20 試金石

 ティアは迷いなく詰所に向かっていく。

『心意気は買うが、策はあるのか?』

 イスラから訊かれたものの、

『あるわけがない』

 にも関わらず、自由という言葉を口にしただけで、ティアの胸には清々しさにも似た感情が広がっていた。

『だが、もしオレが何かを成し遂げる者であれば……』

 隊長格の男がティアに気づき、素早く剣を抜くのが見えた。あわてた様子で詰所から出てくる。

「今のままではいられない」

 男が剣を構える。他の衛兵ふたりも同じく剣を引き抜いた。

「貴様、どうやって牢を破った?」

 男の呼びかけを無視し、ティアは歩き続けた。

「斬る!」

 それでもティアは歩を緩めない。

 無防備に間合いに入ってくるティアに、男は驚いた表情を見せながらも剣を振り上げる。

「……どけ」

 ようやくティアが立ちどまり、ジロリ、と瞳だけを動かして睨む。振り下ろされた剣先が、ピタリと止まった。金縛りにあったように男が動かなくなる。

「馬鹿な……!」

 男は自分でも信じられないといった様子で腕を震わせている。

「よく聞け」

 ティアは灰褐色の瞳のまま、男に告げた。

「領民には手を出すな。絶対に、だ。手を出せば、私がお前を殺すぞ」

「うう……」

 男は影を縫われたように動かない。

 ティアは残りふたりの衛兵には目もくれず、詰所を抜けて屋敷の敷地を出た。



「やれやれ……」

 屋敷が見えなくなった辺りで、ティアはがくりと両手を膝の上に落とした。

『見事じゃが、いったい何をした? 力をさえ使っておらぬ』

 イスラに訊かれ、ティアは『さあ』と応える。

『できると思った。やってみたらできた。それだけだ』

 そんなことより、とティアは顔の汗をぬぐい、周囲を見回した。

「カホカに会いに行かなくては」

 情報が漏れているなら、ミハイルが放っておくわけがない。

「また門を出るのか……」

 目的地は街の外の洞窟である。とっくに日は沈み、街は夜闇に包まれている。城門はとうに閉ざされているだろう。

 うんざりする心地がしたが、とりあえず城門へと向かう。走りたいところではあるが、いまのティアは歩くのがやっとの状態だ。体力が保たない。

 そうして数分ほど歩いた時、背後から馬蹄ばていの響く音が聞こえてきた。

「ティア様」

 呼び止められて振り返ると、そこに馬に乗ったシダがいた。

「シダか、どうしたんだ?」

「お待ちしていました。婆様よりティア様をお送りするようにと」

 シダがこちらに手を差し伸べてくる。

「今までオレが出てくるのを待っていたのか?」

「いえ、待っていた時間はわずかです。すべて婆様はご存知だったのでしょう」

「すごいな」

 ティアは感嘆の声を漏らす。

「イスラが言った通り、イヨ婆は奇妙な力を持っている」

 ティアはシダの手を掴むと、ひとつ鞍にまたがった。

 シダが手綱を打ち、あぶみを蹴ると同時に馬が走りはじめる。

「馬に乗るのは久しぶりだ」

 ティアは風で波打つ髪を押さえながら、

「イスラはついて来ているか?」

「無論じゃ」 

 馬の尻あたりからイスラが顔だけをのぞかせた。

「……馬から狼が出てくるのをオレははじめて見た」

瓢箪ひょうたんから駒という言葉を知っているか?」

 いや、知らない、とティアは言って、

「頼みがある。武具同業者組合ギルドの長が今後、妙な気を起こさないよう、釘を刺してもらいたい」

「私がお前の頼みを受けるとでも?」

「受けるさ。イスラはカホカのスグリの実ベリーを食った。恩があるだろう?」

「食わされた、という方が正しい」

「なんだ、神が言い訳をするのか?」

 一瞬、イスラが言葉を呑むような気配があった。

「不遜な奴め……よかろう、しかし相手が脅しに乗らなかった場合は?」

 訊かれ、ティアは考え込む。ややあってから、

「……その時はオレがなんとかする。殺してでも」

 冷たく言い放つと、言葉もなくイスラが飛び上がった、そのまま宙で身体の向きを変え、夜のなかをはしりはじめる。あっという間に見えなくなった。

 ティアは前方へと視線を転じた。

「聞いていたのなら、カホカには黙っていてくれないか?」

 シダに言うと、「はい」とごく短い答えが返ってきた。



 夜間出門の金を払っていたらしく、すぐに門が開かれた。ティアが入った正門ではなく、南門である。聞いてみると、こちらの方が賄賂が効きやすく、金を上乗せすればこまかい事情を聞かれることもないらしい。

 あっさり門を出ることに成功すると、シダは西へと馬首を向け、街道に入ると一直線に馬の速度を上げた。

「金の力は偉大だな」

 冗談交じりにティアがこぼすと、

「ティア様」

 ふと、改まったようにシダから呼ばれた。

「カホカを、よろしくお願いします」

 シダの口調はあくまで抑揚がないため、真意が測りにくい。けれどもこの時ばかりはその意図がわかり、ティアは微笑んだ。

「シダも、カホカの身を案じているんだな」

 口数のすくない彼があえてティアに頼むのは、それだけカホカを大切に想っているからだろう。

「イヨ婆にも同じようなことを言われたよ」

「カホカは、僕にとって姉のようなものですから」

「それを直接本人に言ってやれば喜ぶんじゃないか」

「言えません」

「なぜ?」

 返答はなかった。ティアの位置からはシダの顔を見ることはできないが、ひょっとすると照れているのかもしれない。

 素直になれない性格も姉弟らしく似ている。

「ティア様の前だと、カホカはとてもはしゃぎます。普段もはしゃぎますが、無理にそうしているように見える時があります。でも、ティア様の前ではちがう」

「それだけ気安いということかな」

 ティアが独り言のように言うと、

「気安い……たしかにそれもあるとは思いますが」

「ちがうのか?」

 ティアの問いに答えはなかった。かわりに、

「ティア様、前を」

 はっとしてティアは身体を横に倒し、前方を見据える。

 街道を封鎖してリュニオスハートの兵たちがたむろを作っていた。街への防衛線を張っているのだろう。

 シダがさらに馬の速度を上げた。

「どうする?」

 風音に負けぬよう、ティアが大声で訊くと、

「突破します」

 相変わらずの落ち着いた口調でシダが言った。

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