16 焦燥
翌朝、窓を厚い布で覆い隠し、酒場の奥の建物に用意された部屋でティアが寝ていると、
「おっはよーさん」
断りもせずカホカが部屋に入ってきた。「おりゃ」と、寝ているティアの上に跳び乗ってくる。
「……やめろ」
本気で迷惑がってティアが言うと、「嫌だ」と返ってきた。
「これからみんなで集まって、準備してくる。明日には決起して、領主にこっちの言い分を通してもらう。しばらく会えないかもだから、一応、挨拶に来てやったんだ」
「もう?」
一瞬で覚醒したものの、朝のためティアの身体は思うように動かない。そのままの姿勢で訊くと、
「一昨日、武器屋の支払いも終わったしね」
「本当に大丈夫なのか?」
「さぁ、大丈夫なんじゃない?」
カホカは相変わらずの軽口をたたく。それが強がりなのか、本心なのか。
「オレも行く」
ティアが言うと、
「その動けない身体で?」
へっへっへ、とカホカが上から笑いかけてくる。
「オレは本気で言っているんだぞ」
「アタシも本気だよ」
するとカホカはティアの上に重なるように仰向けになった。暗がりのなかで、その顔が近い。息遣いまで聞こえてきそうな距離だった。
「心配してくれてありがとね。久々に会えてよかった。ずいぶん変わっちゃったけど、
「なんで、そんな風に言う?」
まるで終わったような話し方に、一抹の不安がよぎる。ティアが睨むと、カホカがくすりと困ったように笑った。
「別に、言いたかっただけ。アンタがウラスロって奴をぶっとばしてやりたいって言うんなら、手伝ってあげたい気もするけど。ま、こっちはこっちでけっこう切羽詰まっててさ」
カホカはおもむろに袖をまくると、こちらに腕を近づけてきた。
「口は動くみたいだから聞いとくよ。――アタシの血、飲んでくれない?」
「……なぜだ?」
「自分でもわかんないんだけど……血って、アタシには嫌なもんだけど、アンタに飲まれるのはちょっと
ティアはその真意を探ろうと、カホカを見返した。――血は嫌なもの、と彼女は言う。やはり
「悪いけど、飲めない」
ティアが断ると、「そっか」とカホカは笑って立ち上がった。寝台の脇からこちらを見下ろしてくる。
「タオのぶぁーか」
カホカはべぇ、と舌を出して、「じゃあね」と部屋から出ていってしまう。
「待て、カホカ!」
「待たない」
部屋内に細い一筋の光が射し込み、ドアが閉じていく。
暗がりのなかで、ティアは全身に力を込めた。が、動くはずもない。
「早く、沈んでくれ」
太陽が沈みさえすれば、すぐにカホカを追うことができるのに。
寂しそうに笑うカホカを放っておけるわけがない。
怒鳴りつけてやりたい気分だった。
焦りが募っていく。何もできず、ただ時を過ごすしかない自分に対して、カホカ以上に腹が立った。
黄昏になり、ようやく身体を動かせるようになってきた。
「ぐ……く……!」
ぎこちない身体に鞭打ち、むりやり起き上がった。マントを被るのさえかなりの時間を費やしながら、それでもドアノブに手をかける。
『焦りすぎじゃ。夜を待て』
イスラの声が聞こえた。
『待っていられるか』
『五体満足に動かせぬ身体では、成せることも成せぬ』
『それでも、だ』
決然と言ったティアに、
『たわけが』
言葉とは裏腹に、イスラが愉快そうに笑う。
『何がおかしい?』
ティアが険を込めて訊くと、
『いや、悪くない覚悟ではあるかもしれん。意思あればこそ道も開かれる。ゆえに待ち人も現れる』
『なに?』
意味がわからずティアが訊くのと、逆からノブが回されるのは同時だった。
「お休みのところ、申し訳ありません」
ドアのむこうに立っていたのは、シダだった。
「どうしたんだ?」
驚いてティアが訊くと、「婆様が、ティア様とお話をしたいそうです」と、シダが無表情にこちらを見上げてくる。
「いや、オレは――」
話をしている場合じゃない、そう伝えようとすると、
「カホカに関することです」
まるで先回りするようなシダの言葉に、ティアは「わかった」と首を縦に振り直した。
昨夜と同じ赤い部屋に、同じ姿勢でイヨ婆は座っていた。
「起きるのが早すぎたようだの」
言われ、「そうでもない」とティアは重い身体を投げるように席につく。
「時間が惜しい。カホカはどこにいる」
言いながら、自分はどこに行こうとしていたのかと、ティアはようやく気がついた。焦りばかりが先走り、そんな当たり前のことさえ思い浮かばなくなっていた。
「洞窟じゃ。そこで準備をし、明朝出立する。最初は少数で街に入り、同調者を募りながら領主の館を目指す」
「……それだけ、なのか?」
ティアはめまいがする気分だった。
「そんな大雑把な計画で、うまくいくと思っているのか?」
思ったままのことをイヨ婆に訊くと、
「愛想のない坊主だのう。が、的を射てはおる」
「それを承知で許したのか」
「
たしかに、とティアは思ってしまった。カホカが信念をもって決めたとすれば、
「あれもな、成功するとは思っておらぬのかもしれん。他の連中も似たようなものであろう。どれもこれも行き場のない屈託ばかりを抱えておる。カホカにも……そうせずにはおられぬ確執がミハイルとはある」
「リュニオスハートに捨てられたから……」
「それよ。クラウディアあたりから聞いたか」
「それほどまでにミハイルが憎い、ということか」
「憎い、か」
イヨ婆が沈むような口調でつぶやいた。
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