15 カホカの事情

 もともとイヨ婆自身がルーシ人で、この酒場は身寄りのない女たちを集めてはじめた店らしい。

 ティアがクラウから「どこから来たのか?」と訊かれ、「ルーシ人」と答えた時、クラウとしてはイヨ婆に対する恩義から、なおさらティアを雇ってやらなければと思ったそうだ。

「もっとも、あんたの見てくれならルーシ人だろうが何だろうが雇ったけどね」

 そう言ってクラウは快活に笑う。

 店内では主にクラウが番頭を務め、何か揉め事が起こればイヨ婆が用心棒の少年を出す、といった仕組みらしい。

「あの少年、いったい何者なんだ?」

 物置部屋を片付けながら、ティアはクラウに訊いた。ティアは今後、イヨ婆の客人という扱いになり、物置部屋から奥の建物に引っ越しをするところだった。

「シダのことかい? あの子もルーシ人だよ」

 クラウはあっさりと言って、

「身寄りがない子でね。イヨ婆が引き取ったんだ。で、本人が店の役に立ちたいって言うもんだから、カホカが用心棒に仕立て上げたってわけさ」

 ティアは納得した。シダという名の少年の所作にどことなく見覚えがあったのは、彼がカホカの手ほどきを受けたからなのだろう。

 同時に、ティアには意外な気がした。カホカの性格上、いちいち教えるくらいなら自分で出ていきそうなものである。そうクラウに伝えると、

「まぁ、カホカも似たようなもんだからね。よくルーシ人は仲間意識が強いっていうし」

「え?」

 聞き捨てならない言葉に、ティアが手を止めると、

「ちがうのかい? あんた、カホカの古い馴染みって聞いたけど」

「カホカがルーシ人?」

 初耳だった。確かにカホカは典型的な黒髪碧眼というルーシ人の特徴を持っている。が、だからといって必ずしもルーシ人というわけではない。そもそもカホカの出自はリュニオスハートである。リュニオスハートの家系がルーシ人だと聞いたことは一度もない。

「いや、そこまで詳しく聞いたことはなかった……」

 ティアが言及を避けると、クラウは苦笑した。

「あんた、優しい子だね。いまカホカを守ってやろうとしたね」

 図星をつかれ、ティアは口ごもる。

 この人は、本当に鋭い。ティアは改めて実感した。クラウは男を相手にする玄人プロだから、元男であるティアの誤魔化しなど容易に見破ってしまうのかもしれない。

「知ってるよ、カホカが御領主の血を引いてることくらい。本人は絶対に言わないけど、隠しようがないもの」

「たしかに……」

「捨てられたのよ、あの子。リュニオスハートからさ」

「まさか……」

 クラウの言葉に、ティアは愕然とする。

「ルーシ人っていうのは美男美女が多い民族でさ」

 クラウがイヨ婆から聞いたところでは、あちこちに点在する民族ゆえに、様々な血が混じりあい、眉目秀麗な容姿を持つ者が生まれやすいらしい。

「なにかと辛いこの世を生きていけるようにって、神様が御慈悲をくださったのかもね」

 クラウは興が乗ってきたらしく「それでさ」と、秘密を打ち明けるように、

「実はカホカのお母さんってのが、イヨ婆の曾孫ひまごにあたる人らしいのよ」

「……知らなかった」

 それが本当なら、カホカはイヨ婆の玄孫やしゃごということになる。

「そりゃもう綺麗な人だったらしいよ。それを気に入った御領主がめかけにしちまったんだと。で、カホカが生まれたわけ。お母さんが生きてるうちはまだよかったんだけど、亡くなってからはね。随分とつらく当たられて、挙句、追い出されちまったってわけさ」

「ひどいな……」

 ティアにはそれだけ言うのがやっとだった。

「貴族様が妾を取るってのはよくある話だけどね。でも、そうだね。あんたの言う通り、やっぱりひどい話さ。イヨ婆としても、自分の娘の娘の……まぁ血の繋がった子だし、かわいくないわけがない。てわけで、カホカを引き取ったのさ」

 そしてカホカはリュニオスハートの家名を捨て、イヨ婆――マイヨール=ツェンの家名を取って、カホカ=ツェンと名乗るようになったのだと、クラウから教えられた。

「カホカは……ミハイルを恨んでいるんだろうな」

 そういう事情なら、カホカをリュニオスハートと呼んだ時の、あの激情もうなずける気がした。

「さてねぇ」

 クラウは片付けが済むと、埃を払って腰に手を置いた。

「ま、恨んで当然なんだろうけど、そうでない子もいるかもしれない。血の繋がりってのはややこしいものだからさ。当事者でない私には何とも言えないね」

「……血の繋がり」

 ティアはクラウの言葉を反芻した。



 ティアが荷物を持って中庭の側廊を回っている時だった。

 庭の中央あたりで、松明たいまつの明かりに照らされたカホカと少年のシダが、訓練用の案山子かかしを前に何やら話し込んでいる。

「カホカ、いい加減、拳の使い方を教えてください」

 抑揚のない声音ながら、シダは抗議しているらしい。

「アンタにはまだ早いって」

「前にもそう言われました」

 カホカは「だってさぁ」と口を尖らせた。

「蹴りの方がかっこいいじゃん。敵もよく飛ぶし。派手だし」

「そういう問題ではありません。僕は強くなりたいんです」

「えー、蹴りでいいじゃん。アンタの脚は二本もあるんだよ?」

「……腕も二本あります」

「じゃ、教えない」

「カホカ、意地悪しないでください」

 どこまで本気かわからない会話だ。

 そんなふたりの様子をティアが眺めていると、「そんなとこで何してんのよ」と、気づいたカホカが寄ってくる。

「いや……」

 と、ティアはカホカを見下ろした。カホカは女になったティアよりもさらに小柄である。

「カホカは、すごいな」

 しみじみとティアは言って、カホカの頭の上に手を載せた。

「……何が?」

「強い子だなと思って」

「……何の話?」

「感心しているんだ」

 そのまま頭を撫でてやると、「うん、ありがとう」とカホカは笑顔で言って――。

 思い切り噛みついてきた。

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