銀色の虹の果てに

第二話:『模擬試合』

　しばらく話しながら歩いていたアレン達は、校舎群の上級学院エリアにある大講堂へやってきていた。

「入学式は九時からだから、まだ時間はあるな」

　講堂入り口の時計を見ると、あと十五分ほどの余裕があった。アレンはもう中へ入って席に着いておくかどうか考えたが、見覚えのある青い頭がこちらへやってくるのを見付けたイリスが声を掛けた。

「あっ、おはよー、アクア」

「おはよう、イリスちゃん。アレン君とシャルちゃんも、おはよう」

「あぁ、おはよう」

「おはよう。あれ、一人？」

　声を掛けられた少女‐アクアが、首に掛けた銀色の首飾りを揺らしながら柔らかい笑顔でそれに応えて、残りの二人にも挨拶をした。

　平均的な身長に肩まで掛かった紺青（こんじょう）色の綺麗な髪を前側だけ左へ流し、両側には薄い黒のリボンを着けている。髪と同色の青い瞳は優しい光を放っていて、おっとりとした口調と相まって、さながら全てを赦してくれる聖母の様だった。

　そんな少女にアレンとシャルも挨拶を返したが、常とは違い一人でやってきたことを疑問に思ったシャルが問い掛けた。

「うん、トイレに行ってくるから先に行ってろって。みんな、いま来たとこなの？」

「あぁ、ちょうどアクアたちが見えないから待つかどうか迷ってたとこ。じゃあ、とりあえずあいつが来るまでここで待つか。どうせすぐ来るだろ」

　アレンはそう言って自然と待つことに決めてしまったが、皆そのつもりだったので異論はなかった。

「そうね。そもそも、あいつがそんなに長時間アクアを待たせるとは思えないわ」

「なんでわたしだけ？」

　何故か対象を自分に限定して言い切ってしまっているシャルにアクアは苦笑しながら訊ねたものの、実際彼が他人をあまり長く待たせることをしないのは解っている為、それ自体は否定しない。

「だって、あいついっつも無口で無愛想な癖に、アクアにだけは甘いんだから。もうちょっと他の人にも愛想良く出来ないのかしら」

「……誰が無口で無愛想だ」

「―――ッ!?」

　散々なことを言っていると後ろから不意に声が掛かり、シャルはビクッと小さく跳ねた。

　後ろを振り返ると、アレンより少し背の高い、漆黒の髪と瞳を持つ少年が立っていた。サラサラでまっすぐな髪は肩近くまで伸びており、耳と切れ長の目を少し隠している。

「……そういう気配を消して近付くところが根暗だって言ってんのよ」

「悪かったな。此方（こちら）は口が達者な奴をいつも羨ましく思っている」

「……皮肉にしか聞こえないんだけど、こっちの気の所為かしら？」

「ほう、舌が回るだけで無く頭もちゃんと回るのか。これは新しい発見をした」

「何ですって!?」

「はーい、ストップ」

　額に青筋を浮かべたシャルを制しながら、アレンが二人の間へ割って入った。

「ちょっとアレン、退きなさいよ！　今この根暗にとっておきのやつ喰らわせてやるんだから……！」

「こんなとこで魔法なんて使ったら罰則受けるって。だいたい、先に悪口言ったのはシャルだろ？　ノアも、シャルの悪口なんていつものことなんだからいちいち怒るなよな」

「ならば其方（そちら）を如何（どう）にかすべきだと思うが？　尤（もっと）も、そのとっておきとやらが通用するとはとても思えないがな」

「……何なら試してみる？」

　ノアが尚も言葉を返し、シャルの周りに火の粉が顕れ始める。が、

「ノア君？」

「………解ったからその顔をやめろ、アクア」

　背後に何か黒いモノを宿したまま笑顔を向けてきたアクアを見て、先にノアが引き下がった。そしてふと、その隣に居た銀髪の少女と目が合う。

「あっ、えっと、その……おはよぅ」

　イリスが慌ててアクアの背後へ隠れてしまったので、ノアは小さく溜め息を吐（つ）いた。

「……あぁ」

「ノア君？」

「……何だ？」

「朝の挨拶はおはようだよ？」

「…………御早う、イリス」

　その声にまたしても嘆息しながら、ノアは挨拶をし直した。やっぱりアクアには甘いんじゃない、と聞こえた気がするが、これ以上あの笑顔を向けられるのは御免なのでそれは無視する。

「ま、まぁノアも来たからさっさと中に入ろうか。そろそろ席に着かないと怒られるし」

　微妙な空気が流れ始めたことをいち早く察知して、アレンは少し早足で入り口へ向かった。その後にノアが、そのさらに後ろに残りの三人が続く。

「悪いな、ノア」

「……お前が謝る事では無いと思うが？」

「いや、でもほら、やっぱりシャルとは昔からの付き合いだからさ」

「……それでお前の気が済むのなら、受け取っておこう」

　しかし、しばらくしてノアは再び小さな溜め息を吐いた。

「どうかしたか？」

「……いや、やはり未だ駄目な様だ」

　そう言いながら視線だけを後ろへ向けたので、アレンも目で追った。

「あぁ、イリスか」

　イリスは、何故かノアのことが苦手だった。

　元々極端に人見知りするらしく、『学びの庭（ガーデン）』へ入ったばかりの頃はアレンとシャル以外とはまともに口を利けなかったのだが、現在は基礎学院から一緒だったアクアや他の女友達とも普通に接するようになり、人見知りも少しはマシになっていた。しかし、何故かノアとだけは未だにまともに話せないでいるのだ。

「うーん、なんでなんだろうなぁ。理由を聞いても話してくれないし」

　以前何度もその理由を訊ねたが、イリスは俯くだけで結局答えてはくれなかった。

「まぁ、そのうち何とかなるって」

「………あぁ」

　アレンは励ますように言ったが、ノアの表情は心なしか少し寂しそうに見えた。

　ガーデンに通う生徒は殆どが上級学院生の為、上級学院のエリアは非常に広く、その中心に位置する大講堂も生徒の数に合わせた広大な造りとなっている。

　アレン達が中へ入ると、右手奥の壇上に各教員の席とスピーチ用の教卓が一つあり、一階の残りスペースを、人が充分通れるだけの間隔を空けつつ、幾つかのブロックに分けて新入生用の席としていた。それらを見下ろす形で階段状になった二階席が、在学生用の席だ。

　新入生は式が始まってから入場する為まだ居なかったが、殆どの在学生達は既に各々が話をしながら待っていたので、五人は早足で二階席へ向かった。

「あー、そこの銀髪の君」

　ところが、不意に最後に入ってきたイリスを呼び止める声が聞こえた。

「………はい？」

　声のした方を見ると、スーツを着た若い男がこちらへ向かって歩いてきていた。

「新入生は向こうの入り口へ回ってその手前で並んで待つように言われなかったか？　もう他の子達はそっちで待っているから、早く行きなさい」

　教員らしいその男は、そう言いながら一階左手奥にある扉を指差した。どうやらこの教員、アレン達と比べるとかなり身体の小さいイリスのことを新入生と勘違いしているらしい。

　イリスは飛び級をしている為年齢的には当たっていて、確かに傍（はた）から見たら新入生にしか見えない。本来なら数少ない飛び級をしている生徒であるイリスのことを知らない教員が居るとは思えなかったのだが、どうやらこの教員は今年から新しくやってきた者のようで、イリスのことはまだ聞かされていないようだった。

「ん？　どうした？　もうじき式が始まるから早くしなさい」

「あのー、すいません。こいつは飛び級してるから新入生じゃないんですけど……」

「なに？　そんな生徒がいるとは聞いとらんぞ」

「それは、見たところ新任の方のようですし、まだ説明を受けていないのでは？　イリス、生徒手帳をお見せして？」

「……うん」

　イリスは制服のポケットから生徒手帳を取り出し、それを受け取った教員が内容を確認する。

「……むっ、本当のようだな。すまなかったな、行っていいぞ」

　教員は手帳を返すと、着任早々のミスを恥ずかしがるようにそそくさとその場を去っていった。

「ふぅ……さっ、早く座りましょう」

　その背を見送ることもせずシャルがさっさと席へ向かったので、アレンもそれに続いた。

「はぁ……」

　イリスは新入生と間違われたことに軽く溜め息を吐いたが、すぐに他の生徒達の注目の的になっていることに気付いて顔を赤くしながら二人を追った。

「うぅ、恥ずかしい……」

　席に着いたイリスは身を隠すように頭を伏せていた。腕の間から僅かに見える顔は、まだうっすらと赤い。

「仕方ないわよ。本当なら新入生と同じ学年なんだし……」

「シャルはいいよね、背も高いしスタイルもいいから………わたしなんてやっぱりまだまだこどもだよね………」

　隣に座ったシャルがまたしてもやれやれといった風に宥（なだ）めたものの、当のイリスは完全に落ち込んでいた。その悲観と羨望と羞恥と嫉妬とその他諸々が混ざり合った瞳が、シャルの整った顔を力なく見る。

　シャルの身長は百七十センチ近くあって起伏に富んだ身体付きをしているが、イリスの身長は百五十センチもなく、毎日の食事で摂取した栄養はいったいどこへ行っているのか疑問が湧くような身体付きをしていた。

　確かにシャルは同年代でも高い方だが、そもそもイリスはまだ今年で十三歳になるのだからシャルと比べると差があるのは当然だった。しかしそれでも、本人にとっては悩みの種なのだ。ちなみにアクアは百六十センチほどで、身体付きも二人のちょうど中間といったところだった。

「そんな事無いわよ。私は逆にイリスみたいな女の子らしいところが……あっ」

　不意にブザーが鳴って周りの話し声が消えていったので会話を止めて前を見ると、一人の女子生徒が手に紙を持って教卓の前に立っていた。

「皆さん、御静粛にお願い致します」

　音声拡張の魔法を使っているらしく、その声は講堂内にいる全ての人に聞こえた。やがてざわめきが完全に収まると、その生徒は再び口を開く。

「ありがとうございます。それではこれより今年度の入学式、及び、始業式を行いたいと思います。司会は私（わたくし）、上級学院五年・生徒会長のティア=レイ=ライトが勤めさせて頂きます。なお、新入生入場に際して在学生、各教員の方々は御起立お願い致します」

　言葉が終わると全員が立ち上がり、アレン達もそれに倣（なら）う。

「それでは新入生、入場！」

　すると、一体どこに居たのか、様々な楽器を持った生徒達が演奏を始め、その音色が講堂を包み込んだ。そして先程の新任教員の言っていた扉が開き、そこから新入生達が数列に並んで入ってきた。

　真ん中の空いたスペースを歩く新入生を、皆が拍手で迎える。中には指笛を吹く者も居た。新入生達はどこか緊張したような、しかし期待に満ち溢れた表情で自らの席へ向かっていき、やがて全ての生徒が席に着くと演奏が止まった。しばらくして、再び生徒会長が口を開く。

「それではまず、新入生の入学を祝って上級学院学院長からのお言葉を頂きたいと思います。学院長、お願い致します」

　ガーデンの最高責任者は学園長であるシドだが、各学院を纏める為に学院長が居る。各学院内での懸案事項などはこの学院長までがすべて解決し、その報告書を学園長が確認するといった具合になっている。

「うむ。えー、まずは新入生諸君。この度の入学、おめでとう。そして……」

　学院長が話し始めた途端、周りに声を潜めたざわめきが戻った。

　やはり何代（いつ）になってもこの手の話は無駄に長ったらしく、生徒達の耳を右から左へ貫通していくらしい。その為、二階席の上級生達は各々が話を始めるのだった。

「はぁ……何でこういうのって、やたら長ったらしく話すのかしら。こんなの五秒で済ませなさいよね」

　シャルは溜め息を吐いてそうぼやいた。どうやら学院長の話は、シャルの耳も通過しているらしい。それにしても、五秒で一体何を話せというのだろうか。

「さすがにそれはちょっと酷くない？　ちゃんと聞いてあげようよ」

　イリスはその言葉に苦笑いしつつも、学院長の言葉をしっかりと聞いている。今はちょうど、近年の開拓情勢について語り始めたところだった。しかし、

「でも、これ見なさいよ」

「？」

　シャルはそう言って、左隣りを顎で差した。

「すぅ……すぅ……」

　そちらを見ると、アレンが腕を組んで小さな寝息を立てていた。

「話が始まって一分でこれよ」

「お兄ちゃん……」

　まさかの兄の姿に、額に手を当てて溜め息を吐くイリスだった。

「――それでは最後に、学園長からのお言葉を頂きたいと思います。シド学園長、お願い致します」

　それから二時間、様々な教員や地区の責任者などが代わる代わる話をし、ようやく最後の学園長の挨拶となった。

「……さて、とりあえず長ったらしいのはこれで終わるから、眠っている奴は起きてくれ」

　シドがそう言った途端、首を下に垂らしていた生徒達が慌てて顔を上げ始めた。シドはそれを確認すると、言葉を続ける。

「良し。俺も昔はそのクチだったから、お前達の気持ちは良く解る。だが今から話す事は、今後の学生生活にも関わる重要事項だ。メモを取るなり頭に焼き付けるなり、好きな方法でしっかり聞いておいてくれ」

　一拍置く間に、講堂の空気が少し引き締まった。なにせ学園長直々の連絡なのだから、その重要度が低い筈はなかった。

「先ずは新入生達、入学おめでとうと言っておこう。お前達はこれから様々な分野を学ぶ訳だが、上級学院には学期毎に何度か実習があり、実際に希望する職場で研修を行ったり、既に開拓された地域へ赴く事になる。後者に関して、既に知っている者も多いだろうが、最近新たに開拓地域が増えた事でその選択範囲が拡がった事を伝えておく」

　これは既に全員が知っていることで、ガーデンでは開拓地が増える度にその分選択可能な範囲が拡がるようになっており、今年に入って一月（ひとつき）ほど経った頃に、新たな土地が開拓されたという知らせが報じられていた。

「新しく追加された場所は火の大陸と水の大陸が主だが、選択リストに判るよう印を付けておくのでその時に確認してくれ。そして次だが、近年、魔物達が凶暴化しているという話だ」

　途端に、今度はざわめきが拡がった。これはまだ誰も聞いたことのない新しい情報だった。

「これは以前から各王国とガーデンによって話し合われていたのだが、およそ六年前からその傾向が見られ、現在も原因の究明には至っていない。今までは民衆に余計な不安と混乱を招かないよう秘密裏に調査していたが、ここ最近になってその程度が看過出来ない物になってきている。そして、お前達の実習には実際に魔物と戦う事のある物が多い。よって、ガーデンの生徒と教員、及びギルド関係者にのみ、その事実を伝える事となった。学生諸君はこれを念頭に置きつつ、慎重に実習に取り組んでくれ」

　シドはそこまで言って少し間を置くと、再び口を開いた。

「最後に、これは連絡事項ではないんだが、まぁ聞いておいてくれ。新入生、それから上級生の諸君。お前達はこの学園で勉学以外にも様々な事を学んでいく。その全てに於いて、悩み、苦しむ事が多いだろう。だが、お前達には頼れる仲間や、愛する者が居るだろうから、そんな時はそいつらに頼れ。頼る事は恥ではない。勿論、頼ってばかりではいつまで経っても成長しないだろうし、最終的に決断するのは自分自身だ。だから、仲間や愛する者を信じ、自分を信じ、良かれと思う事を選び、それを貫け。そうすれば、ここを発つ頃には誰もが誇れる人物になれる筈だ」

　言葉が終わると、シドは自らの席へと戻っていった。再び、生徒会長が前へ出る。

「ありがとうございました。それでは以上を以て入学式、及び、始業式を閉会致します――」

　　　　†　　　†　　　†

「あぁ～、やっと終わった～！」

　アレンは歩きながら大きく伸びをして、すっかり凝り固まった身体を解（ほぐ）した。

　式が閉会し、午後からの授業の為に五人は昼食を摂るべく食堂へ向かっていた。その道がてら、アレンはノアと午後の授業について話していた。

「午後の授業って何だっけ？」

「……中・近距離戦闘学の合同授業だった筈だが？」

「そっか。まぁ初っ端だし、軽く手合わせするぐらいで終わるだろ」

「…………」

　楽観しているアレンに、ノアは何も言わなかった。ノアが無口なのはいつものことなので、アレンは特に気にせず後ろのシャル達に話を振る。

「シャルたちは午後の授業は？」

「私達は無いわよ？」

「えぇっ、なんで!?」

　アレンは思わず声を上げた。

「何でって……お兄ちゃん、掲示板見てないの？」

「掲示板？　見てないけど……」

　首を傾げたアレンに、イリスが呆れたように短く溜め息を吐いた。

「入学式の日の午後は、武術学部の実技でみんなが集中できないからそれ以外はないんだよ？」

「なんでみんなが集中できないんだ？」

「そんなの、恒例のあれの所為に決まってるじゃない」

　しかし、アレンには一体何のことかさっぱりだった。益々眉を寄せたアレンに、今度はシャルとイリスと並んで歩いていたアクアが首を傾げた。

「アレン君、入学式の日の授業って、毎年受けてるよね？」

「いや、去年は俺が、一昨年はイリスが熱出したから休んでるけど……」

　そういえば、とシャルはそのことを思い出した。去年も一昨年も、どちらかが高熱を出して、片方はそれを看病する為に休んでいたのだ。

　それに納得して、アクアが説明する。

「入学式の日は、中・近距離戦闘学の授業で派手に模擬試合をするから、他の生徒はみんなそれが気になって授業にならないの。だから、何年か前に思い切って他の授業をなしにしちゃったんだって。武器系統ごとに各学年の代表者が二人ずつ、一対一でいっぺんに戦うし、場所も普段使ってる訓練場じゃなくて闘技場で大々的にやるから、ちょっとしたイベントなんだよ？」

　ガーデンに入学した一年生は入学式から一週間掛けて自らの選択授業を選ぶようになっており、実際に行われる授業の見学が許されている。上級生はその一週間臨時の時間割で授業を受けるのだが、百聞は一見に然ずの通り、その多くは実技で組まれている。

　そしてその中でも特に新入生に人気なのが、魔法学部と武術学部の実技だった。

　アレン達は皆（みな）魔法学部に籍を置いているので必修はそこの授業なのだが、アレンとノアは一年生の頃から武術学部の授業も多く取っていた。何故最初から武術学部に入らなかったのかというと、「武術は自己流で出来るけど、魔法はそうもいかないから」、ということらしい。

　武術学部の授業は遠・中・近距離武器の三つに大きく分かれ、そこからさらに各々の武器系統に分かれて行われる。その中でも中・近距離は人気が高く、扱いが難しく魔法で代用も出来る遠距離武器と比べると生徒数が多くて戦闘に華があるので、毎年入学式の日のみこのように大々的な模擬試合を行っていた。

「へぇ、知らなかったなぁ。でも、じゃあなんでイリスは知ってるんだ？　休んでたのはイリスも同じなのに」

「わたしは、一年生の頃に観に行ったし、そもそも掲示板に書いてあるんだからちゃんとチェックしようよ。お兄ちゃんこそ、一年生の頃は何やってたの？」

「えっと、確か式が終わって、いつの間にかみんなと逸（はぐ）れちゃったからそのまま寮に戻って……」

「お兄ちゃん……」

　なんとも間の抜けた話に、イリスは情けなくなって額を押さえた。

「っていうか、同じ授業にノアも居るんだから、それくらい教えて貰っときなさいよ」

　アレンははっとして隣を見た。

「………別に隠していた訳では無いのだが」

　その視線を感じたノアは、前を向いたまま呟いた。

「お前な……じゃあ聞くけど、各学年の代表者ってどうやって決めるんだ？」

「前年度の成績最優秀者二名だった筈だが？」

「ノア君は、去年と一昨年も出たよね？」

「あぁ」

「じゃあ俺は特にすることないな。ノアとおんなじレベルの成績とは思えないし」

　アレンは気楽に笑いながら、いつの間にか辿り着いていた食堂へ入っていった。

「…………」

　何かを言い掛けたノアは、既にアレンが奥へ行ってしまったので口を閉じて後に続いた。

「……ノアが言わないのもあるけど、それ以上にアレンが人の話を最後まで聞かないのが悪いのよね」

「あはは……」

「はぁ………」

　シャルの呆れ声に、アクアから乾いた笑いが、イリスからまたしても溜め息が零れた。

　　　　　　　　†　　　†　　　†

　昼食を摂り終えたアレンとノアは、学区の北エリアにある闘技場へやって来ていた。

　シャル達は何か話があるらしく一旦食堂で別れていたので今は居ないが、ノアが試合に出ることは判っていたので後で観に来る手筈になっていた。……のだが。

「……なぁ、何これ？」

　アレンは呆気に取られていた。その人の数に。

　闘技場の観客席は既に新入生を含めた多くの学生達で埋め尽くされており、所々では売り子の姿や何らかの共通のグッズを持っている者達も見える。最早本当にお祭り状態だ。

「毎年こんなものだ。確かに今年は多いが」

「それにしても、他の戦闘学の奴らは？」

　闘技場内のグラウンドには既に数十名の生徒達が居たが、中・近距離戦闘学を受講している生徒数と比べると明らかに少なかった。

「……彼処（あそこ）だ」

「……あっ！　なんであんなとこに!?」

　指差された場所を見ると、去年一緒のクラスだった友人達が観客席に座っていた。その手にはたこ焼きや焼きそばを持っていて、完全に観客と混ざっている。

「あいつらは見物だからな」

「それはわかるけど、なんでもうあっちにいるんだよ。グラウンド集合じゃないのか？」

　アレンはてっきり先にグラウンドに集合してから観戦するものだと思っていたので、友人達の姿に唖然としていた。

「なぁ、俺ももう向こうに行ってもいいか？」

「……俺達は此処（ここ）だ」

「お前はわかるけど、何で俺までここなんだよ。試合するわけじゃあるまいし」

「…………」

　ノアが少し間を置いて喋ろうとする。

「よし、全員いるな？」

　が、担当教員が来てしまったので結局何も言えなかった。

「これより、毎年恒例の中・近距離戦闘学の模擬試合を開始する。ルールは予め掲示板に載せておいたが、念の為もう一度説明するぞ」

　茶色の混じった赤く短い髪と筋骨隆々とした逞しい身体に、それに見合った厳（いか）つい顔と燃えるような紅い瞳。初対面の人間には、道端で遭遇すれば間違いなく一目散に逃げ出すであろうこの外見からはとても教鞭を執る姿は想像出来ないだろうが、歴としたガーデンの教員だ。

「ルールは鉾槍（ぼうそう）術、棒杖（ぼうじょう）術、鎚斧（ついふ）術、刀剣術、鎌鎖（れんさ）術、銃闘（じゅうとう）術、格闘術科の順に、各学年代表者二名による一対一で行う。武器は学園の物を持ってきてはいるが、恐らく皆（みな）各々の武器を所持しているだろうから、試合開始前に斬撃、貫通防止の魔法を掛けて執り行う。魔法の使用は【肉体強化】以外禁止、銃闘術に関しては麻酔弾を使用してもらう。制限時間は三十分でどちらかが降参するか気絶した時点で終了とし、時間内に決着が着かない場合はこちらの判定により勝者を決めるが、接戦していた場合は引き分けも有り得る。試合は各科で一斉に行うが、グラウンドには個別に結界を張っておくので他の試合の邪魔をする事はない。なお、この試合はあくまでも新入生が授業選択の参考にする為の模擬試合である。よって勝敗に拘らず、各々の武器の特性を活かし、授業で学び得た実力を出すように。以上。何か質問はあるか？」

　教員はそこまで言うと全員に質問を促したが、誰からも声は上がらなかった。

「……よし、何もないな。それでは最初は鉾槍術から――何だ、アレン？」

　ところが、後ろの方に居たアレンが手を挙げていた。

「あの～、ダグラス教官。刀剣術の四年生が一人いないんですけど……？」

　周囲を見渡すと四年生は居るものの、刀剣術科はアレンと、何故か汗を掻いているノアだけだった。

「何を言っておる。ちゃんといるではないか」

　ダグラスと呼ばれた教員は眉を寄せてアレンを見た。

「……どこに？」

　再び周囲を見るアレン。しかしやはり他の生徒は見当たらない。

「………アレン、一応訊いておこう。貴様、掲示板の案内は見たか？」

「いえ、むしろこの模擬試合のことは今日初めて知りました」

「そうか。では代表者の一覧も見ていないのだな？」

「はい」

「……………………」

　淡々と答えていくアレンに対し、ダグラスのこめかみに青筋が一つ、また一つと増えていく。心なしかノアの汗の量も増えているような気がした。

「アレン。どうやら貴様に、学期最初の特別課題をプレゼントする事がたった今決まったようだ」

「……………へっ？」

「――貴様とノアが代表者だ！　学内の掲示板は毎回チェックするようにと、普段からあれ程言っておるだろうが！　この大馬鹿者が!!」

　間抜けな声を出したアレンに、ダグラスは突如、大声で怒鳴り散らした。

「なっ……ええっ!?　何かの間違いじゃないんですかっ？」

「……お前の去年の成績は俺と同じだ」

　先程から大量の汗をだらだらと流しながら沈黙していたノアが、ようやくボソッと呟いた。

「マジで!?　っていうか知ってたんなら教えろよな！」

「お前が人の話を最後まで聞かんからだろうが。と言うか、自分の成績ぐらい知っておけ」

「……はぁ、やはりあの成績を付けたのは間違いだったか」

　ダグラスは過去の過ち（？）に対して額に手を当てた。

「もう良い。とにかく鉾槍術科の者以外は観客席へ行って良いぞ。自分の二つ手前の試合が始まったら控え室へ行くように」

　ダグラスが疲れた声で指示してグラウンドの外へ向かうと、鉾槍術科以外の生徒達もその場を離れた。

　　　　　　　　†　　　†　　　†

「じゃあ、何？　結局始まる直前まで知らなかったの？」

　観客席へ移動した二人は、シャル達と合流して試合を眺めていた。

「みんな人が悪いよなぁ。知ってたんなら教えてくれてもいいのに……」

「あんたが人の話を最後まで聞かずにどんどん先へ行っちゃうからでしょうが」

　ぼやいたアレンに、透かさずシャルが呆れ声でツッコんだ。

「でもアレン君、準備とか大丈夫なの？」

「まぁ、準備って言っても特にないからな。服は別に制服で良いし」

　ガーデンの制服は実習地でも動きやすいよう伸縮性の優れた生地で作られ、温度調整や下級の物理、魔法障壁など様々な補助魔法の効果が編み込められている特注品なので、試合をする分には全く問題はなかった。

「ノアと戦うのは久しぶりだから、ぶっちゃけ楽しみなんだよな」

「…………」

　表情が小躍りしているアレンに、ノアが口を開く。

『おぉっと、ここで残った六年生も決着！　勝者はジークハルト選手だ！　やはり槍の名手と謳（うた）われるだけあり、圧倒的にして華麗な槍捌きでした！』

　――前に、鉾槍術科の試合終了を告げる実況が響いた。ただの実技の授業に実況がいる辺り、学園側のこの模擬試合への本気度が窺える。

「あっ、終わったみたいだよ」　

「よし、じゃあ行くか」

「……あぁ」

「がんばってねー」

　ノアが口に出掛かっていた言葉を飲み込んで立ち上がり、控え室へ向かう。二人は刀剣術科なので、次の次が出番だ。イリスの激励に手を振って、アレンもその後を追った。

「大丈夫かなぁ……」

「まぁノアは知らないけど、アレンは楽しそうだから良いんじゃない？」

　かなり抜けたところのあるアレンを心配するイリスだが、シャルは特に気にしていないようだった。

「……大丈夫だと思うよ？」

　そこへ、アクアの落ち着いた声が入った。

「どうして？」

　どこか自身に満ち溢れた言葉に、イリスは不思議そうに訊ねた。

「アレン君もそうだけど、ノア君も楽しそうだったから」

　アクアの瞳は、優しい紺青色の輝きを放ちながら、二人の背中を追っていた。

　アレンとノアが闘技場の控え室へ入ると、そこには既に刀剣術科の生徒達が居て、各々が試合へ臨む準備をしていた。

「よう、アレン。自分が出るのも知らなかったなんて、さすがだな」

　そこへ、上級生らしき男子生徒が声を掛けてきた。

「カイル先輩、それってどういう意味ですか？」

「ん？　言葉通りの意味だけど？」

　そう言って、カイルと呼ばれた生徒は人懐っこい顔で笑った。

　カイルは六年生の先輩だ。深緑の瞳を持ち、背中まで伸びた瞳と同じ鮮やかな長髪を首の後ろで括っていて、ノアと同じくらいの身長が線の細い印象を与える。

「お前とノアの一騎打ちかぁ……まぁ、こっちはさっさと終わらせてゆっくり見物させて貰うとするわ」

「いいんですか、そんなこと言って？　先輩の相手ってグレイス先輩でしょ？」

「いいのいいの、負ける気しねぇし」

　少し目を細めたアレンに、カイルは笑いながら手をヒラヒラさせた。

　グレイスはカイルと同じ六年生の大剣使いで、火属性を得意とし、かなり実力のあるパワーファイターだ。この模擬試合は前年度の最優秀成績者二名が戦うので、この二人が刀剣術科六年生の現状トップということになるのだが、カイルは相当自信があるようだった。

「んなことより、お前ら二人とも秋の大会、ちゃんと勝ち上がれよ？　卒業する前にお前らと闘（や）っときたいからな」

　秋の大会とはガーデンで年に一度行われる魔法闘技大会のことで、今回の模擬試合とは違って魔法アリ、武器アリで戦う一大イベントだ。多くの生徒がこの大会の為に腕を上げて日頃の成果を試すのだが、アレンは去年、これの決勝トーナメントの一回戦で、ノアは三回戦で敗退している。ちなみにカイルは四年生で準優勝、五年生で優勝していた。

「……善処します」

「まぁ、去年はダメだったから、今年はもっと上を目指すつもりだし」

「おっ、言うねぇ。じゃあ楽しみにしてるわ」

『……えー、まもなく刀剣術科の試合が始まりますので、選手の方々はグラウンドへ移動してください』

　カイルがニヤリと笑みを浮かべたところで、控室にアナウンスが響いた。

「もう時間か。それじゃ、頑張れよ」

　明るく笑いながら手を振って、カイルは控え室を出ていった。そのすぐ後ろに赤い短髪を尖らせた大柄な生徒が鋭い眼付きで続いたが、カイルは気付いていないようだった。もしかしたら、そのフリかもしれないが……。

「あっちゃー……今の会話、完全にグレイス先輩に聞かれてたよ」

「……俺達も行くぞ」

　アレンの言葉には反応せず、ノアはさっさとその場を後にする。

「あっ、待てよ！」

　置き去りにされたアレンは、慌てて後を追った。

　　　　　　　　†　　　†　　　†

「うっはぁー、こっから見ると闘技大会みたいだなぁー」

　グラウンドに出たアレンは、感嘆の声を漏らした。

　既に前の試合で盛り上がっているらしく、観客は今か今かと試合が始まるのを待っていた。観客席の前列は新入生が優先されているらしく、すぐ間近で行われていた闘いにかなり興奮しているようだ。

『さぁ、やってきました刀剣術科！　おそらく最も一般的な武器類であり、最も戦闘に華があるであろう彼らの戦い！　一年生たちも多くがこの学科を選択肢に入れていることでしょう！』

　不意に先程の実況の声が響いて正面の観客席の上の方を見ると、実況席らしきところで男子生徒がマイクを持って身を乗り出していた。隣に居るのは解説だろうか。それにしても、やけに本格的だ。

『おぉっと、なにやら「お前誰だよ」的な視線を感じるので、ここでもう一度自己紹介をしておきましょう。実況は私（わたくし）、魔法学部魔導科学科五年生のジョニーことジョン=ファクターと、』

『同じく魔法学部魔導科学科五年生、解説のケイン=ウェルナスです。よろしくお願いします』

　ガーデンの必修科目は選択科目の中から指定されるのだが、各学部で自分の専攻する学科によって、必修も一部が違ってくる。

　例えば彼らの専攻する魔導科学科では、他学科では五年生から必修に指定されている魔導科学が一年生の頃から指定されており、学年が上がるほどに、その内容もより専門的なものとなっていく。同じように、アレン達が専攻する魔法学科で必修指定されている、攻撃、防御、補助魔法などの授業は他学科でも一年生の頃から学びはするが、三年生からは必修から外れている。

　また、後（のち）に必修に加わる予定の科目を既に選択科目として履修し終えている場合、その科目の代わりに別の科目を選ぶことも出来る。生徒達は五つの学部全てから授業を選択出来るので、こういった形式を取ることで、実際にその能力を活用する際に、ただ一つの分野に特化するだけでは決して起こり得ない、新しい発想を得ることが出来るのだった。

　閑話休題。

　何故魔導科学科が実況と解説をやっているのか甚（はなは）だ疑問だったが、そういえば彼らは去年の魔法闘技大会でも同じことをしていたのをアレンは思い出した。

「さぁ、それでは解説のケイン、早速この科の特徴と注目選手を教えて下さい」

「そうですね。まず科の特徴について、一口に刀剣と言っても実に様々な種類と型があるのですが、その本領は当然、接近戦ですね。武器によっては格闘術並みに小回りが効いたり、斧よりも強烈な一撃を放てるのが魅力だと思います。また、魔法と組み合わせた戦いが最もし易い武器でもあって、武器を媒介にした攻撃によって遠・中距離戦闘も可能になるのが利点なのですが、今回攻撃魔法は禁止されているので、接近戦で如何に間合いを制すかと、如何に相手の攻撃を読み切るかが鍵になってくると思います。注目選手はもちろん、前年度の魔法闘技大会で優勝を果たした六年生のカイル=グラン先輩ですが、僕個人としては前年度に三年生で決勝トーナメント三回戦まで勝ち進んだ、現在四年生のノア=レヴィウスの戦いも注目したいところですね」

「なるほど。ちなみにカイル選手の対戦相手はパワーファイターとして有名なグレイス=バーン選手、ノア選手の対戦相手は、同じく去年の大会で決勝トーナメント一回戦まで勝ち上がったアレン=レディアント選手です。二人の戦いにも注目ですね。さぁ、それでは会場の皆さん、もうまもなく、試合開始です！」

「………だってさ」

「興味が無いな」

　実況に耳を傾けていたアレン達は、お互いに向き合いながら言葉を交わした。

「それでは、これより刀剣術科の模擬試合を開始する。二人とも、学校側の武器は必要か？」

　審判の教員が二人の中央に立って確認した。

「俺はこれがあるんで」

　アレンは身体の正面に右手を構えた。すると金色（こんじき）の光が掌へ集まり始め、そこから今朝の鍛錬で使っていた両刃の剣を抜き取った。柄は黄金色に輝き、刃の縁（ふち）には何らかの文字が刻まれている。

「うむ。レヴィウス？」

　教員はそれに頷いてノアへ視線を向けた。

　左手を前へ差し出したノアは、

「……必要無い」

　漆黒の光の中から、鞘に収まった一振りの刀を抜き出した。

「よろしい。では斬撃と貫通防止の魔法を掛けさせて貰う」

　教員が二人の武器に手を翳して何かを呟くと、淡い青色の光がそれらを包み込んだ。

「……それでは、制限時間は三十分、ルールは厳守するように。試合、開始！」

　教員が手を降ろして試合開始を宣言し、すぐさまその場を離れた。それを確認したアレンは、両手で剣を構えてノアを見据える。

「さて、それじゃあ一丁やり――」

「アレン」

　不意に、ノアが言葉を遮った。

　鞘を持ち替え、ノアはそこに収まった刀を左手で抜く。持ち主と同様の漆黒の光を放つその刀には鍔（つば）がなく、長さは通常の刀の一・五倍から二倍はあった。

　鞘を右腰に巻かれた剣帯に差し、漆黒の瞳がアレンを射貫く。

「本気で来い」

　直後、放たれた闘気が肌を突き刺した。

　何年振りかになるそれに、アレンはすぐさま気を引き締めた。

「……行くぞ」

　二人の間に、ほんの僅かな静寂が訪れる。

　突如、アレンは地面を蹴ってノアへ迫った。駆け出した勢いのまま、手に持った剣を振り下ろす。

「はぁッ！」

「ッ！」

　ノアは左手の刀でそれを柔らかく往（い）なすと、さらに上から振り下ろした。

「おわっ!?」

　体制を崩されたアレンは咄嗟に身を反らすことで紙一重で躱（かわ）し、今度は横薙ぎに払った。

　身を屈めて躱したノアが身体を起こすと同時に刀を振り上げ、さらに前へ踏み出して、斬閃を辿るように脚を蹴り上げながら素早く宙返りする。少し仰け反って刀を避けたアレンは、踏み出したことで間合いの伸びた蹴りへの防御が間に合わず、それが顎に直撃した。

　さらに追撃が迫る。ノアが素早く腕を引き、身体全体を捩りながら強烈な突きを放った。

　回転を加えられた刀が空気を突き破る。アレンは軸足を接地したまま反転した。刀が頬を掠め、チリッと熱を帯びる。

「……っの！」

　そのまま、ノアの脇腹目掛けて剣を薙ぎ払った。

　一瞬で完全に避けられないと判断したノアは右手で鞘を構え、直撃の瞬間に剣とは逆方向へ飛んで衝撃を逃がそうとする。

「――ッ!!」

　しかし、遠心力が付いたことで予想以上の威力を纏った一撃に勢いを殺し切れず吹き飛ばされ、着地した瞬間に態勢を崩してしまった。

　それを好機と見たアレンは追撃しようと駆け出したが、顎への一撃が脚にきたらしく、踏鞴を踏んでしまった。

「くっ……！」

「……ちっ」

　すぐに体勢を立て直した二人は、再び間合いを詰めて刃を交えた。

　　　　　　　　†　　　†　　　†

『おぉっと、レディアント選手、今度は突きを繰り出した！　レヴィウス選手、これを躱しながら突き返す！　レディアント、再び避けて剣を払った！　しかしレヴィウスもこれを躱す！　これはすごい、どちらも引きませんッ!!』

「……なんか、すごいね」

　二人の試合を観ていたイリスは、只々感嘆の声を漏らした。実際、二人の戦いは明らかに他の四年生のそれとは一線を画していた。

「二人とも、毎日がんばってるから。それに、こっちもすごいよ？」

　アクアに釣られて隣を見ると、

「あぁっ、もう！　何やってるのよ、アレン！　そこで突きよ！　そう！　そこから薙ぎ払って……あっ、危ない!?」

　シャルが身を乗り出して大興奮していた。

「シャルちゃん、アレン君の応援、張り切ってるね」

「――えっ!?　そ、そんな事無いわよ！　な、何で私があいつの応援で張り切らなきゃいけないのよ!?」

　アクアのにこにこした言葉を狼狽えながら否定したシャルだが、その顔は耳まで真っ赤だった。

「……素直じゃないなぁ」

　そんなシャルの反応に、イリスは小さく息を吐いた。

「ねぇシャル、いい加減素直になったら？　でなきゃ、なんのために今度の――むぐっ!?」

「ちょっ、ちょっとイリス、ストップ！　誰か聞いてたらどうするのよ……!?」

　慌ててイリスの口を塞いだシャルが周囲を見渡す。幸い他の生徒は試合に夢中で、こちらの話は聞こえていないようだった。

「――ぷはっ！　……別に、聞かれたってどうにもならないと思うけど？」

　口を塞がれたイリスはその手を強引に退けて、何を今更といった風に目を細めた。

　シャルがアレンのことをどう思っているかなど、新入生以外は殆ど知っているだろう。代々火の精霊の加護を授かる由緒正しき大貴族の令嬢であるシャルはそれなりに有名だし、魔法の実力も群を抜いている。容姿も端麗でファンクラブまであるのだが、それでもその傍に男の影が見当たらないのは、普段のアレンに対する態度と、それを見てもなおありもしない可能性に縋（すが）り付いて告白してきた者を、みな須（すべから）くフッているからだった。

　しかしアレンはシャルのことを完全に幼馴染として見ているし、肝心のシャルもこの調子なので、二人の関係は一向に進展しないのだった。

「ま、まぁ、私は別に何にも無いからどうにもならないけど？　せっかく秘密にしてびっくりさせようとしてるのに、誰かの耳に入って台無しにされても困るじゃない？　そう、そうなのよ！　そんな事よりも試合を観ましょう？　ね？」

　そう言うが早いか、シャルは顔と意識を試合にのみ向けた。その表情からは、さしずめ「今話しかけても何も聞こえないから」とでもいうような無言の言葉が窺えた。

　イリスもアレン達の試合が気にならない訳ではないので、一度盛大に溜め息を吐いてから観戦を再開した。

　　　　　　　　†　　　†　　　†

　再びの応酬が終わり今一度距離を取った二人は、互いに視線を外さぬまま、じりじりと地面に円を描いていた。

「……さすがにやるな」

　頬を伝う汗はそのままに、アレンは呻くように呟いた。

　度重なる攻撃をギリギリのところで防ぎ躱していたアレンは、隙を見て自らも反撃に転じていたものの、やはり致命的なダメージを与えられずにいた。

　対するノアが、悔しげなアレンに言葉を返す。

「お前も以前よりも遥かに強くなっていたので、正直驚いた。たったの六年で此処まで強くなるとは思わなかったぞ」

　クリーンヒットこそないものの、実際最初の方に横に飛んで受け流した一撃はノアの予想を上回る破壊力だったし、その他の攻撃も惜しいところまでいっていた。

「だが……」

　そこで言葉を切ると、ノアは不意に刀を鞘に納めて身を低くし、構えた。

　その構えは、居合い。

　しかし、それにしては二人の距離は少し離れているので、いったい何をするつもりなのかとアレンが眉を寄せると、

　ノアが、消えた。

「まだ甘い」

「――っ!?」

　突如アレンの背後に現れたノアが抜刀する。

　目の前で起きた現象に驚嘆しつつも、アレンは振り向きざまに剣を構えた。が、そのあまりの威力に結界の端まで吹き飛ばされてしまった。

「――がっ、はぁッ……！」

　背中から伝わった衝撃で息が漏れた。ノアがさらに追撃してくるのが見えて、咄嗟に剣を払う。

　予想外の反撃を、しかしノアは刀を構えてどこまでも冷静に防いだものの、剣を防いだところへ蹴りが迫ってきたので後ろへ跳んでそれを躱した。

「……ふむ。今のを防いで反撃もしてくるとは、本当に腕を上げたな」

「…………そいつはどうも」

　感心したような口振りだが、淡々とした表情は普段とまったく変わらなかったので、客観的には全くそうは思えなかった。

「然し、こうなると中々決着が着かなくなるな………仕方が無い、俺も本気を出そう」

　今までは本気じゃなかったのか、とは思わない。ノアの実力は良く知っているし、相手の力が解らないほどアレンは未熟ではなかった。

「その代わり……」

　ノアは再び刀を鞘に納めて左手を添え、身を低くした。

「この一撃で終わらせる」

　迫りくる一撃に対処すべく、アレンは全神経を集中する。

　ノアの攻撃が居合いである以上、それを防げば隙が生まれる筈だ。そこを突けば一撃くらいは入れられるだろう。問題は、どこから攻撃してくるかだ。

　そう思考しながらも、僅かな動作も見逃すまいと正面を見つめていると、

（――来るっ！）

　不意にその気配を感じた。

　直後、目の前に居たノアが再び消えた。

「―――っ！」

　今度は真横に現れたノアの一撃を防ぐべく、アレンは刀の軌道を予測してそこに剣を構える。

　それを見てもお構いなしに、アレンの顔面目掛けてノアの左手が振られた。

　しかし、振り終えた手の先を見ると、そこには何もなかった。

（――な）

　瞳を驚愕の色に染めているアレンの眼前で、ノアが空いている右手で刀を逆手に持ち、今度こそ、その漆黒の刃をアレン目掛けて振るう。

（に――）

　放たれた一撃がアレンの脇腹へ直撃し、鈍い音と共に派手に吹き飛ばされた。

「ぐぁッ――!!」

　引き摺るように地面を転がったアレンは、激痛に顔を歪める。

「フェイント……かよ……」

「言っただろう、『この一撃で終わらせる』と。お前が初撃を防ぎに来るのは解っていたからな。ならば隙を作って其処を突けば良いだけだ」

　脇腹を押えながら見上げてくるアレンに、ノアはやはり淡々と言葉を発した。

「こ、の……ぐっ…！」

　アレンはなんとか立ち上がろうとしたが、どうやら身体は言うことを聞きそうになかった。

「無理をするな。恐らくアバラが幾つか折れている筈だ。後で治癒して貰うんだな」

「く……そ……」

　自分がやった癖に、と心中で悪態を吐いたが、アレンの意識はやがて闇へと落ちていった。

『あーっと、ここでアレン選手の意識が落ちた！　勝ったのは、ノア=レヴィウス選手です！　それと同時に刀剣術科の全ての試合が終了しました！』

　アレンが気絶すると、実況の声が高らかに響いた。

「――わたし、お兄ちゃんのとこに行ってくるね！」

「えっ？　あっ、ちょっとイリス！」

　それだけ言い残して、イリスは走り去っていってしまった。

「……もう」

「わたしたちも行こう？」

「えぇ……」

　頷いて立ち上がったシャルは、アクアと共にイリスの後を追う。

（アレン……）

　その足取りは、自然と早足になっていった。

　　　　　　　　†　　　†　　　†

　闘技場の暗い廊下に、ゆっくりとした足音が響く。

　試合を終えたノアは、アレンが運ばれたであろう医務室へ向かっていた。

「よう、お疲れさん」

　不意に、暗がりから声が掛かった。

「……どうも」

　ノアは声を掛けてきた人物―カイルに、軽く頭を下げた。

「上級の肉体強化まで使うたぁ、容赦ねぇな」

「一応、本気を出すと宣言したので」

　変化のない無表情に、カイルは目を細める。

「……そこまでやってもそれか？」

「…………」

　ノアはそれには答えず、自らの脇腹へ手を当てた。最後の一撃が当たる直前、意識的か無意識的か、アレンはノア目掛けて蹴りを放っていたのだ。

「制限付きとはいえ本気出したお前に一撃くれるなんて、こりゃいよいよあいつと戦ってみたくなってきたな」

「……カイル先輩」

「ん？　………わかった、わかった。わかったからそんなに怖い顔すんなよ」

　ノアの表情は傍から見ても特にいつもと変わらなかったが、カイルはそこから溢れ出した殺気を感じ、しかし手をヒラヒラさせて笑って受け流した。

　ハッとしたノアはすぐに殺気を消すと、再び軽く頭を下げる。

「済みません」

「いいって。でも大会の組み合わせは抽選なんだから、俺が当たっても文句言うなよ？」

「……善処します」

「……そこは『はい』って言っとけよ。まぁいいや。そんじゃ、俺はそろそろ行くわ」

　呆れながら笑ったカイルは、踵を返して去っていった。

「…………」

　暗がりへと消えた背中へ視線を送ったまま瞳に強い光を宿したノアは、拳を固く握る。

　その口は、常では考えられないほど吊り上がっていた。