21 包囲網

 街道の防衛線は外に対して張られているため、ティアたちは、リュニオスハートの兵士たちの虚をつくかたちとなった。

 シダの操る馬は制止を物ともせず駆け抜けていく。

「無茶をする」

 ティアが苦笑まじりにつぶやくと、

「事情を説明してから通してもらった方がよかったですか」

「いや」

 言いながらティアは振り返った。夜目を利かせると、馬に飛び乗った領兵たちが早くも追いかけてくるのが見えた。

「動きが早いな」

 相当に訓練を積んでいるらしい。

 すると、先頭を走る馬上の兵士から一瞬、銀の光がはしった。

「矢か――」

 舌打ちをして、ティアは虚空に鋭く腕を払った。その手には射かけられた矢が握られている。

「見えるのですか?」

 驚くシダから訊かれ、ティアは「いや」と頭を振って、

「見えるには見えるが……」

 第一矢はうまくいったものの、自信があったわけではない。夜目の利く瞳は動体視力をも上げてくれているらしい。だが、

「肝心の身体が動かない、か」

 言いながら馬上で身をひるがえし、進行方向とは逆に座り直した。

「やってみるしかないな。――シダ、後ろはオレがなんとかするから急いでくれ」

「わかりました」

 ティアは両腕を構えた。

 さらに次々と矢が放たれはじめる。掴む余裕はない。ティアは両腕をふるって矢を叩き落としていくが、身体と集中力がもたない。

「やはり……駄目か」

 ティアは両腕を動かし続けながら、覚悟を決めた。

 間に合わない矢が、まず肩に突き刺さる。

「くっ!」

 痛みに動きを止める暇はなかった。ティアは矢を打ち落とし続けた。馬に当たりそうな矢は、自分の足を盾にした。

 二本、三本、とティアの身体に矢が突き刺さっていく。

「ぐ……ぅ……」

 走る馬の振動に、痛みがより強く、響くようだった。漏れ出そうになる声を噛み殺す。

「ティア様、矢が……!」

 さすがのシダも眼を見開き、心配そうにこちらの様子をうかがってくる。

「……オレのことはいいから馬を走らせるのに集中してくれ……早くしないと針鼠になりそうだ」

 なんとか急所にもらうのだけは避けているつもりだったが、身体のあちこちから力が抜け出ていく感覚がある。袖口から、指先をつたって血が滴り落ちていく。

「あと少しです!」

 街道からシダの馬がそれた。草叢くさむらから森へと入っていく。

 木々の枝が後ろ向きに座るティアの髪をかすめ、風が葉擦れを巻き込んで耳朶を打つ。

 ヒュウ、と。

 風音にまぎれ、放たれた矢がティアの顔めがけて一直線に飛んでくる。その矢を叩き落そうとした時、馬が悪路に脚を取られた。ガクリと衝撃を受け、ティアの手が宙を掻いた。

「しま――っ」

 ずぶり、という音が聞こえた気がした。その音とともに視界の左半分が消滅した。失われた視界と入れ替えに、凄絶な痛みが左眼の奥から噴き出してくる。

「シダ……」

 振り向かず、ぽつり、と声をかけた。

「はい!」

「急がせているところすまないが、オレを掴んでいてくれないか……馬から落ちそうなんだ」

 残された視界に、いくつものやじりが星のように煌めくのが見えた。



 長い上衣の裾が宙を舞う。

 蹴り飛ばされたリュニオスハートの兵が、近くの木に激突した。

「あーもー、めんどくせぇ!」

 構え、カホカが叫んだ。右手を顎に添え、伸ばした左腕を斜めに下げる。

 洞窟を背に、カホカは孤軍奮闘していた。

 多勢の領兵に囲まれながら、それでもカホカに目立った傷は見当たらない。

 だが、焦りと苛立ちは募っていく。

 迷いが、蹴りを、拳を鈍らせる。

 かつては自分もリュニオスハート家の人間だった。いま自分を取り囲んでいるのは、元々はカホカに仕えていた者たちである。

 どうしても、致命的な傷を負わせることができない。やむをえず手加減して拳を打つことになるが、時間が経てば再び立ち上がって来る者もいた。

 やがて増援も到着するだろう。

 どうにでもなれ、という気分になってくる。

 槍兵が雄叫びを上げながら襲いかかってきた。

 カホカは左足を高く上げ、振り下ろして槍を地面に落とす。

「あらよっと」

 槍を長靴ブーツで押さえたまま、独楽コマのように回って右のかかとで蹴り折った。回転は止まらず、左足で兵士を蹴り飛ばす。次に来た剣は相手の拳を打ち、カホカはその肩に飛び乗るや、両腿で相手の頭を挟み込んだ。

「ちゃんと飛ばないと首が折れるよ」

 教えてやりながら、自分が落下する力に身をひねる力を加えて相手を投げ、次に迫る兵士に激突させた。

 再び構える。

「キリないな、ったく」

 言いながら、カホカはちらりと背後の洞窟に視線を走らせる。仲間の農民たちを洞窟から出すわけにはいかなかった。もし顔を知られればその罪を問われることになる。一緒に戦うと名乗る者たちも多かったが、絶対にだめだとカホカが言い張ったのだ。

 甘かった。

 そういうことなのだと思う。

 カホカは唇を噛んだ。

 これほど即座に、ミハイルが武力でもって制圧してくるとは思っていなかった。たとえ交渉が失敗しても、彼もひとりの責任ある領主である。命まで奪うことはあるまいと……。

 矢継ぎ早に襲いかかってくる兵士たちを蹴り、殴り飛ばした。

 ――何やってんだろ、アタシ。

 いったい自分は、なにを期待していたのだろう。

 自分が望むことは、それほどに得難いものなのだろうか。もっとささやかで、どこにでもあるはずのものだと思っていたのに。

 幼い頃に見た、父親の笑顔。

 いつも難しい顔をして、遊んでもらうことはおろか、同じ屋敷内にいながら滅多に顔を合わせることさえなかった。

 それでも、たまに……本当にたまに、笑顔を見せてくれる時もあったのだ。

 ……病床に伏せる母親の姿。

 ミハイルはほとんど見舞いに来なかったのに、あの人を恨んではいないと、母親は笑っていた。そして言ってくれたのだ。

 あなたがいるから、と。

 それでもカホカがミハイルに対する怒りを漏らすと、

 ――よく聞いてね、カホカ。

 痩せ細り、冬枯れの枝のような手で、母親はカホカの頭に手を乗せた。

 ――私ひとりではあなたを産むことはできなかった。私がいて、あの人がいたから、あなたはこの世界に産まれてきたのよ。

「……馬鹿だよ、お母さん」

 ちいさくつぶやいて、カホカは剣をかわし、槍を避ける。その度にリュニオスハートの兵が宙を飛んだ。

 領民を、領地を守る兵士たちを、自分は……。

「痛いなぁ……」

 彼らを殴る拳が、痛い。

 すると、さらに姿を現した兵士たちが二段に並びはじめた。それぞれが矢を構え、カホカに向ける。

 一斉射撃。

 あれを全て受ければ、苦しまずに死ねるのだろうか。

 少しでも自分の存在を、ミハイルの心に刻みつけてやれるだろうか。

 いつか、師匠から言われた言葉を思い出す。

 兄弟子であるタオがあまりに弱く、そのくせ何度もカホカに挑みかかってくる彼を、いい加減、うんざりして散々に打ちのめしてやった時のことだ。

『お前は、弱いのう』

 そう言われたのだった。いや、弱いのはタオだし。どう考えてもアタシじゃないし、とカホカがムキになって反論すると、

『タオも弱いが、すこしだけお前より強いのう』

 と、師匠は笑ったのだ。

 その時は、ぜんぜん意味がわからなかった。

 今ならわかる気がする。

 ――私は弱いんだ。

 どうしようかな、そんなことを考えているうちに、矢が一斉に放たれた。

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