継承、非確定、分岐点。
「……パパを、幻滅させるためよ」
弟に経営権を回すための行動とはいえ、蓮はとても苦しそうだった。
蓮はよく俺の前で、自分の会社がいかにすごいか、父親の手腕がどれほどのものかと声高に語っては、鼻高々にドヤ顔してくる。
父親が彼女を溺愛しているように、彼女も、父親が大好きなのだ。
だけど、いま蓮がやろうとしているのは、自分を愛している父親に、父親を愛している自分を幻滅させること……。自分の愛している関係を、絆を、自分の手で引きちぎる選択。
弟の人生や目標とそれとを天秤にかけて、長く悩んだのだろう。
蓮は俯いた顔をあげて、じっと俺の目を覗き込んできた。その表情は真顔で、どんな気持ちで俺の方を見ているのかが全然分からず、少し戸惑ってしまう。
「……あくまでも、目的は『お父さんを幻滅させること』だから、とんでもなく人に迷惑をかけるようなことはやってない。せいぜい、学校をサボったり、学校にこの格好で行ったりするぐらい。親に連絡が行って、お説教されるの」
「最近はお説教もされなくなったんじゃないか。……呆れられたのとは違う意味で」
「…………あはは、鋭いなぁ」
随分と長いトンネルだった。
暗いトンネルを抜けて明るくなるかと思ったが、車に乗る前よりも空はどんよりと暗くなってしまっていて、鳩か何かの大群が帰り支度をするようにバサバサと飛び去っていくのが見えた。
すごい多かったね。蓮は別に意味なさそうに言った。
「邦信の言うとおり……パパ、もう気付いちゃってるみたいなのよ。昨日なんか、仕事から帰ってきて私の顔を見た途端、何か言いたそうな……すごいもどかしそうな顔して、逃げるように自分の部屋に行っちゃって」
「辛そう……だったか?」
「私なんかより、ずっと辛そう。……そりゃそうだよ、私だけじゃなくて、パパは弟のことも大好きなんだから……絶対、自分のせいだって思っちゃってる」
自分が、経営権を託す相手を娘と決めたことによって、自分は息子への申し訳なさでどうしていいか分からなくなり、娘は弟のために、父親が自分を嫌いになるように行動して、悩み苦しんでいる。
外の人間から見れば、『大企業の社長』という肩書きしか見えないけれど、蓮のお父さんだって一人の男であり、父親だ。彼の家族に対しての激しい葛藤が、その娘の話を通じてひしひしと伝わってくる。
「……お嬢様。旦那様は近頃、わたくしたち使用人に会うたび、『子供が困っていたらよろしく頼む』と仰っています」
この車の運転手……蓮からはアリサちゃんとか呼ばれていた使用人の女性は、おずおずと申し訳なさそうに話に入ってきた。
ミラーにはアリサさんの口元しか映っておらず、その表情を読み取ることは叶わなかったが、少なくとも、業務連絡を淡々と喋るような声色でないのは確かだ。
「アリサちゃん、それって……?」
「……旦那様は、おそらく全部分かっておられます。このまま、お嬢様と旦那様が『別々に』悩むのではなく、一度しっかりと胸の内を打ち明けられた方がよろしいと思います」
「…………それが出来たら苦労しないよ、はは……」
「……申し訳ございません。出過ぎた真似を致しました」
「気にしないで。……ありがとね」
……てっきり、今回蓮が阿賀チミコの屋敷に行こうと言ったのは、オカルト的な興味があったからだと思っていた。
だが……この、薄く儚い笑みを見て、確信する。
父親にも相談できず、弟になんかもっと相談できるわけがなく、一人で悩み続けてどうにもならなくなって……誰かに話したら、少しは楽になると思ったのだろう。
「邦信も……こんな話、当事者の私がどうにもできないのに……無駄にヘンな相談しちゃって悪いわね」
「……………………」
どうする。
……蓮にはこんな顔、してほしくないけど。
そんな俺の希望なんて蓮には無関係だし、そもそも俺が関わるべき問題じゃないのだと思う。こんな言い方をすると酷いと思うけど……住んでいる世界が、その世界での常識や考え方がそもそも違う。
なんとかしてあげたいという気持ちは矛。
俺が関わるべき問題じゃないという規制は盾。
…………俺は…………………………。
「……蓮自身は、会社を継ぎたいと思ってるのか?」
「…………パパやおじいちゃんの会社を私がもっと発展させることができたら、それはとても嬉しいけど……弟の必死な願望に比べたら、全然、全くよ」
「なら、別の会社で……いや、俺の会社の社長になってくれればいい」
ワガママの矛と、倫理観の盾。
『絶対に貫きたい』矛と、『破ってはいけない』盾。
俺の中で勝ったのは、矛だった。
正直、かなり恥ずかしい。蓮ほどではないけど、妙に火照るような……顔が赤くなっていくのを感じる。
蓮の反応は、意味が分からなさそうに、ポカンと俺と目を合わせるだけ。
だが――。
数秒して、巨大な氷が溶けていくように、徐々に、蓮は大きく目と口を開けて。
「………………な、なななな、ん何!? なにって!?」
「だ、だから、その経営手腕を無駄にするのはもったいないから、俺の研究のために活かしてくれって言ってるんだよ!」
「な、そんな、それって……?」
「い、いやっ、勘違いすんなよ!? 今俺は、夢の『記憶を回復する装置』を研究してるんだ! その研究が大規模になりそうだったら、お前の経営能力を活かして、資金繰りとかに力を貸してほしいなと思っただけだ!」
「かっ、勘違いなんかしてないし! ていうか、なんで私がそんな非確定的なプロジェクトの根幹を担わなきゃいけないわけ!?」
「やかましい! あー、もう今のなしだ、ナシ! 忘れてくれ!」
くそ、自分でもいつも『就職先が安定さえしていればそれでいい』って言ってる、自他ともに認めることなかれ主義の俺が、なんでこんな無責任な誘いを……!
そもそも、俺たちの『記憶回復装置研究』が実を結んでビジネスにできるレベルになったとして、そんないくらでも悪用できてしまう装置を市場に出せるわけがないし、そんな半ファンタジー的代物、SFの世界なら開発競争で戦争が起こってもおかしくない夢の装置だ。
ただでさえサブが責任に押しつぶされて廃人になりかけていた危険な研究なのに、蓮を巻き込むべきじゃない。
……何を考えてたんだ、俺は。
忘れてくれ忘れてくれと呻きながら、顔を手で覆って丸くなる。
「…………気持ちは嬉しかったよ、ありがとう」
………………………………。
俯いた状態から首だけを回して見た窓の外。曇り空はさっきまで以上落ち込んではなかったが、特に天気が回復することもなさそうだ。
ミラーに映るアリサさんの口は、微笑んでいたというか……ニヤけていた。
#
ミニクーパーが止まった場所……そこは関西大キャンパスの見える住宅地の一角。看板はないようだが別に寂れてもいない、用途不明な割にはけっこう高いビルのガレージだった。
入口がかなり狭く、その形状的に駐車はとても難しいものに思えたが、アリサさんは外見の若さからは想像もつかない慣れたハンドルさばきで、迷いなく冷静に入庫をこなしたのには驚いた。
というのも……5ヵ年制という高専の性質上、最高学年である5年生には普通に成人している先輩もいる。
3年の時だったろうか、俺が所属するプログラミング研究会の高専祭への出し物(部内で自作した、ちょっとしたゲームを何本か売り出していた)が無事に成功したことを祝して、高専祭の打ち上げバーベキューを兼ねて先輩がドライブに誘ってくれたのだが……免許を取っていない俺が言うのもなんだが、めちゃくちゃ運転が下手くそで、あげく駐車の際にコンクリ塀にレンタカーの車体を擦らせ、傷をつけてしまったりと、それはもう散々だったのだ。
アリサさんがおいくつなのかは分からないが……ここに来るまでの運転でも全然揺れを感じさせなかったし、年不相応なまでに運転技術が高いのはたしかだ。
……その割には、後続車がつっかえてるのに国道のど真ん中で停車したり、一般常識はポヤンポヤンな気もするけど。
「では、私はここで失礼します。お気をつけて、お嬢様」
「うん、ありがとね」
蓮に続いて俺が車から降りると、アリサさんは運転席の窓を下げて蓮に挨拶し、また慣れた運転で車を出庫させて行ってしまった。
ここまで送り届けた時点で業務終了、ということなのだろうが……。
「……いや、俺たちを下ろしてすぐ戻るんなら、わざわざ入庫しなくても、ビルの前に一瞬止めればいいのに……」
「ちょっと抜けてるのよ、アリサちゃんは」
「『従者は主に似る』、『主は従者に似る』……どっちだったっけ?」
「今度余計なこと言うと口を縫い合わせるわよ」
おぉ怖い怖い。
ホントむかつくわっ、と俺を睨み上げてから、蓮はスマホを取り出してぽちぽちと操作し、耳に当てた。電話するらしい。
まさか、今のに怒ってパパさんに言いつけて、本当に俺の口を縫い合わせるつもりじゃあ……!?
……なワケないか。
「もしもし、予定通り着いたわ。……ええ、言ってた通りにチャーターお願いね」
「はっ!? チャ……え!?」
チャーター!? ……って、ヘリのことか!?
何食わぬ顔で通話を切ってポケットにスマホをしまう蓮に、大慌てでツッコミを入れる。
「待て待て、チャーターって、ヘリ呼ぶのか!?」
「そうよ? なんで?」
「なんでって……こんな住宅地に近いビルでそんなことしていいのか?」
「仕方ないでしょ、この近辺にあるワシミグループの秘密裏所有物件で、『ヘリを着陸させられる所』って言えばここくらいしかなかったんだし……心配しなくても法的に認可は取ってあるし、ウチのパイロットはミスなんかしないわよ」
……他にもいろいろとツッコミ所はあると思うが、『秘密裏所有物件』という響きが恐ろしすぎてもう何も言えない。
関西のみならず日本、世界のどこにでも、どんな用途のためにあるのか不明な建物は存在しているが、そういった建物のひとつひとつには、大企業の闇が隠されているのかもしれない…。
っていうかもしかして、俺たちがいつもオフ会で使ってるあの廃ビルも……?
…………考えないようにしよう。
「さ、あと10分もしないうちにヘリが来るから、屋上行くわよ」
「……ヘリに乗るために、このビルまで車を走らせてきたんだよな?」
「え? そうだけど?」
「…………なら、最初からこの近くで待ち合わせしてればよかったんじゃ…」
「…………………………」
「…………………………」
「……こ、今度余計なこと言うと口を縫い合わせるわよ!」
……どうやら、『従者は主に似る』の方が正解だったようだ。
#
そもそもなんでヘリなんか? という質問に対しての蓮の回答はこうだ。
阿賀チミコが滅多に人前に姿を見せないのは有名だが、『滅多に人前に姿を見せない』というのは、たとえ一般人でも普通に生きていれば簡単にできることではない。
ごみ捨てに行けば近所の誰かしらと会うし、生活に必要なものを買いに行く時だって、ほとんどの場合、店員さんと対面する必要がある。それを他の誰かに任せて引きこもればいいのではないか、とも一瞬考えたが、今度はその『他の誰か』と会う必要が生じることに気付いた。
たとえ阿賀チミコに会ったとしても、それが阿賀チミコだと気付けない場合もあるのではないか? とも思ったが、どうやら真実は別のものだった。
阿賀チミコの住んでいた屋敷は、人が滅多に入らない森のど真ん中にひっそりと建っているのだ。
亡くなる数年前から彼女はそこで、たった1人で自給自足の生活を送っていたらしい。警察の調べでは、屋敷の周辺には動物を捕るための罠を細工していた跡や、採ってきたキノコがすっかりしおれて床に散乱している様子が見られたらしい。
そんな森だ、歩いて入って草木を分けてえんやこらえんやこら進むのは、どう考えても危険だし非効率的。
だったら空から降りればいいじゃない、という蓮のスマートかつアントワネット的逆転の発想によって、今回のプランが編成されたみたいだ。
だが……。
「う……ぷ……。ヤバイ、死ぬ…………」
「……そのプランを考案した本人がヘリで酔いまくってちゃ世話ないよな」
森のど真ん中、阿賀チミコ邸の前にヘリが降り立った瞬間、ビニール袋を引っさげたパイロットと一緒に森の奥へと消えていった蓮が、真っ青な顔で帰ってきた。
俺もちょっと吐きそうだ。ただでさえ風邪気味なのにヘリに乗ったからか、若干気分が悪い……。
まだ口を押さえて座り込んでいる蓮を尻目に、阿賀邸を仰ぎ見る。
自給自足の生活を送っていると聞いたので、もっと質素でシンプルな感じかと思えば、普通に豪華絢爛、まさに金持ち文化人が余生をノンビリ過ごすために建てたって感じの、道楽全開の豪邸である。
西洋風の、清潔感溢れる白塗り石積み建築。そして当然のように本館、東館、西館の3つに分かれていて、それぞれ全て3階建て。2階部分から伸びた渡り廊下で連結しているようだ。
あと、人を呼びもしないくせにでっかい門を造っているあたりもウザい。そこに門番のようにして、金剛力士像よろしく女神の石像が立っているのもウザい。どう見ても成金の金持ちアピールだ…。
「……何ボサっとしてるの、早く入るわよ……」
「そんなしんどそうにしながら言われてもな……。しばらくヘリの中で休んでたらどうだ?」
「見て分かるとおり、ヘリは嫌いなの……。動いてても動いてなくても酔う気すらするわ……」
「さいですか」
酔っぱらいの上司を送り届ける飲み会帰りのリーマンの如く、フラフラとおぼつかない足取りの蓮に肩を貸して、俺と蓮はパイロットさんに見送られながら、阿賀邸へと踏み入っていったのだった。
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