47 内と外

 牢屋の中では女囚がひとり、両腕を鎖に繋がれた状態で顔を落としていた。

「ひとり、か」

 聖騎士団員のひとりがつぶやくように言った。

 その声に、レイニーはゆるゆると顔を持ち上げた。傷だらけの身体に瞳の力はなく、憔悴しきった顔つきで彼らを見る。

「……神様からのお迎えかい」

 皮肉めかして言ったかと思うと、意識を失ったのか、がくりと顎を落とした。

 聖騎士団たちはお互いに顔を見合わせる。

 ――異常はあるのか、ないのか?

 それぞれの顔に、疑問の色が浮かんでいる。

 入口では守衛が見るからに恐縮しきった様子でこちらをうかがっていた。

 団員のうち、年嵩としかさのひとりが守衛に話しかけた。

「ここで、何か気になるようなことは起こらなかったか?」

 期待はしていなかったが、案の定、守衛はぶるぶると首を横に振った。そんなことはあるわけがない、そう言いたげな素振りである。

「だが、何かしらの力の残滓が感じられるのも確かだ」

 立ち去ることも名残惜しく、団員たちが虜囚を見つめながら考え込んでいると、

「これは、これは」

 顔中に汗を浮かべた男が、ゆっくりと階段を上って来た。

 男が何者かを認めると、聖騎士団員たちはあわてて敬礼の構えを取った。

「このような場所に、聖騎士団の方々がいかがされましたか?」

「はっ!」

 と、やはり年嵩の聖騎士が応じる。

「先ほど我が団の者より、この塔を中心として、何かしらの力が感じられたとの報告がありました。その原因を突き止めるため、こうして参上した次第です」

「ああ、なるほど。――で、何かわかりましたか」

「いえ、それが何とも判断のつきかねる状況です」

「なるほど、なるほど。いかな聖騎士団とはいえ、時にはそういったこともあるでしょうな」

 慇懃で下手に出るような物言いでありながら、男はこちらを品定めするような視線を向けてくる。

「何でしょう?」

 苛立ちを誤魔化すように訊くと、男は「ああ、申し訳ありません」と、服の袖で顔の汗をぬぐいはじめた。

「聖騎士の皆様方に盾突くつもりはないのですが……その、何といいますか、ここは軍の管轄であるはずだったと思いまして……」

 あえて言葉を濁すことで真意を伝えようとするのは、この男の癖なのだろうか?

 男は暗に、ここから出て行けと言っているのだ。

 ――それならばお前も軍とは関係あるまい。

 そう言いたくなるのを、年嵩の聖騎士はぐっと呑み込む。

 何しろ、この男はあのウラスロ王子専属の使者なのである。なぜ、その使者がこんなところにいるのか、当然気になるところではあるが、余計なことを言って男が気分を害し、あの傍若無人な王子に告げ口をされてはかなわない。

「早計でした。我々はすぐに引き上げましょう」

 あくまで物分かりのいい態度を見せ、年嵩の聖騎士が頭を下げると、

「こちらこそ、差し出がましく口を挟んでしまい、申し訳ありません」

「いえ、ご助言を。感謝いたします」

 さらに深く頭を下げ、聖騎士たちは足早に塔の階段を下りていく。

 男は去っていく聖騎士団員たちから牢屋のレイニーを一瞥した。

 レイニーは力なく鎖に吊られた姿勢のまま、ぴくりとも動かない。

 が、その頭の中は忙しなく動き回っていた。

 ――いったい何なんだい、こりゃあ。

 突如として現れたティアと名乗る少女と、不気味な二本の腕。聖騎士団とこの謎の男。

 ――何か、とんでもないことに巻き込まれちまったみたいだね。

 使者の男の足音が、牢屋からゆっくりと遠ざかっていく。

 その足音が消えるまで、レイニーは気を失ったフリを続けた。



 ウル・エピテス尖塔群。

 厚い雲の下、眼下には王都の夜景が宝石箱を散らしたように拡がっている。

 その中空にあって、霧が再びティアへと収束する。

 そのティアの身体めがけて、鋭い蹴りが直線状に襲った。

 ティアはとっさに腕を交差させ、その蹴りを受けた。受けたものの、そのまま強引に押し込められ、ティアの身体が斜め上へと跳ね上がる。

 顔をしかめたティアの目に、銀髪が風に躍るのが見えた。蹴り上げられたティアが態勢を立て直すよりも早く、押し込めた反動で逆の尖塔に跳び移ったそれが、壁を蹴ってさらに跳んだ。背後の死角から迫って来る。

 ――気配がわかれば……!

 宙でティアは左足を振った。その反動を利用し、右足を思い切り蹴り上げる。宙返りを打ちながら、当て勘で足を振り抜いた。

 その足を、相手の腕が受け止める。

 逆さまになったティアの顔と、銀髪の顔が対面した。

「何者だ……貴様」

 ティアは尖塔の節部分――わずかに宙に張り出した足場に着地した。低く押し殺した声で誰何すいかする。

 男は、はじめて見る顔だった。銀髪の老人である。長身で、どこかの高貴な身分の者に仕える執事か従僕かといった出で立ちだった。が、それよりも。

 ――こいつ、人ではないのか。

 一見すれば明らかだった。鋭く尖った爪。髪と同じ銀の双眸を怪しく光らせ、口は大きく裂け、歯というよりも牙がびっしりと並んでる。

「子鼠が」

 冷たい呼気を漏らしながら、はじめて老人の姿をした化け物が口を開いた。錆びた金属をこすり合わせたような、耳障りな声だった。

「遠くから見ておればいいものを」

 同じく別の尖塔を足場に、老人の化け物が跳びかかってきた。

 ティアはひらりと宙を舞うと、突っ込んでくる化け物をかわしつつ、その肩に乗った。

 相手は人ではない。遠慮をするつもりはなかった。

 肘を縦に、さらにもう一方の手で加速させ、躊躇なく脳天に叩き込む。

 頭の骨が砕ける感触。

 手応えは、あった。

 銀髪の化け物が力なく首を落とし、肩に乗せたティアもろとも後ろ倒しに落下をはじめた。

 ――なぜこんな化け物が王城に?

 疑問を感じつつ、ティアはさらに化け物を追い落とすように蹴ると、尖塔へ跳び移ろうとした。

 その時――。

 老人の化け物が何事もなかったかのように顔を起こすと、再びこちらに手を伸ばしてくる。

 ティアは片足を掴まれた。

「ちっ!」

 化け物は宙で全身をしならせるように回転すると、ティアを尖塔の壁に叩きつけた。

「か……っ……!」

 背中を強打し、衝撃とともに口を開き、呼吸を求める。化け物は助走をつけるように幾つもの尖塔を蹴り、こちらめがけて間合いを詰めてきた。

 刃物のような爪がティアに向けられる。

 が、見極められない速度ではない。

 狭い足場のなか、ティアは最小限の動きで爪をかわそうと首を横に倒した。壁を突いた化け物の腕をへし折るつもりだった。

 しかし、次の瞬間、化け物の腕がピタリと止まった。

 ――牽制フェイント……!

 思った時には、ティアの鳩尾みぞおちに化け物の膝がめり込んでいる。

「――ぁ……」

 悶絶し、一瞬、意識を失いかけたティアの肩が、強引に剥かれた。

 黒衣がトゥニカとともにずらされ、剥き出しになった部分に、ぞろりと光る化け物の牙が間髪入れずに突き立った。

 鮮血が噴き上がるように飛び散り、ティアの頬を濡らす。

「ぎ……ッ……!」

 神経を逆流してくるような、波のように襲い来る激痛にティアは思わず絶叫しかけた。自分の手で口を塞いで声を抑えつけ、それからすぐ牙から逃れるため男の側頭部を打つ。

 ――コ……イツ。

 噛まれたほうの腕が痺れて動かない。ティアが片手で化け物の頭部を何度も打ち、逃れようと暴れれば暴れるほど、その牙はより深くティアの肩に食い込み、逃れることを許さない。

 化け物が小刻みに顔を振りはじめた。不揃いの牙をのこぎりのようにして、ごりごりと肩の骨が削られる振動が伝わってくる。

「やめ――!」

 壮絶な痛みに、ティアは男の後頭部の銀髪を掴み、振りほどこうと必死に後ろへ引っ張る。

 銀髪の化け物はその反応を愉しむように、喉の奥からくぐもった笑い声を上げ、一層激しくティアの内部を削りはじめた。

 ティアは視界を滲ませながら、狂ったように身をよじる。

 ――限界……だ。

 このままでは、何もできずに終わってしまう。

 あと何回の力が残されているか。

 華奢な肩の砕ける音が響くのと、ティアの身体が蝙蝠の群れへと変じるのはほぼ同時だった。

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