1-7 レベル1の戦う意思
再び訪れた今日に
いつも通り姉の
いつも通り二階の廊下の入り口で
直に教師がやってきて、
星宮はたまに学校を休む。必ず学校に連絡を入れ、なくても昼頃には登校していた。だが、放課後になっても彼女は現れなかった。
星宮のカウントは三〇を超えた。三一を迎えることは出来なかったのだと理解した。
それを星宮もわかっていたのだろう。だから、昨日の今日を楽しく過ごそうと決めたのだ。
十分に楽しみ、悔いもなく死ぬことが出来た。
それを人は何と呼ぶのだろう。後悔のない死を喜ぶべきだろうか、それとも、いなくなった星宮の死を悼むべきだろうか。
陽太にはわからなかった。ただぼんやりと日が暮れるまで教室にいた。
ただじっと斜め後ろの星宮の席を眺めていた。
「陽ちゃん?」
ふいに美鈴の声が聞こえた。顔を上げると教室の入り口に美鈴の姿があった。
すっかり日の暮れた教室で陽太は美鈴と向かい合う。
「どうした?」
何でもないような顔で問いかけると美鈴は遠慮気味に自分の目尻の当たりをノックした。
その動作に倣うように目尻に触れるとわずかに濡れていることに気が付いた。
慌てて制服の袖で目元を拭う。湿った制服を見て、初めて泣いていたことに気が付いた。
「なにかあったの?」
美鈴はいつだって気に掛けてくれる。伊達に長いこと幼馴染をしていない。些細な変化にも美鈴は見抜いてくる。
ループを繰り返し、心が挫けそうになっていた時も美鈴は声を掛けてくれた。
セリフはいつも同じだ。陽太を心配してくれる心も、そのぬくもりもいつも同じだけ与えてくれた。
「べつに」
相談したことはあった。美鈴は陽太の話を理解はしてくれなかった。だが、陽太の心は理解してくれた。
打ちのめされ、膝をつきそうになった時も、美鈴は陽太の辛さを理解しようと努力してくれた。だが、今回は説明することも理解してもらうことも出来そうになかった。いや、陽太自身が努力をすることが出来なかった。
美鈴にとっては星宮はただ学校を休んだだけなのだ。ただ、それだけなのだ。
美鈴はゆっくりと近づき、隣の席に腰を下ろした。視線を合わせようとしない陽太の顔を覗き込もうとしてやめた。
陽太は口を開くことが出来なかった。時折ため息を吐き出しては項垂れるようにぽつりと涙をこぼした。
「ねぇ、陽ちゃん」
ほとんど日は沈んでいた。かすかな夕日に照らされた美鈴の顔が手の届く距離にあった。
美鈴はじっと陽太の顔を見つめた。
「陽ちゃん、ちっちゃい頃のこと覚えてる?」
「え?」
美鈴は陽太の頭を持ち上げるように頬に手を添えた。
しっとりとしたぬくもりが心を満たしていくような気がした。
「陽ちゃんね、いっつも私のこと守ってくれたんだよ」
一体どれほど昔のことを話しているのだろう。
美鈴が近所の悪ガキにいじめられていたのは、二人が幼稚園に通っていた頃のことだった。
今思うと悪ガキなりの愛情表現だったのかもしれない。
好きな女の子をいじめてしまう。無垢な子供ゆえの過ちである。
いつも小さな理由で美鈴はいじめられていた。というより遊びに混ぜてもらうことが出来ずに泣いていた。
悪口はいつも決まって泣き虫から始まった。
幼稚園の中の出来事だから、その泣き声はいつも陽太の耳にも届いた。
陽太にとっては妹だ。それ故にお兄ちゃんが妹を守るのは必然だった。
「私が泣いてるといっつも助けてくれるの。すっごい嬉しかった。でも、陽ちゃん、喧嘩には勝てなかったね」
多勢に無勢だった。
美鈴は泣くばかりで痛い目に遭うのは決まって陽太だった。
「でも、陽ちゃんは泣かなかったね。勝てなかったけど、陽ちゃんは負けてなかったよ」
諦めの悪い子供だった。というよりも美鈴の前で泣いてたまるかとばかりに意地になっていた。
「カッコよかったよ」
「カッコ、よかった、ね」
皮肉の込められた言い方に自分自身でも嫌になる。だが、美鈴はただそっと陽太の頬を持ち上げ、陽太の視線を美鈴に向けさせた。
「今も、だよ」
夕日が沈む。夕日に照らされていた美鈴の顔が見えなくなった。
「陽ちゃんが自分のために泣く人じゃないって私は知ってる。陽ちゃんが泣く時は誰かのためなんだよね。でもね、陽ちゃんは泣き虫じゃないんだよ。必要な時しか泣けない人だって、私は知ってるの」
暗闇に溶け込んだ美鈴の顔が得意げに笑ったのがわかった。
「でも、陽ちゃんは泣き虫じゃない。ずっと泣いてるだけの人じゃないよ。勝てないことがあるかもしれないけど、陽ちゃんは絶対負けない」
勝てない。けれど、負けない。
その言葉と赤い瞳がリンクする。
傷つけられた痛み。傷つけた衝撃。敗北の苦み、一撃の重み。
明日を約束した二人。
「陽ちゃんは泣いて諦める人じゃないよね」
その言葉が、陽太の心に喝を入れる。
泣いて、ただ諦める。
そんな選択肢は初めからありはしない。だが、気が付かない内に、それを選んでいた。
その過ちを正してくれたのだ。
「ありがとう」
その一言ではとてもじゃないが足りないと思った。
「貸しひとつだぞ」
美鈴は歌うように笑うと陽太の頬から手を放した。
自然とその手を握りしめていた。表情が見えなくても、美鈴が戸惑っているのが分かった。
「ありがとう」
その声を耳にして、美鈴の戸惑いが消え、そっと握り返してくれた。
美鈴の手のひらから、生きる力を分けてもらえたような気がした。
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