32 路地にて
両側の壁を交互に蹴り上り、ルクレツィアが建物のむこうへと消えていく。
それと時を同じくして、数人の男が路地に駆け込んできた。
「どけぇ!」
男たちのどれもが目を血走らせ、ティアとカホカの前を走り抜けようとする。よほど急いでいるのか、こちらに注意を払おうともしない。
「ティア、あいつら蛇だ」
カホカに話しかけられ、ティアは「蛇?」と記憶からその言葉を探る。
「暗殺ギルドの、か?」
ティアが確認すると、
「んで、最初に来たのが鷲だと思う」
言いながらカホカは身体を横にずらし、先頭を走る男に足をひっかけた。
「うおっ!」
まったく予期していなかったのだろう。足をすくわれ、男はものの見事に転倒した。それを皮切りに、次の男も、またその次の男も順番につんのめって地面に突っ込んでいく。
「そういえば、この前も鷲の人を助けてやったんだよ」
痛がる男たちを見もせず、カホカはティアに説明する。
「オレが寝てる間に、カホカはそんなことをしてたのか」
「今みたいに、たまたま追われてるのを見かけただけなんだけどね」
そんな話をしているうちに、「誰だ!」と男たちが顔を跳ね上げ、勢いよく立ち上がってきた。
「てめぇら、鷲の仲間か?」
地面に顔をこすり、擦り傷だらけになった男が殺気立った声を上げる。
「いや……」
と、言いかけたティアを遮り、
「そうだ、鷲だ!」
威勢よくカホカが答えた。
「……おい」
たまらずティアがカホカの服をつまんで引っ張る。
「なんで自分から厄介事に首をつっこむんだ?」
「じゃなくてさ。そっちのが後々、楽でいいじゃん。いちいち『何モンだあいつら、探し出してぶちのめしてやる!』みたいなことになるより、ずっと面倒がすくないと思わない?」
「そうとも限らないだろう?」
カホカの言い分は一理あるものの、下手をすればかえって面倒なことになりかねない。
いや、それよりも問題なのは、そもそもこの会話を相手に聞かれてしまっているということである。
「余所者か、てめぇら!」
案の定、聞きつけられた男に余所者認定をされてしまった。
「舐めた真似しやがって! なんで余所者が鷲を助ける?」
まぁ、そうなるよな、とティアは思ったが、助けたのはティアではなくカホカである。一緒くたにされるのは仕方がないとして、適当な言い訳が見つからない。
ティアが言い淀んでいるうちに、男たちはめいめい懐から短剣を取り出した。
それぞれ、見せつけるように刃をつきだし、じりじりと距離を詰めてくる。
と、その時、男のひとりが何かに気づいたような素振りを見せた。一瞬で顔が青褪め、唖然とした様子でパクパクと口を開く。
「おい、コイツ。この前の!」
泡を食った様子で別の男に話しかける。
「ああん? なに言って……」
言いかけた男も思い当たったらしく、
「あっ! てめぇは!」
彼らの視線は、カホカに注がれていた。
「知り合いか?」
ティアが訊くと、「まったく知らん」とカホカ。
「ふざけんな! てめぇ、コラ! この前はよくも俺を蹴り飛ばしてくれたな!」
「……蹴り飛ばしたのか?」
「知らんっつーの。――おっさん、変な言いがかりつけないでくれる?」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ! これを忘れたとは言わせねぇぞ!」
男は短剣の柄頭でもって、自分の頬のあたりを示す。
「ここだ、これがお前に蹴られた傷だ!」
ティアとカホカは顔を見合わせた。
どうやら男は、見ろ、と言っているらしい。
「どれどれ……」
ティアとカホカがよくよく男の顔を覗き込もうとすると、
「バカやろう、近寄るんじゃねぇ!」
戸惑い、男が後ずさる。
「アンタが見ろって言ったんじゃん」
「悪いけど、動くとよく見えない」
ふたりの娘から当然のごとく言われ、「そ、そうか」と、男は意外なほど素直に顔を横に向けた。
「んー。ティア、見える?」
「そうだな……」
ふたりからの食い入るような視線に、「ど、どうだ!」となぜか上擦った声で訊いてくる。
「たしかに蹴られたらしき痣があるな」
ティアが感想を述べると、
「えー、そうかなぁ、擦り傷だらけでよくわかんなくね?」
カホカは認めようとしない。
ふたりがあれやこれやと言い合っていると、
「し、仕方ねぇな! よし、お前ら。もっとよく見てみろ」
忘れられたくない男としての矜持がそうさせるのか、はたまた別の理由からか、男は自分から「オラ、見ろ!」と頬をこちらに向けてくる。
「うーん……」
ティアとカホカがそろって見つめると、別の男たちから「いいなぁ」と羨ましがる声が聞えてきた。
それに気を良くしたのか、男は調子に乗ってますます顔を近づけてくる。
「わっかんないなぁ」
カホカは眉を寄せながら、近づいてくる男に対し、おもむろに腕を振り上げた。
「え?」
「ばーか」
間の抜けた男の顔面に、カホカの拳が直撃した。
無防備な状態でカホカの拳を喰らい、男はもんどり打って壁に激突すると、そのまま上下逆さまの体勢で地面に落ちていく。
「色めき立つなハゲ。地面にキスでもしてろ」
パンパン、と手を叩くカホカに、残りのふたりが、
「ひ、卑怯だぞ!」
「鬼かてめぇ!」
口撃をしてくるも、一向に襲いかかってくる気配がない。
「そう、アタシは鬼のカホカちゃん」
カホカが軽く構えを取ると、それだけで男どもは戦意を喪失したようで、
「畜生が!」
「夜道に気をつけやがれ!」
などと捨て台詞を吐きながら、脱兎のごとく逃げ出した。
「……ここが夜道なんだけどな」
我ながらつまらない言葉だと思いながら、ティアは地面に逆さまになっている男を一瞥した。
「置いておいていいのかな」
「死にゃしないって」
カホカは袋小路へと歩きはじめる。ティアも続くと、曲がったその先に、ひとりの男がうつ伏せに倒れているのが目に入った。
「おーい、大丈夫かぁ?」
カホカが声をかけるも、男はなんの反応も見せない。
「気を失ってるみたい」
「ああ」
うなずいてティアが見ると、男の身体には無数の傷跡があった。刀傷などの致命傷はないようだったが、殴られ蹴けられといった扱いを受けたのだろう。顔ぜんたいがひどく腫れ上がってしまっている。
そのため年齢がわかにくいが、まだ若く、二十歳ほどだろうか。袖口からは鷲の刺青がのぞいている。
「この身体で、よく走ることができたな」
しゃがみ、ティアは男を仰向けに抱き起してやる。
「カホカ、悪いけど手伝ってくれ。 背負って宿まで連れていく」
「介抱してやんの?」
「彼が鷲なら、放っておくわけにもいかないだろう?」
「そりゃまぁ、そうだけどさ」
気乗りしない口振りながら、カホカはティアの背に男を乗せるのを手伝う。
「厄介事に首を突っ込むのは、アタシじゃなくてティアのほうじゃん」
半ば呆れた口調のカホカに、「かもしれない」と、ティアは苦笑した。
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