『始まりの始まり』 1-3



 夜の静寂の中、何かの倒れる音が、突然その沈黙を破った。

「う、うーん……何が起きたのよ、もう」

 悪態を吐きながら、シャルは先程の出来事を思い返してみた。

「急に魔法陣が顕れたと思ったら、光に包まれて……」

 そこまでいったところで周囲を見てみると、

「……ここ、どこ?」

 そこは、深い森の中だった。シャルが居たのは、その中の開けた場所にある、台座のようなところだった。

 台座の四方には柱が建っており、どうやら何かの装置のようだ。そして周囲を囲う木々の隙間から、巨大な大樹が覗いていた。

「もしかして、セフィロトの森なの?」

 まさかとは思ったが、生まれた時から見てきたあの巨大に過ぎる大樹は見間違えようがなかった。

「や、やった……本当に来られた……」

 感動のあまり思わず涙が出そうになるが、それを堪えてアレンに呼び掛ける。

「アレン、見なさいよ! わたしの言った通りだったでしょ? ……アレン?」

 しかし、呼び掛けても返事はなかった。そしてようやく、自分の下に何か柔らかい物体が敷いてあることに気が付いた。

「き、きゃあ! アレン、大丈夫!?」

「うーん……シャル?」

 慌ててアレンの上から退くと、ようやく呻くような声が聞こえて胸を撫で下ろした。

「……ここは?」

「たぶん、セフィロトの森だと思う。どうやって来たのかはわからないけど、ほら、あれ」

「……ホントだ」

 指差された大樹を見たアレンは、自分の周囲を確認したかと思うと、台座と四本の柱を少し調べ始めた。

「ダメだ、なにも起きないや……」

 叩いても撫でても、ウンともスンとも言わなかった。

 そこから予想される未来に、アレンの胸に突然不安が襲い掛かる。しかし、不用意にシャルを不安がらせないよう口にはしなかった。

「ねぇ、ここまで来られたんだから、根元まで行ってみましょうよっ」

 かなり興奮しているらしいシャルは、緋色の目を輝かせていた。

「……そうだね。ここにいても帰り方がわからないし、朝になったら誰かが気付いて迎えに来てくれるかもしれないし……どうせ待つなら時間はいっぱいあるんだから、この際行ってみようか」

 珍しく積極的なアレンにシャルは少し驚いていたが、アレンも滅多にない機会に、不安以上に胸を高鳴らせていたのだった。



「ねぇ、ちょっと休みましょう?」

 しばらく森を進んでいた二人だったが、二時間ほど歩いたところでとうとうシャルが音を上げた。

「わかった。ちょうどいいから、昼間に買ったパンでも食べようか」

 それに頷き、近くの木の根元に二人で腰掛ける。

 森には随分長いこと人の入った気配がなかったので道らしい道などなく、アレンも慣れない獣道に正直参っていたところだった。

「……なんだか、こうやって近くで見るとすごく幻想的よね」

 既に夜になっていたが、辺りはそうとは思えないほど明るかった。

「前から思ってたけど、あれってどうして光ってるの?」

 あれとは、セフィロトのことだ。不思議なことに、セフィロトは常に淡い金色の光を放っているのだ。その為『学びの庭ガーデン』とその周辺地域は、夜になっても他の地域ほど暗くはならないのだった。

 アレンは思い出すように答える。

「たしか、生命いのちの力が原因って聞いたことがあるよ?」

「それって、滅んだ二つの世界に送ってるっていう?」

「うん。この世界からそれを集めて二つの世界に送る時に、一緒に集めた魔力を吸って光ってるんだって」

「ふーん」

 そんな話をしながらパンを頬張る。少し固くなっていたが、それでも相変わらず美味しかった。

「そういえば、なんでセフィロトに行こうなんて言い出したの?」

「んー、特に理由はないわ」

 まさかの回答に、アレンは思わず口を止めた。

いて言うなら、子供のうちに間近で見ておきたかったのよ。大きくなったら、今みたいにいろいろできないでしょ? まさか本当に来られるなんて思ってなかったけど……」

「ふーん、なるほどね……」

「何よ」

「なんでもない」

 つまりは、そういうことだった。

 シャルが普段悪戯をするのは、悪戯のやり溜めなのだ。確かに、あと三年もすれば上級学院に進学するのでそんなことは出来なくなる。悪戯で済むうちに色々なことをやっておきたいのだろう。夜の神殿に忍び込むなんてそれこそバレたらただでは済まないが、子供のうちならまだ悪戯で済まされるだろうと見越しての行動だったのだ。

「……パンもなくなったし、そろそろ行こうか」

 立ち上がったアレンは、手を差し出す。

「えぇ」

 シャルはその手を、少し頬を赤く染めながら握って立ち上がった。

 ――その時。

 突然、茂みから物音がした。

「な、なに……!?」

 恐る恐る、二人はそちらへ視線をやった。

 そこには、奇妙な生物が居た。

 熊のような肉体に、猪のような顔。頭部には後ろへ折れ曲がった二本の角が生えており、低く唸り声を響かせる口からは鋭く尖った牙が覗いている。それが、荒々しい吐息を漏らしながら現れたのだ。

 突然の来訪者に、アレンは自分の身体が硬直していくのを感じた。

「――――ッ!!」

 怪物が、突然耳をつんざかんばかりの咆哮を上げた。

 空気を伝う震動に強張こわばる身を、アレンはそれでもなんとか後ろへと下がらせる。

「しゃ、シャル、逃げよう。……シャル?」

 ふと、握っている手が震えているのを感じて横目で見ると、シャルが今にも泣き出しそうな顔で小刻みに歯を鳴らしていた。

 これでは自力で走るのは不可能だと判断して、握っていた手をきつく握り直し、再び呼び掛ける。

「シャル、しっかりして! シャル!!」

「あ、アレン……」

 シャルはようやくその声に気付いたが、返した震える声は蚊のようだった。

「いい? 僕が三つ数えたら、思いっきりセフィロトに向かって走るよ? わかった?」

「う、うん……」

 本当に解っているのか怪しかったが、それでもアレンはタイミングを見計らう。

「いち、に……さん!」

 シャルの手を握ったまま、後ろを向いて一気に駆け出した。

 その背後で、何かの倒壊する轟音が響いた。恐らく、あの怪物が木を薙ぎ倒したのだろう。

 しかし、そんなことを確認している余裕はない。今はとにかく、全力で逃げることしか頭になかった。



    †   †   †



 とにかく体力の続く限り走り続けた二人は、鉛のように重くなった脚がさらにおもりを幾つか足した頃に、ようやく立ち止まった。

「た、たぶん、ここまで来れば、大丈夫だと、思う、よ」

 アレンはまだ肩で息をしながら安全を確認する。

「……にしても、なんでこんなところに魔物が……」

「ま、魔物? あれが?」

「うん。学園の図書館にある本でしか見たことなかったけど、たしかベアオークって名前の下級種だったはず――」

「な、何でそんなのが、こんなとこにいるのよ……!」

 シャルを見ると、まだ震えが治まっていないようだった。

 確かに魔物は世界中に存在するが、基本的にああいった下級の魔物は森や山などといった人の少ない場所にしか現れない。そういった場所には十分な食糧があるので、態々わざわざ人の大勢居るところへやってくるのは、高度な知恵を持った友好的な上位種くらいだった。

 その為魔物を見たことのない者も多く、ガーデンでも上級学院へ上がって最初に行う実習で初めてその姿を目の当たりにする者が殆どだ。まさか街の中心部にあるこの森にまで棲んでいるとは、二人とも欠片も思っていなかったのだ。

「どうしよう……あんなの倒せっこないわよ……」 

 シャルがついにその場に座り込んで今にも泣きそうな声を上げたのは、無理もなかった。普段気が強くて大人びていても、やはりまだたった九歳の女の子なのだ。幾ら他の子供より魔法が得意でも、怖いものは怖い。それでも泣き出さないのは立派なことだった。

 寧ろアレンはよく自分があの場で冷静に判断出来たものだと驚いていたが、恐らくシャルが居なければ自分も震えて動けなかっただろう。

「だ、大丈夫だよ。本で読んだらあいつ、力は強いけど足が遅いって書いてたから、ここまで来る前にたぶん諦めてるよ」

 アレンはなんとか元気付けようとするが、シャルは俯いたまま応えない。どうしたものかと困っていると、ふと周りの景色が先程よりも随分明るいことに気が付いた。

「ほ、ほら。もうセフィロトがあんな近くに見えるよ。行ってみようよ」

 そう言うと、シャルは僅かに顔を上げた。

「……うん」

 ようやく返された声にほっとしたアレンは、手を差し伸べて立ち上がらせ、そのまま引っ張って歩き出した。

「……ありがとう」

「え?」

 小さな呟きに訊き返すと、

「何でもない」

「―――っ!」

 不意に見せられた柔らかな微笑みに、心臓が跳ね上がった。普段の悪戯っ子のような笑みとは全然違っていて、アレンは思わず見惚れてしまいそうだったが、顔が赤くなるのを隠す為に前を向くことにした。

 シャルはまだ繋がれたその手を見て、それから前を行く少年の後ろ姿を優しく見つめ、ぎゅっと握り返して後に続いた。



 それからしばらく進むと、森の出口が見えてきた。

 二人が少し早足になって木々の間を抜けると、

「……おっきい」

「うわぁ……」

 抜け出た先は不自然なまでに大きく開けていて、広場のようになっていた。その中心に、この世のどんな物よりも大きく、どんな景色よりも幻想的で美しい大樹が、樹の幹を束ねたような根を降ろして聳え立っていた。

「ねぇ、もっと近くまで行きましょうよ!」

「あっ、シャル!」

 すっかり元気を取り戻したシャルは、跳ねるように根元へ向かって駆けていった。慌てて追うアレンは、一方で、シャルの様子に安堵する。

「それにしても……」

 デカイなぁ、と感嘆の息を漏らした。なにせ、本当にデカイのだ。

「……てっぺんが見えないや」

 樹の幹は天を衝く勢いで伸びており、一番近くにある枝にさえ届きそうになかった。

「アレン、こっちに来て! 早く!」

 不意にシャルの声が届いた。どうやらかなり向こう側まで行っていたようだ。

「どうしたの?」

「良いから! 付いてきて!」

 問答無用でアレンの手を引っ張り、シャルは急ぎ足で進んでいく。

「これ、見てよ」

 辿り着いた先で、アレンはつい、呆けてしまった。

「……おんなの、こ?」

 巨大な根とその上を這う細い根(と言っても人の脚ほどの太さはある)に挟まるように、一人の少女が眠っていた。

 いや、本当に眠っているのだろうか。僅かな肩の上下すらも見られないその様はまるで――

「死んでるみたい……だけど、一応生きてるわよね?」

「と、とにかく外してあげようよ……!」

 慌てて駆け寄ったアレンは、少女の身体を縛り付けている細めの根に手を伸ばした。

 しかしその手が根に触れた途端、突然、大樹全体が一層強く輝き出した。

「うわっ――!?」

「きゃッ!?」

 次の瞬間、眠り続ける少女の正面に虹色の魔法陣が顕れたかと思うと、突然襲い掛かった突風に二人は吹き飛ばされてしまった。

「いっつ~……シャル、大丈夫?」

「え、ええ……でも、何だったの、いまの……?」

 お互いの無事を確認して再び少女の方を見たものの、特に変わった様子は見られなかった。

「……またあんなことがあったら危ないし、シャルはここにいて」

「アレン?」

 そう言うが早いか、アレンはもう一度少女へ近付いていった。

 唾を飲み込んだ拍子に、喉が低く音を立てた。

 恐る恐る手を伸ばし、再び樹の根に触れる。

「…………」

 しかし今度は光りもせず、突風も襲ってこなかった。ほっと胸を撫で下ろし、後ろを向いて呼び掛ける。

「今度は大丈夫みたい――痛っ!?」

 駆け足でアレンの許へやってきたシャルが、その頭を思いっきり引っぱたいた。

「『大丈夫みたい』じゃないわよ! またさっきみたいのがあったらどうすんのよ!?」

「いや、だから一応僕一人で確かめたわけだし……」

「~~~っ! もういい! アレンのバカッ!!」

 そこまで聞いたシャルは、思いっきり怒鳴って背を向けてしまった。それでも何故シャルが怒っているのか全く解っていないアレンは、困惑顔で首を傾ける。

「シャル? なんで怒ってるのさ?」

「知らないっ! ……それでそれ、外せそうなの?」

「う、うん、ちょっと待って」

 まだ何か言いたそうな顔をしていたが今それを口にするとどうなるか解っているので、アレンはもう一度樹の根を外そうと手を掛けた。

 しかし、少女の前側を押さえている脚ほどに太い根は完全に後ろの巨大な根と一体になっているらしく、ビクともしなかった。

「ダメだ、全然外れないや」

「……ちょっと退いてみて」

 少女へ近寄ったシャルは、何かをブツブツ唱え始めた。すると、掌の上に神殿で使っていた火の灯りが顕れた。

「しゃ、シャル、もしかして……」

「大丈夫よ。『火はちゃんと意識を傾けたら目的の物以外を燃やす事はない』ってお母さんが言ってたし」

 シャルは涼しい顔でそう言って、火を少女へ近付けた。アレンはシャルの意識を乱さないよう静かにしていることにした。

 小さな炎は、根を上部から徐々に燃やしていった。燃やすと言うより炙ると言った方が近かったかもしれない。とにかくかなり時間が掛かったが、ようやく三分の一ほどいったところで、シャルは火を消してその場に座り込んだ。

 不思議なことに火はちょうどその部分で消えており、アレンが焼けて脆くなったところを取ると空いた場所から少女の白い肌が見えた。どうやら火傷は負っていないようだ。

「ふぅ、意識してやると結構疲れるわね」

 シャルは額の汗を拭いながら、内心で上手くいったことに胸を撫で下ろした。

「もう外せそうだから、後は僕がやるよ。シャルは休んでて」

「えぇ、お願い」

 アレンは樹の根の上の方に手を掛けると、ありったけの力を込めて引っ張った。

「くっ、い、意外と、堅い……!」

 それでも太くてしっかりと伸びた根を剥がすのには相当苦労したが、

「こ、れ、で、どう、だぁあああッ!」

 思いっ切り声を上げて全体重を乗せた渾身の力で樹の根を引き剥がすと、同時に少女がアレン目掛けて倒れてきた。

「うわっ――! 痛ててて……」

「お疲れ様」

 シャルが少女を見ようと近付いてきた。

 そのまま倒れたアレンも、胸に身体を預ける少女へ視線をやる。

「……綺麗」

 歳は二人の二つ三つほど下だろうか。肩の出た薄い布の服に包まれた少女の体は雪のように白く、何よりも注目したのは、その限りなく白に近い、長く、美しい銀色の髪だった。

「銀色の髪って初めて見るわ……」

「僕も――っ!」

 そんな少女に呆気に取られていると、不意に鋭い痛みがアレンの頭を襲った。

「アレン、どうしたのっ?」

「……なんでもない。ちょっと頭を打ったみたいだけど、もう治まったから」

「大丈夫? ちょっと見せて」

 シャルはアレンの頭を触ってみた。見た限り、特にコブなどは出来ていなかった。

「特に傷とかはないみたいだけど、一応ちょっと休んだ方が良いかも」

「うん、そうする」

 走ったり歩き詰めで疲れたこともあり、少女を脇へ寝かせて二人は身体を休めた。

「ふぅ。今何時なのかな?」

「九時くらいじゃない? ここに来て結構経ったし……」

「そっか……」

 いつもならとっくに帰っている時間帯なので、恐らく二人の母達がいつまで経っても帰らない二人を心配して探しているだろう。しかし、夜の神殿は入口が閉じているので入ることは出来ない。ということは、いよいよ朝になって誰かが祭壇の仕掛けに気付いてくれることを祈るしかなかった。

 そんなことを考えていると、突然シャルがそわそわし始めた。

「シャル? どうかしたの?」

「な、何でもないわ」

 その様子を少し不審に思ったが、アレンは特に何も言わなかった。すると、シャルは突然立ち上がって、

「わたし、ちょっと他のところも見てくるわ」

 急かされるように森の方へ駆け出した。

「シャル、森は危ないよ!」

「そんなに奥には行かないから平気よ」

「でも……」

「……もう、ちょっとは察しなさいよ! トイレよ!」

 顔を赤くして怒鳴り、シャルはそのまま走り去っていく。

 そういうことかと納得したアレンは、その背中を見送った。が、視界の端に何かが映り、視線を向けた。

「――――っ!!」

 森から出てすぐのところに、先程のベアオークが佇んでいた。

 一瞬呼吸を忘れたアレンは、ことに気付いた。

(なんだ? あんなとこから、なにをするつもりなんだ?)

 嫌な予感に胸がざわめいた。シャルはまだ気付いていない。しかしアレンが報せるよりも先に、ベアオークが右腕を振り下ろした。

「――ッシャル、危ない!!」

「え?」

 その直前、咄嗟に駆け出したアレンは、シャルに飛び付いて伏せた。同時に何かが身体の上を通過する風切り音がして、背中に焼け付くような痛みが走った。

「ぐ、うぁあああッ!?」

 どうやらベアオークが放ったが掠めたらしいが、そんなことをいちいち確認出来るような状態ではなかった。尋常ではない、これほど激しい痛みと熱などあるものか。自分の感覚がそこにしかないかのように、他のことなど考えていられなかった。

「あ、アレン!? アレン、しっかりして――ッ!!」

 何がなんだか解っていないシャルは、それでもアレンが苦しんでいることを理解して必死に揺り起こす。しかしふと伝わった生温い感触に、自身の掌を見た。

「あ、あぁ……」

 その手は、アレンの背中から大量に溢れ出た血で、真っ赤に染まっていた。

「い、いや……いやぁああああああああ!?」

 震える手を見て、ようやく何が起きたかを理解したシャルは、恐怖し、叫んだ。

「しゃ、る……にげ、て……」

 朦朧とした意識の中で、それでもアレンはなんとか逃げるよう促した。しかし、シャルにアレンの言葉は届いていない。

 そして。

 再び咆哮を轟かせた魔物が、またしても右腕を振り下ろした。今度はその瞬間を視界に収めていたアレンは、硬い土で出来た槍のような物体が飛来するのを見て目を見開いた。

(ま、まほう……!?)

 魔物が魔法を使ったことに驚愕しながら、それよりも再びシャルに危険を報せようと口を開く。しかし、

(だ、ダメだ……声が出ない……)

 最早意識を保つので精一杯のアレンに、言葉を発する力は残されていなかった。

(あ、あぶない……シャル……)

 手を伸ばそうとするが、身体が言うことを聞かない。

 瞬く間に、土の槍がすぐそこまで迫ってきた。

 もう駄目だと思った、その時。

「………ッ、!?」

 土の槍が、地面に

 突然の現象に唖然としていると、

(あっつ……)

 辺りが急に暑くなってきたことに気が付いた。地面に落ちた土の槍を見ると、形が崩れているようだった。

(いったい……まさか、シャル……?)

 そう思って、シャルを見た。

 真っ赤に染まった自分の両手を見つめ、緋色の髪を逆立てたシャルが、あかい輝きに包まれていた。小さな音と共に火の粉が爆ぜ、周囲の景色が揺らめいている。

 何が起きているのか理解が追い付かないアレンは、痛みで歪んだ顔に僅かに困惑の色を浮かべた。

 土の槍が効かないと解ったのか、ベアオークが直接シャルの肉体を引き裂くべく、雄叫びを上げて自らの巨躯を走らせた。

(ま、まずい……)

 シャルはそれを見ていないようで、先程から俯いたまま何かを呟いている。最早避けられないほどベアオークが近付き、今度こそ駄目だと思った瞬間、

「!?」

 至近距離で爆発が起きたような突然の轟音と共に、アレンはセフィロトの根元まで吹き飛ばされた。

「うっ……ぐっ……!」

 背中の痛みが強烈に増したが、倒れた体勢のままシャルの方へ視線を向けた。

 凶悪な魔物は、影も形も残さず消え去っていた。

 あまりにも突然過ぎて痛みも忘れて呆気に取られたアレンは、はっとしてシャルを見た。

 視線の先で、シャルを中心として、巨大な炎の柱が顕れていた。

「――や、いや、いや、いや、いや、いや……いやぁあああああああああああッ!!」

 シャルが突然叫んだかと思うと、それに合わせるように炎が舞った。踊り狂う炎は地面に生えている草をみるみる燃やしていき、やがてシャルを包み込んでいく。

『―大丈夫よ。「火はちゃんと意識を傾けたら目的の物以外を燃やす事はない」ってお母さんが言ってたし―』

 アレンは先程のシャルの言葉を思い出した。今のシャルが、意識的に炎を操っているとは思えない。

(ぼう、そう……?)

 人は何かの切っ掛けで、本人の意思とは関係なくその魔力を暴走させることがある。

 大抵は何か大きな肉体的、或いは精神的ショックによって起きるのだが、そうなると他者の介入がない限り意識を失うまで力を使い、最悪の場合は意識を失ってもそれが続く。暴走の最中に力を制御出来るようになる者も居るがそんなケースは極稀で、シャルに出来るとは思えなかった。

 となると、この暴走を止めるにはシャルの意識がなくなるのを待つしかないが、最悪なことにここは森の中。そんなことをしているうちにあっという間に炎が森に燃え移ってしまうだろう。しかも、セフィロトにまで移ってしまったら取り返しが付かなくなる。

 さらに、シャルの様子は明らかに正気を失っている為、意識を失っても収まらない可能性が高い。そうなった場合魔力が尽きるまで続くのだが、魔力の枯渇状態は非常に危険で、シャルの命すらも危うくなってくる。

「……ッ!」

 アレンはなんとか声を出して呼び掛けようとしたが、短く息が漏れるだけでどうにもならなかった。

 炎の柱は天を衝くかのように伸び、益々勢いを増していく。その熱気がさらにアレンの意識を蝕んでいき、次第に再び意識が朦朧とし始めた。

(も、もう……だめ……だ……)

 段々視界もぼやけてきて、いよいよ自分の命も尽きてきたかと、短い人生が走馬灯のように駆け巡る。

(お母、さん……一人に、しちゃう、けど……ごめ、なさい……)

 まずは愛しい母のことが頭に浮かび、

(みじか、かったけど……楽しかった、なぁ……)

 十年ばかりの儚い人生に、それでも楽しかった毎日を思い出し、

『―いざという時は護ってあげてね―』

(ごめんな、さい……おばさん……やく、そく……守れ、なかっ……)

 つい何時間前かに交わした約束を思い出し、

(シャル……)

 最後に、最も大切な人の顔を想い描いた。

(だれ、か……)

 太陽のように明るく、何度も悪戯をしては自分を困らせ、最後にはいつも眩しいばかりの笑顔を見せる少女を想い、重くなってきた瞼を閉じて願う。

(しゃる、を……た、すけ……)

 しかし、その願いは誰に届くこともない。

 ……そう、思っていた。


 ――大丈夫


(……えっ?)

 とうとう幻聴が聞こえ始めたかと思ったが、不意に誰かが近付いてくる足音が聞こえた。

「……ごめんなさい。もうちょっとだけ、我慢してね」

 澄んだ、幼い声が聞こえ、閉じた瞼を少し持ち上げてみる。

 すると、銀色の光が視界に映り、気になったアレンはもう少しだけ目を開いた。

 そこには、

「今、助けるから」

 先程の銀髪の少女が、アレンに背を向けながら佇んでいた。

 少女が右手を掲げて何かを唱え始める。巨大な魔法陣が虹色の輝きを纏って空に浮かび上がり、その下にさらに幾つもの魔法陣が顕れた。

 それらは少女の向こう側にいるシャルを囲むように移動すると、一層眩い光を放ち始めた。

「あぁあぁああああああああああああッ!?」

 シャルが苦しげに悲鳴を上げた。炎の柱が光に抗うように激しくなり、今にも襲い掛からんばかりに荒々しく唸る。

「っ、………!!」

 しかし、少女がさらに力を込めると、炎の柱はシャルの肉体ごと瞬く間に虹色の光に包み込まれてしまった。アレンはその光に思わず目を瞑る。

 しばらくしてもう一度開くと、草に燃え移っていた炎が収まり、炎の柱があったところにシャルが横たわっていた。

 アレンは咄嗟に声を出そうとしたが、その前に少女がアレンの傍へやって来てしゃがみ込んだ。その息は、微かに荒い。

「しゃ、る……は……?」

「大丈夫。命に別状はないから」

「そ……か……よか……」

「だから、今度はあなたの番」

 少女がアレンの傷口に手を当てると、淡い光が身体を包み込んだ。すると、徐々に痛みが引いていくのを感じた。

「これで大丈夫。後でちょっと熱が出るかもしれないけど、それは我慢してね。あとは……」

 少女が再び右手をかざすと、少女とアレン、そしてシャルの下に、またしても虹色の魔法陣が顕れた。

「ひとまず、ここから出るね」

 直後、光が三人を包み込み、



「……えっ?」

 気が付くと、神殿前の広場に居た。

「ひろ、ば?」

 いい加減自分の理解力の限界を超えたアレンは、ひとまずシャルの姿を探す。と、その背後でどさりと音がした。振り返ると、銀髪の少女が横たわったシャルの傍で倒れていた。

「だ、大丈夫!?」

 アレンは慌てて駆け寄った。少女の頬は風邪を引いた時のように赤く、額には大量の汗が浮かんでいた。

 少女が苦しげに微笑む。

「ご、めんな、さい……急に……いっ、ぱい……力、つかっ……たから……」

「待ってて! 今誰か呼んでくるから――っ!?」

 助けを呼ぼうと駆け出したアレンは、不意に激しい頭痛と目眩に襲われて地面へ突っ伏した。

(なん……)

 突然のことに戸惑う中、先程の少女の言葉を思い出した。

(こうい……こと、か……)

 とかそういうレベルじゃないだろうと思いつつ、アレンの意識は闇へと落ちていった。



 やがて、雨が降り始めた。


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