31 旅立ちのエルフⅥ《外伝》
エルフ娘が横になっている。
こちらに背を向け、床に肘をつく姿は、先ほどサスが取っていた姿勢そのものである。
「お、おい。シ……シィル?」
遠慮がちにサスが声をかけと、
「私はもうシィルではありません」
けんもほろろに、シィルはぽりぽりと尻を掻きはじめた。
「私は名もなきダークエルフ。気安く声をかけないでくださいます?」
「……こいつ、完全にグレやがった」
間一髪、壺に用を足すことに間にあったはいいが、どうやらその行為は彼女の何かを損なわせてしまったらしい。
「そんな気を落とすな。小便なんぞ、誰でもするこった」
サスなりの精一杯の慰めに、シィルはふん、と鼻を鳴らした。
「そのような見え透いた慰めなぞ、闇に堕ちた私には無意味ですわ」
自称ダークエルフは尻を掻きながら膝まで立てはじめる。
どうやら何を話しかけても無駄らしい。
「ったく……めんどくせぇ奴だな」
声をかけるのをあきらめ、サスは格子を背に腰を下ろした。
「これだから女って奴ぁ」
愚痴ってみるも、他にすることもない。
仕方なく壁越しに波の音を聞いていると、ふと、船室の入口の方から、階段を下りてくる足音が聞こえてきた。
中年の男がふたり、姿を現す。
「うるせぇ奴らだ」
前のランタンを持った男が、うっとうしそうな顔を作りながら、こちらの檻に向かって歩いてくる。
――ようやくおでましか。
サスは頭の上で腕を組み、ふたりの男をじっと見つめた。
と、その横からシィルが、
「この、人でなしどもがぁ!」
猛獣のような動きで檻に取りついた。
「うぉ! なんだコイツ!」
突然の剣幕に、男ふたりがそろって怯んだ声を上げる。
「許しませんわ! あなたたち、絶対に許しませんわ!」
シィルはこれでもかという勢いで怒りを露わにしている。
「鬼畜! 冷血漢! 恥を知りなさい!」
よほど恨みが骨髄に沁みているらしく、シィルは思いつくままの罵詈雑言を男どもに吐きかけている。
「ゃかましい!」
後ろの男が、シィルの檻を蹴った。
「てめぇに用はねぇ、黙ってやがれ!」
男に恫喝されるも、シィルも負けじと「馬鹿と言うほうが馬鹿ですわ!」などと言い返している。
――誰もそんなこと言ってねぇだろうが。
うんざりしてそのやりとりを聞いていると、男がサスの檻の前に立った。
男は胸から首にかけて、ぐるりと蛇の刺青を彫っている。
無造作にランタンを向けられ、サスは慣れないまぶしさに顔をしかめた。
「サーシバルだな」
自分の名を呼ばれ、サーシバル――サスはじろりと男を見上げる。
「へっ、当たりのようだな」
男の顔が、にやりと歪んだ。
「鷲の二番目が、なんでノールスヴェリアにいやがった?」
「バカンスだ」
サスはペっ、と唾を吐き、
「お前らせいで俺の休暇が台無しだ。このツケは払ってもらうからな」
「籠の鷲が言ってやがる」
男は取り合う様子も見せず、
「下手な演技だな、え、サーシバル」
ますます得意げに
「てめぇが、俺たちにわざと捕まったのはとっくにバレてんだよ」
サスは男の言葉に反応せず、無言で睨み続ける。
「てめぇがツケを払う前に、まず俺たちの
男は余裕の笑みを顔に張りつけている。
「ここで鮫の餌にしてやりてぇところだが、生かしておけとの上からのお達しだ。船がゲーケルンに到着しだい、てめぇは軍のお縄を頂戴することになってる」
「……お前ら、やっぱり軍とデキてやがったか」
サスが口を開くと、「おいおい、寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ」と男はとぼけた口調で、
「行儀の悪いてめぇらを取り締まるのは、お上の役目と決まってるだろう?」
「腐れ蛇にだきゃ、言われたかねぇ」
ぎり、と、サスは奥歯を噛みしめた。
「いい面だ。悔しいか、オイ」
男はさらに声を上げてサスを嘲笑する。
「鳥頭のてめぇらが考えた策なんぞ、こっちはお見通したなんだよ。――知ってるぜ、てめぇの仲間が港で俺たちを襲う手はずなんだろう? 罠だとも知らずよ。まったく、めでてぇこった」
男はさらにランタンの灯をサスの顔に向ける。
「あのうっとうしい鷲の頭も今じゃ、城の冷たい檻の中だ。これでサーシバル、てめぇを軍に引き渡せば鷲のギルドは一巻の終わりだ」
男がサスに唾を吐きかけた。それをよけもせず、サスは男を
「……クソ蛇どもが。これで終わりと思うんじゃねぇぞ」
「オイオイ、それじゃ鷲じゃなくて負け犬だろうが」
男は捨て台詞を残してサスの檻から立ち去っていく。
そうしてシィルの檻の前を通りかかった時、
「隙あり、ですわ」
格子の間から、シィルがひょいと足を突き出し、男の尻を蹴った。
「ぐわっ」
蹴られた男は情けない声をあげながら、前のめりに倒れこみ、顔を船床に打ちつけた。
「何しやがる!」
もうひとりの蛇が格子から出たシィルに足を蹴ろうとするも、シィルは「ハッハー!」と、身を引いて檻の奥に引っ込む。
「迂闊ですわ! ざまぁみろですわ! お前たちのようなしょうもない限界を超えたしょうもないわからんちんは、床でも舐めているのがお似合いですわ」
おーほっほっほ、とシィルはここぞとばかりに哄笑する。
「くそったれが!」
顔を手でさすりながら、蹴られた男が立ち上がってくる。
「いい気になるのも今のうちだ! てめぇはあのお方に売られるのが決まってんだからな」
――あのお方?
激高する男の言葉に、サスがぴくりと反応する。
「あらあら、なんですのその言いぐさは。まさに負け犬が何かほざいておりますわ!」
おーほっほっほ、と、ますますシィルの哄笑が室内に響き渡る。
「くそアマがっ!」
ぎりぎりと歯の根を鳴らして悔しがる男だったが、もうひとりの方から「行くぞ」と告げられ、渋々、船室から出て行った。
「やーい、負け犬―」
シィルは尻を叩きながら舌を出す。
男たちの姿が完全に見えなくると、シィルは「ふっ」と勝ち誇った様子で、
「やってやりましたわ。これであのならず者、このニ、三日は悔しくて寝ることもままなりませんわ」
その表情は達成感に満ち満ちていた。
「いや、いいんだけどよ」
シィルが蹴り飛ばしてくれたおかげで、胸のすく思いがしたサスだったが、
「お前、本当にエルフの皇女か?」
そう訊かずにはいられなかった。
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