1-8 レベル1の研ぎ澄まされた一撃《シャープエッジ》
月明かりの下、森の入り口までやってきた。
森の中に赤い瞳は見えなかった。だが、何かが暴れ回っているのだけが見える。
太い両腕を振り回し、周囲の木々を傷つける。その悲鳴が確かに聞こえていた。
その声に紛れるように、陽太は息を殺して歩を進める。
昨日訪れた今日、
時折、月明かりに照らされる頭部には、星宮がつけた傷が見えかくれする。
唯一、陽太が攻撃を出来るポイント。そこに剣を突き立てれば、ゲームクリアだ。
星宮を殺した。何度も、何度も、その命を屠り、その命を咀嚼した。その暴挙を許してはならない。
光栄に思え、一度の死でチャラにしてやる。
走る。
足音に気が付いたように、ぴたりとモンスターは動きを止めた。
首を左右に振り回し、音の発生源を探そうと画策している。だが、モンスターは音を見失う。
陽太の体は互いの吐息が触れるほどの距離で、息を潜めていた。
標的は近い。だが、傷は小さい。
無駄に剣を振り回しても当たる確率は低い。
一分よりも、一秒よりも短い一瞬を捉える。
突然、音が途絶えたことに驚いたように、モンスターは小刻みに首を震わせる。
耳を澄まして陽太を探している。
下を向け。
陽太は膝を曲げ、剣先を天に向ける。
モンスターが足元を覗き込もうものなら、そのまま地獄へと引きずり落としてやる。だが、モンスターも、じっと息を潜めるだけだ。
モンスターの呼吸に溶け込むように、陽太も呼吸を繰り返した。
静寂と沈黙。
遠くで響く木々の歌声と夜風の走り抜ける足音が、一人と一体の鼓膜を震わせる。
暗闇のまま、孤独の中で見えない敵の存在に怯えている。それが手に取るようにわかる。
二度と味わうことの出来ない苦痛だ。星宮も孤独の中で戦った。
「今度は!」
声を張り上げた。飛び跳ねたようにモンスターは顔を下に向けた。
陽太の眼前に傷口が顔を出す。剣先はずっとそれを狙っていた。息を殺し、目の前の命を屠ることに歓喜していた。
躍動すら感じられていた。
両目を潰されたモンスターには、陽太の動きが見えない。怯えるように喉元を震わせ威嚇している。
「俺の番だァア!」
孤独という暗闇の中、二人で掴んだ瞬間だ。たった一人では迎えることは出来なかった。
いつも待ち構えていたのは牙の生えた大きな口。今はその口が恐怖に震えている。
月を衝くのだ。
夜のような黒い刀身が、風を切り裂くように空へと昇る。
モンスターはがくがくと震え、大きな口をだらしなく開いて、異臭を放つ唾液を足元にこぼした。
勝った、と思った直後だった。
モンスターは乱暴に頭を振り回した。
剣はモンスターの額に突き刺さったまま、陽太の手を離れた。それと同時にモンスターの左腕が陽太を襲う。
陽太の体は軽々と吹き飛ばされ、地面を転がった。
モンスターも致命傷を負い、力が入っていない。陽太の体に受けた衝撃は陽太の動きをわずかに封じる程度のものだった。
背中から覆いかぶさるような鈍痛に思わずうめき声を上げた。
その声に反応するように、モンスターは目のない顔を陽太に向ける。
存在しない赤い瞳が陽太を睨み付けている。
その瞳が陽太の命を咀嚼しようと笑っている。
諦めることは簡単だ。涙を流すことも、こらえることに比べたら容易だ。
「泣いて諦める人じゃない」
それ故に立ち上がる。
ただ、殺されてたまるものか。
立ち上がれば体が痛む。両足が軋む、拳が震える。
力強く握りしめ、右手を構えた。
残された攻撃手段は青いコンパスを元に作られた刺のついた籠手の一撃だけ。
全力で殴ることが出来るのは一度だけ。的を外せば待っているのは長引く苦痛か、自室のベッドだ。
もう同じ今日は繰り返さない。星宮のいない今日を、それを誰も知らない毎日を、眺めるだけの自分を許さない。
モンスターがふらふらとした足取りで歩き出し、腕を振り子のように振り回しながら、陽太との距離を詰めてくる。。
爪が地面をえぐり、土ぼこりが月の明かりに照らされてダイヤモンドのような輝きを残す。
その粉塵の中を、陽太は走り抜ける。
あと一秒遅ければ、左腕の爪が陽太の腹部を切り裂いていただろう。
あと一秒早ければ、その腕に薙ぎ払われて二度と立ち上がることは出来なかっただろう。
その拳は二人が握りしめた明日。
もう一度、星宮と共に街を歩きたかった。
もう一度、手を握りたかった。
もう一度、ただ、会いたかった。
陽太はただ一人、
「一昨日来やがれ!」
ズドン、と拳から全身へと伝わる衝撃。それと理解すると同時に陽太の体から力が抜けるのが分かった。
仕留めた。その達成感からか疲労感からか、陽太は地面に倒れた。
モンスターは悲鳴を上げることも忘れ、ポカンと大きな口を開いたまま膝を崩した。そして、その命が燃え尽きたかのように、体は粉塵へと返る。
目に見えない小さな欠片へと姿を変え、恨めしそうに一声だけか細い悲鳴を残して消えた。
陽太はそれを見終えると満足したように安らかな顔で目を閉じた。
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