1-6 レベル1の激闘

 今日こそを今日の終わりとする。

 二人は小さく誓った。交わった小指の熱を握りしめるように高杉陽太たかすぎようたは剣を手に取った。

「いつも通りいくわよ」

 森の入り口。相変わらずいつものポジションで、赤い瞳はただぼんやりと二人を見据えていた。

 星宮灯里ほしみやあかりも武器を構え、ゆっくりと歩を進めた。

「星宮」

 陽太はポジションにつき、先行する星宮に声を掛けた。

 星宮は肩越しに目を向けると、ただ柔らかく微笑みを返した。

 一歩、一歩、とモンスターとの距離が縮まっていく。相変わらず、それを嬉々としているようにモンスターは息遣いを荒げていく。

 そっと風を切り裂くように剣を抜く。真っ黒い刀身が光を反射して煌めいた。

 動いた。それは微かな予備動作だ。跳躍する前の、目を凝らさなければわからないほどの小さな動きだった。

 星宮はそれを見逃さない。即座に踵を返し、走り出す。それ

 それとほぼ同時にモンスターが木へと手を伸ばす。

「星宮!来るぞ!」

 陽太の声を合図にしたかのように、モンスターは跳躍する。背後で感じた風の流れを感じ取り、滑り込むように木々の合間を走り抜ける。

 モンスターの牙が木の肌をえぐり取る。

 星宮からの合図が出た。陽太も星宮から目を放し走り出す。

 味方の姿も敵の姿も見えない二五メートルだ。ただ背後で響く静かな物音に耳を傾ける。

 足音が聞こえる。その距離も近づいてくる。だが、それと同時にモンスターが木へと爪を食い込ませる音も距離を詰めてくる。

 それがどれだけの距離なのかは見当もつかない。ただ、迫ってきているという事実だけを肌で感じ取る。

 森を抜けた。

 まばゆい光を全身に浴びると共に陽太は速度を落とし振り返る。同時に星宮も森を抜け、転がるように陽太の隣へとたどり着いた。

 第一目標をクリアした。

 星宮と視線を交わし、それを確認するように二人は互いに頷き合う。

 どすん、と二人の背後にモンスターが着地する。

 グルグルと唸り声を上げ、片方だけの瞳で二人を交互に見た。

「俺が一分稼ぐ」

 武器を構えた星宮を制して一歩前に出る。

 星宮は驚いたように陽太を見ていたが、陽太の目には眼前の敵だけが映っている。

 その横顔を星宮は信頼した。

「わかった」

 星宮の声を聞き届け、陽太はゆっくりと動き出す。

 今までは正面から向かい合ってきた。逃げてはいけないと自分に言い聞かせていた。いや、どこかで勝てるような気がしていた。

 ましてや何度死んでもやり直すことが出来たのだ。その分、気が緩んでいたのかもしれない。

 モンスターの動きには随分と慣れた。意地でぶつかり合っても負けることもわかっている。

 陽太はモンスターを中心に円を描くように歩き始めた。

 呼吸は落ち着いている。一一回の死線を潜り抜け、陽太は少しだけ成長していた。

 我流の剣とは言え、何度も危機に瀕し、何度も研究を重ねられた剣である。

 その足さばきも、独自の呼吸も、少し前の少年のソレではない。

 磨き抜かれたものではないが、洗練されたものであることに違いはない。

 モンスターが動く。腕を使って体を持ち上げ、陽太との距離を詰める。

 陽太は右手の剣を低く構え、左腕の盾を高く構えた。盾で打撃を抑えることは出来ても、衝撃までカバーすることは出来ない。

 ないよりはマシという程度の防御策だった。

 陽太もそれは理解している。一度、正面からモンスターの攻撃を受け止めたが、あっさりと体は弾かれ、倒れたところにとどめを刺された。

 ゆえに陽太は盾そのもので受け止めることを断念する。

 モンスターが右腕を振り上げ、盾を構え、タイミングを計る。

 上から振り下ろされる垂直な攻撃を退避するのは容易だ。だが、敵の間合いに入った時点で、その腕を薙ぎ払うように水平に振り払われたら避ける術はないに等しい。

 腕を振り上げ切る前に回避行動に移れば、高確率で腕を薙ぎ払う。横に飛んでも逃げきれない。かといって後ろに飛んでも避けきれない。ましてや追撃をされる可能性の方が高い。追撃の二撃目は左腕による薙ぎ払い攻撃。バランスを失った状態での回避は不可能。

 陽太の選択はただ一つ。腕を振り下ろされると同時に横へ飛ぶ。その一瞬がチャンスである。

 唯一の隙。手を伸ばせば届くところに赤い目玉が現れる。

 いくら動きが遅いとは言え、目の前で対峙した時の腕の体感速度は遠目に見ている時の倍以上に感じる。

 目で追いかけていれば、その一撃から逃れることは出来ない。絶妙なタイミングだった。

 実際、モンスターは攻撃を悩んだ。わずかに斜めに線を描いた腕は陽太の体を捉えることは出来ずに地面へと突き刺さった。

 陽太は跳躍した時には、すでに剣を構えていた。左腕で狙いを澄まし、右腕をぐんと引いていた。

 弓を引く動作に似ている。それと違うのは右腕に込められた力だ。手を放せば飛んでいく矢とは違う。

 前進しろ。

 その刃を叩きつけろ。

 星宮はじっと見ていた。まるで、予測していたとばかりにモンスターは体を後ろへと逸らしていた。

 突き出された剣先はわずかに届かない。

 当たらない。

 絶望の波が星宮の体を包み込む。だが、それと同時に星宮は両足に力を込めた。

 陽太が一分稼ぐと宣言してから一〇秒も経っていない。だが、何度となく繰り返された毎日の中で、初めてモンスターが回避行動に移った。

 その刹那を星宮は見逃さない。

 左腕が持ち上げられる。その腕の影に星宮の体が重なり、モンスターの視界から星宮が消える。

 陽太は諦めていた。攻撃が届かないという現実に、昨日までの今日だったならば、殺されることも致し方ないと諦めていた。だが、新しく迎えた今日に後退の道も諦めるという選択肢もない。

 陽太はただ剣を突き立てたまま待っていた。

 その腕が振り上げられ、その腕の背後へと回る星宮の姿。その星宮が両手で握りしめた鎖の先、刺のついたバスケットボールが弧を描いて、ラグビーボールに叩きつけられる。

 ゴン、と鈍い音を立ててモンスターの頭が少しだけ前に動いた。

 ほんの数センチだけだった。だが、眼前に突きつけられた剣先は、ほんの数センチだけ動いただけで、易々と赤い瞳に突き刺さる。

 表面に薄い傷をつけただけだ。だが、モンスターはその痛みに悶絶した。

 二人は一気に畳みかける。

 星宮の武器はバスケットボールの軽さと柔軟性を備えている。強い衝撃を受け、その衝撃の強さに合わせて飛び跳ねる。頭上へと上昇したバスケットボールを再度標的に向けて振り下ろしてやるだけで、次の攻撃へと転じることが出来る。

 星宮はバランスを崩したまま着地した。だが、しっかりと狙いは澄ましてある。再び、ラグビーボール目がけて星宮の打撃が襲い掛かる。

 瞼のない目が、閉じることのない目玉が、赤い体液をこぼしながら星宮を振り返る。

 陽太の攻撃は目玉以外にダメージを与えることが出来ない。それなのに、陽太の視界にはモンスターの背中しか見えなかった。

 ダメージを与えられる箇所がない。

 モンスターはそれを見破り、陽太よりも星宮を先に排除することに集中した。

「させるかよ」

 今日を終え、昨日と同じ明日を迎えるのはごめんだった。

 陽太は拳を握った。

 作戦があったわけじゃない。何かを見出したわけでもない。

 刃が通らないなら、刃以外のもので動きを止めるしかないと判断した。

 陽太が思考するよりも早く、彼の体は反応していた。

 コンパスのガントレットが叩きつけられる。がつん、と響いた鉄と岩がぶつかり合うような不協和音。

 赤い液体をこぼす瞳がギロリと陽太を睨み付けた。そして、その視線の向こうからバスケットボールが流星のように降り注ぐ。

 勢いを増した衝撃にラグビーボールが砕けた。固い表皮がはぎ取られ、柔らかい血肉が顔を出す。

 二度の攻撃が通った。それもかなりの有効打。

 劇的な進歩だ。

 イケる。

 それは確信だった。そして、それゆえの油断だった。

 モンスターは命の危険を感じている。それは初めての事態だった。

 怯え、恐怖する。そこに規則的な動作などない。

 地面に爪を立て、威嚇するように咆哮する。至近距離で響いた怒号に鼓膜を劈くような耳鳴りが轟いた。

 鋭利な刃物で脳みそを突き刺されたような痛みが駆け巡る。思わず二人は目を閉じた。

 敵を眼前にして目を閉じる。それは死への片道切符を自ら手にするようなもの。

 目を開くと同時に陽太の目の前にモンスターの腕が迫ってきた。とっさにことに身動きを取ることが出来ず、陽太の頭は易々と鷲掴みにされた。

 岩のような手のひらが弾丸のように放たれたのだ。触れただけで陽太の脳みそはぐわんぐわんと揺れていた。

 思考することが出来ない。それ故に、絶望も悲しみも星宮の体に爪が食い込んでいるという事実にも気づけなかった。

 星宮が退屈そうに笑っていた。

 あーあ、また失敗か。

 そんな風に囁く星宮の声が暗く沈んでいく思考の中で聞こえた気がした。

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