「……くそが……くそが!」と、こちらにぎりぎり聞こえるくらいの小声で蟹を食べはじめる。
「アンタたちは、よくわからん関係だな。友人同士なのか?」
サスが不思議そうな表情で訊いてきた。
「友人でもあるし、幼馴染でもあるな」
殻の中身をほじくりながらティアが答えると、
「……元婚約者だったりもするんだけどね」
誰とも視線を合わせず、つまんだ蟹を口に放りながらカホカが言い添えた。
「そりゃ、初耳だ」
ディータが目を丸くさせ、
「けどよ」
と、ティアとカホカの顔を交互に見やる。言いたいことは、わかる。
「どっちも女じゃないかって?」
カホカが、ため息まじりに言った。
「いや、まぁ、お前らがいいんならいいんだけどよ」
ディータが気まずそうに禿頭を掻く。カホカが「いや、よくないんだけどね」と何やら欝々とした表情でこぼした。
ティアはふたりの会話を横で聞きながら、
――隠しておくこともできるだろうが。
自分が吸血鬼であることを、言うべきか、否か。
彼らから見れば、ティアたちは恩人に当たるのだろう。隠したいそぶりを示せば、強いて詮索されない気はする。
しかし、ディータは自分が人でないことに間違いなく気づいているはずだ。そもそも、彼は早くからティアのことを『化け物かと思った』という言葉を漏らしている。おまけに昨夜は、翼を生やしたところを目撃されたばかりでなく、当の彼をアジトまで運んできたのだ。
バディスの件もある。
「……髪が邪魔だな」
殻を剥きながらティアがつぶやくと、カホカが「んじゃ、これ使えば」と、ティアの髪をまとめて毛玉を作り、置いてあったフォークをヘアピンがわりに差した。髪の長い女性が食事を摂る際にヘアピンで髪をまとめるのは、すでに古くからの文化である。
「そんなに邪魔なら、切っちゃえばいいのに」
髪を結んでもらう時、だいたいカホカはこう言う。
「たぶん、切ってもすぐ生えてしまうからな」
感覚的にわかることだった。吸血鬼の能力として、髪が切られたことを傷がついたと見なし、身体が傷を治すように、すぐに元通りになってしまう。
「その『すぐ』って、どれくらいなのさ?」
カホカに訊かれ「それはどうだろう」とティアは首をひねった。漠然とした感覚のため、詳しくは試してみなければわからない。
そこでティアは顔を上げた。
「――私がこうなったのは、一度死んで、吸血鬼となって甦ったからだ」
会話を聞いていただろうサスとディータを交互に見つめる。
「死ぬまでの私は、タオという名のシフル家の次男だった」
サスが、無言のまま腰を深く長椅子に座り直した。
ディータもまた、食い入るようにこちらを見つめている。
「私を殺したのはウラスロだ」
「ウラスロ?」
サスが、眉根を寄せた。
「ウラスロ=ディル=ムラビア。ウラスロ王子のことか?」
そうだ、とティアはこれまでの経緯を話しはじめた。話がすべて終わると、
「なるほどな」
と、サスは親指でこめかみを打つ。
「ひでぇ野郎だな」
ディータが吐き捨てた。額に青筋を浮かべ、握り拳を作りながら、
「兄貴、ウラスロをぶっとばしてやろうぜ!」
鼻息を荒くさせ、息巻いている。
「まぁ、待て。お前は直情径行すぎる」
サスが落ち着いた口調でディータをたしなめた。
「義憤を感じてくれているのならありがたいが、何かをして欲しくて言ったわけじゃない」
ティアは目を伏せた。
「ただ、自分を伝えなければ、信用してもらうことはできないと思った」
ディータが、言葉を呑み込んだようだった。
カホカは話には参加せず、ティアを横目にトマトをかじっている。
「ウラスロ王子か……」
サスが、静かにつぶやいた。
「いい噂は聞かねえが、この王都じゃ、あんまり話題に出ることはすくないな」
サスは口元に手を当て、
「アンタの故郷での話を聞いて、やっぱりそういう奴だったか、という印象はある。あるが、妙だな」
「妙というのは?」
ティアは拳を握りしめる。その手に、早くも汗が浮かびはじめていた。
サスは考える様子で、
「ウラスロ王子の噂ってのは、大抵が地方からの流れ者やら商人やらから聞かされることが多い。王都の中じゃ、ほとんど目立った動きをしないからな」
お前は何か知ってるか? とサスはディータをうかがい見た。
「まあ、確かに
ディータの返答に「だろう?」とサスがティアに視線を戻す。
「かなり昔の話だが、ウラスロ王子について役人から聞いたことがある。どうも子供の頃は病弱だったらしくてな、何をやらせても能力はイマイチで、王家のなかでもこれといって目立ったところのない、地味な性格だったらしい。地方から聞こえてくる噂と言っても、ここ最近になってからだ」
「変心した、ということか?」
「もともと隠していた性分が出てきたのか、変心したのか」
サスが酒杯の残りをあおった。
「ウラスロ王子の存在自体は、もちろん誰もが知ってる。なんたって次の王サマだからな。現王のデナトリウスが死ねば、次はウラスロだろう、ということはゲーケルンの人間なら知らねぇ奴はいない。他にめぼしい王族がいるわけでもなし。だから――俺もアンタの話を聞いて妙だなと思った。その立場に比べて、情報があまりに出て来ないってことに気づいたからだ。こういう不自然さってのは、必ず裏があるもんさ」
「不自然さ?」
「ウラスロ王子にとって都合の悪い話は全部、ウル・エピテスが握りつぶしちまってるってことだな。けどな……」
言うと、サスは脚を組んだ。再び口元に手を当て、深く考え込む。
話の先を聞こうと口を開きかけたティアを、ディータが「兄貴をそのままにしといてくれ」と、横から声をかけてきた。
「兄貴が考える時の癖なんだ。いま何を話しかけても無駄だ」
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