第三話:『腐れ縁と新たな出会い』



「お兄ちゃん、はやくはやく!」

「そんな急がなくても出店は逃げないんだから慌てるなよ!」

「こういうとこは、やっぱりまだまだ子供なのよねぇ」

「そんなこと言ったら、またイリスちゃん拗ねちゃうよ?」

「…………」

 模擬試合が全て終わり、週末までの授業も、シャルが攻撃魔法の実技で派手に魔法を使ったり、その余波に襲われた新入生をアクアが見事な防御魔法で護ってみせたり、イリスが魔導薬学の実技で難度の高い魔導薬を調合したりして、すっかり新入生達の頭に五人の顔と名前がインプットされて終了した今日、『学びの庭ガーデン』では、街を挙げての新入生歓迎祭が行われていた。

 五人は現在、商業区を歩いている。街は道を埋め尽くさんばかりの出店と、そこを行き来する多くの人々で賑わっていた。

「あっ、あそこの焼き鳥おいしそうだよ? あっちの林檎飴も!」

 先程からあれやこれやと食べ物を見付けては買い食いしているイリスは、既に懐に抱えきれないほどの食べ物を持っているにも拘らず、またしても別の店を見付けてそこへ駆けていった。

「あっ、イリス! 先に全部食べてからにしろって!」

 アレンが引き留めた時には、既にイリスは人の良さそうなおじさんから焼き鳥を受け取っていた。

「それにしても、あれだけ食べてるのにどこに栄養が行ってるのかしら」

「いいなぁ……」

「…………」

 シャルとアクアは、先程から欲望の赴くままに様々な食べ物を食べているイリスを見て羨ましげに溜め息をいた。そして、

「……ノア君? さっきからどうして――」

 一言も喋らないのか、と訊こうと後ろを振り返ったアクアの眼に、

 ――ゴクン。

 何かを飲み込んだらしいノアの姿が映った。

「……如何どうした?」

「………ううん、なんでもない」

 ちゃっかり何か食べていたらしいノアの手には、出店で買ったらしき焼き鳥やイカ焼きなどが握られていた。それに対して若干声のトーンを落として前を向くと、

「そんなに買って、全部食えるのかよ」

「じゃあ、お兄ちゃんにもあげるね。はい、あーん」

「いや、いいって! 自分で食べるから――ぅあっつ!? しゃ、シャル! なんで火の粉出してるんだよ!?」

 そこには、満面の笑みで焼き鳥を食べさせようとしてくるイリスにひっつかれているアレンと、それを見て周りに火の粉を撒き散らしているシャルの姿があった。

(……平和だなぁ)

 そんな光景にほのぼのしつつ、アクアはまるで新入生達を祝っているかのような晴れ空を見上げた。



    †   †   †



「なぁ、ここらで休憩しないか?」

 昼を少し過ぎた頃、アレンが四人にそう提案した。

「そうね、少し歩き疲れちゃったし」

「じゃあお昼ご飯にしよう?」

「イリス、あんたさっきからずっと食べてるのに良くそんな事言えるわね……」

「いいじゃない、別に。それよりもどうするの?」

「わたしはさっきからちょこちょこ摘まんでるから、お昼はいいかなぁ」

「私もパス」

「…………」

「えぇ~」

 三者三様の拒否を受け(一人は喋ってすらいないが)、イリスは口を尖らせた。

「みんなお前みたいに大食いじゃないんだよ。クレープでも買ってきてやるから、おとなしくここで待ってな」

 アレンはイリスの頭を撫でて、クレープ屋を探す為にその場を離れる。と、そこにノアも続いた。

「……俺も行こう」

「おっ、どうした?」

「別に。食後の軽い散歩だ」

「ふーん……」

「あっ、お兄ちゃん! わたし、いちごが入ってるやつね?」

「はいはい」

 イリスの注文に苦笑しながら、二人はそのまま歩いていった。

「……それにしてもイリス、あんた今日は久しぶりに全開で甘えてるわね」

「えへへぇ~」

 朝からテンション全開のイリスにシャルが呆れたが、イリスは逆にその言葉にはにかんだ。

「何かあったの?」

 アクアがその様子に不思議そうに小首を傾げた。

「そんなにたいしたことじゃないよ? ただ単にあの試合の後お兄ちゃんが、『歓迎祭の日は一日中甘えてもいい』って約束してくれただけ」

 イリスはさらに嬉しそうに顔を綻ばせた。

 実際のところ、アレンの怪我は治癒魔法のおかげで翌日には完全に治っていた。しかしイリスが気絶して医務室に運ばれたアレンを見た途端飛び付いて泣き出してしまい、寮に戻ってもその機嫌が直らなかったので、アレンが妥協案としてそう提案したのだった。それを聞いてたちまち上機嫌に戻ったイリスがその日に作った夕飯が、まるで誰かの誕生パーティーのようだったというのは余談である。

 基礎学院の頃のイリスは、まるで産まれたばかりの雛鳥のように四六時中アレンに甘えていたのだが、上級学院に上がる際、ついに母セフィーナから甘え禁止令が発令されてしまったのだった。

 アレンとしても、流石に上級学院でまで人前でくっつかれたりしたら恥ずかしいので出来る限りセフィーナの言い付けを守っていたのだが、今回はそもそもの原因が自分にあるうえにあそこまでいじけるのは少し珍しかったので、一日甘えるくらいは許してやろうということだった。だから元々究極のブラコン(普段はのブラコン)であるイリスからしてみれば、今日は久しぶりの解禁日なのだ。

 そんな訳で、イリスは今日一日を最大限利用するつもりで朝からアレンをあちこち連れ回していたのだった。

「というわけで、シャルには悪いけど、今日一日お兄ちゃんは渡さないから」

「―――なっ!?」

 満面の笑顔を向けてきたイリスに、シャルが声を詰まらせた。

「な、何で私に断るのよ!? 別にアレンは私のかっ、カレシでも何でもないんだから、好きにすれば良いじゃない!」

 顔を真っ赤にして声を上げたシャルは、自分の言った単語でさらに体温が上昇していた。

 そんな様子に、イリスはいささかならず溜め息を吐く。

「はぁ、いつになったら進展するんだろ……」

「イリスちゃん………」

 自分から渡す気はないと言っておきながらそれはないだろう、と苦い微笑みを浮かべたアクアは、

「ねぇ、シャルちゃん。ぼやっとしてると、本当に誰かにアレン君、取られちゃうよ?」

 不意に真剣な表情でシャルを見た。

「と、取られるも何も、別に私はそんなんじゃ……だ、大体アレンよ? 一体どこに、あんな奴を好きになる物好きが居るって言うのよ?」

 自分のことはもはや完全に棚のてっぺんの奥に専用の金庫を作って鍵まで掛けていたシャルだったが、アクアはなおも表情を変えずに続ける。

「でも、アレン君って結構女の子から人気あるんだよ? たまに告白とかされてるみたいだし……」

「「うそ!?」」

 その言葉に何故かイリスまで驚いていた。

「それにこの前の模擬試合も凄かったから、もしかしたら今頃新入生からどこかに誘われてたりして……」

「ちょっとトイレに行ってくる!」

「わたしも!」

 聞くや否や、二人は全速力で走り去っていってしまった。

「……行っちゃった。まぁ、誘われてもアレン君は行かないんだろうけど……いいよね?」

 一人取り残されたアクアは、誰に言うでもなく呟いて短く舌を出した。



 シャル達がそんな話をしている頃、アレンとノアはクレープ屋に辿り着いていた。

 どうやらかなり人気があるらしいその店の前には既に長蛇の列が出来ていて、二人はようやく順番が回ってきたので、それぞれの分と待っている三人の分を買って店を離れた。

「ふぅ、やっと買えた。それにしてもすげぇ人混みだな」

「ちょうど昼過ぎだからな」

 通りはちょうど昼食を摂り終えて移動を始めた人々で埋め尽くされており、店の前にある行列が、もはやどこまでがそれなのか判らなくなっていた。

「イリスたち、変なとこ行ってはぐれてなきゃいいけど…」

 アレンは帰りを待つ三人を案じる。と、

「きゃっ!?」

「うおっ!? ……あっ!」

 不意にその肩に誰かがぶつかって、持っていたクレープを落としてしまった。

「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

「あ、あぁ。そっちこそ、大丈夫?」

「はい――あっ」

 ぶつかった人物は、シャルより少し背の低い少女だった。弱めにウェーブの掛かった茶髪を肩辺りまで伸ばし、左側に白いリボンを結んでいて、髪と同色の瞳は何故か驚きに揺れている。

「……? あの、どうかした?」

「――っ!」

 アレンがその様子に首を傾げて訊ねると、少女ははっと我に返って勢い良く頭を下げながら、



「――す、好きですっ!!」



 ……告白した。

「……へっ?」

 あまりに突然の告白に、アレンは間抜けな声を上げてしまった。

 肝心の少女はしばらく顔を伏せていたと思ったら、下げた時よりも激しい勢いで顔を上げた。幼さの残った顔は耳まで真っ赤になっていた。

「……あっ、えっ? あの、その、あれ?」

 どうやらパニックになっているらしい。少女は意味不明なことを口走っていたかと思うと、

「ご、ごめんなさ~い!!」

 突然走り出して人混みの中へ去っていってしまった。

「な、なんだったんだ……?」

 事態が全く読み込めていないアレンは、人混みへ消えていった少女の後ろ姿を視線で追いながら、呆然と立ち尽くした。

「――はっ!?」

 不意に、背中に強烈な殺気を感じて後ろを振り返った。

「……あ、あんたって、やつは……」

「お、おにいちゃんんんん~~~!?」

 そこには、紅蓮の業火と見紛みまごう長髪を逆立てて火の粉を撒き散らすシャルと、銀色の魔力の塊をその手に宿しているイリスの姿があった。二人とも顔を伏せていたが、既に額に青筋が浮かんでいることは容易に確信出来た。

 顔を引きらせながら、アレンは恐る恐る訊ねる。

「なっ、なんで、怒ってらっしゃるのか、聞いてもよろしいでしょう、か……?」

「「問答無用!!」」

「ちょっ、まっ、ぎゃああああああ~!?」


 この日、一人の若者の生命いのちが、大地へと還った。


「………哀れな」

 ことの全てを見ていたノアは、ボソリと呟いてクレープを頬張った。



 今までにないくらい思いっ切り人混みを走り抜けてようやく立ち止まった少女は、息を切らせながら胸を押さえた。

「び、びっくり、しました……」

 大きく息を吸い込んで、乱れた呼吸を整える。まだ顔に熱を感じるのは走っていた所為だけではないだろう。

(あんな所でお会いするなんて……)

 先程ぶつかった少年の顔を思い出し、同時に自身の行動も思い出して再び赤くなった顔に手を当てた。

(どうして謝るつもりが、いきなり告白しているんですか~!? 私の口のバカ~!!)

 心中で自らの口を罵倒して(自分ではなく罵倒して)深い溜め息を吐いたものの、一向に気分は晴れなかった。

(授業、一緒になったらどうしましょう……)

 ガーデンの選択授業に学年の壁は存在しないので、その可能性は十分ある。そうなったらそうなったで困るのだが、今はとにかくそんな余裕はなかった。

(もう、どうして私がこんな目に……)

 せっかく大きな祭りを楽しもうと意気揚々としていたのに、あまりの人の多さに圧倒されているうちに人波に流されて連れと逸れてしまい、まだ街に来たばかりでどこに何があるやらさっぱり分からず迷子になってしまったのがそもそもの原因だった。

 そしてどことも知れず彷徨さまよっているうちに美味しそうなクレープ屋を見付けたので、長い列に並んでようやく買えたと思ったらこのざまだ。クレープは落とすし何故か告白するし、走って疲れたうえに再び迷子になってしまって、もういっそのこと泣きたいくらいだった。

(道、訊いておくべきでしたでしょうか……)

 などと思ったが、そもそもあの時にそんな余裕はなかったので後の祭りだ。

「はぁ……」

 そして少女はもう一度、今日のガーデン内で最も深い溜め息を吐いた。



    †   †   †



 次の日、いつものように鍛錬を終えて朝食を摂ったアレンは、イリスとシャルと共に教室へと向かっていた。

「はぁ……」

 しかしその足取りは普段よりも心なしか重く、自然と口から溜め息が漏れていた。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「もう、溜め息ばっかり吐かないでよね。こっちまで暗くなるじゃない」

 それを見て心配げに訊ねたイリスとは逆に、シャルは鬱陶うっとうしそうに一蹴した。

「……お前な、誰の所為だと思ってるんだよ」

「何よ、私の所為とでも言いたいの?」

 アレンはそんなシャルをジトっと睨みながら歩を進めたが、シャルはそれをさらに睨み返した。

「じゃあ聞くけど、何が悲しくて、昨日何回も火の玉やら火の槍やらを投げつけられなくちゃいけなかったんだよ」

「そ、それは、その……あ、あんたが! イリスや、他の一年生の子にデレデレ鼻の下伸ばすから、私が注意してあげたんじゃないっ」

 あくまでも強気に言い返したものの、シャルの視線は思い切り泳いでいた。

 事実としては、結局あの後もイリスは甘えてひっついてきたし、偶々道に迷っていた一年生の女の子達が居たので親切心から道を教えてあげると、顔を真っ赤にしながらお礼にと食事に誘われるところを見たシャルが癇癪を起こし、挙句の果てにはイリスが一緒に寝たいと言って聞かなかったので仕方なくそうするとそれが朝食の席でシャルにバレて、アレンの身体はあちこちから悲鳴を上げる羽目になったのだった。

「でもシャル、あんまりやり過ぎるとホントにお兄ちゃんが壊れちゃうよ?」

(あんたも原因の一つでしょうが……)

(しかも他の子の時は一緒になってぶん殴ってたし……)

 苦笑しながら窘めたイリスに、二人は心底呆れるしかなかった。

「あっ、三人ともおはよう」

「……御早う」

 と、横道からアクアとノアがやってきた。

「おはよー」

「あら? アクア、それって新しいリボン?」

 見ると、アクアの濃い青髪の両側に、いつもの薄い黒のリボンの代わりに細い白色のリボンが結われていた。

「うん。昨日ノア君に買って貰っちゃった」

「へぇ~、似合ってるな」

「うんうん。いつものもいいけどこっちも可愛いよ、アクア」

「そ、そうかな? ありがとう」

 正面切って絶賛する二人に、アクアは照れて少し頬を朱に染めた。

「ふ~ん、昨日ねぇ……」

 一方、シャルは何を思ってか、ニヤニヤとした視線をノアに送った。

「……何だ、その眼は」

「べっつに~?」

 実にわざとらしく顔を背けたシャルの口元は、まだニヤけていた。

「……行くぞ、アレン。一限は必修だ」

「えっ? あっ、待てよ!」

 不機嫌丸出しで歩調を速めたノアの後を、アレンは慌てて追っていった。

「……行っちゃった」

「シャルちゃん、あんまり意地悪しちゃだめだよ?」

「あら、私は何も言ってないわよ? それよりも、詳しく聞かせなさいよ~」

 そう言いながらもまだニヤついているシャルは、逃がさんとばかりにアクアの腕を掴み、を行う。

「そうだよ、アクア。大体、いつの間に買ってもらったの?」

 それに便乗したイリスも、問いただしながら目尻を下げた。

 やはりどれほど魔法が使えても、こういった事柄には興味津々な年頃の少女達だった。



 結局シャル達はアクアから詳しい話は聞けず終いだったのだが、その様子を前方で窺っていたアレンは、いつの間にか目的の教室へ辿り着いていたことに気付いて中へ入った。

 少し広めの教室には既にそこそこ生徒がおり、各々が階段状に並べられた席へ着いて談笑していた。その中の何人か見知った顔がこちらに気付いて手を挙げたので、五人はそれに応えて後ろ側の空いている席へ腰掛けた。

「結構知ってる奴が多いな」

「まぁ、当然と言えば当然よね」

 必修は個人のレベル差を少なくする為、前年度の成績によってクラスが分けられる。当然、常に優秀な成績を修めれば同様の生徒達とクラスが被るのだが、それでも半数ほどが初対面なのが、ガーデンの規模の大きさを物語っていた。

 普通ならアレン達もクラスがバラバラになってもおかしくないのだが、どうやら見えざる力――もとい学園長であるシドの配慮が働いているようで、五人は今年も同じクラスとなっていた。

「わたしは知ってる人の方がいいんだけどなぁ」

「わたしも、どっちかって言うと……」

「二人とも人見知りするからなぁ。特にイリスは」

「でも、顔見知りが居る事は必ずしも良い事って訳じゃないわよ。ほら」

 どこかうんざりした声を放ったシャルの視線を辿ると、良く見知った金髪の少年と黒髪の少女がこちらへ向かってきていた。

 アレンと同じくらいの身長の少年は、全体的にツンツン撥ねた金色の髪を背中まで伸ばし、目に掛かる前髪を左側に流して、長くなった左側のもみあげを銀の髪留めで束ねていた。

 少女の方はアクアと同じくらいの身長で、少し濃くて綺麗な黒髪を、こちらはふくらはぎ辺りまで伸ばし、前髪で目を完全に隠していた。その為表情は良く見えなかったが、どこかおどおどとした雰囲気を出していた。

「これはこれは、模擬試合の事を直前まで知らなかったレディアント君とその御一行じゃあないか」

 少年は開口一番にそう言うと、自らの蒼い瞳で小馬鹿にしたようにアレンを見た。

「よっ、アルベルト」

 しかしアレンはそれに気付かず、何事もなかったかのように手を挙げた。

「はぁ……それで、何か用?」

 アレンの鈍感ぶりに呆れたシャルが、少し棘のある口調で訊ねた。両方の態度に顔をしかめたアルベルトは、すぐに不敵な笑みを浮かべて話を続ける。

「フン、まぁたいした用という訳でもないのだけれどね。なあに、今年こそは、このアルベルト=ルクス=ラディウスが君達の上を行くという宣言をしに来ただけさ。いや、予言、と言っても良いかもしれないね。なにせ、もう決まっている事なのだから」

「そっか。じゃあ、今年もよろしくな」

 前髪をキザったらしく掻き上げて自信満々に宣戦布告したアルベルトに、しかしアレンは満面の笑みで右手を差し出した。アルベルトのセリフの意味は全くと言って良いほど伝わっていない。イリスを挟んだ席で、シャルが更に深い溜め息を吐いた。

 あっけらかんとした笑顔に、アルベルトは少し顔を引き攣らせる。

「……君は相変わらず、人をコケにするのが好きなようだね。まぁ良いさ。まずは来月にある新入生クエストの結果を見て、せいぜい驚くがいい。行くぞ、アリス」

「……うん……ごめんなさぃ……」

 アリスと呼ばれた少女は、蚊の鳴き声のような声音で申し訳なさそうに謝罪すると、さっさと自分の席へと戻るアルベルトの背中を追い掛けていった。

「はぁ……去年もあんな事言ってなかったかしら」

「結局、アレン君には伝わらなかったんだけどね」 

「前から思ってたんだけど、どうしてあっちはファミリーネームで呼んでるのに、お兄ちゃんはファーストネームで呼んでるの?」

 呑気に手を振っているアレンを見ながら前後の席で話すシャルとアクアに、イリスが不思議そうに訊ねた。確かに片方だけがファーストネームで呼んでいるのは、どこか違和感のある話だ。

 シャルはイリスの肩に手を置いて答える。

「それはね、イリス。要するに、アレンが馬鹿で鈍感って事よ」

「どういうこと?」

 しかし、イリスはまだ解っていないようで首を傾げた。その様子に苦笑しながら、アクアが言葉を続ける。

「えっとね。つまり、アルベルト君はアレン君に敵対心、っていうかライバル意識を持ってるからファミリーネームで呼んでるんだけど、アレン君はアルベルト君を友達だと思ってるからファーストネームで呼んでるの」

「あぁ、そういうこと。お兄ちゃんらしいね」

 納得したイリスの表情は、どこか嬉しそうだった。

「まったく、お人好し過ぎるのよ、アレンは」

「でも、それがアレン君のいいところじゃない?」

「まぁ、それはそうなんだけど……」

 当のアレンはというと、こちらの話は聞こえていないらしく、ノアと話しながら無邪気に笑っていた。それを見たシャルはまたしても小さく溜め息を吐いたが、頬が自然と緩んでいた。



   †   †   †



 それからしばらく雑談していると始業の鐘が鳴り、教卓側の扉から、模擬試合の時にアレンを怒鳴ったダグラス教官が入ってきた。

「えー、わしが今年度、諸君らの攻撃魔法学を担当するダグラス=ギルバートだ。以前わしの担当になった者は知っていると思うが、得意属性は火、戦闘スタイルは魔導戦士タイプだ。これから一年間、厳しく指導していくのでそのつもりでいるように」

 戦闘の際、魔導師は大きく三つのタイプに分かれる。

 一つは、主に使用魔力の少ない肉体強化のみを使って前衛で戦う戦士タイプ。もう一つは、後方から援護魔法や強力な攻撃魔法を使う魔導師タイプ。そして、武器戦闘もこなして魔法も使うオールラウンダーの魔導戦士タイプだ。

 基本的に各タイプは魔導師の魔力量や魔法技量、性格などから振り分けられ、魔力が高く技量も高ければ魔導師タイプ、どちらかが低いが武器の扱いに長けていれば戦士タイプ、どちらも高く、更に武器戦闘も得意であれば魔導戦士タイプとなる(どれもが苦手となれば、それはつまり戦闘に向いていないということだ)。

 正直ダグラスは誰がどう見ても戦士タイプにしか見えなかったが、しかしダグラス=ギルバートと言えばこの学園の卒業生の中でも有名で、その実力は在学当時、何度も王国の魔導騎士団から勧誘を受けていたほどだ。そして、それにも拘らずガーデンでの教職の道を選んだ変わり者としても有名だった。ちなみに他の教員が先生と呼ばれているのにダグラスだけが教官と呼ばれている理由は、大体察しが付くだろう。

「さて、先週の実技は新入生の為の合同授業だったので、まだこのクラスの者の顔と名前を覚えていない者も多いと思う。という事で、今日は出席確認も兼ねて自己紹介をして貰う」

 厳しく行くと言った矢先のこの言葉に、教室が少しざわめき始めた。もっともアレン達を含め、既にダグラスの授業を受けたことのある生徒達は予想していたようだったが。

「あぅぅ……自己紹介のこと忘れてたよぅ……」

 ……若干一名を除いて。

 アレンの右隣に座るイリスは、頭を抱えて机に突っ伏していた。

「イリスにとっちゃ、最初の難関ってとこかな」

 それを横目で見ながら少し意地悪く笑ったアレンに、心底困ったような視線が向けられる。

「笑いごとじゃないよぉ」

 銀色の目には僅かに涙が溜まっていたが、アレンは気付かないフリをして話の続きを聞くことにした。

「それでは手前の席から順に名前、得意属性、戦闘スタイルと、あとは各々で一つ二つ足して自己紹介をしていってくれ」

 指示に従って、前の席に座っていた男子生徒から順に次々と自己紹介が始まった。

 人の第一印象というのは大抵の場合こういったことで決まるので、少し面白いことを言おうとして場の空気を凍てつかせる者や、必要最低限の情報だけを伝える者なども居るが、殆どは定型的な文章で、友好的且つ無難な自己紹介をしていった。

 しばらくして順番が中程の席になると、今度は先程のアルベルトが立ち上がり、例によってキザったらしく髪を掻き上げた。

「僕の名はアルベルト=ルクス=ラディウス。得意属性は光、戦闘スタイルは魔導戦士タイプだ。由緒正しきラディウス家の人間だが、優秀な君達は……まぁ、障りない程度に接してくれて構わないよ。ただの自己紹介じゃつまらないな……そうだね、僕は今年の新入生クエストでSクラスを受け、学年トップの成績を修める事をここに宣言しよう」

 途端に、教室中がざわめいた。

 Sクラスのクエストといえば学生が受けられる物の中で最も難度が高く、その内容は通常の冒険者でさえも成功の保証がない物ばかりで、受けるには担当教員と学園長の許可証が必要となる。

 どこまでも学生用なので流石に魔物討伐が目的の内容はないが、危険地域へ訪れることになるのは間違いなく、もし成功すればそれだけで今学期分の成績は最高評価のSランクを貰えるだろう。しかし、それを受領する者は長いガーデンの歴史の中にも滅多に居なかった。そんな危険な目に遭うくらいなら、身の丈に合った内容をコツコツこなしていった方が賢明というものだ。

 そんな物を受け、さらに成功を宣言したアルベルトに誰もが驚いていたが、ダグラスがそのざわめきを制止する。

「静かに! その事については、後で新入生クエストの説明をしてから話を聞く事にする! それでは次の生徒!」

 アルベルトが太々ふてぶてしく席へ着くと、その隣の少女が立ち上がった。すると、小さくなっていたざわめきが再び大きくなった。今度のは主に男子生徒からだったが。

「……アリス=リア=シュバルツハイト……です……闇属性が……得意……です……」

 人前に立つのが恥ずかしいのか、アリスは顔を赤らめながら口に手を当てて俯き、前髪で隠れた視線をあちこちへ向けながらもじもじしていたが、やがて慌てて席へ着いて身を縮こまらせた(その姿にどこか感嘆した声が上がり、所々から「良い! あの恥じらう姿がなんとも!」やら、「ふむ、黒髪にあの性格……九十点ですな」などといった声が聞こえた気がした)。

「なんか、イリスと良い勝負よね、アリスって。名前も似てるし」

 後ろの席で眺めていたシャルが、隣に座るイリスを横目で見た。

「でもわたし、アリスとちゃんとお話したことってないんだよね」

「そういえば私も無いわね。いっつもアルベルトに連れ回されてるイメージしか無いわ」

 あの二人とは既に結構長い付き合いの筈なのだが、彼女とはこれまでまともに接した記憶がないことを今更のように自覚した。

「俺はあるぞ? よく相談されるし」

「えっ?」

「なんでお兄ちゃんが?」

 キョトンとしているアレンに少し驚いた二人は、その言葉を脳内で再生した。

(そ、相談って何の事かしら……)

(まさか……)

 そこまでいってお互いを視線で確認し合い、思い切ってことの真相を訊き出す。

「お、お兄ちゃん、アリスからなんの相談を受けてるの?」

 恐る恐る訊ねるイリスとそれを見守るシャル。二人の喉がゴクリと鳴った。

「あぁ、アルベルトのことだよ。詳しいことは言えないけど」

 しかし、アレンの回答には起きていないことを確認して、とりあえず胸を撫で下ろした。

 と、そこで前の席のアクアが立ち上がった。どうやらいつの間にか順番がこちらまで廻ってきていたらしい。

「アクア=レヴィウスです。魔導師タイプですけど、あんまり攻撃魔法は得意じゃありません。その代わり、水属性の防御とか補助魔法は得意です。よろしくお願いします」

 アクアが丁寧にお辞儀して座ると、またしても男子の妄言(「可憐だ……」「むむっ、九十三点、といったところですかな」)が聞こえてきたが、それに構わず隣のノアが立ち上がった。どことなく眼付きが怖いのは気の所為だろうか。

「ノア=レヴィウス。闇属性、魔導戦士タイプだ」

 それだけ言うと、ノアはさっさと座ってしまった。場の雰囲気が一気に五段階くらい下がった気がしたものの、所々から黄色い声が聞こえてきたりもした。

「まったく、あんな根暗のどこが良いんだか……」

 全く理解出来ないといった風に肘を突いたシャルは、次が自分の番だったことを思い出してすぐに立ち上がった。

「シャーロット=フラム=エル=イグニスです。得意属性は火、戦闘スタイルは魔導師タイプです。これから一年間、よろしくお願いします」

 腰を折って柔らかい笑みを見せたシャルに、教室が再びざわめきを取り戻した(今度は「おぉ!」やら、「相も変らぬ美しさ、九十九点!」やら、「イグニスさん! 付き合ってくれー!」などが間違いなく聞こえたが、本人はそれを歯牙にも掛けていなかった)。

 シャルはそのまま席へ着くと、隣のイリスへ視線を送る。

 受けたイリスは、シャルとは対照的に恐る恐るといった感じに立ち上がって前を向いた。が、すぐに耐え切れなくなって顔を俯かせてしまった。

 アレンは「仕方ないな」といった風に短く息を吐いて、小さく声を掛ける。

「イリス、がんばって」 

「う、うん……」

 激励に頷くと、イリスは一瞬躊躇いながらも、意を決して再び前を向いた。

「……えっと、イリス=レディアントって言います。得意属性は光属性で、魔導師タイプです。えと、趣味はお料理で、得意科目は魔導薬学の実技で、苦手科目はそれの座学で……」

 たどたどしくも順調に話していくイリスに、アレンは掌に顎を乗せて安堵の息を漏らした。が、



「好きな物、っていうか人はお兄ちゃんです」



 突然の暴露に思わず滑って頭を打ってしまった。

「イ、イリス……? いきなり何を――」

 言い出すのかと隣を見ると、今にも頭から煙を噴きそうなほど顔を赤くしたイリスが、どうやらパニックになっているらしく、完全に目を回していた。

「あっちゃー……」

 アレンは右手で顔を覆い、仕方なくイリスを座らせた。その間に聞こえた叫び声(「ブラコン!? ブラコンなのか!?」「それは犯罪ではないのか、兄よ!」「だがしかぁし! 九十五点だぁああ!!」)は完全に無視して。

「シャル、頼む」

「はぁ……ほら、イリス? しっかりしなさい」

「うーん……人が、いっぱい……」

 とりあえず自分で最後なので、アレンはさっさと終わらせる為に気絶しているイリスをシャルに任せた。

「えー、アレン=レディアントです。得意属性は光、戦士タイプです。一応言っとくとイリスとは兄妹ですが、本当に何もないんで気にしないでください。よろしくお願いします」

 口から盛大に漏れそうになった溜め息をなんとか堪えて自己紹介を終えたものの、席へ着く際に謂れのないひがみ (「では奴が!?」「おのれぃ! いったい普段どんな生活をしているんだ!」「うらやま……いや、けしからん奴め!」)が聞こえて、やはり漏れてしまった。

「静かにせんか! ……あー、これで全員終わったな? それではこれより、先程話に出た新入生クエストについて説明する」

 ダグラスはもう一度ざわめきを制し、説明を始める。

「諸君らも一年生の時に受けたと思うが、新入生クエストとは来月の中旬に一年生が初めて行う実習の事で、これには毎年四年生も同伴する事になっている。その目的は、まだ魔物を見た事もない者が殆どの一年生に野外実習のノウハウを教えてやる事と、上級学年に上がった諸君らの指導力を高める事にある」

 出身地域にもよるが、多くの場合、都市部で育った者なら魔物と遭遇する機会は滅多に訪れない。アレンとシャルも、六年前の事件がなければ一年生のこの時期まで魔物を見ることはなかっただろう。

「よって、勿論諸君らにも成績は付くし、実習内容を選ぶ権限も諸君らにある。が、まぁ正直言ってあまりレベルの高い内容を選んでも互いの負担が大きくなるだけなので、一年生の事も考慮したうえで選ぶように。一年生は二人~三人、四年生は二人~五人までのパーティーを組めるので、四年生、または一年生で既に希望する者がいる場合は代表者が後で配る紙に名前を記入し、来週末までにわしに提出する事。それ以外はこちらで決めて月末のこの授業で発表し、その際に顔合わせをする予定だ」

 説明が一通り終わると、再び教室がざわめいた。なにせ下の学年と組むということはその分難度も増すうえ、自分達の指導次第で成功の是非が決まると言っても過言ではないのだ。

「大まかな説明は以上だ。詳しく訊きたい者は授業が終わった後で来るように。それから授業が終わった後でもう一度言うが、アルベルトは後でわしの研究室まで来る事。では少し時間が短いが授業を始める………イリス、いつまで気絶しておる! さっさと起きんか!」

 結局その時間は簡単なおさらいで終わったのだが、ダグラスの喝でようやく目を覚ましたイリスは事態を把握してまたしても顔を赤くし、授業が終わるまで身を小さくしていたのだった。



    †   †   †



「はぁ、やっとあの視線から抜けられた……」

 それから三限までの授業を終えたアレンとノアは、武術学部の授業を受ける為に一旦シャル達と別れて次の教室へ向かっていた。一限目の騒動の所為で先程までずっと(主に、というか全て男子からの)鋭い視線を浴びていたアレンは、謂れのないスパイ容疑による拘束からようやく解放された運の悪い民間人のような、はたまた何年もの刑期を終えて久方ぶりに娑婆しゃばの空気を吸った元囚人のような、言いようのない開放感を味わっていた。

「まったく、下らんな……」

 その様子をずっと見ていたノアは、無表情のまま隠すことなく溜め息を吐いた。が、

「でもさ、お前アクアの時ちょっと怒ってたろ……あっ、待てよ、冗談だって!」

 アレンが意地の悪いニヤけ顔でそんなことを言ったので、無視を決め込んでさっさと先へ行ってしまった。

 ガーデンの授業は、平日は午前中に一から四限、昼食を挟んで七限まであり、土曜は午前中のみの授業となっている。基本的には午前が座学、午後が実技と別れていて(授業によっては逆もある)、これから生徒達は、午前中最後の試練とも言うべき四限目の授業で、睡魔と空腹との激闘を演じるのだった。

 武術学部は戦闘の為の実技が主だと思われがちだが、もちろん座学も存在する。様々な武器の特性や、森などへ訪れた際の薬草の知識、緊急時の応急処置など、魔法が使えない状況でも生き残れる術を教えている。もっとも、それら座学よりも実技の方が圧倒的に多いのは間違いないのだが。

 アレン達がこれから受けるのは近距離戦闘学の座学で、人体の構造や近距離武器の特性、それを踏まえての鍛錬の仕方などを学ぶ授業だ。

「おっ、もう結構埋まってるな」

 教室へ着いた二人が中へ入ると、講堂とも言えるほどに広いそこは既に大勢の生徒達で埋まっていた。

「今日から一年生も受けるからだろう」

「あぁ、なるほど。おっ、あそこ空いてるぞ」

 納得したアレンは、中程の三人席がちょうど二人分空いていたのでそこへ向かった。

「ここ、空いてるかな?」

「あっ、はい、どうぞ――れ、レディアント先輩!?」

 アレンが先に座っていた少女に訊ねると、少女はこちらを向きながら返事をして、アレンの顔を見た途端立ち上がって声を上げた。

「あれ? 君、確か昨日の……」

 その少女は、昨日クレープ屋の前でアレンとぶつかった少女だった。

「あっ、あの、昨日はその、すみませんでした、その、えっと……」

「ま、まぁまずは座って落ち着いて。みんな見てるし」

 しどろもどろに昨日のことを弁解し始めた少女は、他の生徒達が何事かと興味深げにこちらを見ていることに気付き、顔を赤くして慌てて座り直した。

 少女は赤くなった顔を俯かせ、身を縮こまらせる。

「す、すみません……」

「いいって。それよりも、えっと……」

「あっ、えっと、私はステラ=ユィ=エル=ティエラと申します。一年生です」

「ステラか。俺は知ってるみたいだけど、一応。アレン=レディアント、四年生な。こいつは同級生のノア=レヴィウス。よろしくな」

「よ、よろしくお願いします」

「それでステラ、なんで俺のこと知ってるんだ? 昨日も俺を見て驚いてたし……」

「そ、それは、その……お、お二人の事は入学式の日の模擬試合を見ていたので存じ上げていたのですが、まさかあんな所でお会いするなんて思っていなくて、それでその、動揺してしまって、つい、逃げてしまったというか、何というか……ですからその、昨日の事は忘れて頂きたいというか、そもそもを言うつもりではなくて……」

「わ、わかった、わかった。だからそんなに落ち込むなよ」

 アレンは別に責めている訳ではなかったのだが、ステラが徐々に小さくなって顔をさらに俯かせていったので慌てて宥めた。

「とにかく、これからよろしくな? ここにいるってことはステラも近距離武器なんだろ?」

 途端に顔を輝かせたステラは、勢い良く頷く。

「は、はい! レディアント先輩達と同じ刀剣科です!」

「アレンでいいって。ファミリーネームだと妹と区別付かないし。ノアもファーストネームでいいよな?」

「……ああ」

(あんなに凄い試合をなさっていたのに、結構無口な方なんですね……)

 ステラはそこでようやく喋ったノアを見て、そんなことを思っていた。

「あっ、こいつが無口なのは気にしなくていいから。俺とでもこんな感じだし」

「は、はい」

 対照的に、アレンは人の良い笑顔で積極的にステラへ話し掛ける。そんな正反対の二人を見て不思議に思ったステラは、ふと訊ねた。

「……お二人は、仲がよろしいのですね」

「ん? まぁな。基礎学院からの付き合いだし」

「……と言っても、行動を共にし始めたのは途中からだがな」

「どのような出逢いだったのか、お訊きしてもよろしいでしょうか?」

「それは……」

 と言ったところで始業の鐘が鳴り、担当教員であるダグラスが入ってきた。

「あっ、わるい、また後でな。あの人、怒らせると怖いんだよ」

 アレンは両手を合わせて謝り前を向いた。

「聞こえたぞ、アレン? 心配せずとも、貴様には既に模擬試合の時の特別課題を用意してあるから安心しろ」

「げっ、そりゃないですよ教官!」

 そのやり取りに、教室から笑いが零れた。

「ちょうど良いから言っておくが、学内や寮に張り出されている掲示板はこまめにチェックするように。さもないとこの馬鹿のように、直前まで模擬試合に出る事を知らずに特別課題を喰らう羽目になるぞ?」

 ダグラスは至って真面目に忠告したつもりだったが、生徒達からはまだクスクス笑いが収まっていなかった。

「それでは授業を始める前に。あー、わしは本来魔法学部の教員なんだが、この授業に限り、武術学部でも教鞭を執っている。担当は刀剣科で、刀剣類ならばほぼ全て扱えるので安心して良いぞ。この授業は卒業するまで受講する事になるが、途中でやめる事も出来る。しかし、諸君らには是非とも、最後まで続けていって欲しいと思っている。また、この授業は実技も含め、一年と四年、二年と五年、三年と六年が合同で行っているので、上級生は下級生を助け、下級生は遠慮なく上級生から学ぶように。それではまずは各自、同じ科の上級生と下級生で三人、もしくは四人の組を作れ。作ったら、代表者一人は前に来てこの用紙に組の者の名前を記入する事。余った者は後でわしが適宜入れていく」

 説明が終わると、生徒達が近くの者や顔見知りの者と組を作る為に教室を行き交い始めた。

「俺たちはこの三人でいいよな?」

「あぁ」

「あ、あの、私などでよろしいのですか?」

 二人の確認を待たずしてダグラスの許へ行こうとしたアレンを、ステラが遠慮がちに引き留めた。

「悪いわけないだろ? それに、これも何かの縁だって」

 しかしアレンは手をヒラヒラ振って、さっさと前へ行ってしまった。

「……諦めろ。こうなったらあいつは止められん」

「はぁ……」

 呆けたような声を返したステラは、何気にノアが普通に話し掛けてきたことに驚いた。

 そして、

(あぅ……話題がありません……)

 ノアの話し掛け辛い雰囲気に、どうしたものかと心中で項垂れた。

 一方、アレンは教卓の上に置かれた用紙に三人の名前を書き込んでいた。

「むっ、やはりお前達二人が組むか……」

「まぁ、去年までは別々でしたし。あっ、メンバーはこの三人だけでお願いします」

「なに?」

 アレンは怪訝な表情を浮かべたダグラスにニヤッと笑う。

「教官、俺が座学で戦力になると思います?」

「……残念ながら望み薄だな」

「でしょ?」

「望み薄だが、自信満々に言うな」 

「いでっ!?」

 不本意ながらもアレンの言葉に同意したダグラスだったが、その頭に一発拳骨を叩き込んだ。

「まったく、試験で上位に入るなら普段ももっとしっかりせんか。だがまぁ、一年生はステラか……ふむ、これはこれで……」

「はい?」

「いや……とりあえず、お前達はそのメンバーでやれ。しっかり鍛えてやれよ?」

「……善処します」

 少し気になる反応だったが、アレンはまだ痛む頭を擦りながら自分の席へ戻っていった。

「終わったぞー、っと」

 席へ戻ると、ノアとステラの間に何やら微妙な空気が漂っていた。

「……どした?」

「何でもありません……」

 ステラが少し疲れぎみに首を振ったが、アレンは大体どんな状況だったのか察しが付いたので、敢えてスルーすることにした。

「……誰か他に入ったか?」

「いや、俺が拒否した」

「だろうな」

「えっ、何故ですか?」

 も当たり前のように話す二人にステラが首を傾げた。それを見たノアが、アレンを横目に捉えながら答える。

「こいつが座学が苦手だからだ」

「……そのような理由で大丈夫なのですか?」

 まさかの超個人的な理由に少し不安になったステラに、アレンは笑いながら手を上下に振る。

「まぁ、教官も他の奴に付けた方が新入生の為になるってわかってるだろうしな」

「で、ですが、アレン先輩は模擬試合に出られるくらいですから、成績はトップなのですよね?」

 模擬試合に出られるのは学年のトップ二人だと聞いていたので、そんな生徒が座学が苦手だというのは意外だったが、

「こいつが得意なのは実技だけで、座学は全て一夜漬けだ」

「そゆこと」

「心配しなくとも、ステラは俺が責任を持って教える」

「……よろしくお願いします」

 ノアの言葉に笑って頷くアレンを見て何故か納得してしまい、ステラは深い溜め息を吐いてしまった。



「では午前の授業はこれで終了する。午後は実技だから、教室を間違えるなよ?」

 ダグラスは授業終了の鐘が鳴ると同時にそう告げ、教材を持って教室を出ていった。

 途端に、教室中から息が漏れた。

「ふぁ~あ、やっと終わった~」

 大きく欠伸をしたアレンは、机に張り付けていた身体を伸ばした。

「し、初日から、結構飛ばすのですね……」

 その隣では、ステラが初日から膨大な量のノートを取った腕に手を当てながら、他の生徒同様軽く参っていた。

 アレンはそれを見て、小さく笑いを零す。

「まぁ、ステラもすぐに慣れるって。それよりも昼飯食べに行かないか?」

「御一緒してもよろしいのですか?」

「どうせ次も実技で一緒だしな。それとも、誰かと飯食う約束でもしてたか?」

「いっ、いえ! そんな事ありません!」

「……? まぁ、いいや。じゃあ早いとこ行くか」

 何故か激しく否定したステラに軽く首を掲げたものの、アレンは気にせず立ち上がった。そこに、ノアがアレンにだけ聞こえるよう小声で訊ねる。

「……アレン、あいつらにステラを紹介するのか?」

「ん? そうだけど、なんかまずかったか?」

「……いや」 

 ノアは何か言いたそうだったが、結局何も言われなかったアレンはそのまま教室を出ていき、そのすぐ後にステラも続いた。

「……まぁ、俺は構わんがな」

 小さな呟きは誰に聞こえるでもなく、生徒の居なくなった教室へ消えていった。



 ガーデンの敷地内には生徒数に見合った数多くの飲食店が経営されていて、その種類も各大陸からやってくる生徒の為に、実に様々な物が揃っている。それらの多くは一般業者が営む物だが、中には技術学部の生徒らの実習を兼ねた店もあり、彼らはそこで店の建築や経営、調理などを学んでいる。

「で、今から行くのは俺たちがいっつも行ってる実習生の店なんだけど、結構美味いうえに安いんだよ」

「そうなのですか。楽しみです」

 そんな説明を受けるステラはどうやらすっかり打ち解けたらしく、少し顔を赤くしながらも柔らかな笑顔でアレンと話していた。

(それにしても……)

 そのすぐ後ろを歩くノアは、二人の様子を無表情に眺めていた。

(あの二人は、先日告白したりされたりしたのではなかったか……?)

 告白した側のステラが積極的に話しに行くのはまだ解るのだが、普通ならアレンはもう少し意識していても良い筈だった。しかし本人にそのような様子は一切感じられない。というよりも、

(あれは……本当に忘れているな)

 どうやらアレンは先程のステラの言葉を真に受けて、昨日の出来事はきれいさっぱり忘れてしまったらしい。通常なら考えられないが、そこはアレンだからと納得する。昔から、そういうことに関しては異常に疎くて間が抜けているのだ、アレンは。

(……不憫な)

 本来なら嫌でも意識してしまってそこから何らかの進展があるのだが、そんな可能性が微塵も残っていないことを知らないステラに少し同情するノアだった。

「あっ、お兄ちゃーん! こっちこっち!」

 ノアがそんなことを考えていると、前方からイリスの声が聞こえてきた。見ると、既に六人掛けのテーブルを陣取ってこちらに手を振っていた。

「いまシャルたちがお水汲んできてるから……あれ、その子は?」

 三人がテーブルへ向かうと、当然と言えば当然だがイリスがステラを見て首を傾げた。

「あぁ、さっきの授業で一緒の組になった一年生のステラ。次も実技で一緒だから、ついでに昼飯に誘ったってわけ。ステラ、こいつは妹のイリス」

「は、はじめまして。ステラ=ユィ=エル=ティエラです。よろしくお願いします」

「イリス=レディアントだよ。こっちこそよろしくね? わたし四年生だけど、ステラとは同い年だから敬語は使わなくていいよ」

 やや緊張ぎみに挨拶をするステラに、イリスはへにゃっとした笑顔を浮かべた。

「えっ? 同い年なのに四年生なのですか……?」

「あぁ、こいつは飛び級してるから」

「飛び級ですか!?」

「そ、そんなに驚かれるとさすがに照れるんだけど……それより、ステラってもしかして昨日クレープ屋にいた子?」

 ステラの反応に照れたイリスは、少し頬を赤くして話題を変えた。

「あっ、はい。そこでアレン先輩にぶつかって……っ!」

 そこまで答えたステラは、その後に何が起こったかを思い出して一気に顔を赤くした。

「ステラ、どうかしたか?」

「い、いえ……大丈夫、です……」

 そうは言うが、ステラは顔を俯かせてしまい、アレンと目を合わせようとしなかった。

「……? それで、それがどうかしたのか?」

「あー、えっと、ステラはどうもしないんだけど、その……シャルが……」

「シャル? ………はっ!?」

 何故か言い淀んだイリスに小首を傾げたアレンは、突如として襲い掛かってきた強烈な殺気に身体を硬直させた。

 ギギギッ、と不快な音が聞こえそうな感じで首から上だけで振り向くと、

(………お、鬼がいる)

「誰が鬼ですって?」

「い、いや! 今のは言葉のあや、っていうか俺今声に出してた!?」

 全身から真っ黒なオーラを噴出しているシャルを見て思わず恐怖し、よもやの読心術にさらに動揺した。

 そんなことはお構いなしに、シャルは一歩、また一歩とアレンへ近付く。その手には水の入ったコップが握られていたのだが、良く見ると沸騰していることに気付いてアレンは顔を引き攣らせた。

「どうしてあんたは、いっつもいっつも……」

「しゃ、シャル? まずは落ち着け。そして俺の話によーく耳を傾ければ俺には何の落ち度もないことが……」

 必死に説得するアレンを余所に、全く聴く耳を持たないシャルは手に持っていたコップを放って右手を掲げた。燃え盛る紅蓮の炎を掌に宿し、それをアレン目掛けて思い切り投げ付ける。

「問答むよ――」

「す、すみません!!」

 ――前に、突然目の前へ飛び出したステラが、勢い良く頭を下げた。

「わ、私の所為で皆さんに御迷惑をお掛けしてしまって……で、ですが、アレン先輩は何も悪くありません! 信じてあげてください!」

 あまりにも突然の出来事に、全員が言葉を失う。

「………はぁ、別にあなたの所為じゃないわよ。迷惑でも無いし。もう良いから、さっさとお昼を食べましょう。アレン、あんたはお水ね」

 ここまで真っ正直に謝られては流石のシャルも怒る気が失せたのか、炎を消して席へ着いた。

 何故か有無を言わさず水を汲みに行かされることになったアレンは、肌に突き刺さるような視線に(精神的には既に完全に突き刺さっていたが、そのうち本当に肉体にもが突き刺さりそうだったので)抵抗する気にはなれず、シャルが放り投げたコップを拾って水を注ぎ直しに行った。

「……まったく、善く善く学習しない奴だな、あいつは」

 ことが一段落着いたところで、いつの間にか座っていたノアがボソッと呟いた。

「ノア君、いつからそこにいたの?」

「今さっきだ」

 どうやらノアはシャルが癇癪を起こすことを予測して、店に入ってすぐに避難所トイレへ行っていたらしい。

(うーん、さすがにちょっとアレン君がかわいそうかも……)

 アクアはその隣に腰掛けつつ、本人の気付かぬうちにいとも簡単に見捨てられていたアレンを心中で不憫に思って、その端整な顔立ちに苦い微笑みを浮かべた。



「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はシャーロット=フラム=エル=イグニス、シャルで良いわ。こっちはアクア=レヴィウス。よろしくね?」

「は、はい、よろしくお願いします。ステラ=ユィ=エル=ティエラです」

 後からやってきた学生店員にそれぞれが料理を注文した後、シャルはそういえばまだ目の前の少女の名前すら知らなかったことに気付き、まずは自分から名乗った。

 先程のこともあったので出来るだけ柔らかい声と表情で話し掛けたのだが、対するステラの表情はどこか緊張しているように見えた。

(……やっぱり、さっきのは拙かったかしら?)

 その原因を先程の自分の行動だと推測したシャルは、どうしたものかと心中で顎に手を添えた。実際問題、初対面であんな場面に遭遇したら、誰であろうと少しは身構えるというものだ。

(シャル先輩にアクア先輩……お二人とも、公開授業で目立っていた方達ですよね……それに……)

 しかし、正面に座る少女は確かに緊張してはいたのだが、その原因は先の理由とは全く関係のないところに起因していたのだった。

「あ、あの! 失礼ですが、イグニスという事はシャル先輩の御実家は……?」 

 突然遠慮がちに訊ねてその途中で言葉を途切らせたステラに、シャルは言わんとしていることを察して、軽く頷くことで肯定の意を示す。

「あぁ、まぁ、そうね……あなたの考えてる通り、私の家はイグニスよ。自慢みたいになるから、自分からはあんまり言わないんだけどね」

「やっぱり!〝火の一族〟の方とお知り合いになれるなんて、感激です! あっ、この間の公開授業、お二人とも凄かったです! 四年生でもう上級魔法が使えるなんて感動しました!!」

 途端に、ステラは瞳を輝かせながら大興奮した。

 羨望の眼差しを向けて一気に捲し立ててくる少女に、シャルは圧倒されつつも柔らかく微笑みながら、何かを見透かすような視線を向けた。

「ありがとう。でも、似たようなものでしょう?」

 その一言に、少女の茶色い瞳が揺らめいた。

「……御存じだったのですか?」

「まぁ、私は貴族だから名前を聞けば分かるわよ。もっともここは余所の大陸だから、皆が皆あなたの事を知ってる訳じゃないでしょうけどね」

 肩をすくめたシャルから、ステラはどこか居心地悪そうに視線を背けた。

「……なぁ、〝火の一族〟って?」

 先程からステラの隣で会話を聞いていたアレンは、頭に疑問符を浮かべながら訊ねた。

「……寧ろ、あんたは知っときなさいよ」

「ごめん、わたしもわかんないんだけど……」

「イリスまで……」

 この兄妹は揃いも揃って、と額に手を当てたシャルに代わって、その隣にいたアクアが説明する。

「シャルちゃんの家は、昔から火の加護を強く授かる有名な貴族だから、そういう呼び方をする人たちが多いみたい。要するに、その人たちの代表みたいなものかな?」

「へぇ~」

 解ったのか解っていないのか、アレンは呆けた声を出した。

「あれ? それでステラの家もってことは……」

「ステラの家は、地属性の加護を強く授かる貴族なのよ。まぁ別の大陸の事だから、この大陸の人達は名前を聞いたくらいじゃ分かんないだろうけど、それが普通なの。でも、そもそもどうしてここに入ったの? 確かあの家って、皆あっちの医療学校に通うんじゃなかったかしら?」

「それは、その……」

 貴族間の事情をそれなりに知っているシャルにとっては当然の疑問に、ステラは困ったように俯いていった。

「ま、まぁ、そんなのはいいだろ? それよりも、ちょっとみんなに提案があるんだけど」

 それを見兼ねたアレンは、話題を別のところへ持っていった。

 結果として、それは話題を逸らすという本来の目的を果たすこととなった。聞いた側にとっては十二分に。



「今度の新入生クエスト、俺はステラを入れようと思ってる」



 時が、止まった。

 その間実に七秒。七秒間もの間、そのテーブルからは一切の物音がせず、周りの生徒達の話し声や食器の立てる音のみが響いていた。

「……アレン、おま――」

「あんた私達が何受けるか解ってんの!?」

 はっと気付いたノアを遮って、勢い良く立ち上がったシャルがテーブルに両手を叩き付けた。

「わかってるよ。でも、そもそも引き受けたのはシャルだろ?」 

「うぐっ……で、でも――!」

「それにどうせ誰かと組まなきゃいけないんだし、だったら知ってる奴の方がやり易いじゃん」

「そ、それは……まぁ、そうだけど……」

 妙に説得力のある言葉に、シャルは徐々に最初の勢いを失っていった。

「あ、あの~、皆さんはどのクラスを受けるのでしょうか?」

「あー、それはだな……」

 恐る恐る手を挙げた当事者であるステラの言葉に、アレンを含めた全員が視線を逸らした。そして、

「……………Sクラス」

「……えっ?」

 ぼそっと呟いたイリスに思わず訊き返してしまうほど、ステラは自分の耳を疑ってしまった。

「あの、今何と……?」

「……私達は今年の新入生クエスト、Sクラスの内容を受ける事になったの。ちなみにこれは諸々の事情により変更不可よ」

「なっ――!?」

 観念したようなシャルの言葉に、絶句した。

「えぇええええええええ!?」

 そして、人目もはばからず叫んでしまった。

「な、何でっ! どうしてそんな難易度の高いものを受けたのですか!? 先生方でさえ、『あんなのを受ける奴らの気が知れないな、はっはっはっ』とか言うほどなんですよ!?」

「あ、あははは……ちょ~っと並々ならぬ事情があってね~」

 目に涙を浮かべながら物凄い剣幕で迫ってくるステラに、シャルはついに顔まで逸らして乾いた笑いを零した。

「どこが『並々ならぬ』だよ。アルベルトの挑発に乗って勝負を引き受けただけだろ? 俺は別に下のクラスでも良かったのに」

「うっ、うるさいわね! あんな奴より下なんて、私のプライドが許さないのよ! いえ、プライド以前に、生理的に無理!!」

「……挑発? 勝負?」

 さっぱり事情が呑み込めないステラは、ただ頭に疑問符を浮かべるしかなかった。その隣で溜め息を吐いたイリスが、事情を説明する。

「実はね――」



    †   †   †



 ――三限目終了の鐘が鳴り、教室移動の為に授業道具を鞄に詰めていたアレンの許へ、何やら得意げな足取りのアルベルトがやってきた。その後ろには、付属品のようにアリスも居る。

「何か用?」

「……まだ何も言っていないだろう。まぁ良い、これを見たまえ」

 シャルの言葉によって完全に出鼻を挫かれたアルベルトは、一瞬不機嫌そうに顔を顰めたが、すぐに気を取り直して一枚の用紙を取り出すと、最早お馴染みのように前髪を掻き上げた。

「……受領許可証?」

「そう、まさにそれさ!」

「ひゃっ!?」

 イリスがそこに書かれた文字をそのまま読むと、アルベルトがさらに得意げな顔をして一歩近付いた。びっくりしたイリスは思わずシャルの後ろに隠れてしまった。

「ちょっと、ウチのイリスを虐めないでよ!」

「人聞きの悪い事を言うな、僕に幼女虐待の趣味はない。それに、彼女はレディアントの妹であって君の妹ではない筈だが?」

「私にとっても妹みたいなもんなのよ!」

「…………幼女? 幼女って、わたしのこと?」

「ま、まあまあ。それで、それがどうしたんだ?」

 結果として地面に両手を着いているイリスを余所に、アレンはいつまでも進まない話を再開させた。

「どうしたもこうしたも、これで晴れて僕のSクラス挑戦が確定したという事さ」

「みたいだな。がんばれよ」

「……どうして君はそこまで鈍いんだ」

「ん?」

 アルベルトはまたしても言いたいことが全く伝わっていないことに不満げに呟いた。

「何でもない! ……ゴホンッ! さて、これで僕が君達の上に立つのは時間の問題となった訳だが、ここで一つ問題があるのさ」

「問題?」

 気を取り直して話を続けるアルベルトは、用紙を持っていない側の指を一本立てた。

「仮にこのまま僕がSランク評価を取り君達に勝ったとしよう。しかし中には、Sクラスを受けたのだから下のクラスを受けた君達よりも評価が高いのは当然だと思う輩も出てくる訳だ」

「まぁ、そりゃそうだ。でもSクラスを成功させたらそれだけで十分だと思うけどなぁ」

「ところがだ! そういう連中は、君達にもSクラスを受ける実力はあるのだから、それがそのまま実力の証明にはならないと考えるのさ」

 要するに、実力の近い者同士がそれぞれレベルの違う内容を挑んでも、それは評価の基準にはならないということだ。

「……つまり、私達にも同じ内容を受けて勝負しろって言うの?」

 先程から回りくどく話すアルベルトに、シャルが本題をぶつけた。

「まぁ、ぶっちゃけてしまうとそういう事だね。その方がどちらが上かはっきり出来る」

 腕を組んで不敵な表情を浮かべたアルベルトに、シャルは馬鹿らしげに肩を竦める。

「バッカらし。何で私達まであんたの無謀な挑戦に付き合わなきゃいけないのよ」

「おや? この世界に名高き一族であるイグニスともあろう者が、まさか怖気付いたのかい?」

 短く鼻で嘲笑うアルベルトの台詞に、シャルの眉がピクリと反応した。

「……何ですって? 悪いんだけど、良く聞こえなかったからもう一回言ってくれるかしら?」

「お、おいアルベルト、やめとけって」

 額に青筋を浮かべてピクピクさせているシャルを見たアレンが慌ててアルベルトを止めたが、言われた本人はそれを無視してニヤリと口角を吊り上げた。

「何度でも言ってあげるよ。僕に負けて、負け犬になるのが、そんなに怖いのかい?」

「まけっ――! 良いじゃない、やってやるわよ! その根拠の無い自信、この私が完膚無きまでに叩きのめしてやるわ!! 終わってから吠え面掻くんじゃないわよ!?」

 完全にカチンときたシャルはアルベルトに向かって勢い良く人差し指を向けると、その場の全員に聞こえるほど大きな声で怒鳴り散らした。

「あっちゃー、だから言ったのに……」

「ふっ、軽いもんだね」

 予想通りの展開になったアレンとアルベルトは、片方は額に手を当て、片方はやれやれといった感じに肩を竦めてそれぞれの反応を示した。

「それじゃあ勝負は同じ内容のSクラスを受けて同時にスタート、成功失敗に拘わらず、より評価の高かった方の勝ちとしよう。同ランクだった場合は評価内容の点数で優劣を決める。人数はそちらに合わせて四年生五人、一年生二人のパーティーで行こうか。内容自体は君達が決めてくれて構わないよ。あぁ、それから負けた方は勝った方の言う事を何でも一つ聞く事。僕が勝ったらそうだね、君達二人には、園内放送で高らかに敗北宣言でもして貰おうかな。特にイグニス、君のは是非とも聞いてみたいね。それじゃあ、内容が決まったら知らせてくれたまえ」

 それだけ言うと、アルベルトはこちらの返事も待たずにアリスを従えて去っていった。

「……上等じゃない。こっちが勝ったら、私に喧嘩を売った事を来世までトラウマ引き摺るくらい後悔させてやるわ」

 瞳にメラメラと燃え盛る炎を宿らせながら、その後ろ姿を睨みつけるシャルを止める手立てがアレンに思い付く筈もなかったのは、言うまでもないことだった。



「幼女……幼女って言われた……」

 イリスは、まだ地面に両手を着きながらブツブツと呟いていた――



    †   †   †



「――と、いうわけ」

「イリスちゃん、なかなか立ち直ってくれないから大変だったよ」

「アクアっ! そんなこと言わなくていいよぉ!」

 くすくすと笑うアクアに、イリスは顔を赤くして頬を膨らませた。

 ステラも思わずそれに笑ってしまいそうになったが、困ったような表情をすることでぐっと堪えることに成功した。

「……ステラ、いま笑ったでしょ?」

「い、いえ、そのような事は……」

 ――かに見えたが、イリスに悟られてしまって慌てて否定した。

「と、とにかく! 事情は分かりましたが、そのアルベルト先輩とはどなたなのですか?」

 話を聞いた限りだと、Sクラスの受領を許可されたのだから相当の実力者で間違いないのだが、いまいちアレン達との関係性が見えてこない。

「アルベルト君は、この大陸で光の加護を授かるかなり高位の貴族でね、わたしたちとは基礎学院から一緒なの。それで、アレン君も光の加護を授かってるでしょ? それもすごく強い加護を。だから、昔からアレン君のことをライバル視してるの。でも、アレン君はそんなつもり全然ないから、いつも空振りしてるんだけどね」

「それにしたってこだわり過ぎだと思うけどね。何かあるのかな? あっ、ちなみにアリスはアルベルトの幼なじみなんだけど、確か従者でもあるんだって……ステラ、どうかしたの?」

 苦笑する二人は、どこか不安げな表情を浮かべるステラに心配そうな眼差しを向けた。

「あ、いえ……その、クエストの事を考えたら不安になってしまって」

「嫌なら無理をする必要は無い」

「……ノア先輩」

 みるみる表情を暗くしていくステラに、先程から全く言葉を発していなかったノアが呟くように言った。

「自分には荷が重いと思うのなら、それを辞める決断も出来なければならない。無理をしては、自分にも周りにも良い結果は生まれないだろう。そもそもこの話はアレンが勝手に言い出した事で、だ正式な手続きは何もやっていないんだ。断った処で、誰もステラを責めたりはしない」

 いつになく長い台詞に、ステラは一瞬考え込んだ。が、すぐに決断する。

「……行きます。考えてみればこんな機会滅多にありませんし、私自身の夢の為にも、これは良い経験になると思いますので。それに、もう一人の一年生にも心当たりがあるんです。ですから、足を引っ張らないように精一杯頑張ります」

 まっすぐに見つめてくる漆黒の瞳から視線を逸らさず、力強く頷いた少女に、ノアは目を閉じながら短く息を漏らした。

「だいじょうぶ! シャルもお兄ちゃんもいるし、わたしもちゃんとフォローするから!」

「それに、こっちには学年トップのノア君がいるしね?」

 そのやり取りを見ていたイリスとアクアも、片方は明るい、片方は優しい微笑みを浮かべた。

「皆さん、これからよろしくお願いします」

「あぁ、解らない事は遠慮無く訊いてくれ」

 ぺこりと頭を下げたステラに、ノアもはっきりと応えた。

「……ノア君、なんだか今日はよく喋るね?」

「……気の所為だ」

 が、アクアがにこにこしながら訊ねると、すぐにいつもの仏頂面に戻ってしまった。

「ステラちゃんのこと、心配なんだよね?」

「……そう思いたければ好きにしろ」

 自分のことのように嬉しがる少女に小さく溜め息を吐き、ノアはもう一度ステラへ視線をやる。

 ノアには、何か確信めいたものがあった。

 そもそも、何故アレンが偶々知り合ったばかりの少女をこの難題に加えようとしたのか。恐らくアレンは、ステラの持つ何らかの力を感じ取ったのだと、ノアは考えていた。

 昔からそういうところには妙に聡い少年は、いつの間にか周りを惹きつける力を持っていた。かくいう自分もその一人であると、当時のことを思い出して小さく笑う。

「……アレン」

「そもそも何であんたはいつもいつも――!」

「それは関係ないだろ!? っていうか、俺の所為じゃないって何回言ったら――ん?あぁ、ノア。どうした?」

 まだ言い争っていたアレンとシャルは、息を切らせてお互いを睨み付けた。

「……何故、知り合ったばかりのステラを誘ったんだ?」

 この二人も出逢った頃のままだと半ば呆れつつ、先の理由について訊ねた。

 問い掛けられた本人は、全くの予想外だったのか、キョトンとしてノアを見た。



「あー、えっと、なんていうか………勘?」

「…………」

 少し買い被り過ぎただろうかと本気で思ってしまったノアを、一体誰が責められようか。



    †   †   †



 ――魔法学部側にある校舎のうちの一つの屋上。そこには、庭園と呼んで差し支えない広場がある。

 春の柔らかく暖かい風に包まれたそこに、二つの人影があった。

「……ねぇ、アル……」

「……何だ?」

 木のベンチに寝そべっているアルベルトに、その頭を膝に乗せて行儀良く腰掛けていたアリスが、不意に訊ねた。

「……どうして……あんなことまでして、アレンたちに勝負……受けさせたの……?」

「……別に。たいした理由なんてない」

 小さくゆっくりと訊ねるアリスから、アルベルトは寝返りを打って顔を背けた。

 否定する金髪の幼馴染に、少女はなおも言葉を続ける。

「……うそ……アルは、いつも一番になりたがってる……」

「…………」

 今度は沈黙で答える自身の従うべき主に、あくまでも幼馴染として、或いは一人の少女として、再び訊ねる。

「ねぇ……どうして……?」

「…………『約束』だから」

 すぐ傍に居る少女にも聞こえないほど小さく、少年は呟いた。

「アル……?」

「……何でもない。それよりも今度の勝負、必ず勝つぞ」

 アリスはもう一度訊き返したが、アルベルトはそれには答えず、自らに言い聞かせるように言葉を紡いだ。

「…………うん」

 春の暖かい風が、柔らかく微笑む少女の綺麗な黒髪を優しく撫でて、陽気な空へと去っていった。


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